広がる人種差別反対運動 一部でさらにトンデモ化!「ピラミッド撤去要求」銅像の撤去・海中投棄やバンド改名、古い映画の吊るしあげに大通りの改名要求、「解放区」・・・もはや「文化大革命騒ぎ」というべき水準に達しています。ついに出てきた「奴隷に作らせたピラミッドを撤去せよ!」に至っては「無知のバカ騒ぎ」以外の何物でもありませんが、「無知は力」こそ文革精神です。
6/16(火) 17:00配信
東スポWeb
次の標的はエジプトのピラミッド!! 黒人男性暴行死事件を機に、米国から欧州にまで拡大した「黒人の命も大事だ」運動が、とんでもない方向にエスカレートしている。米国各地で「先住民の虐殺者」として15世紀イタリアの探検家クリストファー・コロンブスの像が破壊されたが、さらに英国では反人種差別を訴える活動家らが「エジプトのピラミッドは奴隷を酷使して建てられた」と主張、撤去を求めているというのだ。
米メディアによると、南部バージニア州リッチモンドの公園に立つコロンブス像が先週、デモ隊に倒され、近くの池に投げ込まれた。中西部ミネソタ州セントポールでもデモ隊がコロンブス像をワイヤで引っ張り、台座から引きずり下ろした。さらに東部マサチューセッツ州ボストンでは像の頭部が壊された。
米国では近年、15世紀に米大陸に到達したコロンブスを「先住民の虐殺者」とする見方がある。暴行死事件を機に、現在の基準に照らして人権侵害を犯した人物への批判が強まったようだ。
(中略)
こうした動きは米国だけでなく欧州でも活発化している。英国西部ブリストルでは先週、人種差別に抗議するデモ参加者らが、17世紀の英奴隷商人エドワード・コルストンの像を壊し、近くのエイボン川に投げ入れた。
続けて参加者らは「エジプトのギザのピラミッドやスフィンクスは、奴隷によって建てられた」と決めつけ、それらの世界遺産を撤去するよう訴えたのだ。
この報道を受けてエジプトのオンライン紙エジプト・インディペンデントは、2010年1月に報じられた、ピラミッド建設に動員された人たちの墓が発見された際のロイター通信による記事を引用。4000年以上前、当時の王が手厚く葬ったことが判明し、近年の研究では「ピラミッド建設に携わったのは奴隷ではなく賃金労働者だった」とされているとした。
(中略)
一方、歴史をさかのぼって既に亡くなった人物を「人種差別主義者だ!」と糾弾する動きに、フランスのマクロン大統領は14日、国民へのテレビ演説で「憎しみで歴史を修正するべきではない」とくぎを刺した。さらに「わが国は誰の名前も歴史から消し去ることはしない。誰の仕事も忘れない。像も壊さない」と明言した。
(以下略)
その上、「顔認識技術には人種差別、性差別が潜むので禁止せよ」(「顔認識技術を禁止せよ」 黒人差別を受けハイテク大手の対応は?)といった言説まで飛び出てき始め、また、こうした風潮への過剰反応でしょうか、「美白製品は『白い肌を推奨している』と取られるので販売を停止する」といった展開(美白製品、一部の販売中止 人種差別問題に配慮 米J&J)まで見られるようになり、いよいよ混迷の度合いが深まってきました。
顔認識技術の精度の低さから生じる諸問題や、その技術が悪用される蓋然性は高いとはいえ、そうであるならば、まさに黎明期のDNA鑑定を使った犯罪捜査のように「あくまでも一つの手段」として扱えばよいだけ(足利事件のような「最新技術妄信」もあり得るので、警戒すること自体は正当ですが・・・)だし、顔認識技術と悪用を分離させればよいだけ(料理用包丁を使った犯罪があるからといって、包丁職人が悪いの? 銃のように対人危害を主目的とした道具が犯罪に使われたならまだしも・・・)。
「肌の白さ」は確かに人種差別社会において「権力の源泉」であり、美白はその「権力」を更に固めるものだという象徴的見方は不可能ではありませんが、そもそも肌の色を理由として社会的権力の有無を決定することに反対するのが反差別運動。美白製品の販売を中止するなどといった上辺を取り繕う対策を取るのではなく、肌の色と社会的権力を分離させればよいだけでしょう。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」そのもの。本来、冷静な分析に基づいて「表層」と「本質」とを見極めて慎重に分離させ、「本質」のみを是正するべきところです。しかし、そうはせずに憎しみを動力として十把一絡げにすべてを清算しようとする軽薄さ。そして、その程度の浅いものを「歴史的前進」であるかのように大騒ぎする浅はかさ。文革の再来に他なりません。
かつてキム・イルソン同志は、中国で文革の嵐が吹き荒れていたころ、それと対比する形で朝鮮式の階級闘争について次のように教示されました。
階級闘争の形式はいろいろあります。資本主義を打倒するときの階級闘争と、資本主義を打倒したのちの階級闘争とはその形態が異なります。このことは我が党の文献で、既に明白に解明されています。ところが少なからぬ人々が、これをはっきり理解していないために、極左的あるいは右傾的な誤りをおかしています。『資本主義から社会主義への過渡期とプロレタリアート独裁の問題について』(チュチェ56・1967年5月25日)
社会主義革命を行うときの階級闘争は、ブルジョアジーを階級として一掃するための闘争であり、社会主義社会での階級闘争は、統一団結を目的とする闘争であって、それは決して社会の構成員を互いに反目し、憎みあうようにするための階級闘争ではありません。社会主義社会でも階級闘争を行うが、統一と団結を目的とし、協力の方法で階級闘争を行うのであります。
リベラリストは「寛容と多様性」を重視しているといいます。たしかに「黒人と白人の対話」(と言う名のお説教タイム)を好むあたり、彼らの運動の目標は、「白人に誤りを認めさせること」であり、決して「白人を絶滅させてアメリカを黒人国家に造り替える」ことではないでしょう。つまり、リベラリズムの運動は、その目的に照らしたとき、キム・イルソン同志の言葉を踏まえれば、「(白人を)一掃するための闘争」ではなく「(白人と黒人とを)統一団結を目的とする闘争」であるべきなのです。
しかし、実際に展開されている運動の文革的戦闘性を鑑みるに、憎しみがあまりにも前面に出過ぎていると言わざるを得ません。たとえ「アメリカの徹底的な人種差別への抗議運動は、徹底的な『破邪顕正』であらねばならぬ」としても、憎しみが新たな憎しみを煽ってしまっています。それゆえリベラリストは、自らが掲げる到達目標を自らの手で遠くに追いやってしまっているのです。
「敵」を吊るしあげて叩き潰す文革騒ぎは、逆に社会の分断を深めるものです。「雨降って地固まる」などというのは、牧歌的ユートピアでの話に過ぎません。
また、リベラリストはしばしば、トランプ米大統領がフェイクばかり言うと非難します。フェイクに基づく偏見で差別を煽っていると非難します。多くの場合、それ自体はファクトであると私も思います。しかしながら、そうだと言うのであれば、反差別のリベラリストもまた、ファクトに基づいて発信する必要があるでしょう。「エジプトのピラミッドは奴隷を酷使して建てられた」などという大嘘に基づいて文革騒ぎを起こしている場合ではありません。
いよいよ混迷の度合いが深まりつつある今こそ、文革騒ぎと化しつつある”Black Lives Matter”運動に端を発する諸運動はいったん冷静になり、キム・イルソン同志が指摘されたように、統一団結を目的とする闘争に立ち返るべきであり、協力の方法で思想闘争を展開すべく運動を再構成すべきでしょう。
なお、こうして”Black Lives Matter”運動に端を発する諸運動の現状に苦言を申し上げている私ですが、ブラック・アフリカ諸国の独立運動を物心両面から強力に援助した偉大な首領様を全面的に支持し、心から尊敬している点において、白人人種差別勢力を利するつもりは微塵もございませんことを、最後に補足的に申し上げておきます。
ラベル:チュチェ思想