2022年03月13日

最悪の場合「ベルリン市街戦」に至る日本世論、歴史に学んでいるように見えて経験に学ぶ愚者たる日本世論

ロシアのウクライナ侵攻が重大局面を迎えています。戦況はキエフ攻略秒読み、停戦交渉は難航しています。

この状況を受けて近頃は日本でも「停戦」がキーワードになっていますが、元大阪市長で弁護士、コメンテーターの橋下徹氏と、アパグループの論文コンクールでキャリアをスタートさせたアンドリー・グレンコ氏との議論(3月3日〜4日)が特に注目を集めました。今繰り広げられている「停戦」をめぐる日本世論は、多かれ少なかれこの論争を下敷きにしていると言えます。とりわけ、ウクライナを勝手に「民主主義の防波堤」に任命し、人類史的な役割を押し付け、ウクライナに徹底抗戦を期待する言説は、グレンコ氏の発言を拠り所にしてる感があります。

本稿では、これがいかにデタラメな主張であるかを考えてゆきたいと思います。

■一面的な徹底抗戦で凝り固まっており、非戦闘員の犠牲抑制がお座なりになっている
議論の概要は「橋下徹氏 ウクライナ出身の政治学者と大激論「どんどん国外退避したらいい」に「1度支配されたら」」(3/3(木) 12:35配信 スポニチアネックス)及び「ウクライナ出身の政治学者グレンコ氏 橋下氏との討論振り返り「誤解のないように言っときますけど…」」(3/4(金) 11:47配信 スポニチアネックス)に詳しいので、本稿ではこれを軸として以下述べてまいります。

両氏の発言を抜粋し整理してみましょう。まず橋下氏の発言を抜粋します。
祖国防衛のために命を落とすということが一択になるってことは、僕は違うと思う(中略)命を懸けて戦っていることには本当に敬意を表しますけれども、本当にそれだけなのか
戦況が有利になれば、交渉が有利になるって言うんだけれども、その間にどれだけのウクライナの人たちが命を失うのか。日本がかつて太平洋戦争でそういう時があった
命を懸けて戦う人はそれはそれで頑張ってもらいたいけれども、(中略)国外退避もそれは1つの選択肢としてある
本当に反ロシアで頑張っていた人、命を狙われる人、それを真っ先にまず国外退避するとか。祖国防衛のために命を落とすってことは、これは本当に尊いことですけれども、それ一択じゃないというのは、われわれ日本が太平洋戦争を経験している

次にグレンコ氏の発言を抜粋します。
国外退避させないからといって全員が兵的に戦争に行かされるわけではない(中略)例えばマンションが爆破された時に撤去や救援の活動だったり運搬だったり、いろんなサポートが必要(中略)この状況で。別にみんなが戦いに行くわけではありません
ロシアに支配されたら必ず殺戮が起こります。それはロシアという国の本質
330年間ずっとロシアの支配が続いたので、また同じことになるとそれこそ民族にとって悲惨なことになるので、ここで自由民主主義諸国にできる範囲で頑張ってもらって、なんとかここで食い止める必要がある(中略)エネルギー制裁を含めて最大限の制裁を科してウクライナに対して最大限に武器を提供したら、かなり食い止められる
まだ戦えるから戦っているという状態で、もし本当にどうしようもなくなってこれ以上の抵抗は犠牲が増えるだけで戦果につながる見込みが全くない場合は、苦しい判断をしなければならない場面も出て来るんですが、その時は(停戦等を――注釈)もちろん排除しない」(3月4日の補足発言)
ただ現時点で少なくとも食い止められているし、またロシアに対する世界の目が厳しいわけです(中略)誰も国民の総玉砕を目指しているわけではありません。このあたりはご理解いただきたいです」(3月4日の補足発言)

上掲の橋下・グレンコ論争におけるグレンコ氏の発言は次の2点に要約できるでしょう。
(1)ウクライナ政府の命令で18歳から60歳までの男性国民が国外退避できないからといって、戦闘員として強制的に武器を持たされているわけではなく、あくまでも非戦闘員としてガレキ処理等に従事するものである。
(2)いまはまだ戦い続けられる状況だから戦っているが、これ以上の抵抗は犠牲が増えるだけで戦果につながる見込みがまったくない場合は、戦いをやめることも苦渋の選択としてありうる。


一つずつ吟味してゆきましょう。まず(1)についですが、橋下氏の懸念・疑念が確信に変わったといってよいでしょう。グレンコ氏は「例えばマンションが爆破された時に撤去や救援の活動だったり運搬だったり、いろんなサポートが必要」と言いますが、ミサイル攻撃や空爆等で破壊され、いつまたミサイル攻撃や空爆があるか分からないような危険な場所に投入するために民間人を足止めすること自体を橋下氏は懸念しているわけです。武器を持たせて前線に立たせるだけが戦争ではありません。

太平洋戦争中、日本では防空法及び内務大臣の通牒により空襲時の国民退避が全面的に禁止されました。たとえば青森大空襲(昭和20年7月28日深夜)では、青森県知事が防空法を根拠に市民の自主避難を禁じ、青森市も自主避難者を配給台帳から抹消すると発表したため、市民らは避難できず、自主避難していた市民も帰宅せざるを得なくなり、まんまと米軍の焼夷弾の餌食になってしまいました。橋下氏は太平洋戦争を引き合いに出しています

橋下氏は「命を懸けて戦う人はそれはそれで頑張ってもらいたい」と言明しているとおり「戦うな」と言っているわけではありません。「それだけなのか」と言っているわけです。週明け7日の放送で「戦う一択ってことになると、住民避難がおろそかになってしまう」と述べている(「橋下徹氏 ウクライナからの避難に「国を捨てることでも何でもない。まずは一時避難なんだってことを」」3/7(月) 10:19配信 スポニチアネックス)とおり、抗戦一辺倒ではなくて非戦闘員・住民避難を並行して推し進めるべきだと述べているに過ぎないのです。

グレンコ氏及び彼の発言を拠り所にしている人たちは、この疑問に対して回答できていません。一面的な徹底抗戦で凝り固まっています。市民を無理やり戦わせていない点において「ベルリン市街戦」とは違うと言えるかもしれませんが、戦況を見誤ることで市民の避難が遅れて「スターリングラード攻防戦」のような事態に陥る危険性は十分にあります。それどころかグレンコ氏は「330年間ずっとロシアの支配が続いたので、また同じことになるとそれこそ民族にとって悲惨なことになる」などと述べてしまいました。「非戦闘員」という具体的なものではなく「民族」という概念的なものを持ち出してしまいました。さすがアパ学者、語るに落ちるとはこのことです。まさに橋下氏が懸念しているとおりの反応を見せているわけです。

■最悪でも「スターリングラード攻防戦」に留まるグレンコ論、最悪の場合「ベルリン市街戦」に至る日本世論
次に(2)についてですが、これは情勢判断が少し違うだけで実は両者の同じスタンスであるといえるものです。3月4日の補足発言でグレンコ氏は、まだ戦えるから戦っているという状態で、もし本当にどうしようもなくなってこれ以上の抵抗は犠牲が増えるだけで戦果につながる見込みが全くない場合は、苦しい判断をしなければならない場面も出て来るんですが、その時は(停戦等を――注釈)もちろん排除しない」と言明しています。

しかしながら、これが早稲田大学教授の有馬哲夫氏にかかると「橋下徹や玉川徹には理解不能…ウクライナ人が無条件降伏は絶対しない理由」(3/12(土) 6:02配信 デイリー新潮)で論じられているように捻じ曲げられてしまうようです。

有馬氏は、3ページ目の「誤った歴史認識」節以降、ダラダラと太平洋戦争末期について語っていますが、橋下氏らが議題の中心に据えている「非戦闘員の退避」とはまったく何の関係もなく、橋下氏らに対する反論になっていません。また、有馬氏は「(大戦末期の)決死の戦いがアメリカ将兵の死傷率を高め、それが「国体護持」の条件付き降伏案を引き出した」といいますが、硫黄島や沖縄戦といった日本軍の必死の抵抗がすべて終わった後に出されたポツダム宣言をおとなしく受諾しておけば、ヒロシマ・ナガサキはなかったはず。戦い抜けばよいというわけではないのです。その点、グレンコ氏が3月4日に補足的に「もし本当にどうしようもなくなってこれ以上の抵抗は犠牲が増えるだけで戦果につながる見込みが全くない場合は、苦しい判断をしなければならない場面も出て来る」と述べましたが、有馬氏の言い分にはそれに対応しているとみられる部分は見当たりません(この点、昭和天皇の聖断はまさに大英断だった言えますね)。有馬氏は「今ウクライナ人は、リトアニアではなくフィンランドがした選択をしている」といいますが、冬戦争においてフィンランドはマンネルヘイム線を突破されたあたりで損害に耐え難くなり(もちろんソ連も耐え難くなっていた)、停戦協定の締結に達しました。フィンランドは日帝のような「徹底抗戦」主義ではなかったわけです。

まさに、橋下氏らが懸念する「戦う一択ってことになると、住民避難がおろそかになってしまう」を有馬氏は期せずして確信に変えたわけです。「亡国の民の心情を想像せよ」などと檄を飛ばす有馬氏ですが、日帝が果たせなかったヒロイズム・ロマンチシズムを勝手にウクライナに投影して悦に入っているという他ないでしょう。

このほか、ロシアの軍事・安全保障政策を専門とする小泉悠氏の発言はより明確に危険な発想が現れています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/9a7b51f8dbb70c05d619a12e1bd1efbb581191b0
玉川徹氏が持論「ウクライナが引く以外にない」早期に降伏すべきと発言
3/4(金) 11:16配信
デイリースポーツ

(中略)
 玉川氏は太平洋戦争を例に挙げ、日本が「もっと早く降伏すれば、例えば、沖縄戦とか広島、長崎の犠牲もなかったんじゃないかと思います」と述べた。

 これに対して、東京大学先端科学技術研究センター専任講師の小泉悠氏は「日本の場合、自分から戦争を始めて、アメリカにものすごい反撃を食らったという事例ですよね。今回、ウクライナには何の非もないのに、ロシア側から侵攻された。早く降伏すべきだというのは道義的に問題のある議論」と日本とウクライナの置かれた立場の違いを指摘した。

(以下略)
前述のとおり、グレンコ氏のスタンスでは、ベルリン攻防戦のように一般市民にも武器を持たせることはないにしても、戦況を見誤ることで市民の避難が遅れてスターリングラード攻防戦のような事態に陥る危険性は十分にあります。それに対して、小泉氏の発言のとおりにしてしまうと、これはベルリン市街戦以外には道はなくなってしまいます

グレンコ氏の徹底抗戦と、有馬氏・小泉氏の徹底抗戦とは天と地ほどの違いがあります。前者は最悪でも「スターリングラード攻防戦」に留まるものの、後者は最悪では「ベルリン市街戦」に至ってしまうわけです。これを平和ボケと言わずしてなんというのでしょうか? まさに橋下氏らが批判する発想そのものであります。

大義や筋論などの抽象的なものを優先して生身の人間の生活を軽視する危険な発想、徹底抗戦=ベルリン市街戦のような凝り固まった危険な発想が、大手を振っています。

■歴史に学んでいるように見えて経験に学んでいる愚者
ところで、グレンコ氏をはじめとする「徹底抗戦」派は、程度と表現の差こそあれ、ウクライナがロシアに「降伏」すると、必ず粛清・殺戮が起こると述べています(橋下氏らは決して「降伏」を勧めているわけではなく、現時点ではあくまでも「非戦闘員の退避」に過ぎないのですけどね。。。このあたりも、「凝り固まっている」ことの証左でしょう)。たとえばグレンコ氏は上掲記事で次のようにのべました。
もしここでロシアに全土を占領されたら結局、犠牲者が増えるだけなんです。ロシアは必ず粛清を始めます。ウクライナで反ロシア的な発信をしていた人は何万人どころか何十万人いるんですね。制圧されたら殺戮が始まります。そう考えると戦って食い止める方が最終的に犠牲は少なく済む可能性があるので、ここで世界(各国)にできる支援をしてもらって何とかとどまる。その方が最終的に犠牲者が少なくて済むことにつながると思います
ロシアに支配されたら必ず殺戮が起こります。それはロシアという国の本質なんですね

また、深月ユリア氏は次のように述べています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/6ab954555cb5c7238934bcb47b7b0e750b41e5b4
スターリンによるウクライナの「人工飢饉」繰り返される悲劇 グレンコ氏「占領ならロシア化政策」
3/5(土) 17:00配信
よろず〜ニュース

(中略)
 2月24日、ロシアがウクライナに侵攻し、現在も戦闘が続いている。ロシアとウクライナの軍事力の差は月とスッポンほどあり、米軍もNATOもウクライナ支援の軍隊を派遣しなかったため、各国世論、メディアから「キエフはすぐに陥落する」という見解が多かったが、ウクライナは善戦している。かつて、ウクライナはソ連の支配下でジェノサイドされた歴史があり、親ロシア派のウクライナ人以外は何が何でもロシアの支配下に入りたくないのだ。

 1932年から33年にかけて、ソ連の独裁者スターリンはウクライナで「ホロドモール」といわれる人為的な大飢饉(ききん)を引き起こした。

 ソ連では1926年頃から農作物が不足し、当時「ヨーロッパのパンかご」と呼ばれるほどの豊かな穀倉地帯だったウクライナはスターリン政権の政策に都合よく利用されてしまった。ソ連はウクライナの農業の集団化(コルホーズ)を進め、農家で収穫された穀物のほとんどが徴収され、国外に輸出されたため、ウクライナ地域の国内に流通させる農作物が足りなくなってしまった。

 さらに、スターリン政権はウクライナ地域に共産党メンバーを送り込み、ウクライナ農民を徹底的に監視し、穂を刈るだけでも「人民の財産を収奪した」という罪状で10年の刑、「飢え」という言葉の使用も禁止された。食べ物がなくなった人々は死体を食べるようになり、チフスなどの疫病もまん延した。ホロドモールによってウクライナでは人口の20%が餓死し、正確な犠牲者数は記録されてないものの、400万から1450万人以上が亡くなったと言われている。

 多くのウクライナ人は再びロシアの占領下に入ると、「人工飢饉」はなくともジェノサイドの歴史が繰り返されるのではないか、と恐れている。

(以下略)
よく「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」といいますが、その意味ではグレンコ氏及び深月氏は、「歴史に学んでいるように見えて経験に学んでいる愚者」というべきでしょう。

「歴史に学ぶ」とはどういうことでしょうか? 単に過去にあった事実を引き合いに出して「前はこうだった! だからきっと次もこうなる!」と言い張ることではありません。過去の事象をその条件・構造から科学的に分析し、現代において同じ条件・構造があるかを見抜いたうえで、同様の事象が再現し得るかということを見通すのが「歴史に学ぶ」ということです。

その点、グレンコ氏及び深月氏の主張には、過去にウクライナを苛酷に支配したロシアと現代ロシアとの異同をまったく語っていません。単に「ロシア=ソビエト=スターリン」という漠然としたイメージに乗っかって印象論を述べているに過ぎないのです。

そもそもロシア=ソビエトではないし、ソビエト=スターリンでもないし、スターリン=ロシアでもありません。深月氏が持ち出すホロドモールのような赤色テロは、ウクライナだけが被害者ではありませんでした。ホロドモールの最高責任者だったスターリンと、その実行担当だったカガノーヴィチは、あの当時、ウクライナ以外にもロシアやカフカス、カザフなどで同じような赤色テロを展開し、ソビエト全土に災禍をバラまいていました。スターリン統治の被害者はウクライナだけではないのです。

また、スターリンは1953年に死亡しましたが、ソビエト連邦はその後40年近く存続しました。その間、ホロドモールのような赤色テロは二度と起こりませんでした。スターリンの統治だけでソビエト連邦の全歴史を語るのはあまりにも無茶であります。

さらに今、プーチン大統領個人の「邪悪な個性」とウクライナ侵攻とを結び付ける向きがありますが、その議論に乗っかれば、指導者個人の個性という意味では、スターリンはグルジア人でした。スターリンの指導下でウクライナの共産党責任者を務めていた人々についていえば、カガノーヴィチはユダヤ人、コシオールはポーランド人、フルシチョフはウクライナ人でした。決して「邪悪なロシア人がウクライナ人を支配していた」わけではないのです。

このように、ロシア=ソビエトではないし、ソビエト=スターリンでもないし、スターリン=ロシアでもないのです。

■総括
最悪でも「スターリングラード攻防戦」に留まるグレンコ論に対して、最悪の場合「ベルリン市街戦」に至ってしまうような言説が大手を振っている日本世論。それも、グレンコ論を歪曲したうえで「ベルリン市街戦」のような結論にもっていくあたり、「病状」は深刻であると言わざるを得ません。

また、歴史を条件や構造に注目して現代との異同をて分析するのではなく、単に「前はこうだった! だからきっと次もこうなる!」と言っているに過ぎない言説も大手を振っています。「歴史に学んでいるように見えて経験に学んでいる愚者」が跳梁跋扈している日本世論。これもまた、「病状」は深刻であると言わざるを得ません。
posted by 管理者 at 20:36| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。