「少子化なら北朝鮮の体制崩壊」…危機の金正恩氏、母親を持ち上げる「三つ子を産んだ妊婦は精力剤を使いながら健康管理に必要なすべての条件を保証され、子どもたちは国が義務的に育てる」――こう言い切れるのが素晴らしい。さすが元帥様率いる朝鮮労働党。100%実施するのは相当に困難なことだとは思いますが、執権党がこのように断言する点に私は、元帥様及び朝鮮労働党の危機感及び本気度を見出すところです。
12/4(月) 17:04配信
中央日報日本語版
「出生率低下を防ぎ子供を立派に育て革命の代を強く続けよう」
北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長が11年ぶりに開いた全国母親大会に参加し、少子化問題克服を呼び掛けこのように話した。北朝鮮では1組の夫婦が子ども2人を産まない水準に出生率が落ちたが、労働力が切実な低所得国にはより致命的と指摘される。
◇金正恩氏まで乗り出し「出生率」強調
朝鮮中央通信が4日に伝えたところによると、金委員長は前日平壌(ピョンヤン)で開かれた第5回全国母親大会に参加し、「いま社会的にみれば母親の力が求められることが多い。子どもを立派に育てて革命の代を強く続けていく問題と最近増えている非社会主義的な問題を一掃する問題」などを言及した。
金委員長はその上で「出生率低下を防ぎ子どもの保育教養をしっかりやる問題」を強調した。「母親は社会主義大家庭を強く守る原動力」としながらだ。
(中略)
◇「産めば国が育てる」宣伝戦
北朝鮮は最近国営メディアを通じて明確に出産を奨励している。労働党機関紙の労働新聞は連日「三つ子を産んだ妊婦は精力剤を使いながら健康管理に必要なすべての条件を保証され、子どもたちは国が義務的に育てる」(先月21日)、「各級党組織では子どもをたくさん産んで育てる母親を積極的に前に出し助けなければならない」(先月16日)などの報道を継続している。
翻ってニッポン。何よりも重視すべき人権の問題についてプログラム規定説という「絵に描いた餅」を合憲・合法にする為政者にとって非常に都合の良い理屈があるにもかかわらず、社会政策の場面において、このようなことは口が裂けても絶対に言わないのがこの国の為政者たちです。人権問題でさえ絵に描いた餅が許されるのだから、それと比べてより政策的裁量幅の大きい社会政策は、ほとんど詐欺のような大風呂敷を広げておきながら実行せずとも何ら問題にはならないはず。しかし、そうしない。日本の為政者は政策の拡充に非常に消極的であるといわざるを得ません。少子化が問題視されて久しい今日であるにも関わらず、踏み込んだ政策は、御題目としてさえ打ち出されていません。
東京都で高校の授業料を私立校を含めて実質無償化する方針がようやく提示されました(「東京都、高校授業料を私立校含めて実質無償化へ…世帯年収910万円未満の制限を撤廃」12/5(火) 7:00配信 読売新聞オンライン)。いくら「地方分権の時代」であるとはいえ、国民の利益になる施策を国がリードしてはならないという意味ではないはず。国の不作為が際立ちます。
東京都の方針について世論は概ね歓迎しているようですが、少数ながら、反対意見も見受けられます。反対意見は大きくいって2通りあるようです。すなわち、(1)よい教育は本来「買う」べきものだから無償化すべきではない、及び(2)経済的に余裕のある層には必要ないはずだから所得制限は残すべきだ、であります。
(1)よい教育は本来「買う」べきものだから無償化すべきではないについては、1970年代ごろまでならまだしも産業構造が高度化し知識経済となった今日では通用しないでしょう。質の高い教育は個人的な自己投資ではなく国家的な投資になっているからです。一言でいえば時代錯誤なのです。幸いにして、15年前ほど前であればこのような主張の大合唱だったところ、今はかつてほどの勢いはなくなってきています。むしろ珍しくなってきています。いまだにこういうことを言っている人たちの年齢層を伺い知ることができそうです。
今日的基準において問題視すべきは、(2)所得制限は残すべきだであると考えます。言いたいことは分からないでもないのですが、「経済的に余裕のある層には必要ないはずだ」という主張は、子育て支援という本筋とは直接は関係のない話です。結局、トータルで帳尻が合えばいいのだから、たとえば「経済的に余裕のある層」には別の機会に負担させればよいだけでしょう。何もかも一つの政策の中に盛り込もうとすると制度設計が過度に複雑になります。政策が時機を逸することになりかねません。
先に私は、プログラム規定説という「絵に描いた餅」を合憲・合法にする為政者にとって非常に都合の良い理屈があるにもかかわらず、日本の為政者は政策の拡充に非常に消極的であると述べましたが、もしかすると、何か政策を打ち出そうとすると本筋ではない反対が予想外の方向から湧き上がるので、それを回避するために消極化しているという考え方もできるのかも知れません。日本の社会意識は依然としてムラ社会メンタリティなので、他者から批判されることをとにかく嫌い、何をおいても責任回避に走りがちです。
剛毅で大胆な構想を打ち出す元帥様・朝鮮労働党のような不世出の偉人・偉大な党が日本に誕生する日は来るのでしょうか?