「移民には冷蔵庫や通訳も」英国離脱支持の街、衰退の不満転嫁『毎日新聞』の基本的論調は「リベラル」に属するものです。移民問題については、受け入れ国側に「多文化共生精神」「違いを認め合う寛容の精神」といった精神論的な要求を展開してきました。世界的に見てもそうです。こうしたリベラリズム・リベラリストの論調については、スロベニアの哲学者スラヴォイ・ジジェクは次のように批判しているそうです。
5/17(金) 22:21配信
毎日新聞
欧州連合(EU)離脱を巡り混乱が続く英国で、新興のポピュリズム(大衆迎合主義)政党「ブレグジット(英国のEU離脱)党」の人気が急浮上している。離脱派の人々の思いを知ろうと、記者はイングランド北東部にある「離脱派の街」を訪ねた。【ロンドン服部正法】
(中略)
中心部から車で数分のヘッドランド地区。パブで話し込むと、店を取り仕切る女性はこう訴えた。「外国人は冷蔵庫から何から与えられ、英語が話せないから通訳もつけてもらっている」。女性が指すのはシリアなどからの難民のことだ。だが、英国での難民申請者の数(17年)は、ドイツの6分の1弱、イタリアの4分の1強と周辺国と比べ多いとは言えない。なぜ人々は外国人に不満を募らせ、それがどう離脱支持につながるのか。
街の周辺は元々英国有数の炭鉱地帯。かつては羽振りの良い炭鉱労働者らが繰り出し、造船業も順調で活気のある街だった。だが、競争力強化と自由化推進の保守党・サッチャー政権(1979〜90年)の改革で、不採算の炭鉱が閉鎖。造船業も下降の一途をたどった。ある調査(12年公表)では、イングランド326自治体のうち、ハートルプールは貧困リスクが高い自治体として4番目。公共サービスは衰退し「地区の図書館や病院が閉鎖された」(同地区選出のフレミング市会議員)。美容院経営者、ケルダ・ヘイズさん(48)は「金属くずなどを集積場から拾って売る貧しい人もいる。EUに分担金を払うより、彼らのための政策に使うべきだ」と言った。
(以下略)
https://news.nicovideo.jp/watch/nw4250735
(略)ブラジル大統領選挙で、性的少数者や女性、黒人への差別発言を繰り返してきた極右政治家ジャイル・ボルソナロ下院議員が当選しました。国際的な右派ポピュリズムの波は、まだまだ拡大していきそうです。私も大変共感できる指摘。移民排斥感情には幾つかの原因・経緯がありますが、その一つとして「排斥論者の雇用生活環境」が存在していることは紛れもないことです。もちろん、すべてをこれに還元させてしまうとマルクス主義的経済還元論の轍を踏むことになりますが、だからといって「排斥論者の雇用生活環境」を完全に無視することは正しい認識姿勢ではありません。
この"世界のトランプ化現象"について、反資本主義の旗手として知られるスロベニアの哲学者スラヴォイ・ジジェクが、英紙『ガーディアン』のインタビューで興味深い発言をしています。
(略)
ジジェクは、リベラル陣営がトランプら右派政治家の言動ばかりに目を奪われるのは「バカげている」と喝破(かっぱ)します。極右の再興はあくまでもグローバリズムの暴走、格差の拡大による"二次的な症状"である。
にもかかわらず、右派陣営に煽(あお)られるがままに、反差別や多様性といった"些末(さまつ)なこと"を追いかけても、この社会はよくならない。いや、むしろ右派ポピュリズムは拡大していくだけだ――。
身もふたもない言い方をすれば、ジジェクは「左派はきちんとゼニの話をしろ」と言っているのです。
(以下略)
その点、今回の記事は移民に不満を持つ人々と、彼・彼女らの雇用生活環境を正面から捉えています。もともと啓蒙主義的で観念論と親和的な思考回路を持っているのがリベラリズム。そうした思想潮流を社としての基本論調としている毎日新聞にしては、異例的だが正しい論調です。
「衰退の不満転嫁」という表現もよい。記事中ではサッチャリズム改革のあおりを受けてハートルプールの町が衰退していったと描いていますが、そのうえでの「衰退の不満転嫁」という表現は「不満の矛先を筋違いの方向に向けている」という意味になるからです。
英国病を治さなければならないという重要命題があったにしても、たとえば経済政策の面では同じように新自由主義的改革を実施しつつもソーシャル・ブリッジの構築にも注力した、ほぼ同時期の北欧諸国(ちょっと後になるかな)での構造改革と比するに、サッチャリズム改革は「中途半端」でした。その結果の代表格が、こんにちのハートルプールの町――産業は衰退し人々は貧困におびえている――なのです。
本当の「敵」の正体は、不満の矛先を向けるべきは、経済政策であり究極的には経済システムなのです。「衰退の不満転嫁」という表現からは、それを読み取ることが出来ます。
本当の「敵」との闘いの過程では、移民との関係も再構築することになるでしょう。ハートルプールの町が衰退した根本には「イギリスの経済システム」の問題があり、移民たちが地元を捨ててイギリスにやってくる根本には「移民出身国の経済システム」の問題がありますが、これらは「国際経済システム」の下位要素(サブ・システム)であり、システム的に連関しているからです。
かつて「インターナショナリズム」という言葉がありましたが(いまも消えて無くなったわけではありませんが)、「クローバリズム」が斯くも暴れまくっている今、この言葉の意味を再構築する必要があるでしょう。
ここにおいては、キム・ジョンイル総書記の労作『民族主義に対する正しい認識を持つことについて』は重要な指針を示すものになるでしょう。
キム・ジョンイル総書記は、同労作において、「民族主義は国際主義とも矛盾しません。国家や民族の間で互いに援助し、支持し連帯し合うのが、国際主義です。国ごとに国境があり、民族の区別があり、国家と民族をよりどころにして革命と建設が進められている状況のもとで、国際主義は国家間、民族間の関係であり、民族主義を前提としています。民族と民族主義を抜きにした国際主義は実際、なんの意味もありません。」と指摘されます。なお、チュチェ思想における民族の定義は、「血縁、言語、文化生活、地域の共通性にもとづいて社会歴史的に形成された人々の堅固な集団」(韓東成、『哲学への主体的アプローチ―Q&Aチュチェ思想の世界観・社会歴史観・人生観』、白峰社、2007、p99)です。つまり、民族集団とは、共通の文化生活を送る人々の集団だと言え、国際主義とは、共通の文化生活を送る人々の集団たる民族を基礎として、互いに援助し支持し連帯し合う関係性のことであると言えます。
人々の社会的活動の究極的目的は、彼・彼女らの日常生活を安寧かつ自主的にするためのものと言うべきでしょう。生まれてこのかた慣れ親しんできた自らの文化的生活スタイル=自民族の文化的生活スタイルを維持し、必要に応じて改善しつつ、それを満喫するという市民的な幸せこそが人々の活動の根本目的です。人々は決して、国際主義・インターナショナリズムのために生活しているわけではありません。
民族集団を基礎とする国際主義・インターナショナリズムこそが人々の社会的活動の究極的目的としての「自主的日常生活」に資するものである――この認識が重要です。