新型コロナウイルス禍は決してまだ終わってはいないのが事実ですが、しかし、経済活動をはじめとして徐々に復調の方向性にあることもまた事実です。劇的に縮小した経済活動は確実に拡大しています。近頃、「深刻な人手不足」というワードを耳にしない日はありません。
しかしここで非常に奇妙な事態が発生しています。「深刻な人手不足」だと言われているにも関わらず賃金がさして上がっていないのです。もちろん、非自発的失業が存在する現実世界では労働力需要の増大はまず非自発的失業者を吸収するので、(新古典派経済学の労働市場理論と異なり)経済活動の拡大が直ちに賃金が上昇するわけではないものの、「深刻な人手不足」と呼ばれるほどの重大事態であれば当然、賃金は大きく上昇していて然るべきであります。
その理由は、企業・資本が労働者を安く買い叩こうとしているに過ぎないためです。「良い品はそれなりの値段がする、よい仕事にはそれなりの報酬が要る」というのが世の理ですが、この期に及んで安い賃金で求人しているのだから「深刻な人手不足」になるのは当然のことです。
もちろん、マルクスが『資本論』の序文で述べたように、企業家・資本家も「競争の強制法則」に晒されている社会・経済的な被造物なので、安い賃金しか提示できない社会・経済的な構造問題にも目を向ける必要があるとは思います。問題は決して企業家・資本家のモラルの問題ではありません。しかしながら、日本の企業家・資本家、そしてその代理人たる日本の為政者たちは、目下の「深刻な人手不足」を「外国人材の積極活用」という形で乗り切ろうとしています。いくら「競争の強制法則」に晒されているとはいえ、このことは、まことに愚かしいことであると言わざるを得ません。
日本の企業家・資本家、そしてその代理人たる日本の為政者たちは、日本人労働者が敬遠する賃金や仕事内容でも外国人労働者なら応募して来、黙々と働くと考えているようです。しかし、外国人労働者はいわば「渡り鳥」のようなものであり、すこし条件が変われば直ぐに出国してしまうものです。彼らは日本に拘泥する必要などまったくありません。むしろ、その多くが日本語しか解さない日本人労働者の方が日本での働き口に拘泥する傾向があるでしょう。
また、そごう・西武労組がストライキを打ったことで日本社会は大騒ぎになるくらいに日本人は仲間同士で連帯したり己の権利を主張したりすることに慣れていませんが、外国人は必ずしもそうではありません。
日本の労働者たちがいかに権利主張に慣れていないのかについては、たとえば先に自治労を脱退した愛知県の小牧市職員組合の例が事態を典型的に示していると考えます。
https://www.chunichi.co.jp/article/758578
自治労脱退の小牧市職が会見 県本部再任用役員の給与引き上げ根拠追及県本部が再任用職員の給与を引き上げたことに対して市職組が反発したことに起因する自治労脱退。確かに「給与引き上げにお手盛りの疑念があれば…放置するわけにはいかない」という指摘はまっとうなものです。独占と搾取を許さない主体的社会主義者として私は、たとえ民間企業といえども際限のない賃上げや役員報酬・株主配当の増額は容認できるものではありません。公務員の給与は尚更です。その意味で、小牧市職組の反発及び給与引き上げの根拠資料の開示要求は理解できるものです。
2023年8月30日 05時15分 (8月30日 05時16分更新)
小牧市職員組合(市職)が、再任用役員の給与引き上げに反発して自治体職員らでつくる「自治労愛知県本部」を脱退した問題で、市職側は29日、会見を開き、県本部に求めた給与引き上げの根拠資料の開示が回答期限の今月22日までになかったと明らかにした。
(中略)
市職の青木清執行委員長は「原資の組合費は、元をたどれば公務員の給与であり、税金だ。不透明な使われ方をしていいのか」とし、今後も追及する姿勢を強調した。自治労の支援を受ける立憲民主党の愛知10区総支部長の藤原規真弁護士も会見に同席し、「選挙で応援はもらったが、給与引き上げにお手盛りの疑念があれば、市職の顧問弁護士として放置するわけにはいかない」と話した。
(以下略)
しかし、「原資の組合費は、元をたどれば公務員の給与であり、税金だ」というロジックは賛同できません。「原資の組合費は、元をたどれば公務員の給与」は分かりますが、「税金だ」は蛇足でしょう。「公務員の給与」になった時点でそれは公務員個人の財産になったのだから、その処分は当人の裁量であり税金かどうかは関係ありません。たまに「俺らの税金で飯くってるくせに偉そうなこと言うな!」というクレーマーが居、そうした主張を温床として今、維新が勢力を拡大していますが、市職組がクレーマーの論理に乗っかっているわけです。
扶桑社新書に『自治労の正体』という本があります(森口朗 著)。物置に仕舞い込んだので手元にはないのですが、たしか「公務員が有給休暇を使って組合活動をしているのは、国民の理解を得られないだろう」といった趣旨のくだりがありました。まったく失当な言い分です。有給休暇を何に使おうと当人の勝手であり、組合活動は違法行為でも反社会的行為でもない以上は、まったく何の問題もないからです。こういうことを言っているから組合を敵視するサンケイ系の自称「保守」はバカにされるんだよと思ったものですが、小牧市職組の上掲ロジックは、本来は当人の勝手であることに「公務員」という属性を引き合いに出してケチをつける点において、森口朗氏の組合敵視発言と大差ないものであると言わざるを得ません。
小牧市職組は自治労加盟時代から、公務員バッシングの世論にいささか阿る部分があったと言わざるを得ません。たとえば自治労自治研で小牧市職組は次のようなレポートを提出していました。
https://www.jichiro.gr.jp/jichiken_kako/report/rep_okinawa31/jichiken31/1/1_1_j_11/1_1_j_11.htm
市民に見える市職の活動自治研第31回全国集会はチュチェ95(2006)年10月だったので、自民党も民主党も挙って新自由主義路線を歩んでいた頃ですが、それにしても世論への阿りが強烈です。
〜市民に必要とされる職員をめざし
市民の望む職員をめざし
自治体改革(行財政改革)の前に組合改革を
愛知県本部/小牧市職員組合
(中略)
自治研を非難するつもりではないが、組合が地方自治を考える前に、組合のあり方をまず考え直す時期に来ているのではないだろうか。
特殊勤務手当やわたりなどの過去の産物を死守することは、全く市民に理解されない。堂々と市民に説明できる手当や昇給制度などを労働の対価として受け取ればそれで十分ではないだろうか。
小牧市職員組合(以下:市職)は、古い体質の労使交渉による賃金・労働条件の闘争は放棄した。しかし御用組合に成り下がったわけではない。
市職は、独自の活動を実施し、当局側とあくまでも協調協議により、紳士的な合意に基づき賃金・労働条件を決定している。
そして部課長会、課長補佐会、消防職員とも連携を取り、市民の目に見える活動を年間を通じて実施している。
市民に必要とされる職員、市職こそが、今後、公務員が公務員として、生き残れる唯一の道と考える。
(中略)
しかし、この成果にあぐらをかいていられるほど公務員にとって甘い時代ではない。
委託化を初めとする合理化が進むなかで、当局側の提案を待つことなく、市職から委託を初めとする合理化推進に関する提案を打ち出し、市民が望む行政をめざし、協調協議を進めている。
その際に、市職としての委託推進の大前提は二点のみの、@雇用の確保と質の更なる向上、A貴重な税財源の有効活用。これには過去からの働き方と考え方からの脱却が不可欠。
現在学校給食について、2つの給食センターと単独で給食調理業務を行っている8つの学校がある。今年の夏からは1給食センターを委託。2008年夏には8単独調理校を統合し新設給食センターを建築し委託。栄養士によるチェックや統一仕入れなど給食の維持向上を条件に検討を進めている。
さらに市職として、委託先の給食がこれまでの給食と質的に確保されているかどうか、業務がスタート後に試食会を実施し検証していきます。
この給食センター委託に関し、組合的に最大の課題は調理員の雇用問題。
担当部局の教育委員会庶務課は人事課任せ。人事課は担当課の方向性を待って対応と、用地買収さらには建物建築のスケジュールは表に出されているが、雇用の問題は蚊帳の外の状態。市職から先に委託後の調理員の働く場所の確保を提案し調整している。
具体策としては、現在保育園で正規調理員1人と臨時用務員1人体制の14園について、委託後、正規調理員2人の体制で行い、用務員の仕事も調理業務の合間を縫って実施していく方向。
その準備段階として今年の夏休みの本務外勤務で、センター調理員を各3日間、保育園にて保育調理研修の実施を市職が提案し、人事課と教育委員会、児童課を市職がリードして、雇用の場の確保のためにプランを作成。
保育園においては、今年秋に19番目の新設園を指定管理者に。市民の多様なニーズに対応すべく、延長保育の拡大、休日対応も検討中である。
さらに、温水プールも指定管理者、図書館も受付業務を委託開始し、支所においても受付業務の委託の検討を開始した。
委託を悪とする主張に市職は同調しない。質の低下が懸念されるのであれば、質の低下の原因を徹底的に当局側と検証し、問題点を解決した上で、質を維持しながら委託すれば何ら問題はない。今まで正規職員が携わっていたからの理由だけの保身は市民に一切通用しない。
(中略)
また、行政のスリム化と同様に市職の体制のスリム化も必要と考える。
(中略)
最後に、首長を初めとする各種選挙体制の強化も今後の公務員の存亡には不可欠と考える。
特に首長選挙では、市職が連合愛知、民主党の先頭に立ち、選挙戦をたたかい抜いてきた。また、昨年の衆議院選挙においては、執行部を中心に精力的な支援体制を構築し、三選した前田衆議院議員においては、市職の准組織内と言っても過言でない関係を築けている。
近隣の首長、市議会議員選挙においても、連合愛知の一員として、組織拡大が最大のテーマであることを充分理解し、積極的な支援活動を展開している。
昨年の豊山町長選挙、清須市長選挙、今年に入ってからの北名古屋市長選挙並びに市議会議員選挙、清須市議会議員選挙、春日井市長選挙並びに市議会議員補欠選挙では、今後の自治労組織拡大の足がかりが構築できたと総括するとともに、今後、県本部と連携を密にし、積極的に組織拡大に取り組んでいきます。
来年予定される県議選挙並びに市議会議員選挙においても、市職の意見反映できる議員の擁立と当選に向けての体制の強化を急がねばならない時期に来ている。
小牧市職は、当局側をリードする市職をめざし、市民に理解され、市民の望む行政を追求して、独自のスタイルで進んでいきます。
「雇用の確保と質の更なる向上」とは言ってはいるものの、「当局側の提案を待つことなく、市職から委託を初めとする合理化推進に関する提案を打ち出」す小牧市職組。「委託を悪とする主張に市職は同調しない。質の低下が懸念されるのであれば、質の低下の原因を徹底的に当局側と検証し、問題点を解決した上で、質を維持しながら委託すれば何ら問題はない」というくだりには、組合員・市職員の利益を見出すことはできません。公務員たるもの市民の利益を重視することは当然ですが、公務員もまた無産階級である以上、自らの労働力を切り売りすることで生活費を稼ぎだしているのだから、その限界費用(marginal cost)に見合う賃金(限界費用曲線は供給曲線とイコール)は必要不可欠です。それを自ら放棄する方向性を打ち出しているのが小牧市職組というわけです。近江商人「三方よし」の方向性を目指すべきところ、いくら時代背景がああだったとはいえ、失当なレベルで世論に阿っていたわけです。さすが商売人でない公務員。「限界費用」という単語は知らなくても商売人なら限界費用に見合う対価が必要だということは直感的に理解している事柄。所詮公務員、費用問題を本気で考えたことがないのでしょう。
挙句には「行政のスリム化と同様に市職の体制のスリム化も必要」と言ってのける始末。市民にとっては市職組の規模なんてまったくどうでもいいんですが・・・なんなら自分が住む自治体に職労があるか知らない市民も多いのでは? 維新のような周回遅れのロジックで自分で自分を追い込むだなんて、公務員って本当に世間知らずでズレており、かつ、自己犠牲を超えて自虐的な人種だなという感想を禁じ得ないものです。
そんな小牧市職組はついに次の衆院選では自民と維新の候補者を推薦する予定とのこと(「長年“非自民”の政党を支援…愛知県小牧市の職員組合 次期衆院選で自民と維新の現職議員の推薦方針を決定」(2023/05/24 11:39配信))。政策実現可能性の意味で自民党支持はまだ理解の余地がありますが、さしたる根拠もなく公務員を目の敵にする維新を市職組が支持するとは、錯乱状態なのかと疑わざるを得ません。しかし、いよいよコトはここにまで至っているわけです。
さすがに外国人労働者はここまで錯乱はしていないでしょう。日本人労働者は中途半端に為政者目線で物事を考えるので自己利益の主張を遠慮してしまいがちですが、世界の労働運動を見るに、日本人労働者のような発想をするのはむしろ少数派であると考えられます。「とりあえず主張しておく、落としどころは偉い人たちの交渉で落ち着くだろう」というのが世界のトレンドです。それゆえ、日本の労働市場に外国人労働者が大挙参入すれば、そのような労働運動に転換する可能性があります。
このように考えると、なぜ日本人労働者が敬遠する賃金や仕事内容でも外国人労働者なら応募して来、黙々と働くと日本の企業家・資本家、そしてその代理人たる日本の為政者想定しているのか、まったく理解に苦しむものです。
とはいえ、日本の企業家・資本家、そしてその代理人たる日本の為政者たちの外国人労働者に対する幻想・夢想は非常に大きく、おそらく今後、徐々に外国人労働者の受け入れが拡大してゆくものと思われます。日本の労働者階級は、この事態を想定して戦いを組んでゆく必要があると考えます。
外国人労働者が日本の労働市場に参入するということは、チュチェ111(2022)年6月28日づけ「技能実習制度問題を解決する道は「移民労働者としての受け入れ」ではなく「協同化」」でも論じたように、結局のところ労働供給を増やすことであり、マルクス経済学で言うところの産業予備軍を増やすことに他なりません。勤め先の数は変わらないのに働き手の数が増えれば供給過多になり労働力の単価は低下します。労働者の労働市場における価格交渉力は低下します。現況のままでの外国人労働者受け入れは、もともと弱い労働者階級の交渉力を更に低下させることにつながるでしょう。このことは、日本の労働者階級にとってはマイナス要素です。
他方、仲間同士の連帯意識や自己の権利を主張することについて日本人労働者よりは抵抗感が薄い外国人労働者が日本の労働市場に参入し、日本の労働者階級の構成要素として加わることは、労働運動にとっては決してマイナスではないと考えます。
ロシア十月社会主義大革命においては、『インターナショナル』が歌われ、「共産主義インターナショナル」(コミンテルン)が結成されるなど、インターナショナリズムが非常に盛んになりましたが、しかし、当時は現在ほど長距離移動が容易ではなかったので、当時のインターナショナリズムはあくまでも思想的なそれにとどまっていたものと考えます。「ロシアで革命が起こったらしいぞ、俺たちイギリス人/ドイツ人/フランス人/朝鮮人/日本人も新聞をよく読んで情勢を研究して頑張らないとな!」といったものだったと考えます。
しかし、長距離移動が容易になり現実に他国に出稼ぎに向かう人がロシア十月社会主義大革命の時代とは桁違いに多い現代では、異なる生育環境・文化的背景を持つ人たちが直接に交流する機会があるので、当時とはまた異なる形のインターナショナリズムの可能性があります。新聞や書籍というものは非常に勉強になるものではありますが、編集の過程で言語化しにくいニュアンスなど少なくない情報がカットされてしまうもの。これに対して生身の人間が直接的に交流することは、体験として人々の脳裏に直接的に訴えかけるものがあるのです。
新しい時代の特徴をよく掴んだ上で、現実に即した戦い方を組んでゆく必要があると考えます。特に、これから増える一方であろう外国人労働者との連帯、そして彼らとの協同化の道筋を探る必要があるでしょう。仲間同士の連帯意識が弱く自己の権利を主張することに慣れていない日本人労働者が外国人労働者の連帯意識や権利意識から学ぶことは非常に多いと考えます。新聞や書籍から異国の闘争に学び連帯する20世紀的なインターナショナリズムから、生身の人間同士の直接的交流から言語化しにくいニュアンスを含めて学び合う21世紀的なインターナショナリズムを構築する必要があると考えます。
ラベル:自主権の問題としての労働問題