モスクワ市内から見た“プリゴジンの乱” 民主派ナワリヌイ支持者にも広がった共感どこまで正しいのか私には独自に検証することはできませんが、非常に興味深い記事です。思い起こせば、ソ連が短期間のうちに瓦解した一つの理由として、グラスノスチによって汚職や腐敗の事実が大衆に知られるようになり、それに対する憤怒が盛り上がり過ぎたという指摘もあります。記事にもあるとおり、ロシア人民の腐敗に対する憤りは非常に強烈であります。
6/28(水) 18:02配信
テレビ朝日系(ANN)
(中略)
■プリゴジン氏にロシア人が同調しやすかった理由
今回のプリゴジン氏の行動には、ロシア人が同調しやすい理由がある。
断っておくと、プリゴジン氏はソ連時代に強盗や売春斡旋などで9年間、服役している凶悪犯だ。脱走したとされる兵士の頭をハンマーで殴りつぶすなど残忍な人物として知られている。道徳的にも決して英雄視されるような人間ではない。
にもかかわらず、プリゴジン氏の蜂起のメッセージに大量の人びとが耳を傾け、テレグラムでは、ほとんどの人がハートマークやライクなど肯定的なボタンを押している。例外は“撤退宣言”の投稿だった。
それは、プリゴジン氏の訴えが、国防省や権力者の「汚職」「欺瞞」「官僚主義」にむけられていたからだろう。
ロシアの人びとは伝統的に権力の腐敗や汚職というものへの拒否感が強い。
意外かもしれないが、アレクセイ・ナワリヌイ氏の主張もほとんど同じだ。
「プーチン氏の最大の政敵」とされるナワリヌイ氏と、「プーチン氏の料理人」とされるプリゴジン氏。一見、正反対のようにみえる2人だが、主張の根っこは同じなのだ。
ナワリヌイ氏は、厳しい弾圧をはねのけて、ロシア全土で大規模なデモを引き起こした。
彼の呼びかけに多くのロシア人が賛同し、デモが大規模化したのは、ナワリヌイ氏が「民主主義」や「自由」といった崇高な理念を掲げたからではない。
プーチン政権の「不正」や「腐敗」を徹底的に暴いたからだ。
実際に2021年のデモに繰り出した人びとが手にしていたのは、トイレの掃除用ブラシだった。
プーチン氏の別荘にあるといわれる700ユーロ(およそ9万円)もするという黄金に塗られたトイレブラシへの人々の怒りが、ロシア全土を揺るがす原動力となっていたのだ。
今回のウクライナ侵攻をめぐって、プーチン氏は「欧米の脅威」やウクライナの「非ナチ化」あるいは「非武装化」を大義として掲げている。
一方で、私たち日本や欧米、ロシアのリベラル層は、ウクライナの「主権」「自由」を踏みにじることは断じて許されないとして戦争を止めようと呼びかける。
じつは、どちらもロシア人の心には響きにくい。
それよりもロシア人の心に訴えるのは「権力の腐敗」の糾弾だ。
プリゴジン氏は、ウクライナへの侵攻は「ショイグ国防相やエリートたちが私腹を肥やすために始めたものだ」という。そうした汚職や欺瞞、官僚主義を排除するのだというプリゴジン氏の主張はロシア人の心に直接訴えかける。
汚職を摘発する「世直し」にロシアの人々は共感したのだ。
(以下略)
※ちなみにこの点において、以前にも述べましたが、中村逸郎・筑波大学名誉教授や石川一洋・NHK専門解説委員といった少し高齢のロシア「専門」家は、1991年8月のソ連共産党保守派によるクーデターが失敗した記憶があまりにも強烈だからか、ロシアの権威主義的政権に対する反政府的な運動が起こるたびに「ロシアにおける民主主義の現れ」などと、はしゃぎまくるものですが今も昔も違うと思うんですよね。
こうして考えてみると、6月25日(日)の「ニュース7」における兵頭慎治・防衛省防衛研究所研究員の分析がズレていたことが改めて見えてきたように思われます(「【動画解説】ワグネルの部隊はなぜ引き返した?狙いや影響は?」2023年6月25日)。兵頭氏は次のように述べていました。
戦況そのものへの影響はそれほど大きくないものと思われますが、ロシア国内に残した爪痕は小さくなかったのではないかと思います。今回ロシアの内紛という形でモスクワ近郊まで治安が乱れてゆく可能性がありました。治安を維持しながら人気を高めてきたプーチン大統領が十分にコントロールできなかったという意味において、プーチン政権にとって一定のダメージになったと思われます。そして、プリゴジン氏は、ロシア軍に反発する観点から、プーチン大統領のウクライナ侵攻の正統性であるNATOの脅威の対応、ロシア系住民の保護という戦争の大義を真正面から否定した、これもですね、ウクライナ戦争を行ううえでロシア国内に否定的な影響を与えて行く可能性もあるのではないかプーチン大統領について「治安を維持しながら人気を高めてきた」と指摘する兵頭氏。たしかにプーチン大統領は、「破滅的」という他ないソ連崩壊後のロシアの社会・経済状況と治安状況を立て直すことで人気を高めてきました。しかし、プーチン大統領が立て直し、彼の権威の源泉となった治安とは、たとえば闇市を牛耳りあらゆる種類の犯罪行為に手を染めていたロシアン・マフィアやその手の輩を抑え込んだといった市井の民に関わる治安です。
冷静に考えてみると、ロシア軍機に若干の被害が生じたそうですが、今回の「ワグネルの乱」は、民間人には何の被害も発生しなかった点において市井の民には何の関係もない話でした。「ワグネルの乱」がトリガーとなってロシア社会が再び混沌とし始め、各地でロシアン・マフィアたちが息を吹き返してしまったとすれば、これはプーチン大統領にとって非常に大きな痛手になったでしょうが、そのような事実はありません。プーチン大統領の功績である「市井の民に関わる治安」は損なわれていないのです。
ちなみに、プーチン政権下では過去、爆弾などによるテロ事件が複数回起こり民間人に多くの犠牲者が出ていますが、それを以ってプーチン大統領の人気が低下したということは観測されていません。あの手の爆弾テロ事件に遭遇する確率って非常に低いですからね。テロ事件が複数回起こっても大統領の人気に陰りがないということは、ロシア国民のプーチン大統領に対する信頼とは、「自分たちの毎日の生活における不安や危険を取り除いてくれたこと」にあると言ってよいと思われます。
「自分たちの毎日の生活における不安や危険を取り除いてくれる力強いリーダー」を欲するのがロシアの国民性だとすれば、官僚主義批判を展開した「プリゴジンの乱」に対してロシア国民の間から好意的な反応が見られることも、「権力の腐敗」を糾弾するという共通項からナワリヌイ氏の支持層から「プリゴジンの乱」に共感が広がったことも、そして、「プリゴジンの乱」程度ではプーチン大統領の威信には大した傷がつかなかったこともすべて説明がつきます。ロシア社会においては、まだそこまで腐敗や官僚主義に対する不満が充満してはいないので、すべてが中途半端なまま済んだわけです。
防衛省防衛研究所の研究員たる兵頭氏がロシア国内の政治状況・社会状況について分析を加えることは、放映当初より私は人選ミスだと思っていました。こうして改めて考えてみると、兵頭氏が市井の民にとっての治安と国家権力にとっての治安とを混同していることが見えてきます。クーデターは国家権力にとっては大問題ですが、市井の民にとっては「雲上人の内輪揉め」に過ぎません。民衆層にとっての利害関係と支配層にとっての利害関係は必ずしも一致しないというのは、左翼の世界では当たり前過ぎることですが、そういう基本的な素養を持たないままに「防衛省防衛研究所」というブルジョア国家(国内に階級対立がないことを前提としている)の御用研究者の職にありついてしまった兵頭氏には、こういう視座は持ちえないのでしょう。そしてそうであるがゆえに、御用学者・兵頭慎治氏がまんまと陥ったように、現実の分析をし誤っているのでしょう。
私が世界観の問題としても社会歴史観の問題としてもたびたび批判している「大河ドラマ」は、社会歴史観の問題として見たとき、これは「雲上人の内輪揉め」物語に過ぎないものです。権力者がどのような経緯で内輪揉めを勝ち抜いたのかという「正統物語」に過ぎないものです。「歴史好き」を称する日本人は多いものですが、「雲上人の内輪揉め」であり「権力者の正統性を強調する政治的文書」を追いかけているに過ぎないという自覚はあるんでしょうか? こんなものを歴史と言ってしまってよいのでしょうか?
「歴史好き」を称する人たちは、多くの場合、学校「教育」における「歴史」の授業を契機に歴史に関心を持つようになったものと思われます。学校「教育」のカリキュラムに組み込まれている所謂「日本史」で取り上げられているテーマの多くは政治史ですが、これは要するに「雲上人の内輪揉め」の話でしかありません。古代中国の歴史書が、それを編纂した王朝の正統性を強調するための政治的文書であることは広く知られたこと(もちろん、そういう政治的制約の中でも文学的に価値の高い表現が盛り込まれていることもまた事実)ですが、いまも政治史というものは本質的には何も変わっていません。こんなものは歴史の一面であるとは言えても、これ自体が歴史だとは言えないでしょう。しかし、武将Aが「見事な計略」で、どこそこの戦いで武将Bを打ち破ったといった、正直どうでもいい話が歴史の重要な問題として持て囃されています。
ちなみに、学校「教育」のカリキュラムに組み込まれている所謂「世界史」は、これもまた政治史の比重が大きいものの、「日本史」ほど詳細な経緯の暗記は求められません。およそ1万年にわたる全世界の歴史についての細かい暗記が、学校「教育」において現実的ではないという事情もあるとは思いますが、日本の学校「教育」が、他国政権の正統性を教え込む義理などないのという要素もあるものと思われます。
国内に階級対立がないことを前提とするブルジョア国家の社会歴史観は、味噌も糞も一緒していると言わざるを得ないものです。そしてそうであるがゆえに、御用学者・兵頭慎治氏がまんまと陥ったように、現実の分析をし誤っているわけです。
最後に。「ナワリヌイ氏は、厳しい弾圧をはねのけて、ロシア全土で大規模なデモを引き起こした。彼の呼びかけに多くのロシア人が賛同し、デモが大規模化したのは、ナワリヌイ氏が「民主主義」や「自由」といった崇高な理念を掲げたからではない。プーチン政権の「不正」や「腐敗」を徹底的に暴いたからだ。」というくだりを見るに、ナワリヌイ氏を「民主派」と構図化することは避けておいた方がよいのではないでしょうか。割と厄介な大ロシア主義的傾向のある人物であり、米欧が期待するような自由民主主義者ではないでしょう。かつて、アウンサンスーチー氏をもち上げたところ政治実務家としては予想以上に無能だったことがありましたが、ナワリヌイ氏を民主派の旗手として持ち上げることはその比ではない失敗に終わるように思えてなりません。米欧流の「民主主義の輸出」は、ほとんどの場合において失敗していますが、ナワリヌイ氏を旗手にしている限りは対ロシアについても成功しそうにありません。
ラベル:世界観・社会歴史観関連