品薄マスクを高額転売… 「日本人の民度」はここまで低いのか?供給不足のマスクを買占め、価格を釣り上げ転売で利ザヤを稼ぐ――褒められた行為ではないことは間違いありません。もちろん、久留米大学商学部の塚崎公義教授が解説しているように、経済科学的な分析の見地からは必ずしも全否定されるものではありませんが、そうはいっても一般的な庶民感覚から言えば「モヤモヤ」感は拭い去ることはできないでしょう。当の塚崎教授でさえ「決して強欲商人に感謝しないし、自身が強欲商人になろうとも思わない」と言っているくらいですから。マスク高額転売に道徳的な憤りを感じるのは、社会的存在としての人間であればこそ、むしろ正常な証であるといえます。
2/8(土) 16:00配信
マネーポストWEB
中国・武漢発の新型コロナウイルスは世界中を混乱に巻き込んでいるが、春節の時期と重なったことで中国人観光客が日本に大挙して押し寄せたこともあり、ドラッグストアやコンビニではマスク不足の事態になっている。そんな中、オークションサイトやフリマアプリでマスクが高額で転売されていることが話題になっている。この状況を見て、ネットニュース編集者の中川淳一郎氏が感じたことを綴る。
(中略)
オークションサイトを見ても、とんでもない値がついたマスクが多数出品されているのですが、心底情けなくなります。今回、武漢からチャーター機で帰って来た邦人が検査を拒否したり、役人に罵詈雑言を浴びせる様子が報じられたことで、「中国的考えに染まったのでは?」などと言われ、中国人の民度の低さがネットでは多数指摘されました。
しかし、十分日本人だって民度低いですよ。なんで、困っている人が大勢いる時にマスクを大量に購入し、高額で転売しようなんて考えるのですかね。漫画『北斗の拳』に登場するレイのように「てめえらの血はなに色だーーっ!!」と言いたくなります。
公共の利益を考えるよりも己の小遣い稼ぎを最優先する連中がこれほどまで多いとは、本当に呆れました。当然さもしい連中はこの世に大勢いることは理解できていますが、今回のコロナウイルス騒動で、人間がいかに醜い存在かがよーく分かった気がします。
(以下略)
しかしながら、本件を「民度」の問題で片づけてはならないでしょう。このことは、決して道徳問題ではありません。むしろ、民度民度と連呼する輩どもの民度こそ問わねばならないでしょう。
買占めと高額転売は「闇市的な闇取引」の一種であると位置づけることが可能だと思われます。生産者でもなければ消費者でもなく最低限必要な流通業者でもない転売ヤーは、「居なくても構わない」存在ですが、それが一番大きな利益を手にしているのは、明らかに正常な商取引だとは言えず、闇市的な闇取引と断じてよいでしょう。
いま日本社会を席巻している「転売ヤー許すまじ」「行政は取り締まるべきだ」「転売ヤーが跋扈する日本の国民道徳性・民度は低い」は、結局は単なる「道徳講釈」であり、また、「権力的取り締まり待望論」でありますが、果たして闇市は道徳講釈で廃絶し得るでしょうか? また、闇市は権力的取り締まりで廃絶し得るでしょうか? このことについては、闇市との闘争における「先人」に教えを乞うことが解決の糸口になることでしょう。
さて、中央集権的な社会主義計画経済に闇市は「つき物」と言っても過言ではないでしょう。計画立案の困難性、党や政府機関の縦割り官僚主義、労働者にとってのインセンティブの不足等によって計画経済は、慢性的な生産不振・品物不足に悩まされてきましたが、それを「闇市」が補完してきました。闇市の存在は、計画経済の遂行にとって障害であり脅威でもあったため、社会主義の国々は何とかして闇市を抑え込もうと努力してきました。
しかし意外に思う方もいらっしゃるかと思いますが、当ブログでも何度かご紹介してきたとおり、朝鮮民主主義人民共和国のキム・イルソン主席におかれては、チュチェ58(1969)年3月1日づけ「社会主義経済のいくつかの理論的問題について―― 科学・教育部門の活動家の質問にたいする回答」において、闇市・闇取引の存在は好ましくないことであるとしつつも、それを活用せねばならない局面もあるとし、権力的に取り締まったとしても闇取引を根絶させることはできないともした上で、品薄な商品に対する政策を論じておられました。
キム・イルソン主席は次のように指摘されています(関連部分のみ抜粋)。
人民の需要をみたせない商品は、たとえ国家が唯一的に価格を制定したとしても、闇取引されたり、農民市場で又売りされるということを忘れてはなりません。商店の品物を買いだめしておいて、他人が急に必要になって求めるときに高値で売りつけるような現象があらわれるようになるのです。卵の販売の問題を例にとってみましょう。現在、平壌をはじめ、各地に養鶏工場を建設して卵を生産していますが、まだ人民に十分供給できるほどではありません。そういうわけで、卵も国定価格と農民市場価格とのあいだに差が生ずることになるのですが、これを悪用して又売りする現象があらわれています。行政が権力的に取引に介入しようとしても、買い溜めと高額闇転売は避けられないのです。そんなことをしたところで、「商品が一部の人たちに集中する現象をある程度調整できるだけ」で「闇取引される現象を根本的になくすことは決してできません」。
もちろん、だからといって、卵をいくつか又売りした人を罪人扱いにして教化所に送るわけにもいかず、ほかの方法で統制するとしても、販売量を調節するといったようないくつかの実務的対策を立てること以外に方法はありません。もちろん、こうした対策もとらなければなりませんが、そんな対策では商品が一部の人たちに集中する現象をある程度調整できるだけで、それが農民市場で又売りされたり、闇取引される現象を根本的になくすことは決してできません。
この問題を解決するためには、品物を多く生産しなければなりません。産卵養鶏工場をより多く建設し、人民の需要をみたすほど大量に生産するならば、卵の闇取引はなくなるであろうし、農民市場で売買されることもおのずとなくなるようになるでしょう。こうした方法で国家的に人民の需要をみたし、農民市場で売買される商品を一つ一つなくしていくならば、最後には農民市場が不必要になるでしょう。
また、朝鮮総聯傘下、在日本朝鮮青年同盟系の雑誌≪새세대≫は、チュチェ101(2012)年12月号のチュチェ哲学特集において、「弱みにつけ込んだ『便乗』値上げはアリ? ナシ?」という問いにたいして、チュチェ哲学・チュチェ思想に基づき次のように解説を加えていました。
Q.弱みにつけ込んだ『便乗』値上げはアリ? ナシ?このことは、こんにちの我々にとって参考になるものと思われます。道徳講釈を垂れても権力的取り締まっても、そんなことでは闇取引の根本的な解決には至らないのです。
価格は需要と供給によって決まる?
メキシコ湾で発生した竜巻が大きな被害をもたらした直後、1袋2ドルの氷が10ドルで、250ドルの自家用発電機が2000ドルで売られた。人の弱みにつけ込んだとも言える「便乗」値上げ。これってアリ?
A.社会がいかに組み立てられるべきかを考えるべき
この場合、値上げをした人を悪いとは一概には言えない。なぜなら、資本の発展の伴って社会が発展していく資本主義社会では、需要に比例して値段が上がるのは、一つの法則であるからだ。そのため、これに沿って値段を上げた彼らにすべての非があるとは言えない。
(以下略)
やはり一刻も早く生産を増やすしかありません。転売ヤーとは、取り締まりによってではなく生産力によって戦うしかないのです。
もちろん、生産が一定量に達するまでには幾ばくかの時間がかかります。それまでの間を凌ぐ手当は必要でしょう。しかし、それもやはり道徳講釈ではありません。道徳を説かれたところで転売ヤーが改心いるはずがありません。また、権力的取り締まりでもありません。そんなことをしても幾らかの手当にしかならず、むしろ闇取引が更に地下に潜行するだけです。
まさに共和国を筆頭に多くの社会主義国が実施してきたように、配給切符制度を導入するのが効果的でしょう。仕入れができなければ転売ヤーは何もできません。なお、「おひとり様xx個限り」というのは、「1回の会計あたりxx個限り」というのが実態であり、真の配給制とは言えません。
資源配分の歪みは、突き詰めると制度設計の問題であります。市場参加者の善意や悪意をまったくの不問にするのは正しい姿勢ではないものの、それを問題の核心としてはなりません。市場参加者が我利我利亡者であったとしても、ある程度は社会が回るようにうまく制度設計することこそが為政者のなすべきことであり、民衆は為政者に対してそのように要求すべきなのです。
今回のマスク買占め騒動を見るに、日本社会はキム・イルソン主席の認識水準には追いついておらず、初歩的な善意悪意論及びお手軽な権力的取り締まり待望論の水準に留まっていることが判明しました。
もちろん、物資不足が珍しい物質的に豊かな現代日本では、普通に暮らす限りでは闇物資に手を出す必要はなく、よって、いざ供給不足局面に陥ったときにどうすれば良いのか分からないという事情もあるでしょうから、その点は割り引く必要があるとは私も思います。
是非とも今回を機に、「闇市的な闇取引」との付き合い方をとおして市場政策のイロハが浸透することを僭越ながら祈る次第です。