39県、感染防止図り日常再始動 宣言解除、気を引き締め仕事へ全国に発令されていた緊急事態宣言が、多くの県で解除されました。それほど反対意見は多くなく、おおむね歓迎ないしは受け入れの風潮のようです。「経済なんて止めても構わない。命を守ることが優先だ!」などと声高に主張されていたのは、たった1か月半前の4月上旬。少なくない芸能人もこうした主張を展開し、拍手喝さいを受けていたものですが、世論は大きく変化しました。
5/15(金) 9:58配信
共同通信
新型コロナウイルス特別措置法に基づく緊急事態宣言が39県で解除されてから一夜明けた15日、各地で日常を取り戻そうとする動きが本格化した。「解除されても、油断はできない」。通勤者は気を引き締め職場へ向かった。感染防止を意識したライフスタイルへ、手探りの日々が続く。
(以下略)
「経済なんて止めても構わない。命を守ることが優先だ!」といった言説が声高に主張されるのは、日本においては、「経済活動」が一段低いものと捉えられていることを示しているでしょう。経済活動を「金儲け」くらいにしか位置付けておらず、それが人間存在の維持の基本的手段であると理解していない人が一定数いることが推察されるのです。
もっと言ってしまえば、近代的工業に裏打ちされた都市的生活様式に対する蔑視のようなものさえあるといえます。かつて音楽家の坂本龍一氏は「たかが電気のために命を危険に晒してはいけない」と言ってのけました(かつてレーニンが「共産主義とは、ソビエト権力プラス全土の電化である」といったのとは対極的です)。
しかし、そもそも、働くということはすなわち、生きることそのものであります「命を守るステイホームか経済活動か」の二者択一ではありません。キム・ジョンイル総書記は次のように指摘されました。
経済生活において創造的労働生活は重要な位置をしめます。人間は労働によって自分の生活に必要な物質的・文化的富を創造し、その過程でみずからをさらに有力な存在に育てます。『人民大衆中心の朝鮮式の社会主義は必勝不敗である』(チュチェ80・1991年5月5日)
総書記の定義を踏まえて、朝鮮大学校のハン・ドンソン学長は、次のように解説しました。
経済生活は、物質的生活手段を生産し、分配し、交換し、消費する生活です。そこには、物質的富を創造する過程と、創造された物質的富を享受する過程が含まれます。『哲学への主体的アプローチ』(チュチェ96・2007年4月15日、白峰社)
自然を改造し物質的富を生産する生活を労働生活と言います。
物質的富が生産されてこそ、分配と交換、消費が成り立ちます。したがって労働生活は、経済生活において優先的な意義を持ち、生産の発展はすなわち経済の発展とされます。
上記のような主体的見解に基づけば、「命を守ること」と「経済活動を展開すること」は、決して二者択一の問題ではないことが理解できると思われます。
1か月半にわたって「実際に」経済活動を大きく縮小させてみて初めて「働くということはすなわち、生きることそのもの」が体感的に理解したのでは、いささか遅すぎるようにも思いますが、これを機に正しい認識を持てるのであれば、まだよかったのかもしれません。この哲学に根差した基本的認識が定着することを願います。
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