2022年08月25日

「身内利益」に興味を持つことから始める必要がある

https://news.yahoo.co.jp/articles/f6a0a146ccab43a8503bea185be746ef91ec1216
【速報】コロナ感染者「全数把握」見直さず 東京都・小池知事「当面、現在の運用を続ける」と表明
8/25(木) 17:21配信
FNNプライムオンライン

政府が打ち出した、新型コロナウイルス感染者の「全数把握」の見直しについて、東京都の小池知事は、きょう午後に開かれた専門家会議で、「当面、現在の運用を続ける」と述べ、「全数把握」を見直さない考えを示した。

(中略)
これに対して、小池知事は、専門家会議の中で、全数把握は、感染動向を把握し、患者の健康状態を確認する上で有効との認識を示した上で、「東京都は、一人一人の患者を大事にしている。当面、現在の運用を続ける」と述べ、「全数把握」を見直さない考えを明らかにした。東京都の担当者によると、これまでと同じ発生届のやり方をつづけるという。
コメント欄。
この問題、全数把握自体を問題視しているところが奇妙な話だ。海外は確かに推定値報告に切り替えてはいるが、一応は国全体の感染者数は推定値として公表している。日本の問題点は、数の把握が大変なのではなく、医師の入力項目が過剰すぎることだ。そこを簡素化して本当に必須情報だけの処理とすれば、全数把握も要点も把握をしたうえで次の戦略も立てられるというもの。問題をすり替えてはいけない。
やはり、ハーシスの入力に手間がかかりすぎるのは問題だと思います。医師が残業して患者1人のデータの入力に5分も10分もかけるのはナンセンスです。mtsさんも言われていますが、電子カルテとの連携で、必要データがハーシス側に自動抽出される仕組みが必要です。カルテ側でまかなえない部分だけを手入力すればよいと思います。そうすれば、最短で患者1人につき1分以内でできるのではないでしょうか。 コロナ禍になってから、もう3年目です。この間、政府は何をやっていたのでしょうか?日本のIT後進国ぶりには絶望的な気分になります。デジタル庁は、まずこの問題を解決するシステムを構築するべきではないでしょうか。
「全数把握を止めても大丈夫そうだからやめよう」ではなく「全数把握が大変だから止めよう」になるあたり、さすが目的志向性・目的意識性に欠ける日本世論です。一体何のために「デジタル庁」を作ってまで周回遅れながらもデジタルトランスフォーメーションに着手したのか・・・すべてが済し崩し的に形骸化してゆく日本社会の「法則的」といっても過言ではない展開がまたも見られています。

同時にこの現象は、真逆に非常に目的志向的・目的意識的な動きの一環として評価することも可能でしょう。2月19日づけ「新型コロナウィルス禍は、ウィルスとの闘争であると同時にブルジョア利己主義との闘争でもある」で取り上げたとおり、「利潤獲得のためなら公衆衛生などどうでもいい」という姿勢を隠し切れないブルジョア連中は、以前から積極的疫学調査の中止といった公衆衛生活動の中止を要求してきましたが、その線に沿うものだからです。連中の本音は「風邪ぐらいの軽い体調不良で休むな」であり、「感染家族の濃厚接触者だからといって最終接触日から何日も休まれては困る」といったところなのでしょう。「保健所等の負担軽減」を錦の御旗として公衆衛生体制・社会的感染制御体制を掘り崩そうと蠢動してきました。

真に「保健所等の負担軽減」を語るのであれば、それこそデジタル技術等を活用して現行制度を維持しつつも効率化すればよいはずです。普段ブルジョア連中は「実現が難しい」からといって自社の経営戦略を諦めるのでしょうか? そんなはずはないでしょう。イノベーションにイノベーションを重ね、限界を突破して効率化するところにこそ、本来的な意味での企業家の精神があるはずです。自分たちの儲けの種に対しては限界を知らずの旺盛な企業家の精神を発揮しつつ、自分たちの儲けにとって邪魔な存在になる現行制度については容易に「もう限界だから止めよう」と言ってのける・・・あまりにもその魂胆が見え透いています。

また、そんなに事業継続が大切ならば、さすがに工員たちを工場に泊まり込ませた防疫大戦期の共和国のようなことは日本では出来ないにしても、いわゆる「効率的賃金仮説」に基づいて社員たちの自覚を喚起すれば、私生活においても自ら謙抑的に振舞うことでしょう。しかし身銭を切る方向には絶対に話がいかないようにしているのがこの国のブルジョア連中たちです。

ここで興味深いのは、ブルジョア連中に雇われている労働者側の動きです。雇い主たちは「風邪ぐらいの軽い体調不良で休むな」「感染家族の濃厚接触者だからといって最終接触日から何日も休まれては困る」という魂胆で社会的感染制御体制を掘り崩そうとしているのに対して、雇われの身たる労働者たちは、超軽症者や無症状者=特に困ってはいない人たちも挙って積極的に検査を受け、誰も聞いていないのに自身が陽性であることを申し出て、無症状であっても自宅療養しています

ブルジョア連中にとって一番鬱陶しいのは、超軽症や無症状なのに検査を受け陽性であることを自ら証明するような労働者でしょう。超軽症や無症状なら余計なことはせずにいつも通り働き、仮に社内で他人にうつして重めの有症状者が出たとしても「感染経路不明」「家庭内感染?」で済ませ、当該社員だけ休ませることで「事業継続」したいというのが連中の本音でしょう。

もちろんここには、感染拡大を食い止める社会的を挙げた取り組みという観点は欠片もありません。人々を「重症化リスクがある人」と「そうではない人」とに分類した上で両者を切り離し、双方の間には何らの関連もないものと考える「彼我の分断」というべき「個人」主義的な世界観・社会歴史観があります。現実は、このような「個人」主義的な発想の誤りをはっきりと示しています。今まさに起こっていることは、「重症化リスクがある人」たちが新型コロナウィルスに感染したことによって、その対応に医療資源の多くを優先的に回す必要が生じ、その結果、救急医療等の誰でも当事者になり得る症状による患者対応を後回しにせざるを得なくなっています。

賃労働に基礎を置く資本主義社会において労働者は自己の労働力を売りに出す以外に生活の糧を得る手立てがないので、唯一の商材の調子が悪い(体調不良のとき)には大事を取るべきですが、資本主義社会は同時に生産手段が私有化されており、雇う側と雇われる側は対等ではあり得ないだけに、現実的には体調不良だからといって休養を取りにくいものです。

そう考えると実にしたかな労働者です。社会人たるもの結構な体調不良でも出勤しなければならないことはよくあることですが、今般労働者は「新型コロナ感染」をある意味で大義名分としているわけです。

とはいえ、このしたたかさは、あくまでも個人の自己防衛的な「工夫」でしかありません。ブルジョア連中の防疫制度改悪策動に結束して抵抗するという気概はないでしょう。「コツコツ」と「努力」してきたブルジョア連中の願望が成就しかかっています。

この国は、国としては総じて目的志向性・目的意識性に欠けると当ブログは主張してきました。より詳しく申せば、幾つかの社会集団は非常に目的志向的・目的意識的であるのに対して、多くの社会集団はそれほど目的志向的・目的意識的でないがために、国としては総じて目的志向性・目的意識性に欠けてしまっているのが実相であると思われます。業界団体等の「身内利益」を強烈に追求する幾つかの徒党と「身内利益」さえも追わず「純粋な私の利益」にしか興味のない個人とによって構成されるこの国は、結果的に幾つかの業界団体等の利益が実現する方向に引っ張られているわけです。

社会主義を目指す立場としては当然に公益の実現を図りたいところですが、この国についていえば、まず、個人は「純粋な私の利益」から脱して「身内利益」に興味を持つことから始める必要があるように思われます。かつて国鉄労働組合は「組合利己主義」的な闘争を展開したと世論に見なされ批判されたものですが、いまや「組合利己主義」さえも見られないくらいに個人がバラバラになっています

いまや労働者が結束して自己の経済的要求を展開することは「時代遅れ」であり、「一人一人の稼ぐ力」を鍛えること大切だという風潮が強まっています。しかしながら、「稼ぐ力」という点においては雇われ人よりもよほど必死な企業家たちは、業界団体づくりに精を出しています。ブルジョア連中がその背中で教えてくれているように、同業者が結束して自己の経済的要求を展開することの重要性は依然としてまったく色褪せていないのです(そうしたところにまでは頭が回らず、「一人一人の稼ぐ力」ばかりに目が行くあたり、現代労働者階級はやはり中途半端にブルジョア思想に感化された「プチ」・ブルジョアの域を脱しておらず、中途半端な個人事業主化の特徴と限界と示している言えます)。

せめて「身内利益」の綱引き合戦になれば、幾つかの業界団体等の好き放題には少なくともならないでしょう。そこが第一歩です。
posted by 管理者 at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
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