2024年02月26日

これはジャーナリズムとは言えない

https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2024/02/20/2024022080168.html
記事入力 : 2024/02/25 20:05
韓国の保守メディアは保守政権をもっと批判すべきか?【朝鮮日報コラム】

「保守メディアが保守政権をもっと鋭く批判しなければならない」――。1月末に朝鮮日報の批評欄に掲載された読者権益委員会の記事タイトルだ。保守メディアの見方で保守政権を批判する方が左派メディアによる批判よりも政府・与党には鋭く感じられるという意味だ。教科書的に言えば、メディアが権力を批判することがメディアの存在理由だ。その対象である権力が右派であれ左派であれ、メディアが保守的であれ左派的であれ関係ない。マスコミの存在理由は批判機能だ。
あからさまに話を逸らしている、ある意味で名文。見ていきましょう。

 2000年代に入り、保守メディアが主流となる状況でも、保守政権の大統領は相次いで獄中生活を送り、文在寅(ムン・ジェイン)政権が胎動し、今も圧倒的議席を持つ左派政党の専横とそのリーダーの健在ぶりを目撃している。それは保守メディアが保守政権を批判し、結局左派政権が勢いづくのを助けたにすぎない。

 では左派メディアはどうだったのか。左派メディアは左右の区別なく公正だったのか。保守・右派政権を攻撃する際には、時に「フェイクニュース」を駆使するほど冷酷で攻撃的だったが、左派権力を批判する際にもそれほど厳しく臨んだのか。ある代表的左派メディアは、文在寅政権時代にある事務官の内部告発事件を最初から報道さえせず、自社労組から告発されたことがある。あるメディア担当記者は「左派メディアが左派権力を批判するのをこの十数年間見た記憶がない」と話す。

 批評者も保守政権に対する保守メディアの態度は批判し、左派メディアによる偏向報道には口を閉ざしている。
「だから何?」という感想しか出てきません。左派メディアが革新政権を批判しないからといって、保守メディアが保守政権を批判しない理由にはならないでしょう。

私は最近、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領夫人の金建希(キム・ゴンヒ)氏に関連するいわゆる「ディオールバッグ事件」で保守メディアの硬直性を感じる。大統領夫人がそんな「贈り物」を親北朝鮮関係者から脈絡もなく受け取ったということ自体が間違っている。それに意地を張って事件を長期化させた大統領側の態度も理解不能だ。しかし、これが果たして政権2年目の尹政権に打撃を与えるほどの大きな政治的事件なのか。
(中略)
 4月10日の韓国総選挙は韓国の政治情勢で重要な意味を持つ。韓国の左派と右派の勢力関係を決める選挙で大統領夫人が受け取ったバッグが有権者の決定的な選択資料になるとすれば仕方がないことだ。「国民」を責めることはできない。しかし、判断の基準は大統領の重要な政策決定、安全保障・国防の方向決定、国民の経済的生活であって、それが大統領夫人のバッグ授受ではあまりにもレベル的に虚しくないか。
「ブランドバッグを受け取った」という表層・現象が問題なのではなく、そういう政治文化が問題なのではないのでしょうか? そしてまた、明らかに間違った行為なのに絶対に間違いを認めない姿勢も政治家としての資質には疑問符をつけざるを得ません

大韓民国の大統領経験者は退任後、お決まりのように立場を利用した金品授受(親族・取り巻きによるものも含む)で破滅の道を歩んでいます。とりわけ、検察官出身という経歴を全面に出していたユン大統領が、結局のところ歴代大統領と同じ手合いだったのは大韓民国国民としては失望するには十分過ぎるものです。当たり前ですが、何の私心もなくキム・ゴンヒ氏にブランドバッグを贈る人はいません。そんな人がいるなら私にもくれ。

「有力政治家とその親族・取り巻きがその立場を利用して私腹を肥やす」という大韓民国の政治文化の問題、絶対に間違いを認めない姿勢は、「重要な政策決定、安全保障・国防の方向決定、国民の経済的生活」の問題に比肩する超重要問題だと考えます。「大統領夫人のバッグ授受ではあまりにもレベル的に虚しくないか」というくだりは、表層・現象に拘泥して本質から逃げることで、問題を矮小化していると言わざるを得ないでしょう。

一部は大統領が「謝罪」してやり過ごせばよいと言っているが、隠しカメラで撮影し、1年間寝かせておいて、総選挙前に暴露するほど緻密で計画的な左派が果たして「謝罪」だけで事件を済ませるだろうか。事件が謝罪した時点から第2幕に移ることは明らかだ。
(中略)
保守メディアの行動が今後5年間を左右するかもしれないという点を認識しなければならない。保守だとか左派だとか進歩だとかいうこと自体が価値志向的な概念だ。価値を失えば、公正なマスコミに何の意味があるのか、改めて考えさせられる。
(中略)
 李承晩大統領の一生を描いた映画「建国戦争」が多くの国民の関心を集めて上映されている。せっかく広義の保守メディアが機能する契機をつくっている。「ディオールバッグ事件」がその流れをせき止めることにならないことを願う。
結局、「左派勢力との政治闘争」における敵味方二分法で意地になってユン・ソギョル、キム・ゴンヒ擁護の論陣を張っているようです。むしろ批判の先陣を切る勢いで、しかしながら謝罪を促す方向で世論の流れを形成することで、ユン・ソギョル、キム・ゴンヒ両氏が自発的に謝罪しやすい環境を形成し早期の幕引きを狙った方が得策だと思うんですが、大韓民国の政治家は謝ったら死ぬんでしょうか? ちなみに共和国では、ピョンヤンの高層住宅崩壊事故において人民保安部長やピョンヤン市人民委員会委員長(ピョンヤン市長)らが遺族に謝罪しています。

これはジャーナリズムとは言えませんね。
ラベル:メディア
posted by 管理者 at 21:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
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