2021年05月23日

自力更生・自力自強が欠け、苦手から逃げ他人に代行してもらうことが社会的に許容される国・ニッポン

https://news.yahoo.co.jp/articles/82bbaccb4198ca8339199a98cb4c5e8d7fd16481
“不慣れ”高齢者のワクチン代行予約 埼玉・松伏町
5/19(水) 15:26配信

テレビ朝日系(ANN)

 新型コロナワクチンを巡ってインターネットでの予約が不慣れな高齢者のために埼玉県松伏町で高齢者への代行予約が始まりました。

 松伏町では19日朝からワクチンの代行予約が始まり、多くの高齢者が訪れました。

 町などによりますと、65歳以上の高齢者で、予約の電話が窓口につながらない人やスマートフォンを持っていない人などを対象に役場や社会福祉協議会の職員が代行します。

(以下略)
「高齢者は不慣れ」とはいえ、最期まで自己の運命の主人として生きるのが人間たる証しであり、「代行」はそれを損ねるものです。また、「操作サポート」ではなく「昭和的な窓口・電話での対応」では社会のIT化は進みません「遅れれば技術の奴隷」(≪돌파하라 최첨단을≫)どころか「技術から疎外」されることになります。

代行は善意・優しさであるように見えて、実は、自主性が生命である人間性を損ねる結果に繋がります。もちろん、新技術の習得には時間がかかるものです。それゆえ、過渡期的に昭和的な方法の併用も必要ですが、あくまでも新技術習得、少なくともメモを取る為の操作サポートに主眼を置くべきでしょう。仮に他人からの支援を受けることがあっても、あくまでも自力を基礎として自己の運命問題を開拓することこそが人間が人間たる証しなのです。

「老い先が短い老人に教育するのは非効率」という指摘もあるでしょうが、平均寿命が延びている現状においては、そうは言えないでしょう。だいたい「覚えられないからメモを取る」のが老若男女問わず基本的姿勢であるはず。難しくとも諦めず、自力自強を実現する新方法を編み出す事が当人のためであり社会のためでもあるのです。安易に代行することはその場しのぎの術であります。

最近は若い世代も「自分に必要」なスキル以上は習得したがらない(スマホ依存でPC使いこなせないらしいよ)から、もしかするとITリテラシーの問題は今後もっと深刻化するかも知れません。ますます、効率的で万人に通用する操作サポート方法を開発する必要があるとい得ます。

もっとも、ワクチン接種の遅れを非難されたくない、事なかれ主義の役人たちが、文句を言われる確率の高い「操作サポート」に積極的に取り組むとは思えません。その点で、上述の事業を進める主体は現代日本ではなかなか現れにくいのも事実でしょう。

ところで、新技術への無知とその習熟への無意欲;苦手から逃げて自分の現在水準から成長しないことが社会的に許容されていています。自力更生・自力自強が欠けているのです。本件に限らず往々にして「分からないなら教えるから覚えて」というと「無理」と拒絶したり、甚だしくは「不親切」「弱者切り捨て」扱いになるのが現代日本であります。記憶できないならメモ取ろうよ。

「自分は文系だから」といって理系科目を学ぼうともしない高校生は少なくありませんが、「自分は文系だから」の言い訳がカリキュラム的に(主に大学入試科目的に)許されてしまうあたりから、苦手から逃げること;無知と無意欲の自己正当化が始まるように思います。同時に、「甘やかし」と「優しさ」が混同されがちな現代日本ですが、この結果、単に自分から苦手から逃げ出すことが正当化されるだけでなく、他人が苦手から逃げているのを許すことまでもが積極的に是認されるされるようになるのではないかと考えます。そしてそれゆえに、その対極にある自力更生・自力自強を求めることが「不親切」や「弱者切り捨て」扱いになるのではないでしょうか?

たしかに苦手克服のための努力は厳しく辛いものではあります。しかしそれから逃げることが果たして「優しさ」なのでしょうか? 甚だ疑問ですが、近視眼的な「優しさ」;目先の安穏を提供することこそが「優しさの証し」などと考えるの感性の持ち主にとっては、一種の「甘やかし」というべき対応が「優しさ」になるのでしょうね。

この社会が最近は「脱成長」と言い始ました。恐ろしいことになりそうです。
posted by 管理者 at 20:03| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
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