2017年08月22日

急がば回れのカウンセリング的方法論でバカウヨの再生産阻止へ

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170822-00529203-shincho-soci
>> 「LGBT」はもう古い? 「LGBTQQIAAPPO2S」って何だ
8/22(火) 8:01配信
デイリー新潮

 トランプ大統領を間に挟み、深くて暗い溝がアメリカ国内には存在している――そんなことを改めて知らしめたのが、バージニア州で起きた白人至上主義団体とそれに対抗する反対派との衝突だろう。

 死者まで出すに至ったこの事件を受けて、大統領は「憎悪と分断はただちに終わらせなくてはならない」等のコメントを出してはいるものの、こうした対立の構図はそう簡単には変わらないだろう。

 白人至上主義なんて時代遅れでとんでもない差別的な思想だ――これは現代のアメリカのみならず世界にとっての常識でもある。が、一方でこうした「政治的に正しい」言説の行き過ぎによって息苦しさを感じた人たちが、トランプ支持に回った、というのは従来からよく指摘されるところである。

 アメリカの「リベラル」は日本のそれよりも「先進的」とも言えるし、日本人には過激にも見えるだろう。元財務官僚で昨年アメリカのハーバード・ロースクールを卒業した山口真由氏は、新著『リベラルという病』の中で、その驚くべき実情をレポートしている(以下、同書より抜粋、引用)。

 人種間を含むさまざまな人たちの「平等」を求めるリベラルは、「ポリティカル・コレクトネス(PC)=政治的正しさ」を追求し続けてきた。これは人種的、性的、性指向的、いかなる意味でも少数者を差別しないことをいう。

 日本でも「看護婦」ではなく「看護師」、あるいは「ビジネスマン」ではなく「ビジネスパーソン」という表現が用いられるようになった背景にはPCの思想がある。

 このPCの最たるものとして挙げられるのが「LGBT」表現だ。


(中略)

 なかなか日本人には理解しがたいのだが、このPCを進めていくことは、アメリカのリベラルにとっての正義である。それこそが人々の平等を推し進めることにつながるからだ。

 ごく大雑把にいえば、こうした「正しさ」に対して、「そんなのヘンだろ!」とツッコミを入れることでトランプ大統領は支持者を得てきたとも言える。そして、そうしたトランプの言動に一貫して嫌悪感を示しているのが、アメリカのリベラルということになる。彼らにとっては、前世紀の遺物のような白人至上主義や、「本音満載」のトランプ大統領の言動は許されるはずがない。かくして、対立は終わらないのである。

デイリー新潮編集部

最終更新:8/22(火) 15:23
<<
コトがここまで来ると、少なくない人々は「下手なことを言って吊るしあげられると面倒くさいから、とりあえず触れないでおけばいいか」と考えることでしょう

その結果として、表面的にはポリティカル・コレクトネスが実現したように見えるでしょうが、実際には差別意識が完全に根絶されたわけではなく、単に地下に潜行しただけ。心の奥底では依然として差別意識は生き残っていることでしょう。

「プロレタリア文化大革命」が、まさしく「政治的に正しくない考え方」とされる連中が、厄介を避けるために表面的に恭順を示しつつも、真意においては地下化に潜伏した歴史的実例でした。修正主義・走資派的な傾向が少しでも見えれば直ちに吊るしあげをくらったのが文革であり、多くの人々は表面的に毛沢東主義を遵守する振る舞いを見せて、激動の世の中を生き延びました。そして、ケ小平が権力を掌握し改革開放に転ずるや否や、文革時代とは打って変わって、まったく毛沢東主義的でない動きが全国的に隆盛しました。こんな連中、いったいどこに潜んでいたんだというくらいの情勢になったものでした。また、今、文革時代を振り返れば、実はあの時代においても「反毛沢東主義」的な動機に基づく行動は実は広く見られるものでした。

このままいくと、ポリティカル・コレクトネスを目指すためと称して、人々の差別意識に対して一種のカウンセリング的方法論をとるのではなく吊るしあげを方法論として採用する運動は、人々に面倒くさがられてゆくことでしょう。その結果は、差別意識の地下化であり、「無言の疎外」の横行でしょう。交際の深度は最低限に留まることでしょう。「友人的に仲良くしない理由」なんて幾らでも作り上げることができるものです。

果たしてそれは、ポリティカル・コレクトネスを目指す人々が望むところなのでしょうか? そうではないでしょう。そうであるならば、「こいつらと関わると面倒くさいなあ・・・」と思われかねない吊るしあげ・罵倒の方法論ではなく、人々の差別意識に対する一種のカウンセリング的方法論こそとるべきでしょう

その点において、以下の毎日新聞記事が取り上げている取り組みは、マイルドでよいと私は考えます。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170816-00000037-mai-soci
>> <ブックカフェ>「在日」学び合おう「ヘイト」やまぬ今こそ
8/16(水) 14:30配信
毎日新聞

 ◇若者グループ、大阪で開設へ
 関西を拠点に活動する在日コリアンらの若者グループが近く、在日コリアンの歴史や朝鮮半島をテーマにした本を集めたブックカフェを大阪市内でオープンさせる。ヘイトスピーチ(憎悪表現)は今もなくならず、インターネット上でも偏見や誤解が根強い。メンバーは「まずは私たちを知ることから始めてほしい」と開設準備を急いでいる。【金志尚】


(中略)

 ただ、在日コリアンを取り巻く社会情勢は依然として厳しい。特定の人種や民族に向けたヘイトスピーチの解消を目指した法律が昨年6月に施行され、鶴橋駅周辺では見られなくなったが、在日コリアンが多く住む川崎市では今もヘイトデモが続く。ネットでも乱暴で攻撃的な表現が絶えない。メンバーの金和子(キム・ファジャ)さん(36)は「こういう時代だからこそ、学びの場が必要だと感じた」と訴える。

 開設の狙いは在日コリアンの歴史や実像、朝鮮半島と日本との関わりについて、読書や交流を通じて理解を深めてもらうことだ。金さんは「日本の若者とも一緒に歴史を学び、その認識を共有していける場になれば」と期待を込める。


(以下略)<<
すでにバカウヨ化してしまった人を矯正するには、こうした取り組みは非力かもしれません。しかし、可能性はゼロではないし、何よりも、バカウヨの再生産を阻止するという取り組みという点においては有力です。

再生産を阻止し、バカウヨ陣営を縮小させてゆき、あわよくばバカウヨの矯正を狙いながら、最終的には時間が事態を解決することに期待を寄せる(バカウヨだっていつかは老いて死ぬでしょう)・・・急がば回れの方法論です。
ラベル:社会 バカウヨ
posted by s19171107 at 20:25| Comment(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月19日

ナチスだと想像力の欠如、ソビエトだとお咎めなし

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170818-00000009-mai-soci
>> <人種差別>「ナチス」旗でJ1応援 痛み想像する力の欠如
8/18(金) 8:30配信

 ドアを開けると熱気がこもっていた。7月29日、大阪市内のスポーツバー。J1大阪ダービーでガンバ大阪がセレッソ大阪に逆転勝ちすると、約30人が歓喜して抱き合った。


(中略)

 先の大戦でナチス・ドイツがユダヤ人を大量虐殺した「ホロコースト」。忌まわしい記憶を呼び起こす旗がなぜ振られたのか。私は関係者を捜し歩いた。

 デザインを7年前に作った男性メンバー(52)が取材に応じた。インターネットで見たSSマークを「シンプルで格好良く、力強い」と気に入って、ほんの少し手を加えた。「自分たちのオリジナルデザインだ」

 ガンバ側は数年前に旗を使わないよう注意したが「ルール徹底が甘かった」と認める。

 4月に旗を持ち込んだのは自営業の男性だった。「SSマークの意味は知っていたが、全く同じではない。人種差別の意図はなく、使っても大丈夫だと思った」と繰り返し、こう言った。「被害者がいるなら謝りたいが、それが誰なのか分からない」


(中略)

 国際社会は、決して忘れてはならない歴史があると私たちに警鐘を鳴らす。知識だけではなく、当事者の痛みを想像する力が試されているように思う。

 問題の旗を持ち込んだ男性は処分を納得できずにいるが、家にホロコーストの本があったことを思い出し、読み返してみた。「ガス室に送られた人たちの立場なら、旗のデザインに耐えられないかもしれない」。そう感じ始めている。【石川将来・28歳】


(以下略) <<
被害者感情というものは「理屈」ではなく「感情」の問題であり、また、「受け手次第」なものです。世の中には”Nazis”の”N”の文字に対しても拒絶反応を示すくらいに強烈な被害者感情の持ち主が存在しており、その理由は無理もないものであり、そしてそれは常識的知識なのだから、慎重には慎重を期するべきでした。その意味で「痛み想像する力の欠如」というタイトルは間違っていません

ただ、ここからは毎日新聞記事の主題とは外れるのですが、「上坂すみれさんは大丈夫なのか?」という読了の感想が出てきました。ナチス・ナチズムは、ガチは勿論のこと、おふざけ・お遊びでも徹底的に叩かれるのに、ソビエト・共産主義は、いまだにネタとしてもマジとしてもデカい顔をしています

被害者たちの視点に立てば、ソビエト政権の凶悪さはナチスの凶悪さに比肩します。

バルト三国(エストニア・ラトビア・リトアニア)やハンガリー、ポーランド、ウクライナといったソビエト政権の被害諸国民たちは、ドイツにおけるハーケンクロイツ掲揚禁止と同様の要領で「鎌とハンマー」の掲揚を禁じています彼らはナチスとソビエトを同列に位置付けています彼らの歴史的感情を踏まえれば当然のことでしょう。

また、ソビエト政権の暴力装置としての赤軍は、第二次世界大戦中、各地で凄惨な殺戮と略奪、暴行を大規模に展開してきました。このせいで心に深い傷を負っている人は数知れず、まだまだご存命の人も少なくないことでしょう。赤軍兵士を悪魔の如く見なす被害者感情は、驚くには値しません

ソビエト政権の被害者、ソビエト赤軍の被害者たちの苦しみに想像力を働かせれば、面白半分で赤軍兵士のコスプレをしている上坂さんの想像力の欠如が際立ちます。ロシアが好きなのは結構なことですが、大学でロシアを専門的に学修したというのであれば、赤軍兵士のコスプレはあまりにも配慮に欠けていると言わざるを得ません(それとも、加害国であるロシアが専門だと被害国である東欧諸国の視点は持てないってこと?)。

ナチス親衛隊の標章をデザインに取り込んだ無名かつ無能なサッカーファンが吊るしあげられて、面白半分で赤軍兵士のコスプレをしている上坂さんはお咎めなし――それどころか、朝日新聞が、上坂さんのお気楽なインタビューを垂れ流している。さすがの上坂さんも大手紙を相手に、アングラな調子で答えてはいないようです(はたまた記者が自主規制したのか?)が、もしこれが「ソ連の国歌から、全ては始まった」ではなく「ナチス党歌から、全ては始まった」だったら、さすがに日本国内向けであっても、インタビュー記事にはできなかったでしょうね。

上坂さんのお気楽なインタビューを垂れ流したのは朝日新聞でしたが、問題のサッカーファンを吊るしあげている毎日新聞も同じ穴の狢です。たとえば4月24日づけ「障害者就労施設が「ソ連の遺産」?笑――資本主義スウェーデンとの比較で完全に敗北」で取り上げた記事は、モスクワ発毎日新聞でした。

「ナチス時代も悪いことばかりではなかった」「ヒトラーも幾らかは良いことをした」などと言おうものなら、ただちに吊るしあげられる昨今ですが、「ソビエト時代も障害者就労施設つくったりと、悪いことばかりではなかった」などと言うのは許されるのでしょうか? まさか「ソレとコレとは分けて考える」とか「いやソ連はスターリンによって大きく歪められたムニャムニャ・・・」とか言うんじゃないでしょうね? この問題の本質は「理屈ではなく感情」なんですよ! 

※ちなみに、「スターリンによって大きく歪められた」論については、以前から指摘しているように、「スターリン一味ごときに歪められるのは制度として欠陥」と言わざるを得ません。政治制度というものは、邪悪な魂胆をもった人間が暗躍しても尚、多重の保安機構によって暴走しないように設計するものです。たとえば三権分立によって今、トランプ米政権の暴走は抑止されていますが、それに対してソ連は「すべての権力をソビエトに」集中させていました。これでは、誰がリーダーかという以前の「そもそも論」としてだめですよ。

ナチスだと想像力の欠如、ソビエトだとお咎めなし――本当に想像力働かせているんですか?

はっきり言って、ナチズムなんかよりもソビエト共産主義の方が被害規模としては甚大であり、そして今もその危険性は根絶されるに至っていません。ナチスよりもソビエトの亡霊の方が差し迫った危機です。

この毎日新聞記事の主題は、ナチズム被害者の苦しみに対する想像力の欠如なので、ソビエトの被害者に関して、この記事で言及がないこと自体は直ちに問題であるとは言えません。しかし、言論空間を広く見回したとき、「ソビエト被害者の苦しみに寄り添う言説が少なすぎないか」「ナチズムと比較して取り上げ方に差がありすぎないか」と思うのです。

是非とも、別の機会での徹底的なソビエトかぶれ批判を展開していただきたいものです。
ラベル:メディア
posted by s19171107 at 16:18| Comment(2) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月17日

ブラック企業問題は社会経済総体の問題であり、自主管理化の道こそが解決策

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170817-00005629-nallabout-life
>> ブラック企業リストの公表で浮かび上がってくる「中小企業へのしわ寄せ」
8/17(木) 19:25配信

◆344社が実名公表…その多くは中小企業だった
厚生労働省が5月10日に、いわゆる「ブラック企業」の実名公表を行いました。公開基準は、長時間労働や賃金不払いなど労働関係法令に違反した疑いで送検された企業で、全国合計で344社でした。その後も月に1回ほどのペースでリストは更新されており、8月15日には401社になっています。
 
実名公開そのものの是非はともかくとして、少し気になったのは、リスト掲載企業に大手関連企業の名前がごくわずかで、大半が中小企業である点です。もっとも、中小企業は日本企業の大半を占めているので、リスト掲載企業の多くが中小企業であっても不思議ではないのですが、その企業が大手企業の下請けではないのか、という点が気になるのです。

◆大手企業との「主従関係は絶対」 よって現場は…
理由はこうです。大手企業の下請けというのは基本的に、仕様、品質、価格等々、すべてにおいて発注元である大手企業の支配下にあります。つまり、仕様変更を言い渡されればそれに従い、品質の向上を求められればそれを順守する。さらに、納品価格を下げろと言われれば、それすらも飲まざるを得ない、そんな関係にあるのです。


(中略)

彼によれば、広告代理店の下請けデザイン会社、ゼネコン下請け企業、IT大手の下請けプログラミング会社等々、日本ではあらゆる業界に「しわ寄せブラック」は存在する、と言います。大手企業と下請け中小企業の主従関係。「しわ寄せブラック」はある意味、大手企業が下請け企業を支配するという垂直統合を得意としてきた日本の産業構造が生み落とした陰の部分とも言えそうです。ならば今また、働き方改革が叫ばれ大手企業がここに取り組むことで、更なるしわ寄せが下請けを襲うのではないかという懸念が感じられもするのです。


◆経産省は「下請けGメン」を本格始動するが…
「しわ寄せ中小企業」たたきで終わらない対応が望まれる経済産業省は大企業が中小企業への買いたたきなどをしていないかを調べる「下請けGメン」を4月から本格始動するなど、これまで手がけてきている「下請けいじめ」防止にさらに本腰を入れて動き出しました。しかしこれはあくまで、経産省所轄の発注価格部分に限った話に過ぎません。

厚労省は今後ブラック企業リストを毎月更新すると公言していますが、ならば納期に関する「下請けいじめ」の実態はどうなのか、リストに上がった中小企業が実は「しわ寄せブラック」の被害者ではないのか、経産省同様に自らの足で調査することが必要でしょう。そして、もししわ寄せの存在が判明するなら、その大手企業こそ実名公表されるべきなのです。

ブラック企業リストの公表をしわ寄せ中小企業たたきで終わらせず、ブラック職場を根源から絶つ。厚労省にはそんな気概を持った対応が望まれるところです。

大関 暁夫

最終更新:8/17(木) 19:25
<<
■ブラック企業問題は、労働屋が描く単純な「労使階級闘争物語」ではない――自由化と民主化による自主化のための「二段階革命論」
重要な指摘です。この点を考えるためには、手前味噌になりますが、ブラック企業問題は、労働屋が描く単純な「労使階級闘争物語」として捉えるのではなく、「自主権の問題」として捉えるべきだと改めて申し上げたいところです。

ブラック企業問題は、第一義的には労働問題であり、労使の力関係の問題です。しかし、視野を広げ論点を深堀りして考察すれば、使用者(企業・資本)もまた経済構造の被造物であると言えます。中小企業について言えば、大企業との関係における「下請け構造」に行動を規定・束縛される部分は大きいとみるべきです。

記事中、筆者の大関氏は、下請け構造を「大手企業と下請け中小企業の主従関係」と正しく表現しました。「主従の関係性」は、「自主」とは対極をなす構造です。ブラック企業問題の根底に「下請け構造」=「企業間における主従の関係性」があるとするのであれば、その解決の道筋は、まさしく「自主化」であると言うことができます。

自主化の道筋について私は、チュチェ105(2016)年1月20日づけ「「オーナーの私有財産としての芸能事務所」という事実に切り込まずして「ジャニーズの民主化」を語る認識の混乱」において、「棲み分けによって自由市場原理が働き、人々が相互牽制的な関係性になることで、相対的な自立度があがります。自主管理によって相互牽制としてではなく、真に自らの足で立てるようになり、他人に依存することなくなります」と述べました。すなわち、「まずは移籍・転籍の活性化による自由化、次に自主管理・協同経営による民主化」という自主化のための「二段階革命論」を唱えました。

■下請けGメンが果たしうる役割は限定的であろう
ブラック企業問題の根底に「下請け構造」があり、この問題を解決するには「下請け構造」を変革する必要があり、そのためには、第一段階として相互牽制的関係性の構築を狙った自由化、第二段階として自主管理化という「二段階革命」の路線をとる必要があるというプランに立てば、大関氏が期待をかける「下請けGメン」は、あくまで第一段階の、それもあくまで初歩的な部分を「補完」する程度の役回りしか果たし得ないことが容易に推察できます。

下請けGメンが果たしうる役割など、所詮は「パトロール」と「通報に基づく検挙」にとどまります。警察が地域住民の防犯協力や110番通報を必要としているように、下請けGメンも結局は、不当な要求に対する現場からの通報に頼らざるを得ません。しかし、大企業と中小企業の垂直的構造の中においては、中小企業側が大企業側の不当な要求を逐次通報するという展開は、現実味が薄いと言わざるを得ません。勇気をもって雪印乳業の不正を告発した下請け業者が、結局仕事を干されてしまった前例が現に存在しています。となれば、「地域住民の防犯協力」や「110番通報」に相当するアクションが下請けGメンに寄せられる可能性は低いと言わざるを得ません。やはり、下請けGメンなどに頼るのではなく、中小企業が自力として、大企業の不当な圧力にそれなりに対抗できるようにならなければいけないのです。

■「二段階革命論」の優位性
この点において、市場メカニズムを活用した相互牽制的関係性の構築が有力なプランとして浮上してきます。取引先の多角化により、特定企業に依存せざるを得ない弱い立ち位置から脱するべきなのです。これこそが私が提唱する「二段階革命論」の第一段階;自由化です。そして、多角化によって自分自身の立ち位置を固めて交渉力を高めた上で、第二段階の自主管理化に取り掛かるべきです。

※この点は、日本共産党が提唱する「中小企業の統一戦線」的な発想とは一線を画すものです。私は基本的に、「鉄の団結による意識的・計画的な変革」ではなく「ベクトル合成の如き要領で自生的・結果的に達成される変革」を重視する立場です。

大関氏がブラック企業問題の考察の視野を広げ、下請け構造に切り込んだことは正しい視点でした。しかし、下請け構造を是正するにあたって「下請けGメン」に期待を掛けてしまったのはマズかった下請け構造があるからこそ、下請けGメンには期待が掛けられないのです。だからこそ、中小企業が自力として交渉力を持たなければならず、そのためには、市場メカニズムを活用し、企業同士の関係性において相互牽制的な構造を構築すべきなのです。そしてまた、「相互牽制的構造」に留まるのではなく、自らの運命を自らで管理し切り開く「自主化」に、ゆくゆくは踏み出すべきなのです。大関氏は残念ながら、中途半端だったのです。

■大企業もまた経済構造の被造物であることを忘れてはならない――大企業叩きではなく社会経済総体を自主管理志向で変革するしかない
大関氏の中途半端さについてもう1点指摘しておきましょう。中小企業がブラック化する要因について、下請けの「構造」を指摘したことは、繰り返しになりますが、正しい指摘です。個別資本もまた、経済構造の被造物であるというのは、かのK.マルクスも『資本論』の序言で述べている通りです。しかし、下請けヒエラルキーの上層に位置する大企業だって、いわゆる「競争の強制法則」が貫徹する以上は、決して安泰ではありません。大企業もまた、おかれている客観的構造を鳥瞰的に見れば、依然として経済構造の被造物です。

その点、ブラック企業問題は、その勤め先に責を帰結できる問題ではないことは勿論、発注側大企業にもその責を負わせることはできないというべきです。労働問題を巡ってしばしば、「本質的には大企業と言えども特定企業でどうにかなる問題ではなく、社会経済の総体のレベルにおいて大きく変革しなければならない」と私が述べているのは、そのためです。

社会経済の総体を自主管理的に改造する――ブラック企業問題を深堀すればするほど、その根本的解決には、自主管理化の道しかないと言えるでしょう。
posted by s19171107 at 21:39| Comment(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月16日

「米国の核の傘という力を借りる」ことが「自ら運命の主」などと抜かす韓「国」紙;中央日報のお笑い社説

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170815-00000010-cnippou-kr
>> 【社説】我々が自ら運命の主になるべき=韓国
8/15(火) 15:12配信
中央日報日本語版

今日は光復(解放)72周年、建国69周年を迎える日だ。日帝植民支配の倍の時間が経過したが、解放と建国を記念する歓喜よりも依然として不安と憂慮の影が韓半島(朝鮮半島)を覆っている。先代が血と汗と涙で取り戻して守ってきた祖国だが、依然として国は風前の灯のように危険の中にある。韓国の戦争危機は北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)3代世襲政権の核・ミサイル挑発から始まり、朝米間の衝突局面を経て、今では米中間の東アジア覇権闘争の様相に広がる様相だ。


(中略)

国は言葉やビジョンでなく力と意志で守るものだ。核武装が不可能な韓国がジャングルのような国際秩序で生存するには米国の核の傘という力を借りるしかない。韓米間の徹底的な安保連携と国民の一致団結で北朝鮮の武力挑発に断固対応するという意志から表明しないのが残念だ。大統領の冷静な現実認識が足りなければ、安保で超党派的な国論統合を成し遂げるのは難しい。北朝鮮の挑発と戦争の意志は、自ら国を守るという韓国人の団結した力と意志を見せることで挫くことができるはずだ。力と意志と国民の団結で自分の運命の主になるという教訓を、我々は日本に36年間も国を奪われた時期に骨身にしみるほど学んだはずだ。

最終更新:8/15(火) 15:12
<<
事大主義の末に「日帝強占」という特大級の屈辱的亡国を経ても尚、今度は対米事大という点において、まったく懲りていない韓「国」(自称)。かの地で発表されたお笑い社説が今日のネタです。まったく何言ってんだか。

力と意志と国民の団結で自分の運命の主になるという教訓を、我々は日本に36年間も国を奪われた時期に骨身にしみるほど学んだはずだ」などと言いますが、ゲリラが建国した朝鮮民主主義人民共和国の方がずーっとよく心得ていることでしょう。他国の核の傘に頼る韓「国」(自称)と異なり、共和国は自衛の核武力を整備している一点を見てもそのことは言えます。

我々が自ら運命の主になるべき」というのであれば、「核武装が不可能な韓国がジャングルのような国際秩序で生存するには米国の核の傘という力を借りるしかない」というのは矛盾ではないのでしょうか?w 自分でも何を言っているのか分かっていないんでしょうなw

トランプ米大統領が「戦争になって数千人が死ぬ場合、それはここではなく向こう(朝鮮半島)だ」と言明している段階においても尚、安全保障をアメリカに頼り切っている底抜けの事大主義者であるオマエたちと共和国とは歴史から学んだ教訓が違うんだよ。覚悟が違うんだよ。いい加減に主体を確立しろ!
ラベル:チュチェ思想
posted by s19171107 at 00:06| Comment(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月15日

「人に仕事をつける」日本の働き方は「ブルックスの法則」が作用し易い

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170801-00010000-fukui-l18
>> 死招くパワハラ「もう来るなや」 長時間労働など要因か
8/1(火) 8:02配信
福井新聞ONLINE

 2人きりのとき、先輩社員が切り出した。「何で(仕事が)できんの? もう(会社に)来るなや」。口調は本気だった。配置転換で職場を変わったばかりの小林進さん(福井県内在住、仮名)は「すいません」と謝った。言葉のパワハラは続き、通勤の車から会社の建物が見えると、吐き気がするようになった。

 専門職として入社し、上司に異動を告げられた。これまでとは無関係の部署で「職場に残りたい」と訴えたが、上司は「オレの立場はどうなる?」と言った。

 業務は一変。勤務時間は長引くようになった。ミスもあり、緊張で長時間いすに座っていることができなくなった。屋上から飛び降りる夢を何度も見るようになった。

 しばらくで休職した。医師からは「適応障害」と診断された。休職が長引くほど、会社は冷たくなった。結局小林さんは退職に追い込まれた。


(中略)

 5月の福井県内の有効求人倍率は2・09倍で全国トップだった。県内の長時間労働の背景には、慢性的な人手不足がある。一方、ここ数年、県内で最も多い労働相談は「いじめや嫌がらせ」だ。

 福井市の海道宏実弁護士(56)は「長時間労働の上に労働密度が高まり、社員のストレスが増え、パワハラにつながっている可能性がある」と関連性を指摘する。ある企業幹部は「人口減で市場が縮小し売り上げが減れば、まず人件費を削る。1人の負担が増し、今は管理職も現場に出る。職場をマネジメントする余裕がない」と話す。

 仕事が特定の人に集中することを危ぐするのは、県経営者協会の峠岡伸行専務理事(56)。「日本は、仕事に人を付けるのではなく、人に仕事をつける。だからワークシェアもやりにくい。1人が仕事を抱え込む傾向がある」と指摘。「働き方改革は、仕事の指示の出し方も含めた業務の見直しのきっかけにすべきだ」と訴える。


(以下略) <<
■見過ごされている論点を的確に指摘している
7月26日づけ記事でも述べたように、労働屋連中は、電通での女性新入社員自殺事件を単なる長時間労働問題に矮小化し、事件を特定の労働運動上の目的に利用していると言わざるをえない振る舞いを見せています。以前から繰り返しているように、電通の件は、決して単なる長時間労働ではなく、パワーハラスメントこそが核心であるにも関わらず、労働屋連中は不自然なまでにこの事実に触れようとしません。大手マスメディアも同様です。

そんな中で登場した福井新聞記事。「一方、ここ数年、県内で最も多い労働相談は「いじめや嫌がらせ」だ」という触れ込みで、大手メディアがどうにも触れようとしない局面にスポットライトを当てました。死招くパワハラ」というタイトルは的確。重要な問題を正しく提起している良質記事です。

■「人に仕事をつける」から「ブルックスの法則」が作用し、特定個人が負担過多になる
とりわけ以下のインタビュー・コメントは秀逸です。
>> 仕事が特定の人に集中することを危ぐするのは、県経営者協会の峠岡伸行専務理事(56)。「日本は、仕事に人を付けるのではなく、人に仕事をつける。だからワークシェアもやりにくい。1人が仕事を抱え込む傾向がある」と指摘。「働き方改革は、仕事の指示の出し方も含めた業務の見直しのきっかけにすべきだ」と訴える。 <<
この一段落は、巷では、労働屋・労働界を含めてまったく見過ごされているものの、極めて重要なポイントです。

長時間労働・メンタルヘルス問題の代名詞的業界として「IT業界」の名を挙げることについては、ほとんどの人にとって異論はないものと思います。IT業界がこのような過酷な労働環境になりがちである一大要因として、この業界が「知識集約産業」であり、それゆえに、「ブルックスの法則」が作用するからだと指摘されています。

「ブルックスの法則」とは、フレデリック・ブルックスという、著名なソフトウェア工学者かつ開発技術者が自身のソフトウェア開発経験をもとに提唱しているものであり、"Adding manpower to a late software project makes it later."(遅れているソフトウェアプロジェクトへの要員追加は、プロジェクトをさらに遅らせるだけだ)という逆説的な格言に集約することができます。その理由は、「1人の妊婦が9か月で赤ちゃんを出産できても、9人の妊婦が1ヶ月で赤ちゃんを出産することはできない」という喩えに端的に表れているように、知識集約産業においては、担当業務を分割して皆で手分けして取り掛かることが困難だという特性があるためです。

私は、「ブルックスの法則」を現代の労働問題を考察する上で中核に据えるべきであるという観点から、2月14日づけ「増員は一人当たりの労働負荷を逆に増やす――「働き方改革」の逆効果」を執筆しました。この中で私は、@担当業務の分割・再割り当ての困難性が、特定個人に対する負担集中の一因になっていること、A担当業務の分割の困難性ゆえに、人員増はむしろ負担軽減という点では逆効果になり得るケースがあること、そして、Bこのことは経営者の悪意の問題ではなく、産業・業界の生産方法(仕事の進め方)によって客観的に規定されるものであることを述べました。

記事中で紹介されている福井県経営者協会の峠岡専務理事の「日本は、仕事に人を付けるのではなく、人に仕事をつける。だからワークシェアもやりにくい。1人が仕事を抱え込む傾向がある」という指摘は、まさしくこの「ブルックスの法則」を言い当てたものであると言えます。従業員に仕事を割り当て、担当従業員の習熟を頼りに仕事を進めてゆく――知識労働的な仕事の割り振り方・進め方であり、「ブルックスの法則」が発動しやすい土壌であると言えるのです。

■労働屋の「馬鹿の一つ覚え」は逆効果
労働屋は、馬鹿の一つ覚えのように「人員増」を繰り返します。おそらく彼らは、「足りないなら増やせばいい」などという子供でも思いつくような素人的発想から脱しきれていないか、あるいは、『資本論』が前提としている労働集約的な産業資本主義的工場労働の枠組みから脱しきれていないかの何れかでしょう。しかし、ワークシェアしにくい知識集約的な仕事の割り振り方・進め方が手つかずのままでは、仮に「人員増」したところで負担軽減にはならず、むしろ「分かっていない素人」が新たなる負担になりかねないのです。

昨今の高ストレスな労働環境を改善してゆくためには、「仕事の割り振り方」に立ち返って改善してゆく必要があると言えます。「働き方改革は、仕事の指示の出し方も含めた業務の見直しのきっかけにすべきだ」という峠岡氏の指摘は、問題の核心を抉るものです。

■福井新聞記事は、生産現場の実態を正しく認識している重要な記事
前掲過去ログの再末尾で私は「生産現場を正しく認識しなおすことから始めなければなりません」と述べましたが、福井新聞記事は、生産現場の実態を正しく認識し、その上で峠岡氏の正しい処方箋を掲載しています。重要な記事だったと思います。

■発展的論点について
なお、福井新聞記事では言及されていませんが、発展的論点として、現在の「人に仕事をつける」方式を改め、ワークシェアし易い、「仕事に人を付ける」方式に転換することは、国際比較的・文化比較的な視点に立てば、日本的な雇用・職務形態から欧米的な雇用・職務形態へのシフトを意味します。無期雇用の正社員を主軸とする日本的な雇用・職務形態は、「人に仕事をつける」からこそ成り立った形態であり、「仕事に人を付ける」形態においては、そのまま生き残るとは必ずしも言い切れるものではありません。

「ワークシェアで負担を軽くしたいけど、無期雇用の正社員形態も捨てがたい」という気持ちは分かりますが、そう上手く話が転がると思わない方がよいでしょう。その点も十分に考慮に入れたうえで、「働き方改革」を考えるべきだと申し添えておきたいと思います。
posted by s19171107 at 23:32| Comment(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月08日

立派なブラック企業、あるいは正気を失っているJNNニュース

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20170805-00000173-jnn-int
>> トランプ大統領、課題山積も17日間の夏休みへ
8/5(土) 18:39配信

「休みはとらない」としてきたアメリカのトランプ大統領が4日、首都ワシントンを離れ、自分が所有するゴルフクラブで2週間以上の夏休みに入りました。難題山積のトランプ政権ですが、夏休みも「自分ファースト」のようです。

「就任から半年以上経ち、政治的な実績がほぼゼロのトランプ大統領、これから17日間の夏休みに旅立ちます」(記者)

トランプ大統領は当選直後、「やるべきことが多いからあまり休まないだろう」と豪語していましたが、最初の夏休みは8日間だったオバマ氏の倍以上の予定です。

(中略)

 現実の政治に阻まれて公約実現は遠い一方、政権の迷走ばかりが目立つなか、言葉と行動がうらはらの夏休み入りといえそうです。(05日14:07)
<<
いくらトランプ大統領が嫌いだからといって、「夏休みも「自分ファースト」」とは、正気を疑う罵倒です。

「政治的な実績がほぼゼロ」だから「17日間の夏休み」などケシカランというのであれば、むしろ実績がないからこそリフレッシュしたほうがよいでしょう。こういうマインドに基づく言説が幅を利かせるから、日本では長時間労働が蔓延するのです。かなりハードルが高いノルマについて、「達成するまで休むな」とは、立派なブラック企業の言い分です。

最初の夏休みは8日間だったオバマ氏の倍以上の予定」といいますが、就任時40代のオバマ前大統領と、すでに70歳を超えているトランプ大統領を同列に扱うのは、いかがなものか。トランプ大統領を嫌うのは結構なことですが、いくら嫌いだからと言って、ここまで言うのは異常です。

ちなみに実業家時代のトランプ大統領は、どれくらいの期間をバカンスに費やしていたんでしょうかね? あまり調べる気にはなりませんが、3週間以上の夏休みをとるのが標準的な国も世界にはありますから、それと比べれば「17日」は短い方だと言えるでしょうね。その点、日本人の夏休みの短さは異常。それだけ働いてもGDP世界第1位にはなれないんだから、いったい何をやっているんだか・・・

いいじゃないですか、トランプ大統領。休むことの大切さの範を見せているわけです。上が率先して休暇を取らないといけないと思いますよ。

言葉と行動がうらはらの夏休み入り」というくだりを見るに、「休みはとらない」と従前公言していたこととは相反する点を突っつきたいのでしょうが、認識を正しく改めたのであれば、問題視すべきではないでしょう。意味のない「筋」など通すべきではありません。

そもそも、トランプ大統領が「言葉と行動」を本当に一致させたら恐ろしいことになるでしょうw良かったじゃないですか、トランプ大統領が「やせ我慢」しない性格だということが分かったんですから。まだ任期は3年あるわけで、こんな調子で徐々に軟化していく可能性が、まったくのゼロではないことが分かったわけです。

こういう罵倒を展開するような手合いは、持論に都合の良い「兆候」でさえ恰も「現実」であるかのように増幅するものです。飛びつくものです。これこそが「フェイク・ニュース」の根底。トランプ憎さあまりにCNNが大嘘こいた後ですから、ほぼ同じ罵倒を展開するJNNニュースについても疑いの目を以って接しないといけませんね
ラベル:メディア
posted by s19171107 at 23:02| Comment(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月07日

「犯罪の加害者と被害者との対話」を目指す運動の再興期

https://news.yahoo.co.jp/feature/710
>> 「犯罪の加害者を責めません」−−ある遺族の選択とは
8/7(月) 10:06 配信

大切な家族を殺された遺族の喪失感や加害者への怒り。それらは、他人に想像できるものではない。しかし、2006年に長女の歩さん(当時20)を殺された中谷加代子さん(56)は「怒り」を消し、刑務所で加害者たちと向き合う活動を始めた。伝えるメッセージは「幸せになって」。加害者を「責める」ことなく、常に「寄り添う」。どうして、そんなことができるのか。なぜ、そんな道を選んだのか。(益田美樹/Yahoo!ニュース 特集編集部)


(以下略) <<
一般的に、犯罪被害者・遺族は、「あすの会」と歩調を合わせる思考・行動をしていると見なされています。しかし、実際にはそうではありません。「犯罪加害者を責めない犯罪被害者・遺族」は確実に存在しています。

もう10年近く前の話になりますが、そうした人々がOcean 被害者と加害者の出会いを考える会」という団体を設立しました。この団体が設立1周年の記念集会を開いたちょうどその時、朝日新聞夕刊コラム「素粒子」が、当時の鳩山法相を「死に神」と表現し、大問題になっていました。「あすの会」が、「犯罪被害者遺族はみんな加害者に刑死してほしいと思っている」といった主旨の抗議を展開したのに対して、"Ocean"は、「そんなことはない、我々がいる」と反論したように、「あすの会」と自己を対比しつつ「犯罪加害者を責めない犯罪被害者・遺族」の存在を宣言しました。
・旧ブログにて保管している反論文書をスキャンしたものはこちら。「あすの会」が描く構図に反対し、"Ocean"の原点を明確にしています。
・上掲文書にて紹介されている講演会の記録はチュチェ97(2008)年8月6日づけ「「Ocean」設立1周年集会報告(1)

"Ocean"を私は大変、注目し応援してきたのですが、残念ながら最近は団体としての活動実績に乏しいようです。代表の原田正治氏は、この道では超有名人で、戦闘的な死刑存置派からは「こいつは内心、殺された弟を愛してなかったんだろう」と罵倒されるくらい警戒されている御方ですが、残念ながら一般的知名度が低すぎます。脳梗塞から復活し今もブログに講演会に精力的に活動されているようですが、やはり多勢に無勢という点はあります。

また、前掲「「Ocean」設立1周年集会報告(1)」でも収録しているように、松本サリン事件の遺族であり、自分自身も被害者であり、さらに報道被害者でもある河野義行氏も"Ocean"にはかかわっています。しかし、河野氏は「報道被害者」である点、どうにもメディアとしては積極的には使いたくないのでしょうか、超有名人でありながら(超有名人であるからこそ?)、取り上げられる機会に乏しい御方です。

ここ最近数年あまり、「加害者と被害者との対話」を目指す運動は停滞期を迎えていましたが、昨年になって急に新しい角度での再興の動きがみられるようになってきました。チュチェ105(2016)年9月20日づけ「犯罪被害者遺族と確定死刑囚との出会いの場――高橋シズヱさんと原田正治氏・河野義行氏が「一点で一致」した日」でも取り上げたように、なんと「あすの会」のなかでも特に強硬派で、「早く死ね」と公言していた高橋シズヱさん(地下鉄サリン事件遺族)が、「オウムの死刑囚と会いたい」と仰いだしたのです。

そして今回の中谷加代子さんのケースに関する報道。もちろん、真相を知るために対話を求める高橋シズヱさんのケース(一通り対話が終われば、当然「死を以って罪を償え」という話になるでしょう)と、加害者に寄り添うことを目指す中谷加代子さんのケース、そして、死刑反対を言明している原田正治氏と河野義行氏は、いずれも目指すベクトルが大きく異なります(どれが正しくてどれが正しくないという問題ではありません)。しかし、「3大勢力」と言い得る人たちが、いずれも「加害者との対話」を求めていることは、強調してもし過ぎることのない時代の変化です。

旧ブログ時代は「刑事事件にかかわる世論研究」がメインテーマだったように、かなり以前から私はこの問題に関心を持っています。しかしながら、以前から立場を鮮明にしているように、私は「死刑を求める遺族」になる自信があります。中谷加代子さんや原田正治氏、河野義行氏のお考えの境地に至ることは、私には難しいのが正直なところです。もちろん、その立場・主張を否定するつもりは毛頭もありません。

犯罪被害者遺族という立場は、ほとんどの人が直接体験できるものではないし、体験するべきではないものです。身近で見聞きする機会も少ないものです。また、仮に身内を殺されようものなら、正気を保っていられないのは当然のことでしょう。そんなわけで、「犯罪被害者遺族=一秒でも早く加害者に死んでほしい、ぶっちゃけ裁判なんてパスしてほしいくらい」というイメージができがちです。

しかし、実際の犯罪被害者遺族の中には、決してそうではない人たちもいる。これは、ほとんどの生活者にとっては、報道を通じてしか知り得ない事実です。報道を通じて知り得たこの事実をスタートにどう司法的、行政的、立法的に取り組みを展開してゆくべきでしょうか。

一つ、確実に注意しなければならないことは、旧ブログ、チュチェ98(2009)年6月21日付け「「死刑を求めない遺族」を取り上げすぎることの危険性」でも述べたとおり、「じゃあ、各事件の遺族感情次第で被告人を死刑にするかどうかを決めよう」という展開になりかねないということです。これは近代司法制度の発展を振り出しに戻す挙です。

「加害者と寄り添う」とか「加害者への死刑執行を求めない」といった被害者遺族の声が社会全体に行き届いていない現状では、シミュレーションを展開するのは困難です。しかし、「各事件の遺族感情次第」という論点は、油断しているとあっという間に出てくることでしょう。常にアンテナ高く備える必要があります。

関連記事
・チュチェ105(2016)年9月20日づけ「犯罪被害者遺族と確定死刑囚との出会いの場――高橋シズヱさんと原田正治氏・河野義行氏が「一点で一致」した日
・チュチェ105(2016)年10月7日づけ「相変わらず「死刑を求めない遺族」の存在を無視する「あすの会」――団体が「あるべき遺族」の規定に繋がる発言をすべきではない
posted by s19171107 at 21:11| Comment(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月06日

労働者階級の新しい武器

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170806-00000025-it_nlab-sci
>> ブラックな事案で送検された企業を一覧にしたサイト「ブラック・ブラック企業」が登場 件数が棒グラフで一目瞭然に
8/6(日) 19:24配信

 厚労省が5月から公開している、労働基準関係法令の疑いで書類送検・局長指導された企業をまとめたリスト、いわゆる“ブラック企業”に関するリストを、一覧にして検索できるようにしたサイト「ブラック・ブラック企業」が登場しました。

 2016年10月〜2017年6月までに公表された企業・事業場393件のデータが一覧化されており、「都道府県別」「公表年」「公表月」「違反法条」からそれぞれ知りたい項目を選択してリストから検索できるようになっています。


(中略)

 元のリスト自体は、各都道府県の労働局がそれぞれ送検・指導された企業を集計し、それを厚労省労働基準局がまとめたもの。毎月定期に厚労省のサイトに掲載されるのですが、最新の公表分でPDFファイル65ページにわたって企業名が並んでおり、知りたい項目やそれぞれでの比較などは難しいものがありました。

 さらに事案の多くは「高さ約4メートルの足場上で手すり等を設けていなかった」「非常停止装置を設置していなかった」など労働安全衛生法にかかわるもの。それらの中から特定のタイプの違反事案を分けて検索できる「ブラック・ブラック企業」は、データから必要な情報を知る上で便利なサイトだと言えるでしょう。


(以下略) <<
これこれ、こういうのが必要だったんですよ!

先だって厚労省が、労働法令違反の企業名をリストとして公開したことは画期的でしたが、使い勝手が悪いなと思っていたところでした。とてもよい取り組みです。

以前から述べているように、ひとり一人の労働者が、ミクロレベルで自発的にブラック企業を避ける行動を重ねることで、あたかもベクトルの合成の要領で、マクロレベルの様相が大きく変わるのです。そのための判断材料として、この検索機能は極めて重要。労働者階級の新しい武器だと言えるでしょう。
posted by s19171107 at 22:38| Comment(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月02日

他人様の「想像力の無さ」を指摘する貴女は、批判者の何を知っているというのか

https://news.yahoo.co.jp/byline/osakabesayaka/20170731-00073891/
>> JAL現役社員はなぜ顔出しで会社を訴えたのか?マタハラ裁判で勝利的和解を収めた彼女に聞いた
小酒部さやか | 株式会社 natural rights 代表取締役

7/31(月) 6:08


(本文引用省略) <<
裁判自体は「よく闘い、見事に勝利した」と率直に祝辞を述べたいところですが、次のくだりについては、懸念を表明せざるを得ません。
>> ●バッシングは想像力の無さから

小酒部:誹謗する人たちだって明日は我が身なのに…。神野さんが声を上げてマタハラ問題が解決していけば、女性が仕事しようと思った時にその人も助かるはず。なぜそれが足を引っ張り合おうとするのか…。

神野:この問題について声を上げる意味を想像できないからかもしれない。想像力のある方は独身でも、男性でも分かってくれるけど、ない方は、たとえ女性であっても「私も大変だったんだからあなたも我慢しなさい」となる。

小酒部:バッシングしてくる人を単純に男女で分けられるものでもない。SNSが浸透しショートワードを投稿することによってコミュニケーションが希薄になっている。反射神経的に何も考えず安易にバッシングするようになった。行間を読むとか、一拍置くとか、そういうことをしなくなってきている。だから余計に想像力がないように見える。

神野:人と人のコミュニケーションも会ってその場の雰囲気を読んで…ということがだんだん少なくなってきている。
<<
■想像力が足りていないのはどっち?
この問題について声を上げる意味を想像できないからかもしれない」――「私の考えを理解できない人は無知蒙昧」と言っているのに等しい言いっぷりです。

妊娠・出産・子育ての経験がない人物からの発言を指しているのであれば、まだ理解できます(※)。しかし、私も大変だったんだからあなたも我慢しなさい」というのは、果たして「想像力の無さ」なのでしょうか? むしろ、今以上に孤立無援の修羅場を乗り越えてきたからこそ言える重い言葉ではないのでしょうか? 「想像力の無さ」を云々するのであれば、「相手がどうしてそういう言葉を掛けてくるのか」「その人はどういう人生を歩んできたのか」という点について、神野氏こそが想像力を働かせるべきだったのはないのでしょうか?

※仮に妊娠・出産・子育ての直接的経験がなかったとしても直ちに「想像力の無さ」と断ずることはできません。神野氏の個人的経験をはるかに凌駕する、広い視野に渡る知識にもとづく客観的論評のケースや、神野氏の境遇を遥かに下回る劣悪極まる環境でのサバイバーが「その程度で何を言っているの・・・」と呆れているケースだってあるでしょう。いくら妊娠・出産期は無給と言っても、いつかはJALに復帰できるのならば、本当の底辺生活者にしてみれば、はるかに恵まれた地位であることは間違いありませんよね。

■自己中心的視点に終始
神野氏は「私も大変だったんだからあなたも我慢しなさい」という言葉を掛けてきた先輩女性社員のリアルについて言及していません。神野氏は、「自分の視点」からしか物事を語っていないのです

神野氏は「同時期に妊娠する人がいれば、一緒に頑張ろうとなったかもしれない」と述べている点、表面上は同僚を「連帯の仲間」として見なしています。しかし、「私も大変だったんだからあなたも我慢しなさい」という言葉を掛けてきた先輩女性社員について、「相手がどうしてそういう言葉を掛けてくるのか」「その人はどういう人生を歩んできたのか」という点での考察を深めず、「想像力の無さ」などという言葉を以って相手を無知蒙昧と決めつけ、切って捨てている点を勘案するに、無意識のうちに自分自身を「正義の伝道者」として一段上に位置付けているのでしょう。無意識では仲間だと思っていないのでしょう。

■偏狭な活動家マインドに転落しかねない「他人を扱き下ろす思考回路」
こうした心構えは、大変にまずい。持論を受け入れない人物を無知蒙昧だと決めつけて扱き下ろす考え方の人物は、異論や批判にとどまらず、慎重意見や懸念意見をもシャットアウトしがちです(世論を敵に回すような言説を当ブログで展開している私自身も常々気を付けなければならないと思っています・・・)。致命的な思い上がりに陥った左翼活動家なんてまさに好例。知らず知らずのうちに偏狭な活動家マインドに転落しかねない思考回路です。

偏狭な活動家は人民大衆から遊離してゆきます。働き方の問題を自己決定権の問題と位置付けるのであれば、そこにおける正義は、突き詰めれば、ひとり一人の生身の人間の「思い」の問題、どういう人生を歩んでゆきたいのかという「理想」の問題です。神野氏の見解が先輩女性社員の見解と一致しないのであれば、「ああ、この人とは考え方や理想の方向性が違うんだな」と思っておけばよろしい。理解しあえない者同士は棲み分ければよろしい。人民大衆が神野氏と同じ考え方であれば、まさにベクトルの合成の如き要領で理想が実現されるし、神野氏がいくら周囲の人間を扱き下ろしたところで、その言い分が社会的に理解されないのであれば、バカ扱いされるのは神野氏の方です。

「連帯の仲間」というのならば、他人様について「この問題について声を上げる意味を想像できないからかもしれない」などと決めつける前に、どうして相手はそういう発言をしてきたのか、相手はどういう経験をしてきたのかを厳密に研究すべきです。

■潜在的支持層を取りこぼしている「自己の無能さ」こそ猛省せよ
同僚は、構造的にその立場を分析すれば、依然として仲間に属する人物です。未開拓の潜在的支持層です。そうした人々を「無知蒙昧のバカ」呼ばわりするのはいかがなものか。本質的には支持層となりうる人物が持論に靡かない事実に対しては、相手をバカにして扱き下ろすのではなく、自分自身の教宣能力の欠如にこそ目を向けるべきです(「バカ」なんて耳障りの良いことを並べておけばフラフラと吸い寄せられてくるんだから、「正義の伝道者」ならば適当に言いくるめてオルグできるだろ!)。神野氏は、「想像力の無さ」などと偉そうに論評して他人様を扱き下ろすのではなく、潜在的支持層を取りこぼした自分自身の組織教宣能力の欠如こそ猛省すべきなのです

■心配になる思考回路
たまたま、許容できる内容での和解に至ったからと言って、すこし天狗になっているきらいがあります。繰り返しになりますが、神野氏はよく闘い、見事に勝利したと私は思います。しかし、その勝利の美酒に酔い過ぎており、人民大衆が主体として推進してゆく労働者階級の自主化運動の展開としては正しくない思考・発想に転落しているのです。

■はっきり言ってヌルい神野氏
まあ、こういうのも「労働屋」にとってはバッシング扱いになるんでしょうね。自分で言うのもなんですが、私くらいの自主管理社会主義者にもなると、神野氏はもちろん、昨今はやりの「ユニオン」とやらの、「ブルジョア博愛主義」っぷりは、本当に笑えてくるレベルなんですけどね。あんな「地主様への陳情・お代官様への直訴」の域を脱していない変革ゴッコ・革命ゴッコが「労働運動」とは、笑止千万。

「神野氏はよく闘い、見事に勝利した」とはいうのは偽りなき私の感想ですが、「こんなのまだスタートラインにも立っていないんだから、あまり調子に乗って講釈垂れるなよ」とも言いたいところです。こんな水準で満足している程度の人物が、他人を「無知蒙昧」と決めつけるとは、何かのジョークでしょうか? 「真の自主化を目指すにあたっては、あんたみたいな天狗思考は、むしろ障害」と付け加えて、本件を総括したいと思います。

お疲れさまでした。あとは我々が引き継ぐので大丈夫です。
posted by s19171107 at 23:03| Comment(8) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月01日

「生贄」を捧げる段階に突入した「タクシー同業者ムラ ジリ貧物語」の第2章

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170801-00050028-yom-bus_all
>> 大阪のタクシー、1300台削減…来春までに
8/1(火) 7:26配信

 大阪市とその周辺で営業するタクシー事業者などでつくる「大阪市域交通圏タクシー特定地域協議会」は31日、法人タクシーの台数を2018年春までに9・4%減らす計画を国に提出した。

 15年11月時点(1万3509台)から約1300台減る見込みだ。

 過当競争を抑え、タクシー運転手の給与など処遇を改善する狙いがある。国が計画を認可した後、各事業者が削減する台数や曜日ごとの営業制限を設ける。

 タクシー業界は規制緩和で競争が激化し、運転手の収入減などが問題となっている。14年には改正タクシー特措法が施行され、新規参入や増車を認めず、削減台数を協議会で計画できる制度が設けられた。


(以下略) <<
■同業者ムラの牙城
タクシー業界は、青木定雄氏のエムケイが斬り込みをかけたころから「ムラ社会的利益共同体」の体質がとりわけ強い世界です。業界人が割と声高に主張を展開するのに便乗する形で、「これ以上の成長・発展を目指す必要などない。ボチボチ現状維持を目指せば、贅沢はできなくても十分に豊かな生活を送ることができるんだ」などと口走るユートピア主義者が、「小泉改革の唾棄すべき遺産」だのとアジり始めるのも珍しくありません。タクシー業界は、「同業者ムラの牙城」の如き様相を呈しています。

そんな状況下での、本ニュース。「タクシーの供給過剰状態」に対して業界団体が計画書を提出したそうです。相変わらずの「同業者ムラ」丸出しっぷりです。

■「生贄」を捧げることで延命を図ろうとする「タクシー同業者ムラ ジリ貧物語」の第2章
いわゆる「タクシーの供給過剰状態」を是正し、需要量と供給量とを均衡させ、社会的資源を効率的に再配置することは重要な取り組みです。ビジネスを革新して需要を掘り起こすか、あるいは本来であれば競争淘汰されるべき死に損ない企業を間引く必要があります。

しかし、タクシー業界が求めて続けている「是正策」は是認できません。このことについて私は、チュチェ102(2013)年8月18日づけ「「小泉改革」を克服した新しい改革を」において次のように述べました。
>> いまは参入規制強化という「権力的保護」によって何とかなるかもしれませんが、状況がもっと悪くなったとき如何するのか。いたずらに「ゾンビ化」を促進させ、もうどうにもならなくなってから慌てて「対策」をはじめても大混乱に陥るだけでしょう。いわゆる「炭鉱争議」における、毛沢東からエールを送られるほどの激烈な「階級闘争」と、エネルギー需要の変化による「自然消滅」の歴史は、多くのことを示唆しているでしょう。 <<
この間「タクシー同業者ムラ」は、業界の利益を守るために高い参入障壁を聳え立たせ、「今いる身内どうしで仲良く利益山分け」を目指してきました。しかし、どうにも上手くいかなかったので、今度は「来年春までに9パーセント超の1300台削減」などという「口減らしの生贄」を捧げることにしたわけです。

「タクシー同業者ムラ」は、「生贄」を捧げることで何とか延命を図ろうしている新しい症状段階にあります。競争淘汰による自然な供給量の削減ではなく、ムラの「寄り合い」で決まった「競争によらない淘汰」です。革新を伴わない需給均衡の展開であり、本来であれば競争淘汰されるべき(間引かれるべき)である、人々が求めているものを提供しないビジネス、魅力に乏しいビジネスが生き残ってしまう展開です。

■「生贄」を捧げても枯死は依然として時間の問題――ビジネスの革新が御留守
タクシーの需要に大きく伸びる展望がなく、むしろ縮小を続けるトレンドにあることは、ずっと変わりのないことです。参入規制や「生贄」などで一時的に利幅を確保したところで、そもそも利潤の源泉が枯れ始めているのだから、その場しのぎでしかないのは明々白々です。

利潤の源泉を再生する新しいビジネスモデルを掘り当てない限り、枯死は依然として時間の問題です。まだ「参入規制」だった頃でさえ、新しいビジネスモデルの開拓の成果を挙げられなかった(挙げようともしなかった?)タクシー同業者ムラの村民たち。「生贄」を捧げる第二段階になったからといって、急に覚醒するとも思えません。

■「生贄」を捧げるにしても方法がある――「競争淘汰促進の方法論」
記事冒頭でも述べたように、需給の均衡には「競争淘汰促進」というアプローチがあります。タクシー同業者ムラの要望は、繰り返しになりますが、「競争によらない淘汰促進」を意味しているので賛同できませんが、では「競争淘汰促進の方法論」とは、どういったものなのでしょうか?

前掲過去ログにおいて私は、スウェーデンにおける労働政策の基本を「人は守るが、雇用は守らない」と表現した同国元財務相のペール・ヌーデル(Pär Nuder)氏の発言から、以下のくだりを引用しました。このくだりは、「競争淘汰促進の方法論」の正当性を端的に表現している重要箇所です。
>> 既に申し上げたように、ここでの考え方は、人を守るということです。雇用を守るのではありません。フランスやドイツにあるような法律は、私たちにはありません。そういった法律は、産業が消滅してしまいますと、かえってコストを高めてしまいます。一方、私たちは、その産業を生き残らせるためにお金を提供するのではなく、個人が自分の身を守るために使えるお金を提供するという考え方です。競争が激しくなることによって自分の働いている会社が例え倒産したとしても、自分の人生は揺るがないのだという自信を人々に持たせなければなりません。

つまり、ソーシャルブリッジは、古い、競争力をなくした仕事から、新しい競争力のある仕事に人々を移らせるためのインセンティブにならなければならないわけです。スウェーデン人が変化を好んでいるのかといえば、それは全くのうそになります。スウェーデン人は、変化を好んではいません。しかし、ほかの国よりも変化を受け入れる大きな土壌が多分あるでしょう。
<<
一番に目指すべきなのは生身の人間の生活であるということ、人々の暮らしを守るには古い競争力をなくした仕事から新しい競争力のある仕事に人々を移らせる必要があること、「人々の暮らしを守るため」と称して産業に対して延命措置を行うのは長期的に見てより大きなコストがかかってしまうということ――重要な指摘の連続です。

スウェーデンがこうした境地に至った経緯は、当ブログでも何度も触れているように、同国が経済危機を経験したところにあります。かつてはスウェーデンも産業保護に熱心だった時代が長く続きましたが、懲り懲りするような痛い目にあって以来、大きく舵を切ったのです。

この方法論を踏まえてタクシー業界における需給調整について考えるならば、タクシー業界は、早くから「参入規制強化による供給量是正」ではなく「廃業支援による供給量是正」に照準を合わせるべきだったと言えるでしょう。そうすれば、もっと穏便な形で供給過剰状態を是正できたはずです。他業種に比べて特に手厚い支援が求められるタクシー業からの足抜けにあっても、早くから対策を打っていれば、必要な職業教育や産業振興を施し、過剰な人員をスムーズに整理できたはずです。

■手遅れの域に入りつつあるのに懲りていない
タクシー業は「つぶしが利かない」業界だと言えます。前掲過去ログにおいても下記の通りに述べました。
>> そもそも、なぜ過当競争に陥っているのに供給量が自然と減らないのか。その理由の一つには「辞めるに辞められない」状況があるでしょう。タクシー業から撤退しても次の飯の種がない――そうなれば、たとえ過当競争であろうと今の業界にしがみつく他ありません。 <<
だからこそ、どんなに過当競争で苦しい台所事情であっても、いまさら他業種に鞍替えできないのでしょう。運転手は特にそうでしょう。そのことが、異常なまでの供給量の価格弾力性の乏しさ(硬直しきっている)の原因でしょう。

「つぶしが利かない」業種であるにも関わらず、「次の一手」を考えるよりも「今にしがみつく」ことを選び、自分自身で未来を閉ざしてきたタクシー業界。供給過剰がどうにもならない状態になってもなお、「生贄」を捧げるような形で懲りずに「ムラの維持」に腐心するタクシー業界。今後、自動運転技術の進歩に伴い、そもそも生身の人間が自動車を運転するということ自体が不要になる時代も近づくことでしょう。そのとき、いよいよタクシー業という職業は消滅の危機に瀕することでしょうが、そのときになってもまだ、「生贄」探しに奔走している姿が目に浮かびます。

ことココに至っても尚、ムラ社会的方法論で利幅確保に奔走するタクシー業界の現況にこそ、Nuder元財務相の指摘が鋭く突き刺さります

手遅れの域に達しつつある現在のタクシー業界にあっては、もはや「生贄」を捧げるしか道がないのは事実でしょう。早く見切りをつけるのではなく、あくまでも、しがみつこうとした結果、いよいよ、しがみつく先がなくなりつつあります。残念ながら1300台の削減に伴って少なくない人員は大海に投げ出されることでしょう(好景気だから、まだよかったですね)。早くから手を打っていれば・・・まさに「産業が消滅してしまいますと、かえってコストを高めてしまいます」という指摘の通りです。

■今からでもソーシャルブリッジの構築を急ぐべき
遅れ馳せながらではあるが、今からでもソーシャルブリッジの構築を急ぐべきです。今後もきっと、タクシー業界は「生贄」を捧げる方式でジリジリと規模的にも利幅的にも縮小してゆくことでしょうから、哀れにも「生贄」的にパージされてしまった人を支えなければなりません。

同時に、「こうやって産業というものは衰退してゆくのだ」という教科書的実例として、タクシー業界の動向は、経済学的分析を加味しつつ記録してゆくべきでしょう。

■ふしぎな おはなし(余談)
ところで、資本というものは、生身の人間(タクシー運転手)とは異なり、今まで自分が直接的経験を通して培ってきたノウハウでしか商売できないわけではなく、企業買収等でノウハウを我が物とすることができる(多角化できる)ものです。起業にあたっての資本蓄積がタクシー業によるものだからといって、「つぶしが利かない」わけではありません。資本の目的は「利殖」であり、その手段は本質的には問題ではないはず。にも関わらず、タクシー資本はタクシー業に固執しています。おかしな話です。

タクシー業というものは、「隠された旨味」があるのかもしれません。「待遇改善」に本気で取り組むのであれば、経営を多角化し全社的に収支を揃えたり、一層の労働分配率の向上に取り組む方が本筋に沿ったものです。しかし、そうした本筋ではなく「参入制限」にますます奔走しているのが現実です。国土交通省の研究会でも指摘されているように、歩合給を基本とする賃金形態の場合、増車に伴う経営リスクは乗務員に転嫁可能だといいますが、待遇問題についていえば、ここに大きなヒントがありそうです。「待遇改善」は表向きの看板に過ぎず、実際は「隠された旨味」を寡占的に維持するための口実なのかもしれませんネ。
posted by s19171107 at 23:31| Comment(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月31日

現代における「苦労」は、他人をほくそ笑ませるだけでしかない

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170731-00000004-nkgendai-ent
>> 高3で120万円…仮面女子・窪田美沙がローン完済するまで
7/31(月) 9:26配信
日刊ゲンダイDIGITAL

 最強地下アイドル「仮面女子」メンバーにして、ユニット「アーマーガールズ」リーダーの窪田美沙さん(23)。具志堅用高さんと共演した主演映画「冬の糸」が完成したばかりだが、知る人ぞ知る貧乏アイドルだ。

 120万円だったんです、そのローン契約。はんこを押したのが高校3年でしたから、もう5年も前になるんですが、ようやく今月、全額払い終えました。本当に長かったですね。

 そもそも、なぜそんな多額の借金をしたのか? フツー、こう素朴に思いますよね。でも、世間知らずで、最初に所属した事務所の人に、「アイドルになるためには宣材(宣伝材料)を作らなきゃならない。プロフィル写真撮影代と制作費がかかる。レッスン代も必要」と言われ、それを真に受けてしまって。おまけに「登録料だ」と言われて30万円も上乗せ。その合計が120万円。ひどい話でしょ?

 両親に肩代わりしてもらう? そんなの無理無理。だって、京都の実家が超貧乏だったんですもん。自営業のお父さんは一生懸命働いてたんですが、商売がうまくいかなくて。家は絵に描いたように古くて、窓ガラスの代わりにビニール袋を張ってたくらい。盗られるモノがないから玄関は壊れっぱなし(笑い)。電気やガスもしょっちゅう止められてました。


(以下略) <<
契約時18歳の小娘が120万円のローンをせっせと5年もかけて完済にまで至り、その過程についてインタビュー取材で答えるとは、まったく無知とは恐ろしいものであると言わざるを得ません

それはさておき、コメ欄。
>> tsp***** | 11時間前

苦労は将来役に立つ。
頑張れ
<<
苦労は将来役に立つ」――悪徳ローンの食い物にされた「苦労」から、いったい何を学ぶというのでしょうか?

どこで見聞きしたのかは忘れましたが、「苦労が自らの人生の糧になった過去と異なり、現代の苦労は、単に他人をほくそ笑ませるだけでしかなく、自分には何らリターンもないものである」という言葉を思い出します。

全体のパイが増えず、自分の取り分を増やそうとするならば誰かの取り分を掻っ攫うしかない時代において、他人に嵌められたり、強要されたりした結果の「苦労」は、ただひたすら奪われてゆくだけ

「いや、この間、一生懸命働くことの貴重さが身についたはずだ」といった言説もあるのかもしれません。しかし、120万円のローンを組まされなければ「一生懸命働くことの貴重さ」は身につかないのでしょうか? もっとスマート、もっと効率的な方法は幾らでもあるはずです。

苦労は将来役に立つ」――搾取階級の常套句。「苦労」には種類があります。ミソもクソも一緒くたにするような言説に騙されてはなりません。
posted by s19171107 at 22:30| Comment(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月29日

ICBM発射実験は安保理決議違反だが正当防衛

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170729-00000512-san-kr&pos=5
>> 北ミサイル EU、仏が非難声明
7/29(土) 8:08配信
産経新聞
 【ベルリン=宮下日出男】北朝鮮の弾道ミサイル発射について、欧州連合(EU)の欧州対外活動庁(外務省に相当)は28日、「北朝鮮の国際的義務に対するあからさまな違反」と非難する声明を発表した。

 声明は、北朝鮮に対し、「地域と世界の緊張を高める一段の挑発的行動を控える」よう求めた。


(以下略) <<
■ICBM発射実験は、疑いの余地なく安保理決議を堂々と破る行為
共和国支持の立場から一貫して主張している当ブログですが、「北朝鮮の国際的義務に対するあからさまな違反」というEUの指摘自体は、正しいと考えています。

チュチェ105(2016)年2月11日づけ「「北朝鮮だけが「衛星」を打ち上げてはいけない理由」の本音――馬脚が自爆的に表れる日は近い」での主張との整合性について予め断っておきましょう。衛星打ち上げ等の宇宙開発を「弾道ミサイル開発」に結びつける安保理決議は、理屈として無理があります。多くの技術は軍事転用可能(たとえば、日本のインドへの原発輸出は、印パ核対立への燃料補給になり得る)だからです。そもそも「犯罪」の構成要件として不適格な雑過ぎる理屈なのです。

それに対して、今回のようなICBM発射実験は、疑いの余地なく安保理決議を堂々と破る行為です。その点において、今回に限っては、西側が言う「北朝鮮の国際的義務に対するあからさまな違反」というのは正しい指摘あると言わざるを得ません。

■安保理決議は不当不正だが、それを破る前例ができて喜ぶのは帝国主義者
もちろん、前掲記事でも述べましたが、この安保理決議は、米欧諸国の帝国主義的な邪なる魂胆に基づく不当不正な封鎖政策でしかないと見ています。「北朝鮮の国際的義務」とは言うものの「悪法もなお法であると言えるのか?」という問題も論点に上げざるを得ないでしょう。

他方で、「不当な『義務』だから守る義理などない!」といった具合に取り決めを自己判断で安易に破ることは、「なんでもあり」に繋がりかねない点において、別の問題が存在するとも思っています。特に、資本とその代弁人たる帝国主義列強諸国が、「自由」の概念を最大限に悪用している現実に照らせば、各種の取り決めを「自己判断」で破る行為を前例として歴史に残したり、あるいは成文法的に認めることで一番喜ぶのは、ほかでもない帝国主義者たちです。反帝勢力は、あくまでも愚直に国際的取り決めを遵守する方向で努力すべきです。

■安保理決議が不当かどうかは問題の本質ではない
しかし、そうした北朝鮮の国際的義務」が不当な「義務」であるか否かなどは、そもそも問題の本質ではありません

共和国は目下、アメリカ帝国主義の急迫かつ不正なる脅威に直接的に晒されています。アメリカの甘言に乗せられて油断したり武器を置いたりした結果、政権を打倒されたり転覆させられたりしてしまった反米国家の例は、枚挙に暇がありません。いま、この段階で共和国が国防強化に油断・隙を見せたり、あるいは武器を置くようなことがあれば、あっという間に政権はひっくり返されてしまうでしょう。

法的な義務には例外がつきものです(違法性阻却事由)。共和国政府が一貫して述べていることですが、アメリカ帝国主義の急迫かつ不正なる脅威に直接的に晒されている共和国が弾道ミサイル開発を推進することは、国の自主権を保障するための、やむを得ぬ行為です。朝米間の明らかな戦力差・国力差を見れば、このことは単なる主観的なことではなく、客観的にも言えることでしょう。

■朝米間の明らかな戦力差・国力差からみて急迫不正な脅威に晒される共和国
つまり、北朝鮮の国際的義務」を不当・不正とみる立場からすれば、共和国の弾道ミサイル発射はそもそも不法行為ではないし、この義務自体は認める立場であっても、目下の共和国が置かれている状況を勘案すれば、その違法性は阻却されるので、不法行為にはならないのです。

もちろん、何を以って「緊急状態」とみなすのかは、突き詰めれば自己判断であり、依然として「なんでもあり」の余地は完全には防ぎきれていません。少なくない戦争は、「自衛」の名の下に起きたり、偶発的に発生したりしたことは、歴史的事実です。しかし、これ以上の縛りをかけることもまた、現実的ではありません。

■結論
以上のように私は、
@国連安保理決議は帝国主義勢力の邪なる魂胆を基盤としてできたシロモノではあるものの、それを「不当だから」というだけで破る行為は、帝国主義勢力にとって利益になるだけであり、極力避けるべきである。
Aそもそも共和国のミサイル開発は米帝の急迫不正なる直接的脅威に対する正当防衛である。
という点から、今回のICBM発射実験は、「安保理決議に違反するが、違法性は阻却され、不法行為ではない」と言えると見ています。
posted by s19171107 at 20:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月27日

政策としての朝鮮民主主義人民共和国における市場経済化は着実に前進している――韓銀推計という第三者的立場の分析からも明らか

http://japanese.joins.com/article/546/231546.html
>> 北朝鮮、昨年の経済成長率3.9%…制裁でも市場効果
2017年07月22日12時20分

北朝鮮に対する制裁にもかかわらず、昨年の北朝鮮の実質国内総生産(GDP)は以前に比べて大きく改善したという分析があった。韓国銀行(韓銀)は21日に発表した「2016年北朝鮮経済成長率推定結果」で、昨年の北朝鮮の実質GDPが前年比3.9%増加したと明らかにした。99年の6.1%以来17年ぶりの最高水準だ。

産業別には鉱業(15年マイナス2.6%→16年8.4%)と製造業(マイナス3.4%→4.8%)、農林漁業(マイナス0.8%→2.5%)、電気・ガス・水道業(マイナス12.7%→22.3%)の改善が目立った。

韓銀は2015年まで厳しい状況だった北朝鮮経済が回復に向かったのは「ベース効果」のためだと診断した。しばらく低かった数値が従来の水準に戻ったことで成長率の数値が大きく上昇したという説明だ。実際、韓銀が推定した北朝鮮の実質GDP成長率は7年間、マイナス1.1〜1.3%の間で推移していた。

(中略)
しかし専門家らは北朝鮮経済がこれより速いペースで成長中とみている。イム・ウルチュル慶南大極東問題研究所教授は「北の内需産業と建設業がかなり活性化し、民間投資も大幅に増え、実際の経済成長率は5%を超えるというのが学界の大半の意見」と話した。

チョ・ボンヒョンIBK経済研究所副所長は「昨年は中国内の鉱物需要が多かったうえ、石炭など鉱物価格が2015年より上昇し、北が鉱物輸出効果を享受した」と診断した。「下半期に入って輸出制裁があったが、民生目的の輸出は許されたため打撃は大きくなかった」という分析だ。

最も大きな動力は市場経済の活性化だ。北朝鮮の市場は個人が金を稼げる私設市場であり、金正恩(キム・ジョンウン)労働党委員長の執権後に200カ所から400カ所に増えた。チョ副所長は「昨年、市場が活性化し、北の生産工場の稼働率が高まり、独立採算制で企業の経営自律性も高まった」と伝えた。独立採算制とは、利益の一部を国に納め、残りの経営は企業に任せる制度をいう。北朝鮮は金正恩委員長の執権後の2014年に「社会主義企業責任管理制」を実施し、企業の自立権を拡大する措置を取った。

(以下略) <<
「国際社会から厳しい経済制裁を受けて孤立している北朝鮮」というストーリーにそぐわない、ファクトです。中央日報紙は、この高成長を「ベース効果」としています。それはおそらく事実だと私も思いますが、しかし、この状況下で「下げ止まりを見せた・踏みとどまった・正常化した」ということは、強調してもし過ぎることはないでしょう。

最も大きな動力は市場経済の活性化だ。(中略)昨年、市場が活性化し、北の生産工場の稼働率が高まり、独立採算制で企業の経営自律性も高まった」という分析は極めて正しい。このことは、当ブログでもたびたび指摘してきたことです。共和国は漸進的ではあるものの明らかに市場経済を取り入れる方向性にあると言えます。
チュチェ102(2013)年10月1日づけ「ウリ式市場経済
チュチェ102(2013)年10月7日づけ「チュチェの市場経済・ウリ式市場経済――共和国の経済改革措置に関する報道簡易まとめ
チュチェ105(2016)年6月6日づけ「朝鮮労働党第7回党大会は経済改革・競争改革を漸進的に継続すると暗に宣言した画期的大会
チュチェ106(2017)年1月2日づけ「キムジョンウン委員長の「新年の辞」で集団主義的・社会主義的競争が総括された!
チュチェ106(2017)年4月26日づけ「「キムジョンウン委員長が導入した市場経済」という、さりげないが画期的な一文

当初(チュチェ102年)私は、「とても喜ばしい方向性ではありつつも、俄かには信じられない」と述べました。それからわずか4年足らず。事実として市場の役割の拡大は続き、そしてそうした方向性を共和国政府は、「集団主義的競争」というキーワードで政策的に位置づけました。「互いに成功を学びあい、助け合い、切磋琢磨してゆく」タイプの競争を社会主義的競争と位置づけ、「弱肉強食の生存競争」としての資本主義的競争との違いを定義した点において、伝統的に難題だった「集団主義と競争原理の両立」に解答を与えたのです。

明らかに共和国は、市場経済を取り入れる方向に進もうとしています。そんな中での今回の韓銀報告。推測せざるを得ない部分があったとはいえ、朝鮮中央通信の公式発表とは異なる第三者的な分析においても、共和国経済の経済指標における前進が認められます。そしてその要因として、キムジョンウン同志の政策によるところが大なのです。つまり、キムジョンウン同志の政策的意図の下、共和国は漸進的に市場化を推進しており、そして事実として、第三者的な分析においても、その成果が出ているということなのです。

私は、中国共産党の「改革開放」と比較して、朝鮮労働党の「集団主義的競争」は、社会主義的原則により忠実でありながらも、経済的実利についても怠ることなく追求している点において、より現実主義的な社会主義であると言えると考えています(中国共産党はもう社会主義など追求していないのでしょうね)。社会主義者として、朝鮮労働党の「集団主義的競争」を支持するものです。

また、以前から述べているように、朝鮮労働党の政策は、新しいアイディアが実験的に実践されてから全面的に導入される例が多いという「科学的社会主義」を標榜する国にしては珍しい伝統的行動様式があります。「科学的社会主義」の信奉者たちは、その素朴な科学信仰のために、「合理」的な思考によって十分にシミュレーションできるなどと思いあがり、素人の浅慮に過ぎないシロモノを急進的・全面的に実践しようとする傾向があります。歴史的に見ると、強引な自然改造計画等も確かにありましたが、昨今は、市場経済化に特に顕著に表れているように、悪しき「合理」主義的傾向とは一線を画すようになってきています。この点についても、漸進主義者として私は支持を表明するものです。

市場メカニズムが生み出す自生的秩序を活用した、より現実主義的な社会主義を、漸進的に模索してゆく朝鮮労働党のチャレンジングな政策が、韓「国」銀行という第三者が公表する分析においても成果を見せつつある――キムジョンウン同志の経済政策は着実に前進しているようです。
posted by s19171107 at 23:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月26日

「法で縛る」という方法論の限界にこそ目を向けよ

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170726-00006414-bengocom-soci
>> 「高橋まつりさんの働き方も合法化される」弁護士ら「高プロ・裁量労働拡大」を批判

7/26(水) 17:31配信

今秋の臨時国会で争点になるとみられる労働基準法の改正。政府は、裁量労働制の対象拡大や、年収1075万円以上の専門職を労働時間規制から外す「高度プロフェッショナル制度」(高プロ制)の導入を目指している。成立すれば、残業の概念がなくなるため、労働時間の増加が懸念されている。


(中略)

発言は、厚労省記者クラブで開かれた会見でのもの。会見には、労働系弁護士や過労死遺族の団体が参加し、「残業代ゼロ法案」とも呼ばれる、労基法改正案の「まやかし」を指摘した。各団体は「ピンチをチャンスに変え、廃案に持ち込みたい」としている。

(中略)

●裁量労働制の拡大に警鐘「高橋まつりさんの働き方も合法化される」

改正案では、高プロ制のほか、企画業務型裁量労働制を、法人営業に拡大することも盛り込まれている。企画業務型裁量労働制とは、企画・立案・調査・分析に当たる労働者を対象に、実際の労働時間と関係なく、決められた時間分の労働をしたとみなす制度だ。

しかし、裁量労働制は、単なる「残業代減らし」に使われていることが少なくない。弁護士らによると、裁量がほとんどなかったり、対象にならないはずの労働者に適用したりと、企業が独自の解釈で運用できてしまうのが現状だという。

過労自殺した電通・高橋まつりさんの遺族代理人も務めた、過労死弁護団全国連絡会議の川人博弁護士は、裁量労働制の拡大について次のように警鐘を鳴らした。

「サラリーマンの営業職は、法人に関連した営業が基本で、何らかの形で企画に関与しているというのが実態だ。高橋まつりさんについても、この範疇の中に組み入れられて、長時間労働の規制を一切なくす対象になりうる。企画業務型の拡大は、長時間労働を促進し、現在の状況を合法化してしまう」(川人弁護士)


(以下略) <<
相変わらず、労働界は電通の件を「単なる長時間労働の末の過労死」と位置付けているようです。あの事件の本質は、パワハラであるにも関わらず! 勤務時間という客観的証拠が挙がり易い長時間労働問題と比べて、パワハラ問題は証拠集めがより難しいので、「取り上げづらい・闘いづらい」という点があるとは思いますが、かくも本質から避け続けているのを見ると、結局のところ労働界は高橋まつりさんの死をダシにして、運動上の目的を追求しているだけなのではないかとも思えてきます。

アリさんマークの引越社のときも、チュチェ105(2016)年12月16日づけ「自主的かつスマートなブラック企業訴訟の実績――辞めた上で法的責任を問う方法論」でも述べたとおり、ブラック企業の被害者本人のために活動しているとは到底思えないような「支援」、事件を運動上の目的追求の手段としてしか捉えていないのではないかという疑念を強く惹起する展開が見られたものですが、今回も同様だと言わざるを得ません。

高橋まつりさんの働き方も合法化される」というのは警鐘のつもりなのでしょうか? たしかに、合法化されれば、いよいよ取り締まる根拠がなくなるでしょう。しかし、すでに労働法がマトモに機能しておらず、真っ黒な違法な働かせ方をしていても現に野放しです。そして、法で縛ったところで、そもそもブラック企業は法令順守意識に乏しいからブラック企業なのであり、裁判官のお説教程度で改心するはずがない極端な反社会的利己主義分子です。鈍重なる法規制ベクトルと悪賢く機敏なる回避ベクトルとのイタチゴッコ(ほとんどの場合、悪賢い回避側の勝ちでしょう)になるのがオチです。

以前から繰り返し述べているように、「法で縛る」という方法論の限界にこそ目を向けるべきであり、ある種の労働運動の再興こそが唯一の道です。もちろん、チュチェ104(2015)年10月8日づけ「「日本の労働組合活動の復権は始まっている」のか?――労組活動は労働者階級の立場を逆に弱め得る」を筆頭に繰り返しているように、従来型労働運動は逆効果です。同年10月15日づけ「周囲の助けを借りつつ「嫌だから辞める」「無理だから辞める」べき」でも述べたように、「嫌だから辞める」「無理だから辞める」といった方法論を、労組や弁護士の支援の下で行うべきです。劣悪な労働環境からの脱出を階級的連帯の原理原則に基づいて支援するという意味での労働運動が必要なのです。

もっとも、そんなんじゃ弁護士のメシのタネにはならないのかもしれませんし、「正義感」とやらが許さないのかもしれません。しかし、前者については労組から顧問料を取ればいい話だし、後者についても、チュチェ105(2016)年12月16日づけ「自主的かつスマートなブラック企業訴訟の実績――辞めた上で法的責任を問う方法論」でも述べたように、労働者が安全な新天地に避難してからシロクロつけるという方法論があり得ます。弁護士のメシのタネや「正義感」という点では心配ありません。

ピンチをチャンスに変え、廃案に持ち込みたい」というのであれば、これを機に、「法的規制強化と法的規制緩和綱引き」という二次元的な視点に終始するのではなく、新しい意味での労働運動の展開という三次元的な方法論にシフトすべきです。
posted by s19171107 at 21:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月25日

全国一律最賃制度こそ、非効率企業を淘汰し、高福祉・高効率・好景気サイクルを始動させる決定打

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-07-21/2017072104_03_1.html
>> 2017年7月21日(金)
今すぐ最賃全国1000円に
全労連が厚労省前宣伝

 全労連は20日、中央最低賃金審議会の小委員会が開かれた厚生労働省前で、最低賃金の大幅引き上げ・全国一律最賃制度の実現を訴える宣伝をしました。

 全労連の斎藤寛生常任幹事は「地域別最賃制度が格差を生み出し、地方からの人口流出と地域経済の疲弊を招いている。どの地域でも人間らしく生きられる全国一律最賃制度を実現すべきです」と強調。審議会や小委員会の議事を公開することも要求しました。

 全労連・全国一般の菊地亮太さんは、「中小企業への支援を抜本的に強化し、最賃引き上げを」と述べるとともに、労働者委員の公正任命を求めました。


(以下略) <<
■全国一律最賃制度の経済学的意味と帰結
最低賃金の大幅引き上げ・全国一律最賃制度の実現――コストコが既に実施している共通賃金制度を、国家として、最低賃金として実施せよという要求です。

コストコの例を見ると、地方においては、高い賃金額を提示する同社の求人に求職者たちが群がり、全体として賃上げトレンドが発生しているようです。そうしたトレンドの中でも営利企業は利潤を確保しなければならないので、当然、業務の効率化・合理化も進む。そして、そうした賃上げ圧力、合理化圧力に対応できない企業には、市場から退出を求められるようになりつつあります

高い水準の福祉と活気のある効率的な経済のサイクルとして伸ばし、従業員の待遇が悪い上に業務が非効率な企業の競争淘汰を促進し、産業構造を時代に合わせて柔軟に変化させる――以前から私が肯定的に取り上げている、スウェーデンを筆頭とする北欧諸国における最新の福祉国家モデルを日本で実現させてゆくにあたっての第一歩は、全国一律最低賃金と言えるかもしれません。

■非効率企業を淘汰し、高福祉・高効率・好景気サイクルを始動させるための政策パッケージ
もちろん、北欧型の最新福祉国家モデルにおいては、企業の業務効率化を促進するための国家的な梃入れが充実しています。また、労働者・生活者を対象とした「ソーシャル・ブリッジ」のキメ細やかな構築によって、非合理的企業の競争淘汰を促進しつつ、倒産企業に勤めていた人物が路頭に迷わないようにしています。このことをスウェーデン元財務相のヌーデル氏は「人は守るが、雇用は守らない」という言葉で表現しています。さらに、公的扶助と就業訓練をセットにするといった福祉政策と経済政策の両方に作用する政策も設計されています。

また、チュチェ102(2013)年2月18日づけ「いやいや全然違うから共産党さんw」を筆頭に何度も述べてきたように、単なる賃上げではマクロ経済における好循環のキッカケにはなり得ないことを指摘してきました。消費支出の増加に起因する底堅い景気の好循環を達成するには、家計収入の増を「恒常的なフロー」によるものだと「期待」させなければならないのです。その点において、成長戦略の提示が必要不可欠です。

政策というものは常にパッケージとして同時に実施すべきものですから、全国一律最低賃金を単発的に施行しても失敗するだけです。全国一律最低賃金制度による高福祉と好景気のサイクルの生成・非効率企業の競争淘汰を軸に据えつつも、「人は守るが、雇用は守らない」型の補完的制度や福祉政策と経済政策の両方に作用する政策の構築をパッケージ的に行うべきでしょう。

全国一律最低賃金、よい提案だと思います。一時的には非効率的企業の倒産が相次ぐでしょうが、キチンとソーシャル・ブリッジを構築し、産業構造の変化を促進させることによって、長期的に見ればプラスの結果が返ってくることでしょう。

■日本共産党は、その狙いに相反する効果をもたらす方法論を掲げている
もっとも、おそらく日本共産党の平生の主張に勘案するに、彼らが言うところの「全国一律最低賃金」では、「大企業から高い税率で収奪し、その分を補助金として中小企業に配分して倒産を防ぐ」といった類の主張がパッケージ的に付随しているものと思われます。

恣意的な「価格保障」に走らないだけ補助金のほうがずっとマシ(M.フリードマンも言っているように、価格保障は中小企業保護においては逆効果です)ではあるものの、業務の効率性と企業規模は、本来はまったく別個の問題(たとえば、大企業は規模が大きい分、小回りが利きにくく、トレンドに機敏に対応しなければならない業界・分野では逆に非効率です)であり、着眼点がズレていると言わざるを得ませんが、それを差し置いたとしても、すでに成功事例を積み重ねている北欧諸国における歴史的経緯や現況と比較するに、このパッケージは逆効果というほかありません。

■北欧諸国(スウェーデン)の歴史的事実
北欧諸国、とりわけスウェーデンもかつて――教科書的なケインズ主義がまだ支配的地位を占めていた頃――は産業保護・企業保護を通して国民生活の安定化を目指していました。しかし、1980年代〜90年代に大不況に直面した同国は、経済再生なくして福祉の維持はないと正しく認識し、経済再建のためには産業構造を変化させなくてはならないという事実を認めました。それまでの産業保護・企業保護の方向性を大きく転換させ、競争淘汰による産業構造の変化を積極的に進めるようになったのです。

私がスウェーデンを特に肯定的に評価しているのは、このように、事実から出発し、正しい認識に基づく市場活用型の方法論に大きく舵を切ることができた点、一見して「新自由主義」的な大転換をしつつも、前述のソーシャル・ブリッジのキメ細やかな構築といった「福祉国家の核心」においてはプレることなく新しい制度を構築した点にあります。高い水準の福祉と活気のある効率的な経済のサイクルを現実のものとすることができた、北欧福祉国家モデルを進化することができたのがスウェーデンなのです(付け加えれば、福祉サービス受給者の選択の自由を確保するために、一定の公的水準の下に、福祉サービス供給の参入規制緩和・多様化に踏み切ったことも評価しています。日本では未だに、公共部門・行政部門がサービス供給を独占的かつ措置として実施すべきだとする風潮が根強く残っているのとは対照的です)。

■「頭で立っている」日本共産党
スウェーデンが、足で立ち、事実から出発した結果として放棄するに至った古タイプの福祉国家路線を、「頭で立っている」日本共産党は未だに大切にしています。スウェーデンと日本の社会構造には差異があり、スウェーデンの経験をそのままコピペ的に輸入することはできませんが、すでに明らかなる行き詰まりの前例がある方法論を持ち込んだところで、おおよその展開は読めるでしょう。また、こうして安易に補助金を出して経営を下支えすることは、チュチェ106(2017)年5月22日づけ「日本共産党議員の質問に見られるソ連・東欧型放漫経営の保険・損失補填理論」においても指摘したとおり、長期的・社会的に見て決してよいことではありません。モラル・ハザード的経営の企業やゾンビ的企業を増長させることになりかねません。もっと支出すべき対象があるはずです。日本共産党は、その狙いに相反する逆効果をもたらすプランを掲げているのです。

そしてさらに情けないのが、こうしたプランの理論的裏付けが、マルクス経済学によるものではなく、入門レベルのマクロ経済学の教科書に書かれている程度に過ぎないということです。もちろん、教科書で取り上げられている内容は、モデルとしては重要ですが、それをそのまま現実に適用してはなりません。マクロ経済学の発展の過程で、もっと深堀りされた論点が多数提唱されています。オリジナル性が皆無である上に3周遅れぐらいのプランしか展開できていないのが、いまの日本共産党なのです。以前から述べているように、もはやマルクス主義政党ではなく、原始ケインズ主義政党というべきでしょう。

全国一律最低賃金の方向性自体は、よい提案だと思いますが、日本共産党が全国一律最低賃金に付随させている政策パッケージを一瞥すれば、とてもではないが支持できない提案です。これは逆効果です。

■「人は守るが、雇用は守らない」という方法論のみが現実主義的
日本は「生業」の観念が未だに強いので、日本共産党員に限らず「人は守るが、雇用は守らない」という方法論に対しては感情論的反発もあり得ます。しかし、物事の優先順位を付けられるほどの知性があれば、「人は守るが、雇用は守らない」という方法論のみが現実主義的だと言うほかないでしょう
posted by s19171107 at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月20日

情けないほどの言行不一致とバカさ加減を露呈しつつも、ある意味で「健全」だった籠池氏の破滅

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170720-00000044-mai-soci
>> <森友学園>破産手続きに移行も 管財人、債権者に伝える
7/20(木) 12:03配信

 学校法人「森友学園」(大阪市)の民事再生手続きを進めている管財人が、再生手続きを打ち切って破産手続きに移行する可能性があると債権者に伝えていたことが分かった。国有地を購入して建設した小学校校舎の売却が難しく、期限までに再生計画案を作成できるかどうか不透明なため。管財人は「民事再生を断念したわけではない」として、売却に向けた協議を国側と続ける意向だ。


(以下略) <<
まあ、現実的に考えてもう無理でしょう。前々から見えていた破滅が、いよいよ確定するようです。

愚かにも安倍首相を「盟友」だと思い込んだ籠池氏。その時点ですでに「頭の悪さ」を告白しているようなものですが、安倍首相に梯子を外されるや否や、首相を「道連れ」にしようと形振り構わぬ行動に出たのには、私はとても驚かされたものでした。首相を道連れにしたところで自分の破滅が回避されるわけではありません。どうせ同じ時間を費やすのであれば、少しでも罪が軽くなるように取り計らったほうが遥かに合理的なのに、そうしなかった籠池氏。彼の「頭の悪さ」は、「悪賢いやつ」が幅を利かせている昨今において特徴的でした。

また、籠池氏の平生の時代錯誤的な右翼的言行と比較したとき、籠池氏のどうしようもない情けなさが際立ちます。右翼たるもの「大義」を貫かずしてどうするのでしょうか? 森友学園問題は確実に安倍政権の改憲プランを狂わせました。籠池氏が黙っていれば、ここまで安倍自民党は失速しなかったでしょう。教育勅語を有難がる籠池氏にあっては、憲法改正の「大義」を優先させて、自分が疑惑のすべての泥を被って沈没すべきでした。にも関わらず、いざ自分に火の粉が降りかかると「ボクちゃんカワイさ」のあまり民進党の安倍追及チームに接近したり、「ボクちゃんを見捨てた安倍憎さ」のあまり秋葉原の首相街頭演説に乱入――最終的に共産党を利する結果に――したりと散々な言行不一致を見せつけ、安倍首相の改憲プランを狂わせるという「暴挙」に出、男を下げたものでした。

籠池氏の一連の悪あがきは、結果的に彼の破滅を回避できませんでした。それどころか、自分自身の合理的思考能力のなさを露呈し、甚だしい言行不一致という醜態を見せつけました。エラそうに「愛国」を語る手合いなど、どーせこんなもんだろうと思っていましたが、そのものズバリに実証してくれたのが、籠池氏だったのです。「愛国」など所詮は、ウヨ坊やの自己満足でしかないのでしょうねwひとつの貴重なサンプルになりました。

他方、時代錯誤的な右翼思想を公言していた籠池氏が、いざ自分に火の粉が降りかかると掌を返したことは、「右翼はそこまで狂信的ではなかった」ということをも実証している点、悪いことばかりではなかったとも思っています。

たとえば、この問題が左翼業界だったら、どういった展開を見せたでしょうか? おそらく、籠池氏ポジションの人物は、真相を墓場まで持って行ったことでしょう。右翼の「大義」は「ボクちゃんカワイさ」の前ではまったく何の歯止めにもなりませんでしたが、歴史的実例を鑑みれば、左翼の「大義」は、文字通り「死守」されがちです。

まあ、左翼業界においては下手なことを言えば本当に殺されかねないし、左翼活動家は身も心も生活基盤も、全身全霊(あいつら唯物論者だから「霊」ってことはないか)を運動に懸けてしまうので、途中で理屈の矛盾・誤謬に気が付いても後戻りできないという事情もあるとは思いますが、そうだとしても彼らの「大義に対する献身的姿勢」は、狂信的です。

籠池氏のように「ボクちゃんカワイさ」などという極めて個人的な動機でクルッと掌を返せるというのは、左翼の狂信性に比べると、右翼はバカかもしれないが、まだ「健全」なうちに入るのかもしれませんね。

あー面白かったw
posted by s19171107 at 20:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月19日

労組が個別労働者から取捨選択されるようになった時代、あるいは単なる労働界の内ゲバ

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170719-00000094-asahi-pol
>> 連合へ労働者が異例のデモ 「残業代ゼロ、勝手に交渉」
7/19(水) 21:22配信

 専門職で年収の高い人を労働時間規制から外す「高度プロフェッショナル制度(高プロ)」を条件付きで容認する方針に転じた連合への抗議デモが19日夜、東京都千代田区の連合本部前であった。日本最大の労働組合の中央組織として「労働者の代表」を自任してきた連合が、働き手のデモに見舞われる異例の事態だ。

 「一般の働く人々の権利と生活を守るために動くのが労働組合の役割のはず。連合執行部は今回の一方的な賛成表明を撤回し、存在意義を見せてほしい」

 午後7時に始まったデモの冒頭。マイクを手にした男性はこう訴えた。参加者たちはプラカードやのぼりを掲げ、「残業を勝手に売るな」などとコールを繰り返した。参加者は午後9時までに100人ほどに膨れあがった。

 今回のデモのきっかけは、高プロを「残業代ゼロ法案」と批判してきた連合が一転、執行部の一部メンバーの主導で条件付き容認の方針を決めたことだった。連合傘下でない労組の関係者や市民らがツイッターなどで呼びかけたメッセージは「連合は勝手に労働者を代表するな」などのキーワードとともに拡散。参加者の多くはツイッターでデモの開催を知り、仕事帰りに集まったとみられる。

 都内の清掃作業員、藤永大一郎さん(50)は「労働者に囲まれ、デモまでされる労働組合とは一体何なのか。恥だと思ってほしい」。
(中略)「年収1075万円以上」などが条件となる高プロの適用対象となる働き手はごくわずかだが、デモの呼びかけ人の一人は「年収要件などはすぐに緩和されて対象が広がる」と心配した。

最終更新:7/19(水) 21:22<<
労組が労働者からデモられる――私は、「自主権の問題としての労働問題」という一連の労働問題考察シリーズにおいて、再三にわたって、「労組・ユニオンもまた個別労働者から競争淘汰されなければならない」と述べてきましたが、ようやくそういう動きが出てくるようになってきたのでしょうか? 

もしそうであれば、良い傾向です。私の持論について、当該記事から再掲します。
チュチェ104(2015)年12月19日づけ「今野晴貴氏の無邪気なユニオン論――ユニオンに「強制力」と「階級的矜持」はあるのか? ユニオンにも警戒せよ!
>> ■ユニオンも競争淘汰されなければならない
ユニオンが「労働貴族の荘園」と化さないためには、ユニオンもまた個別労働者のチェックをうけなければならず、役に立たないユニオンは淘汰されなければなりません。 その点では、「労働不売運動の組織化」は現実的ではありません。そういう方法論を実現させるためには、「鉄の団結」が必要になってしまうからです。鉄の団結は腐敗の温床です。

一人ひとりの生活者の自主権の問題として労働問題の解決は、「競争的市場の基本原理」を意識しながら特定企業との癒着・依存を絶ち、自分自身の自主的立場を担保するパワーを確保すると同時に、「労組も所詮は欲のある人間の組織」という現実的な認識に立ち、「労組の階級的矜持」などという心許ないものに過度な期待を寄せず、単純な二分法に基づいて短絡的に労組に組するのではなく、特定労組との癒着についても警戒を持って、自主的・取捨選択的に対応しなければならないのです。自主的・取捨選択!
<<

労組ではありませんが、強大な大企業への対抗戦略について論じているという共通点において、チュチェ105(2016)年4月12日づけ「「一般論としての結束の必要性」と「特定組織への結束の必要性」とを混同させる共産党組織論
>> しかし、「一般論としての結束の必要性」が正しくとも、「指定生産者団体への結束の必要性」は、必ずしも正当化されません。現行制度解体で一旦バラバラになった個別生産者が、参加・脱退・移籍自由の原則で、改めて自主的に生産者団体を作り、市場の中で存在感を示し、価格交渉力をつければ良いだけです。本当に酪農家たちにとって必要性があるのならば、現行の指定生産者団体に比肩する規模を誇る団体が自生的に形成されるでしょう。酪農家の自主的決断の末の自生的秩序としての同業者団体は大変に結構なことですが、既存の指定生産者団体の枠内に機械的・割り当て的に押し込むべきではありません。生産者たちの自由なアソシエーションに委ねるべきです「割り当て」と「自由なアソシエーション」は、決定的に異なるのです。レーニンでさえ、集団化は人民の自発性に基づいて進めるよう原則化しています。

スターリン主義者は、「一般論としての結束の必要性」と「特定組織への結束の必要性」とを混同させ、論理を飛躍させることで、共産党組織への機械的・割り当て的な一本化を正当化しますが、本件赤旗記事は、まさにその典型的なパターンに基づいています。この混同こそがスターリン主義の重要な一要素である点、日本共産党はいまだにスターリン主義の残滓を引き継いでいると言う他ありません。

こうした混同は、従来は「科学の目」なるもので正当化されてきました。「真理・真実を科学的に解明した唯一正しい方法論に基づく無謬の党」という位置付けです。しかし、商売のことは現場の商売人がよく知っているものです。少なくとも、党幹部・同業者団体幹部が設計できるものではありません。それは歴史的にも実証されていることです。やはり、現場の商売人たちの自主的な判断による離合自在の組織形成に委ねるべきです。現場の商売人だって万能ではないので、「理論的に最高」ではないかもしれません。しかし、「現実的に最善」にはなるでしょう。
<<

もっとも、このデモに全労連・共産党の息が掛かっていれば(仮定)、あるいは、もともと「反連合」の立場をとっている労働者によるデモであれば、単なる労働界の内ゲバでしかありませんがねw(私みたいに「反創価学会・反共産党」の立場にたつ人間が、たとえば、信濃町駅前で創価学会批判街宣を展開したり、代々木界隈で共産党批判街宣をしたところで、そんなもの平壌・・・じゃなくて平常運転でしかないでしょう。それと同じ)

連合傘下でない労組の関係者や市民らがツイッターなどで呼びかけたメッセージ」という記事本文中のくだり、「デモの呼びかけ人の一人は「年収要件などはすぐに緩和されて対象が広がる」と心配」という「定番の煽り方」(世の中のほとんどの物事は「0〜100までの連続値に関する程度問題」だが、「革命的」な人たちはしばしば、「0か100かの離散値問題」として捉えがちであり、かつ、「0か100かの離散値的闘争」では勝てるのに「連続値に関する程度問題」では勝てないとする「中途半端な無力感」――「すぐに緩和されて対象が広がる」ときになったら闘えば? 「その時では遅い」というくらい労働者が無力無能ならば、いま闘ったってどうせ負けるでしょ? なぜ今だけは勝てるの?――が特徴的です)、そして「都内の清掃作業員」として紹介されている藤永大一郎氏のお名前で検索すると最初にヒットするTwitterアカを見るに、内ゲバ疑惑は否定しきれません。。。藤永さん、ゲバラ信者なんだ・・・これ一般労働者かね? (まあ、チュチェ思想信奉を明言している私が他人様について言えた立場ではないけどw)ゲバラ信者なんて、労働者の一員であることは間違いないでしょうが、代表としての相応しさには乏しいと言わざるを得ませんよねー

ところで話は変わりますが、朝日新聞編集部は、インタビューに答えた人物の氏名について、読者がググらないとでも思っているんでしょうかね? なんでこんなすぐに「答え合わせ」できるような人物をピックアップしたのか。。。うーむ。。。
posted by s19171107 at 21:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月17日

老害が幅を利かせる自民党において復活の兆しはなさそう

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170717-00000015-pseven-soci
>> 村上正邦氏「公明党は裏切って都民ファと組んだ。卑怯だ」
7/17(月) 16:00配信

 東京都議選で惨敗した自民党に対し、かつての重鎮は嘆いている。参議院議員会長、労働大臣を歴任した村上正邦氏(84)が諫言する。

 * * *
 今回の都議選で、公明党は自民党との選挙協力を解消して、風が吹いている都民ファと連携し、全員当選を果たしました。国政には反映しないといいながら、都民ファと組んだのは裏切りで、私は卑怯だと思う。

 自民党は怒るべきで、それこそ、国政での連立を解消してもいいくらいだ。

 ところが、自民は何もいわない。公明抜きでは選挙に勝てないからです。安倍総理が出してきた憲法改正案も、「改憲」ではなく、追記する「加憲」ならギリギリ認めるという公明に配慮し、妥協で生まれた産物です。そんな改正案で信を問うなど国民を馬鹿にしています。与党第一党としてあまりに情けない。

 公明に配慮することで歪みが生まれているわけで、私はいまこそ、公明党を切るべきだと思う。実際のところ、選挙で勝てる支持母体を持っているのは、公明と共産だけで、農協や宗教団体など自民の支持母体が弱体化しているのは現実です。


(以下略) <<
創価学会・公明党の肩を持つつもりはないし、そんな義理もない私ですが、村上氏が言うような、ムラ社会的というほかない視野の狭い、誤った「義理人情」観には明確に反対を述べたい。そしてまた、自民党は、さっさと村上氏のような老害を切り捨てないと復活できないぞと言いたいのであります。いやまあ、自民党なんて復活しなくてもいいんだけどね。

結論から言ってしまえば、公明党は独立した一政党であり、その支持者の期待を背負っています。完全なる自業自得で自滅的に敗北した自民党と共に沈む義理などまったくないのです。自党党員・支持者の期待に対する応答義務と、国政において連立を組む自民党に対するショボい「義理」とのどちらを優先すべきかと言えば、前者を優先するのは当然すぎることです。だいたい自民党は、公明党が自爆したときに共に沈没する覚悟はあるんですか? ないでしょう。

村上氏は、自民党の視点でしか物事を考えられていないのでしょう。だから「公明党の裏切り」なんて馬鹿馬鹿しいことを口走るのです。公明党の立場に立てば、党員・支持者を優先して自民党を切り捨てるのは当然です。こんな勘違い甚だしいことを口走っている村上氏は、政界における狭くショボい「義理」を優先するあまり、天下国家・有権者の付託など意に介してこなかったのでしょう。政治家失格。こんなのが労働大臣だったのか・・・

また、公明党という政党、もっと言えば、その支持母体である創価学会という宗教団体は、きわめて即物的現世利益を追求した教義を持っているので、そもそも「立場的に筋を通す」ということをそれほど重視していません。むしろ、「現在の状況において、『自分たちの目標』に少しでも前進するためには、どういう身の振る舞いをすべきか」ということに対して常にアンテナを高くしている人々です。自分たちの目標を達成するためであれば、何でも柔軟に利用するのが創価学会・公明党の方法論です。創価学会第2代会長の戸田城聖氏は、「ご利益のない信心など意味がない」とまで言っているんですから(通常の宗教観であれば、ご利益の有無にかかわらず、ひたすらに祈り続けるものですが、創価学会の宗教観はそういうものではないようです)。

これは決して悪いことではないと思います。たとえば、政局によって自民党支持を共産党支持に転向するような所業は、「目標のブレ」になるので、非難されてしかるべきでしょう。しかし、自民党支持から都民F支持に鞍替えする程度は、単なる「立場に関する戦略的鞍替え」。立場上の「筋を通す」ことを重視するあまり「達成すべき目的」を蔑ろにすべきではありません。筋を通すべきは「立場」ではなく「目標」、優先すべきは「立場」ではなく「目標」。目標においてブレがなければ、立場におけるブレなど大した問題ではありません使えるものを道具として使い倒す。相手の基本的権利を侵害しているわけではないのであれば、いったい何が悪いんでしょうか?

ほとんど同じような支持基盤を持ち、似たような主張をもつ共産党と公明党が、前者が結党96年目になるにも関わらず、立場的な「筋」を通そうすとるあまり、戦略次第で十分に進められたであろう課題も進めきれていない(最近は野党共闘路線によって改善されつつあると思いますけど)一方で、結党53年目の後者が、上手い身のこなしで少しずつではあるが着実に目標へ前進しているという事実における「差」からも、このことは言えるでしょう。

昨今の社会状況は、確実に「筋を通す」ことよりも「上手く立ち回って本望を果たす」ことにシフトしつつあります。もちろん、まだ政治の世界は、比較的「筋を通す」ことが賞賛される雰囲気が残っています。政治というものは、未だに「幕末の志士」の如く遠大な理想を掲げて刻苦奮闘するものというイメージがあるのでしょう。しかし、一般庶民の日常生活に目を転じれば、たとえば昨今の転職市場の隆盛は、「今の勤め先の状況では、やりたいことは十分には果たせないが、刻苦奮闘し続け、いつの日にかやりたいことができる立場にのし上がるのだ!」という旧来型の思考よりも、「やりたいことは十分にできる環境にさっさと鞍替えしよーっと」という思考が優勢になりつつあることを示しています。こうした社会的な思考トレンドの変化は、遠くないうちに政治の世界にも波及することでしょう

こうした社会的な思考トレンドの変化の時代にあって、仮に村上氏の願望どおりに自民党が「選挙で勝てる支持母体」を一旦のところ作ることができたとしても、何があっても地獄の底までお供してくれるような暇人は、今の時代ほとんどいないでしょうね村上氏の考え方は、時代遅れ甚だしいのです。

ちなみに、記事中において村上氏は、「与党第一党としてあまりに情けない」などと嘆いて見せていますが、そもそも自民党が「与党第一党」で居られること自体が、公明党の尽力の賜物です。自民党の支持基盤は公明党であり、創価学会なのです。勘違いしないように。ほんと、この爺さんは本質を見誤っているんですね。早く自民党は切り捨てたほうがいいですよ。いやまあ、個人的には村上氏のような馬鹿をもっともっと重用して、没落路線を突進していただきたいものですがw
ラベル:政治 社会
posted by s19171107 at 18:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月16日

自衛隊幹部OBの発言から透けて見える中央集権的指令経済(社会主義計画経済)の発想

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170711-00000002-pseven-kr
>> インフラ破壊し1年後に9割死亡 「電磁パルス攻撃」の恐怖
7/11(火) 7:00配信

 核攻撃と聞けば、多くの日本人は広島、長崎の原爆投下のような被害を想定する。だが、それとはまったく異なる脅威が存在する。核を高高度の上空で爆発させる「電磁パルス攻撃」だ。元陸上自衛隊化学学校長の鬼塚隆志氏が電磁パルス攻撃への対策を講ずるよう訴える。


(中略)

 日本がまず行うべきは、社会的インフラにおける脆弱性の把握だ。日本企業の技術屋は各々が受け持つシステムの弱点を知っているが、企業が被る不利益を考えて公言しないだろう。そこで政治がリーダーシップを発揮して民間企業から情報を集め、迅速な復旧のための予備部品をストックし、重要なインフラには電磁波遮蔽(シールド)機能を施すなど、平時から対策を講じる必要がある。

(中略)

【PROFILE】おにづか・たかし/1949年生まれ。防衛大学校卒業後、自衛隊入隊。陸上自衛隊富士学校特科部長などを経て、2004年、陸上自衛隊化学学校長兼大宮駐屯地司令。2005年退官。

※SAPIO2017年8月号
<<
自衛隊OBの大センセイのご高説。電磁パルス攻撃の脅威について余すところなく論じていますが、残念ながら、対策については「素人的」というほかありません。「自衛隊幹部OBの指摘に『素人』と言うお前は何者なんだよw」と言われれば、「一民間人」と答えるほかありませんが、基礎的な経済学の勉強を一通りしてき、今もなお研究している身としては、そういう他にないのです。

日本企業の技術屋は各々が受け持つシステムの弱点を知っているが、企業が被る不利益を考えて公言しない」から、「政治がリーダーシップを発揮して民間企業から情報を集め」るべきだ、という鬼塚氏の構想は、国防問題と経済問題という分野の違いがあるとはいえ、個人が私的に独占している技術的情報を、何らかの「大義」に基づいて「聞き出す」という点に共通点を見出せば、20世紀前半にF.A.ハイエクがその完全なる失敗を予言し、予言通り一つとして成功しなかった中央集権的指令経済(社会主義計画経済)のプランとまったく同じです。

中央集権的指令経済(社会主義計画経済)の困難性は、大きく2段階に分類できます。第1段階は「計画立案の困難性」です。「社会的な好ましさ」を誰がどう決めるのかという困難性です。一人ひとり嗜好も利害関係も異なり、錯綜しているのだから、それを調整することが難しいのは、素人考えでも分かるかと思います。理論上は、ワルラスの一般均衡理論を使えばパレート最適には到達します(左翼はワルラス的ミクロ経済学を「近代経済学」などと罵倒・嘲笑しますが、自分たちの目標を達成するにはワルラスの枠組みに則るしかないんですよねw)が、パレート最適状態と公平性はまた別問題です。また、実際問題として考えたとき、そうスムーズにワルラス的にパレート最適に至るはずもなく、「いつまでも決まらない」か「見切り発車的にある一定の『好ましさ』を押し付ける」ことになるのがオチです。

計画立案の時点で中央集権的指令は、理論上は可能であるものの、実際的には実施困難であることが見て取れます。もっとも、国防問題は経済問題に比べて「大義名分」を振りかざし易い(「祖国防衛の大義」を押し付け易い)性質があるので、「社会的な好ましさ」の設定という論点はそれほど困難ではないのかもしれません。しかし、第二段階の「実施に必要な情報収集の困難性」によって、経済問題はもとより国防問題においても、中央集権的指令の構想は破綻に追い込まれます

この論点が抱える問題点は、簡単に言ってしまえば大きく2つあります。@「生産にかかる技術的情報は、いわゆる『暗黙知』によるところも大きいので、そもそも言語化して伝達すること自体が困難である」とA「『自分しか知らない儲けのタネになる情報』や『自分しか知らない自分の不利益になる情報』を、易々と公表する馬鹿はいない」ということです。

ハイエクを研究するにあたっては@の要素が極めて重要(個人が私的に独占する情報が、「お上からの指令・組織化」なくして如何にして社会全体の組織的秩序に自生的に進化してゆくのか)ですが、今回の主題に沿ってAについて述べましょう。これは至極当然のことです。誰が儲けのタネを大声で話しますか。誰が、黙っていればバレずに済む情報を自分から告白しますか。インセンティブなくして私的に独占している技術的情報を進んで公表するはずがないのです。現実の社会主義計画経済は、そのイデオロギー的要請から、個人に対するインセンティブの付与に対して消極的でしたが、そのことは、個人が私的に独占している技術的情報を引き出すことについに成功できなかった一大要因です。他方で、「革命の大義」(「祖国防衛の大義」によく似ています)なるものに基づき、強権を振りかざして「自白強要」的に技術的情報を聞き出そうとしたものの、とんでもない独裁政権が出来上がった割には、いわゆる「上に政策あれば、下に対策あり」で、かわされてしまい、必要な情報を集めきれず失敗したのが歴史的事実でした。

このことは、ハンガリー人民共和国(共産政権)において実際に経済管理行政を経験したコルナイ(Kornai János)も明確に述べている点、単にハイエクという理論家が象牙の塔において構想した仮説の域を脱していないストーリーではなく、実験的に実証済みの客観的事実です。コルナイの自伝はなんと邦訳されている(1冊5000円くらいするけど)ので、該当部分を以下に引用します。
 この問題を今の頭で考え直してみると、既述したハイエク・タイプの議論に辿り着く。すべての知識すべての情報を、単一のセンター(中央)、あるいはセンターとそれを支えるサブ・センターに集めることは不可能だ。知識は必然的に分権化される。情報を所有するものが自らのために利用することで、情報の効率的な完全利用が実現する。したがって、分権化された情報には、営業の自由と私的所有が付随していなければならない。もちろん、最後の断片まで情報を分権化する必要はないとしても、可能な限り分権化されているのが望ましい。
 ここで我々は、「社会主義中央集権化の標準的な機能のひとつとして、数理計画化が有効に組み込まれないのはどうしてだろうか」という問題を越えて、「所与の社会主義政治・社会・経済環境の中で、中央計画化が効率的に近代的に機能しないのはどうしてだろうか」という一般的な問題に辿り着く。
 計画化に携わる諸機関の内側で、長期間のインサイダーとして仕事に従事してみて、
(中略)社会主義の信奉者が唱えるような期待は、どのような現代的な技術を使っても、社会主義の計画化では実現できないという確信がより深まったのである。
コルナイ・ヤーノシュ『コルナイ・ヤーノシュ自伝 思索する力を得て』(2006)日本評論社、P158から

防大卒で陸自化学学校長を経験した鬼塚氏が、経済学の中でも玄人好みといえる分野(制度経済学と社会主義経済学の重複部分)に通暁しているとは思えないし、SAPIO編集部に教養があるとは到底思えないので、今回は仕方なかったのかとも思っています。国家社会を論じるというのは総合問題を解くようなもの。誰しも自分の専門外には詳しくないものです。

とはいえ、自衛隊幹部OBの言い分と、独裁政治に必然的に堕落した中央集権的指令経済(社会主義計画経済)論者の言い分が瓜二つに類似したことは興味深いことです。「政治がリーダーシップを発揮して民間企業から情報を集め、国防体制を固める」とする鬼塚氏の言い分からは、計画経済が独裁に転落した上に失敗した轍を踏みかねない危険性が見て取れます。他方で、「国防体制を固める」という大義名分は、しはしば個人の人権を抑圧・蹂躙するものですが、人権を声高に主張する社会主義勢力のプランが、インセンティブ無視の「自白強要」のプランと構造的にほぼ同じである点からは、「社会主義が掲げる理想像は、社会主義が掲げる方法論では達成しえないのではないか」という懸念を惹起します。両者とも、歴史的事実としてレーニンが「戦時共産主義」という、興味深いスローガンのもとに何をやったのかを、よく学びなおすとよいでしょう。なお、Новая экономическая политика(НЭП;ネップ=新経済政策)は、カーメネフに対する書簡を見るに、レーニンの本望とは言えないのではないかと思われます。

自衛隊幹部OBの発言から透けて見える中央集権的指令経済(社会主義計画経済)の発想――歴史に学ぶ姿勢からみれば、失敗と独裁への転落は目に見えています。単に独裁政権になるだけならまだしも(それもそれで嫌ですけどね)、失敗しているようではまったく意味がありません。こわいこわい。
ラベル:社会 経済 経済学
posted by s19171107 at 22:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月12日

自分本位の善意の押し付け、善意の逆切れ

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170712-00000008-jct-soci&p=1
>> ネットの「善意」の盲点 九州豪雨で「タオル大量送付」が起きたワケ
7/12(水) 14:53配信

 「皆様の支援で助かっていることは確かです。ただ、それで『困っている』部分もあるんです」――。2017年7月12日、J-CASTニュースの取材にこう話すのは、九州での豪雨被害を受けてSNSに「タオル支援」を呼び掛けた大分県日田市の女性だ。

 12日昼時点で、女性の元には段ボール約500箱分のタオルが届いている。また、一時は支援に関する問い合わせ電話が1日に100件近くもかかってきた。当人は「対応に追われている」として、「まさか、こんなことになるとは...」と話す。


(中略)

 浸水の影響で店舗と自宅は泥だらけになり、掃除に必要なタオルが足りなくなった。そこで、5日夜に更新したSNSで、浸水被害の状況を写真付きで紹介するとともに、

  「古いタオル、全国から大募集」

などと、住所と電話番号を添えて呼び掛けた。

 この呼びかけには多くのネットユーザーが反応。翌6日までにシェア数は500件を超え、大量のタオルが届くことになった。直接、店舗までタオルを届ける人もおり、6日朝に、

  「タオル十分足りてます!」

と投稿。その後6日夕になって、「混乱を招く」ためタオル募集を呼び掛けた投稿を削除したことを報告した。

 だが、その後も大量のタオルが届く。一部のブロガーやツイッターユーザーが、削除済みの「タオル募集」投稿の拡散を進めたことが原因だ。8日の更新で「(タオルは)送らないでください」と発信。続けて、

  「タオルは現在募集しておりません。(中略)問い合わせが殺到して、対応が大変な状況です。facebookしかしていませんが、ツイッターで蔓延しているそうです。困っています。ご協力お願いします」

とも呼び掛けた。

問い合わせ電話は1日「100件」近くに

 だが、それでもネットの「拡散」は止まらない。女性が「送らないでください」と訴えた8日以降も、ツイッターには、

  「雑巾がたくさん必要だそうです」
  「古いタオルわりとあるからおくろうと思う」
  「まとめて現地に送ります」

とのコメント付きで、タオル支援を広く呼び掛ける投稿が寄せられていた。中には、タオル募集を中止した事などを伝えるツイートもあるのだが、「拡散」を食い止める力はなかったようだ。

 こうした「拡散」の結果、どれだけのタオルが送られてきたのだろうか。

 12日昼に当人に話を聞くと、「これまでに、段ボール500箱近くですかね」。現在も段ボール単位でタオルが届く状況だという。また、一人だけでは大量の荷物に対応できないため、周辺の住民にタオルの受け取りや仕分けの「ボランティア」も依頼しているそうだ。

 さらに、支援の「問い合わせ電話」にも追われているという。支援ができないかと尋ねてくる電話は「すべて断っている」とした上で、

  「一時は、1日100件近くの問い合わせがありました。本当に、朝から晩までひっきりなしに電話がかかってくる状況で...。今は少なくなりましたけど、まだ電話は来ますよ」

としていた。

 こうした状況を説明した上で、支援への対応に追われ「日常生活が大分削られているのは事実」として、「やっぱり、過剰な支援に困っている部分はあります」と話した。

「ネットの良さと怖さの両方を感じた」

 ただ、送られてきたタオルは「決して無駄になっていません」とも訴える。集まったタオルを周辺住民に配布したり、近隣の避難所にまとめて送ったりと、タオルの支援で「地域が助かっていることは確か」だという。

 その一方で、「まさか、こんなことになるとは。ネットの良さと怖さの両方を感じた」とも漏らす。そう感じた理由については、

  「問い合わせの電話に対応する中で気づいたんですが、皆さん『私の投稿』を見ているわけではないんですよ。拡散、転載された投稿だけを見て電話をしてくる。だから、もう支援を打ち切っていることにも、全然気付いていないんです。『助けたい』という気持ちばかりが先行していたような人もいました」

と説明する。


(中略)

 今回の取材の終わり、「今後は物資を貰うつもりは一切ありません」と一言。その上で、

  「皆さんにも、改めて考えて頂けたら嬉しいです。ネットで拡散されている情報だけを見て、被災地に物資を送ることが本当に正しいのか。その善意が、本当に被災者の助けになるのか。私自身も、過去に被災地に支援物資を送ったことがあります。こうした自分の過去の行動も含めて、今回の出来事は、支援のあり方をみんなで考える良い機会になったんじゃないかと、そう思っています」

と話していた。


最終更新:7/12(水) 21:28
<<

我が国には「過ぎたるは猶及ばざるが如し」「有難迷惑」「本末転倒」という言葉がありますが、それらに照らしてまったく同感の記事であると同時に、叩かれないかヒヤヒヤしながら読んでいましたが、案の定、その手の連中からコメ欄でアレコレ言われています。昨今のいわゆる「善意」が、単なる自分本位な自己満足にすぎないことを明白に示す好例です。

まずはコメ欄から拾ってみましょう。
>> 足りないから送って(願)
足りたら迷惑だから送らないで(泣)って。
この人ちょっとわがままなんでは?
大震災経験者だから、確かに大変なのも気持ちはわかるけどさ
支援してもらって当たり前じゃないんだよ。
当たり前だと思っているからこういう言い方になる。
送る側も考えなくてはいけないけど、
善意を踏みにじった感じのするこういう言い方はよくない。
もっと違う言い方があったのでは?
<<
支援してもらって当たり前ではない」――この反発している手合いの根本動機は、おそらくここにあるのでしょう。「支援してもらって文句を言うとは何事だ! 立場をわきまえろ! どーせ支援してもらって当然とか思っているんだろう!」といった具合であることは、想像に難くありません。

しかし、取材に応えた女性はそんなことは全く述べていません。しっかり読みましょう。そして、我が国の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」「有難迷惑」「本末転倒」という言葉を思い起こしましょう支援というものは、相手の役に立ってこそのものです。受け手にとって有益・役に立つのであれば意味のある善意であり、そうでない「善意」には価値はないのです。善意であるかどうかというのは、究極的には論点ではないのです。たとえば、売名目的であったとしても、被災者の役に立つ供給をする集団と、善意の塊ではあるものの、見当違いの物資をひたすら送り続ける集団であれば、前者のみが有意義なのです。

事実として、思慮の足りない「支援」は、被災地にとって「有難迷惑」になっています。その心遣いは有難いけど迷惑なのです。その心遣いは有難いけど役に立っていないのです。取材に応えた女性の言い回しの慎重さを見るに、「有難いけど困っている」ということがよく分かります。容易に誤解されそうなテーマで敢えて取材に応えるというのは相当難しかったことでしょう。また、JーCASTニュースの割には慎重にインタビューを切り貼りしているところを見るに、編集部も相当苦慮したものと思われます(ちなみに私はこの記事で「有難迷惑」という言葉を多用していますが、取材に応えた女性はこの言葉を一切使っていませんので、ご注意ください)。それでもなお噛みつく自称「善意」の人たち。成果を出していないのに、「ボクちゃんこんなに頑張ったんだもん!」と喚く姿を見るに、「善意」などというものは、結局のところ、ボクちゃんの自分本位な自己満足にすぎないのでしょう

このことは、女性が「もうタオルは足りています」と言明し、必死に最新情報を発信しているにもかかわらず、古い情報を目にした「善意」のネットユーザーたちが現地の最新情報を自ら調べようともせずに脊髄反射的にタオルを送り続けている事実からも推察できます。本当の善意であれば、いまこの瞬間に被災者たちが何を求めているのかを自らしっかり調査したうえで支援計画を立てるものです。そして、自らの支援活動が被災者たちの「困った」を解決できていないという事実に直面したときには、素直に直ちに認識と行動を改めるのです。それが本当の意味での善意、「被災者の役に立つことを目的とする善意」です。

その点、以下に挙げるコメントなどまさに、「見当違いの善意」のど真ん中。
>> 豚高菜のパスタが旨い | 6時間前

この人の言ってることも分らんでもないけど、タオルを送った人や支援の問い合わせをしてる人って、本当に善意なんだよ。
確かに支援を考えるきっかけにはなるんだろうと思うけど、なんかこの文章だけ読んでると腑に落ちない。
<<
本当に善意」だから、いったい何なのでしょうか? 成果が上がっていなければ意味がないの。「動機」だけでプラス評価されるのは学生のうちだけなの。

女性の、最初の支援要請の発信にケチをつけるのも出る始末。
>> cho***** | 5時間前
記事読んで違和感…この人のFB見て嫌悪感に変わりました。

確かに拡散する側にソースの確認や現状の確認が足りてなかったかもしれないけど、元々の発信で期限等決めてなかったのは自分のミスでしょ?

それなのに拡散した人から謝りの連絡が来ました!自分から謝れてよかったね!みたいな投稿があって引きました。

大変だと思うけど、酷すぎ。
<<
責任問題に係るアラ捜しは、昨今の日本社会を覆う一つの悪しきトレンドですが、ヤフコメの右に出るものはなかなかいません。これはまた貫禄を見せつけてくれるアラ捜しっぷりです。日ごろから責任の押し付け合いをするような過酷な環境で生きているのでしょうか? それはさておき、「期待可能性」というと刑法の専門用語になってしまいますが、この考え方を援用してみると新しい地平が見えてくると思いますよ。

さらに言えば、コメントでは明白には書かれてはいませんが、行間からにじみ出てくる「立場をわきまえろ!」といった認識も誤っています。そもそも、天災は非人為的かつ確率的なものですから、その支援活動というものは「お互い様精神」を基礎基盤とするものです。「支援してもらって当たり前ではない」などと言う割には、他方でご自分は「支援してやっている」という意識だというのは、頭の中が混乱しているのか、それとも、そもそも頭が悪くて本質が見抜けていないかのどちらかなのでしょう。

災害義援募金活動やボランティア的な活動に対して、まったくの滅私奉公精神を要求し、少しでも「私利私欲」の影と疑われるようなものが見えようものならば猛烈なバッシングを展開する、「動機の潔癖性」を異常なまでに要求する昨今の世論ですが、「有難迷惑」に対してこういう反発を見せている所を見ると、目的が自分本位の自己満足に過ぎないという意味において、世論の言説こそが「私利私欲」でしかないと言わざるを得ません

あるいは、「動機の潔癖性」があまりにも行き過ぎて、「支援者の動機が潔癖であれば、結果などどうでもいい、実際に被災者の役に立っているのかなんて問題ではない」という境地(本末転倒)にまで至っているのかもしれません。自分本位の善意の押し付け、善意の逆切れ。

だいたい、他人のボランティア活動に「滅私奉公精神」を求めるのであれば、自分たちこそ、被災者から罵られようと何を言われようと、それどころか何の反応もなかったとしても、ひたすら黙ってご奉公するのが筋ってものでしょうに。

これを読んで反発している、ボクちゃんの自分本位の自己満足のために慈善活動を利用しているような手合い、被災者の役に立っているか否かではなく「困っている人を助けてあげているワタシってステキ(現地がどうなっているのかは、よく知らないけど)」が前面に出てしまうような手合いは、被災者にとっては迷惑な連中でしょうから、ぜひともこれでヘソを曲げて慈善活動から足を洗ってくれることを期待します。
posted by s19171107 at 22:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする