ロシアとウクライナとの最近の緊張関係について、日本にとってロシアは「敵性国家」ということになっているはずなのに、ロシア側の事情を踏まえた意見が散見されます。曰く「ロシアがウクライナに手を出そうとするのも、分からなくはない」という空気が醸成されています。「歴史的ロシア」なる理屈を持ち出し、「自衛」を口実としたドサクサ紛れの拡張主義に見えなくもないロシアの行動があまり強くは叩かれていないのです。
中国の海洋進出が強くたたかれていることとの対比、及び、究極的には社会主義体制の存続のみが目的でありドサクサ紛れの拡張主義的動機が限りなくゼロに近いと言いうる共和国のミサイル発射が激しく叩かれていることと対比すると、異様であるとさえいます。
普段、中朝露でひとくくりに「レッドチーム」などと呼ばれ、その言い分にはまったく耳を貸してもらえないロシア。国家間の利害対立の構図ではなく「善であり正義である日米豪欧vs邪であり悪である中朝露」といった西部劇的な構図の悪党方として位置付けられているロシア。いったいどういう風の吹き回しなのでしょうか?
それだけ親ロ派がメディア工作・世論工作を積極的に展開して成功させているということでしょうか? 昔から日本のマスメディアには親ソ・親ロ派が根を張っているとは言いますが、幾ら何でもここまで露骨に親ロ的プロパガンダを流すことはではないでしょう。そんなことをすればアメリカが「正規ルート」で対抗的プロパガンダを打ってくるはず。日本はアメリカの「緊密な同盟国」なのだから。
■アメリカは自然発生的な「宥和」的世論を敢えて「泳がせてきた」?
アメリカは内心ではロシアが先に手を出すことを期待している、あるいは、そうせざるを得ないように追い込んでいるのではないでしょうか?
「ロシアがウクライナに手を出そうとするのも、分からなくはない」というロシア側の事情を踏まえた見方は、アメリカが本気でロシアのウクライナ侵攻を阻止したいと考えているならば、決して許してはならない言説です。古今東西、この手の「宥和」的な国内世論が、侵略戦争を始めたがっている国の指導者に「いけるんじゃないか」とか「始めてもそんなに反発を受けないんじゃないか」と思わしめ、実際に開戦に繋がってきました。
他方、侵略に対して本気で受けて立つ、徹底的に対抗するつもりの国は、このような「宥和」的な国内世論を許さず、毅然とした内容のプロパガンダを流布させるものです。特にアメリカの戦時プロパガンダはいつも非常に単純な正邪善悪がハッキリとした西部劇的な構図化から始まります。「相手にも一理ある」はアメリカ的ではありません。そしてこの構図化は、日本などの同盟国にも共有を強く求められるものであります。9・11報復やイラク戦争がそうだったように。
イラクの大量破壊兵器はついに発見されませんでしたが、イランやイスラエルに挟まれたサダム・フセイン氏が大量破壊兵器を夢想したとしても「分からなくはない」ものでした。しかし、そのような意見はアメリカが本気でイラクと一線を交えようとしていた当時は許されない意見でした。
アメリカは自然発生的な「宥和」的世論を敢えて「泳がせてきた」ように思われます。その上、バイデン大統領は先に「「小規模な侵攻」であれば、全面侵略の場合に比べて対応は軽いものになるだろうと示唆した」といいます(「バイデン氏、ロシアのウクライナ「侵入」を予測 「小規模侵攻」なら対応議論も」1/20(木) 11:27配信 CNN.co.jp)。当のウクライナからの抗議を受けて軌道修正し、それ自体は失言として処理されましたが、もしかすると失言ではなくわざと、アチソン・ライン発言のようなものを口にすることで「いけるんじゃないか」とか「ウクライナに侵攻を始めても、それほど反発を受けないんじゃないか」とロシアに錯覚させる謀略だったのではないでしょうか? そのように考えることも可能でしょう。
■アメリカによるフレーミングにより事態がチキンレース化しつつある
しかし、ロシアのプーチン大統領は待てど暮らせどウクライナに侵攻しようとしません。ロシアメディアは「NATO軍は何年も取り組んできた計画を実行しようとしている。ロシアを封じ込め、プーチン大統領を倒し、ロシアのエネルギー資源を乗っ取る計画」を映し出しているといいます(「ウクライナへの侵攻恐れる西側、ロシアのテレビに映るのは別の世界」1/26(水) 14:30配信 CNN.co.jp)。「現代のアチソン・ライン発言」と言っても過言ではないバイデン大統領発言でも動かなかったロシア。情勢を錯覚して先制侵攻しそうにありません。
ここ1週間ほど、今度は今にも戦争が始まるかのような報道が立て続けに出てくるようになってきました。たとえば、アメリカのオースティン国防長官は「ウクライナ国境周辺に集結した10万人規模のロシア軍は「複数の都市や大規模な領土を奪取可能だ」と述べ、プーチン大統領の決断で侵攻が可能な状態だとの認識を示した」といいます(米長官、ロシア軍は侵攻準備完了 「都市の奪取可能」」1/29(土) 7:06配信 共同通信)。ロシア軍がウクライナ国境に大軍を集結させたことを「先制侵略準備」と決めつけた上で、今にも戦争が始まるかのように危機感が煽られています。アメリカによって。
当のロシア自身は一貫して「NATOはこれ以上東進するな、ウクライナのNATO加盟を許すな」と繰り返すにとどめています。それどころか、ウクライナ政府でさえ、たとえばレズニコフ国防相は「現時点でロシア軍は侵攻を実行できるような攻撃部隊を編成していない」と述べている(「ウクライナ国防相、ロシアによる侵攻のリスクは深刻視せず1/26(水) 0:18配信 Bloomberg)し、ゼレンスキー大統領は「尊敬される複数の国家指導者でさえ、明日にも戦争になると言ってくる。これはパニックだ」と言っています(「ウクライナ大統領、西側諸国は「パニックを作り出すな」 ロシアとの緊張めぐり」1/29(土) 13:44配信 BBC News)。アメリカが一人で勝手に盛り上がって、キエフから外交官の家族を退避させるなど画面映えすることを演出しているわけです。
アメリカによるフレーミングにより事態がチキンレース化しつつあります。「宥和」政策という釣りエサにはプーチン・ロシア大統領が食いつかなかったので、今度は危機感を極限化してチキンレースの様相にコトを持って行こうとしているのでしょうか? 危機を煽ってロシアが振り上げた拳の下ろしどころに困らせているように思われます。開戦に追い込むか、あるいは、「プーチンは日和った弱腰」にさせようとしているのでしょう。
■ウクライナ国境に展開しているロシア軍部隊は先制侵攻用か?――もとより防御と攻撃は表裏一体のもの
ところで、ウクライナ国境に展開しているロシア軍部隊の存在そのものを以って直ちに先制侵攻準備完了とは言えないでしょう。ウクライナが本当にNATOに加盟してしまったら、モスクワ攻略の要衝をNATOが手中に収めることになるのだから、ロシア軍が対抗して軍部隊を展開するのはある意味当然の成り行きでしょう。
第二次世界大戦の独ソ戦においてナチス・ドイツは軍集団を3つに分けて、バルト3国経由でレニングラードを目指す北方軍集団、ベラルーシを経由してモスクワを目指す中央軍集団、そしてウクライナを経由してモスクワを目指す南方軍集団を設置しました。既にバルト3国はNATOの手に落ちています。ウクライナを取られるとロシアの心臓部が危ういのです。
ウクライナを出撃基地とするNATO軍を想定し、その進撃路を阻むように対抗的にロシア軍を配置し、さらに「敵基地攻撃能力」を確保しておく・・・たしかにウクライナ国境に展開していると「される」ロシア軍部隊は、アメリカなどが主張するように先制侵攻にも使えるものですが、モスクワ防衛及び反撃にも使えるものです。もとより防御と攻撃は表裏一体のものです。ウクライナ国境にロシア軍が展開しているからと言って、それだけでは先制侵攻準備であるとは必ずしも言い切れないでしょう。
■先制侵攻によるロシアの利益とは?
ロシアがウクライナに先制侵攻したとして、ロシアにとってどのような戦略的目標が達成され得るのかということも考える必要があります。換言すれば、ロシアの国益達成のために先制侵攻は必要不可欠なのかということです。戦争とは政治であり、そして目標達成の見込みがあるときだけ武器を取るものです。
武力でゼレンスキー政権を打倒して親ロ政権を樹立するのでしょうか? チェコ事件でさえ相手国の親ソ派に「介入要請」をさせ、形の上では「軍事介入」の体裁を取りました。つい先日、イギリス政府が親ロ派の面々を暴露したところです。今のウクライナに、「介入要請」を出すという「大役」を演じる役者は残っているでしょうか?
ウクライナを併合してロシアが直接統治するのでしょうか? NATOの東進を嫌がるロシアがウクライナ全土を併合して自ら西進してNATOに近づいてゆくでしょうか?
クリミアのようにその地域が丸ごと軍事的価値のある軍事基地のような場所であれば、併合して直接統治した方が良いかもしれませんが、ウクライナ全土はロシアにとって負担になるだけでしょう。ウクライナ防衛のために更にその外側に緩衝地帯が必要になってしまいます。ソビエト連邦はポーランドと東ドイツを緩衝地帯にしましたが、今やどちらもNATO加盟国です。また、東ウクライナはロシア系が多く親ロ的な素地がありますが、西ウクライナにはまったくそのような風土はありません。むしろポーランドとの歴史的つながりが強いので、プーチン大統領が言う「歴史的ロシア」のロジックは通じにくいものと思われます。そのような厄介な地域を含むウクライナ全土を併合するでしょうか?
ロシアの利益が見えてきません。
■「いま、この出来事によって誰がどのように得をするのか」という主体的な理解が必要
ゼレンスキー・ウクライナ大統領の苦言をよそに今後もアメリカは危機を煽り続けることでしょう。「宥和」政策という釣りエサにはプーチン・ロシア大統領が食いつかなかった以上、危機感を極限化してチキンレースの様相にコトを持って行こうとするでしょう。アメリカにとってロシアが暴発するもよし、プーチン大統領が腰抜け扱いされるもよしです。
戦争は政治です。「いま、この出来事によって誰がどのように得をするのか」という主体的な理解が必要です。
ラベル:国際「秩序」