2020年11月23日

「生活」という視点が抜け落ち「ラスボス」を倒したかのような浮かれ具合:「バイデン勝利」で変な成功体験をもってしまったリベラリストたち

「あの」草薙厚子氏によるバイデン勝利にセレブが涙を流して共感した訳(11/17(火) 11:01配信 東洋経済オンライン)には驚きました。セレブ云々というからには複数のセレブリティたちの発言をまとめるのかと思いきや、冒頭のレディー・ガガの話だけであるのに、まず拍子抜けしましたが、読み進めてゆくと凄まじい内容。テレビゲームやマンガの世界ではよく登場する「ラスボス」を倒したかのような捉え方をしており、また、「生活」という視点がストンと抜け落ち、浮世離れしています

リベラリズムに「生活」の視点がなく、また、「悪党黒幕説」に染まり切っており、まさに観念論的であると言う他ないことは以前から、それこそ4年前から指摘してきました(チュチェ105・2016年11月10日づけ「リベラルは金持ちの道楽――アメリカ大統領選を巡って」)し、つい先日も11月21日づけ「「バイデン勝利」に浮かれ、社会主義にもプログレッシブにも一切触れないリベラリストの牽強付会・観念論的英雄物語について」において津山恵子氏批判という形で展開しましたが、これほどまでに強烈なのは珍しい。「バイデン氏勝利に浮かれている」にしても常軌を逸しています

共和党は、労働者の生活に焦点を当てれば票が取れるということを前回と今回の大統領選挙で学習しました。それに対して民主党は、前回はそれに気が付かずにラストベルトを逃し今回は下手に勝ってしまったために学習しそうにありません。こんなに浮かれていると次回はリベンジのトランプ氏または別の共和党候補者に負けるかも・・・

観念論者がまぐれ当たりで浮かれまわることは、決して対岸の火事ではありません。ぜひとも教訓的にひとつずつ詳しく見てゆきましょう。

■「勝った」ということ「だけ」で浮かれている
まず、「勝った」ということ「だけ」で浮かれている様について。手放しのはしゃぎようです。
 バイデン氏の勝利が決まったとき、現地の反応はどうだったのか。リモート取材を行った。

 「大きく言うと、今回はトランプ対バイデンの戦いというよりは、トランプかトランプ以外か、という戦いだったといえます。4年前は未知数だったトランプに投票してみようという人は多かったのですが、その結果、アメリカが分断されてしまったわけです。とにかくトランプ政権に終止符を打たなければという強い思いが、(ガガの)安堵の涙にもつながったのではないでしょうか」(現地ジャーナリスト)
そうなのでしょうか。トランプ氏も7000万票以上獲得し、バイデン氏との得票率の差はわずかに3%だった大接戦でした。事実から出発すれば決して事態は改善していません。それを分かっている人は、モーリー・ロバートソン氏のような根っからのリベラリストであっても「トランプ的な動きは残る」と言っています(「トランプ的な動きは残る」「アメリカ第一からアメリカ“達”第一へ」在日米国人が見る大統領選 11/9(月) 18:13配信 産経新聞)。
 
「勝った」ということ「だけ」で浮かれる手合いがある程度は出てくるだろうなとは思っていましたが、予想以上のはしゃぎようです。

■テレビゲームやマンガじゃあるまいし、「ラスボス」を倒したかのような捉え方
次に、「これこそがリベラリズム的社会観の底の浅さだ」というべきくだりについて見てみましょう。まるでテレビゲームやマンガの世界ではよく登場する「ラスボス」を倒したかのような捉え方です(こういうのは「ゲーム脳」とは言わないのかな?w)。
 トランプ政権になってから、アメリカ社会では人種差別の姿勢を見せることに躊躇しない人が増加した。差別を受け、スーパーマーケットで誰にも攻撃的なことを言われずに無事に車に戻れるかどうかを心配しながら生活しなければならない黒人たちもいた。人種差別、経済格差、フェイクニュース、これらを操るトランプ政権が終わりを告げたことに安心する人が多かったようだ。

 「4年と4日という時間がかかりましたが、ようやくこの瞬間がやってきたという感じです。待ちわびていた春が来たと思い涙があふれました。人間的でない、冷酷な差別主義者の大統領が変わるというよろこびです」(民主党支持の50代アメリカ人女性)

まず、「人種差別、経済格差、フェイクニュース、これらを操るトランプ政権」という表現がフェイクだと言わざるを得ないでしょう(そもそも、社会というものが分かっていないだけだと思いますが)。「経済格差を操るトランプ政権」というのは意味不明なので無視するとして、「人種差別、フェイクニュースを操るトランプ政権」という主張について考えてみましょう。

一昨年の9月30日づけ「김정은위원장 문재인대통령과 백두산에 오르시였다」など以前から社会論・メディア論として論じてきたことですが、為政者や政権与党というものは、自己・自派の政治的ビジョンを貫徹させるべく社会を動かそうと努力するものですが、多くの国では「政権機関・行政機関を動かす」ようには「社会を動かす」ことはできないものです。

なぜならば、為政者や政権与党は、指揮系統が組織化されている政権機関や行政機関を意のままに動かすことはできても、社会そのものは組織化されてはいないので、直接的に意のままに動かすことはできないからです。それこそ『1984年』のように人々(プロレ)の生活や内面にまでも「党」が入り込めているのであれば為政者・政権与党(ビッグ・ブラザーやイングソック)の意志は貫徹されるでしょうが、現代アメリカではそこまで政府の統制は成功していません。そもそも、トランプ氏が無垢な大衆を洗脳して支持者に仕立てあげたわけではなく、大衆が信じたいこと・都合の良いことをトランプ氏が上手く代弁してくれるから大衆は彼を支持し、結果的にトランプ現象が起きているのです。

よって、10月3日づけ「アメリカ大統領選挙は主体的にはどう見るべきか」でも論じたように、どんなに過大に評価してもトランプ氏は「オピニオンリーダー」であり、支持者や「信者」たちの意見形成に影響を与えることはあっても、古典的な弾丸理論・皮下注射論が考えるようなこと、すなわち、人々が考えること自体を意のまま操ることはできないのです。

テレビゲームやマンガの世界では「ラスボス」を倒せば平和な世界が戻ってくるそうですが、残念ながら現実には、そんな分かりやすい「黒幕」は存在しません。アメリカ社会の客観的な制度や構造と、一人一人の国民の意識が重層的に織りなしたシステム的なものが差別であり格差なのです。何かを打倒すれば解決する話ではないのです。

その前提に立って「待ちわびていた春が来たと思い涙があふれました。人間的でない、冷酷な差別主義者の大統領が変わるというよろこびです」という民主党支持の50代アメリカ人女性の発言について考えるに、これこそが目の前の不都合な事実が覆い隠されればそれだけで「社会の進歩」とはしゃぎ回る、リベラリストの発想の最たるものというべきでしょう。大統領は国民が選ぶものです。そんな大統領を今回も支えた7000万人いることについては「喜び」のあまり頭が回らないのでしょうね。トランプ氏が大統領であったことは、アメリカ社会が生んだ「結果」であり「原因」ではないのです。

ちなみに、そう考えると事実から出発する主体的唯物論者って辛いのかも知れませんね・・・あまり辛いと感じたことはなかったけれども、これだけオメデタイ人がいると知ってしまうと、自覚はないけれども本当は辛いのかもしれません。たしかにいつだって「勝って兜の緒を締めよ」が我々の発想ですからね・・・

■カッコイイ/ダサいが主軸?――ごくごく一握りの恵まれた人物の浮世離れした発言を取り上げても意味がない
「生活」という視点がストンと抜け落ちているなかでも極めつけなくだりにも是非触れておかなければなりません。浮世離れしています。
 今回、バイデン氏勝利の源になった郵便得票を大きく伸ばした背景には、副大統領になるカマラ・ハリス氏の力も大きかった。

 「次期政権で誇らしいことは、副大統領のハリスさんだと思います。女性で黒人で、インドとジャマイカにルーツがある。彼女のような女性が副大統領、いずれ大統領になるかもしれないっていうことがアメリカの先進性なんです。こういったストーリーがあってアメリカは成り立ってきた歴史がある。トランプのままだとカッコよくない、ダサイ国なってしまう。それがいちばん嫌なんです」(アメリカ国籍の民主党支持の50代男性)
Brexitに関して取り上げたチュチェ105(2016)年6月24日づけ「「生活の現実」とEU離脱派の主張」において私は、政治がまず考慮に入れなければならない「現実」とは「人々の日々の生活」であると述べました。人々は、まず何よりも「日々の生活」を営みながら、それを営めて初めて「よりよい明日の自主的で理想的な生活」を追求します。生活者としての有権者の行動は多くの場合、イデオロギー問題よりも生活問題により強く規定されるものです。

その事実を鋭くとらえて成功したのが1992年の大統領選挙で"It's the economy,stupid."をスローガン化した新人・クリントン氏であり、今回の大統領選挙で「コロナ」をテーマ(コロナは生活上のこの上ない危機です)として現職トランプ氏に挑戦したバイデン氏であります。

それゆえ、「トランプのままだとカッコよくない、ダサイ国なってしまう」という考えは、複数の採点ポイントのうちの一つにする限りならばまだしも、「それがいちばん嫌」など最大の採点ポイントするようでは「生活」という視点がストンと抜け落ちて浮世離れしていると言わざるを得ないでしょう。

■経済を無視ないし軽視して価値観の問題ばかりに注目するリベラリズムはマルクス主義と同じくらい重大な誤りを犯している
念のため申し上げておけば、「衣食足りて礼節を知る」ともいうので、そういう恵まれた人がいることは悪いことばかりではありません。むしろ、こうした考え方は、人間社会のすべての出来事を経済や雇用情勢に起因するものだとコジツケるマルクス主義的経済還元論の粗雑で人間性不在の見方を反証するものであるとも言えます(私はマルクス主義の経済還元論的な人間観は、人間性に対する冒涜だと考えています)。

しかし、生活の問題から離れられるのはごくごく一握りの恵まれた人物であることは疑いのない事実です。現代社会は、古代ギリシャの都市国家のようにすべての市民(もちろん奴隷は除く)が生活の物質的基盤について何も心配することもなく政治や文化に没頭できるような社会ではありません。それゆえ、こんな浮世離れした人物の言い分は参考にならないと言わざるを得ないのです。

では、どう書けばよかったのでしょうか。11月21日づけ「「バイデン勝利」に浮かれ、社会主義にもプログレッシブにも一切触れないリベラリストの牽強付会・観念論的英雄物語について」で述べましたが、こうした価値観の問題は、生活の問題と結びつけて生活の問題の一部として描きなおす必要があります。繰り返しになりますが、人々は、まず何よりも「日々の生活」を営みながら、それを営めて初めて「よりよい明日の自主的で理想的な生活」を追求します。「よりよい明日の自主的で理想的な生活」においては価値観の問題が重要なファクターになってきます。「日常の生活に根差した価値観の問題」というふうに問題を描きなおせば、浮世離れの誹りは免れることができるでしょう。

よって、こんなごくごく一握りの浮世離れした人の主張ではなく、ごく普通の生活者の「バイデンとハリスの経済政策を支持する。そのうえ、ハリスが副大統領になればアメリカの先進性を示すことにもなりクールだ。このクールさがさらにアメリカ人の生活をよくして行ってくれるに違いない」といったような発言を引き出すべきだったのです。

価値観の問題を無視ないし軽視して経済の問題ばかりに注目するのはマルクス主義的誤りですが、経済の問題を無視ないし軽視して価値観の問題ばかりに注目するリベラリズムもまた、マルクス主義と同じくらい重大な誤りを犯しているのです。

経済の問題と価値観の問題は、生活というフィールドにおいてのみ接合されるものです。生活は、それを営む「土台」(=物質的・経済的条件の比喩)の上に建てられる「家」(=価値観の比喩)において営まれるものです。家は、土台の条件を無視することはできませんが、土台の条件に反しない限りは、それぞれの住人が理想とするレイアウトで建設するものです。生活という観点に立つことが重要です。

■日本にとっての教訓
生活の問題から離れ価値観の問題ばかりを論じられるのは、それこそ古代ギリシャの都市国家の市民くらいのものです。現代社会はそのような恵まれた社会ではないので、ほとんどの人は生活上の問題を重視せざるを得ません。人々は、まず何よりも「日々の生活」を営みながら、それを営めて初めて「よりよい明日の自主的で理想的な生活」を追求します。政治もまた、その線で行かなければなりません。

価値観の問題を取り上げるにしても、現代社会においては「日常の生活に根差した価値観の問題」として取り上げる必要があります。価値観の問題を生活の問題と結びつけ、生活の問題の一部とする必要があるのです。

「金持ちの道楽」と化しつつあるリベラリズムは価値観の問題を生活の問題の一部とすることを怠ってきましたが、日本も決して例外ではありません。現在、立憲民主党は基本政策づくりに取り組んでいるとのことですが、10月中旬に報じられた内容を見るに、アメリカのリベラルと同じような過ちを犯していると言わざるを得ません。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8a3c3c20a1c96ed9c7bc0712cd46583e412b246f
立憲民主、基本政策作り加速 公助や自然エネルギーに重点
10/17(土) 16:55配信
共同通信

(中略)
 15日に政調審議会の初会合を開き、立案の準備に入った。泉健太政調会長は、重視する5分野として(1)LGBTなど性的少数者(2)子ども、子育て(3)障害者、難病(4)外国人受け入れ制度と多文化共生社会(5)デジタル政策―を挙げた。それぞれプロジェクトチーム(PT)を設置する。
これらのテーマが「生活の問題ではない」とはいいません。たとえばLGBTなど性的少数者の問題は、当事者にとっては重大な生活上の問題です。これを軽視してはならないと思います。しかし、やはり人間は飲み食いして初めて命をつなぐことができる生物的存在です。そうなると、いわゆる経済政策や雇用政策について言及しないのは、それにしか言及しないマルクス主義的経済還元論と同じくらいに著しく不足があると言わざるを得ません。

よく立憲民主党は「社会党の再来」などと揶揄されるところですが、社会党であれば、どれほど本気かつ実効的であるかはさておき経済問題に正面から取り組んだばす。そう考えると立憲民主党は、ある意味においては社会党以下であると言えるかも知れません。

■嬉しさのあまり見たいものしか見えなくなっている
文脈が前後しますが、下記について。嬉しさのあまり見たいものしか見えなくなっているようです。
 バイデン氏はオバマ政権で2期8年にわたって副大統領を務め、無保険者をなくすための医療保険制度「オバマケア」成立のため、議会との調整にも尽力した。しかし、トランプ氏が2016年に大統領に就任すると、選挙公約にしていたこともあり、この制度を廃止しようとしたのだ。そのためバイデン氏は早速、大統領就任後の優先課題として「オバマケア」の拡充に取り組むと表明した。つねに弱者の視点を持つバイデン氏ならではの方針だろう。
これは誰かのインタビュー結果ではなく、この記事の筆者である草薙厚子氏の見解ですが、「オバマケア」の実態は保険会社の利益機会確保であり、低所得者にとっては重い負担になっている事実を無視して「つねに弱者の視点を持つバイデン氏ならではの方針」と持ち上げられる神経はすごい。単に事実を知らないでしょうか?

こういうことを言っては本当はいけないのだけれども、さすが「ゲーム脳は科学的に正しい」と提灯持ちをやっていた草薙氏だけあって、こうだと信じ込んだらどこまでも突き進むのでしょうね。

■楽しそうでちょっと羨ましいw
ちょっと笑えた最後のくだり。
国民に訴えかける「共感力」で勝利を得たバイデン氏。新たな戦いは始まったばかりである。
記事冒頭の方で「今回はトランプ対バイデンの戦いというよりは、トランプかトランプ以外か、という戦いだったといえます」という現地ジャーナリストの言を引用したはずなのに、ここにきて「国民に訴えかける「共感力」で勝利を得たバイデン氏」とは支離滅裂

「新たな戦いは始まったばかりである」って、マンガ打ち切りの決まり文句である「俺たちの戦いはこれからだ」を連想してしまいますw現実をマンガやテレビゲームのような英雄武勇伝物語として見られたらどんなに気楽なんだろうかと少し羨ましくもなります。

■総括
いまだかつてないレベルで「社会主義」に注目が集まった今回のアメリカ大統領選挙。ついに自由放任的資本主義の牙城であるアメリカにおいてさえ自由放任的資本主義は限界を迎えつつあり、社会変革の兆しが無視しえない規模に成長していることを明白に示しています。現実は深刻さを増しています。

ここにおいては、テレビゲームやマンガの世界ではよく登場する「ラスボス」を倒したかのような捉え方はあまりにも現実とは懸け離れており、また、「生活」という視点が抜け落ちて浮世離れしてしまっていることは致命的です。

トランプ氏は「ラスボス」ではありません。

為政者や政権与党というものは、自己・自派の政治的ビジョンを貫徹させるべく社会を動かそうと努力するものですが、多くの国では「政権機関・行政機関を動かす」ようには「社会を動かす」ことはできないものです。なぜならば、為政者や政権与党は、指揮系統が組織化されている政権機関や行政機関を意のままに動かすことはできても、社会そのものは組織化されてはいないので、直接的に意のままに動かすことはできないからです。

トランプ氏は、どんなに過大に評価しても「オピニオンリーダー」です。支持者や「信者」たちの意見形成に影響を与えることはあっても、古典的な弾丸理論・皮下注射論が考えるようなことはできません。トランプ氏は、人々が考えること自体を意のまま操ることはできないのです。よって、彼が落選したからといって問題が解決するわけではありません。アメリカ社会の客観的な制度や構造と、一人一人の国民の意識が重層的に織りなしたシステム的なものが差別であり格差なのです。

「生活」という視点が抜け落ちて浮世離れした言説は参考にはなりません。

生活の問題から離れ価値観の問題ばかりを論じられるのは、それこそ古代ギリシャの都市国家の市民くらいのものです。現代社会はそのような恵まれた社会ではないので、ほとんどの人は生活上の問題を重視せざるを得ません。人々は、まず何よりも「日々の生活」を営みながら、それを営めて初めて「よりよい明日の自主的で理想的な生活」を追求します。政治もまた、その線で行かなければなりません。

価値観の問題を無視ないし軽視して経済の問題ばかりに注目するのはマルクス主義的誤りですが、経済の問題を無視ないし軽視して価値観の問題ばかりに注目するリベラリズムもまた、マルクス主義と同じくらい重大な誤りを犯しているのです。経済の問題と価値観の問題は、生活というフィールドにおいてのみ接合されるものです。

現代社会において価値観の問題を取り上げるには「日常の生活に根差した価値観の問題」として取り上げる必要があります。価値観の問題を生活の問題と結びつけ、生活の問題の一部とする必要があるのです。

「金持ちの道楽」と化しつつあるリベラリズムは、価値観の問題を生活の問題の一部とすることを怠ってきました。それが4年前の大統領選挙での敗北でした。今回、バイデン陣営は選挙戦において、トランプ陣営のウリだった「バイ・アメリカン」をパクることで経済政策の体裁を整え、得票率にして3%程度で辛勝したところですが、どうもリベラリストたちのはしゃぎ様を見るに、「下手に勝ってしまった」ために、残念ながら彼らは変な成功体験をもってしまったようです。

これからアメリカ国内では、社会主義を推し進めようとする勢力と、それに反対する勢力との闘争は激化してゆくことでしょう。私は社会主義を支持する立場として、とてもではありませんが草薙厚子氏のようには浮かれてはいられません。

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posted by 管理者 at 18:40| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
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