吉村知事 たけしから質問攻め「パチンコ店名前出すのはなぜ?」■法的義務を履行するためにこそ、副作用的展開に対して対応を講ずるべきだった
5/9(土) 21:20配信
デイリースポーツ
(中略)
同局の安住紳一郎アナウンサーに「(西村)大臣とのケンカも大車輪」と紹介された吉村知事に、たけしはオープニング早々から質問攻め。「パチンコ営業店の名前を出すのはどういう意味なの?かえって(名前を知った客から)行ってしまうんでは?」と声を掛けた。
吉村知事は「公表は『行かないで』という公表。特措法では公表しないといけないという義務なんです。大阪で緊急事態発令後、最後まで営業しているお店は公表しないといけない。お願いベースですが、公表しないといけない」と説明した。
(以下略)
民事弁護士(サラ金大手:武富士の顧問弁護士)が政治家になると、どういうコトになるのかが良くわかる記事です。
「特措法では公表しないといけないという義務」というのは、そのとおりではあります。しかしながら、ムラ社会的意識が依然として濃厚である上に新型感染症の恐怖で冷静さを失っている現代日本社会において、「店名公表」をすれば一体どういう世論反応が副作用的に見られるのかは、あまりにも容易に予想できるコトです。既に自粛警察(自粛ポリス)の暴走が指摘され始めていた段階でもありました。文化大革命や非国民狩りを彷彿とさせる恫喝的・脅迫的な吊るしあげが発生する危険性が高いことは、容易に予想できたでしょう。これは後出しジャンケンでも何でもない、明々白々なことです。
それゆえ、法的義務を履行するためにこそ、こうした副作用的展開に対して行政の長が政策的に予防対応を講ずるべきでした。そのためには、たとえば、4月29日づけ「憎悪と分断をもたらす「維新」の文化大革命路線・非国民狩り路線は、人民大衆の「命」を守れない」においてご紹介した記事で、タレントの太田光さんが次のように述べていた方法があり得たでしょう。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200426-04260055-sph-ent
爆笑問題・太田光、小池都知事の休業応じないパチンコ店の公表意向に「さらし者にして何がしたいのかなと思う」にもかかわらず、吉村・大阪府知事はそうした対応をせずに「店名公表」だけを実施し、案の定、文化大革命や非国民狩りを彷彿とさせる恫喝的・脅迫的な吊るしあげが発生しました。これは、行政の長として相応しくない不作為であると言わざるを得ません。「吉村知事が吊るしあげを止めるよう呼びかければ、吊るしあげが実際にゼロになったはず」とまでは言いませんが、行政の長として出来る限りのことはすべきでした。それを怠ったのだから、やはり非難されるべきでしょう。
4/26(日) 12:28配信
スポーツ報知
(中略)
ただでさえ分断が起きやすい状況(中略)政治家がやるべき事は、この店がやってますよ、皆さんどうですかっていう事じゃなくて、引き続き休業要請は私たちはしますと。だから皆さんはパチンコ屋さんを誹謗(ひぼう)中傷しないでくださいと。もし混雑したら、安全に営業できる様に私たちが指導をしますと。そういう風に言わないと、つるし上げみたいな状況になる(以下略)
■法の定めを盾に、うまいこと論理を操作し、己がすべきことを誤魔化している吉村知事
もっとも、上掲4月29日づけ記事に書きましたが、おそらく吉村知事は「わざと対策を打たなかった」のだと私は見ています。熱心な維新支持者を扇動して飽和攻撃を仕掛けさせ、自らは直接的には手を下さずに当該パチンコ店を休業に追い込もうと目論んでいたのでしょう。維新の文化大革命路線・非国民狩り路線の典型的手口です。
サラ金大手:武富士の顧問弁護士として法律と理屈を駆使して活躍していた吉村知事が、「店名公表は法的義務だから、このたび公表した」という粗雑な論理を本気で展開するはずがありません。「どうせ素人に論理は分かるまい」とタカをくくっているのでしょう。法の定めを盾に、うまいこと論理を操作し、己がすべきことを誤魔化し、大衆を焚き付けて自らは手を汚さずに目標を達成させたというわけです。
■文章を漫然と読んではいけない
こうした論理的手口を見抜く眼を持つ必要があります。屁理屈には色々ありますが、生活場面で頻回に接し得る身近なものに絞ると、次のようなものが挙げられるでしょう。
1.矛盾(接続詞の使い間違い含む)
2.無視(見落とし含む)
3.飛躍
このうち、今回に関係するのは「無視」と「飛躍」であります。
文章を漫然と読んではいけません。ふつう文章には意味的・論理的な境界に読点(「、」)が打ってあるので、読点を区切りとして前後の論理関係を吟味する必要があります。また、その文章の前提条件の有無や、文末結論の以降の展開・帰結を想像することで文章の荒唐無稽性を吟味する必要があります。5W1Hも念頭に置いて適宜補って読むとよいでしょう。
たとえば、
・読点前後で接続詞の使い間違い含む矛盾はないだろうか(例:「今日は晴れているので、雨傘を持っていく」――「ので」の使い方がおかしい)
・読点の部分に幾つかの場合分け・条件が入る余地はないだろうか(例:「モスクワは緯度が高いので、コートが手放せない」――冬ならね。夏はいらないよ)
・読点の部分により詳しく説明する別の文章が入る余地はないだろうか(例:「風が吹けば、桶屋が儲かる」――より詳しく説明する別の文章が必要)
・文の書き始め以前にも場合分けが入り得ることはないだろうか(例:「水はセ氏100度で沸騰して水蒸気になる」――1気圧の条件下であればね)
・文末結論の以降の展開・帰結を想像し、その文章が言っていることが全体として荒唐無稽になっていないだろうか(例:「ゴミのポイ捨ては犯罪だから、死刑にすべきだ」――モノには程度があるんだよ)
こうしたことを慎重に吟味する必要があります。
と言った具合に。
「店名公表は法的義務だから、このたび公表した」という主張においても、読点に注目する必要が生じます。「店名公表は法的義務だから、このたび公表した」などと短絡的対応で良かったのか、起こり得る世論反応を想定して同時に講ずるべきことはなかったのかということを慎重に判断する必要があります。
■本来であれば立ち止まるべき所で立ち止まらず、不作為の結果、案の定の結果になった
そう考えると、吉村知事は、「店名公表は法的義務だから、このたび公表した」以降の展開・帰結を想像すれば、日本社会のことだからどういう展開になるのかは容易に想像できたはずなのに、起こり得る世論反応を「無視」し、本来であれば立ち止まるべき「店名公表は法的義務だから、このたび公表した」の読点の部分で立ち止まらず、講ずるべき予防策を取らず「飛躍」してしまったわけです。そして案の定、文化大革命や非国民狩りを彷彿とさせる恫喝的・脅迫的な吊るしあげが発生したのです。
これは非難されてしかるべき不作為であります。
ラベル:橋下文化大革命