金正恩氏「一番心配なのは同志の健康」 異例の情みせる当該箇所は以下でしょう。
ソウル=神谷毅
2020年9月22日 21時34分
今月上旬にかけて台風に相次いで見舞われた北朝鮮で、被害復旧に向けた動員のために金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長名で出された公開書簡が、関係者の間で注目を集めている。北朝鮮の元高官や元外交官らは、「情を強調する表現ぶりなどから本人の手による可能性が高い」と見ている。
北朝鮮は台風で大きな被害を受けた東北部の咸鏡南道と北道の復旧に首都・平壌の党員1万2千人を動員した。5日付の正恩氏名の書簡には、10月10日の党創建75周年と来年1月の党大会のために「首都の党員が被災地に駆けつけることをお願いする」と記されていた。唯一絶対で誤りのない「首領」とされる正恩氏としては、異例の言及といえる。
書簡は「首都の温かい情で被災者を慰労し支援することを呼びかける」など「情」を強調。党員に対し「現地の人々を助けてあげているぞというそぶりは見せないように」とクギを刺しつつ、「一番心配なのは同志たちの健康。秋風を受けての徹夜はつらい。健康な体で首都に、むつまじい家に戻ってこなければいけない」と思いやりも見せた。
北朝鮮の元外交官らによると、書簡の情緒的な表現から党宣伝扇動部によるものではなさそうだという。異例の書簡の背景について、首都の党員を動員せざるをえないほど切迫した状況だったとの見方もある一方、北朝鮮の元高官は「祖父の金日成(キムイルソン)主席や父の金正日(キムジョンイル)総書記も国民に手紙などの形で呼びかけることはあったが、北朝鮮の人々が共感しやすい情に訴えるなど正恩氏は統治手法に老練さも見せるようになっている」と語った。(ソウル=神谷毅)
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함경남북도의 인민들을 도와주자고 수도의 우수한 당원들로 조직된 사단들을 파견하지만 제일 걱정되는것은 동지들의 건강입니다.「異例の情みせる」というタイトルを見るに、神谷記者をはじめとする朝日新聞編集部がいかに共和国発の一次資料に当たることを怠ってきたのかが分かります。いわゆる社会政治的生命体が同志愛と革命的義理を社会結合原理としているとおり、共和国は「情」を根本としています。
ハムギョン北道の人民を助け、首都の優秀な党員で組織された師団を派遣しますが、最も心配なことは同志達の健康です。
생산현장과 실천투쟁에서 많이 단련되고 검증된 당원들이라 해도 재앙이 휩쓴 험지에서 가을바람을 맞으며 철야전투를 해야 하는것만큼 힘들고 피곤할수 있습니다.
生産現場と実践闘争においてよく鍛錬され検証された党員だからといっても、災難が襲った現地で秋の風に当たり、徹夜戦闘をしなければならないので、大変だし疲れるでしょう。
당원사단들을 이끄는 지휘관들과 정치일군들은 매 대원들의 건강과 생활에 세심한 주의를 돌리고 다심한 심정으로 돌보아주어 당원동지들이 모두 건강한 몸으로 전투를 결속하고 수도 평양으로, 정다운 집으로 돌아갈수 있게 하여야 하겠습니다.
党員師団を率いる指揮官と政治活動家は、隊員たちの健康と生活に細心の注意を振り向け、温かい心情で面倒を見てやり、党員同志達がみな健康な姿で戦闘を終え、首都ピョンヤンへ、情のこもった家に戻ってこられるようにしなければなりません。
きっと朝日新聞編集部の面々は「徳性実記」なんて言葉は聞いたこともないのでしょうね。「徳の高い偉大な首領による温情に対して人民が忠誠で応える」というのが共和国における基本パターンです。
そうした「無知」を差し引いたとしても、人間的な情に満ちた労りの言葉が「統治手法の老練さ」に映るというのは、中二のような斜に構えた物の見方であり悪意的歪曲を感じざるをえないところです。
「唯一絶対で誤りのない「首領」とされる正恩氏としては、異例の言及といえる」というくだりに至っては意味不明ですね。「無謬の首領」が党員に被災地支援を呼びかけることに一体どんな「異例」さがあるというのでしょう?
今回の元帥様の書簡は、変に斜に構えるのではなく素直に人間的な情に満ちた労りの言葉として捉えるべきでしょう。元帥様は就任以来、さまざまな厳しい制約に直面しつつも人民生活、とくに消費生活向上のために策を講じて来られました。コロナ禍と台風被害で直近は足踏み状態ではあるものの、単なるパフォーマンスではなく事実として状況は改善されてきました。そんな元帥様の「言うだけだったらタダ」である労いの言葉だけが逆にパフォーマンスとは考えにくいところです。
また、今回の元帥様の書簡は、単なる人間的な情に満ちた労りの言葉にとどまらず、同志愛と革命的義理、集団主義原理の発露であると捉えることもできるでしょう。