2020年09月19日

前例主義の打破は思想文化的な意味での「日本革命」

https://news.yahoo.co.jp/articles/f71111573322ac845a38ee40ac5aea0f45ca7b9c
河野氏、未明の会見「やめたら」 前例主義の最たるものと批判
9/17(木) 18:13配信

 防衛相から横滑りし、行政改革や規制改革の担当相に就任した河野太郎氏(57)は17日に官邸であった記者会見で、河野氏ら新閣僚の会見が未明に及んだことを批判した。「大臣が各省でやれば今頃はもう終わって、みんな寝ている。前例主義、既得権、権威主義の最たるものだ。こんなものはさっさとやめたらいい」と述べた。

(以下略)
誰もが不満を持っているのに何故か誰も改めようとしない規則や慣例といったものは、官僚組織に限らず、ある程度の歴史を持ち規模を誇る組織(民間企業を含む)に広くみられるものです。

こうした組織ではいったい何が起こっているのでしょうか。それは、皆が「改めたくても自分自身はそれを決められる立場にない」状況にあるのです。

ある程度の歴史を持ち規模を誇る組織では、既に存在せず後任・後継がハッキリとは決まっていない部署・決裁権者等が決めた規則が亡霊のように残っていたり、あるいは、長い時間をかけて形成されてきた自然発生的・自生的秩序としての慣例が幅を利かせていたりします。そのため、仮に不合理に思われる規則や慣例があったとしても、誰にも改める権利がないことがあるのです。

このことは、「組織化が不十分な状況」であると言えます。

規則等は人間同士の社会的関係の一種ですが、主体的に考えたとき、そもそも社会的関係というものは、「人間によって制定され人間のために奉仕すべきもの」であると言えるでしょう。特に規則等について言えば、組織における指導と被指導の関係・指揮命令系統を保障して人間集団の組織化のために奉仕すべきものです。にもかかわらず、「誰もが不満を持っているのに何故か誰も改めようとしない規則や慣例」が存在する状況は、当の規則等が誰の指導下にもなく勝手に独り歩きしている状況であります。

こうした状況を克服するには、組織化を十分に行うことが問題に正面から立ち向かう方法であると言えます。指揮命令系統を明確にし必ず全ての規則等を各責任者の指導下に収めることが大切なのです。

当ブログでも繰り返し述べてきたことですが、特に日本は「なんとなく」の自然発生的・自生的な秩序によって支配されている分野が多く、また、民主主義とは似て非なる「合議」主義によって物事が決まりがちなお国柄です。「誰もが不満を持っているのに何故か誰も改めようとしない規則や慣例」を打破するために組織化に注力することは、思想文化的な意味で「日本革命」と言えるかも知れません。
posted by 管理者 at 17:22| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
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