2024年01月25日

共和国の対大韓民国新路線について

1月15日づけ「朝鮮労働党中央委員会第8期第9回総会拡大会議について」の続きです。今回は対大韓民国政策の歴史的転換にかかる部分について、最高人民会議での元帥様の施政演説も交えて検討してゆきたいと思います。

■元帥様の情勢認識
昨年末の朝鮮労働党中央委員会総会を報じる朝鮮総聯機関紙『朝鮮新報』の「朝鮮労働党中央委員会第8期第9回総会拡大会議に関する報道」(2024年01月01日 08:29)を基に、「金正恩総書記は、核戦争の瀬戸際に至った朝鮮半島地域の危うい安保環境と敵対勢力の軍事的対決策動の性格を分析、評価し、国家防衛力の急進的発展を一層加速させることに関する重大な政策的決断を宣明した」以降に記されている情勢分析をまず確認してゆきましょう。

キム・ジョンウン同志は「米国とその追随勢力の反朝鮮対決策動は依然として悪辣(あくらつ)に強行されたし、その無謀さと挑発さ、危険さは史上前例がないほど、敵のあがきは極に至っている」と指摘。その理由として、「南朝鮮に(アメリカの)超大型戦略原潜が40余年ぶりに再び入ってきた」ことや「(アメリカの)核戦略爆撃機が史上初めて着陸した」こと、「超大型原子力空母打撃集団を時を構わず送り込」んだこと、「日本、南朝鮮の連中と繰り広げた合同軍事演習の回数が昨年に比べておよそ2倍に増えた」ことなどを挙げられました。この結果、「各種の米国核戦略手段の連続的な朝鮮半島地域投入で南朝鮮が米国の前方軍事基地、核兵器廠に完全に変わってしま」ったと情勢認識を示されました。

大韓民国側は最近でも、今夏予定の合同軍事演習に核作戦シナリオを導入することを決める(「韓米が合同演習で「核作戦シナリオ」実施へ 拡大抑止強化」2023/12/16(土) 11:34配信 聯合ニュース)といった具合に北侵挑発を続けていますが、このことについてキム・ジョンウン同志は「米国が痼疾的(こしつてき)に濫発している反朝鮮敵対行為が単に、修辞的威嚇や誇示性目的だけに限られたものではなく、実際の軍事的行動につながって双方武力間の衝突を誘発させかねない犯行段階に明白に進化したということを見せている」と指摘されました。

この中で注目すべきは、従米を超えて崇米というべき域に達しているユン・ソギョル行政府の所業であります。キム・ジョンウン同志は、ユン行政府が「形式上にでも武力衝突防止という微弱な使命を果たしてきた9・19北南軍事分野合意の破棄という結果までもたらした」と指摘したうえで、「注目すべきことは、尹錫悦かいらい一味が不法無法の幽霊機構である「国連軍司令部」を第2の朝鮮戦争挑発のための多国籍戦争機構に拡大してわれわれとの「力のバランス」を成し、最後まで対決しようと自滅的な企図をしていることである」と指摘なさいました。その上で、「朝鮮半島地域の危険な安保環境を時々刻々激化させ、敵対勢力が強行している対決的な軍事行為を綿密に注目してみれば、「戦争」という言葉はすでにわれわれに抽象的な概念ではなく、現実的な実体として迫っている」という重要な情勢認識を定式化なさいました。

また、その情勢認識を基に対外事業部門でとらえていくべき戦略・戦術的方針、及び北南関係と統一政策における新しい立場の定立及び対敵活動で断固たる政策転換について宣明なさいました。対外事業においては、社会主義国の政権党との関係発展に力を入れながら反帝・自主的な国々との関係をより一層発展させ、国際的規模で反帝共同行動、共同闘争を果敢に展開していく路線を提示されました。対米・対敵闘争においては強対強、正面勝負の原則を一貫して堅持・実施すべきであるとされました。

その関連で対南部門で根本的な方向転換をする路線が提示されました。「膨大な双方の武力が対峙している軍事境界線地域でいかなる小さな偶発的要因によっても物理的激突が発生し、それが拡大しかねないということは周知の事実であり、現在の朝鮮半島に最も敵対的な両国が並存していることに対しては誰も否定できない」としつつ、さらに歴史的経緯を振り返るキム・ジョンウン同志。「この不正常の事態は、歴代かいらい政権の政策延長線から見る時、決して突然変異のような偶然の現象ではなく、北南関係史の必然的帰結である」と言明なさいました。

この理由としてキム・ジョンウン同志は、歴代の大韓民国為政者らが持ち出した政策はいずれも「南による北の吸収統一」でしかなく、「われわれの体制と政権を崩壊させるというかいらいの凶悪な野望は「民主」を標榜しても、「保守」の仮面をかぶっていても少しも異なるものがなかった」からであると指摘。その上で、キム・ジョンウン同志は「長きにわたる北南関係を振り返りながらわが党が下した総体的な結論は、一つの民族、一つの国家、二つの体制に基づいたわれわれの祖国統一路線と克明に相反する「吸収統一」「体制統一」を国策と定めた大韓民国の連中とは、いつになっても統一が実現しないということである」と断言なさいました。

確かに、共和国が武力による赤化統一路線から一国二制度の高麗民主連邦共和国構想による段階的な統一路線に大きく方針を変えたのにもかかわらず、大韓民国はイ・スンマンの頃から皆「北進統一」論に固執しています。ユン・ソギョル氏が、仮に今日、時代錯誤的な「滅共統一」を絶叫しても何ら驚くには値しません。

このような認識を展開したうえでキム・ジョンウン同志は「現実は、われわれをして北南関係と統一政策に対する立場を新しく定立すべき差し迫った要求を提起している」、「現実を認めて南朝鮮の連中との関係をより明白にする必要がある」と問題を提起。「われわれを「主敵」と宣布して、外部勢力と結託して「政権崩壊」と「吸収統一」の機会だけをうかがう一味を和解と統一の相手に見なすのは、これ以上、われわれが犯してはならない錯誤」と断定したうえで「北南関係は、これ以上、同族関係、同質関係ではない敵対的な両国関係、戦争中にある両交戦国関係に完全に固着された。これが、こんにちの北と南の関係を見せる現住所と言える」となさったのです。

続いて「党中央委員会統一戦線部をはじめとする対南事業部門の機構を整理、改編するための対策を立て、根本的に闘争の原則と方向を転換すべきである」とか「米国と南朝鮮の連中が、もしあくまでもわれわれとの軍事的対決をもくろもうとするなら、われわれの核戦争抑止力は躊躇(ちゅうちょ)せず重大な行動に移る」あるいは「朝鮮半島でいつにでも戦争が起こりうるということを既定事実化して、南朝鮮の全領土を平定しようとするわが軍隊の強力な軍事行動に歩調を合わせていくための準備を先を見通して講じていく」といった具体的方向性を提示なさいました。

■「もうお前たちには、身内としての特別扱いをしない」
さて今般、キム・ジョンウン同志が提示なさった対南部門での根本的な方向転換の経緯は、要約すると「大韓民国には同胞のよしみということで破格的な配慮してきたというのに、奴らは我々の善意を踏みにじってきたのだから、もう話し合いの対象ではなく単なる敵である」といったところになります。もっと平たく言えば、「大韓民国は話せば分かり合える相手ではない」であり「もうお前たちには、身内としての特別扱いをしない」ということです。1月15日の最高人民会議での演説でも次のように指摘されています。
党中央委員会2023年12月総会でも厳かに宣明されたように、わが党と政府と人民は流れた歴史の長きにわたる期間、いつも同族、同胞という観点から度量の大きい包容力と粘り強い忍耐力、誠意ある努力を傾けて大韓民国の連中と祖国統一の大義を虚心坦懐に論じたりもした

しかし、苦い北南関係史が与える最終結論は「政権崩壊」と「吸収統一」を夢見ながらわが共和国との全面対決を国策としており、日増しに道理に外れて凶悪になり、傲慢(ごうまん)無礼になる対決ヒステリーによって同族意識が骨抜きになった大韓民国の連中とは民族中興の道、統一の道を共に歩めないということである。

北南関係がこれ以上同族関係、同質関係ではない敵対的な二国家関係、戦争中にある完全な二つの交戦国関係であるという現実は、外部勢力の特等手先集団である大韓民国が極悪で自滅的な対決妄動で書き込んだ北と南の明白な現住所であり、世界に向けて滞りなくベールをはがした朝鮮半島の実状である。
民族中興の道、統一の道を共に歩めなくした元凶は大韓民国の連中であり、もはや北南関係は戦争中にある完全な二つの交戦国関係であると言明されています。確かに「同胞のよしみ」を取り去れば北南間の関係はただ一つ、戦争中にある完全な二つの交戦国関係になるでしょう。

■決して根拠のない情勢認識ではない
最高人民会議での演説では、このくだりに続いて次のように指摘されています。
これに関連して、朝鮮民主主義人民共和国憲法の一部の内容を改正する必要があると思う。

すでに、私はこの前の総会で大韓民国憲法というものに「大韓民国の領土は朝鮮半島とその付属島嶼とする」と公然と明記されている事実について想起させた。

今回、一部の外国の憲法資料を調べてみると、国家主権が行使される領域部門、言い換えれば自国の領土、領海、領空地域に対する政治的および地理的な定義を憲法に明白に規制している。

現在、わが国の憲法には上記の内容を反映した条項がないが、わが共和国が大韓民国は和解と統一の相手、同族であるという現実矛盾的な既成概念を完全に払拭して徹底的な他国に、最も敵対的な国家に規制した以上、独立的な社会主義国家としての朝鮮民主主義人民共和国の主権行使領域を合法的に正確に規定するための法律的対策を立てる必要がある。
党中央委員会総会よりも踏み込んだ表現。大韓民国が和解と統一の相手、同族であるというのは現実と矛盾していると言明されています。

ここで是非とも注目しなければならないのは、共和国の憲法が今まで領土・領海・領空について明確な表現をしてこなかったのに対して、大韓民国はその統治領域について「朝鮮半島とその付属島嶼とする」などと敵対的に言明してきたところ。党中央委員会総会で「われわれの体制と政権を崩壊させるというかいらいの凶悪な野望は「民主」を標榜しても、「保守」の仮面をかぶっていても少しも異なるものがなかった」とキム・ジョンウン同志が指弾されたことは決して無根拠ではないのです。

■チュチェ思想における「民族」の定義に立ち返れば
ここで是非、チュチェ思想における「民族」の定義を踏まえなければならないと考えます。チュチェ思想において民族とは、「血縁、言語、文化生活、地域の共通性にもとづいて社会歴史的に形成された人々の堅固な集団」であるとされています。長い歴史的過程の中で、異なる氏族や種族に属した人々のあいだの経済的および文化的連携が緊密になったことで一定の領土内に血縁や言語、文化生活の共通性に基づいた一つの統一的な生活単位が生まれ、新しい社会的共同体である民族が形成されたわけです。なお、ここでいう血縁(血縁的関係)とは、朝日新聞の牧野愛博氏がよく勘違いして使っている生物学的な意味ではなく、身体的および心理的な共通感を抱かせる社会政治的な一体感、疑似的な家族意識に近い仲間意識をいいます。ここには儒教の伝統的な血縁観が色濃く反映されていると言えます。

この点、共和国と大韓民国との関係は、まず言語については、ほぼ問題なく意思疎通できる意味において共通的だとは言えますが、キム・イルソン同志の労作『朝鮮語の民族的特性を正しく生かすことについて』で既に指摘さてれいたとおり、大韓民国における朝鮮語は「西洋化、日本化、漢字化したために朝鮮語らしくなくなり、朝鮮語の民族的特性がしだいに失われつつあ」ります。あれから50年以上経っており、大韓民国における朝鮮語の乱れはさらに深刻化していると考えられ、言語の共通性は日に日に損なわれているものと考えられます。ちょうど1年前に制定された「ピョンヤン文化語保護法」は、この観点から考えるとその立法動機が非常に意味深であると言えるでしょう。

文化生活については、共和国は大韓民国のブルジョア文化の退廃性をかねてより鋭く批判してきたところです。「南朝鮮というものは政治は完全に失踪し、社会全般がヤンキー文化で混濁しており、国防と安保は米国に全的に依存する半身不随の奇形体、植民地属国にすぎない」とも言及されています。文化生活の共通性はないといってよいでしょう。

地域の共通性については、軍事分界線を超えた北南の往来は不可能です。また、交流の類も近年はますます低調になってきています。ユン政権になってからは、昨年12月21日づけ「北南の交流推進はユン「政権」にとって何か都合が悪いのか?」でも取り上げたとおり、大韓民国の統一省は日本国内の朝鮮学校を取材した映画監督らを調査するという常軌を逸する締め付けを行うに至っている始末。人間の往来の困難さが増す中で地域の共通性は著しく損なわれていると言わざるを得ないでしょう。

このように、民族を定義づける血縁、言語、文化生活、地域の共通性のうち、そのうち3つが既に大きく損なわれているわけです。そして血縁的関係性について言えば、これはもとより「共通感」という点において想像上のもの。最後の紐帯であった血縁意識さえも大韓民国の執拗な悪意によってズタズタにされた以上は、もはや同族扱いする理由はないでしょう。

■1950年代末から1960年代までの対南政策を思い起こさせる
キム・ジョンウン同志は、続けて次のように指摘なさっています。
朝鮮半島で戦争が起こる場合には、大韓民国を完全に占領、平定、収復し、共和国領域に編入させる問題を反映することも重要であると思う。

そして、わが人民の政治・思想生活と精神・文化生活の領域で「三千里の錦繍江山」「8千万同胞」のように、北と南を同族にまどわす残滓的な単語を使用しないということと、大韓民国を徹頭徹尾、第1の敵対国、不変の主敵と確固と見なすように教育を強化するということを当該の条文に明記するのが正しいと思う。

この他にも、憲法にある「北半部」「自主、平和統一、民族大団結」という表現が今や削除されなければならないと思う。

私は、これらの問題を反映して共和国憲法が改正されなければならず、次回の最高人民会議で審議されなければならないと思う。

憲法改正と共に、「同族、同質関係としての北南朝鮮」「わが民族同士」「平和統一」などの象徴として映りかねない過去時代の残余物を処理するための実務的対策を適時に伴わせなければならない。

差し当たり、北南交流協力の象徴として存在していた京義線のわが方の区間を回復不可の水準に物理的に完全に断ち切ることをはじめ、境界地域の全ての北南連携条件を徹底的に分離させるための段階別措置を厳格に実施しなければならない。

そして、首都平壌の南の関門に無様に立っている「祖国統一3大憲章記念塔」を撤去するなど、自余の対策も実行することによって、わが共和国の民族史で「統一」「和解」「同族」という概念自体を完全に除去しなければならない。
北と南を同族にまどわす残滓的な単語を使用しない」「わが共和国の民族史で「統一」「和解」「同族」という概念自体を完全に除去しなければならない」などと強い表現が連続して現れます。大韓民国を対話の相手と認めるからこそ使用されてきた一連の表現ですが、もはやそうではなくなった以上は、すべて削除しなければならないというのは道理には適っていると言えます。

ここで注意しなければならないのは、「統一」「和解」「同族」という概念が必ずしも一般的意味でのそれではあるとは言い難く、大韓民国を対話の相手だと認める文脈での表現、もっと平たくいえば大韓民国を身内扱いする文脈での意味合いであったということです。

当ブログがかねてより指摘してきたことですが、言葉というものは辞書に載っている意味だけがあるのではなく文脈によって形成された、通常とは異なる特別な意味合いを持っている場合もあります。特に共和国は、正統という概念を非常に重視するお国柄であるため、言葉が持つ意味合いを練りに練ってから繰り出します。たとえばチュチェ思想において「血縁」という言葉は非常に重要なキーワードですが、これには生物学的な意味合いは含まれてはおらず、儒教文化に根ざした社会政治的な一体感・仲間意識を指す意味合いが込められています。

それゆえ、この演説を「二つのコリア路線の固着化」だとする見立ては些か語弊があるように思われます。「同族どうしで話し合いによって和解し平和的に統一する」が大韓民国側の執拗な悪意のために不可能になったと言っているだけ、言い換えれば「大韓民国は話せば分かり合える相手ではない」だけであって「朝鮮半島で戦争が起こる場合には、大韓民国を完全に占領、平定、収復し、共和国領域に編入させる問題を反映することも重要」と言明されているとおり、大韓民国の地域を奪還することは依然として国是でありつづけています。それゆえ、統一を全面的に撤回したわけではありません。もっとも、実際問題として朝鮮人民軍が軍事分界線を越えて南進する可能性は、成功する可能性を鑑みるに現状では低いと思われるので、武力統一に打って出る可能性は低いでしょうが、たとえば、「大韓民国における革命的事変・体制転覆級の事件があれば統一し得る」とは言えるでしょう。1950年代末から1960年代までの対南政策を思い起こさせます。

■≪삼천리 아름다운 내 조국≫という国歌の歌詞の処遇に注目すべき
関連して、「北と南を同族にまどわす残滓的な単語を使用しない」のくだりでは「三千里の錦繍江山」という表現が例として挙げられていますが、共和国の国歌には≪삼천리 아름다운 내 조국≫という表現があります。この表現が今後どうなるのかは注目に値するでしょう。

삼천리 아름다운 내 조국≫は建国以来一度も書き換えられていないくだりであります。北南対立が戦争という形で噴出した祖国解放戦争の時代でも、住民蜂起を促す形での大韓民国行政府の崩壊を目指す1960年代でも、それらとは真逆的な6・15会談の時代でも同じく歌われ続けてきた点において≪삼천리 아름다운 내 조국≫という表現は、大韓民国との関係とは無関係だと言えます。もしこの歌詞が引き続き維持されるのならば、今回「統一」「和解」「同族」といった諸表現が問題視された原因が「大韓民国を身内扱いするからこその表現であるため」という私の推論が正しいと言えるでしょう。もし≪삼천리 아름다운 내 조국≫という表現が削除されたら、改めて分析しなければならないと考えています。

■政府と人民大衆とを区別・峻別する社会主義・共産主義者の基本姿勢に照らせば
また、もう一つ注目しておかなければならないのは、ここで槍玉にあげられているのは一貫して大韓民国、つまり韓国政府だという点です。以前から繰り返し指摘してきたように社会主義・共産主義者は政府と人民大衆とを区別・峻別しますキム・ジョンウン同志は大韓民国については、もはや同胞としての特別扱いはしない、大韓民国は話せば分かり合える相手ではないと突き放していますが、彼の地に住む人民大衆については言及はしていません。「「8千万同胞」のように、北と南を同族にまどわす残滓的な単語を使用しない」と言明されているので、今後は「同胞だから」というだけの理由で無条件に身内扱いはしないでしょうが、だからといって無分別に敵扱いするとも言えないのではないかと思われます。

最高人民会議での演説においてキム・ジョンウン同志は次のように指摘されています。
対外活動部門は、激変する国際政治地形と安保環境に主動的に対処するための活動を策略的に、積極的に展開して、わが革命に有利な条件と環境を整え、国権守護、国益死守の原則に基づいて一寸の脱線や譲歩も許してはならない。

社会主義国との関係発展を優先課題にして双務的・多角的協力をより一層強化し、国際的規模での反帝共同行動、共同闘争を果敢に展開し、自主と正義を志向する全ての国、民族と思想と体制の差を超越して団結し、協力して、国の対外関係領域を一層拡大するための活動で新たな進展を遂げなければならない。

これらの課題が、共和国政府が差し当たりとらえて必ず貫徹すべき主要政策である。
自主と正義を志向する全ての国、民族」と「思想と体制の差を超越して団結」すると言明されるキム・ジョンウン同志(「と」が続く「自主と正義を志向する全ての国、民族と思想と体制の差を超越して団結」という文章を何処で区切るのか少し悩ましいところですが、英語版で≪irrespective of ideology and social system.≫とあったので、上述のように解釈するのが文法的にも内容的にも自然だと思います)。自主と正義を志向する民族とは引き続き思想や体制の差を超えて団結すると言っているので、大韓民国国民であったとしても自主と正義を志向する限りは団結の対象になる余地が理論的にはあり得ます。

蓋し、今後の共和国政府の大韓民国国民に対する接し方は、アメリカ国民に対する接し方に準ずるのではないでしょうか。「戦争中にある完全な二つの交戦国関係」は、アメリカもそうです。すなわち、政府と敵対的関係にあるのでその国民は基本的に敵性国民ということになるが、個人的に親善友好の意思がある人士については個別的に対応するというものです

「韓国は議会制民主主義の国なのだから、韓国政府の政策は韓国国民の意思に基づくものだろう」という指摘もあるかもしれません。しかし、社会主義・共産主義者は階級国家論に依拠しているので、大韓民国政府はその支配者たちに牛耳られていると見做します。今年はアメリカ大統領選挙の年ですが、ちょうど朝鮮労働党機関紙『労働新聞』はこのことについて「米国ではカネと大企業から切り離された権力者は存在しない」とか「資本家の代弁者に過ぎない」と報じています(「北朝鮮、米選挙激戦と報道 「軍需産業が本当の大統領」」2024/1/22 09:56)。政府と人民大衆とを区別・峻別し、政府は支配階級に牛耳られていると見做す社会主義・共産主義者の基本原則を共和国は引き続き忠実に実践しています。

■総括
共和国の対大韓民国姿勢の急激な変化は、たとえば、南朝鮮という表現がカッコつきの大韓民国表現に取って代わり、そして昨年末ごろからカッコなしの大韓民国表現に取って代わった点に非常に端的に現れていました。当ブログでは昨年12月25日づけ「カッコなしの大韓民国表現が現れるようになった意味」において「カッコ表現と韓「国」の傀儡性は一対一的なリンクの関係にはな」く、カッコつきの大韓民国表現がカッコなしの大韓民国表現に取って代わったこと自体には何らかの意味合いが込められているものの、「共和国の対南観や対南政策は実質的には何も変わっていない」としましが、このたびの一連の出来事を鑑みるに私の見立ては外れたと言わざるを得ません。

正直に申せば、カッコつきの大韓民国表現が出てきた頃までは、昨年7月20日づけ「キム・ヨジョン党中央副委員長の「大韓民国」発言は「二つのコリア政策のあらわれ」とは言い難いだろう」で述べたことについてはそれなりに自信があったのですが、12月時点は我ながら苦しい見立てでした。これは何といっても、路線変更を指摘する勇気は私にはなかったことに起因します。確かにカッコなしの大韓民国表現は目新しいものでしたが、「傀儡」という昔ながらの表現が引き続き使われていたなど、文脈を総合するにそれ以外の点において路線変更があったとまでは断定し難かったのです。

今回、朝鮮労働党及び共和国政府が新しい路線をこれ以上ないほどに明確に示しています。そしてこれは偏に大韓民国の執拗な悪意に起因するものであることが明白であります。大韓民国は、彼らの敵対的な悪意ゆえに、話せば分かり合える相手ではないのです。そうである以上は、現在の情勢認識に基づく新路線を受け入れるべきでしょう。路線変更を指摘する勇気を持てずにモヤモヤしていた私としては、強力なお墨付きを得られた思いです。

【コラム】金正恩の民族・統一否定に韓国の主体思想派は「メンタル崩壊で沈黙」」(1/23(火) 17:58配信 中央日報日本語版)によると、キム・ヨンファン氏が「韓国国内の従北主体思想派が沈黙しているのはさらに驚くべきでいぶかしい。これまで本当に統一を叫んできたならば金正恩政権の反統一路線表明に対し非難する大規模糾弾集会でも開かなければならないはずだがまだ何の動きも見せていない。北朝鮮の対南戦略急変で突然方向感覚を失い「メンタル崩壊」に陥ったのだろうか」などと宣っていますが、この見立ては失当でしょう。キム・ジョンウン同志は「反統一路線」に舵を切ったのではなく、「大韓民国は話せば分かり合える相手ではないので、もう相手にしない」と言っているに過ぎません。それゆえ、大韓民国が転覆すれば統一はあり得るのです。その線での統一工作、1960年代的な工作活動は依然としてあり得るでしょう。

大韓民国で活動するチュチェ思想派はおそらく朝鮮労働党及び共和国政府が提示した歴史上画期的な新路線が意味することを注意深く研究している最中であるものと思われます。社会主義・共産主義者は、正統的であればあるほど「正しさ」を重視する傾向にあるので、物事をじっくりと時間をかけて深く考えることで持論をブラッシュアップする傾向にあります。

「大韓民国は話せば分かり合える相手ではないので、もう身内としての特別扱いをしない」という新路線の基本に対する理解を柱としつつ、政府と人民大衆とを区別・峻別する社会主義・共産主義者の基本姿勢を底流として踏まえて理解すべきものと考えます。
posted by 管理者 at 20:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
共和国の対南路線転換は私としてもかなり衝撃を受けました。天気予報の朝鮮半島地図が分断されたり、祖国統一三大憲章記念塔の撤去が言明されたり、「我々民族同士」等のウェブサイトが接続不能になったりする等、既に如実に路線転換が実行されていっている気がします。

傀儡大韓民国の尹は「反民族的」などと自分の事を棚に上げて罵倒していますが、ご指摘の通り、この様な事態が起こった事については全面的に傀儡大韓民国が責任を負うべきだと思います。米国と日本に追従して共和国を瓦解させようと狂奔してきたツケが回ってきたとしか言いようがありません。

「愛国歌」の「三千里」に関しては、純粋に気になりますね。「金正日将軍の歌」、「人民共和国宣布の歌」や「輝く祖国」、「首領様と将軍様は共にいらっしゃる」等の歌謡についても、歌詞が改定されるのかどうかが気になります。
Posted by ぐう at 2024年01月26日 11:30
ぐうさん

コメントありがとうございます。

「米国と日本に追従して共和国を瓦解させようと狂奔してきたツケが回ってきたとしか言いようがありません」という貴見に同意いたします。キム・ヨンホ大韓民国「統一」部長官は、自分たちが火をつけた大火事であるにも関わらず、開き直って「北の実状を広めることに力を集中する」などと宣っています(https://news.yahoo.co.jp/articles/b90a19512c87e9142940ed269529512358a26a86)。呆れる他ありません。

なお、同記事によると「今年「脱北者の日」を制定するのを機に、脱北者に対する差別意識をなくすことに力を注ぐとし、これが北朝鮮住民に対する希望のメッセージになる」と宣うキム・ヨンホ長官ですが、脱北者といえばかねてより詐欺の格好の餌食になってきた人たち。脱北者の苦境は「差別意識」とかそういう問題ではなく「他人を押しのけてでも」「自分さえよければ」という大韓民国の社会的宿痾であるブルジョア「自由」主義そのものに起因するものです。そこに気が付いていないところも、これもまた呆れる他ありません。
Posted by 管理者 at 2024年02月13日 22:36
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