『母の余命は1ヶ月』と告げられるも「本人には本当のことを言えず…」 母の死を後悔した女性が“今をより良く生きる”術を発信チュチェ思想は「人間があらゆるものの主人であり、すべてを決定する」という哲学的原理に立っています。そうであるがゆえに「人間とは何か」という存在論そして「豊かな人生とは何か」という人生観の問題は避けてとおれないものです。当ブログはまだ十分には記事化できてはいませんが、その観点で自分自身の問題を絡めつつ思索しているところです。
2/10(土) 17:00配信
ほ・とせなNEWS
人生の最期に何を大切にしたいか、考えたことはあるだろうか。日常に追われていると、つい後回しになってしまう終活。それは「死ぬためにすること」というよりは「今をより良く生きるため」の作業という考え方がある。
香川県丸亀市在住の終活カウンセラー、木村奈美さんもそんな考え方を持つひとり。母親の死をきっかけに「元気なうちに、終活に取り組む大切さ」を発信している。
(中略)
2019年7月には「ゆるい終活新聞」と題して月1回の情報発信を開始。終活で必要な基礎知識を中心に、役立つ情報をまとめている。2024年1月に50号を数えた。木村さんは「大切だけど伝わっていない情報は、何度か繰り返してテーマにしています」と話す。
新聞のサブタイトルには「元気なうちに整える」と謳った。健康で元気なときは前向きな発想になる人も、病を抱えていたり不安なときは、やりたいことさえ見つからないものだ。
「不安や孤独を抱えている『マイナス』の状態から『ゼロ』に持っていくことが、私にできることだと思っています。そうすれば、『ゼロ』から『プラス』には本人の力で主体的に動いていくことができるからです」
(中略)
市民活動として終活を支援
木村さんは毎月1回、丸亀市市民交流活動センターマルタスで「ゆるい終活」と題したワークショップを開いている。よく取り上げるのが、余命半年を想定した「もしバナゲーム」だ。4人で取り組むゲームで、35枚のカードの山から手元に5枚残るように1枚ずつカードを取っては捨てていく。その人が大切だと思うカードが、最後まで手元に残る。
カードには「家で最期を迎える」「人との温かいつながりがある」「ユーモアを持ち続ける」など、1枚に一つずつ言葉が記されている。大切に思うものは、一人ひとり違うので、他の人が捨てたカードが自分にとっては大切だということもある。
「最後に自分に残ったカードを見ながら、みんなの前で気持ちを話します。参加者が話してくれる内容によってどんな場になるか異なりますが、全員が泣いてしまったこともあります」
「終活で大切なことは、言葉にしてみること。人は心の中で望んでいることを言葉に出さずに生きていることも多いと思います。カードを使って自分の気持ちに気づくことができ、心の中の思いを話せる場所でもあるところが、もしバナゲームの良さです」
木村さんは「今をより良く生きる」という終活のキーワードに近づくことが大切だという。例えば「人との温かいつながりがある」というカードが最後まで手元に残ったら「1週間以内に誰かに連絡を取ってみる」など実際に行動することを勧めている。「いま大事にしていることに気づいて、行動してもらう」ゲームだ。
(中略)
「どんな人にも、死は必ずやってきます。だからこそ向き合ってほしい。元気な時から備えておくことで、後悔のない最期を迎えられると思います」
近年、AIの急速な発展に伴って「AIに仕事を奪われるのではないか」とか「そもそも人間って何だろう」といった問いが頻繁にたてられています。これらは往々にして「稼ぎ」の観点からの人間論であり正直いってあまり深みのある人間論ではありません。資本主義に毒されたブルジョア思想は、ついに人間論をも貧困化させているわけです。
これに対して、いわゆる「終活」をめぐる「豊かな人生とは何か」という人生論問題は、AIをめぐる「そもそも人間って何だろう」と比べると非常に内容が濃いように当ブログは見ています。死までの経緯においては当人の経済力の問題が大いに影響しうるとはいえ、いつか誰にでも必ず死は訪れるという意味において、「死は平等」です。死をめぐる問題においてこそ豊かな人生論、主体的な人間観が培われうるのではないか、そう考えます。
※更新頻度は低下していますが、まだまだ死んだり止めたりする予定はありませんw
ラベル:チュチェ思想