今年も例年どおり、過去ログの読み返しを通して一年間の出来事を振り返りたいと思います。まずは、朝鮮民主主義人民共和国(共和国)の動向について、内政と外交の2方面から振り返りたいと思います。この記事では、内政について振り返ります。外交については、次の記事で振り返ります。
振り返り第2弾:「チュチェ108(2019)年を振り返る(2):「持久戦体制」に入るであろう朝米関係と今後の展望」
なお、なぜ内政を先に振り返るかと言うと、共和国にとっての外交、特に朝米関係改善は、内政上の課題を解決するための手段であるという色合いが濃いためであります。
大きく3つの話題で構成しています。
(1)社会主義企業責任管理制について
(2)政府人事について
(3)「キム・ヨンチョル粛清・キム・ヨジョン謹慎説」を振り返る
■社会主義企業責任管理制が憲法レベルで位置付けられた共和国史と社会主義思想発展史に残る画期的一年
共和国の一年間は、最高領導者の「新年の辞」に始まります。改めて新年の辞に立ち返ってみましょう。
1月29日づけ「集団的革新・社会主義的競争の旗の下に前進する社会主義朝鮮」で取り上げましたが、今年の新年の辞は、軍需工業の民生転用について触れられていたように、国家核武力完成による政策転換:「並進路線」から「経済建設に全力集中」への政策転換が強調されていました。また、社会主義原則の枠内での個人実利の追求についても肯定的な調整が進んでいる、すなわち、집단적혁신과 경쟁열풍(集団的革新と競争熱風)がイデオロギー的に安定化したことが窺える内容でした。
このことについて私は、「歴史上、社会主義勢力が定式化に苦しんできた「競争」の概念を朝鮮労働党は我がものとしたことの宣言であると見てよい」とし、集団的革新と競争熱風をイデオロギー的に定式化した新年の辞の意義は強調してもし過ぎることはないだろうと述べ、この観点から今年の共和国経済を分析する重要性について述べました。
自画自賛になってしまいますが、この見方は正しかったと自負します。改正社会主義憲法において、従来型経済管理方式である「テアン(大安)の事業体系」が削除され、キム・ジョンウン委員長による経済改革の核心である「社会主義企業責任管理制」が新たに明文化されたのです(『ハンギョレ』紙7月12日づけ「北朝鮮、「金正恩流の経済改革」を憲法に盛り込む」)。「お互いに助け、導きあいながら集団的な革新を起こしていく」ことと「たち遅れた単位は、優れた単位に追いつくために拍車をかけ、先進的単位はさらに高い目標を立て駆け抜ける」ことを二本の大黒柱とするキム・ジョンウン委員長の集団的革新・社会主義的競争のモデルが、イデオロギーに留まらず憲法レベルで法的にも位置づけられたのです。
11月23日づけ「「個人の能力と努力に対する評価」が積極的に位置づけられ始めた朝鮮民主主義人民共和国――こんにちの社会主義企業責任管理制と集団主義的競争・社会主義的競争の定着・発展について」では、憲法レベルで規定された社会主義企業責任管理制の実践状況に関する朝鮮中央テレビ報道を取り上げました。
動画によると、社会主義企業責任管理制において企業所は「人材登用・人材管理事業を重要視して」おり、「自分が担当する工場の機械に精通し、生産実収益を高める人、次に、生産過程で発生する欠陥に、その時その時に対応できる人。こうした人々を工場の技能工として紹介し、こうした人々に対する評価事業」を実施しているとのことですが、これは「個人の能力と努力に対する評価」に他なりません。
また、こうした人材登用・人材管理事業を重要視する社会主義企業責任管理制は、集団主義精神の強化を実現したとも指摘されています。つまり、個人の能力と努力に対する評価が、集団主義精神の強化:社会主義の核心的価値観を実現・強化することに寄与していると積極的に位置づけられて評価されたわけです。
社会主義企業責任管理制がテアンの事業体系に取って代わった今年の憲法改正は、共和国の歴史の中でも画期的な出来事であり、今年の共和国情勢において最重要級の出来事であると言ってもよいと私は考えます。
また、しばしば「悪平等主義」とも表現される社会主義に競争概念を定式化させた社会主義企業責任管理制とその実運用は、社会主義の思想的発展史においても画期的出来事であるといえるでしょう。
すなわち、共和国は、社会主義社会における伝統的難題だった「集団主義原則と競争原理の両立」というイデオロギー的課題に対して、「お互いに助け、導きあいながら集団的な革新を起こしていく」及び「たち遅れた単位は、優れた単位に追いつくために拍車をかけ、先進的単位はさらに高い目標を立て駆け抜ける」、言い換えれば「切磋琢磨」と「追いつけ追い越せ」の競争を「社会主義的競争」と位置づけ、「弱肉強食の生存競争」としての「資本主義的競争」との違いを鮮明にすることで解答を提示しました。競争概念の社会主義化に成功したわけです。そしてまた、「個人の能力と努力に対する評価」を社会主義の枠内に取り込む実運用体系を構築したのです。
この点において、チュチェ108(2019)年は、社会主義思想の発展史において特筆すべき一年にもなったのです。
■共和国が成し遂げた「競争概念の進化」が持つ人類史的意義
共和国が成し遂げた「競争概念の進化」が持つ歴史的意義は、大袈裟かもしれませんが、社会主義運動内部だけに限定されない人類史的意義を持つものとも考えます。
繰り返しになりますが、キム・ジョンウン委員長の朝鮮式集団的革新・社会主義的競争モデルについて私は「お互いに助け、導きあいながら集団的な革新を起こしていく」ことと「たち遅れた単位は、優れた単位に追いつくために拍車をかけ、先進的単位はさらに高い目標を立て駆け抜ける」ことに二つの大黒柱があると考えています。
1月29日づけ「集団的革新・社会主義的競争の旗の下に前進する社会主義朝鮮」でも論じましたが、「弱肉強食の生存競争としての資本主義的競争」とは好対照的な「お互いに助け、導きあいながら集団的な革新を起こしていく切磋琢磨型の競争」は、本来的にあるべき競争像に立ち返るものであると言えるのではないでしょうか。
弱肉強食の生存競争としての資本主義的競争が過熱化し、社会の分断が深まっている昨今であるからこそ、社会的人間の本質を正しく捉えた人間観を基礎とする本来あるべき競争に立ち返る必要があります。私は、そのカギは「隣人との切磋琢磨」の復興にあると考えています。その点において、集団的革新・社会主義的競争は重要な役割を果たすであろうとますます確信するところであります。
また、「たち遅れた単位は、優れた単位に追いつくために拍車をかけ、先進的単位はさらに高い目標を立て駆け抜ける競争」は、集団(チーム)を単位としている点において集団主義に立脚していると言い得るものですが、協業を必要とする高度に発展した現代産業社会に合致する競争モデルであると言えるでしょう。
しかし、脳ミソ一個と腕二本、脚二本で達成できる業績などタカが知れているにもかかわらず、受験競争を引きずっているのか、幾つになっても「個人」単位での競争に拘泥する人は決して少なくありません。その点、集団(チーム)を単位とした集団的革新・社会主義的競争は、集団の団結と協調を基盤としている点において、協業を不可欠とする高度化・複雑化した現代産業社会において望ましい競争の基礎になり得ると考えられます。
社会的人間の本質を正しく捉えた人間観を基礎とする本来あるべき競争のモデルであり、協業を必要とする高度に発展した現代産業社会に合致する競争のモデルでもある朝鮮式競争モデルは、社会主義運動内部だけに限定されない人類史的意義を持つでしょう。
■朝鮮労働党中央委員会第7期第4回全員会議と最高人民会議第14期第1回会議から読み取る人的布陣
チュチェ108(2019)年の共和国は、「20年に一度」の選挙の年でした。もちろん、「投票が20年に一度しかない」とか「代議員の任期が20年」などといったことではありません。5年に1回の最高人民会議代議員選挙と4年に1回の道(直轄市)・市(区域)・郡人民会議代議員選挙が同じ年に行われる「20年に一度」の年でした。
3月23日づけ「最高人民会議第14期代議員選挙結果を読む」では、3月10日執行の最高人民会議第14期代議員選挙について取り上げました。キム・ジョンウン委員長が最高人民会議代議員選挙に立候補されなかったことは、多くの推測・憶測を呼びましたが、私は、「積極的な平和攻勢を強める共和国にあっては、キム・ジョンウン委員長を対外代表権を持つ地位につける必要がある点において何らかの組織改正が予定されていると思われるものの、最高人民会議代議員と兼職しなかった理由は別にあると考えられ、その真意は、対内的なイメージ戦略にある」としました。つまり、人民大衆第一主義のイメージを演出するために、特定の選挙区で出馬・当選するのではなく「全人民の代議員」として推戴をうけ、代議員に就任するという可能性が考えられたのです。
この推測については、4月13日づけ「朝鮮労働党中央委員会第7期第4回全員会議と最高人民会議第14期第1回会議から読み取る布陣と確固たる意志」にて答え合わせをしました。キム・ジョンウン委員長におかれては、特定の選挙区で当選し最高人民会議で国務委員長に指名される形ではなく、各選挙区から選出された代議員たちに推戴される形で国務委員長を奉職されました。
「人民大衆第一主義のイメージを演出するため」という推測は自体は当たったものの、「各選挙区選出の最高人民会議代議員たちに推戴されることで『全人民の代議員』になり、そこから国務委員長に選出される」という具体的な推測は外れ、「各選挙区選出の最高人民会議代議員たちに推戴されることで、ストレートに『全人民の国務委員長』になられた」わけです。「当たらずとも遠からず」の結果になったと自己採点しました。
いずれにせよ、「人民大衆第一主義」というイメージづくりに積極的に取り組まれているお姿が、最高人民会議代議員選挙から読み取れます。先代の威光にいつまでも頼り切りという訳にはいかないので、自分自身のイメージ戦略に注力されているということでしょう。
最高人民会議第14期代議員選挙以降の幹部人事・人的布陣について振り返りましょう。
3月23日づけ「最高人民会議第14期代議員選挙結果を読む」で取り上げたとおり、朝米首脳会談に関わったキム・ヨンチョル氏、リ・スヨン氏、キム・ゲグァン氏が再選し、リ・ヨンホ氏とチェ・ソンヒ氏が初当選しました。2月ハノイ会談(第2次朝米首脳会談)が合意に至らなかったものの、それを担当した主たる面々は再選したことは注目すべきことでした。
2月ハノイ会談において合意に至らなかったことは、責任者たちの当選状況を見るに「予想外の大失敗」ではなく、現時点では大きく路線を変更するつもりがないことを示すといえます。もし、予想外の大失敗であれば表向きの宣伝文句とは別に、責任者は密かに左遷されていたことでしょう。また、大きな路線変更があるとすれば、旧路線を推進してきた面々を代議員候補者として推薦し、彼らが信任投票たる最高人民会議代議員選挙で当選することはなかったでしょう。
国家安全部、護衛司令部、そして保衛司令官(保衛局長)うち代議員として残ったのが保衛司令官のチョ・ギョンチョル氏だけになりました。公安・保安部門は体制維持の要ですが、その三大ポストのうち二つのクビを飛ばせるほどキム・ジョンウン体制は安定していることを示す事実であります。
このことは、4月13日づけ「朝鮮労働党中央委員会第7期第4回全員会議と最高人民会議第14期第1回会議から読み取る布陣と確固たる意志」でも述べましたが、4月10日の朝鮮労働党中央委員会第7期第4回全員会議においてキム・ジョンウン委員長が議場ひな壇にお一人で着座されたことと関連して考察するに、キム・ジョンウン委員長が唯一無二の権力を掌握したことを示していると言えるでしょう。ひな壇席に党幹部も着座していた昨年以前と比較するに大きな変化です。
公安・保安部門の手入れができるほどに権力構造的に安定したキム・ジョンウン体制は、2月ハノイ会談では合意を形成することはできなかったものの、対話に主軸を置いた路線を大きく変更するつもりはなく、組織体制を改正するなどの方法でむしろ平和攻勢の情勢を更に積極的に活用しようとしていることを示した今春の幹部人事。このことは、今年一年の対米交渉の展開を踏まえるに、概ね正しい推測だったと自負します。
■「キム・ヨンチョル粛清・キム・ヨジョン謹慎説」を振り返る
幹部人事に関連して今年は、韓「国」紙『朝鮮日報』による「キム・ヨンチョル粛清・キム・ヨジョン謹慎説」の誤報が騒ぎになりました。
当ブログでは6月6日づけ「「キム・ヨンチョル粛清・キム・ヨジョン謹慎説」を振り返る;『労働新聞』に照らして読めばこそ最初から明らかだった『朝鮮日報』誤報」において、国運をかけて臨んだ2月ハノイ会談が物別れに終わった以上、その責任者にまったく何の沙汰もないことはあり得ないとしつつも、キム・ヨンチョル氏とキム・ヨジョン氏が党最高幹部の肩書を維持しつつ「粛清」や「謹慎」させられるという事態は、共和国の政治史においてはかなり異例のことであり、そもそも初めからかなり可能性が低いストーリーだったとしました。
そして、『朝鮮日報』が粛清断行の状況証拠とした朝鮮労働党機関紙『労働新聞』の記事を取り上げ、これは地方の経済部門幹部の仕事に対するキム・ジョンウン委員長の叱責と見るべきであり、朝米交渉とは無関係であろうと分析しました。つまり、この誤報騒動は、『朝鮮日報』記者が『労働新聞』記事を都合よく切り貼りした作文だったということです。
この誤報騒動は、その後『朝鮮日報』自身がまともに反論を展開できなかった(完敗した)こともあって、あっという間に鎮静化したのですが、ここで往生際の悪い人が現れました。コリア国際研究所所長のパク・トゥジン(朴斗鎮)氏でした。パク・トゥジン氏の悪あがきについては、7月17日づけ「「合理的推理」の「理」は、「当事者にとっての理」も含まれる」で取り上げました。
パク・トゥジン氏は、「閉鎖的な北朝鮮を分析するには」、「複数の情報源をもって「クロスチェック」」することと「合理的推理」」が必要だとした上で、「(2月ハノイ会談が合意に至らなかったことを以って)「対米交渉担当者たちが処罰されるだろう」というのは北朝鮮専門家であれば誰もが到達する「合理的推理」」であり、「健在ぶりを示すために出てきた金英哲が統一戦線部長を解任され幹部席の末席に座らされたことや、慈江道(チャガンド)視察に金与正が同行しなかった(玄松月が同行)ことを見ても、対米交渉関係者に処罰が下されたことは明白」としつつ、「金英哲が映像に登場したからと言って彼に対する処罰や対米交渉関係者に対する粛清がなかったと判断するのは早計だ」と強弁しました。
こうしたパク・トゥジン氏の主張に対して私は、「党や国家の最高幹部としての肩書を維持しつつの『粛清』・『謹慎』は、可能性としてあり得るだろうか?」という問いを立て、複数の情報源からのクロスチェックと合理的推理を展開すべきだったと述べました。すなわち、2月ハノイ会談から粛清・謹慎説が出回るまでの間にあった幾つもの政治イベント――最高人民会議第14期代議員選挙、朝鮮労働党中央委員会第7期第4回全員会議および最高人民会議第14期第1回会議――でキム・ヨンチョル氏とキム・ヨジョン氏がともに最高幹部として名を連ねていたという厳然たる事実から出発すべきだったのです。
幹部たちの肩書は、無秩序につけられているわけではなく幹部同士の忠誠競争・相互牽制の分かりやすいシンボルとして重要なものです。部外者が思っている以上に、ヒエラルキー的構造の社会主義体制内部においては肩書は重要です。
この視点に立脚してこの「粛清・謹慎」説を見たとき、最高人民会議第14期代議員選挙や党中央委員会第7期第4回全員会議、最高人民会議第14期第1回会議でキム・ヨンチョル氏とキム・ヨジョン氏がともに最高幹部として名を連ねていたという厳然たる事実を踏まえればこそ、本件は当初からかなり胡散臭い情報だということが見抜けたはずでした。
そもそも、「健在ぶりを示すために出てきた金英哲が統一戦線部長を解任され幹部席の末席に座らされたことや、慈江道(チャガンド)視察に金与正が同行しなかった(玄松月が同行)ことを見ても、対米交渉関係者に処罰が下されたことは明白」といいますが、これは単なる「序列低下」であり「粛清・謹慎」とはまったくレベルが違います。
「金英哲が映像に登場したからと言って彼に対する処罰や対米交渉関係者に対する粛清がなかったと判断するのは早計だ」に至っては、それこそ非合理的。普通は、「ある」と主張する側に立証責任があって十分な材料を提示できないときは「ない」とするものです(それこそ「合理的推理」の掟)。パク・トゥジン氏の言い分でいくと、一度決めてかかった認識を改める契機がありません。どんなに推理と異なる事実が発生しても持論に固執できることになります。
いっそ黙っていればいいものをパク・トゥジン氏は往生際悪くあがき続けたことで、むしろ自ら傷口をひろげ、恥の上塗りを展開したのでした。
パク・トゥジン氏の悪あがきをサンプルとして私は、「合理的推理」の「理」は「第三者的な理」だけではなく「当事者にとっての理」も含まれると述べました。相手陣営の内部事情を探るというのであれば、相手陣営内部を司る理屈や力学に注目すべきなのです。つまり、「朝鮮労働党や共和国政府のいつもの主張や動向、またはチュチェ思想の原則からその思考回路を推測すれば、こういう理屈でこういう結論に至るだろう」という視点を交えることも大切だということです。
繰り返しになりますが、幹部たちの肩書は、無秩序につけられているわけではなく幹部同士の忠誠競争・相互牽制の分かりやすいシンボルとして重要なものです。部外者が思っている以上に、ヒエラルキー的構造の社会主義体制内部においては肩書は重要です。この視点に立脚して今回の「粛清・謹慎」説を見たとき、本件は当初からかなり胡散臭い情報だということが見抜けたはずでした。ここに、「合理的推理」の「理」は「第三者的な理」だけではなく「当事者にとっての理」も含まれる理由があるのです。
パク・トゥジン氏の往生際の悪い反応は、このことを我々に教えてくれたのでした。
■まだ続く韓「国」メディアの誤報
10月25日づけ「韓「国」(自称)ならではの表層的分析;元帥様が将軍様を否定するはずもなく」では、韓「国」紙『朝鮮日報』のさらなる誤報を取り上げました。クムガン(金剛)山事業について「前任者の政策は大間違い」としたキム・ジョンウン委員長のご指摘について『朝鮮日報』は「金正日総書記を前例ない批判」などと書き立てました。
しかし、共和国側報道を原典で確認するに、キム・ジョンウン委員長は、「世界的な名山である金剛山に建設場の仮設建物を彷彿させるこのような家を数棟築いておいて観光をするようにしたのは非常に誤ったこと」とした上で、「わが領土に建設する建築物は当然、民族性が濃い朝鮮式の建築でなければならず、われわれの情緒と美感に合うように創造されなければならない」と仰っていました。
これは、キム・ジョンイル総書記の労作『建築芸術論』の「我々は、建築を朝鮮式に創造すべきである」というご指摘、「ブルジョア的建築は(中略)他人はどうなろうと自分だけよい暮らしをすればよいという極端な利己主義にもとづいた搾取社会のブルジョア的生活様式を反映する。(中略)朝鮮式の建築を創造するためには、なによりも建築創造において民族的形式に社会主義的内容をもらなければならない」というご指摘を踏まえてのことであると言って間違いありません。
つまり、キム・ジョンウン委員長は、キム・ジョンイル総書記の建築思想に照らしてクムガン山事業の現状を批判しているのであって、決してキム・ジョンイル総書記を批判しているわけではないのです。
このことは、ピョンアン南道ヤンドク郡温泉観光地区建設現場を現地指導した際のお言葉を踏まえて分析するに、確度高いものだと自負しているとも述べました。すなわち、キム・ジョンウン委員長は、同地の建築を「これがわれわれ式、朝鮮式の建設」と評価し、「適当に建物を建てて利潤追求を目的とする資本主義企業の建築と、勤労人民の要望と志向を具現した社会主義建築の本質的な違いを総合的、かつ直観的に示している」と強調されたのです。
そもそも、キム・ジョンウン委員長が「神聖不可侵」なるキム・ジョンイル総書記を面と向かって批判するはずがありません。ほとんどの場合、「将軍様の意志を曲解した」とか「期待に応えられなかった」「将軍様を裏切った」とするものであり、本件だってキム・ジョンイル総書記時代の無名の現場責任者などに対する痛烈な批判だと読むのが順当なところでしょう。
あいからず『朝鮮日報』記者は、情報を都合よく切り貼りして「作文」しているわけです。『朝鮮日報』記事の信憑性は、常に疑う必要があるといえるでしょう。
この記事へのコメント
コメントを書く