2017年01月11日

日本人の主体性の欠如は、ここまで来ている

毎週水曜日のYahoo!JAPANトップページでは、恋愛に関する過去のYahoo!知恵袋での質問が幾つかピックアップされ、掲載されます。この手の話題は、私も人並みには興味があるし、話の種にもなるので、ブログ執筆とは別にチェックしているのですが、「日本人の主体性の欠如は、ここまで来ているのか・・・」という意味で今回は注目しました。

今日は、滅多に使わない「日記じゃない雑記」カテゴリで、思うところを書き留めておきます。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10160574025
価値観を押し付けてくる彼氏に疲れました。
要するに、交際に関して彼氏(3か月目)との意見が合わないことについての相談事(相談者は女性とのこと)のようです。彼氏側が「常識」という単語をつかって来るそうで、相談者・回答者ともに、「常識」という土俵にたって論じています。

恋愛にまで「常識」を持ち込むとはたまげました。恋愛沙汰は、好みの問題の最たるものであり、「常識」なるものに合わせなければならないものではありません。世間が何と言おうとも「嫌だから嫌」で構わないし、「そんなことを気にする方が嫌」でも構いません。好みが合わないなら袂を分かち、合う人同士で寄り合えばよい類いのものの典型であります。

その意味で、「常識」を振りかざす質問者の彼氏は根本的にズレていますが、それに対して、同じ「常識」の土俵に乗って質疑応答しているYahoo!知恵袋の連中も、本質的に言って、皆揃って同じ穴の狢であると言わざるを得ません。

そんなに「常識」だの「普通」だのが気になるのでしょうか? 合わせないと、自分自身の考えに自信が持てないのでしょうか? 好みの問題にまで「常識」や「普通」に合わせようと、他人の顔色をキョロキョロと伺い、他人の言動にビクビクするとは、深刻なる主体性の欠如と言わざるを得ません。

更に指摘しなければならないのが、皆、「常識」を論じているようで、よくよく読むと個人の感想を述べているに過ぎない点です。個人の私的意見を「常識」などとする論法は、「虎の威を借る・・・」の一種であり、これもまた主体性の欠如であります。

元の質問のケースについて言えば、彼氏側は「常識」という単語を持ち出さず、「俺は・・・と思う」と言うべきでした。それに対して彼女側は「私は・・・と思う」と返すべきでした。そして、他人の意見を求めるのであれば、常識云々ではなく、「皆さんはどうおもいますか?」と問うべきであり、回答者たちも「私もあなたと同意見」とすべきでした。本質的に「常識」の問題ではないのだから、そうした単語は一切使うべきではないのです。

好みの問題にまで「常識」や「普通」を持ち込む思考、実態においては単なる私的意見を「常識」などと言ってのける思考――日本人の主体性の欠如は相当に深刻と言わざるを得ません。

なお、この質問のケースそのものについて述べれば、質問内容を読む限りは、彼氏・彼女双方の考え方の溝は相当あり、歩みよりは難しいのではないかなと私は思います。互いに袂を分かつことになりそうですが、他方、互いに感性を同じくする次のパートナーは見つかるのではないかとも思います。それでよいのです。恋愛も「棲み分け」なのです。

仮に次のパートナーができなくても、そもそも好みの問題なのだから、無理する必要はありません。「どうしても・・・!」という場合であっても、依然として「常識」の問題ではなく、「どうしても手に入れたいあの人」との、一対一の人間同士の問題です。

本当に「どうしても手に入れたいあの人」ならば、自分自身が考えを改めることに苦はないでしょう。また、それ主体性の欠如には当たりません。定見なく風見鶏のように考えを変えているのではなく、「どうしても!」と思うもののために、守るべき価値観に優先順位をつけ現実の状況に自ら調整を試みること、変化する客体に対して、自らの意思であの手この手を尽くし、一部は諦めをつけ、重要なのものを獲得・維持してゆくことは、むしろ主体的であると言えます。いままでの考え・方法に固執することは決して主体的であるとは言えないのです。

思想における主体性の確立は、自らの人生の主人として自主的に生きる上で必要な健全なる思想意識の基盤です。正しく主体を立てる必要があると、思いがけないタイミングで改めて感じさせられた話題でした。
posted by s19171107 at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記じゃない雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月04日

「唯物論」の人間的限界

http://bylines.news.yahoo.co.jp/inoueshin/20150417-00044916/
マクドナルドの時給1,500円で日本は滅ぶ? すでに30年実施してるオーストラリアは滅んでませんが?

筆者は国公労連の執行委員で、共産党雑誌の編集者でもあった人物です。要するに、共産党系です。

記事の内容は、オーストラリアの状況を取り上げて時給1500円運動を喧伝する内容です。
コメント欄にもありますが、そもそも社会構造の違う日本とオーストラリアについて、単純に時給金額だけを比較して何か意味があるのでしょうか?

共産党はマルクス・レーニン主義を未だに有り難がっている党ですから、「唯物論」を信奉しており、故に「事実」を重んじるとしています。しかし、実態においてはこのように、構造的差異を捨象して都合の良い事実だけをピックアップします。「事実の悪用」と言っても過言ではありません。

もっとも、本人たちはその自覚はないのでしょう。彼らはあくまでも「唯物論」にもとづき「科学的に」事実を分析しているつもりです。しかし、そもそも人間の認識能力が「唯物論」を徹底できるのでしょうか? 人間の科学が世界を完全に客観的に把握できるのでしょうか?

本当の意味で「唯物論」を徹底するのであれば、むしろ「科学」を捨てる場合もあるでしょう。人間ごときでは認識できない構造があるものです。それは、たとえばカオス理論ひとつ取っても分かるでしょう。

ちなみに個人的経験ですが、マルクスの『フォイエルバッハ論』の粗野で短絡的な19世紀レベルの「唯物論」を21世紀になっても有り難がっている(いまだにルイセンコ説を信じている疑惑)馬鹿な共産党員に、「唯物論の立場に立てばこそ、カオス理論の見地から、この世には『科学』で認識できないことが多く、この世は「不可知論」的であることが分かるだろう」と述べたところ、本当にビックリした顔をしていtのが何年たっても忘れられません。『フォイエルバッハ論』では、不可知論は無知蒙昧な宗教に通ずる思想で、科学によって克服されると考えられていますからね。
ラベル:左翼 「科学」
posted by s19171107 at 20:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記じゃない雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月06日

カクダイ

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-01-05/2013010504_01_0.html
>>> (前略)
一人ひとりの党員がもっている結びつきを、どうやって党の結びつきに発展させるか

 第一の角度は、一人ひとりの党員が現にもっている結びつきを、どうやって党の結びつきに発展させるかということであります。

 参院選から教訓を引き出した2中総決定では、「一人ひとりの党員は、家族や親せき、知人や友人、要求実現の活動、世話役活動、大衆組織や各種サークル、市民運動、自治会や老人会、同窓会など、さまざまな形で、多面的な結びつきを持っています。対話と支持拡大の活動を、それらすべてに光をあて、生かしたとりくみに改善・刷新していくことが必要です」ということを強調しました。この点で私たちの活動がどうだったか。

 山梨県甲府市のある地域支部から、つぎのような報告が寄せられました。

 「昨年の『大運動』で入党したAさんは、毎週ヘラブナ釣りに出かけ、釣り仲間とは固い結びつきがありました。Aさんは、月1回の支部会議で何度か、『支持依頼で訴えたい人がいるが、気まずくなるのではないかと心配だ』という話をしていました。そこで市議会議員の石原つよし同志が、『市議の石原さんから頼まれているので協力してほしい』と言ってみたらどうかと助言しました。その助言にこたえて、Aさんが釣り仲間に訴えてみたら、思いのほか、どんどん支持が広がりました。この結果に勇気を得たAさんは、釣り仲間以外の自分のつながりにも訴えを始めました。全部で33人の支持を広げることができました」

 こういう報告であります。ここからは、たくさんの教訓が読み取れると思います。まずAさんがヘラブナ釣りをつうじて、固い結びつきをもっていたということです。つぎは、Aさんが、最初は、「市議会議員から頼まれたから」という形で、次には自ら堂々と自分は日本共産党員だと名乗って、ヘラブナ釣りの結びつきを党の結びつきに発展させるために、勇気をもって党員としての「踏み切り」をおこなったということであり、党組織や地方議員がそれを温かく援助しているということであります。

 こうした活動をすすめるためには、わが党の活動にこうした趣味の活動も含めた党員の多面的な活動を大切にし、それを保障するための「余裕」が必要となってくるでしょう。同時に、一人ひとりの党員の「踏み切り」――成長を保障するための支部会議の開催や学習などのとりくみも不可欠になってくるでしょう。とくに、すべての党員が「しんぶん赤旗」日刊紙を読む気風をつくりあげることは、きわめて重要であると思います。

 本腰を入れて、そうした活動の改善・強化をはかり、一人ひとりの党員がもっている結びつきを、党の結びつきに発展させ、党への信頼と共感に発展させることができれば、幾百万という人々に日本共産党の声を届け、支持を広げることは可能であります。

 わが党がもっているすべての潜在的な力に光をあて、それを生かした党活動、その可能性をくみつくした選挙戦に、新たな意気込みで挑戦しようではありませんか。

(後略) <<<
(以上、太字部分は本文ママ、下線部分は管理人による)
党勢拡大大運動を繰り広げたにもかかわらず、先の総選挙での比例代表得票数が09年比125万票減、得票率においても09年比1パーセント減という惨憺たる結果でした(にもかかわらず、「10年参院選比前進!」って言っているんだからもう…)から、ますますの党勢拡大に邁進しなきゃならんのでしょう。

でもね、下線部分、これ嫌われるんですよ〜
一時期、共産党の影響力が強いところに関わっていたからよく覚えています。以下、私の体験談。

確かに、潜在的な支持者だった人が、晴れてホンモノの支持者になることもあります。それは全く構わないことです。需要と供給が一致し、晴れて志が叶ったことは喜ばしいと思います。私にはその魅力は良く分かりませんけどね。でも、少なくとも私が知る某所においては、そんなに多い話ではありませんでした。むしろ、友人だったり、あるいは年上が相手だったりするで、断ろうにも断りづらくて苦慮している人のほうが目立ちました(まあ私がそういう人たちの相談役みたいなのに担ぎ上げられたからかもしれませんが)。秘密対策会議(という名の愚痴会ww)では、統○教会の勧誘トラブルの資料を持ち込んで色々と考えましたね、懐かしいなあ。「唯物共産党対策でカルト教団対策の資料を参照するってどうなのよwww」って一同大笑い。

人付き合いが器用な人たちは、テキトウに相手が喜びそうなことを言ったり、赤旗やパンフレット類を読んであげたりするくらいなんですが、そういう器用さに欠ける人は、言われるがままに巻き込まれたり、逆に、音信不通になってしまったりするんですよね。

あまり勧誘話の相手をしたくない人って多いと思います。折伏された経験がある人は、ますます嫌でしょう。ですから、そういう人にとっては、勧誘自体が既に十分、迷惑なんですが、「ちょっと嫌がっている人もいるし、『勧誘するな』とは言わないので、配慮をお願いできませんか?」と依頼すると、キレるんですよね。「我々の自由だ!」とか言って。あれが本当に不評でした。誰も「即時禁止」とは言っていないのにね。デマも流すし。私も色々言われましたよ。問い詰められて返答に窮したのか、良く分からない理論を振りかざしたかと思ったら、急におとなしくなってお涙頂戴戦術に出たりした挙句、最終的には、ある日を境に抗議を無視するようになりましたね。

あえて彼らを弁護するとすれば、私の知る某所の党関係者も「善意」の人であり、「熱心」なんだとは思います。わざと他人に迷惑をかけようとしたわけじゃないってのは、良く分かっています。でも、私たちとはノリがあわなかったんです。「善意」の押し売りは逆に迷惑ですから、「売り方」にご配慮くださいって話なんですよ。なのに、なんであんなに大騒ぎしたんだろう?

もともと私は共産党に対して、そこそこ好意的な立場(旧ブログ参照)でしたが、あれで懲りてしまいましたわ。。。私の知る某所は長いこと、党員と非党員の関係性は良好だったので、ちまたで言われていることは「そういう地域もあるんだなあ、うちの人たちは常識的で良かったなあ」と思っていましたが、ある日を境に急にカクダイが激しくなったんです。。。たぶん党内で何かキャンペーンが張られていたんでしょうね。

もちろん、全国を広く見渡せば、今も良好な対外関係性をもっているところもあると思いますよ。上記はあくまで私が知る範囲内の話です。だから関係者はコメント欄で暴れないでくださいね!!! 

そういう経験のある私にすれば、引用記事のような取り組みは、場所によるとは思いますが、すでに他人様に迷惑かけているようなところでは、ますますヒンシュクを買うことになるんじゃないかと思います。迷惑をかけるような人たちは、良くも悪くも党中央に忠実でしょうから、党中央の指示とあらば、ますます張り切ってしまうことでしょう。

まあ、どうでもいいけどさ。
ラベル:左翼 日本共産党
posted by s19171107 at 18:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記じゃない雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする