2020年05月09日

自粛警察を焚き付け、非国民を叩き潰す吉村・大阪府知事の政治手法が「文句なしの「○」です」?

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200505-00037690-bunshun-soci
大阪吉村、和歌山仁坂、鳥取平井は○、広島△、兵庫、福岡は×…政治学者・御厨貴「知事たちの通信簿 西日本編」
5/5(火) 18:00配信
文春オンライン

(中略)
大阪府・吉村洋文「○」 若さでピンチをチャンスに変えた
 ここまでの日本の新型コロナウイルス対策を振り返ると、3月20日〜22日の3連休、兵庫―大阪間で「往来自粛」の要請が出されたことは特筆すべき出来事です。首都圏において、小池百合子都知事が会見で「外出自粛」を強く要請するのは、その3連休明けのこと。関西はより早い段階で対応をとっていた。その判断を下したのが、大阪の吉村洋文知事(44)です。

 大阪くらいの大都市になると、行政にさまざまな要素が絡み合っている。なにか動かそうとしても、一気に物事が動かないものです。にもかかわらず、吉村知事は他県まで巻き込んだ移動制限をいち早く訴えるなど、これまで緩急自在にやってきています。文句なしの「○」です。

(中略)
 さらに吉村知事の活躍は、「維新」という政党のピンチをチャンスに変えたとも言えます。これまで維新は市と府の二重行政を解消するとして、病院や感染症の研究施設などの統廃合を進めてきました。その結果が、現状の大阪における医療現場の逼迫の一因になっています。

 実際に大阪府知事、大阪市長を務めた元維新代表の橋下徹氏(50)は、〈大阪府知事時代、大阪市長時代に徹底的な改革を断行し、有事の今、現場を疲弊させているところがあると思います。保健所、府立市立病院など。そこは、お手数をおかけしますが見直しをよろしくお願いします〉(4月3日)とツイートしています。

 いつ維新批判が起こってもおかしくないピンチでしたが、“緊急事態なんだから今更そんなこと言っても仕方ない”と言わんばかりに、厳しい措置を矢継ぎ早に打ち出して、停滞している中央を尻目に物事をどんどんと動かしていき、活路を見いだしました。

 そうした維新が持っている“なんだか訳のわからないパワー”が、「やっぱり維新はやってくれる」と、市民にアピールする契機になっている。維新は吉村知事の馬力に救われました。
■自粛警察を焚き付け、非国民を叩き潰す文化大革命・非国民狩りの政治手法が「文句なしの「○」です」?
ついに御厨貴氏のような学者までもが維新と吉村・大阪府知事に擦り寄るようになりましたか・・・

ここ数日、「自粛警察(自粛ポリス)」の行き過ぎた吊るしあげ行為が問題視される風潮にようやくなってきましたが、つい先日展開された大阪府内のパチンコ屋への吉村知事の対応手法は、政治および行政が自粛警察たちを焚き付けて攻撃するよう仕向け、非国民を叩き潰す行為でした。このような政治手法をとる人物について、「文句なしの「○」です」とは、驚くべき評価であります。

たしかに政治は結果です。しかし、結果さえ出れば何でもよいわけではなく、結果の前提として正しい方法論が必要になります。「目的は手段を正当化する」というのは、スターリンの手口であります。

吉村知事が手を染めたこの手法は、政治と行政が大衆を暴力に扇動した点において、文化大革命路線・非国民狩り路線以外の何物でもありません。また、4月29日づけ「憎悪と分断をもたらす「維新」の文化大革命路線・非国民狩り路線は、人民大衆の「命」を守れない」で論じたように、大義名分を掲げて異論を力づくで沈黙させて表面的には結束を固めたとしても、人心には憎悪、社会には深い溝と分断が残り、それは以後の積極的な団結を弱めることになるでしょう。この方法は、想像以上に社会に深い爪痕を残すものなのです。

にもかかわらず、「文句なしの「○」です」と手放しで賞賛する御厨氏。「擦り寄っている」と言う他ないでしょう。

■学者としての格を落としてまで、御厨氏は維新と吉村知事に擦り寄る御厨貴氏
また、大阪における医療キャパシティ逼迫の一因に、歴代の維新施政があったことは、記事でも触れられているとおりですが、それを推し進めてきた張本人たる橋下徹氏の他人事のような「よろしくお願いします」発言を取り上げておきながら無批判に受け流しているのは、維新信者ならまだしも「学者のやることか?」と疑問符を付けざるを得ないでしょう。もちろん、「緊急事態なんだから今更そんなこと言っても仕方ない」というのは私も理解可能ですが、あとで追及・検証すべく保留にする姿勢は、すくなくとも学者は見せておかなければなりません。

自らの学者としての格を落としてまで、御厨氏は維新と吉村知事に擦り寄っているわけです。

■異様な「擦り寄り」の風潮
政策の肯定的評価を越えた「擦り寄り」というべき現象が多発しています。売文屋がブームに乗っかる形で駄文を大量生産するのは彼らの性分であるとはいえ、露骨に過ぎるところです。たとえば、最近ホットな話題だった吉村知事と西村大臣との議論を巡る外野の反応が典型的であります。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200507-00026179-asahibcv-soci
大阪府の吉村知事「国と地方の役割分担が明確になった」との認識示す 西村担当大臣の批判受け
5/7(木) 12:39配信
ABCテレビ

大阪府の吉村知事は、休業要請を解除する基準についての自らの発言が批判を受けたことについて、「国と地方の役割分担が明確になった」との認識を示しました。

大阪府の吉村知事は、飲食店などへの休業要請について、「本来は、国が解除基準を示すべきだった」と対応を批判しましたが、新型コロナウイルス担当の西村大臣は6日、「休業要請の解除の基準を示すのは知事の責任」「何か勘違いをされているのではないか」などと知事の発言に不快感を示していました。それに対し吉村知事は7日「決して勘違いしている訳ではない。休業要請については知事の裁量・権限の範囲内だと、明確に(西村)大臣にも言っていただいた。(国が緊急事態宣言の)出口戦略を示すべきじゃないかという考え方は変わらないし、それに基づいて『大阪モデル』というのが出てきている」と話しました。

この一連のやりとりについて、次のような外野意見が出ています。
坂上忍が『吉村知事VS西村大臣』で吉村知事の潔さを絶賛「いい意味でしたたか」「すぐ謝るって、僕も基本にしてる。お見事」(5/7(木) 13:56配信 中日スポーツ)
大桃美代子、吉村府知事の謝罪ツイートに私見「よく読むと…相手をたてることでネット民を収めた対応」(5/7(木) 15:12配信 スポーツ報知)
ヨネスケ 吉村府知事のSNS駆使を称賛「最後に謝る…ツイッター慣れしてますね」(5/7(木) 16:37配信 スポニチアネックス)
陳謝した吉村知事に苦言?元三重県知事「けんかしようと思えばいくらでもできた…賢すぎる、若いのに」(5/7(木) 22:40配信 中日スポーツ)

「褒め殺しを狙っているのか?」というくらいに異様なまでの礼賛・擦り寄りが展開されています。

そもそも、おおもとの吉村知事と西村大臣とのやり取りを振り返れば、これについて「知事が大臣から言質を取った」という評価が見られますが、言質も何も既に明確に定義されていることであります。いまさら言質を取らなければならないような話ではありません

実際のところ、吉村知事は、誤解を与える余地のある表現だったのを取り繕っている(文字数制限が厳しいTwitterゆえに理解できないことはありません)のか、本当に勘違いしていたのを隠すために取り繕っているのかのどちらかだと思われます。

そう考えると、これは、維新お得意の「論点すり替え」としてみた方が自然に思えます。つまり、分が悪くなると急に論点を変えてコジツケ的に「成果」を誇りだすというやつです。民事裁判の「和解」を下敷きにしているんでしょうか、相手からの追撃を受けない程度に相手側をたたせつつ、自分も「負け」ではないくらいのポジションを獲得しています。そして、そもそも別の論点をコジツケ的に持ち込んだが故に、尚も話が長引くと取り繕いのボロが出てしまうので、謝罪を含めたあらゆる手段を駆使して早々と幕引きしているわけです。

はっきり言ってしまえば、吉村−西村論争は、メッセージのやり取りの過程で発生した齟齬であり、普通だったらスルーして然るべき程度の話に過ぎないのです。にもかかわらず、その程度の話がベタぼめされているわけです。これは吉村知事をヨイショし、維新及び維新信者の歓心を買おうと擦り寄ろうとする魂胆があまりにも露骨であると言わざるを得ません。

■更に信仰純化する維新信者
売文屋の擦り寄りも目に余りますが、それに呼応する信者たちのコメントは危険な水準に達しつつあります。
これは当初、知事が決めるべきことに偉そうに口出ししてきた国に対して、吉村知事からの「二度とこっちの決めたことに口出しするなよ」という念押しなので、正直吉村知事の完全勝利。
吉村さんと西村のやりとり、言うまでもないが吉村知事の圧勝だった。
これを勝ち負けの問題だと位置づける維新信者たち・・・当の吉村知事から「同じ日本国民でしょ」って言われちゃいますよw

現段階において、大阪府と中央政府が勝ち負けを争うような対立構図を描くことには、パフォーマンス的効果を除いては何の得もありません。新型コロナウィルス禍は、中央政府と地方政府が協力し、おのおのの役割を果たすことが絶対的に必要であり、それは吉村知事も十分に分かっているはずです。

文革路線を取る吉村知事も危険ですが、嬉々として紅衛兵になる信者たちはもっと危険。維新信者たちが徐々に維新本体の意思と離れつつあるように見受けられます。制御できていないように見受けられます。
posted by 管理者 at 16:36| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
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