戦勝記念日に行事なし ウクライナ首都西欧諸国が対独戦勝記念日を5月8日としているところロシアが9日に設定しているのは、ナチス・ドイツが降伏文書に調印したその瞬間がモスクワ時間(UTC+3時間)では9日にあたるからです。
ウクライナ侵攻
2022年5月7日 0:32
(中略)
旧ソ連圏のウクライナはロシアと同じ9日を祝日としてきたが、近年は欧州で第2次大戦が終結した8日を記念日にしようとする動きがあり、行事も開催されている。
現在ウクライナは東欧時間を採用しています。3月の最終日曜日から10月の最終日曜日まではサマータイムなので、サマータイム期間は東欧時間とモスクワ時間との間に時差はありません(ロシアではサマータイムは採用していません)。つまり、ナチス・ドイツが降伏文書に調印したその瞬間は、ウクライナでもロシア(モスクワ時間)でも「5月9日」になります。
いくらロシアから離れて西欧に近づきたいからといって、ウクライナはウクライナであり東欧に位置していることは動かし難い事実です。どんなに頑張っても西欧になることはできません。そんなにロシアが嫌いならば、いっそのこと「ロシアこそ現代のナチス」としつつ「ウクライナこそ5月9日を正統に祝う資格のある唯一の国」くらい言ってのければよいものを、対独戦勝記念日を8日に変更してしまうのは見境のない擦り寄りに見えます。自らの立場を投げ捨ててまで西欧に擦り寄るその姿は、事大主義といっても良い水準ではないでしょうか。
しかし、ここまで露骨に西欧に擦り寄ったにも関わらず今般の戦争では当の西欧諸国はウクライナとはハッキリと一線を画しています。武器などの援助は大規模に行われているものの、流されている血はウクライナ人のものだけです。思えば開戦前のウクライナの対ロ強硬姿勢は西欧諸国の威光を借りたものという部分もありました。
かつて首領様は「歴史的経験が示しているように、事大主義に陥れば人は愚か者になり、民族は滅び、革命は失敗をまぬがれ」ないと仰いました(『青年は朝鮮革命の最終的勝利のために経済建設と国防建設のすべての分野で先鋒隊となろう』チュチェ57・1968年4月13日)。目下の状況は、歴史的経験にまた一例が追加されたように思われます。