「コロナ危機」に乗じた改憲を許すな日々垂れ流される昼間のワイドショー系情報番組をひとつひとつ追ってはいられない労働者階級としては、政府批判のトレンドを自らよく整理してくれているので、とてもありがたい記事です。批判しやすい記事です。ざっくりと4点指摘したいと思います。
5/3(月) 18:28配信
ニューズウィーク日本版
<政府コロナ危機を口実に、憲法に私権を制限する緊急事態条項を明記しようとしているが、ロックダウンは現行憲法の下でも可能だった。やる気がなかっただけだ>
新型コロナウイルス感染者数が首都圏や京阪神地域で急増していることにともない、4月26日から東京都や大阪府で三回目の緊急事態宣言が発令されている。二回目の緊急事態宣言解除後から行うとされた政府の蔓延防止政策はあっさり失敗した。今や大阪府は事実上の医療崩壊状態となり、東京都も後に続くだろうといわれている。【藤崎剛人(ブロガー、ドイツ思想史)】
<コロナ対応の失敗>
コロナ封じ込めに成功している国も多い東アジア・太平洋地域において、日本では感染者・死者数が拡大している。日本はいわゆる変異型ウイルスの上陸を許してしまっており、かなり凶悪とされるインド株も見つかっている。
新型コロナウイルスに対する政府の失策は明らかだが、GW明けに国民投票法の強行採決を予定している与党自民党はここにきて、有効なコロナ対応が打てなかった原因を、憲法に緊急事態条項が明記されていなかったことに押し付け始めた。緊急事態条項さえあれば、私権の制限を伴う強制力が高いコロナ対応ができたというのだ。
しかし、以前の記事でも触れたのだが、そもそも日本政府は緊急事態宣言を無駄打ちしている。この1年の日本政府のコロナ政策を振り返ってみても、日本政府のコロナ対応は欧米諸国と比べた時の感染者数の少なさを別としても、まったくやる気のみられないものだった。
<対策の丸投げ>
昨年春の学校の休校措置および一回目の緊急事態宣言によって、日本は新型コロナ第一波を比較的少ない被害で抑えることができた。しかし、休校措置に伴うカリキュラムの組みなおしやオンライン化についての方針決定は、すべて現場に丸投げされた。たとえば大学があのスピードでオンライン授業に移行できたのは、ひとえに現場の教員や職員の努力の賜物に他ならない。政府は何もせず、むしろ感染者数が徐々に増加し、大学でクラスターも発生しているにもかかわらず対面授業を要求して、大学の足を引っ張っている。
(中略)
<憲法改正よりもコロナ対策を>
一方で、憲法に仮に緊急事態条項が書き込まれていたとしても、補償への拒否感と利権団体への忖度によって、現行の軽い緊急事態宣言ですら出し渋る政府に、私権の制限を強く伴うロックダウン政策を使いこなせたとは思えない。二回目の緊急事態宣言は、感染者が十分減少したからではなく、聖火リレーのスケジュールに合わせて解除されたのだ。
日本政府は「不要不急の外出」をするなと言いながら、利権団体の突き上げによって、内心では人々に外出してもらいたがっている。オリンピック開催のために、現状が「非常事態」であることを認めず、なるべく危機感を強めない方向に進めたがっている。市民もそれを知っているから、緊急事態宣言下でも外出は減らない。「経済を回す」という自己欺瞞によって感染症対策は疎かにされ、政府はその欺瞞を否定しない。与党政治家自身が支援者との繋がりのため、パーティや会食をやめることができていない。
有効なコロナ政策は、法の支配を強め、オリンピック利権を含めた、利権政治をやめることからしか生まれない。改憲によって政府に強い執行権を与えることは、むしろそれに逆行することになる。強い執行権をもつ政府は、恣意的な利権分配も可能だからだ。
ワクチン接種の進展が政府の無能によって当分見込まれない中で、我々は政府や自治体の首長に対して、今一度コロナ対策への本気さを確かめなければいけない。オリンピックの中止に踏み切れるかどうかも一つの試金石だ。もしそれができないのなら、我々は生き残るために、政権担当者を入れ替えるしかないだろう。
第一に、具体的な実現可能性を踏まえたビジョン、段取りレベルの政府批判でないことです。
「やる気がなかっただけだ」と連呼している筆者の藤崎剛人氏ですが、日本において強力な措置を現実的に取り得たのかという分析、「事実から出発する」ことを貫徹した分析はいっさい見られません。当ブログでも繰り返し指摘してきた昨今の「お気楽政府批判」の典型例というべきものです。
第二に、中央集権的計画経済の発想に染まっている点です。
藤崎氏は「休校措置に伴うカリキュラムの組みなおしやオンライン化についての方針決定は、すべて現場に丸投げされた」ともいいます。国が、霞が関の官僚が、全国津々浦々の個別的な段取りにまで口出しをすべきだったのでしょうか? まさしくソ連顔負けの中央集権的計画経済の発想です。
もちろん、一人一律10万円給付金や持続化給付金、医療従事者慰労金といった「補助金行政」的な振り込みが大幅に遅れたのは事実です。分権的な自由経済においては、機動的な補助金支給が必要なので、この不手際は批判されて然るべきです。しかし上述のとおり、国津々浦々の個別的な段取りにまで中央官僚の口出しを要求するような言説は、不適当いうべきでしょう。
第三に、陰謀論的発想についてです。
藤崎氏は「利権団体への忖度」についても言及しています。ならば、その黒幕の暴露と吊るし上げにまで斬り込むのが批判者の勤めではないのでしょうか? 「利権団体」の連中が具体的にどのように暗躍して政策形成を歪めてきたのか証明せずに、漠然と抽象的に「利権団体への忖度」を指摘するのは、思い通りにいかない不都合な事実の展開を「陰謀」のせいにする「Qアノン」の発想といったい何が違うのでしょうか?
そして最後。青臭い革命至上主義というべき政治観についてです。
「政権担当者を入れ替えるしかないだろう」――そうしたところで、新しい政権担当者はいままでの「しがらみ」から完全にフリーだとでも言うのでしょうか? 世の中の複雑性、利権関係の根深さをまったく理解していないようです。
2年目春における新型コロナウィルス禍を巡って炙り出された世相はこのような具合であります。