2023年12月30日

諦観とソ連崩壊、その轍は踏むまいとする朝鮮労働党

https://news.yahoo.co.jp/articles/043ef6f4bc0a381abba541c70f9608cd5c971346
崩壊直前の1991年6月のソ連にて…「ビッグマックに大行列、ワイロとチップがものをいう…これが社会主義というものだ」
12/19(火) 8:01配信
集英社オンライン

(中略)
ビッグマックを食べたいロシア人
ロシア人たちはどこへ行っても長い長い行列を作ってものを買うわけですが、外国人はドルとかクレジットカードを持っているがゆえにそういうところでものが買える。

(中略)
何人かの学生と話をしたんですが、彼らは西側の価値観を100%礼賛していて、できるならば亡命したいとまで言う。アメリカは難しいと思うが、オーストラリアはどうか? いや、南アフリカやイスラエルでもいいが、などと本気で聞かれると、ちょっと何と答えたらいいのか困ってしまいます。

例えば日本の常識じゃ考えられないような理不尽な目に遭うとするでしょ。そうすると「どうしてだ?」と若い人たちに聞くと、決まって「これが社会主義というものさ」(エータ・ソツィアリズム)と答える。

飛行機移動にはワイロが必須
アエロフロートで国内を移動すると、各空港では大抵イヤな経験をする。機内への荷物持ち込みの重量制限が極端に厳しいため、僕らの場合大体が重量オーバーになる。そういう時、空港の職員は必ずと言っていいほど、「タバコ持ってるか?」とワイロ(=タバコ)を要求する。

「こういう不正を誰か咎めたりチェックしたりする奴はいないのか?」と言うと、「仕方のないことだ。彼の責任ではない。これは社会のシステムが悪いのだ。エータ・ソツィアリズム」と諦めたように言うわけです。

彼の説明はこうです。空港職員の給料だけでは家計が苦しい。もともと機内持ち込みが極端に厳しい法律自体が理不尽なのだ。あの場で職員とケンカをすると正規のバカ高い(といっても日本で考えると安い)超過料金を支払ったうえ、預けた荷物が届く保証はない。

「そうすると、あのようなことが変わるきっかけとして誰が一体最初に異議を申し立てるのか?」と興奮気味に尋ねると「さあね。知らない。これが社会主義だから。彼のようにワイロをとって生きようがクソ真面目に働こうが給料は同じだからね。家族のことを考えるとワイロを要求する彼の方がエライと思うよ」。
ソ連崩壊直前の経済危機と、人々の諦めたような「これが社会主義」発言。もとより社会主義・共産主義は未来社会論であるところ諦めの空気が社会を支配しているようでは、8月クーデターが仮に成功していたとしても、ソ連は手遅れだったのでしょう。

この記事を読んでふと思ったのは、ソ連よりも長い歴史を刻んでいる朝鮮民主主義人民共和国のこと。近頃、共和国では、首都のみならず地方都市でも文化的な住宅や勤労者大衆の休息のための娯楽施設が次々と建設されています。また、3月23日づけ記事でも取り上げたとおり、消費財の広告文句やパッケージデザインがますます洗練されています。

朝鮮労働党は今、整備・補強戦略、つまり生産財に対する重点的な投資を行うことで自立経済の土台を再整備していますが、同時並行的に推進している文化的な住宅や娯楽施設の建設、消費財の広告文句やパッケージデザインへの注力は、整備・補強戦略とは直接的には関係はありません。アメリカの敵対的な経済封鎖と新型コロナウイルス禍からの回復という喫緊の課題を突破するために全力を傾けなければならない状況においては、必ずしも生産能力の向上に資するものではないことにも並行して手を出すことは、枝葉的に見えなくもありません

しかしながら、崩壊直前のソ連社会を覆った生活上の諦観、そしてそれがソ連人民の西側崇拝意識を強めて結果的にソ連崩壊をもたらしたことを考えると、必ずしも生産能力の向上に資するものではないが人々の日々の生活に潤いと楽しみを与える諸事業への注力は、非常に重要な取り組みであると言えます。日常生活が変化・向上するからこそ「よりよい暮らしが可能だ」と希望を持って生産活動に従事できるものです。

私自身、そのお言葉の深奥な意味合いを当時十分に理解していなかったと猛省しているところですが、一昨年1月の朝鮮労働党第8回大会で元帥様が言及なさった「実際の変化」という言葉は、こんにちの共和国の経済建設における重要なキーワードであります。同大会で元帥様は「新たな5カ年計画の期間に人民の食衣住問題の解決で必ず突破口を開き、人民が肌で感じられる実際の変化と革新を起こすというわが党の確固たる決心」と言明されました。人民の住まいや日用品など、生活水準において実際的な変化を実現させることで、諦観が社会を支配することを防ぎながら社会主義建設において更なる飛躍に繋げようとしているわけです。

ここにおいて注目すべきは、経済を社会の一部として位置づけつつ個人的利益と集団的利益をともに実現させてもいる均衡のとれた計画が推進されていること。これがたとえば日本だと経済政策と社会政策がバラバラに行われることでしょうし、個人的利益と集団的利益とを両立させることなど意図さえもしないでしょう。NHKクローズアップ現代が東京都港区の市街地再開発事例として「再開発はしたけれど 徹底検証・まちづくりの“落とし穴”」で取り上げているように、社会経済活動を統一的に指揮し、ときに脱法的な企業の行動を取り締まるという本来的な役割を果たさない例が確認されています。いくら「民間活力の活用」という国策に逆らえないとはいっても、行政は民間企業に対して指導的立ち位置を譲り渡してはならないはずです。やること為すことが悉くバラバラで有機的連関を持っておらず、自己の立ち位置を自ら放棄するような日本と対比するとき、共和国の確固とした姿勢が際立ちます。

国家経済発展5カ年計画の折り返しを迎えたチュチェ112(2023)年。かつて「どうせピョンヤンだけでしょ」と言われていた共和国の経済建設ですが、今やそんなことは言わせない成果が元帥様の執権下において続々と挙げられています。そして、生活が実際に変化・向上することは、人々をして諦観を打破して希望を抱かしめることになります。このことは、ソ連崩壊の経過を踏まえるに、社会主義体制を維持・発展させるためには非常に大切なことなのです。
posted by 管理者 at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
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