【佐野SA再びスト突入か】新社長がちゃぶ台返しで総務部長に「自発的に辞めてくれ」3億円賠償も■案の定・・・
10/30(水) 13:36配信
文春オンライン
一件落着したと思われた東北道・佐野サービスエリア(SA)のスト騒動に、再び暗雲が立ち込めている。9月22日から現場復帰していた加藤正樹総務部長(45)ら従業員側が、ストライキに再突入するという“苦渋の選択”を余儀なくされようとしているのだ。
「この数週間、ずっと耐えてきました。復帰して、しばらくすると新社長から『あなたは辞めるべきだ』と言われるようになり、夏のストライキが違法だとして組合側に1日あたり800万円の支払いを求められています。さらに、会社から取引先への支払いも滞っていて、スト前の状況に逆戻りです。このまま働き続けることは出来ません。11月1日までに状況が改善されなければ、我々は再びストライキを実施すると決断をしました」(加藤氏)
(中略)
「福田新社長の良い評判を取引先からも聞いていましたし、会社側の弁護士から出されていた私への退職要求の書面についても、福田社長は『そんなこと、私が言うはずがないですよ』と言ってくれて、完全に安心してしまった。しかし、復帰に尽力してくれた仲介者が組合と会社の双方に都合が良い話していたこともあって、話がこじれていった。
その結果、福田社長と具体的な労使の合意を進めようとすると、時間稼ぎをされているとしか思えない対応をされ、書面1枚交わせないまま1カ月が経過してしまいました。その頃には、従業員たちのいる前で『加藤の退職を要求する』と強い口調で言われるようになり、復帰当初の発言は嘘だったのだと疑わざるを得ない状況になってしまいました。
(以下略)
佐野サービスエリア(佐野SA)での労使紛争。お盆の時期を騒がせた一件は、ストライキの「成功」すなわち、経営者側の譲歩で一旦は収束しましたが、ホトボリが冷めた途端にこのザマです。
当ブログでは以前から、たとえばチュチェ106(2015)年10月8日づけ「「日本の労働組合活動の復権は始まっている」のか?――労組活動は労働者階級の立場を逆に弱め得る」を筆頭に、「ブルジョアが本心から改心するはずがなく巻き返しを虎視眈々と狙っている」とし、ストライキ等を主軸とする従来型の労働組合運動について警鐘を鳴らしてきました。
すなわち、ストライキ等によって経営者・資本家側に要求を呑ませた労働者たちは、その「戦果」を自らの生活費の不可欠な一部とするものですが、根っからの利己主義者たる経営者・資本家連中が本心から改心するはずがなく巻き返しを虎視眈々と狙っているものであり、労使対立のホトボリが冷めたり労働者たちが容易には生活水準を低下させられない状況に至ったりしてから「回収」に乗り出すであろうと述べてきました。今回の事象は、そうした私の警鐘の正しさを証明するものと自負します。
■では、労組が常設であればよかったのか?――無産階級の「無産」たる所以を見つめよ!
さて、本件佐野SA事案は、8月の「勝利」を経て一旦は労働組合を解散しました。今回の「紛争再燃」について巷の労組屋は、「このことは、労働組合を解散してしまい、経営者・資本家側に牽制球を投げる役割が消滅したせいだ」ということでしょう。しかしながら果たして、常設型の労組があり、何か経営・労務問題が生じるたびにストライキ等を打てば、本件「巻き返し」は防止できたのでしょうか?
労働者階級は「無産階級」とも呼ばれるものですが、無産階級の「無産」たる所以を思い起こすべきです。無産階級=労働者は生産手段を私有しておらず、それゆえに、生産手段を所有する資本家及びその指図を受けて経営活動に従事する経営者=使用者の指揮命令に服さざるを得ません。労働者−資本家対立が仮に長期持久戦になった場合、生産手段を私有する使用者は圧倒的に有利な立場であると言い得ます。資本家側よりも先に労働者側が「干からびてしまう」と見なすべきでしょう。
■やはり自主管理的経営を目指すべき
本件のように、巻き返しを虎視眈々と狙っており、かつ、実際に巻き返し的アクションを取ってきたような手合いに相手に尚も労働組合運動で対抗するのは、愚策というべきです。これを機に「ブルジョアが改心するなどあり得ない」という事実を直視し、奴らと袂を分かつ(辞める)か、あるいは、ブルジョアを追放して自主管理的経営に移行すべき、すくなくとも、所有権・分配権・指揮命令権といった資本家・経営者らの「権力の源泉」に迫り、これらに対して労働者階級側が一定の影響力を保持することを期すことで企業経営に対して労働者陣営の意見が一定程度反映される仕組みづくりを形成すべきでしょう。
チュチェの社会主義者としては、チュチェ107(2018)年1月30日づけ「大東建託労組員の夢物語的願望に付き合う日本共産党の著しい後退」、あるいは、チュチェ103(2014)10月5日「資本家の権力の源泉を踏まえた自主化闘争――自立的な自主化であるために」でも述べたとおり、自主管理的経営を達成できれば御の字、すくなくとも、企業経営に対して労働者陣営の意見が一定程度反映される仕組みづくりが重要だと考えます。間違っても、ブルジョアの再改心を期待すべきではありません。
■現時点では、労使は否が応でも「呉越同舟」
ちなみに・・・「労使紛争」すわなち企業内部における紛争からは一旦離れ、「生産者−消費者」点に目を移すと、コメ欄にもあるとおり、消費者=佐野SA利用者はウンザリしており、トラブル業者をテナントとして入居させているネクスコには「善処」を求めている姿が見受けられます。記事中、「会社側は、佐野SAを管轄するネクセリア東日本(東北道を管理・運営するNEXCO東日本のグループ会社)に対して“労使円満”であることを強調しているという。というのも、ケイセイ・フーズとネクセリア東日本の業務委託契約は来年3月で切れる。その契約更新の交渉リミットが迫り、現在両社は契約更新について交渉を続けている最中なのだという」というくだりがありますが、これは「対消費者関係において『呉越同舟』の関係にある本件労使は、諸共に撃沈される危険性がある」ということに他なりません。
「組合と会社の労使問題は何も解決していない状況なのに、福田社長はネクセリアに『全部解決して前向きに頑張っています』と、嘘の説明しながら契約交渉を進めている。このまま業務委託契約が更新された場合は、岸前社長の夫人ら旧経営陣が来年4月以降も残る可能性があり、従業員からすれば恐怖でしかありません」などとインタビューに答える労働者側・・・労働者・旧労働組合側が一方的に悪いというわけでは、もちろんありませんが、しかし、労使対立している場合でもないと言えるでしょう。
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