2019年12月15日

香港情勢における啓蒙主義的な個人主義的自由主義・リベラリズム的発想の悪しき影響

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191215-00000005-jij_afp-int
警官との結婚式は保留…デモで深まる日常の亀裂 香港
12/15(日) 11:06配信
AFP=時事

【AFP=時事】結婚式場は予約済み、オーダーメードの結婚指輪も注文済み、ドレス選びも始めている――しかし、香港の民主派デモに参加する女性、メイさん(28)は結婚を保留にした。警官と結婚することに、友人たちが反対しているからだ。

 中国政府の統治下で自由がむしばまれつつあることに反対する前代未聞のデモは、6か月にわたって続いており、香港に住む人々を分裂させている。親戚、友人、時には恋人の間にも亀裂が入っている。

 
(中略)

■価値観の違い
 メイさんは婚約者と8年間付き合ってきたが、最近まで警官という職業が争いのもとになることはなかったという。

 友人らは、メイさんたちから距離を置くようになった。メイさんは親友とけんかしたことに今もショックを受けている。それは、婚約者とウエディングドレスを見に行った後のことだった。親友に「あなたはまだ結婚したわけじゃない。まだ選べる」と言われたのだ。

 親友はさらに「彼は警察のこの不当な行為を見て、それでも警察は何も間違ったことをしていないと思っているではないか。そんなに価値観の違う人間と一緒になるつもり?」とメイさんを問い詰めたのだった。

 いつも平和的な参加者としてデモに加わってきたメイさんは、警察の暴力を直接見たことはない。機動隊の最前線で働く自分の未来の夫が誰かを傷つけるなんて信じられない。

 婚約者は政治だけではなく、メイさんがデモに参加することにも関心がないとメイさんは言う。だが、彼の友人たちはメイさんの政治観を批判し「狂っている」とさえ言う。


(中略)

 周囲からの圧力がどんどん強まり、メイさんはついに数週間前、婚約者に「あなたが(仕事を)辞めるか、私があなたから去るかだ」と、最後通告を突きつけた。しかし、彼にとって転職が難しいのは分かっている。メイさんはまだ彼の元を去っていない。

 メイさんは、結婚式をするかどうかは保留にしているが、もしかしたらキャンセルしてしまうかもしれない。「彼とは付き合いを続けると思う」と静かにメイさんは言う。「確実には言えないけれど、彼の元にとどまりたいと思っている」 【翻訳編集】 AFPBB News

最終更新:12/15(日) 16:01
そもそも、現場の警察官など「駒」以外の何者でもなく、真に憎悪を向けるべきはそれを操る「黒幕」であるはず。また、警察官は警察組織の「歯車」として組み込まれているので学生・一般市民のように行動できるわけではないし、強権政治の例に漏れず香港政府は警察官に対する「思想教育」を実施していることでしょうから、ある警察官は生活のために、別の警察官は思想教育によって騙されて抗議活動の強制排除に従事していることでしょう。みんながみんな己の正義感に忠実に行動できるわけではなく、また、みんながみんなファクトに即した情勢把握をしているわけではないのです。

その点、「彼は警察のこの不当な行為を見て、それでも警察は何も間違ったことをしていないと思っているではないか。そんなに価値観の違う人間と一緒になるつもり?」などと、この問題を単純でお手軽な「価値観」や「正義感」の問題に帰結させる「親友」や、彼にとって転職が難しいのは分かっているにもかかわらず、「あなたが(仕事を)辞めるか、私があなたから去るかだ」と迫ったメイさん本人の姿は、実に近視眼的で短絡的な発想であると言わざるを得ません。もはや「観念論的社会観」の域にさえ達していると言えるでしょう。

香港で警察官に対する憎悪が高まっていることについては、12月7日づけ「真に憎悪を向けるべきは、「駒」ではなくそれを操る「黒幕」」において取り上げたところですが、個人の主観的思考・願望や行動を過剰に重視する啓蒙主義的な個人主義的自由主義・リベラリズム的発想の悪しき影響は、ここまで深刻になっているようです。

繰り返しになりますが、個人の主観的思考・願望や行動を過剰に重視する啓蒙主義的な個人主義的自由主義・リベラリズムは、個人は、その価値観と意志に基づき行動を自由に決定し、そうした個人の志ある行動により社会全体が変革されていくという主観観念論的社会観を提唱し、社会組織・社会システムが個々人に与える客観的・構造的制約というものを軽視ないしは無視します。

すなわち、啓蒙−決心−行動−成果が連続的で「個人が改心すれば社会が変わる」と言わんばかりのビジョンを示す啓蒙主義的な個人主義的自由主義・リベラリズムは、それゆえに、啓蒙と決心との間の葛藤、決心と行動との間にある客観的・構造的制約、行動と成果との間にある因果関係に対してまともに分析を加えようとしません。また、そうであるがために、問題の所在を「決心したか否か」や「関係者が善人であるか悪人であるか」に設定してしまいます。

啓蒙主義的な個人主義的自由主義・リベラリズム的立場に立てば、抗議活動の強制排除に当たっている香港の警察官たちは、「あえて悪党の悪事の片棒を担いでいる」ということになりましょう。啓蒙主義的な個人主義的自由主義・リベラリズムの立場に立てば、現場の警察官は憎悪の対象になってしまうことでしょう。

しかし、前述のとおり、みんながみんな己の正義感に忠実に行動できるわけではなく、また、みんながみんなファクトに即した情勢把握をしているわけではありません。オトナというものは、何か改心や決心したからと言って直ちに行動を変えられるわけではありません。社会組織・社会システムに組み込まれているがゆえに、その制約を受けるのが常なのです。

世の中の見方・社会観が決定的に誤っている点、この抗議活動の展開には、なかなか厳しいものが待ち受けているのではないかと思わずにはいられません。

ちなみに、強権政治・独裁体制の崩壊は、軍や警察の離反が決定打になります。かつてのルーマニア・チャウシェスク政権の崩壊は代表例ですが、最近ではボリビアのモラレス政権が、警察が離反するや否や退陣しました。市民が警察に対して強烈な憎悪を抱いている点、香港政府は少なくともしばらくは安泰でしょう。「黒幕」としての中国共産党にとっては、警察組織どころか警察官個人に憎悪が向かっている状況は、ありがたいに違いないでしょう。

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9月30日づけ「香港抗議活動と主体的な社会変革運動論
12月7日づけ「真に憎悪を向けるべきは、「駒」ではなくそれを操る「黒幕」
posted by 管理者 at 22:23| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
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