2020年03月28日

よく言えば「等身大の感覚」、悪く言えば「素人考え」でコロナウィルス対策を考える風潮について:経済政策編

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200325-00000563-san-pol
「マスクが店頭に並ぶまで一定の時間」 厚労副大臣
3/25(水) 16:55配信
産経新聞

 稲津久厚生労働副大臣は25日の参院予算委員会で、新型コロナウイルスの感染拡大によるマスク不足について「十分な量が店頭に並ぶには一定程度の時間を要する」と述べた。

(以下略)
■「素人考え」の蔓延
今回の新型コロナウィルス禍を巡っては、よく言えば「等身大」、悪く言えば「素人考え」で国家・社会の行く手を論ずる言説が氾濫しています。少々「上から目線」的な物言いにはなりますが、こうした言説からは「社会の主人としての人民大衆の成熟度」を読み取ることができるでしょう。当ブログでは複数回にわたって各種言説を取り上げてきたところですが、今回は、「経済政策編」としてコメ欄に投稿されている意見を取り上げてみたいと思います。

■ミクロレベルの感覚でマクロレベルの課題を論じている誤った見解
えっ?まだ把握できてないの??
増産要請の話はだいぶ前に訊いた。その後どれくらい増産されてどう流れているかは確認してないんだね。。
うちの会社だったら上司にこってり絞られる返答だが。。

一個人・一部署・一企業といったミクロレベルの話と一国家すなわちマクロレベルの話との質的差異を無視しており、ミクロレベルの感覚でマクロレベルの課題を論じている「素人考え」の最たるものというべき誤った見解です。

一個人・一部署・一企業レベルの仕事と一国家レベルの仕事には量的な差があります。前者が現状把握に1か月もかけていれば、たしかに「上司にこってり絞られる」ことでしょう。しかし、後者にもなると仕事量が前者とは比較にならないほどに増大するので、相当に時間が掛かるものです。

量的な差が一定程度大きくなると質的な差に転化することを踏まえる必要があります。対象のスケールによって、そこで支配的な法則は異なるのです。要するに、仕事量があまりにも多くなった場合、仕事量が少ない場合とは質的に異なるアプローチで取り組まなければならなくなるわけです。

たとえば、数人程度の少人数をマネジメントする場合、上司は自分の目の届く範囲で、自ら部下たちの作業を見守っていればよいでしょう。しかし、十数人から数十人規模の人員をマネジメントしようとすれば、上司の目の届く範囲で作業を見守るという今までの手法では管理しきれなくなります。それゆえ、日報や週報を提出させて目標管理したり、あるいは、係や班をつくり組織を編成し中間管理職を新たに配置して管理する必要が生じます。

一国家レベルを管理運営しようとすれば、相当に細かく組織化する必要が生じます。そうであるがゆえに、国内各地の情報が中央指導部に集まるには一定程度の時間が掛かるようになります。1か月で全国の現状と見通しが詳細に把握できるとは到底思えません。

このように考えると、一国家レベルの仕事を一個人・一部署・一企業レベルの感覚で論ずることはナンセンスであると言わざるを得ないでしょう。それにもかかわらず、ナンセンスのド真ん中を走るコメ欄コメント。「素人考え」の最たるものと言うべきです。

■計画経済との共通点――「どうせヤフコメだから」と軽視できない
ミクロレベルの感覚でマクロレベルのマネジメントを主張した言説として、私たちは歴史の経験として「20世紀社会主義の失敗した計画経済」を思い起こす必要があります。

レーニンは『国家と革命』において、社会主義革命後の国家運営を郵便事業になぞらえ、四則演算ができる普通の労働者が容易く運営できるものと予測しました。実際にはそのような簡単な原理で国家運営ができるはずもなく、計画経済は混乱のうちに場当たり的な命令が乱発されつつ、闇市的な非公式な流通で何とか運用された末に崩壊しました。

今回取り上げたコメントは「20世紀社会主義の計画経済」と同じく、ミクロとマクロの質的差異を無視し両者を同等視しています。その点において同じ過ちを犯していると言わざるを得ません。このコメントの主張を真に受けるようでは、計画経済の轍を踏むことに間違いはないでしょう。このコメントは、「どうせヤフコメだから」と軽視できません。ソ連・東欧で計画経済が破綻してほぼ30年(ソ連崩壊:1991年)、純粋な計画経済は「死んだ」と思われてきましたが、「素朴」なアイディアの中では依然として生き残っていたわけです!

■社会主義信奉者として新たな課題を発見した思い
社会主義の特徴の一つとして「組織化」が挙げられると私は考えます。マクロレベルでの組織化を志す思想と運動を社会主義と定義してよいでしょう(ミクロレベルにおけるそれは、協同組合主義と称するべきでしょう)。以前から表明しているとおり私は、ミクロレベルでの社会の組織化(協同化)を出発点としつつ、マクロレベルでの社会の組織化を構想する点において、社会主義の立場を取ってきました。しかしながら、ミクロレベルの組織化とマクロレベルの組織化は、組織規模という量的な違いに基づく組織の質的な違いにより、同様の方法論では取り組めないものであることは理解しているつもりです。

20世紀社会主義の亡霊が「素朴」なアイディアの中で生き残っていたことが判明した本件。20世紀社会主義の轍を踏むことなく社会主義を実現させようとする立場に立つ者として、新たな課題を発見した思いです。

■生産に対して政治は万能ではない
次のコメントに移りましょう。
何をやってるのかこの政権は。官房長官が翌週にはマスク不足が解消されると胸を張って会見したのは2月12日ですよ。あれから1ヶ月以上経過してもなおこの体たらく。

今や店頭にはまったくありません、買えません。入手は絶望的です。医療機関でさえもマスクや消毒液が不足、深刻な事態です。

1ヶ月以上経過してもマスク不足が解消出来ないなんて明らかに政治の責任でしょう。責任者出て来い。
今般のマスク不足は、生産の量的調整によって解決できるものではなく、そもそも生産能力の増大に取り組まなければ根本的には解決し得ない問題です。既に工場はフル稼働しています。経済学的に言えば、「短期」の問題ではなく「長期」の問題になっています。

工場等の新設による生産能力の増大には、数か月から年単位の時間が必要になります。工場建屋の建設、生産設備の搬入そして実際の生産活動の展開といったステップを踏む必要があるので、相当の時間が掛かるわけです。

また、資本主義市場経済の日本においては、マスクは国営工場で生産されているわけではなく民間事業者の営利目的での生産に依存しています。政治がいかにキャンペーンを張っても量産するか如何かは各個人・各企業の経営判断の範疇なのです。政府が直接指令できるわけではありません

要するに今般のマスク不足は、政治が魔法のように解決できるような問題ではないのです。政治には、そもそもそんな能力もなければ権力もないのです。

そもそも政治は、特定の階級または社会の利益に応じて人々の活動を統一的に組織して指揮する社会的機能です。他人に命じて彼・彼女を動かすのが政治の本質です。命令を受けて実働部隊として実際に動くのが「生身の人間」である以上は、できるコトとできないコトがあるのは当然です。それを無視して一方的に要求を並べ立てるのは、「無いものねだり」であり、客観的な条件・事実から出発しない「観念論」であります。

それにもかかわらず、「1ヶ月以上経過してもマスク不足が解消出来ないなんて明らかに政治の責任でしょう。責任者出て来い」などと言ってのけるコメ欄。菅官房長官が口をすべらせて不用意に楽天的なことを語ったのは大いなる反省点と言い得るでしょう。しかし、繰り返しになりますが、工場等の新設による生産能力の増大には一定程度の時間が掛かるものであり、また、増産するかどうかは民間事業者の経営判断であり政府が命令できるものではなく、よって政治ごときが迅速なる量産に対して何らか責任を持てるような話では、そもそもないのです。

■「悪人黒幕論」の影、「粛清論」および「救世主による設計主義論」の足音
社会が複雑化するにつれて社会的分業が高度化・専門化しています。それに伴って社会を管理運営する主体としての政府(中央政府・地方自治体)の役割が高まりつつあります。国民の政治や行政に対する依存度が高まりつつあります。これ自体は合法則的で必然的な時代の変化ですが、しかし、上掲コメントのような「政治・行政は全知全能・万能であるはず」という錯覚は、事実に反する悪しき錯覚であると言わざるを得ません。政治や行政には、できるコトとできないコトがあるのです。

政治や行政に対して無理難題を要求するのは忌々しきことでありますが、それ以上に重大なのは、できもしないコトを掲げて権力を奪取しようとするいわゆる「ポピュリスト」の出現や、あるいは、本気で実施しようとするアホの権力掌握にあります。

私たちは歴史の経験として「20世紀社会主義」を思い起こす必要があります。「悪徳ブルジョアジー」を排除して「プロレタリアート」が権力を掌握すれば万事が解決する(レーニン)かと思いきやそうは行かず、次に「裏切り者」を狩り出してみた(スターリン)がそれでも上手くいかなかったのが「20世紀社会主義」でした。

不都合・不愉快な現実の原因を特定の個人や組織に帰着させる発想は「悪人黒幕論」というべき発想です。これは、「悪人を排除すればよい」とか「善人が全権を持てば万事解決する」といった「粛清論」および「救世主による設計主義論」にもつながるものです。歴史的事実は、「悪人黒幕論」が容易に「粛清論」および「救世主による設計主義論」に転化することを示しています。

この点において、このコメントも「どうせヤフコメだから」と軽視できません「死んだ」と思われてきた「悪人黒幕論」的な発想が、「素朴」なアイディアの中では依然として生き残り、いまもなお「粛清論」および「救世主による設計主義論」がすぐそこにあるわけです!

■総括
「素人考え」で国家・社会の行く手を論ずる言説が氾濫している今般の新型コロナウィルス禍。今回は「経済政策」に絞って世論動向を取り上げてみましたが、歴史的事実と照合するにかなり危ない発想が見えてきたように思います。

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posted by 管理者 at 18:05| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
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