イスラム教とテロ結びつけ? 佐賀県模試で不適切な出題 実施団体「素材選定に問題」■マルクス・レーニン主義的な社会観・歴史観を一部再評価する必要性
1/30(土) 20:11配信
毎日新聞
「稼ぐことができなかったら彼らは食べ物を求めてモスクへ行き、テロリストとなる」。佐賀県の高校1、2年が受験する「県下一斉模擬試験(県模試)」の1年の英語の設問が、学校関係者らから「イスラム教とテロリストを連想させる」と指摘を受けている。模試は県立高校などで作る任意団体が作成していた。県教委は「不適切な問題だった。教諭の人権意識の問題で、気付けなかったことは非常に残念」と述べた。【竹林静】
(中略)
文中では生徒がエジプト旅行中、地元少年が「1ドル!」と叫び絵はがきを売ろうとし、父親に理由を尋ねる。それに対し父親が「もし稼ぐことができなかったら、彼らは食べ物を求めてモスクへ行き、テロリストとなるんだよ」と答えた。
この他、イスラム教徒とテロリストを結びつける表現や、エジプトと英国を比較して「イングランドでは『1ドル!』と叫んでいる少年はいなかった」と貧富の差を示す表現があった。英作文は最終的には「世界から貧困と戦争を終わらせたい」と締めくくっている。
(以下略)
ほんのちょっと前まで教条的な経済還元論的マルクス・レーニン主義者はこのようなことを言って憚らず、それが「科学的」だともてはやされていた時代がありましたが、社会通念は大きく変化しつつあるようです。政治理論としてのマルクス・レーニン主義は既に凋落して久しいものですが、社会観や歴史観においては依然として影響力を保ってきました。しかし、そうした分野においても教義の影響力が大きく下がってきているということです。
昨年6月9日づけ「人種差別問題を経済的格差問題に還元するマルクス主義的言説の終焉」で私は、「経済還元論は人間に対する冒涜といっても良いもの」と述べました。人間は決して、経済環境にだけ反応する「単変数関数」ではありません。人間が人間たる証し:人間性は、もっと豊富な内容であると私は確信しています。その考えは今もまったく変わっていません。私が社会主義の道を歩むにあたってマルクス・レーニン主義ではなく、チュチェ思想を指針としているのは、こうした理由によるものです。
しかし、昨秋の米大統領選挙でのバイデン氏の勝利について「正義と価値観の勝利」などと浮かれてはしゃぎまわる手合いを見てからというもの、マルクス・レーニン主義的な見方に一定程度の再評価が必要だとも思うようになってきました。
マルクス・レーニン主義的な社会観・歴史観の特徴を今一度思い返すと、史的唯物論的な見解、すなわち人間の意識や行動、存在そのものが客観的条件・構造的制約に影響されることを強調している点が挙げられます。経済還元論の誤りは、この影響をあまりにも過大評価しているところにあったわけですが、これを逆に軽視・無視することもまた誤りです。
■「悪しき社会現象」の原因を「悪意ある悪党」のせいにする風潮の行きつく先
バイデン氏勝利に浮かれる連中を筆頭として近頃、マルクス・レーニン主義の影響力低下に伴い、個人がその価値観と意志に基づき行動を自由に決定できると提唱し、社会組織や社会システムなどが個人に与える客観的条件・構造的制約を軽視ないしは無視する風潮が強まってきています。主観観念論的な社会歴史観が再び力を盛り返してきているわけです。そして、そうであるがために、不都合な社会的問題の原因を「関係者が善人であるか悪人であるか」などに設定してしまう風潮が強まってきています。その筆頭格がリベラリズムであります。
こうした考え方は、単に事実に基づいていないだけでなく、ある立場に不本意ながらも身を置く人たちを「道徳的」に拒絶・排斥することで社会の分断を深めることなります。「悪しき社会現象」の原因が「悪意ある悪党」の所業であるのならば、相手の弁解には耳を傾けず道徳的に徹底的に非難すべきだという結論に至るのは論理的に必然だからです。
先の米大統領選挙では、4年前と同様「隠れトランプ」という人々の存在が指摘されてきました。たとえ経済政策に限定した支持であっても、「トランプ氏を支持する」と少しでも口にすれば職と友人を失い地域社会で生きていけなくなるので、普段は建前を口にしている人たちのことです。
トランプ氏は経済政策における実績をアピールポイントにしてきました。それに呼応する形で経済政策を重視する有権者を中心にトランプ氏に一票を託した人は非常に多く、最終的には7400万票がトランプ氏に投じられました。人間は、他を差し置いてもまず衣食住を満たして日常生活を営めなければなりません。経済政策は、人々の日常生活の在り方を直接的に左右する超重要テーマです。トランプ氏に一票を投じた人が7400万人もいたとなると、「トランプが人間的にはとんでもない男だというのは分かっているが、バイデン氏の経済政策じゃ生活にならないから仕方ないだろう!」という苦渋の決断を下した人は決して少なくないものと考えられます。
しかし、民主党支持者・バイデン氏支持者にとっては、平気で人種差別・女性差別的な言動を口にし、地球温暖化対策に何の手も打とうとしない「悪魔のような男」であるトランプ氏は全面的に否定されるべき人物なので、たとえ経済政策限定であっても彼を支持することなど「悪魔の手先」に他ならないでしょう。ぜひとも解雇し友人の縁を切ることで全人格的に拒絶・排斥すべき人物です。こうして「仕方なくトランプに投票した人たち」は、拒絶・排斥されてゆくわけです。
個人の価値観と意志を重視するあまり、人間の意識や行動などに与える客観的条件・構造的制約を無視し、「悪しき社会現象」の原因を「悪意ある悪党」の所業と見なすことで、ある立場に不本意ながらも身を置く人たちを「道徳的」に拒絶・排斥し、結果的に社会の分断を深める風潮は、この他にもたとえば、一昨年12月15日づけ「香港情勢における啓蒙主義的な個人主義的自由主義・リベラリズム的発想の悪しき影響」で取り上げた香港の事例が例として挙げられるでしょう。
香港での民主化運動への抑圧について、警察官個人を攻撃する「民主派」も同様に底の浅い反応を見せていました。強権化が日増しに強まる香港において警察組織の一員としての職業警察官が、すべてを投げ捨てて「正義」に走ることは容易なことではありません。当の警察官だって苦悩しながら日々の職務を遂行しているところ、「香港民主派」はあたかも「悪魔」であるかのように拒絶・排斥したわけです。実に浅はかで事実を捉えていない見方であり、警察官個人の背後に控えている香港政府はもとより、本当の「黒幕」である中国共産党は、ほくそ笑んでいることでしょう。のみならず、香港市民同士がこのように対立を深めることは、容易には治癒しない社会の分断につながるものです。
■「あいつは、私たちとは違う」という考え方に安易には飛びつかなくなるマルクス・レーニン主義的な見方
さて、「稼ぐことができなかったら彼らは食べ物を求めてモスクへ行き、テロリストとなる」という本件の表現に引き付けて考えると、「経済的困窮が一般庶民をテロリストに仕立て上げる」という描き方は、「生まれつき頭のおかしいヤツが、ついになるべくしてテロリストになった」という見方を否定し、「ごく普通の一般庶民であっても、客観的条件や構造的制約、境遇次第でテロリストになってしまうことがある」という見方を提供します。そして、こうした見方は「彼らだって好きでテロリストになったわけではない」という見方を導き出すものです。
テロ行為は許されざる所業であるだけに、殺人犯の「言い訳」など聞きたくないように、自らテロに手を染めた人物を拒絶・排斥しようとする心理的作用が働きがちです。「あんな人殺し、私たちはとまったく無縁の生まれつきの異常者に違いない!」と考えたくなるものです。しかし、「正常で善良」な心のなかにも、程度の差こそあれテロや殺人に至るような黒い心理は間違いなく存在します。その意味で「みんな同じ」なのです。
そうした事実から目を背けてはなりません。個人の価値観や意志を過剰に評価する考え方は、理解に苦しむ事件・道徳的に許されない事件であればあるほど、「あいつは、私たちとは違う」として拒絶・排斥しがちになります。
これに対して、マルクス・レーニン主義的な見方は、客観的条件・構造的制約が人間の意識や行動、存在そのものに与える影響を重視するので、理解に苦しむ事件や犯人・道徳的に許されない事件や犯人であったとしても、暮らしている環境が同一である限りは「あいつは、私たちとは違う」という考え方に安易には飛びつかないものです。個人の価値観と意志を重視する考え方が「異質性」を重視するのに対して、客観的条件・構造的制約を重視する考え方は「同質性」に着目します。その結果、「悪しき社会現象」の原因を「悪意ある悪党」の所業と即断せず、安易に相手方を拒絶・排斥しなくなり、結果的に社会の分断を深めなくなるのです。
「稼ぐことができなかったら彼らは食べ物を求めてモスクへ行き、テロリストとなる」という表現は、そもそも論理として厳密性を欠いているので人権意識がどうこう以前の問題です。しかし、テロ行為という許されざる所業に行きつくまでに、「テロリスト」たちがどのような道を歩み、彼らなりにどのように考えてきたのかを考えるキッカケを、マルクス・レーニン主義的な見方は提供します。その意味でマルクス・レーニン主義的な見方にも一定程度再評価する必要があると私は考えます。