ブラック企業の代名詞「ワタミ」がホワイト化…何があった!?ブラック企業の代表格たるワタミについては、「自主権の問題としての労働問題」というテーマを掲げてきた当ブログでも折に触れて取り上げてきました。チュチェ104(2015)年10月8日づけ「「日本の労働組合活動の復権は始まっている」のか?――労組活動は労働者階級の立場を逆に弱め得る」で論じたとおり、ワタミのホワイト化のキッカケは、「ワタミ=ブラック企業」という悪評が立ってしまい求人しても人材が集まらなくなったので仕方なく労働環境の改善に取り組むようになったことにあります。「嫌だから辞める」「無理だから辞める」という個々の労働者たちの選択が、ベクトルの合成の如く社会的なうねりに増幅されたのが真相です。
11/23(土) 8:53配信
週刊SPA!
“ウソみたいだろ……、ワタミは今やホワイト企業になってるんだぜ……”。かつてブラック企業大賞だったワタミが、今や業界のホワイト企業として君臨している。新生ワタミの再起は本当なのか?
「ワタミ=ブラック」から背水の陣で汚名返上
ブラック企業の代名詞とされてきた「ワタミ」。’08年に長時間労働による過労自殺が発生し、’13年には「365日24時間死ぬまで働け」と書かれた理念集が報道され、さらにブラック企業大賞を受賞。「ワタミ=ブラック企業」というイメージを決定づけた。
だが、汚名返上とばかりに、この2〜3年ほどで労働環境は大幅に改善され、“ホワイト化”を目指した成果が出てきている。
(中略)
対外的にインパクトが大きかったと新田氏が評価するのは、’16年に発足した労働組合だ。もともとワタミは「社員は家族であり同志」という企業理念に倣い、労組に否定的だった。
産業別労働組合・UAゼンセンに加盟するワタミメンバーズアライアンス委員長である亀本伸彦氏は、労組が発足した頃をこう振り返る。
「ブラック批判で次々に社員が辞めていくのをつなぎとめたかった。同僚3人でUAゼンセンに相談するところから始め、労組を結成して経営者と話し合いの場をつくることができました」
会社の体質も徐々に変化してきているという。
「それまでは従業員が会社に対して意見を言うという発想がありませんでした。それが、労働組合が生まれたことでヨコのつながりが強化され、“自分たちの会社のことは自分たちで決める”という考えが出てきた。会社の社風も以前ほどトップダウンではなくなったと思います」
(以下略)
この記事では、労働市場の動向という大きな底流をスルーし、そうした流れがあってこそ結成されるに至ったワタミ労組を実態以上にクローズアップしている点、正確さに欠くのではないかと言わざるを得ません。「労組の奮闘に企業側が折れた」のではなく、「労働市場の動向こそが企業側をして労組との対話に乗り出させた」というのが実態です。
このことは、安易で闇雲な闘争至上主義な労働組合運動を戒め、労働者階級はマクロ的動向・労働市場の動向を見極めつつ運動を展開しなければならないという点において、ぜひとも明確にしなければならない事実です。
とはいえ、労働市場の動向という大きな底流を大前提とすれば、ワタミ労組の奮闘は賞賛に値するものです。とりわけ、「“自分たちの会社のことは自分たちで決める”という考えが出てきた」というのは、すばらしいことです。
私は以前から、単なる要求実現型の労働運動・労働組合運動は、「お殿様への直訴」の域を脱しておらず、その行き着く先は「体制内化」に過ぎないとしてきました。一見して苛烈な運動が成果を上げれば上げるほど、資本家・経営者らと労働者との結びつきは逆に強化され、労使は利権共同体になってゆくのです。労働者階級は「無産階級」と呼ばれることもありますが、「無産」とは生産手段を私有していない立場を言います。生産手段を私有せず、よって資本家・経営者らの監督下で働いて生活費を稼がなければならない無産者たる労働者が、無産者としての立場のまま資本家・経営者らと結びつきを強化することは危険なことと言えます。
これに対して、チュチェ103(2014)年10月5日づけ「資本家の権力の源泉を踏まえた自主化闘争;自立的な自主化であるために」で述べたとおり、所有権・分配権・指揮命令権といった資本家・経営者らの「権力の源泉」に迫り、これらに対して労働者階級側が一定の影響力を保持することを期す運動は、その過程や結果において経済的利益を勝ち取ったとしても、単なる要求実現型の労働運動・労働組合運動とは一線を画するものであります。依然として生産手段の所有には至っておらずとも、権力にある程度食い込んでいる点において、もはや以前のような意味での無産者ではなくなっているからです。労働運動・労働組合運動は、こういう形の運動;企業の経営・管理への参加を志向する体制建設的な自主闘争・自主化闘争を展開すべきであります。
私は以前から、自主権の問題としての労働問題の最終的解決は、生産の自主管理化しかないと考えています。UAゼンセン指導下のワタミ労組にそこまで踏み込めるかは分かりません(UAゼンセン系じゃあ、あまり期待はできないように思いますw)が、一人ひとりの社員において、単なる経済主義的動機を越える「自分たちの会社のことは自分たちで決める」という思想意識が根付けば、「ワタミ労組」という現象形態ではないかも知れませんが、いずれ新しい段階が見えてくることでしょう。「“自分たちの会社のことは自分たちで決める”という考えが出てきた」という今回のワタミ労組の奮闘は、自主管理社会を主体的に準備するにあたっての第一歩となることでしょう。
ラベル:自主権の問題としての労働問題 ☆