2017年11月20日

やっぱり自立した個人の自由の国

http://www.yomiuri.co.jp/world/20171119-OYT1T50083.html
>> レディース&ジェントルマン、NY地下鉄で禁止
2017年11月20日 10時13分

 【ニューヨーク=有光裕】米ニューヨーク交通公社(MTA)は、ニューヨーク市内などで運行している地下鉄やバスなどの乗務員が、アナウンスの際に乗客に呼びかける「レディース・アンド・ジェントルメン(Ladies and gentlemen)」という言葉の使用を禁止したと明らかにした。

 同性愛や性同一性障害など、性的少数者への配慮とみられる。

 MTAは、読売新聞の取材に「乗客とのコミュニケーションを根本的に改める取り組みとして行った」と回答した。乗務員は代わりに、「Everyone(皆さん)」や「Passengers(乗客の皆さん)」などと呼びかけている。


(以下略)<<
「ポリコレ文化大革命」の最先端を明後日の方向に驀進するアメリカですが、意外なことに、「この程度で済んだ」ようです。"Everyone"だの"Passengers"だのと、「あなたたちの存在は認めるけど、あくまで他人です」という意味で、「棲み分け的自由主義」の範疇での言い換え運動です。

これが、どこぞの国だったらどうでしょうか? 「あなたたちの存在は認めるけど、あくまで他人です」という意味での「棲み分け」では飽き足らず、「我々を友人として受け入れろ!」などといった調子で、活動家たちは、包摂を要求してきたことでしょう。どこぞの国のノリであれば、「皆さん」や「乗客の皆さん」ではなく、「友人の皆さん」「隣人の皆さん」、甚だしくは「同志諸君」くらい要求しかねないところです。

なんだかんだ言って、アメリカは本質的に自由主義の社会なんでしょう。人間同士の関係は、主体が確立している自立した個人同士の関係性なのでしょう。どこぞの、ムラ社会の延長線上を未だにフラフラしている国、主体が確立し切れておらず、他人に対して親友的関係・家族的関係を要求する観念がしぶとい社会、他人の包摂的承認がないとアイデンティティが危うい社会とは違います。
ラベル:社会
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2017年10月10日

10월입니다! 10월명절 축하합니다!

今年もやってまいりました! 10월입니다! 10월명절 축하합니다!

"사랑과 믿음의 시월입니다"(愛と信頼の10月です)や"충성과 효성의 시월입니다"(忠誠と孝誠の10月です)といった歌詞に、人間同士の愛と信頼を基礎基盤とする朝鮮式社会主義のビジョン、党が目指すところが良くあらわれている名曲"10월입니다"。

おととしから新しく"어머니생일"が10月のテーマソングになったかに見えますが、"10월입니다"の魅力は依然として衰えていません。


党創建記念日を祝して、キムジョンイル同志の発言から人間同士の愛と信頼を基礎基盤とする朝鮮式社会主義のビジョンに関わる部分を抜粋して学習したいと思います。

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運命をともにする社会的・政治的集団内における人間関係は、完全に平等な自主的関係であると同時に、互いに献身的に助け合う同志愛の関係である。

情には情をもって報いるのが、人間の美徳である。

信頼があってこそ愛があり、愛があってこそ同志的関係が結ばれる。

われわれの同志愛は、団結という基盤に咲いた愛と忠誠の花である。

同志を心から愛さず誠実に接しない者は、党と革命にも忠実ではありえない。

自分の妻子、肉親に対する愛情は、とりもなおさず祖国愛である。


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革命の目的は、人民への愛を花開かせることである。

愛国も革命も人民への愛から始まる。

人間の自主性を実現する革命こそが、人間を完成させる最大の愛だと言える。これが愛の哲学である。

社会主義社会は社会主義思想によって導かれ、社会主義思想を基本的推進力として発展する社会である。


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社会主義の変質は思想の変質から始まり、思想戦線が瓦解すれば社会主義の戦線全体が瓦解し、ついには社会主義を崩壊させる。

放縦を個性の自由とするなら、そのような自由は動物の生活と変わるところがない。

背信と変節、これは試練と難関に屈する卑劣さであり、懐柔と誘惑に傾く動揺であり、生死の節目に意志と志操を曲げる下劣さである。

われわれは、都合のよいときには兄弟となり、都合の悪いときには他人となり、得になるときには親友となり、損になるときには敵となる、といったような人間関係には憎悪を覚える。


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最後にもう一回、10월입니다! 10월명절 축하합니다!
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2017年10月03日

客観的に事実の直視に耐えられなかったのか?

当ブログは、ヤフーニュース等で公開されている記事に対する論評(批判)という形で朝鮮民主主義人民共和国(共和国)に関する主張を展開してきましたが、興味本位・ゴシップ的な記事について取り上げることは、ほとんどしてきませんでした。

これは、@その手の興味本位・ゴシップ的な記事は裏が取れない「独自情報」を基に書かれているので、肯定も否定もしかねる内容であることが多かったり、A欧米諸国を含む第三国発の複数のニュースソースを少し調べ整理し、それらを筋道を立てて考察すれば、直ちに論理的に矛盾を呈し、その真相がバレるくらいの程度の低いデタラメであったり、あるいは、Bまさしく週刊誌的と言う他ないようなレベルの話題があまりにも氾濫しているためです(ちなみに、スルーしているだけで、チェック自体はしていますヨ)。

そんな私が定期巡回の中で見つけたのが、下記『デイリー新潮』記事。「ちょっと調べればすぐに矛盾が分かるレベル」かつ「まさしく週刊誌」である点、私の評価基準では「取り上げ順位最下位」クラスの記事なのですが、あまりの支離滅裂さに逆に面白さすら感じるシロモノです。この面白さを読者の皆様と共有したく、今日は取り上げたいと思う次第です。

まずは引用しましょう。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171003-00530961-shincho-kr
>> 日本人を狙う「北朝鮮プロパガンダ誌」核・ミサイル開発“大讃美”特集の唖然
10/3(火) 6:05配信
デイリー新潮

「世界に誇るウリナラの最新チュチェ武器」
「月刊セセデ」という雑誌がある。朝鮮青年社(東京都千代田区)が発行しており、在日本朝鮮青年同盟の機関誌と見なす関係者もいる。この雑誌が9月号で「みんなが気になるウリナラ事情」と題し、北朝鮮の核・ミサイル開発の大特集を組んでいる。その内容が、かなりギョッとさせられるのだ。

 ***

 ちなみに「セセデ」は「新世代」の意味という。誌面の大半はカラー。50ページほどの立派な雑誌だ。北朝鮮のプロパガンダ記事が大半だとはいえ、「青年」向けだけあって、スポーツやグルメといった話題にもページが割かれている。語学系の読物は別にすると、本文は全て日本語だ。

 ご存じの通り、「ウリナラ」の和訳は「我が国」となる。「気になる北朝鮮事情」という特集記事のリードは、こんな具合だ。

《近年、共和国における国防力の発展は目覚ましい。しかし、何のために、何故、あのような軍事科学研究を重ねるのか。今、朝青員たちが最も気になっているウリナラ事情について「セセデ」がひも解く》


(以下略) <<
月刊”새세대”、よく読みました。"새세대","이어","조선신보"は三大ニュースソースです。”새세대”読者としての経験から述べても、今回の『デイリー新潮』記事内容はデタラメですが、「そもそも『デイリー新潮』の編集者は、自分が書いた記事をざっくりとも見直ししないのか?」と疑問に思わざるを得ないシロモノに仕上がっています。あるいは、雑誌編集があまりにブラック過ぎるがゆえに、見直しなんてしていられないのでしょうか?

日本人を狙う「北朝鮮プロパガンダ誌」」などとタイトルでは書き立てつつ、本文中では「今、朝青員たちが最も気になっているウリナラ事情について「セセデ」がひも解く」という一文を引用する『デイリー新潮』。今、朝青員たちが最も気になっているウリナラ事情」という一文を見るに、槍玉に挙げられている当該記事のターゲットは「朝青員」であると考えるのが文法・文脈的に自然な解釈です。つまり、”새세대”のターゲットは日本人ではないのです。在日朝鮮人向けの記事なのです。

そもそも、「日本人を狙う」雑誌ならば、タイトルが朝鮮語であるのは不可解でしょう。また、「日本人を狙う」雑誌が「ウリナラ」はないでしょう・・・『デイリー新潮』記者の分析精度・・・というよりも国語力の低さを自白しているようなものです。

まさか、「朝青」が何なのかをご存じないということはないでしょうね・・・国語力問題以上に、基本的知識が怪しいからなあ・・・

読者として述べれば、”새세대”という雑誌はまさに、朝青("チョチョン"。在日本朝鮮青年同盟の略称)や青商会("チョンサンフェ。"在日本朝鮮青年商工会の略称)の会員向けの雑誌と言ってよいものです。普段の記事を見ればそれは一目瞭然。「xx県の...地域のチョチョンのイルクン(活動家)たちが、親睦のモイム(集まり)を開いた」といったようなニュースばかり。朝青メンバー・総連メンバーにとっては、全国の朝青組織での活動動向を知ることができるという点において重要なのでしょうが、総連組織に包摂されていない読者にとっては、「”새세대”は内輪ネタばかりで、あまり面白くない」と言わざるを得ない雑誌です。「日本人を狙う「北朝鮮プロパガンダ誌」」とは一体何のことやらw

数少ない「面白い」記事は4〜5年前に掲載されたチュチェ思想セミナー記事でしたね。本国発のチュチェ思想論文・解説書は、日本での生活感情に慣れ切った人間には「キツい」内容ですが、”새세대”編集部はかなりマイルドな内容に編集していたものです(マーケット・メカニズムと社会主義体制との折り合いをチュチェ思想の観点から論じるなんて、1960年代以来なんじゃないでしょうか? 気になる人は図書館で探してネ)。

もうすでに自分が何を書いているのか分かっていない錯乱状態でキーボードに向かっていると言う他ない『デイリー新潮』の記事編集者ですが、ここからがさらに面白い。「朝鮮総連事情に詳しい、コリア国際研究所所長の朴斗鎮氏」が登場。最近、見なくなってきたなと思ったら、『デイリー新潮』の支離滅裂記事にご登場。記事のカオスさをより増幅させるネタ的にナイスなコメントを展開してくださっています。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171003-00530961-shincho-kr&p=2
>> 追い詰められた北朝鮮
「政治を全く知らぬ金正恩の戦略が硬直化し、行き詰っているという状況が、そのまま反映された誌面だと思います」

 そう分析するのは、朝鮮総連事情に詳しい、コリア国際研究所所長の朴斗鎮氏だ。

「北朝鮮のプロパガンダ誌だからこそ、日本人にも読んでもらい、好意を持つ人を増やさなければなりません。特に『月刊セセデ』は若い人がターゲットですから、ストレートな宣伝記事は避けるのが編集の基本でしょう。実際、90年代までは、北朝鮮にも政治を熟知する幹部がいました。『総連は右翼と批判されても構わない。赤い心は胸に秘めろ。スイカのように中は赤く、外は緑色でいろ』という指示を出していたほどです。ですが金正恩は政治を全く知りません。父親である金正日の戦略は『瀬戸際外交』と、まだ『外交』の要素がありましたが、金正恩は単に自国を『瀬戸際』に追い詰めているだけです。そうした北朝鮮の硬直を、『月刊セセデ』の特集記事から読み解くことが可能だと思います」

 追い詰められているから余裕がない。余裕がないから、「月刊セセデ」にも、日本人だけでなく、在日朝鮮人ですら唖然としかねない記事を掲載してしまう。朴氏は逆に「北朝鮮敗北」が国際社会の現実だと指摘する。


(以下略) <<
”새세대”の論調など、キムジョンイル総書記時代からまったく変わっていませんwずっとあの調子です。今回槍玉に挙げられている記事も、「昔ながら」の内容。古くからの読者には何の「新鮮さ」もありません。何が「政治を全く知らぬ金正恩の戦略が硬直化し、行き詰っているという状況が、そのまま反映された誌面」なのでしょうかww

パクドゥジン氏――久々に出てきたと思ったらこの調子。専門家面していますが、本当に”새세대”をはじめとする総連メディア発の報道を継続的にウォッチしてきたのでしょうか? してきたのであれば、こんなデタラメは書けないでしょう・・・

パクドゥジン氏の「分析」を受けた『デイリー新潮』が、さらに笑わせてくれます。「日本人だけでなく、在日朝鮮人ですら唖然としかねない記事を掲載してしまう」と書き立てるものの、「在日朝鮮人」が「唖然」としている様子は描いていません。まさか「ミサイル発射については「コリアンタウンの在日朝鮮人も当惑と怒りと 『バカなことをする』 『技術力を上げていたら不気味』」(ネット版・産経WEST・16年9月9日)という記事もある。」という部分で描写したつもりになっている? 「さすが週刊誌編集者」という他ありませんな・・・ジャーナリスト界隈でもかなりイージーな仕事ですね。

本当に面白かった。「余裕がないから、「月刊セセデ」にも、日本人だけでなく、在日朝鮮人ですら唖然としかねない記事を掲載してしまう」などと言っていますが、それを言うなら、『デイリー新潮』ならびにパクドゥジン氏こそが、「余裕がないから、ちょっと調べ・考えれば直ちにデタラメであることが分かってしまうくらいに程度の低いことを口走ってしまう」とお返ししたいものです。

9月7日づけの記事で私は、ジャーナリストとしての最低限のモラルには忠実だった石丸次郎氏が、朝鮮労働党主導の経済改革によって強靭化された共和国経済についてゴシップ的捏造をしなかったことについて、「キムジョンウン経済改革の成果は、石丸氏でさえ否定できない成果を挙げている」と言い得る」としましたが、ジャーナリストとしてのモラルなどそもそも存在しない『デイリー新潮』すなわち『週刊新潮』ならびに、ジャーナリストでさえないパクドゥジン氏は、客観的に事実の直視に耐えられなかったのでしょうね。
ラベル:共和国 メディア
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2017年09月23日

あれ・・・マレンコフは?

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170923-00010007-afpbbnewsv-int
>> スターリン像に物議、ロシア20世紀の指導者像お披露目で
9/23(土) 14:36配信

【9月23日 AFP】ロシアの首都モスクワ(Moscow)で22日、旧ソ連の独裁者ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin)の銅像がお披露目された。
(中略)映像は、スターリン像と並ぶウラジーミル・レーニン(Vladimir Lenin)やミハイル・ゴルバチョフ(Mikhail Gorbachev)氏ら20世紀のロシアの指導者像。 <<
レーニン、スターリンと来た隣が、どう見てもフルシチョフ。そしてその隣は、おそらくブレジネフ。あれ・・・マレンコフは?
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2017年01月11日

日本人の主体性の欠如は、ここまで来ている

毎週水曜日のYahoo!JAPANトップページでは、恋愛に関する過去のYahoo!知恵袋での質問が幾つかピックアップされ、掲載されます。この手の話題は、私も人並みには興味があるし、話の種にもなるので、ブログ執筆とは別にチェックしているのですが、「日本人の主体性の欠如は、ここまで来ているのか・・・」という意味で今回は注目しました。

今日は、滅多に使わない「日記じゃない雑記」カテゴリで、思うところを書き留めておきます。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10160574025
価値観を押し付けてくる彼氏に疲れました。
要するに、交際に関して彼氏(3か月目)との意見が合わないことについての相談事(相談者は女性とのこと)のようです。彼氏側が「常識」という単語をつかって来るそうで、相談者・回答者ともに、「常識」という土俵にたって論じています。

恋愛にまで「常識」を持ち込むとはたまげました。恋愛沙汰は、好みの問題の最たるものであり、「常識」なるものに合わせなければならないものではありません。世間が何と言おうとも「嫌だから嫌」で構わないし、「そんなことを気にする方が嫌」でも構いません。好みが合わないなら袂を分かち、合う人同士で寄り合えばよい類いのものの典型であります。

その意味で、「常識」を振りかざす質問者の彼氏は根本的にズレていますが、それに対して、同じ「常識」の土俵に乗って質疑応答しているYahoo!知恵袋の連中も、本質的に言って、皆揃って同じ穴の狢であると言わざるを得ません。

そんなに「常識」だの「普通」だのが気になるのでしょうか? 合わせないと、自分自身の考えに自信が持てないのでしょうか? 好みの問題にまで「常識」や「普通」に合わせようと、他人の顔色をキョロキョロと伺い、他人の言動にビクビクするとは、深刻なる主体性の欠如と言わざるを得ません。

更に指摘しなければならないのが、皆、「常識」を論じているようで、よくよく読むと個人の感想を述べているに過ぎない点です。個人の私的意見を「常識」などとする論法は、「虎の威を借る・・・」の一種であり、これもまた主体性の欠如であります。

元の質問のケースについて言えば、彼氏側は「常識」という単語を持ち出さず、「俺は・・・と思う」と言うべきでした。それに対して彼女側は「私は・・・と思う」と返すべきでした。そして、他人の意見を求めるのであれば、常識云々ではなく、「皆さんはどうおもいますか?」と問うべきであり、回答者たちも「私もあなたと同意見」とすべきでした。本質的に「常識」の問題ではないのだから、そうした単語は一切使うべきではないのです。

好みの問題にまで「常識」や「普通」を持ち込む思考、実態においては単なる私的意見を「常識」などと言ってのける思考――日本人の主体性の欠如は相当に深刻と言わざるを得ません。

なお、この質問のケースそのものについて述べれば、質問内容を読む限りは、彼氏・彼女双方の考え方の溝は相当あり、歩みよりは難しいのではないかなと私は思います。互いに袂を分かつことになりそうですが、他方、互いに感性を同じくする次のパートナーは見つかるのではないかとも思います。それでよいのです。恋愛も「棲み分け」なのです。

仮に次のパートナーができなくても、そもそも好みの問題なのだから、無理する必要はありません。「どうしても・・・!」という場合であっても、依然として「常識」の問題ではなく、「どうしても手に入れたいあの人」との、一対一の人間同士の問題です。

本当に「どうしても手に入れたいあの人」ならば、自分自身が考えを改めることに苦はないでしょう。また、それ主体性の欠如には当たりません。定見なく風見鶏のように考えを変えているのではなく、「どうしても!」と思うもののために、守るべき価値観に優先順位をつけ現実の状況に自ら調整を試みること、変化する客体に対して、自らの意思であの手この手を尽くし、一部は諦めをつけ、重要なのものを獲得・維持してゆくことは、むしろ主体的であると言えます。いままでの考え・方法に固執することは決して主体的であるとは言えないのです。

思想における主体性の確立は、自らの人生の主人として自主的に生きる上で必要な健全なる思想意識の基盤です。正しく主体を立てる必要があると、思いがけないタイミングで改めて感じさせられた話題でした。
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2015年06月04日

「唯物論」の人間的限界

http://bylines.news.yahoo.co.jp/inoueshin/20150417-00044916/
マクドナルドの時給1,500円で日本は滅ぶ? すでに30年実施してるオーストラリアは滅んでませんが?

筆者は国公労連の執行委員で、共産党雑誌の編集者でもあった人物です。要するに、共産党系です。

記事の内容は、オーストラリアの状況を取り上げて時給1500円運動を喧伝する内容です。
コメント欄にもありますが、そもそも社会構造の違う日本とオーストラリアについて、単純に時給金額だけを比較して何か意味があるのでしょうか?

共産党はマルクス・レーニン主義を未だに有り難がっている党ですから、「唯物論」を信奉しており、故に「事実」を重んじるとしています。しかし、実態においてはこのように、構造的差異を捨象して都合の良い事実だけをピックアップします。「事実の悪用」と言っても過言ではありません。

もっとも、本人たちはその自覚はないのでしょう。彼らはあくまでも「唯物論」にもとづき「科学的に」事実を分析しているつもりです。しかし、そもそも人間の認識能力が「唯物論」を徹底できるのでしょうか? 人間の科学が世界を完全に客観的に把握できるのでしょうか?

本当の意味で「唯物論」を徹底するのであれば、むしろ「科学」を捨てる場合もあるでしょう。人間ごときでは認識できない構造があるものです。それは、たとえばカオス理論ひとつ取っても分かるでしょう。

ちなみに個人的経験ですが、マルクスの『フォイエルバッハ論』の粗野で短絡的な19世紀レベルの「唯物論」を21世紀になっても有り難がっている(いまだにルイセンコ説を信じている疑惑)馬鹿な共産党員に、「唯物論の立場に立てばこそ、カオス理論の見地から、この世には『科学』で認識できないことが多く、この世は「不可知論」的であることが分かるだろう」と述べたところ、本当にビックリした顔をしていtのが何年たっても忘れられません。『フォイエルバッハ論』では、不可知論は無知蒙昧な宗教に通ずる思想で、科学によって克服されると考えられていますからね。
ラベル:「科学」 左翼
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2013年01月06日

カクダイ

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-01-05/2013010504_01_0.html
>>> (前略)
一人ひとりの党員がもっている結びつきを、どうやって党の結びつきに発展させるか

 第一の角度は、一人ひとりの党員が現にもっている結びつきを、どうやって党の結びつきに発展させるかということであります。

 参院選から教訓を引き出した2中総決定では、「一人ひとりの党員は、家族や親せき、知人や友人、要求実現の活動、世話役活動、大衆組織や各種サークル、市民運動、自治会や老人会、同窓会など、さまざまな形で、多面的な結びつきを持っています。対話と支持拡大の活動を、それらすべてに光をあて、生かしたとりくみに改善・刷新していくことが必要です」ということを強調しました。この点で私たちの活動がどうだったか。

 山梨県甲府市のある地域支部から、つぎのような報告が寄せられました。

 「昨年の『大運動』で入党したAさんは、毎週ヘラブナ釣りに出かけ、釣り仲間とは固い結びつきがありました。Aさんは、月1回の支部会議で何度か、『支持依頼で訴えたい人がいるが、気まずくなるのではないかと心配だ』という話をしていました。そこで市議会議員の石原つよし同志が、『市議の石原さんから頼まれているので協力してほしい』と言ってみたらどうかと助言しました。その助言にこたえて、Aさんが釣り仲間に訴えてみたら、思いのほか、どんどん支持が広がりました。この結果に勇気を得たAさんは、釣り仲間以外の自分のつながりにも訴えを始めました。全部で33人の支持を広げることができました」

 こういう報告であります。ここからは、たくさんの教訓が読み取れると思います。まずAさんがヘラブナ釣りをつうじて、固い結びつきをもっていたということです。つぎは、Aさんが、最初は、「市議会議員から頼まれたから」という形で、次には自ら堂々と自分は日本共産党員だと名乗って、ヘラブナ釣りの結びつきを党の結びつきに発展させるために、勇気をもって党員としての「踏み切り」をおこなったということであり、党組織や地方議員がそれを温かく援助しているということであります。

 こうした活動をすすめるためには、わが党の活動にこうした趣味の活動も含めた党員の多面的な活動を大切にし、それを保障するための「余裕」が必要となってくるでしょう。同時に、一人ひとりの党員の「踏み切り」――成長を保障するための支部会議の開催や学習などのとりくみも不可欠になってくるでしょう。とくに、すべての党員が「しんぶん赤旗」日刊紙を読む気風をつくりあげることは、きわめて重要であると思います。

 本腰を入れて、そうした活動の改善・強化をはかり、一人ひとりの党員がもっている結びつきを、党の結びつきに発展させ、党への信頼と共感に発展させることができれば、幾百万という人々に日本共産党の声を届け、支持を広げることは可能であります。

 わが党がもっているすべての潜在的な力に光をあて、それを生かした党活動、その可能性をくみつくした選挙戦に、新たな意気込みで挑戦しようではありませんか。

(後略) <<<
(以上、太字部分は本文ママ、下線部分は管理人による)
党勢拡大大運動を繰り広げたにもかかわらず、先の総選挙での比例代表得票数が09年比125万票減、得票率においても09年比1パーセント減という惨憺たる結果でした(にもかかわらず、「10年参院選比前進!」って言っているんだからもう…)から、ますますの党勢拡大に邁進しなきゃならんのでしょう。

でもね、下線部分、これ嫌われるんですよ〜
一時期、共産党の影響力が強いところに関わっていたからよく覚えています。以下、私の体験談。

確かに、潜在的な支持者だった人が、晴れてホンモノの支持者になることもあります。それは全く構わないことです。需要と供給が一致し、晴れて志が叶ったことは喜ばしいと思います。私にはその魅力は良く分かりませんけどね。でも、少なくとも私が知る某所においては、そんなに多い話ではありませんでした。むしろ、友人だったり、あるいは年上が相手だったりするで、断ろうにも断りづらくて苦慮している人のほうが目立ちました(まあ私がそういう人たちの相談役みたいなのに担ぎ上げられたからかもしれませんが)。秘密対策会議(という名の愚痴会ww)では、統○教会の勧誘トラブルの資料を持ち込んで色々と考えましたね、懐かしいなあ。「唯物共産党対策でカルト教団対策の資料を参照するってどうなのよwww」って一同大笑い。

人付き合いが器用な人たちは、テキトウに相手が喜びそうなことを言ったり、赤旗やパンフレット類を読んであげたりするくらいなんですが、そういう器用さに欠ける人は、言われるがままに巻き込まれたり、逆に、音信不通になってしまったりするんですよね。

あまり勧誘話の相手をしたくない人って多いと思います。折伏された経験がある人は、ますます嫌でしょう。ですから、そういう人にとっては、勧誘自体が既に十分、迷惑なんですが、「ちょっと嫌がっている人もいるし、『勧誘するな』とは言わないので、配慮をお願いできませんか?」と依頼すると、キレるんですよね。「我々の自由だ!」とか言って。あれが本当に不評でした。誰も「即時禁止」とは言っていないのにね。デマも流すし。私も色々言われましたよ。問い詰められて返答に窮したのか、良く分からない理論を振りかざしたかと思ったら、急におとなしくなってお涙頂戴戦術に出たりした挙句、最終的には、ある日を境に抗議を無視するようになりましたね。

あえて彼らを弁護するとすれば、私の知る某所の党関係者も「善意」の人であり、「熱心」なんだとは思います。わざと他人に迷惑をかけようとしたわけじゃないってのは、良く分かっています。でも、私たちとはノリがあわなかったんです。「善意」の押し売りは逆に迷惑ですから、「売り方」にご配慮くださいって話なんですよ。なのに、なんであんなに大騒ぎしたんだろう?

もともと私は共産党に対して、そこそこ好意的な立場(旧ブログ参照)でしたが、あれで懲りてしまいましたわ。。。私の知る某所は長いこと、党員と非党員の関係性は良好だったので、ちまたで言われていることは「そういう地域もあるんだなあ、うちの人たちは常識的で良かったなあ」と思っていましたが、ある日を境に急にカクダイが激しくなったんです。。。たぶん党内で何かキャンペーンが張られていたんでしょうね。

もちろん、全国を広く見渡せば、今も良好な対外関係性をもっているところもあると思いますよ。上記はあくまで私が知る範囲内の話です。だから関係者はコメント欄で暴れないでくださいね!!! 

そういう経験のある私にすれば、引用記事のような取り組みは、場所によるとは思いますが、すでに他人様に迷惑かけているようなところでは、ますますヒンシュクを買うことになるんじゃないかと思います。迷惑をかけるような人たちは、良くも悪くも党中央に忠実でしょうから、党中央の指示とあらば、ますます張り切ってしまうことでしょう。

まあ、どうでもいいけどさ。
ラベル:日本共産党 左翼
posted by 管理者 at 18:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記じゃない雑記 | 更新情報をチェックする