カネカ「対応に問題は無い」 育休対応問題で声明文公開「法的に問題ない」――そりゃそうでしょう。日本の労働法規は、使用者側にとっても労働者側にとっても抜け穴だらけのザル法なのですから。また、労働法規は強行法規性を持っているので刑法的に運用の厳格さが求められますが、後述のとおり、現代資本主義市場経済は印象や評判が大きな位置を占めているので、仮に刑法的に運用の厳格さが求められる法の観点から問題なかったとしても、商売的・経営的には打撃となり得ます。
6/6(木) 12:32配信
J-CASTニュース
化学メーカー「カネカ」は2019年6月6日、自社の公式サイトに、「当社元社員ご家族によるSNSへの書き込みについて」と題した声明文を公開した。
ネット上では6月1日から、カネカの元社員の家族だとみられるツイッターユーザーの投稿が話題に。夫が育休取得直後に関西転勤の内示を受けたことなどが明かされ、会社の対応をめぐって議論が巻き起こっていた。
(中略)
6日にカネカ側は、新たに文章を発表。発端となったSNSへの書き込みについて、「6月2日に弁護士を含めた調査委員会を立ち上げて調査して参りました。6月3日には社員に向けて、社長からのメッセージを発信致しました。更に、6月5日に、社内監査役及び社外監査役が調査委員会からの報告を受け、事実関係の再調査を行い、当社の対応に問題は無いことを確認致しました」と主張。続けて、「元社員のご家族は、転勤の内示が育児休業休職(以下、育休とします)取得に対する見せしめである、とされていますが、転勤の内示は、育休に対する見せしめではありません」と訴え、「元社員から5月7日に、退職日を5月31日とする退職願が提出され、そのとおり退職されております。当社が退職を強制したり、退職日を指定したという事実は一切ございません」と重ねて主張していた。
「当社の対応は適切であったと考えます」
本人への内示について、カネカ側は、「育休前に、元社員の勤務状況に照らし異動させることが必要であると判断しておりましたが、本人へ内示する前に育休に入られたために育休明け直後に内示することとなってしまいました」と状況を説明し、「本件での内示から発令までの期間は4月23日から5月16日までの3週間であり、通常よりも長いものでした。 また、着任日を延ばして欲しいとの希望がありましたが、元社員の勤務状況に照らし希望を受け入れるとけじめなく着任が遅れると判断して希望は受け入れませんでした」としていた。
声明文の最後の方でカネカ側は、「着任後に出張を認めるなど柔軟に対応しようと元社員の上司は考えていましたが、連休明けの5月7日に、退職日を5月31日とする退職願が提出されたため、この後は、転勤についてはやり取りがなされませんでした。このため元社員は転勤に関しての種々の配慮について誤解したままとなってしまったものと思います」とつづり、「元社員の転勤及び退職に関して、当社の対応は適切であったと考えます」と改めて会社側の対応を正当化。「当社は、今後とも、従前と変わらず、会社の要請と社員の事情を考慮して社員のワークライフバランスを実現して参ります」と結んだ。
(J-CASTニュース編集部 田中美知生)
最終更新:6/6(木) 13:03
カネカが真に注視しなければならないのは、「労働法規に違反しているか否か」ではないのです「労働市場における評判」にこそ注視すべきです。その点、今回は「初動に失敗してしまった」というべきでしょう。
日本は、労働力までもが商品として市場取引されている資本主義国です。現代の資本主義市場経済は、あらゆる事物が商品として自由に取引されているがゆえに、「評判」が「価格」と同等かそれ以上に死活的に重要な位置を占めています。現代資本主義市場経済は「評判経済」です。それゆえ、仮に自己の商材に「悪評」が立とうものなら、その「実態」とはまったく無関係に極めて厳しい商的立場に立たされます。どんなに科学的安全性が証明されていても、いまだに「福島県産」というだけで嫌な顔をする人がいるように。「ノルマ廃止」と言明した郵便局の方針があまり浸透しておらず、いまだ「郵便局=自爆営業」の印象が根強いように。
総合職の全国転勤・広域転勤が当たり前だった日本の企業文化の中からこそ、いま変革の兆しがあらわれつつあります。社会情勢の変化に対するアンテナを高くしている企業を中心に、「小うるさい左翼労働組合対策」としてではなく自発的に全国転勤・広域転勤を改めようする動きが、ここ数年、見られるようになりました。労働供給の逼迫化による人手不足の風潮により待遇競争のトレンドが生まれる中、現代資本主義市場経済が評判経済であるという事実を正しく捉えている企業を中心に、全国転勤・広域転勤を改革して「待遇改善」を印象付け、労働市場における競合他社と「差」をつけようとする動きが大きくなりつつあります。
こうした企業は、評判経済の本質を見抜いています。評判経済における評判は、「印象」と言い換えても間違いないものです。つまり、評判経済というものは、しっかりと考え抜かれた上での判断によるものではなく、「何となくの印象」にもとづくものです。「何となくの印象」が企業経営にクリティカルな影響を与える時代なのです。本来的に証拠や事実に基づく科学的思惟でない点、あとから挽回を狙って客観的事実を積み上げたところで書き換え得ないのが「何となくの印象」の特徴であり厄介なところです。
そんな最中での本件。「本人へ内示する前に育休に入られたために育休明け直後に内示することとなってしまいました」「連休明けの5月7日に、退職日を5月31日とする退職願が提出されたため、この後は、転勤についてはやり取りがなされませんでした。」――バカバカしい。休日・夜間に何の遠慮もなく電話等の連絡をしてくることは、日本の社会人のほとんどが経験的に知っていることです。また、カネカは退職「願」と退職「届」の違いを混同しています。
https://mynavi-ms.jp/magazine/detail/000456.html
退職願と退職届の違いは?書き方と退職の作法について退職「願」は鬱陶しい慰留工作展開の余地があるので、本気で断固として退職するつもりの労働者は退職「届」を叩きつけるべきだと指摘されているところです。さすがに弁護士にも相談しているカネカ人事部が、退職「願」と退職「届」とを本気で混同しているはずがありません。あまりにも白々しい言い分に、多くの社会人は失笑を禁じ得ず、また、著しいマイナス感情を覚えたことでしょう。
(中略)
退職願と退職届は、役割が大きく異なります。退職願とは、会社もしくは経営者に対して退職意思を表明する書類です。退職願を出した時点ではお願いをしているにすぎず、労働契約が解約されることはありません。会社の承諾を得る前であれば、撤回することもできます。
一方で退職届は、退職願よりも厳格な書類です。会社の可否を問わず、受理された時点で退職が決まります。労働者は一方的な意思表示によって労働契約を解約できるとする民法の定めに則った形式です。提出から一定期間が経過すれば退職できることとなり、撤回はできません。
(以下略)
おそらく今頃、抗議の電話やメールがカネカ広報部にそれなりの規模で届いていることでしょう。しかし、日本の社会人のほとんどは今現在においてカネカの社員ではなく、また、カネカに勤めなくても死にはしない人たちです。カネカがブラック企業路線をまっしぐらに走ったところで多くの人々にとっては何も関係ないし、就活生や転職希望者であれば求人に応募しなければいいだけです(カネカが人手不足で倒産したところで中長期的な意味で困る人はそれほどいないでしょう。失業した優秀な技術者は競合他社に引き抜かれるだろうから、中長期的には問題ありません。人事部を筆頭とする事務・管理部門は潰しが効かずに困るだろーなー)。
「何となくの印象」が決定的な意味を持っている現代資本主義市場経済におけるカネカの「対応に問題はない」声明。法的に問題はないかもしれませんが、こんな会社で働きたいと思う人がどれだけいるというのでしょうか? 今現在の社員は人事の強制力で恫喝・委縮できても、こんな悪評が立った企業の求人に好き好んで応募する優秀な人材がどれほどいるのでしょうか? あれだけ強気だった外食大手の「ゼンショー」が遅れ馳せながら手のひらを反すようにホワイト化に注力しつつも、かなり苦労した前例を思いださざるを得ません。カネカの声明は、このご時世では自殺行為といってもよいでしょう。「初動に失敗してしまった」というべきでしょう。
評判経済は「合法性」ではなく「好き嫌い」なのです。もちろん、好き嫌いごときを相手にしないのも自由であり合法的です。しかしその結果として、市場において嫌われ、競合他社との競争に負けて淘汰される危険性は十分にあります。このことは忘れてはなりません。繰り返しますが、評判経済は合法性という理屈ではなく好き嫌いという感情なのです。
ちなみに私は、今回の報道を受けてカネカには著しいマイナスイメージの印象を覚えましたが、カネカには興味がありません。いままで「カネカ」で検索したことはないし、今後も積極的にググることはないでしょう。カネカが今回の騒動を受けて来週以降慌ててホワイト企業を演じて対策を講じたところで、たぶん私はその事実を知ることはないでしょう。私の印象の中では、今後数十年間にわたって「カネカ=ブラック企業」でありつづけることでしょう。仮に身近にカネカへの就職を考えている人がいれば、懸念を表明してお勧めすることはないでしょう。なお、私が個人身分で半径10メートル以内の人たちを相手に、カネカについて酒の席で「懸念」を表明したところで、あくまでも懸念でありネガキャンではないのだから法律沙汰にはならないことでしょう。
私一人の独断的な「懸念」であれば社会レベルでは大した影響はないでしょうが、今回の炎上騒動のように、わりと多くの人々に同様のイメージが植え付けられた場合、マイナスの風評は思ったよりも広範に拡散していると見るべきです。人一人の影響力は大したなくとも、社会集団レベルでは、まさに「ベクトルの合成」のごとく大きな影響力を発揮するものです。
人間、親しい人の忠告・勧告にこそ影響されるものです。これからも更に拡散されてゆくとみるべきです。マイナスの風評が思ったよりも広範に拡散してしまっているであろうカネカ。初動に失敗してしまったカネカ。これからの展開が「楽しみ」です。
これからの時代、労務でもめたときは弁護士に相談するのではなく、広告代理店に相談した方が良いかもしれません。電通は同じ穴の狢なのでダメだろうけど(聞くところによると電通も最近は「働き方改革」に取り組んでいるそうですが、株式会社電通に一切興味がなく、また、「株式会社電通が真に改心するわけがない」と独断と偏見で決めつけている私の中では永久にブラック企業であり続けることでしょう)。
ラベル:自主権の問題としての労働問題