2021年05月29日

日本人ほど合理主義的設計主義・計画経済主義が国民性的に合う国は珍しい・・・精神のペレストロイカはいつになることやら

https://news.yahoo.co.jp/articles/276f6046f96f5af371d1f7e048d8ef8e7d927095
余ったワクチンは自ら接種します…公表した43歳市長「責任者として業務遂行のため」
5/28(金) 17:48配信
読売新聞オンライン

 新型コロナウイルスワクチンの集団接種会場で出た余剰ワクチンについて、兵庫県川西市の越田謙治郎市長(43)は27日、自身も投与を受ける考えを明らかにした。感染リスク低減により、「市全体の責任者として業務を遂行するため」と説明。急なキャンセルなどによる余剰分の使途に各自治体が腐心する中、注目を集めそうだ。
(中略)
 余剰分は、市内2会場で1日最大10人分と想定し、越田市長は「市民への接種も考えたが、当日にならないと余りが出るか分からない」と強調。自身は優先的な接種の進む高齢者ではないが、基準を明確にした上で、市のトップとして投与を受ける考えを示した。

 ワクチンの接種を巡っては、優先接種の医療従事者用が余った際、各地の首長が注射を受けていたことが相次いで発覚し、住民に対して説明不足だなどと批判が噴出していた。
実に日本的な発想。予約客が来ないのは「予定外の事態」に他ならないのに、予定外の事態の発生について「現場判断による柔軟な対応に理解を求める」のではなく「事前に基準を明確に示す」で対応したわけです。

事前に緻密な計画を立案してその計画どおりに実施することが「正しいこと」であり、そのようにできる人が「優秀な人」とされる日本。例外的事態への備えが「現場が臨機応変に対応できるように行動の自由を付与する」ことではなく「さらに緻密に事前計画を立てること」として捉えられている日本。そうした日本的発想の結晶というべき対応と言う他ありません。

4月18日づけ「ワクチン接種の混乱が斯くも問題になるのは、「事前の緻密な計画」及び「計画の忠実な執行」にこだわる日本の教育制度・受験制度・就活慣習のため」でも触れましたが、日本人ほど合理主義的設計主義・計画経済主義が国民性的に合う国は珍しいかもしれません。日本人が見下す「北朝鮮」でさえ計画経済の不可能性が公式に認められ、社会主義企業責任管理制や圃田担当責任制の導入よって現場の臨機応変の対応が認められるようになったというのに・・・

もちろん、奇形的に肥大化した消費者意識によって「ないものねだり」や「口を開けた雛鳥」と化した一億総クレーマーと化した日本人の要求を、合理主義的設計主義・計画経済主義が満たせるはずがありません。強大な生産力と市場経済の豊かさを知らず、また割と忍耐力が強かったソ連人もついには計画経済に耐えきれませんでした。日本人がソ連人ほどの忍耐力があるとは到底思えません。

しかし、子どものころから刷り込まれた「正しさ」から脱却することは容易ではありません。合理主義的設計主義・計画経済主義には現実的なオペレーション可能性のない「夢想」とはいえ、それを受け容れる心の準備が整うのには、勇気と時間を要します。いましばらく、要求と現実との間の葛藤が続くでしょう・・・精神のペレストロイカはいつになることやら
posted by 管理者 at 20:12| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
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