2022年07月03日

「当事者に委ねる」などと逃げるしかないニッポンの「弱小国」っぷり

4月7日づけ「民間人疎開にかかる橋下氏の主張の正当性が証明され、さらに事実上、世論動向が橋下氏の主張に近づき始めている」に先日、読者の方からコメントを頂戴したので返信しました。

※こちら側の都合で申し訳ないのですが、新規記事の投稿と過去記事の管理は別管理しております。場合によっては編集協力してもらっている同志らと相談しつつ、じっくり考えたいのです。そのため、頂戴したコメントへの反応が遅れることがあるのでご了承ください。

橋下徹氏といえば、今般のロシア・ウクライナ戦争をめぐって持論を精力的に発信されています。かつては「時代の風雲児」として時勢におもねるような形で伸し上がった橋下氏が、世論の反発を受けることを厭わず発信し続けています。

当該記事でも書いたとおり、4月にあったとされるキエフ郊外での民間人虐殺事件は、開戦初期(3月3日〜4日)に展開された橋下氏と「アパ学者」アンドリー・グレンコ氏との論争における橋下氏による主張の正当性を証明する形になりました。この論争については当ブログでは3月13日づけ「最悪の場合「ベルリン市街戦」に至る日本世論、歴史に学んでいるように見えて経験に学ぶ愚者たる日本世論」において取り上げました。

フジテレビ系のワイドショー「めざまし8」で展開された当該議論。橋下氏にしてもグレンコ氏にしても、まだ実際には何も起こっていない段階における理屈や仮定の議論だけで「はいそうですか」で引き下がるような人物ではありません。結局当該議論は、番組MCの谷原章介氏によって打ち切られる形で蓋をされたわけですが、このとき谷原MCは「橋下さん、やっぱりこれはウクライナの方にしか分からない歴史的な背景みたいなものがあるのかも知れません」というセリフを口にしたといいます(「橋下徹氏 ウクライナ出身の政治学者と大激論「どんどん国外退避したらいい」に「1度支配されたら」」2022年3月3日 12:26 スポニチ)。

口先から生まれたような人間である橋下氏を「理屈」によって黙らせることは至難の業です。それゆえ谷原MCは、このような「発言権」という切り口で橋下氏の口を封じる他に手はなかったのでしょう。谷原MC及び番組企画陣にしてみれば必死の執り成しだったことは非常に容易に想像できるものであります。この理屈は、日本でよく使われる典型的な「逃げ」の手口であります。たとえば、社会保障・社会福祉分野において、相手方(受給権利者側)の無知・無理解をよいことに、余計な手間と支出を増やしたくない支給義務者が「本人がいいと言っているんだから余計なお世話をするな(=入れ知恵をしてオレの仕事と負担を増やすな)」といった具合に展開されるものであります。この理屈を持ち出すということは、当事者性を悪用することで議論を打ち切ろうとする魂胆が潜んでいると言わざるを得ないものなのです。

しかし、この程度で民事弁護士としてキャリアをスタートさせた橋下徹という人物を黙らせられるわけがありません。当事者同士に任せていては意地や感情といった要素ゆえに纏まるものも纏まらなくなる、だから(弁護士や裁判官といった)第三者の仲介が必要だというのが民事弁護士・橋下徹の職業的確信でありましょう。案の定、橋下氏は依然として従前からの主張を堅持しています(ちなみに、西側諸国における「ウクライナ疲れ」が公言されつつある昨今、勇ましい言説が鳴りを潜めるのと軌を一にする形でグレンコ氏の登場機会が減少しているところです)。

橋下・グレンコ論争はSNSにおいて非常に激しい反応を巻き起こし、賛否両論の厄介事を避けることを第一目標としがちな昨今の日本人の習性もあってか、いまやすっかり橋下・グレンコ論争を思わせる展開は、公共電波においては微塵も見られなくなっています。とはいえ、論点を封印して議論に蓋をしたところで事実が変わるわけがなく、事実をもとに議論を展開しようとすれば必然的にこの論点に至るものです。たとえばフジテレビ系6月5日朝放送の「日曜報道 THE PRIME」。橋下氏、西村康稔・経済再生担当大臣および玉木雄一郎・国民民主党代表の議論はまたしてもこの議論に行き着いたものでした。

番組中、橋下氏の提起に対して西村大臣は「ウクライナの立場は支持・支援するが、第3次世界大戦に至らないように慎重に対応する必要がある」という要旨の無難で現実的な回答を展開しました。要するに、日本としてウクライナ支援・支援の立場は不変だが、現実的対応はロシアの反応を見極めながら小出しにしていく必要があるということです。西村康稔という人物は、新型コロナウィルス対応のころから思っていましたが、良くも悪くも「自分が思ったことを正直に口にしてしまう人」なんでしょう。今般の戦争については、まったくそのとおりなんですが、もう少し表現に捻りがあってもよいように思います。

これに対して玉木代表の応答。「ウクライナが抗戦姿勢であるところに停戦だ何だと外野がとやかく言うべきではない」という、まさに谷原MC的な「逃げ」を展開しました。ウクライナが徹底抗戦姿勢であるのは開戦当初から一貫していることであり、それに対して日本が主体的にどのように関与すべきかと問われているときにこれでは答えになっていないにも関わらず!

案の定、橋下氏から「ゼレンスキー・ウクライナ大統領は領土をすべて取り戻すと言っている。クリミアも取り戻す対象ということになる。それを日本や西側諸国が支援したら、第3次世界大戦にならないのか?」(趣旨)と突っ込まれていました。絶妙なタイミングでCMに入り、CM明けには別の議論にテーマが移ってしまったため玉木代表の再反論は聞けませんでしたが、谷原MC的な「逃げ」から入った玉木代表はマトモに応答はできなかったでしょう。とりわけすでに西村大臣が非常に率直で本音ベースな回答をしてしまった以上、いくら国民民主党といっても「自民党さんと同じです」とは言い難いでしょう。まさに厄介な問題から逃げようという魂胆がミエミエだったわけです。

昨今、「当事者性」というものは何かと引き合いに出されるものになっています。口達者な人物との「議論」において勝ち目がない人ほど「発言権」を振りかざして議論自体を封じようとするものですが、そのとき「当事者性」が悪用される傾向にあるように見受けられます。こうした「当事者性」の悪用がロシア・ウクライナ戦争を巡って日本言論空間において展開され続けているという現実は、日本がこの戦争に主体的に関与しかねる「弱小国」であることを間接的に示すものであると言えるのではないでしょうか? たとえばイギリスは、結局のところアメリカ頼りではあるものの、一定の範囲内で自国独自にウクライナ支援を展開できる程度の国力は持っています。それゆえ威勢の良い徹底抗戦論を唱道しています。それさえもできないニッポンなのであります。
posted by 管理者 at 19:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
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