JR東の首都圏・全在来線の全線 9日朝の始発から運休 台風15号影響■翌朝の線路確認を計算に含めた点は、BCP概念に照らして進歩と言える
9/8(日) 17:52配信
毎日新聞
JR東日本は8日、首都圏の全ての在来線で9日始発から午前8時ごろまで運転を見合わせると発表した。台風15号通過後の線路の点検が終われば、予定より早く運転を再開する可能性もあるという。
(以下略)
8月には西日本で、そして今回は東日本での「計画運休」。ここ数年、計画運休という言葉を耳にするようになりましたが、試行錯誤が続いているようです。昨秋、東日本(首都圏)で実行された計画運休では、翌朝の線路点検を計算に入れずに「翌朝は始発から平常運転」としてしまったために、大混乱が発生したことはまだ記憶に残るところです。
昨秋の計画運休について、ブリティッシュエアウエイズ旅客運航部長の元部長で、いすみ鉄道元社長である鳥塚亮氏は、「JRの一斉運休に見る日本のお寒いBCP事情」及び「【続】JRの一斉運休に見る日本のお寒いBCP事情」において、「BCP(Business continuity planning:事業継続計画)の欠如」という視点からJRの対応について厳しく批判する論調を展開しておられました。
悪天候の影響を受けやすい航空業界ご出身だけに、巷のジャーナリスト連中よりも説得力のあるJR批判と言えます。今回の台風15号を巡る計画運休の当否についても、重要な視座を提供するものと言えるでしょう。少し長くなりますが、重要な指摘なので引用します。
https://news.yahoo.co.jp/byline/torizukaakira/20181003-00099170/
始発列車から混乱が続き運転再開に手間取ったということは、首都圏全域の路線を運休させた場合の運転再開の手順が計画されていなかったということだと筆者はみています。首都圏全線の列車を止めた場合、深夜から早朝にかけて台風が通過した後、始発から平常通り運転再開することなどほとんど無理な話であったにもかかわらず、前日の運休を始める時点でのアナウンスは「明日は始発より平常運転の予定」でした。ところがそれができていないわけです。今回は、翌朝の線路点検も計算に入れたうえでの計画運休になっている点、交通インフラにおけるBCP概念は、昨秋の苦い経験を踏まえて進歩していると言えるでしょう。
BCPとは、万一事業を中断した場合、いかにして再開するか、その時間的目標や手順を定めていること、そして完全復旧までの計画がきちんとできていることが求められますから、運転再開の手順が定められていない状況で列車を止めるということは、今回の運休はBCPに従ったものではないということになるのです。
BCPというのは災害時でもどのように業務を継続するかということが第一定義ですから、最初から「安全のために運転しません。」ということはそもそもBCPではないことになります。また、BCPは「万一事業活動が中断した場合でも、目標復旧時間内に重要な機能を再開させ、業務中断に伴うリスクを最低限にするために、平時から事業継続について戦略的に準備しておく計画。」でありますから、一部の路線ならまだしも、運転再開に手間取って多くの区間で正常に戻るまでほぼ半日以上を要するような状況は、BCPとしては実にお寒いと言わざるを得ません。
「明日は始発から平常運転」の情報を得た利用者たちは、いつも通り月曜日の朝の通勤行動をします。ところが駅へ行ったら列車が来ない。列車が来ないばかりでなく改札口は閉鎖されて構内にすら入れてもらえない通勤客が駅前広場にあふれかえるという光景が首都圏全域でみられる事態は、鉄道会社のBCPが全く機能していない、あるいはBCPそのものがこの会社には存在していないことを示していたのです。
では、今回のような場合、筆者はどのようなBCPを考えるか。
まず、運休する場合は当然運転再開の目安として、「明日の午前中は走らない。」「明日は午前10時ごろから順次運転再開予定」等のインフォメーションを同時に出すことが必要でしょう。BCPの中の業務再開計画がきちんとできていれば、天候回復後、通常通りに列車が走るようになるためにどれだけの時間を要するか。また、限られた設備や人的資源でできるだけ早く回復させるためには路線ごと、区間ごとの優先順位の設定も当然必要です。そして、それに基づいたインフォメーションが事前に出されていれば、前日同様翌日も会社や学校はお休みということになりますから朝の出勤時間帯に無用な混乱をお客様にさせるようなことはなかったと思います。
■少し早すぎる夜の運転打ち切りを見るに、BCP概念の定着は不十分
ただ、今回も夜の運転打ち切りが少し早すぎるようにも思います。その点、BCP概念の進歩という点においては、依然として不十分と言うべきです。鳥塚氏は昨秋の計画運休における「早すぎる運転打ち切り」について、次のように指摘しておられます。
https://news.yahoo.co.jp/byline/torizukaakira/20181004-00099302/
では、なぜ前の晩に台風が接近している状況下とはいえ、まだ実際に輸送に影響を与える気象状況が発生する以前の段階で早々に列車の運転を取りやめたのか。それも半径100キロメートルにも及ぶ首都圏全域という広範囲で時間を定めて一斉運休に入ったのか。BCPという業務継続計画ができていないような会社では、駅間で乗客を乗せた列車が停止したらどうするのか。駅構内に乗客があふれかえったらどうするのかなどの詳細な計画もないでしょうから、お客様の便宜を図るということよりも、できる限り自社の業務の混乱を防ぐ観点から列車の運行を停止する「宣言」をした可能性が高く、だとすればそれはBCPではなくて、「安全」という言葉を引き合いに出した単なる業務放棄ともいえるのではないかと筆者は考えるのです。「本来行うべき輸送業務を放棄した」というのは、少し言い過ぎのようにも思いますが、しかし、「この会社にはそのようなBCP的考え方がないのでしょう」というのは、首肯せざるを得ないご指摘です。少なくとも、洗練されているとは言えません。
(中略)
BCPがきちんとしていて、自然災害が迫るときの対応手順が事前に考えられていれば、いきなり全区間の一斉運休ではなくて、もう少し業務継続ができたのだと考えますが、この会社にはそのようなBCP的考え方がないのでしょう。今回の一斉運休は「何かあったら責任が取れません。」イコール「安全が確保できない」ともっともな理由をつけて、本来行うべき輸送業務を放棄したというのが実情でしょう。だとすれば鉄道会社の英断などと称賛されるような内容ではないということになります。
西日本の話になりますが、奇しくも9月2日づけ文春オンラインは、まさに鳥塚氏がいうところの「業務放棄」を自白するがごとき記事を掲載しています。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190902-00013725-bunshun-soci&p=1
「台風で電車が完全ストップ」 計画運休、JRに聞く「“空振り”多くない?」「空振りするかどうかはあくまでも結果論」というJR西日本の担当責任者の言い分は、庶民的直観においては何となくそれっぽい感じもしますが、鳥塚氏がおっしゃるようにBCPに立脚しているとは到底言い得ないと言わざるを得ません。「あくまでも結果論」で片づけて意に介さないのであれば、それはBCP(事業継続計画)とは言えないのです。
9/2(月) 11:00配信
文春オンライン
(中略)
が、そもそも「計画運休とは何なのか」「いったいどんな基準でどのようにして決めているのか」、そして「その目的は何なのか」。すっかり当たり前のように使われている言葉だが、案外「計画運休」についてわからないことも多い。そこで、初めて計画運休を実施したJR西日本に教えてもらうことにした。話してくれたのは、JR西日本鉄道本部安全推進部企画室の中條昭担当室長だ。
(中略)
「終日運休するとお伝えしたのに途中から動かしてしまうとお客さまの混乱を招いてしまう。また、それに加えて運転再開に向けては乗務員の手配や運行システムへのダイヤの入力など多くの作業があり、現実的には難しい。運休すると決めたからには決めた通りに運休することで、安全を守り混乱を防ぐ。社会との信頼関係があって成り立つ、それが計画運休ということです」
“空振り”にはやっぱり批判もあったけれど……
ただ、当然このような仕組みであれば“空振り”することもある。事実、2014年10月に初めて計画運休を実施した際は、結果は空振りで終わってしまったという。
「当時は多くのご批判もいただきました。ただ、中には『安全を守るためには必要な措置だった』というご意見もありました。いずれにしても安全を第一に考えた対応なので、空振りになったことで現場の対応を責めたり、その後の計画運休の判断に躊躇が生まれたりすることがないようにしています。空振りするかどうかはあくまでも結果論ですから」
(中略)
例えば台風が昼過ぎから夜にかけて直撃する予報が出ているケース。朝はまだ台風の影響も少なく電車を走らせることはできる。けれど、告知が不十分であれば出勤したものの帰宅時にはすべての電車がストップしていて多数の帰宅困難者が生まれる――。計画運休にはこうした混乱を防ぐという目的もある。そして最大の目的は“安全”だ。
(中略)
計画運休は、こうした過去の苦い経験の中から生まれた対応策だったというわけだ。ジまた、計画運休をすることで運転再開がスムーズに行くというメリットもあるという。行き当たりばったりで運行を続けていると車両や乗務員があちこちに点在していて運転再開が容易でなくなるし、台風通過後の線路の点検などにも手間がかかる。
(以下略)
また、京急電鉄の所謂「逝っとけダイヤ」を踏まえるに――JRと京急ではダイヤの複雑さに違いはあるのは分かりますが――「行き当たりばったりで運行を続けていると車両や乗務員があちこちに点在していて運転再開が容易でなくなる」という言い分は、額面通り受け取りがたいものです。
さらに、今回、新幹線は今日になってから突然かなり早い時間帯から順次運休し始めました。「告知が不十分であれば出勤したものの帰宅時にはすべての電車がストップしていて多数の帰宅困難者が生まれる」って、東海道新幹線はJR東海管轄とはいえ、自分から引き起こしているじゃないですかw
気象予報はカオスの影響を受けるので長期予報は原理的に不可能ですが、現代の科学水準においては、翌日程度の短期間を対象とすれば、かなり精度高く予報が可能です。つまり、前回も今回も、暴風域時間帯とその後の線路点検時間帯における運休は必要でも、こんなに早く運転を打ち切る必要は乏しいわけです。「行き過ぎ・やり過ぎ」という謗りは免れがたいものです。
※運転要員の帰宅等を考えると、また少し別の展開も見通せます。しかし、鉄道会社は常に夜勤・泊りシフトがあるのだから、本気で事業継続を考えているならば、こんなに早く全線で完全に運転を打ち切らずとも、終電・始発時間帯程度の人員で運行を継続することは可能でしょう。
デイリー新潮は「「記録的」「観測史上最強」の連発で、天気予報がオオカミ少年になる日」という記事を配信しています。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190908-00580963-shincho-ent&p=1
「記録的」「観測史上最強」の連発で、天気予報がオオカミ少年になる日「安全」を錦の御旗としている鉄道会社側の魂胆を暴露していると言ってよい鋭い指摘です。ある意味「事なかれ主義」であり、やはりBCPとは程遠いものであると言わざるを得ません。
9/8(日) 11:00配信
デイリー新潮
(中略)
気象庁の見解は
かように“オオカミ少年”のごとき事態が繰り返されれば、天気予報は信用を失い、かえって国民の命を危険に晒しかねない。本当に危険で避難が必要な時、その警告が意味をなさなくなるからだ。防災システム研究所の山村武彦所長も、こう言うのだ。
「今年の九州南部豪雨では、鹿児島市全域の59万人に避難指示が出されました。この時、気象庁は『命に危険を及ぼす災害が発生するおそれがある』と異例の会見を行ったのですが、これを『最強』『最悪の』などと形容して報じた番組もありました。ところが、実際に避難所へと移った住民はわずか0・61%だった。もし来年、同じような豪雨が鹿児島を襲っても『どうせ何も起きないだろう』と考える人が出て、避難率はさらに下がってしまうおそれもあります」
(中略)
先の山村所長が言う。
「気象庁の予報には、大雨など災害の危険を伝えながら外れる『空振り』もあれば、その反対の『見逃し』もある。ただ、特に災害については『空振りはしても見逃しはするな』というスタンスをとっています。その一方でやはり『打率』も重要で、あまりに空振りが多いと、肝心な時に避難指示を出しても誰も本気にしてくれない。報じる側は、そうした危険性についても理解しなければなりません」
(中略)
新幹線の運休まで…
ところでその「空振り」に関連し、8月15日には山陽新幹線が台風10号の接近を見越して「計画運休」したのだが、これに疑義を呈するのは、さる交通ジャーナリストである。
「輸送業各社は『タイムライン』といってあらかじめどう動いてどうアナウンスするか、スケジュールを決めています。予報の精度が上がったことで計画運休もしばしばみられるようになりましたが、徐行や間引き運転ならまだしも、大動脈である新幹線を始発から一斉に止めるというのは、行き過ぎの感が否めません」
あたかも「空振りはしても見逃しはするな」が伝播しているかのようである。
「“無事故に越したことはない”というのは、いわば易きに流れる発想で、乗客の立場を考えれば、本来は鉄道会社がタイムラインを柔軟に運用し、状況に合わせて徐行運転、一時運休など臨機応変に対応すべきなのです」(同)
(以下略)
■「等身大」の感覚(素人考え)で国家・社会を考える風潮がBCP概念の浸透を妨げる
ところで、このような鉄道会社の「行き過ぎ・やり過ぎ」は、決して世論レベルでは評判は悪くありません。上掲デイリー新潮記事のコメント欄でも「経済活動にも影響はあったと思いますが生命は一つしかないんですよ どちらを取りますか(中略)事故もなく被害も無かったのだから良かったと言える人が増えてほしいです」というコメントが寄せられています。
鳥塚氏は、すぐに全線で運転を見合わせようとする鉄道会社を支持する「世論」に対して、次のように指摘しています。
鉄道会社が一斉に運休することを発表した晩、ネットでは上掲デイリー新潮記事コメント欄にもありますが、「事故もなく被害も無かったのだから良かった」とか「念には念を入れておき、後になってから『いやあ、何事も起こらなくってよかった』と笑い合えるくらいが、ちょうどいいんだ」といった言説を最近よく目にします。個人レベルであればそれでもよいでしょう。しかし、社会インフラがそういう姿勢では困ります。個人の私生活ではBCP概念は不要でも、インフラにはBCP概念は不可欠です。
「安全運行が確約できないことが予想される場合は今回のように事前運休は有効だ。」
「利用者が不要な混乱を招くことがない重要な判断だ。」
「今回の運休はJRの英断だ。」
といった鉄道会社の運休判断を称賛する書き込みが多くみられましたが、実はこういうこともBCPという考え方が国民に浸透していない証明のようなものですね。
なぜなら「安全、安全」というのであれば、どのような状況下でも列車は走らせないのが一番安全であり、飛行機は飛ばさないのが一番安全なのです。でも、それでは社会にサービスを提供する公的企業としての社会的使命が果たせないわけですから、安全という言葉を利用した単なる業務放棄ということになるのです。
「経済活動にも影響はあったと思いますが生命は一つしかないんですよ どちらを取りますか」というのであれば、鳥塚氏がおっしゃるように「列車は走らせないのが一番安全であり、飛行機は飛ばさないのが一番安全」です。もちろん、そんなバカな話はありません。この問題は、単純な二元論で判断すべき問題ではありません。
■総括
「早すぎる全線運転打ち切り」からは、「事なかれ主義」の色合いを強く感じるものです。そして、「事故もなく被害も無かったのだから良かった」からは、よく言えば「等身大」、悪く言えば「素人考え」で国家・社会を考える風潮がますます強まっている昨今の日本世論の現況をよく表していると言えます。そう考えると、BCP概念の浸透までの道のりは険しいと言わざるを得ません。