2020年03月09日

「何が語られているのか」で判断する科学的姿勢を堅持すべき

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200309-00033438-president-pol
竹中平蔵「政府はコロナ対応を間違った。東京五輪も危うい」
3/9(月) 9:15配信プレジデントオンライン

猛威を奮い続ける新型コロナウイルス。日本でも感染者数が増え続け、マスコミ報道も過熱している。政府も全国の公立小中高等学校に休校を要請するなど、国は混乱に陥っている。そんな中、経済学者の竹中平蔵氏は今回の政府の対応について「完全に間違っている」と吐き捨てる。日本政府の受け身すぎる対応に苛立ちを見せる。竹中氏が語る東京五輪が中止に至る「最悪シナリオ」とは――。

■日本は中国を見習うべきだ
 新型コロナウイルスの流行に対する日本の対応は、完全に間違っていると言っていいと思います。反省すべきことはたくさんあると考えています。

 物事に対処する姿勢として「リアクティブ」と「プロアクティブ」の2つがあります。「リアクティブ」とは、「問題が起きてから対応する」「後手後手の」という意味、プロアクティブとは、「率先した」「先を見越した」という意味の英語です。

 日本の新型コロナウイルスへの対応はまさに「リアクティブ」です。感染拡大を防ぐために感染者を隔離する、ワクチンの開発を進めるといったことは、それはそれでしっかりとやるしかありません。しかし、見方を変えるとそれしかやっていない。

 それに対して、中国の対応は「プロアクティブ」です。たとえば、こんなことがありました。私は北京大学のイベントに呼ばれていましたが、当然ながらそれは中止になりました。日本の対応と異なるのが、北京大学はイベントを中止しただけではなく、「もう授業は教室でやらない」という決断を下したことです。北京大学のほか、清華大学などの大学でも、2月17日からオンライン授業を開始しています。

 つまり、この混乱をきっかけに生活の仕方を変えたのですね。日本でもたしかに政府が小中高の休校要請をしましたが、それだけではだめなのです。日本でも一部の学校が自発的にオンラインを活用した指導を実施しているようですが、それこそ国を挙げてやるべき話なのです。


(中略)

■コロナショックで露呈した、悪い意味での日本らしさ
 別の例では、シンガポールの保健省は、2月15日時点で感染者数が72人にまで拡大したと発表しました。総人口が約564万人なことから考えると、検査で陽性が出た比率は他国に比べて高い。ここまで多くの感染者を検出することができた理由は、シンガポールにはGrabという配車アプリが普及しており、感染ルートを把握しやすい環境だからです。ライドシェアが認められていない日本はシンガポールほど正確に感染者の移動経路を把握することができず、発見が遅れているわけです。

 アナログな日本ではタクシーには乗ったけど、どこの会社のだったのかよくわからない場合もあります。だから、感染者が、急にあっちから出てきた、こっちから出てきた、と、大騒ぎしているわけですね。シンガポールはデジタルな国だから感染者の行動を把握しやすい。


(中略)

 今の異常事態を踏まえて遠隔医療やライドシェアなど、「今まで抵抗勢力が邪魔して実現しなかったことをこの際やりましょう」という議論が皆無だということが、日本の大きな特徴であり反省点なのです。とにかく今まで抵抗勢力が邪魔していたことでやればいいのにやっていないことを、「この際やりましょう」と動いてしかるべきです。イベントの中止は小手先の措置にすぎないのです。根本的な変革が必要です。

(以下略)
経済学者の竹中平蔵氏に、彼にとっては専門外であるはずの政府の新型コロナウィルス対策を問うという記事の狙いは、いまひとつ理解に苦しむところですが、「「今まで抵抗勢力が邪魔して実現しなかったことをこの際やりましょう」という議論が皆無だということが、日本の大きな特徴であり反省点」という部分が肝になるんでしょうかね。竹中氏といえば、抵抗勢力を打倒し既得権益を打破することを掲げてきた人物ですから。

とはいっても、論じていること自体は、はっきり言って「平凡」という他ないレベル。同じようなことを考えている人はたくさん居るでしょうから、何故わざわざ「過去の人」でしかない竹中氏に問うたのか疑問に思います。

記事自体は、ありきたりでつまらない内容ですが、コメント欄(オーサーコメント)が面白い。当ブログでもおなじみのNPO法人ほっとプラス理事で聖学院大学客員准教授の藤田孝典氏がいつにも増しての迷言を残しています。
藤田孝典
NPO法人ほっとプラス理事 聖学院大学心理福祉学部客員准教授

日本を破壊する我田引水の提言を聞く必要はないです。
平成期に小泉政権の改革において陣頭指揮を執ったのが、大臣も務めた竹中平蔵・東洋大学教授です。小泉・竹中改革で非正規雇用が急増し、日本の若者の未婚率は先進諸国でワーストレベル。この雇用構造の変化に起因して、ニートや引きこもりも社会問題化し、低賃金、子どもの貧困、虐待も拡大しました。若者の自殺率も高水準であり、死因トップは常に自殺です。
竹中氏はかつて〈企業が収益を上げ、日本の経済が上向きになったら、必ず、庶民にも恩恵が来ますよ〉(『ちょっと待って!竹中先生、アベノミクスは本当に間違ってませんね?』ワニブックス刊2013)などと期待感を煽ってきましたが、改革後も個人消費は全く伸びないです。
そして竹中氏は日本に派遣労働を拡大し、貧困をばら撒いておきながら、現在は生活困窮者支援として自治体の業務委託も受けているパソナグループの取締役会長です。
日本を破壊する我田引水の提言を聞く必要はない」と言うからには、当該記事で展開されている竹中氏の新型コロナウィルス対策論の荒唐無稽性、あるいは、竹中氏が普段から展開してきた公衆衛生論(竹中氏が公衆衛生論を普段から展開してきたとは寡聞にして知りませんけど)の荒唐無稽性を理由にしているのかと思いきや、記事とは無関係の竹中氏の「過去」が理由・・・これって単なる個人攻撃では・・・? すごいなあ、関係のないことを理由に「(彼の)提言を聞く必要はない」と断ずるだなんて。

竹中氏のトリクルダウン理論が期待されていたような結果にはならず、むしろ災禍ばかりが残ったという指摘には基本的に異論はありません。それゆえ、たとえば竹中氏が懲りもせずに、かつてと同じような論理構成で雇用流動化を論じているのであれば、もうすでに過去の発言から、そのテーマに関する彼の見解の失当性が余すところなく証明されているわけですから、「聞く必要はない」というのは理解可能です。

しかし、当該記事で主張されている政府の対策への批判と竹中氏の「過去」に何か関係があるのでしょうか? 新型コロナウィルス対策は、小泉・竹中改革とはまったく異なるテーマであります。「「今まで抵抗勢力が邪魔して実現しなかったことをこの際やりましょう」という議論が皆無だということが、日本の大きな特徴であり反省点」というのは、議論開始のひとつのキッカケとすれば、そこまで変な理屈ではないでしょう。竹中氏の「邪な狙い」を云々したいのかもしれませんが、記述内容及び、そこから導出される論理的帰結の範囲内で判断するに、やはりそこまで変な理屈ではないというべきです。行間の拡大解釈は容易に「レッテル貼り」に転落します

藤田氏のTwitterアカウントには、上掲コメントと同趣旨のツイートが投稿されているのですが、そこにはこんなメッセージが寄せられています
誰が言うからで判断し、何を言って言っているからで判断しないのは、狭量で間違う可能性が高いと思う。
100パーセント同意見です。私も常日頃から注意していることですが、他人の主張を評価するにあたっては、「何が語られているのか」、すなわちその内容の論理的正当性だけで判断すべきであり、「誰が語っているのか」、すなわちその人物の属性や普段の主張内容からレッテルを貼ることはしないように心掛けるべきでしょう。「何が語られているのか」で判断するのが科学的姿勢だとすれば、「誰が語っているのか」で判断するのは政略的姿勢と言わざるを得ないでしょう。

もちろん、たとえばデイリーNKジャパンのコ・ヨンギ(高英起)編集長のように、口を開けば出所不明かつ荒唐無稽な怪情報ばかりが飛び出してくるような人物の言い分は、「信用が置けない」とは思います。それでも、「コ・ヨンギ氏が言うことなんて怪情報に違いない」と決めつけるのは誤った姿勢でしょう。「コ・ヨンギ氏のことだから、あまり信用できないとは思うけど、一応、目を通しておくか・・・」という姿勢が大切だと思います。たいていの場合は「やっぱりね」ですが、「へえ、珍しいこともあるもんだなあ」ということも、ときたまあるものです。

「何が語られているのか」で判断する科学的姿勢を堅持すべきです。
posted by 管理者 at 22:43| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
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