2022年02月12日

現代資本主義社会を主体的に乗り越えるためには究極的には人生観問題に取り組む必要がある

https://news.yahoo.co.jp/articles/e5552b6e687984e338674910e2dbe35a855ce50e
ヒカル、YouTubeバカにした芸人に激怒「お前が30年かけて稼ぐ金を2年で稼いでる、なめんなよ!」
2/6(日) 15:19配信
スポニチアネックス

 ユーチューバー・ヒカル(30)が4日に自身の公式チャンネルを更新し、YouTubeをバカにした中堅芸人に怒りをぶちまける場面があった。

(中略)
 ヒカル曰く、その人物は「結局、ユーチューバーは芸能人の真似事で落ちこぼれ」「うちの世界にはダウンタウンさんがいるから」「YouTubeなんて、もう2〜3年で終わるからね。今のうちに稼いでいた方がいいよ」などと、言いたい放題。

 「とにかくこっちを下に見てくるわけよ。40くらいのヤツでさ、ボコボコにしたろかなと思ったわ。ハッキリ言っとくけど、お前が俺に勝ってるところ、一つもないからな。そいつは中途半端に売れていて、中堅芸人の真ん中のちょっと下くらいのヤツでさ。空気を悪くするだけして、会計も払わずに帰って行ったもんな。ホンマにダサすぎるわ。言っとくけど、お前が30年かけて稼ぐ金をこっちは2〜3年で稼いでるからな、なめんなよ!」と、怒りをぶちまけた。

(以下略)
物差しそこ? かつてキム・ジョンイル総書記は『社会主義は科学である』において次のように指摘されました。
人間にとって最も大切な生命は社会的・政治的生命なのであるから、人間の誉れ高い生き方は社会的・政治的生命を持し、それを輝かしながら生きることである。(中略)それゆえ、人間の生が価値あるものかどうかは、人間が社会的集団とどう結合するかにかかっている。人間の生は社会的集団に愛され信頼されれば価値あるものとなり、社会的集団から見捨てられれば価値のないものとなる。(中略)人民大衆の誉れ高い幸せな生活において本質的内容をなすのは、社会的集団の愛情と信頼のもとで社会的・政治的生命を輝かし、尊厳ある生を営むことである。
ヒカルさんを「ユーチューバーは芸能人の真似事で落ちこぼれ」などとバカにした「中堅芸人」が失礼で頭にくるのは分かりますが、それに対する言い返しが「お前が30年かけて稼ぐ金をこっちは2〜3年で稼いでるからな」って・・・僭越ながら「底が浅い者同士の口喧嘩」にしか見えません・・・私には、金銭を伴う成功以上に人間には大切な軸があるように思えてなりません・・・

まさに人生観問題。チュチェ思想は豊かな世界観、社会歴史観そして革命観をもつ思想ですが、人生観についても豊かな言及があります。むしろ、その人生観を実現するために革命観を構成し、それを支えるのが世界観及び社会歴史観であると言ってもよいでしょう。人間は一定の人生観を標榜し、それを満足させるために自己の運命開拓に取り組みます。キム・ジョンイル総書記は『チュチェ思想教育における若干の問題について』で次のように指摘されています。
哲学的世界観の根本的使命は、人間の運命開拓の道を解明することにあります。人間のあらゆる認識活動と実践活動の究極の目的は、人間の運命を開拓することにあります。哲学の目的と使命も、この例外とはなりえません。人間が世界の本質はなんであるかを知ろうとするのも、それ自体に目的があるのではなく、つまるところ人間の運命開拓の道を知ろうとするところにあります。

人生観問題についてキム・ジョンイル総書記は『チュチェの革命観を確立するために』において次のように指摘されています。
人生観は個人主義的人生観と集団主義的人生観に大別されます。個人主義的人生観が個人の安逸と享楽を最高の目的とする人生観であるなら、集団主義的人生観は、自己の運命を集団の運命と結びつけ、集団のためのたたかいに真の生きがいと幸福を求める人生観です。(中略)もし、人間がたんに自分自身の安楽のために生きて一生を終えるならば、残るものはなにもなく、そのような一生はなんのかいもない無意味なものとしかいえません。人生が生きがいのあるものとなるには、永遠に生きつづける集団のために寄与するところがあり、残るものがなくてはなりません。
もちろん、資本主義社会において「稼ぐ」ということはそれだけ「評価されている」ということです。「お前よりよっぽどエンターテイナーとして成功している」という意味であればヒカルさんの言い分は理解できないこともない言い分ですが、「一過性の消費物」として売れているだけと言う可能性もあります(一発屋的であっても売れるだけ凄いとは思いますけどね)。

ヒカルさんの発言には反発が相次いだようです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ea1ab512657b266250dd783eab0f10a141c94dc6?page=2
なぜ?ヒカル「ユーチューバー馬鹿にした」芸人に激怒も批判殺到の事態〈dot.〉
2/8(火) 13:00配信
AERA dot.

(中略)
 だが、この動画が配信されると思わぬ事態に。ネット上では、「金持ちケンカせずとは本当によく言ったものです。なぜそのイライラをわざわざみんなに公表しなければならないのか?そんなこと普通に社会にいたら味わうことだよね」。「バカにされた悔しさは本人しかわからないものだけど、収入で人間の勝ち負けの話になると残念。芸能人だろうが、ユーチューバーだろうが年収が高かろうが、安かろうが人の価値はそんなもので決まらない。収入で勝ち負けを覚えてしまうと自分の間違いがあっても、勝ち組としての発言、人になってしまうので気をつけてほしい」などヒカルに批判が殺到する事態となった。
(以下略)
ユーチューバーだろうが年収が高かろうが、安かろうが人の価値はそんなもので決まらない」という指摘は私もそのとおりだと思いますが、ヒカルさんを弁護するならば、彼がこのように考えるに至るのも仕方ないように思います。キム・ジョンイル総書記は『社会主義は科学である』において、次のように指摘されているからです。
人間の人格的価値が交換価値にかえられ、それが金銭と財物によって評価される資本主義社会では、人民大衆への愛情と信頼について論ずることはできない

もちろん、人生観問題に遡って評価問題を考えたとき、私は、金銭を物差しにすることで人間の価値を評価する考え方に違和感を感じるところです。しかし、現代資本主義が彼をしてそうさせていると考えることもできるでしょう。

さて、人生観問題はあまりにも大風呂敷な課題設定ですが、上述のとおりチュチェ思想を論じるうえでは決して避けては通れない課題です。以前から私は社会政治的生命体論について折に触れて言及してきましたが、社会政治的生命体論は人生観問題と深く関連しています。小出し的に人生観問題について言及してきたわけです。

ヒカルさんの一件は決して例外的な事象ではなく、現代資本主義社会を象徴するものであると私は見ています。現代資本主義社会を主体的に乗り越えるためには究極的には人生観問題に取り組む必要があるということです。今後も更にこの点について探究を深めなければならないなと思いを新たにしました。
posted by 管理者 at 21:44| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。