2017年12月17日

人間の活動と人間の需要に注目する「人間中心の主体的な経済観」に立とう――キムジョンイル総書記追悼

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171208-00155946-hbolz-int
>> 財政危機のベネズエラ、仮想通貨「ペトロ」導入を発表も、夢物語で終わる可能性
12/8(金) 16:00配信
HARBOR BUSINESS Online

 ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領が12月3日、テレビを通して仮想通貨「ペトロ(Petro)」を導入する意向であることを発表した。曰く、「ペトロ」とは、金、石油、天然ガス、ダイヤモンドなどに保証された暗号通貨だそうだ。

 自国の資金が尽きてしまう寸前に、いま流行りの仮想通貨を発行しようとしているようだが、正直「ビットコイン」には程遠い。それは計画倒れになることは必至であろう。根本的にベネズエラという国家そのものへの国際的な信頼が存在しないからである。


(中略)

 ベネズエラは、米国が主導する金融制裁によって、厳しい財政事情を迫られている。ペトロを導入することで、「国の通貨の尊厳を取り戻すことが出来て、金融取引を容易にし、制裁を克服できるようになる」とマドゥロは主張している。(参照:「La Patilla」)

 しかし、マドゥロは自国がまさに困窮した経済状況にあることを忘れている。仮想通貨であっても、ペトロは国家が運営するとしている以上、現在のベネズエラが置かれている財政事情に目をつぶってベネズエラとペトロで取引しようとする国は皆無であろう。

 しかも、べネズエラ国内でペトロを普及させようとしても物品も何もかもが不足している中で何を取引しようというのだろう。そのうえ、仮想通貨の普及に必要なインターネットを利用している国民は人口の3分の1だというのだ!

 この様な事情下にあるベネズエラで仮想通貨を導入することなど夢物語である。
(中略) <<
■貨幣・通貨の本質について経済学的に考えたとき・・・
ベネズエラのマドゥロ政権が、仮想通貨を以って通貨主権を取り戻そうと目論んでいる件については、当ブログでは12月5日「F.A.ハイエクを超越する経済学の天才;ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領(んなわけない 呆)」で既に取り上げています。仮想通貨がしばしば、F.A.ハイエクが提唱した「貨幣発行自由化」の方法論として位置付けられているところ、マドゥロ政権はそれを「通貨主権の回復」の手段としてブチあげている点について焦点を合わせてツッコミを入れた記事でしたが、それに対して上掲引用記事は、マドゥロ政権の目論見を正面から論破する内容になっています。いわば「マジレス」している記事です。

貨幣・通貨の本質について経済学的に考えたとき、この指摘はまったく正しい内容です。異論はありません。「べネズエラ国内でペトロを普及させようとしても物品も何もかもが不足している中で何を取引しようというのだろう」というのは明快な表現です。一般的等価物としての貨幣とは交換の媒介物ですが、べネズエラのように、国内市場で交換できるものが全く欠乏しているとき、その貨幣に存在意義はないものです。国内市場でペトロが成功する見込みはないでしょう。

国際市場でもペトロが成功する見込みはないでしょう。マドゥロ政権が如何に「自国の豊富な天然資源の担保がある」と主張しても、それが任意のタイミングで利用可能になっていない現状では、財産の担保にはなりません。ましてベネズエラ政府は、とりわけ石油産業に対してしばしば恣意的な介入を試みてきたわけだから、「天然資源の担保」などと言われたところで、その言葉自体に「担保」がないと言わざるを得ないものです。記事中の表現を借りれば、「根本的にベネズエラという国家そのものへの国際的な信頼が存在しない」わけです。

経済学的センスが欠如しているド素人的発想で一国の経済を運営しようとするマドゥロ氏(前任者のチャベス氏も含む)の政権担当能力のなさには、たびたび驚かされてきましたが、今回はとりわけ特大級の驚きを提供するものです。

■人間の活動と人間の需要に注目する「人間中心の主体的な経済観」に立とう
チャベス政権以来、ベネズエラは「21世紀の社会主義」なるスローガンを掲げてきましたが、Wikipediaによると、このスローガンは、カール・マルクスの労働価値説に基礎を置いているようです。周知のとおり、マルクスの労働価値説は、マルクス経済学の根幹をなすものです。

マルクス経済学の分析ツールを用いるとき、現段階では「天然資源」の存在がペトロの価値担保になり得ないことが見えてくるものと思われます。

マルクス経済学は、貨幣的関係性・経済的関係を「人間と人間との関係」と見抜いた点において画期的です。В.И.レーニンは『マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分』で次のように述べています(新日本出版社 p13より引用)。
>> ブルジョア経済学者たちが、物と物との関係(商品と商品との交換)をみたところ、そこでマルクスは人間と人間との関係をあばきだした。商品交換は市場を媒介する個々の生産者たちの結びつきを表現している。貨幣は、この結びつきがますます緊密になっていき、個々の生産者たちのあらゆる経済活動を切りはなせないように結合して、一つの全体に結合していることを意味している。 <<

また、マルクスは有名な貨幣の物神性を指摘しています。これは大変難解な内容ですが、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典は、割と噛み砕いて説明しています。
>> 貨幣は多種商品のうちの一商品が一般的等価物として貨幣商品に転化し,商品価値の一般的な表示,尺度をなすものにほかならないにもかかわらず,あたかも貨幣自身が価値の独立的存在であるかのごとく受取られる <<
つまり、@貨幣のそのものには独立的に価値はしておらず、ただ貨幣は商品どうしの関係性を示す尺度にすぎない、Aそして、人間的労働の支出ゆえに商品たらしめられている「物」どうしの関係性は、本質的には、「人間」どうしの関係性なのです。

経済的現象を人間同士の関係として見なす観点は、チュチェ思想・チュチェ哲学においてますます鮮明になります

チュチェ思想・チュチェ哲学は「人間があらゆるものの主人であり、すべてを決定する」という哲学的原理を基に、世界観と社会歴史観を構築しています。ハンドンソン(韓東成)先生著の『哲学への主体的アプローチ―Q&Aチュチェ思想の世界観・社会歴史観・人生観』白峰社、2007は、キムジョンイル総書記の労作「社会主義の思想的基礎に関する諸問題について」の一文を引用した上で、次のように指摘しています(同書p40)。
>> 物質技術的手段を創造し利用するのは人間です。人間の役割を抜きにして物質技術的手段は創造もされませんし、世界の改造のために利用もされません。物質技術的手段が世界の改造においてどのように作用し、その威力がどれほど発揮されるかは、人間によって決定されます。 <<
さて、私は「マドゥロ政権が如何に「自国の豊富な天然資源の担保がある」と主張しても、それが任意のタイミングで利用可能になっていない現状では、財産の担保にはなりません」と上述しましたが、これは、この観点に立ってのものです。ベネズエラに如何に豊富な天然資源が存在しているからといって、それが自然そのままの状態では利用可能ではありません。人間の役割=経済活動・生産活動を抜きにしては利用可能にはならないのです。

その点、ベネズエラの経済活動・生産活動、経済的人間関係はズタズタに引き裂かれており、破綻状態にあると言わざるを得ません。決定因子としての人間の活動と人間どうしの関係性が破綻状態にあっては、豊富な天然資源が潜在的にペトロの価値担保になり得るとしても、それらが利用可能な状態に加工され得ない以上は、実際的にはペトロの価値担保にはならないのです。

金、石油、天然ガス、ダイヤモンドといった天然資源=客観的な物質的条件は存在しさえすればよいものではなく、それらを利用可能な状態に加工できる人間の活動、そしてそれらに対する人間の需要があって初めて意味のあるものになります人間の活動と人間の需要に注目する「人間中心の主体的な経済観」にしっかりと立っていれば、あくまで流通のための手段にすぎない一般的等価物としての貨幣に惑わされることはないでしょう。

チュチェ思想の体系化によって人間中心の主体的な事物の見方を整備されたキムジョンイル総書記が亡くなって6年になります・・・在任中に国家経済を大きく好転させることは叶わなかったものの、国防や芸術、最先端技術追究(コンピュータ技術と宇宙開発関連技術)の基礎作りにおいて功績のある総書記ですが、とりわけ、思想・哲学分野で遺されたものは多大であります。追悼。
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2017年12月14日

官民二分法の発想から脱し「綱引き」を終わりにしよう。方法論を前進させよう。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171213-00010001-doshin-hok
>> JR北海道への財政支援、高橋知事が表明 車両や駅など設備投資や修繕に
12/13(水) 9:18配信
北海道新聞

「上下分離」は想定せず
 JR北海道の路線見直し問題を巡り、高橋はるみ知事は12日の道議会予算特別委員会の知事総括質疑で「鉄道運行の安全性の確保や設備投資、修繕に対して支援を行いたい」と述べ、鉄路維持に向け、JRへ財政支援する考えを初めて明確に示した。道とJR、沿線自治体が出資する第三セクター「北海道高速鉄道開発」(札幌)が特急車両を保有し、JRに貸し付けている例を参考に、これから具体的な支援策を詰める。


(中略)

 財政支援は車両の設備投資や駅舎の修復などを対象とし、JRが提案している、線路などの鉄道施設を自治体が保有する「上下分離方式」は想定していない。

(以下略)<<
■不毛極まる、使い古された単純二分法の焼き直し
コメ欄。
>> みわよしこ
フリーランスライター(科学・技術・社会保障・福祉・高等教育)

国鉄がJRに変わって30年。
公共事業は結局、公共が責任主体となって行わなければどうにもならないということを示す事実が、数多く蓄積されています。

しかし公共事業の民営化や民間委託は、現在も進行中。大阪市では生活保護運用まで数年のうちに民間委託されかねない勢い。この動きは、公共施設運営・水道と、あらゆる分野に拡大しつつあります。

民営化、行政コスト削減、社会保障削減といった個々の動きの大元は、日本の「公共」の縮小です。既に小さすぎる政府のもと、「困っている人を国は助けなくていい」と考える方々が増えるのは、国の「公共」が貧弱になるから各国民の「公共」も貧弱になる、ということではないでしょうか?

誰も取り残さず共生する社会を制度・インフラとも再構築するのは難事業ですが、日本と日本の人々の生存のためには、取り組まないわけには行きません。
北海道と鉄道の今後は、学ぶべき先行例です。
<<
社会保障分野で精力的に情報発信している、みわよしこ氏のコメントです(私も他人様のことを偉そうには言えないものの、専門外も甚だしいのではないでしょうか・・・)。以下、批判的に検討してゆきたいと思います。

結論から言ってしまえば、「公共の縮小」という問題設定まではよいものの、その是正として挙げられているプランが「官が民か」の単なる「綱引き」に留まるものであり、発展性に欠けています。「公共が責任主体となって行わなければどうにもならない」という、みわ氏の言説は、「公的な財政支援の必要性」と換言することができるでしょうが、この方法論は、使い古され、問題点が山積した方法論です。

もともと、「公共が責任主体」という建前の下に長年行われてきた事業が行き詰まってしまったからこそ始まったのが民間委託等の方法論。それもまた別の行き詰まりを見せつつあるからといって、「綱引き」の要領で元に戻すなど愚の骨頂、何も学習していません不毛極まる単純二分法的な言説と言う他ありません。

■何故北海道庁が鉄道支援に消極的なのか考えたことはないのだろうか?
みわ氏は、何故北海道庁が鉄道に対する公的な財政支援に消極的であるのかという動機について考えたことはないのでしょうか? この点について藻谷浩介氏は、「「JR北海道」赤字批判の裏で、高規格道路に巨額投資の「不条理」」にて、鉄道復権の立場に立ちつつも冷徹なる現状把握の観点から正しくも事情を見抜いています。引用します。
>> 藻谷 2006年に廃止された「北海道ちほく高原鉄道」は、帯広の東の池田駅から北見に伸びていた第三セクターで、一日の客が百何十人の超閑散線でした。年間約4億5000万円の赤字を出していました。

 しかし、存続運動をしている人の話を聞いてみると、実はリーズナブルな活かし方があったのです。というのも、北見、網走から札幌に行く最短距離の鉄道路線なので、軌道強化工事をして高速化すれば、石北本線回りで行くよりも圧倒的に便利。そもそも冬の北海道での車の運転は危険ですから、鉄道の意義は大きいのです。実際に冬のJR北海道の特急の指定席は満席になることが多い。だから、軌道を高速仕様に改良して再利用しましょうよ、その方が地域活性化にもなりますよ、という運動だったのです。

 ところが、行政も経済界も耳を貸しませんでした。代わりに、廃止した線路に並行して、数百億円かかる高規格道路建設が本格化したのです。料金収入が見込めず無料開放される区間なので、地元自治体の負担はその分重く、しかもすでに通っている国道に比べ所要時間が短くならないので、完成しても使われない。まさに工事のための工事です。おまけに高規格道路は鉄道に比べて、路面補修や除雪、照明などにずっと多額のランニングコストがかかります。それだけでも年間4億5000万円は軽く超えるでしょう。

 金勘定の常識から言えばちほく高原鉄道の高速化が当然ですが、それでは地元に工事費が落ちないというわけですね。
<<
地元の土建屋の利益を考えたとき、道路建設が地元土建屋にもたらす経済的利益は鉄道事業がもたらすそれを上回るから、地方自治体は鉄道事業よりも道路建設を優先させるのです

このことは、かならずしも単なる「ゆがんだ癒着構造」と断ずることはできません。地方経済における地元土建屋の立場は、単なる「地元政治家の票田」「事なかれ主義的な行政が気兼ねする郷土の有力者」に留まらず、「疲弊する地方経済における数少ない雇用主」なのです。土建屋は地方経済の大黒柱なのです。

そう考えたとき、地方における鉄道復権のためには、地方経済の大黒柱たる地元土建屋たちが鉄道事業よりも道路建設を望む構造について真剣に考える必要があります。その点、不毛なる二分法の論点を設定している、みわ氏の言説は、都市住民のおしゃべりの水準を脱していないと言わざるを得ないものです。

■「上下分離」のような発展的な方法論を編み出すべき
地方における鉄道復権は切迫した課題であります。この重大案件について、「官が民か」の単なる綱引き的な言説に留まっている場合ではありません。今まで散々、二分法的な観点に基づく「綱引き」が展開されてきました。その結果として、「綱引き」に興じているようでは永久に問題は解決しないのではないかと言うことが見えてきました

今こそ、「綱引き」から卒業し、今までの知見を基にした発展的な方法論を編み出すべきです。完璧な処方箋であるとは言えないものの、たとえば昨今、鉄道を筆頭とするインフラ産業の運営形態として何かと取り沙汰されている「上下分離」のような発展的な方法論を編み出すべきです。

みわ氏が想定している、漠然とした「公的な財政支援」は、負担や分担、責任の所在が曖昧になりがちで、それゆえに既に数多くの失敗例が積み重なっています。他方、「上下分離」は負担や分担、責任の所在がより明確である点、望ましいものであると言えます。5月22日づけ「日本共産党議員の質問に見られるソ連・東欧型放漫経営の保険・損失補填理論」でも言及したとおり、組織運営においては、リスク・決定・責任のバランスが重要であり、リスクがかかる責任に応じた意思決定参加が必要です。

もちろん、チュチェ102(2013)年2月9日づけ「発送電分離問題と「官か民か」の不毛な二分法」でも言及したとおり、鉄道を筆頭とするインフラ産業というものはシステムであり、素人考え的にブツ切りにしようものなら破滅的結果をもたらしかねないものです。システム的観点に欠ける、拙速なる素人考え的なプランに基づく上下分離によって大変な鉄道事故を起こしてしまったBritish Railwayの教訓を忘れてはなりません。

しかし他方で、日本では何かとお手本として取り挙げられているドイツにおいても、鉄道は上下分離されています。イギリスでは特大級の失敗例を挙げつつも、ドイツではそれほどの大失敗をしていない点、鉄道業の上下分離は、「ドイツ的な慎重さ」で事を進めれば、必ずしも失敗に終わるものではないと言えるのではないでしょうか

■市場経済と金融システムの活用を通しての「公益・公共空間の復活」も発展的なアイディア
JR北海道の再建(まだ破綻してないけどw)について最近、JR東日本の株式をJR北海道が購入することによって資本関係を構築し、「株主の意向」以ってJR北海道への事実上の「支援」を引き出そうとする方法論が、以下の通り提唱されています。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171209-00199920-toyo-bus_all
>> JR北海道は「JR東日本株」取得で安定化できる
12/9(土) 5:00配信
東洋経済オンライン


(中略)

 確かに、JR東日本から見れば、赤字企業のJR北海道との合併はJR東日本の利益を減らして株主価値の低下につながるため、株主への説明は困難である。JR東日本がJR北海道を吸収合併する案は不可能と見てよい。

 しかし、JR北海道にとっては、JR東日本との合併または経営統合はJR北海道の企業価値向上につながる。

 発想を転換すれば、JR北海道がJR東日本の株式を取得することは可能である。本記事では、営業、技術面での協力関係をさらに強固にし、採算鉄道事業者であるJR東日本の利益を不採算鉄道事業者であるJR北海道の路線ネットワークの運営に活用する道筋を開くために、JR北海道とJR東日本が業務・資本提携を締結したうえで、JR北海道がJR東日本の株式を取得する方策を提案したい。

 そして、業務・資本提携を通して、JR東日本の東北新幹線とJR北海道の北海道新幹線の相互誘客策の強化を促して両社の利益を増やすことができれば、両社の利益増に向けたベクトルの一致につながるはずである。JR北海道は株主として、JR東日本に対して北海道新幹線への送客促進策を要望することが容易となる。
<<
このプランの実効性は、私も「正直疑わしい」と言わざるを得ず、くわしい検討が必要です。そう簡単な話であれば苦労しないでしょう。しかし、それでもなおみわ氏が提唱するような旧態依然でかわりばえのしない方法論と比較するに、新しいチャレンジングなアイディアに敬服するものです。

また、このプランにおける「JR東日本の株式をJR北海道が購入して関係を結ぶ」という方法論、そしてそれを通じた「JR北海道管内らおける不採算路線の公益観点からの維持」のプランは、サン=シモン主義的社会主義の実践としてPéreire brothers(ペレール兄弟)が取り組んだ「Crédit Mobilier(クレディ・モビリエ)による普遍的協働の実現」という発想にも通ずるところがあります。その点において、このプランは、市場経済と金融システムの活用を通しての「公益・公共空間の復活」、そして究極的には「社会主義の実現」を目指す立場としても、二重に興味深いものであると考えているところです。

■「綱引き」の時代は終わり、みわ氏は時代に取り残されている
その点において私は、「綱引き」的な発想で旧態依然でかわりばえのしない方法論に留まり発展的な方法論の探求の影すらもない、みわ氏提唱のプランに大変な不満を感じるものです。今や「何も言っていない」に等しい、曖昧な「支援」を主張しているほど客観的事実に余裕はありませんこんな論点設定など、時代錯誤的に古臭く、なんの進歩性・発展性も存在しないと言わざるを得ないのです
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2017年12月12日

共和国の宇宙開発事業は健在、民生分野への応用の方向性も確固――クァンミョンソン3号−2号機発射成功から5周年

本日12月12日は、クァンミョンソン(光明星)3号−2号機発射成功から5周年の日です。そんななか、朝鮮宇宙協会は、去る11月18日から12月1日の期間において、「宇宙科学技術討論会2017」を開催したという報道が出てきています。
http://dprkanalysis.info/news/news_detail_376.html
>> 朝鮮の衛星技術はどの程度か
ニュースリリース|北朝鮮 Live!| 2017年12月10日(日)

 北朝鮮の核やミサイル開発により緊張状態が続く中、北朝鮮は実用衛星の発射も計画しているようだ。ロシア紙によると、先月訪朝したロシアの軍事専門家は「北朝鮮はすでに2基の民需用実用衛星の発射を予定している」と言う。1基は地球観測用、もう1基は通信衛星だという。

 ちょうど平壌では、朝鮮宇宙協会が11月18日から12月1日まで、「宇宙科学技術討論会2017」を開催した。討論会のテーマは「自力自彊と朝鮮の宇宙開発」。同協会委員長で金策工業総合大学副総長のリ・ウォンチョル氏(58)に話を聞いた。


(中略)

―注目すべき論文はあったか。

リ:人工地球衛星分科会に提出されたある論文では、人工地球衛星の軌道・姿勢操縦のための電気抵抗加熱式発動機の構造と設計計算方法について記述されていた。この技術を衛星制作に拡大導入すれば、衛星を小型化するためにかかる制作原価を最小限に抑えられると同時に、動作性能は最大限に高めることができる。また、「ハニカム多層版の等価特性量決定」というテーマで宇宙材料と要素分科討論会に提出された論文もり、注目されていた。ほかにも、衛星材料を活用できる応用技術に関する論文も多く提出された。

さらに、衛星から得られる資料を基にした大気・地面基礎パラメーター推定システムは、わが国の実状に合わせ総合的で新たな衛星資料解析システムとして確立できる。これが動けば、経済分野において衛星によって得られた情報を元に現代化・情報化を高レベルで実現できる。農業は山林、気象、海洋、水門、災害防止など各分野で要求される情報をより正確なものにできるだろう。


(以下略) <<
宇宙開発は最先端技術の粋を集めたもの。目先のことにしか関心のない人々は、しばしば共和国の宇宙開発事業に否定的なコメントを寄せているものですが、リ・ウォンチョル委員長が述べているように、宇宙開発の分野で開拓される最新技術は、そのままもっと卑近なる民生分野にも応用できるものです。その意味で、宇宙開発分野は国の科学技術の最先端の突破口です。

最近、共和国の宇宙開発分野に関するニュースが乏しかったところですが、クァンミョンソン3号−2号機発射成功から5周年を迎えるにあたって、まだまだ共和国の宇宙開発事業が健在であること、そしてそれを民生分野に応用する方向性が依然として確固としていることが判明しました。朗報です。

경축의 노래<<조선의 그 이름 하늘에 새겼네>>

장군님 높이 모신 그 영광 떨치며
우리의 광명성이 우주에 올랐네
강성대국 첫포성 높이 울리며
내 나라 위성이 하늘에 올랐네
라라 우리 광명성
조선의 그 이름 하늘에 새겼네

장군님 안겨주신 그 위용 떨치며
우리의 광명성이 유난히 빛나네
끝없이 넓고넓은 우리의 별나라에
민족의 슬기와 용맹이 나래치네
라라 우리 광명성
조선의 그 이름 하늘에 새겼네

장군님 길이 모셔 끝없이 번영할
내 조국 노래하며 광명성 날으네
내 나라는 지구를 내려다보고
세계는 조선을 우러러 본다네
라라 우리 광명성
조선의 그 이름 하늘에 새겼네
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2017年12月11日

「無限の単線的進歩」ゆえに予想を外したマルクスの焼き直し――AIと未来社会

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171129-00199055-toyo-bus_all
>> AIの発達をこのまま市場に任せてよいのか
11/29(水) 6:00配信
東洋経済オンライン


(中略)

 しかしもっと先を考えると、AI(人工知能)の進歩で機械が人間の行ってきた仕事を担うようになるという動きが加速し、人間の仕事はなくなっていき、世界的に労働力過剰という事態が出現する可能性がある。

 『デジタルエコノミーはいかにして道を誤るか〜労働力余剰と人類の富』(東洋経済新報社、2017)で、著者のライアン・エイヴェントは、コンピュータは蒸気機関や電気と同様の汎用技術でとてつもない力を持ったものであることや、デジタル革命は人類に多大な恩恵をもたらすので後戻りできない流れであることを指摘し、社会が直面する課題を論じている。


(中略)

まだ何十年かの間は、生活を支えるすべてのものは、価格が低下していくものの有料である。必要なものを手に入れるためには、人々は何とかして所得を得る必要があるという状態が続くとの前提で将来を考えるのが無難だ。ところが、AIが発達していくことで機械に仕事を奪われ、所得が得られなくなる人が多数生まれてしまうおそれがある。

(中略)

 AIが進化して行けば、現在はAIで代替することは難しいとされている仕事に就いている人たちも安泰ではなくなる。少し昔にはコンピューターが囲碁で人間に勝つようになるのはまだ先のことだと考えられていたが、今や世界最強といわれる棋士でもコンピュータにはまったく歯が立たない。人間が必要な分野はどんどん縮小していくだろう。

 AIによる自動化が図られるのは、それが容易な分野だけでなく経済的な利益が大きい分野も、である。企業にとっては、高賃金の仕事ほど機械で置き換えるメリットが大きい。低賃金で機械化の利益が小さいところや、雑多な作業で対応が難しいものが人間が行う仕事として残され、生活を支えるために多くの人がこうした仕事を得ようとして争うことになる恐れが大きい。


(中略)

 ノースウエスタン大のゴードン教授など技術進歩の速度低下を指摘する声は多いが、むしろ社会変化の速度は速くなっているように見える。親の経験は子供たちが将来を考えるにはまったく役に立たず、制度や人々の生活スタイルや考え方、行動が社会変化について行けないほどだ。

 テグマークの言うように、AIの発展を未来の社会にとって良いものにするためには、これをどう受け止めるのかという議論が必要だ。デジタルエコノミーの発展は人類に想像できないような豊かさをもたらすことができるはずだが、それは神の見えざる手に任せておけば自然に実現するというものではないだろう。

櫨 浩一 :ニッセイ基礎研究所 専務理事
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■マルクスの焼き直し
150年前にマルクスが提唱した「機械制大工業の進展によって労働者の働き口がなくなり、労働者階級は窮乏化してゆき、最終的にプロレタリア革命が必然的に起こる」――もちろん外れました――の焼き直しに留まる内容であると言わざるを得ません。

マルクスが機械制大工業の進展をエポック・メイキングな出来事かつプロレタリア革命を必然化させる物質的条件と位置付けた理由は、原始時代以来の「道具」が、あくまでも人間の身体的能力を補佐する程度にとどまる、換言すれば、「人間=主、道具=従」の関係性にあるのに対して、工作機械は、人間の身体的能力を超越するので、「機械=主、人間=従」になってしまうという見解によるものです。資本家が利潤追求を続ける限り、生産は無制限に拡大してゆくので、機械制大工業はますます不可逆的に進展するというのがマルクスの歴史の見通しであり、それゆえに、もともと人間に奉仕するために開発された工作機械が、人間の身体的能力を超越する生産能力を以って逆に人間を「機械の付属物」と化してゆくだろうとマルクスは述べました

そのうえでマルクスは、「機械の付属物」と化した生身の労働者たちは、雇い主である資本家に対して立場が弱くなり窮乏化してゆくが、それが労働者階級の反抗心を強化するだろうとし、また、機械制大工業の発展に伴って労働現場での協業が拡大することで、それまで職人肌的だった労働者たちが「協力し合うこと、団結すること」を学ぶようになるだろうとしました。それゆえに、プロレタリア革命が必然的に起こるだろうとマルクスは予測したのです。

もっとも現実の経済史は、機械制大工業は進展しつつも、人間は、マルクスが想定したほどには「機械の付属物」にはなりませんでした。幾つか理由がありますが、マルクスが想定したほどには一方的な自動化が進まなかったことは大きな要因として挙げることができるでしょう(このほかにも、後掲するノーベル物理学賞受賞者である益川教授のご指摘に関連させれば、「機械制大工業の進展によって、まったく新しいフロンティアが開拓された」といった理由が考えられます)。

■「無限の単線的進歩」観が予想を外した原因だった
マルクスが予想し誤ったのは、彼が生きた時代の制約でした。彼が生きた時代は、科学技術の進歩が著しく、この進歩が永遠かつ不可逆的に続くものと多くの人々が信じて疑わなかった時代でした。工作機械は永遠に飛躍的に進歩し続け、人間の能力を超越するだろうと皆が見通しを持っていた時代でした。しかし、実際にはそんなバラ色かつ単線的な進歩は実現しなかったのです。

無限の単線的進歩を前提としたからこそ成り立ったのが、相対的過剰人口・産業予備軍の不可逆的増加による労働者階級窮乏化論。労働者階級の窮乏化が共産主義革命を必然とする一要素(このほかにも、資本の有機的構成が不可逆的に高度化することによって、利潤の源泉としての労働者が産出する剰余価値の搾取が不可能になるといった理屈もあります)になるとしたマルクスの「予言」が破綻したのは、当然のことです(もっとも、最近のマルクス経済学もようやく、「相対的過剰人口・産業予備軍は、必ずしも不可逆的増加し続けるとは言えない」という境地に立ち始めたようです)。

■「AIの発達による失業」論の前提にある「無限の単線的進歩」観
マルクスの予想が外れた原因を「無限の単線的進歩」に据えるとすれば、昨今の「AIの発達による失業」論が、まさにマルクスの外れ予想の焼き直しに過ぎないことが明々白々になるのではないでしょうか

本件記事の内容は「AIが進化して行けば、」だの「AIが人間の能力を超えていけば、」だのと、あくまで仮定の域を脱していない話を大前提・主張の骨格としています。もっと言ってしまえば、記事全体が曖昧な推測で成り立っています。

11月17日づけ「20世紀的社会主義の崩壊から一歩も進歩していない「デジタル・レーニン主義」」でも言及したとおり、AIの能力が人間の能力を不可逆的かつ圧倒的に凌駕し続けるかは、依然として不透明です。当該記事にて私は、次のように述べました。
>> 昨今のAI信仰には、「人工知能の技術が発展すれば」という「近未来小説」に成り下がっていることが往々にしてあります。全知全能に近いAIが実現すれば、何だって簡単にできるでしょうが、そんなものが「技術の進歩」によって本当に出来得るのかということを問わねばならないでしょう。この手のAI信仰は、「ドラえもんが居れば・・・」レベルの話であると言わざるを得ないものが少なくないものです。 <<
現時点、AIがどの程度まで進歩し得るのかは未知数です。マルクスが著作活動を展開していた19世紀後半の、工作機械のポテンシャルが未知数だった時代と類似しています。そうであるがゆえに、マルクスがそうだったように、AIについての「永遠の進歩」を基に未来社会を想定する言説が続出するのは、無理もないのかもしれません。しかし、「永遠の進歩」などあり得るのでしょうか? AIはそんなに全知全能的に、不可逆的に、永遠に進歩し続けるのでしょうか? 疑問を感じざるを得ないところです。

■語り得ぬことには沈黙せねばならぬ
まだ現実的な条件が明らかでないことについて論じることはできないものです。マルクスは、楽観的過ぎる「無限の単線的進歩」の展望を持っていたとはいえ、たとえば未来社会論としての共産主義社会の細部については多くを語っていません。これは、まだマルクスの時代にあっては、大雑把な進歩の展望としての、未来社会論としての共産主義社会は予言できても、その細部を語り得るほどの材料が足りなかったためです。

この心構えは、AIの発達に伴う人間社会の変容を展望する上でも欠かせない考え方でしょう。あくまで現在の技術水準と、確実に実現するであろう技術革新の範囲内でしか未来社会は語り得ないものです。漠然とした「AIが進化して行けば・・・」や、果たしてそんなことが実現するのか未だ不透明な「AIが人間の能力を超えていけば・・・」といった「予測」は、「近未来小説」の域を脱するものではなく、「ドラえもんが居れば・・・」レベルの話に過ぎないのです。

■人間とは何かを考える好機
とはいっても、AIの発達という論点はとても刺激的なものです。このことは、結局、「人間とは何か」という哲学的な探究テーマにもつながってゆくものです。次に引用する2つの記事は、その観点において興味深い内容です。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171208-00010000-eipub-life
>> ノーベル物理学賞受賞 益川教授が証言! AIが絶対に人間にかなわないもの
12/8(金) 19:02配信
エイ出版社


(中略)

しかしだ。ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英氏は、「仮にAIがどんなに優秀になっても、人間の仕事は決して無くならない」と話す。

(中略)

AIが絶対に上回ることができない人間の強み
◎AIが人間に肩を並べる知能を身につけた場合、科学研究のあり方はどう変わるのでしょうか?

益川:仮にAIがどんなに優秀になっても、人間の仕事は決して無くならないと僕は考えています。AIのビッグデータが発展し、コンピューターの処理速度が上がったとしたら、むしろそれらの進化を味方につけて、人間はどんどん複雑な事象を取り扱えるようになると思うのです。

何より、AIが絶対に上回ることができない人間の強みは、圧倒的な知的好奇心です。AIが家事や仕事まであらゆる作業ができるようになったとしても、人間が何もしなくなるとは到底考えられない。そのぶん、生まれた時間を有益に使って、新しいことを考えようとするのではないでしょうか。
(以下略) <<

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171206-00199655-toyo-bus_all
>> 2030年コンピュータはどこまで人間に迫るか
12/6(水) 8:00配信
東洋経済オンライン


(中略)

■人間が負けない「CMH」の領域
 井上:私は人間が汎用人工知能やロボットに負けない「CMH」という3つの領域を挙げています。Cはクリエイティヴィティ(Creativity:創造性)、Mはマネジメント(Management:経営・管理)、Hはホスピタリティ(Hospitality:もてなし)で、この3分野の仕事はなくならないだろうと考えています。

 ただ、こうした分野にも当然、AIやロボットは入り込んできて、人間と協業することはもちろん、ともすれば人間の競争相手になってしまう可能性もあるわけです。


(以下略) <<
以前から述べている通り、私はチュチェ思想・チュチェ哲学を信奉しています。チュチェ哲学において人間は「あらゆるものの主人であり、すべてを決定する」存在であると位置づけられていますが、これは、人間のみが、「自主性・創造性・意識性をもった社会的存在である」ということによるものです。

そうしたチュチェ哲学の観点に立って人間に特徴・特長的な要素を考えるとき、世界の益川教授が挙げる「知的好奇心」や、井上准教授の"Creativity"という指摘に注目するところです。

私はかつて、いわゆる「コンピュータの5大機能」(演算装置、制御装置、記憶装置、入力装置、出力装置)を、それぞれ「自主性、創造性、意識性」のフィルターで(強引に)分類したとき、どうコジツケようとしても、「自主性・自主的要求」だけは該当する機能がコンピューターには存在しないのではないかという結論にいたったものですが、その観点で行くと、益川教授が挙げる「知的好奇心」については理解可能であるものの、井上准教授の"Creativity"は少し理解が追い付かないところです。

まだまだ私自身も研究を始めたばかりなので、井上准教授の指摘については「判断保留」として、噛みつきもしなければ持論の撤回もせずに措いておきたいと思います。チュチェ哲学への認識を深めるためにも、AIの発達については今後も折に触れて取り上げてゆきたいと考えてます。
posted by s19171107 at 00:37| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2017年12月06日

偏向した偏向批判を「公正」と言い張る恐ろしさ――自分自身を客観視できていない

https://netallica.yahoo.co.jp/news/20171206-48794542-dailynewsq
>> なぜ北朝鮮びいきの立場で?TBS『Nスタ』の偏向したニュース原稿が物議に
2017/12/6 08:00 デイリーニュースオンライン

 TBSの報道番組『Nスタ』4日の放送で、目に余る北朝鮮びいきの報道が物議をかもしている。この日の放送は自局のJNN世論調査を受けて『森友問題の政府説明「納得できない」8割超す』などと鼻息荒く伝え、『モリカケはこれからだ!』とばかりに安倍政権批判をしていたのだが、つい本心(?)が出てしまったのか、トンデモないアナウンスをしたという。

「番組の中盤、緊迫した北朝鮮情勢について、井上貴博アナウンサー(33)が『圧倒的な軍事力を見せつけるアメリカと韓国。それに怯むことなく軍事的な挑発も辞さない構えの北朝鮮。この対立の構図は変わらないままです』と紹介したんです。
(以下略) <<
一連の共和国によるミサイル発射実験について「挑発」という言葉を使うか否かは、その人物の立場を決定づけるポイントです。贔屓している人であれば絶対に「挑発」という単語は使わず「対抗措置」といった具合に言い換えるものです(動機の正邪論争はさておき、共和国がアメリカに対抗していることは、万人が認める事実でしょう)。その点、「挑発」というマイナスイメージを惹起させる単語を例によって盛り込んでいる本件TBS番組は「北朝鮮びいき」などとは到底言えないものです。

また一般的に、圧倒的な軍事力を誇示された側は、それなりに大人しくするものですが、共和国は逆に対抗措置のレベルを上げています。一般視聴者の感覚に立てば、目下の情勢は「正気の沙汰ではない」と言ったところでしょう。その点、「圧倒的な軍事力を見せつけるアメリカと韓国。それに怯むことなく軍事的な挑発も辞さない構えの北朝鮮」なるアナウンスは、「キムジョンウン=好戦的で向こう見ずなキチガイ」像を補強する効果があると見るべきです。「北朝鮮びいき」効果は生まないでしょう。それくらい制作者側だって十分に予測していることでしょう

圧倒的な軍事力を見せつけるアメリカと韓国。それに怯むことなく軍事的な挑発も辞さない構えの北朝鮮」というアナウンスを「北朝鮮びいき」だの「偏向報道」だのと騒ぎ立てる人物は、「脊髄反射」的にしても程度の低さが際立つと言うほかありません。いったいどういう理屈を繰り出してくるのかと思えば、次の通りの笑止千万な内容でした。
>> 公正な報道番組としては『大陸間弾道ミサイル(ICBM)を発射した北朝鮮に対し、米韓の空軍が本日から合同演習を開始しました』とストレートに伝えるところ。あたかもアメリカと韓国の軍事演習が威圧的で、それに果敢に立ち向かうのが北朝鮮であるかのような印象報道でした」(政治部記者) <<
ほほう。たしかに共和国はICBMの開発に邁進しており、実際に試射を繰り返しています。ではなぜ、共和国はICBMの開発に邁進しているのでしょうか?

当ブログでも以前から言及してきたことですが、日本メディアが絶対に報じようとしない事情を、朝鮮新報が次のように解説しています。
http://chosonsinbo.com/jp/2017/12/yr20171201-1/
>> 〈朝米核・ミサイル問題への視座 6〉米南合同軍事演習とは
停戦協定・国連憲章違反の北侵演習

米南合同軍事演習には、主に春に実施される指揮系統を確認する増援演習「キー・リゾルブ」と合同野外機動訓練「フォール・イーグル」、8月に行われる「乙支フリーダム・ガーディアン」がある。このほかに小規模な演習が年に数十回行われる。

米国は57年に南に核兵器を配備して以降、69年3月の「フォーカス・レティナ」を皮切りに40年以上も合同軍事演習を継続してきた。


(中略)

そもそも合同軍事演習は停戦協定に違反する戦闘行為だ。停戦協定第2条第12項は敵対行為の完全停止を規定、第13項は朝鮮境外からの軍事人員と作戦武器の増援禁止を規定している。(以下略) <<
現在の朝鮮半島情勢を歴史的に振り返れば、もともと、朝鮮戦争の停戦協定は外国軍隊の撤退を定めている点において、「在韓米軍」なる存在は停戦協定に反するものです。その上、アメリカは単に居座り続けているだけではなく、新型兵器を次々に持ち込んでは対北圧迫を続けています。特にトランプ政権発足以降は、独立国家を思い付き的にミサイル攻撃するような人物が米軍最高司令官を務めているわけです。この歴史的経緯を踏まえれば、共和国側の危機感が今や最高潮に達していたとしても無理のないことでしょう。

このように、「元はと言えば・・・」の要領で現在の南北分断構図のスタートラインに立ち返れば、停戦協定に反する「在韓米軍」という存在が事態の根底にあるわけです。ここに元凶があるのです。

まあ、このことを日本メディアが絶対に報じようとしないのは、ある意味で仕方のないことだと思います。このことを大々的に報じてしまえば、今まで積み重ねてきた「北朝鮮=悪党」のストーリーが揺るぎかねないからです。しかし、だからといって「公正な報道番組」を云々するのは如何なものなのでしょうか。いったいどこが「公正」だと言い得るのでしょうか。

日本にとって共和国は敵国なのだから、「日本の立場、日本の国益に立脚した報道番組」というのであればまだしも、TBSの「偏向」を批判している方もまた一定の「立場」に立脚しているにも関わらず、自分自身は「公正」だと言い張っているのがこの記事の論調です。

笑止千万な言説ですが、他方で、自称「公正」ほど恐ろしいものはない点、笑ってばかりもいられないところです。共和国情勢を巡っては、以前から指摘しているように、@戦前の朝日新聞やミリオタ気取りの中学生を彷彿とさせるような短絡的で好戦的な言説があふれかえっているところですが、A自分自身もある種の「偏向」をしているにも関わらず、あくまでも「公正」と言い張る言説までもが出てきている点、日本の言論状況を憂慮せざるを得ないところです自分自身を客観視できていないわけです。
ラベル:メディア
posted by s19171107 at 22:26| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2017年12月05日

F.A.ハイエクを超越する経済学の天才;ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領(んなわけない 呆)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171205-35111425-cnetj-sci
>> ベネズエラ、仮想通貨「Petro」の導入を発表--経済危機の克服手段となるか
12/5(火) 11:22配信
CNET Japan

 ベネズエラのNicolas Maduro大統領が、暗号通貨を新たに導入する方針を明らかにした。その狙いは、同国の深刻な経済状況を緩和することにある。

 BBCの報道によると、Maduro大統領は現地時間12月3日、同国の石油、ガス、金やダイヤモンドを裏付けとする仮想通貨「Petro」(ペトロ)を新たに発行すると発表した。

 大統領はテレビ演説の中で、この仮想通貨でベネズエラは「通貨主権の問題を前進させ、金融取引を可能にして金融封鎖を克服する」ことができると語った。

 報道によれば、大統領は喝采を送る人々に向かって、「21世紀がやって来た!」と高らかに述べたという。


(以下略) <<
ベネズエラの経済当局者の経済音痴・素人っぷりは世界トップクラスのものだと思っていましたが、もしかすると、常人の予想を超える天才なのかも知れませんw

仮想通貨は、しばしばF.A.ハイエクの「貨幣発行自由化」の一環であると見なされます。自生的な仮想通貨が複数同時に流通することによって通貨間競争が起こり、その結果として、マクロ経済の混乱につながる中央銀行の「裁量的」(恣意的)な貨幣乱発を牽制できるという理屈です。

その点において通常、仮想通貨を「通貨主権」の文脈で語ることは、まずありません。むしろ、権力者の「裁量」の影響から脱し、生身の人間同士が自生的に形成する秩序に沿った経済的価値体系を具現化するためにこそ、貨幣発行自由化の方途として仮想通貨は取り上げられるわけです。

もし、仮想通貨が通貨主権を回復させるための有効なツールになるとすれば、これは一大事です。ハイエクの理論的指摘が崩れるということであり、それはすなわち、仮想通貨の導入による経済分野における自生的秩序形成を目指す挑戦は、ことごとく、国家主権;国家の金融支配を促進させる点において逆効果になるというわけです。

まあもっとも、マドゥロ大統領とそのブレーンたちが、そこまで考えているとは到底、思えませんけどねwそんな経済的センスがあるなら、仮に米帝の経済的封鎖があるにしても、もう少しマトモな経済運営ができているハズですからねwww

「21世紀の社会主義」だのと大風呂敷を広げてくれたおかげで、社会主義者として私は大変、迷惑しています。社会主義とは無縁の政策を展開し、早々に崩壊していただくことを切に願うものです。ベネズエラ人民の生活という観点に立てば、マドゥロが君臨している素人政権の崩壊は歓迎すべきことでしょう。みんなが望むことです。
ラベル:経済 経済学
posted by s19171107 at 22:50| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2017年12月04日

冬季漁獲戦闘から見える、相当に健在なる共和国の動員力

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171204-00010014-abema-kr&p=1
>> 相次ぐ木造船漂着、そして兵士亡命が示す北朝鮮経済の危うさ
12/4(月) 16:50配信
AbemaTIMES


(本文省略) <<
この見立ては、いまの大方の見立てといったところでしょうが、私はむしろ、「共和国の動員力は相当に健在」であることの一つの証拠であると見ています。

共和国が、朝鮮労働党委員長を頂点とするピラミッド型ヒエラルキー構造の社会主義国である事実から出発すべきです。

同様の構造であった中国の人民公社の歴史的事実を思い起こしましょう。人民公社の労働者たちは、「到底割に合わないノルマ」を下達されるや否や、やる気ゼロのテキトウ労働にてノルマを遥かに下回る実績に留まりながらも「ノルマ達成」を主張したものでした。自分自身の個人的な損得に忠実な人民公社の労働者たちは、割に合わないノルマなど達成としようともしなかったのです。

それに対して共和国の漁師たちはどうか。党の号令一下に、明らかに沿岸漁業用の小型船舶で冬の日本海に乗り出しています。テレビなどで繰り返し報じられているように、日本の漁師であれば、あんな船では絶対に冬の日本海には乗り出しません。どう考えても「到底割に合わないノルマ」であるにも関わらず、馬鹿正直なまでに党政策貫徹を実行しているのが、共和国の漁師たちなのです。

「処罰を恐れているから嫌々、出漁しているに決まっているだろう」という反論もあるかもしれませんが、これは社会主義国の実態を踏まえない頭でっかちな理屈です。

またしても中国の人民公社における歴史的実例を振り返りましょう。毛沢東体制においては、死刑を含めた厳しい姿勢で生産ノルマの達成を要求されていたものですが、逆にそうであるがゆえに、ノルマを遥かに下回る実績に留まった現場労働者や現場監督者は、そのまま実態を報告すれば、自分自身の「クビ」(文字通りの意味で)に関わるので、「ノルマ達成」と上級機関に報告したものです。ピラミッド型ヒエラルキー構造の社会主義国においては報道の自由がないので、虚偽報告をしたところで事実が暴露されることはまずありません。中央が派遣してくる調査隊にしても、適切に「接待」しておけば問題にはならないものです。それゆえに、虚偽報告が横行したものであり、それどころか、ちょっと野心のある人物に至っては、「ノルマの超過達成」なる大嘘をついたものです。この虚偽報告が、中央計画当局・党中央に到達するころには、実態の数十倍の「成果」になっていたものです。

「処罰を恐れているから」こそ、ピラミッド型ヒエラルキー構造の社会主義国においては、「嫌々ノルマを達成する」のではなく、「みんなで結託して虚偽報告で取り繕う」のです。

その点、「金正恩委員長の指示で漁獲量を増やすことが急務になっている」とはいっても、「普通の社会主義国」であれば、朝鮮労働党が如何に「冬季漁獲戦闘」を政策として打ち出したところで、漁師たちは沿岸をチャプチャプとクルージングして、適当な頃合いを見計らって帰港することでしょう。

中国の漁船に漁業権を付与することで(中略)北朝鮮の漁師たちは自国の近海から締め出され」ているとは言えども、中国海軍が常に監視しているわけではないのだから、中国船の目を盗んで申し訳程度に「密漁」を行ってお茶を濁そうとすることでしょう(漁業は自然環境の影響が大きいのだから、農業労働者たちが言い訳を捻り出すよりも、遥かに言い逃れるのは容易でしょう)。

以上のように、サボろうとすれば割と容易にサボれるところであるにも関わらず、共和国の漁師たちは馬鹿正直なまでに、荒れる冬の日本海に出漁しています。どう考えても割に合わず、適当に取り繕うとすれば容易である事態であるにも関わらず、馬鹿正直に党政策貫徹が実行されている現状。「普通の社会主義国」の例に従えば到底考えられない事態です。この点においてこそ私は、このことが、「共和国の動員力は相当に健在」であることの一つの証拠であるとみているのです。

キムジョンイル総書記は、『思想活動を優先させるのは社会主義偉業遂行の必須の要求である』にて次のように指摘されています。
http://kcyosaku.web.fc2.com/kj1995061900.html
>> 社会主義思想教育を正しく行ってこそ、人民大衆を思想的に目覚めさせ、組織的にかたく結束することができ、人民大衆に社会主義の主体、国家と社会の主人としての責任と役割を果たさせることができる。人民大衆は高い思想・意識をもち、一つにかたく団結してたたかうとき、底知れない力と知恵を発揮し、自然と社会の改造において偉大な変革をもたらすことができる。 <<
キムジョンイル総書記のお言葉が現実世界で実践されていると見なすことこそが、自然な見立てであると言うべき事態。無茶なノルマであるにも関わらず、誤魔化そうとすれば幾らでも誤魔化せるにも関わらず、愚直なまでに本当にノルマを達成しようとして漁師たちが大挙して冬の荒れる日本海に繰り出してきている限りは、まだまだ盤石ですよ朝鮮労働党体制は。
posted by s19171107 at 23:38| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2017年12月03日

逆境を順境に変えた革命的信念

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171203-35111318-cnn-int
>> 北朝鮮ミサイル、大気圏突入時に崩壊か 米当局が分析
12/3(日) 11:31配信
CNN.co.jp

(CNN) 北朝鮮が11月29日に発射した大陸間弾道ミサイル(ICBM)「火星15」は、大気圏への再突入と同時に崩壊していた可能性が高いことが分かった。米当局者が2日に語った。


(中略)

専門家による飛行状況の分析が続くなか、同当局者は「大気圏再突入に問題があった」と指摘。北朝鮮はミサイルの誘導技術に加え、再突入技術でも課題を抱えているとの見方を示した。

今回のICBMは単独で製造され、今後さらに改良が加えられるとの見方が強い。2段式の1段目が従来に比べてかなり大型化されたとみられる。


(以下略) <<
ほんの数年前までは、この手のニュースは格好の嘲笑ネタだったのに、いまや嘲笑する声は皆無に近くなっています。

発射後数十秒で空中爆発していたのは、もはや過去のこと。さんざん笑われても執念で続けてきた共和国のミサイル開発が、いよいよ完成段階を迎えました。

29日に朝鮮中央テレビで放映された「火星15」発射成功ニュースにて、報道の後に、例の「社会主義前進歌」が挿入されたのは示唆的です。


キムジョンイル総書記は、次の言葉を遺されています。
自らの領袖、自らの党の偉大さに対する信念、自国民、自分自身に対する信念、これがすなわち力であり、情熱であり、革命的楽観主義の礎石であると言える。
革命的信念は逆境を順境に、禍を福に変える根本的礎石であり、革命的な戦略を生む思想的保証である。
人間は難関に屈すれば再起できないが、天が崩れても抜け出す穴はあるとの腹で立ち向かうならば、いかなる難関も乗り越えることができる。

逆境を順境に変えた革命的信念が形になったわけです。「所詮は貧乏国家、弱小国家だ」と見くびるとこうなるわけです。
posted by s19171107 at 22:32| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2017年11月30日

人民の偉大な勝利、チュチェ思想の偉大な勝利

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20171129-00000030-nnn-int
>> 日本でなく米国に向け発射〜北の国連関係者
11/29(水) 7:13配信
日テレNEWS24

 アメリカ・ニューヨークでは北朝鮮国連代表部の関係者がNNNの取材に応じ、「ミサイルは日本でなくアメリカに向け発射したものだ」と話した。


(中略)

 代表部から出てくる外交官はカメラ取材にはコメントを避けたが、ある外交官がカメラなしの我々の取材に応じ「日本でなくアメリカを狙ったものだ」「アメリカが挑発をやめない限り北朝鮮はミサイル開発を続ける」と語った。発射直後にここまで意図を明確に話したのは初めて。

(以下略) <<
当たり前。共和国が日本を射程に収めてから、もう間もなく30年になろうとしているのだから、今更、ICBM級で狙う必要などなし。

それにしても、トランプ米政権の「手詰まり感」が強い。トランプ大統領は、危機を煽りにあおった先に、劇的な「取引」を展開し、アメリカのメンツも共和国のメンツも一応立てる形で手を打つのではないかと私は考えていたのですが、何のことはない、ただの無策だったようです

そして出てきた「困ったときの『強硬論』」。後始末考えているの?
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171129-00000116-mai-int
>> <北朝鮮ミサイル>米国、圧力に手詰まり感 強硬論も再浮上
11/29(水) 20:48配信
毎日新聞

 【ワシントン高本耕太】軍事的挑発を再開した北朝鮮に対し、トランプ米政権は圧倒的な軍事力を背景にした最大限の圧力をかけ続け、方針転換を促す方針を維持する構えだ。だが、28日(日本時間29日未明)の弾道ミサイルは米本土を射程に入れる可能性があるなど、北朝鮮の技術進展に歯止めのかからない状況に対して、米国内からはいら立ちの声や強硬論も上がり始めている。


(以下略) <<
他方、もはやトランプ政権に残された道は、「アメリカは核武装した北朝鮮との共存」しかないとの指摘も。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171129-00010004-newsweek-int&p=1
>> アメリカは核武装した北朝鮮との共存を選ぶ
11/29(水) 19:57配信
ニューズウィーク日本版


(中略)

北朝鮮は今、北米にミサイルを届かせる技術を獲得し、ドナルド・トランプ米大統領は北朝鮮問題を外交の最優先課題に押し出した。トランプは対北朝鮮で強硬発言を繰り返し、一時は核攻撃を行う可能性にまで言及。米朝戦争が差し迫っているかのような警戒心と恐怖感を煽った。

だが歴史を振り返ると、米朝戦争が本当に起こるという根拠はほとんどない。筆者は韓国在住で、米朝戦争をめぐる噂話は尽きないが、在韓米軍は増強もしていない。空爆のための爆撃機も入っていない。トランプが4月に朝鮮半島に送り込んだと言った無敵艦隊もまだ到着しない。在韓米軍は、普段通りに休みを取っている。軍属も国外退避しないまま。韓国の現実と米朝戦争を彷彿とさせるトランプのレトリックの間には、著しいギャップが存在するのだ。


(中略)

なぜ攻撃しないのかと言えば、核武装した北朝鮮との共存は不可能という主張とは裏腹に、共存は可能だからだ。アメリカは長年、ロシア、中国、パキスタンという3つの信用ならざる核兵器保有国の脅威に耐えてきた。アメリカが軍事力で核兵器を放棄させようと考えたのは、1962年に当時のソ連がキューバに核ミサイルを配備した「キューバ危機」のときだけだ。結局核戦争は回避され、ミサイルは撤去されたが、核戦争一歩手前の緊張はアメリカにとっても世界にとっても耐えがたいものだった。

核の放棄より容認の歴史

それ以降アメリカは、核開発を放棄させるのに軍事力を行使しようとしたことはない。中国が1960〜70年代に核ミサイルを開発した時、中国は文化大革命で混乱の最中にあったにも関わらず、アメリカは干渉しなかった。パキスタンが1990年代に核武装した時もそうだ。当時も今も、パキスタンはイスラム原理主義勢力の拠点としてアメリカに深刻な脅威を与えているにも関わらず、見逃した。

スターリン主義や毛沢東主義、イスラム原理主義など、イデオロギー的にも対立するこれらの国々が核兵器を獲得する過程では、「狂信者」が核を持つことに対する危機感が国内で強まった。

だが軍事介入という選択肢はそれ以上にあり得なかった。もし中国を空爆すれば、東アジア全体が焦土と化しただろう。パキスタンの核兵器を奪うために米軍の特殊部隊を投入するのは、自殺行為に近かった。「イスラム過激派」を標的にした攻撃は、パキスタン周辺地域のイスラム教徒の反乱を招いたかもしれない。そう考えると、新たな核保有国と共存するリスクより、軍事力行使に伴うリスクの方が高いと、米政府関係者は理解した。以降、米政府はその教訓をを外交に反映してきた。

北朝鮮でも同じことになるのはほぼ間違いない。今回も「狂信者」が核兵器を保有し、核戦争が勃発する悪夢のシナリオが巷には溢れている。だが北朝鮮が他国を攻撃するために核兵器を使用する兆候はほとんど見られない。もしアメリカを核攻撃すれば、あっという間に北朝鮮が崩壊するのは目に見えている。

北朝鮮のエリートは自殺ではなく、生き残りを望んでいるようだ。実際、イラクのサダム・フセイン元大統領やリビアの元最高指導者ムアンマル・アル・カダフィ大佐が核兵器を保有していれば、アメリカに打倒されることなく今日まで生き延びていたはずだと、北朝鮮は主張している。

■やれば全面戦争になる

北朝鮮を攻撃するという選択肢もアメリカにはあるが、実行すれば米中戦争や極東アジアででの核兵器使用に発展する恐れが高まる。北朝鮮は1968年以降、少なくとも6回、重大な挑発行為を仕掛けてきたが、アメリカは決して反撃しなかった。理由は当時も今も同じだ。北朝鮮が報復に出れば、通常兵器だけで韓国の首都ソウルを壊滅できる。中国とは相互防衛条約を締結している。アメリカが北朝鮮を空爆すれば、国民を人間の盾に使って妨害するだろう。

北朝鮮は数十年前から戦時に備えたトンネルを採掘しているため、米軍の空爆は大規模にならざるを得ず、実質的な全面戦争に発展するだろう。北朝鮮を相手に限定攻撃で済ませる選択肢は存在しない。すでに北朝鮮は核兵器を保有しているため、アメリカの軍事行動に核兵器で反撃してくる恐れもある。

一言で言えば、北朝鮮に対する攻撃はリスクがあまりに高過ぎる。北朝鮮の核・ミサイル技術が劇的に進歩した今、そのリスクはさらに跳ね上がった。たとえ政治指導者が表向きには認めなくても、ソ連、中国、パキスタンへの対応と同様、アメリカは核武装した北朝鮮と共存する方法を学ぶはずだ。
<<
このことは、ひとえに、アメリカの自業自得です。朝鮮戦争休戦協定にある「外国軍撤退」の定めを守らず朝鮮半島に居座り続け、圧倒的な国力差が明々白々であるにも関わらず、長年にわたって敢えて共和国の軒先で軍事力を恫喝的に誇示してきたアメリカ。核武装を完了させていない国家に対して武力で政権転覆を繰り返してきたアメリカ。底抜けのバカでない限り、共和国が身の危険を感じるのは当然であり、国防を最優先課題とするのは全く合理的な選択肢です。

困ったときに癇癪を起すが如く武力行使に走るのがアメリカの「伝統」である点、まだまだ予断を許さない状況。しかし、チュチェ106(2017)年11月29日は、アメリカが身から出た錆でいよいよ手詰まりに陥った歴史的日付であり、そしてまた、数十年にわたる苦境を乗り越えた共和国の意思と信念、人民の偉大な勝利、チュチェ思想の偉大な勝利の歴史的日付と言えるでしょう

동무여 축배를 들자 승리의 축배를 들자
우리는 한마음 한뜻으로 붉은기 지켰다
축배 승리의 축배 축배 기쁨의 축배
위대한 인민 위해 축배를 들자!

동무여 축배를 들자 영광의 축배를 들자
우리는 한마음 한뜻으로 조국을 지켰다
축배 승리의 축배 축배 기쁨의 축배
불패의 조국 위해 축배를 들자!

축배 승리의 축배 축배 기쁨의 축배
불패의 조국 위해 축배를 들자!

동무여 축배를 들자 맹세의 축배를 들자
우리는 영원히 당을 따라 싸워 이기리라
축배 승리의 축배 축배 기쁨의 축배
향도의 당을 위해 축배를 들자!

축배 승리의 축배 축배 기쁨의 축배
향도의 당을 위해 축배를 들자!
축배!
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2017年11月27日

朝鮮民主主義人民共和国政府の研究にこそ「クレムリノロジー」を

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171127-00010003-wedge-kr
>> 「テロ支援国家」再指定に北朝鮮は“猛”反発してはいない
11/27(月) 12:20配信
Wedge

 「反発のレベルが低いね」
 米国によるテロ支援国家への再指定に北朝鮮が初めて反応した11月22日夜。私はたまたま北朝鮮情勢の研究会に参加していた。参加者の一人に速報が入り、その場で皆が朝鮮中央通信をチェックした。朝鮮半島情勢を専門とする研究者と官僚、記者の集まりだったが、そこで一様に漏れたのが前記の感想である。「予想通り」あるいは「予想以上に」激しい反応だと主張した人はいなかった。

 ところが日本の新聞、テレビには「猛反発」というような記事が目立った。詳しくは後述するが、「反発する談話」などという専門家なら即座に分かる間違いをおかした記事まで散見された。「国難」をあおる傾向に協力しようとしているのか、便乗しているのかもしれないとさえ思える。だが、北朝鮮が態度を変えた時、あるいは変えなかった時に、きちんと判断するためにも現実はきちんと評価しなければいけない。


(中略)

 トランプ米大統領による国連演説に反発して「老いぼれ」と激しい個人攻撃を加えたのは、金正恩国務委員長による「国務委員長声明」だった。国務委員長声明はこの時が初めてだが、北朝鮮の体制を考えれば、現在は国務委員長声明が最も重いということになるだろう。

 社会主義体制においては形式が非常に重要視される。これは対外発信についても変わらない。そして、公式の声明や談話ではなく、記者から質問されたので北朝鮮の立場を説明するという「記者の質問に答えた」というのはもっとも軽い形式だ。朝鮮半島を担当する記者でこれを知らない人はいないはずなのに、「談話」などという表現を記事に使う神経を私は理解できない。今回のものを「談話」と書いてしまった場合、9月の安保理制裁への反発との違いを説明するのが難しくなるという問題点も指摘できるだろう。

 なお、この「記者の質問に答えた」形式は日本の読者になじみがないので、普通は「北朝鮮外務省報道官は○○○という立場を表明した」とか「北朝鮮外務省は○○○と米国を批判した」などという書き方になることが多い。今回も、そうした書き方をしているメディアもあった。


(中略)

具体的な挑発行動は示唆せず
 中身も見てみよう。
(中略)経済建設と核開発を並行して進めるという、金正恩時代の政策である「並進路線」の正しさを強調してもいる。全体として、米国による圧力強化にもかかわらず核・ミサイル開発を続けるという強い意思を示した内容だ。ただし、具体的な挑発行動を示唆するような発言はなく、トランプ大統領に対する個人攻撃もなかった。激しい表現のように見えるかもしれないが、これは通常レベルである。

「様子見モード」と報じた韓国メディア
 北朝鮮は9月15日に北海道上空を飛び越える軌道で弾道ミサイル「火星12」を発射して以降、本稿執筆時(11月24日)まで挑発行為を行っていない。地上でのエンジン試験実施などの開発は続いているし、複数の弾道ミサイルを搭載できる大型潜水艦を新たに建造しているとも見られる。

 だから、今回の反発が穏やかだったことで対話路線への転換だなどと判断することはできない。北朝鮮がしばらくミサイルを発射していないことにしても、単純に技術的な理由である可能性を排除できない。米国が何をするかにかかわりなく、技術開発上の理由で必要があれば発射し、必要がなければ発射しないのではないかというのが多くの専門家の見立てである。

 韓国メディアはさすがに冷静だった。聯合ニュースは「北、『テロ支援国再指定』に低いレベルで反発…様子見モードが続くのか」という解説記事を配信した。聯合ニュースは、北朝鮮は再指定への動きに対して事前に「過酷な代価(を米国は払うことになる)」などと警告していたのだから反発するのは当然だと指摘。そのうえで「反発するかどうかより、反発のレベルがどの程度かが注目された。(今回の)発表形式と内容を見てみると、憂慮していたより低いレベルだという評価が支配的だ」と報じた。根拠は、私が紹介したものとほぼ同じである。

 聯合ニュースは「北韓の抑えた反応から考えると、すぐに軍事的挑発で対応するというより、しばらくは周辺情勢をながめながら様子見モードを続けるのではないかという展望が出ている」と踏み込んだ。この判断はいささか性急かとも思うけれど、冒頭に紹介した研究会では「米国との水面下の協議が続いていることを反映した可能性があるのではないか」という見方も出た。少なくとも、今回の朝鮮中央通信報道を「追加の軍事的挑発の可能性」に結びつけるのは無理がある。

 北朝鮮の意図を正確に知ることはできないだけに、少なくとも表面に出てきたものは予断を持たずに判断する姿勢を持ちたい。そうしてこそ不気味な「静けさ」であることを理解できるのだから。

澤田克己 (毎日新聞記者、前ソウル支局長)
最終更新:11/27(月) 12:20
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昨今珍しい、「クレムリノロジー」の基本的素養に基づく指摘で、私も同意するものです。

共和国に限らず、政権担当者の地位にある人々は、市井の人間にはその違いがよく分からないような「言い回し」に意味合いを持たせるものです。とりわけ、「様式」に拘る社会主義者・共産主義者にはその傾向が強い。その点に着目して「言い回し」の法則性を探究したのが、いわゆる「クレムリノロジー」であり、冷戦終結後の今日に振り返れば、かなり「いい線」を行っていたことが判明しています。

以前から述べているように、朝鮮民主主義人民共和国の政権は、「朝鮮」そして「社会主義」という点において、正統性を重視する二大要素を具有する特徴を持っています。すべてのアナウンスされたアクションは、朝鮮民族の民族的思考傾向と、科学的社会主義の思考傾向に照らせば、正統性の実践・発露であります。その点において、朝鮮民主主義人民共和国の政権が公式に発表する事物内容は、彼ら自身が現実の情勢をどのように認識しているかに関する「リトマス試験紙」なのです。その意味で、朝鮮民主主義人民共和国政府の公式発表は、ソ連や東欧の旧社会主義政権の発表以上に、彼ら自身の認識がどのようなものであるのかを知る貴重な資料です。いわゆる「クレムリノロジー」は、ソ連政権に対するケース以上に、朝鮮政権に対しては、示唆するものが多いと言えます。

その意味において、本件記事の分析は重要なものです。このご時世においても、いわゆる「クレムリノロジー」の原理原則を貫徹した結果、貴重な見解を呈したものであると評価できるでしょう。

他方、「デイリーNKジャパン」編集長のコ・ヨンギ氏の「予測」。「すでに経済制裁をおこなっているためこれ以上目に見える制裁はないが、トランプ大統領の“テロ支援国家”発言に北朝鮮は当然反発すると予想される」とのこと。以前から、コ編集長が素人染みた「分析」しかできないクレムリノロジー的素養の欠如を強く感じていたものですが、いよいよ明白になってきたものです。
ラベル:共和国
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2017年11月26日

「1件のサンプル」

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171126-00005046-bunshun-int
>> 体内から27センチの巨大寄生虫 「脱北兵士」が伝える北朝鮮の現実
11/26(日) 7:00配信
文春オンライン


(中略)

 驚くべきことに兵士の体内からは、最大27センチの寄生虫が50匹以上も摘出されたという。北朝鮮では、野菜などの肥料として人糞を用いるためと思われる。

(中略)

 北朝鮮の現実を世界に知らしめた兵士は、依然、生命維持装置で人工呼吸をしている。

朴承a
最終更新:11/26(日) 13:15
<<
(あれ? 意識戻ったんじゃなかったの・・・?)

キムイルソン同志は、チュチェ55(1966)年10月20日づけ『社会主義的医学は予防医学である――保健省の幹部との談話』にて次のように指摘されています。
http://kcyosaku.web.fc2.com/ki1966102000.html
>>  衛生宣伝活動を決定的に強化し、保健医療事業ではここに主力をそそぐべきです。

 まず、勤労者の間で野菜をきれいに洗って食べるよう宣伝活動を活発に行なうべきです。今、衛生宣伝活動がゆきとどかず、野菜をきれいに洗って食べないために回虫の駆除が完全になされていません。

 朝鮮人は本来、生のあえ物を好むため、特に衛生に注意を払う必要があります。今、家庭でキムチを漬けるとき、野菜をおおざっぱに水洗いして漬けるため、寄生虫の卵が付着したままの状態になっています。そのため、キムチを食べると回虫か生じ、栄養もみな寄生虫に吸いとられてしまいます。

 勤労者の間で衛生宣伝を活発に行い、野菜をきれいに洗って食べるようにし、消毒剤で野菜や果実を消毒する方法を教えなければなりません。保健医療従事者が取り組めば、寄生虫の駆除くらいは十分にできることです。大衆的運動で寄生虫を駆除しなければなりません。
<<
上掲労作からも分かるように、共和国における寄生虫の問題は、50年以上前から指摘されているところですが、今も尚、問題でありつづけていることは、化学工業の生産が正常に戻り切っていないことを示す事実でしょう。

キムジョンウン同志が、就任早々から化学工業・肥料工業の復興を大々的に掲げている点から言っても、やはり化学工業の生産は復興途中なのでしょう。

私自身は、統計値や推計値を基に社会経済の情勢を考察することよりも、人々の生活の一場面から透けて見えてくるものを基に考察することを好む方なので、「体内から27センチの巨大寄生虫が発見された脱北兵士」のニュースを大変興味深く読んだところですが、冷静に考えたとき、本件はあくまでも「1件のサンプル」に過ぎない点、これだけで全てを語ることはできないとも考えています。

巷に氾濫する「北朝鮮情勢報告」の大多数は、エピソード的な代物です。それゆえに、「それだけじゃ全体像を論じるにはサンプル不足過ぎるだろう」というケースが多々あります。それどころか、少数のサンプルを取って付けたように組み合わせて、悪意的な結論を導出しようとする確信犯も少なくないものです。

しかし、今回の「1件のサンプル」は、様々な断片的な情報を総合するに、「全体像を正しく体現しているサンプル」であると言うべきでしょう

※余談ですが、前掲『社会主義的医学は予防医学である――保健省の幹部との談話』において首領様は、何度か「モデルケースをつくって方式講習を行なう」というプランを提唱されています。以前から指摘しているように、社会主義国は一般的に「急進的な設計主義的方法論による制度建設」の路線を歩みがちなところ、共和国は、意外なことに、「実験的・試行錯誤的方法論による制度進化」がよく見られる御国柄です。首領様の提唱と共和国の政策的伝統は、11月7日づけの記事で提唱した、21世紀の社会主義運動にとって必須の立場となるであろう「漸進主義」の一つの方法論であると私は考えています。その点において私は、共和国を特に注目しているところです。
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2017年11月24日

主体が確立していない、これに尽きる

http://news.livedoor.com/article/detail/13930397/
>> 前文部科学事務次官いわく、ネトウヨは「教育の失敗」
2017年11月23日 11時0分
文春オンライン

 文部官僚は地味と寡黙で知られる。政治家にほとんど転ぜず、著作も少ない。それゆえ、まずは物珍しく読んだ。先日発売された、前川喜平と寺脇研の対談本『これからの日本、これからの教育』(ちくま新書)である。

 対談者のふたりについて詳しい説明はいるまい。前川は加計学園問題で一躍有名になった前文部科学事務次官、寺脇は「ゆとり教育」の推進で知られる元文部官僚だ。

ネトウヨは「学び直す機会が必要」

 能弁な寺脇にくらべて前川は控えめながら、ときおり驚くような発言をする。

「『ネトウヨ』といわれる人たちは、きっと自己肯定感の低い人たちなんだろうと思います。『個の確立』ができていないのでしょうね。ある意味、教育の失敗だと思います。学び直す機会が必要なんじゃないでしょうか」

 教育行政の事務方の前トップから直々に「教育の失敗」と認定され、「学び直せ」といわれるネトウヨもなかなかに哀れである。「ひとりひとりの学ぶ権利の保障」を丁寧に説く前川だけに、その放言はいっそう際立つ。よほどネット上の批判が腹に据えかねたのだろうか。

 このほか、官房副長官(当時)の萩生田光一が事務次官会議で『シン・ゴジラ』を「ぜひ観るように」と話していた、文科省時代の前川のノートパソコンの待ち受け画像がチェ・ゲバラの肖像写真だった、などのエピソードも興味深い。


(以下略) <<
元文部科学次官が「教育の失敗」だの「学び直す機会が必要」とは・・・そんな「欠陥製品」を作ってきたのは、まさしく、文部科学省の統制下にある日本の教育ではなかったのかとw


元文科次官が言える言葉ではないものの、発言者の属性を捨象して純粋なロゴスの問題として考えたとき、「『ネトウヨ』といわれる人たちは、きっと自己肯定感の低い人たちなんだろうと思います。『個の確立』ができていないのでしょうね。」という指摘はまったく正しいものと言わざるを得ません。10月9日づけ「多様性を軽視し、異文化を理解せず、不寛容な悪意的記事を書き立てる毎日新聞」において、私はネトウヨを含むバカウヨについて、以下のように述べました。
>> 他方、日本のバカウヨたちの言行は、自分とはまったく何の関係のない先人たちの努力の成果を何故か自分が達成したことであるかように誇る意味不明な自慢話です。共通点なんて唯一「お互いに日本人であること」だけ。自分たちのチームが挙げた努力の成果を誇っている中国に対して、バカウヨは、努力した先人たちのチームに勝手に入り込んで、自分自身は何もしていないのに他人の努力の成果を自慢し回っているに過ぎないのです。「その話は確かにすごいとは思うけど、なんでお前が鼻を高くしているの?」と言わざるを得ないのがバカウヨの言行です(こっちは建前でさえ自分の成果ではない。バカウヨはまったくをもって自分自身とは無関係のことを自慢している)。(以下略) <<
また同時に、左翼連中も、「個の確立」ができていないという点においては、ネトウヨと同列です。左翼の安易で無邪気なヨーロッパ崇拝は、主体が確立されていない証左です。

その点、朝鮮民族であることをスタートラインにし、主体をしっかりと確立している朝鮮労働党の隊列と比較したとき、日本左翼の情けなさが際立つものです(日本左翼の中でも取り分け主体性において軟弱なる社会民主党が、朝鮮労働党と長年にわたって「友好関係」を築いてきたことは、なかなか理解しがたいものです)。

ネトウヨや左翼の情けない姿を見るに、結局、日本の教育において最も欠けていることは、「自分が何者であり、どこに所属しており、所属集団と自分はどのような関係性にあるのか」ということについて、正しい認識を与えられていないということになるのでしょう。主体が確立していない、これに尽きるわけです。
posted by s19171107 at 22:44| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2017年11月23日

強い敵より愚かな味方の方が脅威的――民営化論者として、デタラメな「公営廃止」に反対する

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171123-00010002-agora-soci
>> 都営バスの公営廃止を強く求める! --- 荘司 雅彦
11/23(木) 16:29配信
アゴラ

「こんなに狭い道をバスが通っているのか!」と驚いた経験をした都内在住の方が、案外多いのではないでしょうか?

都内を走っているのは(観光バス等を除けば)都営バスで、運転手さんは地方公務員です(待遇は若干異なるようですが)。

ちなみに、2016年3月20日時点で、公営バスが運行されているのは東京都と長崎県のみです。
それ以外の自治体の公営バスは全て民間委託か民営化がなされています。


(中略)

なぜ東京都が採算の合わない都営バスを直接運営しているかといえば、都の財政が豊かであるという理由しか私には思いつきません。住民の足の確保という点では、他の地方自治体の方がはるかに必要性が強いからです。

狭い道を走ってくるバスは歩行者や自転車にとっても危険です。
また、追い越しの効かないところにバス停があるので、交通渋滞の大きな原因になっています。
さらに、車高の高いバスは後続車の安全を脅かします。
信号が見えないバスの後ろにいて、バスに付いていったら信号が変わっていてヒヤリとした経験をお持ちの方も少なくないと思います。

都営バスの運行本数が減れば、短い区間を安い料金利用できる「ちょい乗り」を始めたタクシー業界にとってかなりの収益向上が見込めるはずです。
最寄りの地下鉄やJRの駅までの利用者が増えるでしょうから。

そういう意味では、官業が民業を圧迫しているとも言えます。


(以下略) <<
荘司雅彦氏――割と「頭でっかち」な記事を量産される方です。「公営廃止」といった類の荘司氏の従来からの主張には、私も基本的には賛同しているものですが、今回ばかりはちょっとデタラメが酷過ぎるものです。強い敵より愚かな味方の方が脅威的です。

都内を走っているのは(観光バス等を除けば)都営バス」という認識がまず大間違いです。山手線沿線だけが生活圏なのでしょうか? 都内では、東急や京王、小田急といった大手私鉄沿線であれば私鉄系バス、そのほかにも関東バスや国際興業バス、神奈川中央バス(かなちゅうが我が物顔で走り回る東京都町田市・・・)といった民営バスが数多く運行されています。都営バスは、23区内の私鉄系バスと競合しないエリアだけを担当しており、なおかつ、青梅支所管轄の数路線を除き東京都内の市部には一路線も擁していません

そして、「こんなに狭い道をバスが通っているのか!」と驚かされるバス路線は、ほとんどの場合、民営バス路線です。「追い越しの効かないところにバス停があるので、交通渋滞の大きな原因になっています」という指摘も、ほとんどの場合、民営バス路線での話です。こんなのは路線図を見るだけでも分かることだし、どこかテキトウに私鉄駅を降りてバスに乗ってみれば、ただちに分かることでしょう。

都内のバス路線はかなり明確に「棲み分け」されているものですが、都営バスのシマは、都心部の比較的大きな通りです。これは、もともと都営バスが都電やトロリーバスの代替として誕生したことに起因するものです。都営バスが狭い道で歩行者や自転車の間を縫うようにして走ったり、追い越しができないような片側一車線道路や一方通行道路を経路にしているケースは、絶無ではないものの、かなり少数なケースと言ってよいものです。

官業が民業を圧迫している」と言いたいのであれば、放っておいても誰かがきっと参入するであろう、都心部の大通りを経由する路線を都が独占していることを槍玉に挙げるべきでしょう。たとえばこのことを、毛沢東の『新民主主義論』における「たとえば銀行、鉄道、航空事業などのたぐいは、国家がこれを経営管理し、私有資本制度が国民の経済生活を左右できないようにする」という著述に連結させ、「都営バスの存在は社会主義的統制経済の残滓!」と騒ぎ立てるのであれば、ぶっちゃけ正気を疑う尋常ならざるアクロバットな言い分だとは思いますが、「都内を走っているのは(観光バス等を除けば)都営バス」などと大嘘を書くよりは遥かにマシだったでしょう。

はとバスへの業務委託もある以上は、「運転手さんは地方公務員」というのも正確な記述ではありません。都が出資して、民間企業であるはとバスが受注することは、決して悪いことではないでしょう。

都営バスの運行本数が減れば、短い区間を安い料金利用できる「ちょい乗り」を始めたタクシー業界にとってかなりの収益向上が見込めるはず」などというものの、多くの人々がおのおのでタクシーの「ちょい乗り」を使って最寄りの鉄道駅まで行くのと、乗合自動車としての路線バスを使って最寄りの鉄道駅まで行くのは、果たしてどちらが社会的資源の効率的活用を実現できるのでしょうか? 経済学や経済政策というものは、単に経済活動を活性化させればよいものではなく、社会的資源の効率的配分について考慮しつつ経済活動を活性化させることが使命です。「とりあえずタクシー業界が活況」だからよいという考え方はしないものです。

荘司雅彦氏は弁護士先生ですが、弁護士先生にありがちなのが、目の前の事象に囚われて社会全体を見据えた視野に欠けること。「個々人の私的な都合や権利を無視せよ」などというつもりは毛頭ないものの、自身が肩入れしているクライアントの要求を満たすことだけが法律家の任務ではなく、限定空間における個人的事情と公的空間における社会的事情とを調整することもまた、法律家の任務でありましょう。その点、荘司氏の上掲の言説は、あまりにも短絡的に視野が狭いと言うほかありません。

荘司雅彦氏は弁護士なので頭の回転は速いのでしょうが、インプットデータや立場がこうもデタラメだと、せっかくの頭の良さも台無しです。
ラベル:社会 経済 経済学
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2017年11月19日

男女平等は人権問題であると同時に経済成長のツール――福祉国家革新の先駆者としてブレないスウェーデンの現実を正しく報じる意味

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171119-00010003-huffpost-int&p=1
>> 「男女平等は決して、自動的には達成できない」スウェーデンの閣僚が語る3つの転機
11/19(日) 12:22配信
ハフポスト日本版

11月2日に発表された世界経済フォーラム(WEF)のジェンダーギャップ指数で、日本は昨年(111位)からさらに順位を落として114位にまで後退した。一方で、上位を占めたのは北欧の国々だった。(泉谷 由梨子 / ハフポスト日本版)

その中でも5位につけたスウェーデンは「フェミニスト政府」を世界で初めて自称し、男女平等政策を国の最重要政策に位置付けている。

1.労働者が足りなくなったこと
スウェーデンでは、1970年代の経済発展に伴って、女性の労働力が必要になった。

人手不足に悩んだ経済界は、男女の別や子供の有無を問わずに働く労働者を必要としていた。また、福祉国家を目指すため、国家としても税収の増加を必要としていた。

そこで進めたのが、社会保障制度や課税単位を世帯から個人単位へと変更することだった。これによって、家事労働をしていた女性たちが外で働くモチベーションを高めたという。

「男女平等は人権の問題でもありますが、同時に経済成長のツールでもあります。これは、決して女性への贈り物ではない、ドライでテクニカルなものなんです。日本では配偶者控除の廃止が2016年に大きな議論になったと聞いています。スウェーデンでは、課税システムの変更は男女がそれぞれ外で働くためのモチベーションを大いに高めました」とレグネール氏。

同時に、スウェーデンでは保育園や介護施設の整備による「福祉国家」化と、育児休業制度の充実を進めた。そして、働く女性と保育・介護職などとして働く場所の両方を増やすことに成功したという。

2015年の調査では、20〜60歳の労働力率は女性が83.7%、男性が88.7%。国民1人当たりの名目GDPも5万1125米ドルで、世界第12位(日本は22位)だった。平等政策が経済発展に寄与したと考えられているという。

ただ、女性の賃金は男性よりも12%少なく(日本は28%)賃金格差や、経営者層に女性が少ないなどの問題は依然残っている。


(以下略) <<
■福祉国家革新の先駆者としてブレないスウェーデン
男女平等は人権の問題でもありますが、同時に経済成長のツールでもあります。これは、決して女性への贈り物ではない、ドライでテクニカルなものなんです」――当ブログでも以下に挙げた記事を筆頭として以前から指摘しているように、スウェーデンにおける社会政策・福祉制度の設計は、経済成長との相互作用;「好景気と高福祉の好循環」を目指して行われてきたものです。福祉国家革新における先駆者としてスウェーデンの取り組みは、生活福祉、障害者福祉、失業者対策だけではなく、男女平等においてもまったくブレていないわけです。

■このことが報じられるようになった意味――左翼的福祉国家路線を乗り越えるキッカケになり得る
以前からスウェーデンの福祉国家論について関心を持って調査・研究してきた身からすると、目新しい情報は特にないのですが、この事実がYahooニュースで報じられるようになったことは大きな意味があるものです。

というのも、旧来型の左翼活動家が、スウェーデンをしばしば悪用している事実があるからです。とりわけ、スウェーデンにおける社会政策・福祉制度の充実っぷりを単なる「権利運動の成果」として位置づけることによって、「日本人も労働組合に入り、革新政党に投票し、国民の声と力で権利を獲得しよう!」というストーリーに利用しようとしているのです。

しかし、本件記事ならびに下記に列挙した当ブログの過去ログを読めば分かるように、スウェーデンにおける社会政策・福祉制度の充実は、決して単なる「権利運動の成果」ではありません。単なる「権利運動の成果」として位置付ける左翼活動家たちの言説はウソ・デタラメに過ぎないのです。

チュチェ102(2013)年1月15日づけ「サプライサイド・エコノミクス
チュチェ102(2013)年2月18日づけ「いやいや全然違うから共産党さんw
チュチェ102(2013)年8月18日づけ「「小泉改革」を克服した新しい改革を
チュチェ106(2017)年4月24日づけ「障害者就労施設が「ソ連の遺産」?笑――資本主義スウェーデンとの比較で完全に敗北
チュチェ106(2017)7月25日づけ「全国一律最賃制度こそ、非効率企業を淘汰し、高福祉・高効率・好景気サイクルを始動させる決定打

また、スウェーデンにおける好景気と高福祉の好循環は、スウェーデンが国是として挙げてきた「国民の家(Folkhemmet)」構想による労使協調・労使対話の産物であることも注目に値することです。Folkhemmetは、明らかにマルクス・レーニン主義的な労使間の階級対決・階級闘争路線を否定するものです。

マルクス・レーニン主義的な労使間の階級対決・階級闘争路線が、歴史的な意味でまったく無意味・無価値だったとは言いません。しかし、階級対決・階級闘争路線の失敗例が少なくない中、この方法論とは相対するFolkhemmetが今も昔も福祉国家論のモデルとして名高くあり続けていることは事実です。「とちらが、より成功の確率の高い方法論なのか」という点において、マルクス・レーニン主義的な労使間の階級対決・階級闘争路線に対してFolkhemmetを軸とする労使協調・労使対話の方が優れていると言えるのではないでしょうか。マルクス・レーニン主義的階級闘争路線を「科学」などとする左翼活動家のインチキを暴くものです。

この点を履き違えている・・・というよりも、断片的情報を都合よく継ぎ接ぎしている左翼活動家たちは、無邪気にスウェーデンを取り上げがち。そのため、少しスウェーデン事情を知っている人たちに突っ込まれて恥をかくのが定番になっています。

しかしながら、そもそもスウェーデン事情を知っている人が日本ではあまり多くないのに対して、左翼活動家たちの「声」が相対的に大きいことから、残念ながら突っ込みの手が回り切らずに悪用されたままになってしまっているケースも決して珍しくありません。私自身、悔しい展開が放置されている場面に直面したことは少なくありません。

■左翼活動家によるスウェーデンの悪用に対する「予防接種」になる
そんな中に登場した本件記事。記事冒頭から「労働者が足りなくなったこと」という小見出しをつけ、さらに「男女平等は人権の問題でもありますが、同時に経済成長のツールでもあります。これは、決して女性への贈り物ではない、ドライでテクニカルなものなんです」というレグネール男女平等担当相のインタビュー・コメントを掲載した本件『ハフポスト日本版』記事は、左翼活動家によるスウェーデンの悪用に対する「予防接種」になることでしょう。

スウェーデンの社会政策・福祉政策に関する日本語資料が全体的に乏しい現状において、数少ない日本語資料の一つとしての本記事が、左翼活動家たちの言説とは明白に異なる事実を報じていることは、貴重なことです。この記事を読むことによってスウェーデンに関する知識を蓄えた人は、左翼活動家たちに騙されなくなるでしょう

■左翼的福祉国家モデルを乗り越えよう
以前から述べているように、高い水準の福祉と活気のある効率的な自由経済との好循環を達成し、福祉サービス受給者にとっての選択の自由を確保する新しい時代の福祉国家像を目指すにあたっては、旧来型の左翼活動家たちが長年提示してきた福祉国家モデルは乗り越えなければならないものです。

そうした「福祉国家論の革新」においては、この道の先駆者としてのスウェーデンの前例は大いに役立つものであり、旧来型の左翼活動家たちによる「スウェーデンの悪用」は何としてでも除去しなければならないものです。その点、本件『ハフポスト日本版』記事は、前述のとおり「福祉国家論の革新」において重要な役割を果たすものだと言えます。
ラベル:福祉国家論
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2017年11月17日

20世紀的社会主義の崩壊から一歩も進歩していない「デジタル・レーニン主義」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171116-00010002-socra-int
>> 中国 デジタルで蘇るレーニン主義
11/16(木) 15:00配信
ニュースソクラ

10月革命100周年 新たな体制競争の始まりか
 初の社会主義国家、ソビエト連邦を生んだロシアの「10月革命」からちょうど100周年。そのソ連は4半世紀前に世界地図から消えた。社会主義の凋落は「計画経済が市場経済との競争に負けた」から、が通説だ。

 だが、歴史の遺物のはずの「社会主義」を、先月の中国共産党大会で、習近平総書記が連呼した。ビッグデータなどデジタル技術の活用で、計画経済の“敗者復活”があるかも、という見方が出てきた。名づけて「デジタル・レーニン主義(Digital Leninism)」。


(中略)

 ソ連崩壊後、市場経済の優位が世界の常識になり、中国も、とう小平の「改革開放」以来、市場経済化を進めてきた。ところが習近平政権で風向きが変わった。

 その変化を「デジタル・レーニン主義」と名づけたのは、ドイツのメルカトル財団・中国研究所のセバスチャン・ハイルマン所長。習政権がデジタル技術を利用し、経済や社会の統治を再構築しつつある、と見る。

 この見方なら、市場経済化に逆行するような最近の動きも合点がいく。国有企業改革を唱えながら、民営化しないで国有企業同士を合併させ、巨大国有企業を次々誕生させていること。上場企業で、共産党の経営介入を容認する定款改正(もちろん政権の意向を忖度して)が相次ぐことなどだ。

 以前この欄で、アリババ集団のジャック・マー(馬雲)会長の「ビッグデータの時代に、人工知能(AI)の力を借りれば、市場の“見えざる手”に代わる計画経済が実現する」という持論を紹介した。


(中略)

 1世紀前の10月革命の申し子「ソ連」の消滅で冷戦に終止符を打って4半世紀、デジタル・レーニン主義との新たな体制競争が始まるのだろうか。

(以下略) <<
「数年以内には『ビッグデータとAIによる計画経済』を言い出す輩が出てくるだろうな」とは思っていましたが、早速でてきましたね。

■周回遅れの計画経済論が装いだけは新たに登場
何かスゴいことが書いてあるのかと思えば、なんのことはない、社会主義経済計算論争のときに計画派のO.ランゲが持ち出した新古典派一般均衡理論をAIに置き換えたようなものハイエクの計画経済批判を乗り越えていません

市場の“見えざる手”に代わる計画経済」なる言説の科学的合理性は、アリババ集団の馬会長のご高説を待つまでもなく、既に数理科学的に証明されています。経済を多元連立方程式とした上で数理計画の最適化問題として演算すれば、市場における自由競争を実際に行わなくとも計画的に経済の一般均衡解を得られることは、既に1950年代には証明されています

一般的に、ランゲの理論が登場したことを以って社会主義経済計算論争は、計画派の勝利とされています。また、ハンガリー人民共和国ではこの理論を根拠にした計画経済が施行されました。しかしながら、数理科学的には正しいことが証明されたはずの計画経済が、「なぜか」完全なる失敗に終わっていることは動かしがたい歴史的事実です。ハンガリー人民共和国の計画経済も失敗しています。

この「奇妙な事実」を説明するにあたっては、社会主義経済計算論争におけるハイエクの指摘を踏まえる必要があります。ハイエクは、ランゲらが展開した計画化理論について、そうした演算を行うにあたって必要とされる「入力値」を計画当局者が十分には収集できないので、計画経済は理論的には可能だとしても、現実の方法論にはなり得ないとしたのです。

何故、「入力値」を計画当局者は十分には収集できないのかといえば、それは、ひとり一人の経済主体が持つ情報はいずれも私的なものであり、彼らにはそれらを余すことなく計画当局者に提供するインセンティブがなかったり、あるいは、そもそも言語表現できないような情報も経済活動においては重要な役割を担っているからです。

このことについて私は、7月16日づけ「自衛隊幹部OBの発言から透けて見える中央集権的指令経済(社会主義計画経済)の発想」において、ハンガリーで実際に当局者として経済の計画化に従事してきたコルナイ(Kornai János)の回顧録を引用しました。再引用します。
>>  この問題を今の頭で考え直してみると、既述したハイエク・タイプの議論に辿り着く。すべての知識すべての情報を、単一のセンター(中央)、あるいはセンターとそれを支えるサブ・センターに集めることは不可能だ。知識は必然的に分権化される。情報を所有するものが自らのために利用することで、情報の効率的な完全利用が実現する。したがって、分権化された情報には、営業の自由と私的所有が付随していなければならない。もちろん、最後の断片まで情報を分権化する必要はないとしても、可能な限り分権化されているのが望ましい。
 ここで我々は、「社会主義中央集権化の標準的な機能のひとつとして、数理計画化が有効に組み込まれないのはどうしてだろうか」という問題を越えて、「所与の社会主義政治・社会・経済環境の中で、中央計画化が効率的に近代的に機能しないのはどうしてだろうか」という一般的な問題に辿り着く。
 計画化に携わる諸機関の内側で、長期間のインサイダーとして仕事に従事してみて、
(中略)社会主義の信奉者が唱えるような期待は、どのような現代的な技術を使っても、社会主義の計画化では実現できないという確信がより深まったのである。 <<
コルナイ・ヤーノシュ『コルナイ・ヤーノシュ自伝 思索する力を得て』(2006)日本評論社、P158から

果たしてAIと言えども、生身の人間が持っている私的な情報を収集できるのでしょうか? 生産にかかわる暗黙知、誰にも知られていない儲けのタネ、消費にかかわる嗜好や必要性・・・これらに関する情報は膨大であり、一つ一つを洗い出して挙げ切れるものではありません(我々の貨幣経済においては、それらの情報のすべてを「価格」に凝縮することによって、効率的に流通を裁いています)。ましてそれらを、いくらAIと言えども、生身の人間から余すことなく聞き出すことなどできるのでしょうか? 後述するように、経済現象にはしばしばカオスが発生する以上は、「だいたい」などではなく「余すことなく」聞き出すことが不可欠です。あまりにも楽観的な展望です。

昨今のAI信仰には、「人工知能の技術が発展すれば」という「近未来小説」に成り下がっていることが往々にしてあります。全知全能に近いAIが実現すれば、何だって簡単にできるでしょうが、そんなものが「技術の進歩」によって本当に出来得るのかということを問わねばならないでしょう。この手のAI信仰は、「ドラえもんが居れば・・・」レベルの話であると言わざるを得ないものが少なくないものです。

■「昨日と今日が連続している」ことがビッグデータ活用の大前提
ビッグデータ、つまり統計的推論の限界については、チュチェ105(2016)年7月16日づけ「「ビッグデータによる参議院選議席予想」からみる社会予測の原理的困難性」においても言及しています。すなわち、ビッグデータの予測手法は、過去の人間思考・世界構造が今日も続いているという大前提のもと、過去のデータを基に将来を予測するものに過ぎません。しかし、上掲過去ログでも述べているように、人心すなわち社会の構成主体である人々の意思決定は、突発的かつ激しく変動するシロモノです。そうである以上は、長期的な予測には原理的に困難性が伴い、せいぜい、短期的な予測の繰り返しにしかならないことでしょう。

ビッグデータの解析は、短期的な意思決定の円滑化を補助するツールにはなり得るかも知れませんが、もともと計画経済という語句には「経済の長期的組織化・計画化」という意味が込められているものです。とてもではありませんが「ビッグデータによる計画経済」など執行できないことでしょう。

■AIと言えども、カオス系の初期値鋭敏性を乗り越えることは出来ないだろう
また、経済現象においてはカオスがしばしば発生するものですが、カオス系においては原理的に長期予測が不可能です。というのも、シミュレーションを行うにあたって必要な入力値に、小数点以下無限桁レベルの僅かな違い(誤差)があるだけで、長期展望に大きな差異が生じてしまうからです。これは、「初期値鋭敏性」というカオス系を特徴づける重要な要素ですが、このために、カオス系における長期予測は事実上、不可能になるのです。

AIを持ち出そうとも、ビッグデータを持ち出そうとも、何をしてもこのことは変わりありません。AIと言えども、小数点以下無限桁レベルの「精度」までフォローし切れるものではなく、初期値鋭敏性を乗り越えることはできないでしょう。このことは、科学の進歩で乗り越えられるような「程度の問題」ではなく「原理の問題」です。原理レベルで予測は不可能なのです。

■「デジタル・レーニン主義」の正体
結局、「デジタル・レーニン主義」なる理屈は、『フォイエルバッハ論』でマルクスが開陳しているような素朴な唯物論、科学の進歩への無邪気な幻想を未だに墨守している人々の楽観的空想の域を脱していないと言うべきでしょう。20世紀の科学は、唯物論的科学を突き詰めた結果として、科学的予測の原理的限界を解明し、近代以来の進歩主義的哲学・世界観に大変革をもたらしました。

哲学・世界観が19世紀レベルに留まる人たちが、21世紀の最新ツールをツマミ食い的に導入した結果、発生したのが、「デジタル・レーニン主義」という他ないでしょう。19世紀レベルの素朴な科学信仰・進歩幻想から進歩できなかったがゆえに失敗に終わったのが20世紀的社会主義の末路でしたが、20世紀的社会主義の崩壊から何も学んでいない、一歩も進歩していないのが「デジタル・レーニン主義」です。「デジタル・レーニン主義との新たな体制競争が始まる」はずがありません。

もっとも、「デジタル・レーニン主義」など、社会主義・共産主義の面影がおぼろげになって久しい中国「共産」党政権が一党独裁を維持し続けるための方便に過ぎないのかもしれません。そうだとすれば、これほどまでにデタラメな理屈であっても何の不思議もありません。

■まとめ
@いくらAIと言えども、生身の人間から余すことなく「聞き出す」ことなどできるのか?
Aビッグデータは、過去の構造が今日も続いていることが前提だが、人心はもっと移ろいやすいものではないのか?
短期計画ならまだしも、長期計画を見据えた計画経済はビッグデータを以てしても不可能ではないのか?
Bそもそも経済現象においては、しばしばカオスが発生するが、AIを持ち出そうとも、ビッグデータを持ち出そうとも、カオス系は原理的に長期予測が不可能である。
ラベル:経済 経済学
posted by s19171107 at 23:58| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2017年11月10日

「他人を叱る」ということは本質的に重大な責任を背負ってのこと

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171109-00000059-asahi-soci
>> 女児、大声で叱られPTSDに 祭り主催の市に賠償命令
11/9(木) 18:38配信
朝日新聞デジタル

 秋祭りでボランティアスタッフの高齢男性に大声で叱られ、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症したとして、当時5歳の女児が、主催者の埼玉県深谷市に約190万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が9日、東京地裁であった。鈴木正紀裁判官は症状との因果関係を認め、約20万円の支払いを同市に命じた。

 判決などによると、女児は両親らと2014年11月に同市内であった秋祭りを訪れた。その際、輪投げ会場の受付の机の上にあった景品の駄菓子を手に取ったことを、80代のボランティア男性に大声で叱られた。女児は駆けつけた父親の前で泣き出し、父親と男性が口論するのを見て、4カ月後にPTSDと診断された。


(以下略) <<
相手がどんなに小さい子どもであっても、教育的な意味で「他人を叱る」ということは本質的に重大な責任を背負ってのこと。この女児がそうだと言うわけではないのですが、一般論として、世の中には、信じられないくらいヤワな豆腐メンタルの人間が事実として存在するので、教育的な見地に立って叱るにあたっては慎重に慎重を重ねる必要があるものです。

「そんなこと言ったら叱れないじゃないか!」? そう、他人を叱るって本当に本当に難しいことなんですよ。そこら辺の一般人が素人考えで気軽にできることではないのです。

今回の件について述べれば、実際に地裁判決とは言え、因果関係が認められたわけです。高裁や最高裁でひっくり返る可能性も残っていますが、地裁で一度認められた以上は、「まったくのデタラメ」というわけではないのです。

精神的な問題と言うものは、ひたすらに「受け手次第」のものです。たしかに、ボランティアの高齢男性が怒鳴ったのがキッカケでPTSDになるというのは、私にとっても予想を超える事態です。しかし、事実として女児はPTSDになっているのであれば、高齢男性の責任問題が発生するのは当然のことです。前述のとおり、相手がどんなに小さい子どもであっても、教育的な意味で「他人を叱る」ということは本質的に重大な責任を背負ってのことであり、本当に本当に難しいことなんです。

「もしかすると、相手が豆腐メンタルであり、それゆえに自らの叱責によって相手が精神病を発症するかもしれない」という可能性を受容できる覚悟のある人物のみが、他人を叱責できるのです。ひたすらに「相手次第」であるということが分からない人には他人を叱る資格はありません。
ラベル:社会
posted by s19171107 at 00:17| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2017年11月08日

空想から科学へ、科学から信仰へ――社会主義の発展

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171108-00196567-toyo-bus_all
>> ロシア革命100年、なぜこうも忘れられたのか
11/8(水) 9:00配信
東洋経済オンライン

 1917年10月25日(新暦では11月7日)、ロシアの首都で労働者や兵士による武装蜂起が起きた。ロシア革命(十月革命)である。それからちょうど100年の節目を迎えたわけだが、ほとんど語られることはなく、すっかり忘れ去られた感がある。

 いつの時代にも、歴史を規定するのは現在である。客観的歴史などというものなどない。事件を巡る解釈の変化は、いくらでも行われる。しかし、ロシア革命の場合は、たんに解釈が変わったというレベルではない。「無意味な革命」として歴史から抹殺されようとしているのである。

 なぜ、ロシア革命が歴史から抹殺されようとしているのか。そのことについて考える前に、1789年のフランス革命の解釈の変化について述べていく。実は、「フランス革命の解釈の変化」と「ロシア革命の歴史からの抹殺」は密接に関係しているからだ。


(中略)

■社会主義・共産主義運動は「反革命」になった
 フランス革命が自由を求めるものであれば、その後に続く平等を求める声、社会主義・共産主義運動の声は、すべてが反革命のように見えてくる。そのことを示すべく、ロベスピエールによる恐怖政治が持ち出される。自由を求める声は一人の独裁者によって封殺されたのである、と。だからフランス革命は、ロベスピエールが出現して、反革命になったのだと喧伝される。

 ロベスピエールが、行き過ぎた自由を抑制するために国家統制を行ったことは、すべて反自由、反革命といったマイナス・イメージで捉えられた。そうなるとパリ・コミューンやロシア革命も、ロベスピエールと同じ流れに位置づけられるようになる。資本主義の行き過ぎた自由、それが引き起こす不平等に対して国家が統制すること、それが社会主義であるとすれば、社会主義はロベスピエールの恐怖国家のように、自由に対する不自由、自由主義に対する全体主義を意味することになる。人類の進歩が自由にあるのであれば、全体主義はそれに対する退歩である。

となると、社会主義・共産主義運動の歴史は退歩の歴史になる。1989年にパリで開かれた地味な学術会議の中で、ロシア革命にいたる19世紀の社会主義、共産主義の歴史は、静かに葬りさられていたのである。


(中略)

 ロシア革命は、歴史の徒花になった。あの革命がなかったならば、ロシア、東欧は今以上に発展し、自由を満喫できたはず、というのが今の主流の解釈だ。こうして、ロシア革命に言及することは歴史のネジを逆に回すことのように見られるようになり、語られることも少なくなっていった。マルクスやレーニンの名前に変わって、新しい英雄の名前トクヴィルやアーレント、そしてフランス革命新解釈の仕掛け人元共産党員フランソワ・フュレが、記念碑に刻まれるようになった。

■もとの解釈が復活する可能性だってある
 1960年代にロシア革命をフランス革命と並ぶ歴史的革命だと教科書で学んだ旧い世代、そして自由の結果である貧困に苦しむ人々は、今のところこの劇的な解釈の変化にため息をつくしかない。もちろん歴史は後世、いや後世に支配権を握ったものが決める。だから、もう一度もとの解釈が復活する可能性はある。

 実はフランス革命がナポレオンの敗北によって終焉を迎えたころ、フランス革命の解釈は大きく変化した。王政復古の勢いを借りて、フランス革命は不幸な暴徒による革命となり、とりわけロベスピエールがその不幸の象徴となったのである。しかし、1830年7月革命によって、また形勢は逆転する。その後に続く革命の結果、フランス革命=ブルジョワ革命説が定着するのである。

 後世恐るべし。古い世代は、捲土重来を期待しながら「我が後に大洪水きたらん」と、考えるのかもしれない。

的場 昭弘 :神奈川大学国際センター所長、教授
<<
■ひたすら言い逃れることが可能な非科学的理屈
もう一度もとの解釈が復活する可能性はある」――そりゃまあ、誰も未来のことを確定的に語ることはできない上に、具体的な期日や期間の指定もなく、ただ漠然と「可能性」を述べるだけであれば、なんだって「あり得る」でしょう。理論的予測・考察を否定する事実がどれだけ発生しようとも、漠然とした「未来」について語るのであれば、「これは一時的・例外的事象に過ぎず、いつかは理論を裏打ちする事象が発生する」などと、ひたすら言い逃れることが可能になります

また、的場氏の理屈の場合、いったいどういうキッカケがあればロシア革命への見解が再転回し得るのか、その展望がまったく見えてこないものです。

キムジョンイル総書記が古典的名著「社会主義は科学である」で述べた理論、すなわち、
 @人間には、世界と自己の運命の主人として、なにものにも従属・束縛されることなく生き発展しようとする自主的志向(自主性)と、客観的世界を改造し得る創造的能力(創造性)、客観的世界を認識・理解し、自分自身の行動を目的意識的に統御し得る意識性を持つこと
 A人民大衆の自主性は社会主義・共産主義によってのみ実現すること
 B社会主義は人民の志向であり意志であるがゆえに、必ず勝利する
という三段論法的理論のように、何らかの根拠に基づいた展望を提示して目下の客観的事実を「あくまで一時的・例外的現象」と位置付けるというのであれば、これは「科学的な展望」ということもできるでしょう。もちろん、キムジョンイル総書記の展望は、説得力がある内容とはいえ、人類史の方向性をかなり大雑把に示しているだけで具体的な期日や期間の指定に欠けている点、残念ながら厳密さに欠けると言わざるを得ないところです。しかし、的場氏の理屈の場合、大雑把な方向性の提示すらなく本当にただ漠然と「可能性」に縋っているに留まります。こんなもの、およそ科学的とは言えません

■空想から科学へ、科学から信仰へ
人々が社会主義の未来について根拠のある展望を語っていた時代は過去のものであり、いまや具体的な期日や期間の指定もなく、ただ漠然と未来の「可能性」に縋る水準にまで落ち込んでいる・・・社会主義は19世紀から20世紀にかけて空想から科学へ変化し、20世紀から21世紀にかけて科学から信仰に変化したようです。

■「科学から信仰へ」は決して悪いことばかりではない
もっとも、これは私は決して悪いことばかりではないと思います。先に述べたように、誰も未来のことを確定的に語ることはできない以上は、およそあらゆる未来予測は、程度の差こそあれ、「信仰的」なものです。我が研究の恩師も、「科学ってのは、宗教みたいなところがある。まだ証明されていなくても、その仮説が正しいと『信じている』からこそ、実証的に研究をするもんだ。」と教えてくださったものです。

もともと、未来に理想社会を見出す思想には、人間の「信仰心」をくすぐるというか、信仰的発想に似た要素があるものです。共産主義思想の「未来に理想社会を見出す」という特徴的要素と、キリスト教の「千年王国論」との類似性を指摘したのは、まさしく的場氏の著作『ネオ共産主義論』でした。その点、社会主義に信仰的な要素が加わることは、私は悪いことではないと思っています。その最先端を進んでいるのが朝鮮革命です。

キムジョンイル総書記は次のように指摘されています。
人間は難関に屈すれば再起できないが、天が崩れても抜け出す穴はあるとの腹で立ち向かうならば、いかなる難関も乗り越えることができる
決心さえすればなにごともなせる、という信念は天から降ってくるのではなく、自らの力と知恵と才能を信じることから生じる
信念と意志の強い人間は、つねに未来を愛するものである

キムジョンイル総書記が上掲のようなお言葉を述べられていることと関連して、共和国では、1990年代の「苦難の行軍」の時期以来、「信心」という単語がキーワードとして頻出します。共和国は「音楽政治の大国」ですが、たとえば、「신심드높이 가리라」(信心高くゆかん)という曲を筆頭として、「승리의 길」(勝利の道)の「我らは己を信じるが如く、勝利を固く信じ生きる」という歌詞など、盛んに「信心」に訴える政治思想宣伝が展開されたものでした。

また、「苦難の行軍」を乗り越えて久しい今年に新たに発表された「사회주의 전진가」(社会主義前進歌)においても、楽観的な曲にのせて「信心」という単語が歌詞にあらわれます。「信心」という単語は、朝鮮革命の重要キーワードとして定着していると言ってよい思われます。

■信仰的社会主義だからこその「生命力」
展望なんてまるでなくとも、ある意味「信仰的」な境地で、あくまでも社会主義の理想を追い続ける――前述のとおり、社会主義は19世紀から20世紀にかけて空想から科学へ変化し、20世紀から21世紀にかけて科学から信仰に変化しました。そして、そうであるがために、「科学」を騙る無味乾燥で詰まらない「生産力主義」から脱し、未来社会論として人心を掴み・扇動する理想論に回帰し得るキッカケを掴んだとも言えるかもしれません。

社会主義が信仰的である限りは、社会主義の立場をとらない人たちを説得することなど不可能だし、具体的な展望を描けないようでは、近いうちに社会主義を実現させる条件は存在しないと言わざるを得ないでしょう。しかし、社会主義が信仰的であればこそ、日陰で細々としているかもしれないが、命脈は保ち続けることでしょう。科学は論破できても、信仰は論破できないものであり、人間は、「思い」や「志」を現実のモノとするために創意工夫の努力を重ねるものです。その努力の過程で、何かしらの好機を見出した時、社会主義は「水を得た魚」の如く復活する「かも」知れません。「科学ではなくなった」からこそ、社会主義は逆に「生命力」を得てしぶとくなったのです。

チュチェ思想によれば、前述したとおり、人間には客観的世界を改造し得る創造的能力(創造性)と客観的世界を認識・理解し、自分自身の行動を目的意識的に統御し得る意識性を持つとされています。チュチェ思想の社会歴史観を応用すれば、これら創造性と意識性が、平たく言えば「科学技術力」が、信仰的社会主義によって基礎づけられている自主性と合わさることによって、人々の自主的要求が実現され得るような世の中、つまり社会主義社会が出来上がってゆくと言えるでしょう。

社会主義が信仰的になったからこそ、信奉者たちは、ちょっとやそっとのことでは社会主義の理想を捨てなくなってゆくことでしょう。その「信仰的頑なさ」が「科学技術力の発展」と融合するとき、社会主義が実現することでしょう。
posted by s19171107 at 23:31| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2017年11月07日

ロシア10月大革命100年から次の100年へ――社会主義建設の歴史的教訓【加筆済】

【11月29日に、論旨が変わらない範囲で内容を掘り下げ、補足する形で加筆し、加筆箇所を明示しました】
ロシア10月大革命から100年。あの革命を支持するか否かは別として、世界史の画期的出来事だった割には、盛り上がりに欠けるものです。Yahooニュースを見ても大して記事は上がっていません。

そんななか、国際政治学者の六辻彰二氏が次のような記事を公開しています。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171107-00000001-wordleaf-eurp&p=4
>> 「ロシア革命」から100年 世界に今も問いかけるものは?
11/7(火) 6:00配信
THE PAGE


(中略)

■レーニン時代:緩やかな混合体制
 権力を握ったボリシェビキ政府は、人々の不満の種だった第一次世界大戦から離脱。その後、モスクワが新たな首都とされ、社会民主労働党が「共産党」に改称されるなど、新たな体制が形になっていった一方、共産主義の波及を恐れた米国や日本など各国が反革命派を支援したこともあり、内戦は1920年初頭まで続きました。この間、干ばつも手伝って経済は壊滅寸前でした。

 これに対して、ボリシェビキ政府は「戦時共産主義」と呼ばれる方策のもと、工場の国有化など経済の中央集権化を推進。特に重視されたのは食糧供給の安定化で、そのためにコルホーズ(集団農場)とソフホーズ(国営農場)が設立され、農業の組織化・近代化が図られました。

 ただし、地主の土地が没収され、富裕な農民が備蓄食糧の供出を強いられた一方で、「自分で土地を耕す者」の土地所有や、自宅で消費する以外の「残余」を市場に出すことは認められました。部分的とはいえ市場経済を採用することは共産主義からの「逸脱」でしたが、共産主義者への貧農の根深い不信感を前にした「妥協」でもありました。

 革命の指導者レーニンは理論家で、「純粋な共産主義」を目指す傾向がありました。レーニンはマルクスが予見したように各国で革命が発生し、「国境を越えた労働者の連帯」によって国家という枠組みが順次「死滅」することを期待していたといわれます。

 その一方で、レーニンは理想とソ連経済の実態や農民の生活との妥協を図るほどには現実的だったといえます。その結果、工業の中央集権化と農業における部分的な自由化は、1921年からの新経済政策(NEP=ネップ)でも基本的に引き継がれました。

 また、共産党への権力集中や反革命的な人物の検挙も進められましたが、機関紙『プラウダ』で経済政策をめぐる議論が行われるなど、言論の自由が一定のレベルで守られたのも、レーニン時代の特徴でした。


(中略)

 しかし、スターリン時代に構築された、ギガント・マニア(巨大狂)と呼ばれる、需要に必ずしも適応しない重厚長大型の経済システムは、冷戦下での米国との核軍拡競争とも相まって国家財政を疲弊させ、1989年の「冷戦」終結、1991年の「ソ連」崩壊へとつながりました。つまり、国家主義的になり過ぎたことはソ連経済の破たんを加速させたといえます。

 ただし、ソ連という「実験」は失敗したものの、それは資本主義が万能であることを意味しません。社会主義、共産主義が台頭した19世紀と現代は、資本主義のもとで貧困や格差が広がる点で共通します。ブラック企業や過労死が広くみられる日本でも、「労働者の搾取が資本家の蓄財と技術発展を生む一方、労働者の窮乏化を生む」というロシア革命の問題意識そのものは、いまだに生命力を失っていないといえるでしょう。
<<
■一見して「レーニン主義者のくたばり損ないが負け惜しみを言っている」ようだが・・・
まさしく「一時的妥協」であり、「経済的テロル(戦時共産主義)に必ず戻る」とレーニン自身が書き残しているネップを持ち上げるが、そこに「至る経緯」が完全に欠落している――レーニンの大量殺人について一切触れていません。レーニンが「純粋な共産主義」を目指すにあたって行使した「どんな法律によっても、絶対にどんな規則によっても束縛されない、直接暴力で自ら保持する無制限の権力」について言及せずにロシア革命を語るのは、歴史的事実に照らしても、レーニン主義のイデオロギーに照らしても、あまりにも不十分であるというほかありません。

また、「ソ連という「実験」は失敗したものの、それは資本主義が万能であることを意味しません。社会主義、共産主義が台頭した19世紀と現代は、資本主義のもとで貧困や格差が広がる点で共通します。」とも述べています。こんなもの、レーニン主義者がソ連崩壊から間もない頃から繰り返していた「負け惜しみ」と同じレベルの言説です。

一見すると、レーニン主義者のくたばり損ないが、都合の悪い部分の責任をスターリンに押し付け、往生際悪く足掻いている典型的ケースであるかのようですが、記事最末尾の「ロシア革命の問題意識そのものは、いまだに生命力を失っていないといえる」というくだりは注目すべきです。六辻氏はあくまで「問題意識そのもの」を評価しているに過ぎず、方法論等については「ソ連という「実験」は失敗した」と言明しているわけです。レーニン主義者のくたばり損ないにありがちなことですが、@ソ連が失敗したという事実認識がそもそも怪しかったり、あるいは、A「失敗」だと認めているにも関わらず、その教訓を汲み取れていないので次に生かせていない、というケースがあるものですが、六辻氏の言説をよく読むと、そうではないようです。

■「次の100年」を見据えるにあたっての必須観点――急進主義・設計主義的合理主義を放棄し、漸進主義を採用する
方法論に関わる考え方の問題について、六辻氏は今年2月に「ガーナは「チョコレートの国」か? チョコレートにみる「矛盾との向き合い方」」という素晴らしい記事を公開なさっています。取り上げているテーマはロシア革命とは全く異なるものの、世界史の画期的出来事であったロシア革命によって成立したソ連政権が瓦解した今日において、その教訓に学び改めて社会的矛盾に立ち向かうための重要な心掛けを指摘しています。該当部分を引用します。
>> そのなかで重要なのは、言い古されたことではありますが、まず知ることしかありません。逆に、問題の複雑さにしびれを切らして、一気呵成に問題を解決しようとすれば、副作用だけが大きくなりがちです。フランス革命で「反革命的」とみなされた人々が「貧者に対する哀れみのために」相次いで断頭台の露と消えたことも、世界のあらゆる問題を一刀両断に解決する方法として「イスラーム国家の樹立」という処方箋を示した「イスラーム国」も、そして「安全のためなら何をしても許される」と豪語するトランプ氏も、この点では同じです。

「一刀両断」を目指す人々に欠けているのは、「万能でない人間が考えることに100パーセントの正解がない」ことを認める謙虚さと言えるでしょう。人間社会につきものの矛盾と向き合うためには、無理やり「断つ」のではなく、「ほぐす」努力が必要なことを、甘くてほろ苦いチョコレートは語っているのかもしれません。
<<
「一刀両断」を目指す人々に欠けているのは、「万能でない人間が考えることに100パーセントの正解がない」ことを認める謙虚さ」――まさに、反急進主義・反設計主義的合理主義の立場。近代社会主義運動・共産主義運動が哲学のレベルで欠けていた考え方です。

このことをロシア革命・ソ連政権に引き付けて考えると、政治における共産党独裁;無制限の権力・暴力も、経済における組織化・計画化の強行も、結局は「科学」を妄信する行き過ぎた「合理」主義的思考方法に原因があったといえるでしょう。このことを教訓とするならば、人間の理性;合理的思考の限界を前提とした上で、急進主義を放棄して漸進主義を採用することになるでしょう。「思考方法としての保守主義を一部取り入れる」と換言しても良いかもしれません。

わずか100年前に起こったロシア革命によって樹立された「革命政権」はとっくの昔に瓦解しています。ソ連政権はあまりにも短命でした。以前から述べているように、私自身も社会主義を信奉する立場ですので、この歴史的経緯から学ぶべき教訓はあまりにも多いものですが、ロシア革命の問題意識そのものは、いまだに生命力を失っていないといえる」という今回の指摘と「「一刀両断」を目指す人々に欠けているのは、「万能でない人間が考えることに100パーセントの正解がない」ことを認める謙虚さ」という2月の指摘を踏まえ、「次の100年」を見据えるべきと考えています。私自身は、21世紀の社会主義的諸運動は、合理的思考の限界を前提とし、漸進主義を採用するほかないと考えています。

【補足的加筆1/3 開始】
■漸進主義とは何か
ここでいう「漸進主義」とは何か――4月21日づけ「「一代限りの生前退位特例法」から見える漸進主義としての保守主義」で次のように述べました。
>> ■懐疑主義的保守主義を乗り越える漸進主義的保守主義の核心
漸進主義的保守主義は、懐疑主義的保守主義が持つ問題点を乗り越えます。「少しずつ前進し、問題があったら直ちにロールバックする」という方法論は、論理的推論や科学技術に対する過度な慎重姿勢を排して新しい挑戦に取り組みつつも、万が一に予想外の事態が発生したとしても、直ちにロールバックが可能な範囲内での実施に敢えて留めることによって取り返しのつかない事態にも至らないようにもすることができる「よいとこ取り」なのであります。

直ちにロールバックが可能な範囲内での実施を積み重ねてゆく方法論は、理性主義にもとづく方法論――いわゆる「急進主義」もその一種です――に比べて所要時間は少しばかり長くはなりますが、「急がば回れ」というように、安全性・確実性はより高まるものと思われます。「こまめなPDCAサイクルの実施を主軸とする方法論」などと平たく言い換えてもよいかも知れません。
<<
万が一に予想外の事態が発生したとしても、直ちにロールバックが可能な範囲内での実施に敢えて留める。そしてそれを繰り返し、積み重ねることで、社会を少しずつ改善してゆくという方法論です。

この方法論は、何も私が思い付き的に提唱したものではなく、コンピュータ・システムやソフトウェアの開発・構築においては、かなり広範に採用されている考え方です。3月6日づけ「コストカットと稼働率は両立しうる――システム科学的な冗長化思想を物流業界に」においても言及したように、「稼動テスト」をシステム開発の中心に据え、こまめにプロトタイプを実際に動かしてみることによって、コーディングの正しさを「机上の検証」ではなく「実証」によって確認する「反復型開発」や「テスト駆動開発」が広範に広まっています。

従来型のウォーターフォール・モデルが依然として開発技法として採用されているケースもあります。しかし、システム開発の世界においては、文字通り血を吐くような壮絶な修羅場を乗り越える(あるいは、力尽きてプロジェクトが崩壊する)経験を通して、「最初にしっかり計画し、それに忠実に作業してゆく。最後には『きっと』ちゃんとしたものが出来ているはず」といった設計主義的方法論ではなく、「反復型開発」や「テスト駆動開発」といった漸進主義的方法論を編み出すに至ったのであります。
【補足的加筆1/3 終了】

問題意識においては「革命的」に、方法論においては漸進主義的に――キムイルソン主席が、父;キムヒョンジク先生から受け継いだ「志遠」とも通底する心構え――アンジュングンの「一発屋的個人テロ」と比較すれば際立つ考え方です――こそが21世紀の社会主義的諸運動の原則になることでしょう。

カオス理論を筆頭とする現代科学の諸成果は、唯物論的思考・科学的思考を突き詰めた結果として、マルクス・レーニン主義を基礎づけている19世紀後半〜20世紀前半の「素朴な科学信仰」を卒業するに至っています。「合理的思考の限界」というのは、決していわゆる「反知性」などではなく、むしろ現代科学的といってもよいでしょう。

【補足的加筆2/3 開始】
■漸進主義の採用は、究極的には「世界観の転回」に行き着く――カオス的システムの世界観
このことは、究極的には「世界観の転回」に行き着くでしょう。すなわち、我々が生きるこの物質世界を「カオス的システム」(カオス系)と見なす世界観への転回です。

ここでいう「カオス」とは、カオス理論におけるそれであり、決定論的でありながらも長期予測不能性(long-term unpredictability)が発生している初期値鋭敏性を持った有界な非周期軌道のことです。観察対象にカオスが発生している場合、その長期的な挙動の予測は原理的に不可能です。

また、ここでいう「システム」は、@複数の要素から構成されており、Aそれらが物理的機構によって相互作用的に関連しており、B全体として一体的に、1つ以上の役割を担って働いているもののことです。「@相互作用性とA全体としての一体性、を重要な特徴とする一塊」と言ってもよいでしょう。

■マルクス・レーニン主義的世界観の誤り
マルクス・レーニン主義的な設計主義的合理主義の世界観は、カオス的システムの世界観と真っ向から対立するものです。すなわち、「事物には単一・究極的な原因があるはずだ」という仮説に立ち、物質世界における事物の関連性を「直線的なドミノ倒し」であるかのように想定します。そして、「科学的分析によって複雑な諸現象は各要素に分解され得る」とした上で、「長期的な見通しを立てつつ、究極の原因に対応する究極の真理を掴み、それを打倒・排除する実践を行えば、ドミノ倒し的に全体に好い波及が見られるはずだ」というプランを挙げるものです。

現実世界の実相はそうではありません。構成要素同士の関係性は円環的な相互作用の関係にあり、単一・究極のものはありません。「構成要素同士が全体として一体的な挙動を見せる一塊」になっている点において、システムといってよいものです。システムである以上は、個別要素に分解してもその全貌を解明することはできず、「究極の原因」などと称して、特定箇所にのみパッチ的な対応を行おうものならば、システム内部の絶妙な相互作用バランスが崩れ、システム全体に関わる予期せぬ致命的障害を引き起こしかねないものです。事前の予想とは大きく異なる結末を迎えることになるものです。

■カオス的システムの世界観は、どう思考するのか
我々が生きるこの物質世界を「カオス的システム」と認識する人物は、決して「一刀両断」の方法論を採用しないことでしょう。長期予測不能性を十分に理解していれば、「短期予測の積み重ねを以って漸進的に社会を改善してゆくほかない」と気が付くはず。社会を合理的設計にもとづいて計画化しよう(設計主義的合理主義)などど考えるはずもありません。

また、我々が生きるこの物質世界を「構成要素同士が複雑かつ円環状に絡み合ったシステム」と認識する人物は、断片的な事実や一部の構成要素のみを取り上げて「究極の原因」などとし、それを排除することによって「正常化」を目指すようなことはしないでしょう。労働問題については、「資本家階級と労働者階級は敵対的関係にあり、生きるか死ぬかの階級打倒闘争を展開するしかない」などと提唱するのではなく、「資本家階級と労働者階級は呉越同舟」の関係にあると認識したうえで、階級的立場を鮮明にしつつも敵対的ではない労使交渉に臨むことでしょう。

この観点・立場は、以下の記事からもお分かりいただけるとおり、以前からの私の持論です。
チュチェ105(2016)年4月26日づけ「「最低賃金大幅引き上げキャンペーン」の経済オンチと、根本的な世界観的誤りと危険性――円環的相互作用システムの立場から
チュチェ105(2016)年7月3日づけ「階級敵対的・ゼロサム的認識にたつ「介護・保育ユニオン」の経済学的・世界観的誤り

社会的宿痾に立ち向かう心構えについて私は、チュチェ102(2013)年2月21日づけ「「鶏が先か卵が先か」が経済である」において、「西洋医学みたいに『病巣を切除すれば病気は治る』みたいな発想ではなく、東洋医学のように『病気は結局のところ身体のバランスの崩れだから、トータルに体質改善してゆく』といった発想でやったほうがいいんじゃないか」と述べましたが、東洋医学的な治療の思想は、カオス的システムの世界観に立った社会改善の方法論的原則と通ずるものがあると自負しています
【補足的加筆2/3 終了】

■「次の100年」を見据えるにあたっての必須観点――主体を強化し、その役割を高める
なお、ソ連政権の教訓から「次の100年」を見据えるためには、朝鮮労働党のキムジョンイル総書記がチュチェ81(1992)年1月3日に発表された社会主義建設の歴史的教訓と我が党の総路線――朝鮮労働党中央委員会の責任幹部との談話」も必読文献でありましょう。該当する部分を以下に引用します。
>> 従来の理論に対する教条主義的理解から脱却できなかった人たちは、社会主義社会の本質と優位性が社会主義思想をもった人民大衆によってではなく、社会主義政権と社会主義的所有関係によって決まるとみなし、社会主義建設の推進力も生産力と生産関係の適応という経済的要因に求めました。(中略)しかし、こうした政治的・経済的条件そのものが社会主義社会の発展を促す決定的要因になるわけではありません。生産力発展の問題にしても、生産力の発展において主動的で能動的な役割を果たすのは生産の直接的担当者である勤労人民大衆であり、かれらの自発的熱意と創造的能力を高めることなしには、例え、社会主義的生産関係者を樹立したとしても、生産力をたえまなく急テンポで発展させることはできないのです。

(中略)

ところが一部の国では国家主権と生産手段を掌握して経済建設さえ進めれば社会主義が建設できると考え、人々の思想・意識水準と文化水準をすみやかに高め、人民大衆を革命と建設の主体にしっかり準備させる人間改造事業に第一義的な力をそそぎませんでした。その結果、社会主義社会の主人である人民大衆が主人としての役割を果たせなくなり、結局は経済建設も順調にいかず、社会のすべての分野が停滞状態に陥るようになったのです。

 かれらはまた、社会主義社会本来の要求に適応した人民的な政治方式の確立に相応の注目を払うことができなかったため、 人民の統一団結を弱め、大衆の創意を高く発揮できなくしました。社会主義社会で人民大衆が政治の真の主人となり、国家と社会の管理に主人らしく参加するか否かは、社会主義制度の強化発展と社会主義建設の成果を左右する最も重要な問題です。しかし、一部の国では社会主義政権は樹立したものの、実際には旧社会の政治方式をそのまま踏襲したので、国家と社会の管理活動がその主人である人民大衆から離れて特定な人たちの活動になりました。そのため、官僚主義が増長して人々の創意を抑制し、党と国家に対する大衆の信頼を失墜させ、人民大衆の統一団結を破壊する重大な結果をもたらしたのです。

 結局、それらの国では社会主義が自己発展の強力な推進力を失い、強固な社会的・政治的基盤をもつことができなくなりました。強固な主体が存在しない社会主義は、その優位性と威力を発揮することができず、前進途上における挑戦と試練に打ち勝つことができません。歴史的事実は、強力な軍事力と膨大な経済的潜在力をもつ大国であっても、社会主義建設において主体を強化し、その役割を高めなければ、帝国主義者と反動派の反社会主義攻勢に耐えられず崩壊するしかないことを示しています。それらの国が帝国主義者と反動派の反社会主義攻勢に屈し、社会主義の挫折を招いたのは、まさに社会主義建設において主体を強化し、その役割を高めなかったためにもたらされた必然的結果と見るべきです。
<<
あえて私が要約する必要もないくらいに端的で説得力のある指摘です。

■「次の100年」のために
@「急進主義・設計主義的合理主義を放棄して、合理的思考の限界を前提とした上で漸進主義を採用すること」に加え、A「主体を強化し、その役割を高める」ということも、まさに「社会主義建設の歴史的教訓」として汲み取ることができるでしょう。

【補足的加筆3/3 開始】
また、目下探究中であり、今回の記事には間に合わなかった論点として、B「自論を支持しない相手を無知蒙昧と決めつけ、扱き下ろす」のではなく、相手が自論を支持しないのであればこそ、「相手がどうしてそういう言葉を掛けてくるのか」「その人はどういう人生を歩んできたのか」を分析し、理解し、包摂してゆく取り組みが必要であろうという点を挙げたいと思います。これは、人民大衆が統一団結し、国家を自主管理してゆく社会主義社会では、階級的連帯に基づく同志的な意見交換で、考え方をすり合わせていく必要があるからです。このことは、いわゆる「前衛意識」を捨てることにも繋がる論点です。

さらに、C「既存の価値観の打破」が「なんでもあり」に転落しないために、「あくまでもルールを守る、非合理的なルールだとしても自己判断で勝手に破らない」という大原則をあくまで守るべきでしょう。「どんな法律によっても、絶対にどんな規則によっても束縛されない、直接暴力で自ら保持する無制限の権力」など、到底容認できません。

BとCは、私にとっては本年の重要な論考テーマだったので、既に何本か記事を公開しているところです。今後、年末総括にむけて別稿にて整理してゆく予定です。別稿上梓次第、この記事からリンクを貼る予定です。
【補足的加筆3/3 終了】
posted by s19171107 at 22:04| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2017年11月06日

Товарищ Едано ура!

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171106-00094313-playboyz-pol
>> 自民支持の若者票をどう取り込む? 立憲民主党・枝野代表を直撃!「まったく考えていません」
11/6(月) 6:00配信
週プレNEWS

10月の衆院選の結果、野党第一党に躍り出た立憲民主党。しかし、“自民一強”の構図は温存どころか強化された感がある。では、選挙を通して“男を上げた”と評された枝野幸男代表は今、何を考えているのか。

(中略)

―確かに民主党も民進党も、常に「考えがバラバラな議員の寄せ集め」との批判がありました。

枝野 これまでは自民党に対抗するには大きなまとまり、政党をつくらなきゃダメだといわれていましたが、実は違った。党としての主張を鮮明にしていかないと、結局自民党とどこが違うのかが、有権者にわからなかったんですね。


(中略)

―では今後、自民党支持の若者をどう取り込む?

枝野 それはまったく考えていません。

―必要ないと?

枝野 自民党支持の有権者をひっくり返すのではなく、“今回の選挙で投票に行かなかった人に、次の選挙で立憲民主党に投票してもらう”のです


(以下略) <<
■党としての主張を鮮明にした上で、その次に党組織の拡大が必要
これまでは自民党に対抗するには大きなまとまり、政党をつくらなきゃダメだといわれていましたが、実は違った。党としての主張を鮮明にしていかないと」というくだりについて、行間を「やみくもに巨大化を目指すのではなく、党としての主張を鮮明にした上で、その次に党組織の拡大が必要なんだ」といった具合に好意的に読もうとすれば、これは正しい主張だと言えるでしょう。

政治は力、力は数。後述するように、私は政治と言うものは「交渉と調整で対立する利害関係に折り合いをつけるもの」であると考えている点、数さえあれば良いというものではないと考えていますが、しかし、キチンとした交渉を展開してゆくためには、数を誇らなければ始まらないものです。まさか枝野氏ともあろう御方が、そんなことも知らないとは到底思えないので、おそらく雑誌編集者のインタビューの取り仕切りか、インタビュー内容の切り貼りが下手だったんでしょう。

■投票率が上がったからといって、相対的な勢力格差に変わりはない
しかし、「自民党支持の有権者をひっくり返すのではなく、“今回の選挙で投票に行かなかった人に、次の選挙で立憲民主党に投票してもらう”のです。つまり、投票率を上げること。」というのは、好意的に行間を読もうとしてもできない、ハチャメチャな言い分です。

今回の選挙で投票に行かなかった人に、次の選挙で立憲民主党に投票してもらう」と「投票率を上げる」は直結しないでしょう。ふつう、全体の投票率がたとえば1パーセント増えれば、自民党の得票も立憲民主党の得票も、ひとしく1パーセント分スライド的に増えるものです。投票率が上がったからといって、相対的な勢力格差に変わりはないものです。政敵から支持者を奪うくらいの勢いが必要です。

■政治の位置づけを「数の力での突破の営み」に帰着させる枝野氏のプラン――懐の深さが絶対的に足りない
それ以上に驚くべきは、「自民党支持の若者をどう取り込む」という問いに対する「それはまったく考えていません」という応答。この一言を見るだけで立憲民主党に政権獲得の意思もなければ能力もないことが明々白々になるものです。

政治というものは利害調整の営みです。対立する意見や利益について交渉して折り合いをつける営みです。その意味において、相手側の主張も取り込む懐の深さが必要です。他方、相手側の主張を取り込まず、「処女地開拓」に邁進すると宣言した枝野氏のプランは、結局、政治の位置づけを「利害調整の営み」ではなく「数の力での突破の営み」に帰着させるものです。こんな方法論を為政者が採用しようものなら事態の対立的構図の収拾がつかなくなり、失敗するでしょう。その点において、与党にはなり得ないでしょう。

■ある意味「レーニン主義的」
まあ、ロシア10月革命から明日で100年になるにもかかわらず革命的左翼勢力がまったく元気がない昨今において、「人民の意思を代表し敵対勢力を粉砕するレーニン主義的な階級闘争革命精神」を感じさせる枝野氏の「突破志向」は、近頃では貴重種であると言えるかも知れません。Товарищ Едано ура!
ラベル:政治
posted by s19171107 at 21:17| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2017年11月01日

これに尽きる

http://www.sankei.com/west/news/171029/wst1710290008-n1.html
>> 2017.10.29 10:00更新
【デスクから】
「投票終了」と同時にゲームオーバー…「地盤」が強い自民はやっぱり強かった


(中略)

ただ、自らの投票行動を顧みて、自民党の強さを改めて感じた。やはり人は、地元への目配りを忘れない候補に入れる。自民党が大敗してもすぐに盛り返すのは、そんな人による「地盤」がしっかりしているからだ。

 解散前、安倍晋三首相に対して「おごり」が指摘された。野党には政権政党のおごりを牽制(けんせい)できる程度には地盤を固めてほしいと思う。(地方部 飯塚隆志)
<<
■地方では相対的に固い地盤を持つ自民党
希望の党の旗上げ、民進党の分裂、立憲民主党の結党、希望の党の大失速、立憲民主党の大躍進・・・と今回の総選挙ではイベントが目白押しで、開票から1週間以上たってもアレコレと政治力学に関する考察や解説が続いています。すべてをチェックしたわけではないのですが、上掲の産経新聞記事が一番納得いくものです。

もちろん、産経新聞のことだから、自民党が積極的に「地元への目配り」に注力しているなどと言いだしかねないところなので、「離合集散を繰り返したり、そもそも地方では地盤と言えるほどの浸透力のない野党勢力に比べれば、自民党の『目配り』は相対的に勝っているに過ぎない」と指摘しておく必要はあるかと思います。

競合勢力の地盤が脆弱過ぎるがゆえに、あくまで相対的優位に立っている――あれだけ不祥事や疑惑が続出し、マスメディアが盛大にキャンペーンを張ったにもかかわらず自民党が完勝した事実を説明しようとすれば、このことに尽きると言う他ないでしょう。

■若い有権者層においても相対的に固い地盤を持つ自民党
10月12日づけの記事で私は、「この調子では、今後も若者たちは安倍自民党の「支持基盤」であり続けるだろう」と述べましたが、自民党が若い有権者層においても固い地盤を築いている事実も、同様の構図で理解できるでしょう。

20代や30代の若い有権者層は、経済生活や組織生活において弱い立場に立たされがちです。まだ若い感性が生きているのに理不尽な現実に直面し、葛藤を感じる年代です。また、特に自民党が若い有権者たちに目配りをしているという客観的な事実は勿論のこと、キャンペーンさえありません。しかし、そんな層においてこそ自民党への支持率が高めに出ています。

特段自分たちに利益供与してくれているわけでもないのに、弱い立場に置かれがちな一種の「弱者」である若い有権者層が、特に自民党を支持する傾向にあるということは、つまり、競合勢力が弱すぎるということです。20代だったらまだ「世間知らず」で片づけられるでしょうが、30代にそういうレッテルを貼るのは難しいでしょう。

■相対的優位だって立派なもの――及第点を一応は獲得できている
あくまで相対的優位に立っている」とは言えども、これはこれで立派なことであり、得難い立場です。もちろん、自力で絶対的で揺るぎのない優位性を保つような勢力と比べれば脆弱な組織体制ですが、絶対的に盤石な組織というものは現実的ではありません。そう滅多矢鱈に存在し得るものではありません。

仮に消去法的であったとしても、「選ばれる」ということは、やはり立派なことであり、得難い立場です。消去法で残った選択肢は、十分であるとは到底言えないしても、一応は及第点を獲得できているわけです。政治の世界に絶対的なものはなく、常に「よりまし」を選ばねばならないのであれば、相対的優位で十分です。

あくまで相対的優位に立っている」というと、世間一般では「実はたいしたことはないんだ」とナメてかかりがちなものです。しかし、それは致命的油断です。いろいろと、それっぽい理由を並べて「実は安倍自民党は多数派から支持されているわけではない」などと「暴露」するのも決して悪いことではないとは思いますが、そんなことよりも、自派が「消去法的でもいいから選ばれるようになる」ためにどうすればよいのかにこそ思索を深めなければなりません。

公明党が宗教政党であるにも関わらず長期低落傾向にあり、盤石な地盤を誇ってきた日本共産党が「風があれば伸びるのが共産党だが、その反面、風が吹かない時は大きく減少する」と言われるようになってきたこのご時世。相対的とはいえ、草の根的に地盤を固めている自民党はやっぱり大したものです。
posted by s19171107 at 21:51| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする