「わが国家第一主義」の時代 C 共産主義社会の実現を現実的課題に「共産主義社会の実現を現実的課題に」――キム・ジョンイル総書記の執権末期には「共産主義の看板を降ろしたのか?」と疑わざるを得ない幾つかの兆候が見られたものですが、キム・ジョンウン総書記の時代になって再び、共産主義が高く掲げられるようになりました。
2022.11.17 (08:11)
主要ニュース,共和国
希望に満ちた人間中心の未来設計
朝鮮民主主義人民共和国は、豊かで強く、自主的な国家を建設するうえで根本的かつ中心的な課題を見事に解決した世界に類のない国家実体であることを自負している。世界には経済力、軍事力を誇る国が存在するが、国家としての容貌において朝鮮に匹敵する国はないということだ。
無尽蔵な国力の秘訣
朝鮮は、以民為天(人民を天のごとくみなす:金日成主席の座右の銘)の理念と人民のための施策を実行する「人民の国」を自認している。国家のすべての政策は人民大衆の意思と要求を集大成して作成され、政府機関の活動は人民の創造力に基づいて行われているということだ。現在、朝鮮に対する制裁が続き、人民生活に支障が生じているが、人民は政府を信じ、その政策を支持している。強要では得ることができない民心の基盤に立つ国家は揺るぎない。
朝鮮は、人々の思想を統一させた一心団結の国である。チュチェ思想を国家政治哲学として確立し、国家建設と活動全般に具現してきた朝鮮では、それが人民の思想意識、人生観となっていった。今日、多くの国々が覇権国家の強権と横暴に屈してしまうのは、国民が結束せず、社会が分断していることにも要因がある。
朝鮮は、自立的民族経済と自衛的国防力を建設した国である。国家の自主権を堅持し、持続的な発展を図るには、自らの強力な基盤が必要だ。他国に依存しない経済、自国を守る防衛力がなければ、自主的な政治も実現できない。
そして朝鮮は、確固たる継承性が担保された国である。革命の代をつなぐことを最重要視し、一貫してこれに取り組んできた結果だ。他の社会主義国家では、首領を個人と見なし、領導の継承問題を最高職責の引継ぎとして矮小化したが、朝鮮では真の後継者を推挙し、その組織・思想的基礎と領導体系を築くことに努めた。社会主義国家政治体制の継承問題は、重要かつ解決が難しい問題であり、どの国も継承期には分派が生じ、挫折と混乱を経験した。しかし、朝鮮では強力な国家政治体制が安定的に継承されてきた。
△徹底した人民性 △思想の唯一性 △揺るぎない自立性 △一貫した継承性は、朝鮮固有の特徴であり、この国の無尽蔵な力の秘訣はここにある。
(中略)
金正恩総書記は、私たちが理想とする社会主義強国は、すべての人民が衣食住の心配を知らず、無病息災かつ安らかで仲睦まじく暮らす社会、互いに助け合いながら喜びも悲しみも分かち合う共産主義的美徳と美風が発揮される人民の社会であり、労働党のすべての活動は、このような社会を一日も早く実現することを目指していると述べている
強国建設に関する朝鮮の戦略は、資本主義における経済発展戦略と根本的に異なる。経済成長による物質的豊かさが、必ずしも誰もが互いに助け合う社会を実現するものではない。個人主義的な生存方式が定着した国では、富が増えるほど、極少数と絶対的多数の対立が深まる。
朝鮮の戦略の中心にあるのは、「カネ」ではなく「ヒト」だ。経済発展のための革新も強国建設の担当者であり、理想社会を実現する当事者である人民大衆の思想を発動し、かれらの役割を高めることを前提としている。
(中略)
朝鮮には他国が真似できない固有の国風がすでに形成されている。自主性を重んじて愛国心が高く団結力が強い人民、首領は人民を信じ人民は首領を絶対的に信頼する混然一体の風貌、自らの力と知恵で理想を実現していく自力更生の伝統、国全体が一つの大家庭のように互いに助け合う集団主義の気風などだ。
「わが国家第一主義」の時代、朝鮮は強国の地位に相応しい国風を創造し、「共産主義美徳と美風が発揮される人民の社会」を実現していく。先進国といわれた国々で、既存の政治体制が破綻をきたし、社会の分断と葛藤が深まる混乱の時代に、朝鮮は世界に先駆け、人類の理想社会を実現することを現実的な課題として掲げている。
(金志永)
共和国の無尽蔵な力の秘訣として記事で金志永氏は、徹底した人民性・思想の唯一性・揺るぎない自立性・一貫した継承性の4項目を挙げています。いずれも首肯できるものだと思います。
徹底した人民性は、社会のあらゆる階層に党組織が深く根付いていることと関係しているでしょう。社会が高度に組織化しているからこそ民衆の意見を集約し得るのです。これに対して、日本のように社会の組織化が不十分で個人がバラバラになっていると、民衆の意見を吸い上げようがありません。
ちなみに、往々にして、いわゆる「独裁」政権は民衆の意志を無視して政治を執り行っていると言われるものです。しかし、本当に無視していては安定した政権基盤は築けないものです。ソ連・東欧社会主義圏、いわゆる「現実社会主義」(Realsozialismus)崩壊から30年以上の歳月が立ち、歴史としてRealsozialismusを見る姿勢がだんだんと根付いてきていますが、たとえば最近、一般向け新書として出版された『物語 東ドイツの歴史-分断国家の挑戦と挫折』(河合信晴著、中公新書)は、冒頭においてそうした俗流の見方を否定し「ミツバチの巣」理論を紹介しています。「シュタージによる監視国家」だとされる東ドイツでさえそうだったのです。
事実として、「北朝鮮」崩壊論が公共電波で撒き散らされるようになってから20年以上の歳月が経過し、この間、世界のあちこちで空中分解的な政権崩壊が発生しました。政権崩壊に至らないまでも、たとえば最近のイランのように反政府活動が激化し社会が混乱している国が今でも幾つもあります。これに対して共和国においては、未だにそのような兆候さえ現れていません。非常に高い結束力を誇っています。「強要では得ることができない民心」という金志永氏の例証は、「北朝鮮」に対する日本社会に蔓延した偏見がいかに事実と異なっているかを示しています。
思想の唯一性については、昨今の「多様性」談義の悪しき影響によってソフィスト的相対主義が幅を利かせており、また、フェイクニュースやヘイトスピーチと言論の自由とが混同されるくらい思想的な混乱の極みにある日本言論空間では理解しにくいキーワードでしょう。このことについては、先日の記事で引用した、マルクス経済学者である鎌倉孝夫先生が「社会主義の理念は普遍である」(『キムイルソン主義研究』第123号)で展開した次の指摘を補助線にすると理解しやすいものと考えます。鎌倉先生は次のように指摘しています(p51)。
修正主義は、自由化を推進し、多様化、多党化を進めていかなければ社会の変化には対応しえないという考えです。しかし多元的思想が必要なのだといって、それに合わせて党の基本的な考え方を変えなければならないといっているうちに、なにをしてもよいかのようになり、みんなが利己主義的に無政府的に競争してもよいようになってしまいました修正主義は、人民的な政治を貫徹しなければならないところ、「多元的思想が必要なのだ」という主張に動揺し、すべてを安易に相対化し、ついには譲ってはならない原則を放棄するという末路を辿りました。この歴史的事実を踏まえると、ここでいう思想の唯一性とは、人民的な政治を貫徹するという意味であると理解すべきでしょう。
なお、キム・ジョンイル総書記は『チュチェ思想教育における若干の問題について』(チュチェ75・1986年7月15日)において次のように言明されています。
チュチェ思想は思想分野において偏狭な排外主義を断固排撃します。チュチェ思想は、世界における人間の地位と役割を高めることに少しでも貢献する思想であるなら、どの民族、どの人民が創造したかに関係なく、その価値を公明正大に評価し、それを自らの思想体系内に包摂しています。「特定の政策を押し付ける」という意味で解釈すべきではないでしょう。
わが党にはチュチェの思想体系以外に他の思想体系は必要なく、チュチェ思想教育とゆかりのない他のいかなる思想教育もありません。
揺るぎない自立性。近年、世界的なサプライチェーン危機が発生するたびに日本をはじめとする西側諸国で連呼されることですが、成功させている国は数えるほどしかありません。揺るぎない自立性を確保するためには、キム・ジョンイル総書記が歴史的労作『チュチェ思想について』などで論じたとおり自立的民族経済の建設が必要になりますが、これは必ずしも金銭的には「得」な選択ではありません。貿易理論を部分的・意図的に無視して自国生産するわけですから、国際化した資本の利益には必ずしも一致するものではありません。それゆえに、資本の利益を代表する資本主義政権は、国家の揺るぎない自立性を十分に確保・実現させることはできないものと思われます。
一貫した継承性にかかる金志永氏の説明は、以前から繰り返されてきた非常に原則に忠実な指摘ですが、改めて注目に値し学習すべきものです。首領の代替わりは組織領導体系と思想体系の引き継ぎでもあるということです。もとより社会政治的生命体における頭脳部が交代するとなれば、単なるメンバー入れ替えで済むはずがありません。かつてキム・ジョンイル総書記が『チュチェ思想教育における若干の問題について』(チュチェ75・1986年7月15日)において「大衆から遊離した領袖は領袖ではなく、一個人であり、大衆から遊離した党は党ではなく、一つの個別的な集団にすぎません」と指摘されたように、首領もまた社会政治的生命体の不可分な一要素であり、単なる個人ではないのです。
思うに、共和国以外の社会主義国家が「首領を個人と見なし、領導の継承問題を最高職責の引継ぎとして矮小化した」のは、自国社会を有機体として、システムとして見ず、構成要素を任意に取り換えられるものと考えた社会歴史観の貧困によるものであったのではないでしょうか。
徹底した人民性・思想の唯一性・揺るぎない自立性・一貫した継承性の4項目ゆえに共和国では、社会の混然一体・自力更生の伝統・集団主義の気風が確立しているといいます。そしてこのことは、資本主義では必ずしも実現できるものではないといいます。「経済成長による物質的豊かさが、必ずしも誰もが互いに助け合う社会を実現するものではない」からです。まさにここにこそ、政権の性質の違い、つまり社会主義の優位性があるといえるでしょう。
記事中、キム・ジョンウン総書記のお言葉として引用されている「私たちが理想とする社会主義強国は、すべての人民が衣食住の心配を知らず、無病息災かつ安らかで仲睦まじく暮らす社会、互いに助け合いながら喜びも悲しみも分かち合う共産主義的美徳と美風が発揮される人民の社会」という社会像は、社会的存在としての人間の本性に合致した社会であると言えます。こうした社会で生きるときにこそ、人間は自然体で生きることができるものと思われます。
もちろん、人間同士の競争は切磋琢磨という意味では非常に大切です。私は「おててつないで・・・」にはまったく組しない立場です。しかし、チュチェ110(2021)年10月24日づけ「社会主義・共産主義に向けた展望を持ち合わせていない日本共産党」などで述べたように現代資本主義においては、もはや個々人にとって競争が強迫観念と化しつつあり、自己疎外されていると言わざるを得ない域に達しつつあります。現代資本主義の競争至上主義は、人間同士がお互いを高め合う切磋琢磨の域を逸脱しており、不自然であると言わざるを得ないと考えています。
チュチェ思想は、人倫・人間性の回復を掲げた初期マルクスの問題意識と通底していると考えられます。マルクス・エンゲルスは史的唯物論の確立以降、疎外論に直接的な言及を加えることが徐々に減ってゆき、史的唯物論の更なる体系化と後代による継承の結果、初期マルクスの疎外論的な問題意識は「若気の至り」扱いされるようになってしまいました。社会政治的生命体論は、初期マルクスの疎外論的な問題意識を現代によみがえらせたという意味で思想史的な意義があると私は考えています。
それゆえ、「「共産主義美徳と美風が発揮される人民の社会」を実現していく。先進国といわれた国々で、既存の政治体制が破綻をきたし、社会の分断と葛藤が深まる混乱の時代に、朝鮮は世界に先駆け、人類の理想社会を実現することを現実的な課題として掲げている」という記事の結びには、心に染み入るものがあります。
ラベル:チュチェ思想