ソ連軍のアフガン侵攻から読むウクライナ戦争の今後西川恵・毎日新聞客員編集委員の署名記事。「リベラル」紙である毎日新聞らしい歴史の見方です。まるでアメリカ人のような雑な歴史の見方と言わざるを得ません。同様の歴史の見方を批判した6月5日づけ「日本社会の歴史を語る姿勢・歴史感覚はここまで退化しているのか」から、東洋史学者である故・岡田英弘氏の『歴史とはなにか』から引用した部分を再掲します(P25〜30)。
10/16(日) 15:00配信
毎日新聞
ロシア軍のウクライナ侵攻は、43年前のソ連軍のアフガニスタン侵攻との類似性を強めている。予備役の部分的な動員は中長期の戦争への構えとみられるが、アフガンでの約10年の泥沼の戦争がソ連を疲弊させ、ひいてはソ連解体につながったように、ウクライナとの戦争の長期化はプーチン政権をますます苦しい立場に追い込むだろう。
◇ウクライナとアフガン その類似点
プーチン露大統領が9月21日に発表した予備役の部分的な動員は、「特別軍事作戦」の名のウクライナ侵攻が事実上の「戦争」であり、戦争が中長期にわたることをプーチン氏自身が認めたことを意味する。アフガン侵攻がソ連にもたらした大きな負のインパクトを見ると、ウクライナ侵攻がロシアに何をもたらすか、大まかに読むことができる。
(中略)
プーチン氏も、アフガン侵攻当時のソ連のブレジネフ書記長も「西側先進国は大した反対はできまい」と甘くみていたはずだ。しかし予想に反し、両侵攻は米国を中心に西側先進国をかつてないほど結束させ、対露(ソ連)強硬姿勢で足並みをそろえさせてしまった。
今回のように、アフガン侵攻に対して西側先進国は厳しい経済制裁を打ち出し、モスクワ・オリンピック(1980年)をボイコットし、ソ連の孤立化を図った。これがいかにソ連に高くついたか分かる。
◇中国とソ連の経済力の逆転
ソ連軍のアフガン侵攻前年の78年、中国は改革開放に踏み切り、西側から巨額の財政支援と技術協力を得て、80年代を通じて産業の基礎を作り、国力を蓄えていった。同じ時期、孤立したソ連はエネルギーと農産物輸出のモノカルチャーの産業から脱皮できず、国力を衰退させていった。
中露の経済力はこの時期に逆転し、今日の格差になった(ロシアの2021年の名目国内総生産<GDP>は中国の約9%)。同じ社会主義国ながら、西側の支援があった国と、そうでない国のその後の違いは明らかだ。
西側先進国は安全保障でも妥協しなかった。ソ連は70年代半ば、東欧に中距離ミサイルSS20を配備した。これに対して米欧は「力には力」で応じ、市民の大々的な反核デモに直面しながら、80年代初めからSS20に対抗する中距離弾道ミサイルの西欧配備に踏み切る。
また米国は宇宙に迎撃兵器体系を配備して、敵のミサイルを迎撃する戦略防衛構想(SDI、通称スターウォーズ計画)も発表し、軍拡を仕掛けていく。ソ連は経済的、技術的について行けず、中距離ミサイル全廃交渉で87年に妥協した。
ソ連軍がアフガンから撤退したのは侵攻から約10年後の89年2月。その約3年後の91年末、ソ連は崩壊した。アフガン侵攻が直接的な原因ではないとしても、制裁による経済の低迷と、社会の閉塞(へいそく)感がボディーブローのように効いたことは間違いない。
(以下略)
ひじょうに重要な文明だが、基本的に歴史のない文明がある。アメリカ文明のことだ。アメリカ合衆国は、世界の文明のなかでもっとも特異な文明であって、アメリカ文明には普遍性がほとんどない。「アフガン侵攻が直接的な原因ではないとしても、制裁による経済の低迷と、社会の閉塞(へいそく)感がボディーブローのように効いたことは間違いない」などと予防線を張る西川氏ですが、経済制裁や軍事的圧迫で崩壊するのならば、「北」朝鮮はもうとっくに崩壊しているでしょう。
(中略)
ジョージ・ミケシュというユダヤ系ハンガリー人のユーモア作家が、現代アメリカ探訪記を書いている。ミケシュが指摘しているが、アメリカ人が歴史を論ずるばあいは、かならず現代世界のパラレルとして、ヨーロッパの前例を引用する。それも、ローマ帝国ではこうなったから、アメリカもこうならないように気をつけなければならない、というような大ざっぱな比較をする、と言っている。こういう歴史の受け取りかたは、歴史の本場に暮らすヨーロッパ人の感覚とはかけ離れている。
(中略)
「歴史(History)」ということばは、アメリカでは「誰でも知っている話」ぐらいの意味で軽く使われる。ある有名人の夫人が、自分と夫の出会いについて語って「それからあとは歴史よ(The rest is history)」と言っているのを読んだことがある。
(中略)
アメリカ文明に歴史という要素がかけている結果、アメリカ人は現在がどうあるかということにしか関心がない。過去はもう済んだことだ。だからアメリカでは、過去を問う歴史の代わりに、現代だけを扱う国際関係論と地域研究が人気がある。
アメリカ合衆国が、歴史を拒否して成立した文明であり、歴史のない文明であるという、その本質は、アメリカが日本などの歴史のある文明と交渉するばあいに取る態度に、くっきりと出ている。
たとえば、貿易摩擦をめぐる交渉では、アメリカ側は、現状は不合理だ、と主張して、直ちにこう改善せよ、と要求する。それに対して日本側は、その問題には、こういう「歴史的な」事情があって、それが原因なのだから、その改善のためには、そこまでさかのぼって手当てをする必要がある、と応ずる。日本人の立場では、これは正直な言い分なのだが、アメリカ人はそれを聞いて、歴史に逃げ込むことは卑怯だ、歴史なんていうのは単なる言いのがれだ、大切なのは過去ではなく現状だ、直ちに法律でも作って現状を改善せよ、と言い返すことになる。
歴史に関心のないふつうのアメリカ人にとっては、歴史のある文明に属する外国人が、現在の世界を見る際に、同時に過去の世界まで視野を入れるのは、はなはだ奇怪に感じられる。アメリカは常に現在であり、常に未来を向いている。
「北」朝鮮がなぜ苛酷な外的環境に直面しているにも関わらず赤旗を掲げ続けているのかと言えば、「自立的民族経済」のスローガンが端的に示しているように、同国政府が一貫して内発的・内在的発展のために注力してき、一定程度それを実現させているからに他なりません。核・ミサイル開発ひとつとっても、ある程度の工業力水準を自力として持っていることが分かります。核・ミサイル開発を進めるにあたっては輸入するほかない材料もあるわけで、外貨獲得用輸出品を生産するための社会経済制度が整備されていることが分かります。
一国の社会状態を見るにあたっては外的環境を無視してはなりませんが内的環境に主眼を置くべきです。キム・ジョンイル総書記は「人間が社会的財貨をもち、社会的関係で結ばれて生活する集団がすなわち社会」と定義されました(『社会主義建設の歴史的教訓とわが党の総路線』P13)。それゆえ、ここでいう内的環境とは、社会的財貨及び社会的関係の状態、並びに人間そのものの状態を指します。
ソ連の崩壊は、同国の指令的・中央集権的な経済制度が構造的・客観的に抱えていた根深い問題(社会的財貨及び社会的関係の状態)に加え、そういった困難をあくまでも社会主義の道に沿って乗り越えようとする主体の準備不足(人間そのものの状態)に起因するものです。これに対して中国は、改革開放の旗の下、建国以来続けてきたソ連型の硬直した経済制度を短期間で根本的に転換しました。つまり、主客両面において硬直的な体制が腐朽していった結果がソ連崩壊だったわけで、アフガン侵攻があろうとなかろうと結末は同じだったと思われます。西川稿にはこれらのことについては、まったく触れられていません。「アフガン侵攻が直接的な原因ではないとしても」という実に卑怯な予防線を張っている始末です。アフガン侵攻がソ連崩壊の直接的な原因でないなら「ソ連軍のアフガン侵攻から読むウクライナ戦争の今後」という記事はそもそも成り立たないでしょうに。
ロシアのウクライナ侵攻とソビエトのアフガン侵攻との「類似点」をどうしても見出したくて、まったく科学的ではないことを書き立てているわけです。
もっとも、毎日新聞で編集委員をやっているということは、そもそも社会歴史を科学的に見る目を持っておらず、こうした視点が欠けていることに気が付いていないのかもしれません。上掲・岡田英弘の言のような歴史の見方をしているアメリカ人は、自分たちが特異な歴史の見方をしているという自覚がないとのこと。それと瓜二つの歴史の見方を披瀝した西川氏においても、その可能性は十分にありそうです。
掲題事項を、記事本文中の(よりにもよって)予防線的なくだりで自らブチ壊すという前代未聞のハチャメチャな記事を書いた西川恵・毎日新聞客員編集委員。彼の記事を通して私は、「一国の社会状態を見るにあたっては外的環境を無視してはならないが、内的環境に主眼を置くべき」であること、そして「内的環境とは、社会的財貨及び社会的関係の状態、並びに人間そのものの状態を指す」ということを歴史の見方として提唱したいと思います。時代ごとの社会的財貨及び社会的関係の状態、並びに人間そのものの状態を洗い出し、それらを比較対照することが歴史的に見て考えるということなのです。
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