2020年09月02日

「組織として対応する」ということの意味:立民石垣議員の大暴言・大妄言について

https://news.yahoo.co.jp/articles/01b4da0c933c7ddcc019caa593d7748d64718974
安倍首相は「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」 立憲議員が自民批判
8/28(金) 17:58配信
J-CASTニュース

 安倍晋三首相の辞任を受け、立憲民主党の石垣のりこ参院議員は2020年8月28日、ツイッターで「『大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物』を総理総裁に担ぎ続けてきた自民党の『選任責任』は厳しく問われるべき」と自民党の責任を追及する構えを示した。

■「『安倍しかいない』と押しつけてきた」
 激しい腹痛や下痢などの症状がある難病「潰瘍性大腸炎」の悪化を理由に、安倍首相は28日に辞任を発表した。

 辞任会見の直前には、各社から「辞意を固めた」と報じられていた。石垣氏は同日にツイッターを更新し、「総理といえども『働く人』。健康を理由とした辞職は当然の権利。回復をお祈り致します」と労り、辞職は仕方がないとした。

 一方で、「『大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物』を総理総裁に担ぎ続けてきた自民党の『選任責任』は厳しく問われるべき」と自民党の責任に触れ、「その責任を問い政治空白を生じさせないためにも早期の国会開会を求めます」と要求した。

 続けて、一般のツイッターユーザーからの「こんな発言があるからブラック企業があるのですよ。私は部下を持つ人間なので貴方のような発言はしないように心がけます。大事な時に不測の事態があっても対応できるチーム作りをしており例え病気でも危機管理ないなんて言いませんわ」とのリプライ(返信)を引用する形で、

「第一次政権も体調不良でお辞めになり、この八年の間もなんども健康不良説が流れたわけです。なのに『安倍しかいない』と押しつけてきたわけです。もし自民党が会社ならば、これほどブラックな職場もないでしょう」

と主張を押し通した。

(以下略)
現に安倍氏の執務に病気の影響が出ているのに、それでも内閣総理大臣・自民党総裁の続投を強いたとすれば、それは安倍氏のパーソナリティにあまりも依存し過ぎている・職が過度に属人化しているという意味で、自民党の組織問題であると言えるでしょうが、「何らかの健康リスクがある」程度の人物をリーダーに据えたくらいでは、非難される謂れはないでしょう。

「組織として対応する」ということの意味を十分に理解する必要があります。「組織化先進国」である朝鮮民主主義人民共和国は、軍隊の継戦能力を維持するために「全軍幹部化」を標榜しています。すなわち、指揮官が戦死したとしても一等下級の兵が直ちに指揮官として任務に当たれるように事前に組織を整えているのです。

生身の人間なのだから、急に病気になることだってあるし、事故に巻き込まれて死んでしまうことだってあります。誰だってそうです。それゆえ、「組織として対応する」ということはすなわち「有事の際に備えて代替人員を揃えておく」ということに他なりません。すぐに代替人員に交代させることができれば、組織としては十分に対応していると言えるのです。特定個人に頼り切るのではなく、きちんと代替人員の層を厚く用意しておく限りにおいては、たとえ難病患者であっても要職に就くことを妨げられる謂れはないのです。

『安倍しかいない』と押しつけてきた」などと取り繕う石垣氏ですが、しかしどうでしょうか。ポスト安倍の自民党総裁選には菅・岸田・石破の3氏が立候補しています。また、今回は立候補を見送ったものの、河野氏のような「将来有望」な人材もいるわけです。「安倍の代わり」は常にいたわけです。自民党は「予備」の人材をしっかりと抱えているわけです。ここ15年以上、おなじ顔ぶれが代表職を給食当番のように回してきた「民主党」が他人のことは言えないでしょう。

さすがは立憲民主党。「結党から何年たっても党の組織化が不十分だなぁ」と思っていましたが、もしかすると「組織化」の意味が分かっていないのかも知れませんね(まあ、ブルジョア個人主義としてのリベラリズムを有難がっているし・・・)。もちろん、石垣氏は党高級幹部ではないので、彼女の言い分をそのまま党の体質であると断定することには慎重になる必要はありますが、しかし党所属の国会議員は、党員の中から選抜された人材である点において、高級幹部でないにしても幹部級というべき人材です。ある程度「立憲民主党」を体現しているといってよいと思われます。

なお私はチュチェの社会主義者として安倍首相・安倍内閣の政策はあまり評価しない立場ですが、人間・安倍晋三氏が難病指定されている持病を再発させたという報道については、政治的立場はまったく異なるものの、同じ人間としてお見舞い申し上げたいと思います。また、チュチェの社会主義者の立場から申せば、安倍首相・安倍内閣は甚だ不十分ではありますが、そうはいってもある程度の範囲で国民生活の維持という政策課題は達成してきた点において、安倍首相・安倍内閣にはまったく功績がないとは言えないと考えています。安倍首相には、「不十分な点は多々あったが、それはともかく『お疲れさまでした』」と申したいと思います。
posted by 管理者 at 23:51| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
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