2017年10月22日

朝米のどちらが真に挑発的なのか

http://chosonsinbo.com/jp/2017/10/yr20171019-1/
>> 米南合同海上訓練、最大規模で実施/全民族非常対策委が声明
“予想外の時刻に、想像外の打撃”

米国と南朝鮮は、16日から、朝鮮東海・西海海上で史上最大規模の合同海上訓練を開始した。

訓練には米原子力空母ロナルド・レーガン号打撃群とミシガン号をはじめとした3隻の米原子力潜水艦、イージス艦を含む約40隻の各種戦闘艦船と戦闘機が投入された。

また、在南米空軍はソウル空港で16日、最新鋭のステルス戦闘機F22、F35Aをメディアに向け、公開。17〜22日まで同空港で開催される「ソウル国際航空宇宙及び防衛産業展示会(ソウルADEX)」では、戦略爆撃機B1Bが一般公開された。

南の鳥山空軍基地では、米国と日本の岩国基地から米空軍の戦闘爆撃機F16十数機と米海兵隊追撃襲撃機F/A18数十機が起動展開され、「北核心対象物」に対する実践打撃訓練が行われた。

23日からは、南に滞在する米国民間人を海外に退避させる「非戦闘員護送訓練(NEO訓練)」を行うなど、演習は朝鮮半島に戦争前夜を彷彿とさせる緊張状態を醸成しようとしている。

さらに米南両軍は、今回の訓練終了後、核戦略資産を南朝鮮と周辺水域に配備し、10月末、米海軍原子力空母セオドア・ルーズベルト号打撃群を追加投入した上で、再度、大規模連合海上打撃訓練を行う予定だ。


(以下略) <<
侵略意図を隠そうともしない米「韓」両軍の演習に対して、共和国側も黙ってはいられません
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20171015-00000015-jnn-int
>> 北朝鮮で弾道ミサイルの発射台が移動
10/15(日) 12:31配信

 北朝鮮をめぐる情勢が緊迫するなか、北朝鮮国内で弾道ミサイルの発射台が移動していることが確認されました。


(中略)

 アメリカ軍は、来週17日から原子力空母ロナルド・レーガンを朝鮮半島近海に展開して、韓国軍と軍事演習を行う予定です。北朝鮮は米韓演習に激しく反発しており、ミサイル発射などの軍事的挑発に警戒が強まっています。(14日22:25)

最終更新:10/15(日) 12:31
<<
朝鮮外務省のチェソンヒ北米局長は次のように説明しています。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171021-00000049-asahi-int
>> 北朝鮮局長「核兵器、米だけが標的」 国際会議で発言
10/21(土) 18:25配信
朝日新聞デジタル

 北朝鮮外務省の崔善姫(チェソンヒ)北米局長が20日、モスクワで開かれた国際会議で「米国以外は核兵器のターゲットではない」と語った。核保有に向けて国際社会の理解を求める発言だが、核保有国としての地位を手に入れることへの執念も示した。

 政府関係者や専門家が核問題を話し合う「モスクワ不拡散会議2017」に出席した崔氏は、日韓両国の高官らが見守るなか、歴代米政権による北朝鮮敵視政策を列挙。核開発は自衛の手段だと強調する一方、核不拡散の取り決めを順守する考えも示した。


(以下略) <<
■どちらが真に挑発的なのか
「シリア・アサド政権による化学兵器の使用」なる事態を受けて米軍が行った限定的攻撃とは次元がまったく異なる展開。4月に強行されたICBM「ミニットマン3」の発射実験を含めて一連の経緯を振り返れば、これでは、共和国の弾道ミサイル発射「挑発」準備に対して米「韓」両軍が牽制しているというよりも、米「韓」両軍の侵略策動に対して朝鮮人民軍が牽制のために弾道ミサイルの発射を準備しているという構図の方が、より正確なところだと言えるでしょう。

このことは、朝鮮戦争(祖国解放戦争)以来の歴史的経緯を慎重に振り返れば(休戦協定の第13節(d)を無視する挙など)見えてくることですが、そんなことせずも、今年一年の動静を振り返れば直ちに分かるほどの展開になってきました

共和国のミサイル発射について日本国内では「挑発」と表現するのが一般に定着し切っています。しかし、ここ最近の朝米両国のやり取りを見れば、「どちらが真に挑発的なのか」という論点に対して真相が見えてくるのではないでしょうか。

■社民党は正しく理解している
このことについては、社民党は早くから正しく認識していたようで、同党の又市幹事長は次のように発言しています。
http://www.sankei.com/politics/news/170921/plt1709210052-n1.html
>> 社民党の又市征治幹事長「挑発するから北朝鮮は身構えるんだ」 米韓軍事演習の中止求める

(中略)

 又市氏は朝鮮半島周辺での米韓合同軍事演習中止を首相に働きかけるよう求める考えも示した。又市氏は「挑発しておきながら、北朝鮮が身構えると『けしからん』といって追及するのは筋が通らない」と述べた。 <<
社民党が目指すビジョンと朝鮮労働党が目指すビジョンは、実は相当異なっており、チュチェ思想派として「なぜ社民党は朝鮮労働党の肩を持つのか? 意味がよく理解できない・・・」というのが正直なところですが、上掲記事の一点に限っては、「社民党は、朝鮮労働党の主張を正確に理解してくれている」と思う次第です。

■世論の顔色を窺っている日本共産党の不見識
他方、日本共産党の不見識が目につきます。いや、「世論の顔色を窺っている」というべきでしょうか?
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-08-30/2017083001_01_1.html
>> 2017年8月30日(水)
北朝鮮が弾道ミサイル発射
志位委員長が厳しく抗議
「対話による解決に逆行する行為を中止せよ」

 北朝鮮が29日朝、弾道ミサイルを発射したことについて、日本共産党の志位和夫委員長は同日、「北朝鮮の弾道ミサイル発射に厳しく抗議する――対話による解決に逆行する行為を中止せよ」の談話を発表しました。

 一、北朝鮮は、本日、国際社会が強く自制を求めているもとで、弾道ミサイルの発射を強行した。これは、世界と地域の平和と安定にとっての重大な脅威であり、累次の国連安保理決議などに違反する暴挙である。通告なしに日本列島の上空を飛び越える発射は、きわめて危険な行為である。日本共産党は、厳しく糾弾し、抗議する。

 とりわけ、今回の発射は、米国を含めて国際社会が対話による解決を模索しているもとで、それに逆行する性格をもつ行為であることを、強調しなければならない。


(以下略) <<
志位委員長の「通告なしに日本列島の上空を飛び越える発射は、きわめて危険な行為」というのは、まだ理解可能な主張ですが、「世界と地域の平和と安定にとっての重大な脅威」や「米国を含めて国際社会が対話による解決を模索しているもとで、それに逆行する性格をもつ行為」という主張については、「元はと言えば、この緊張状態を作り出しているのは誰なのか、朝鮮戦争休戦協定にある『外国軍の撤退』の定めを無視しているのは誰か」という点について問わねばならないでしょう。この点は、社民党又市幹事長の指摘の方が筋が通っていると言わざるを得ません。

また、「累次の国連安保理決議などに違反する暴挙」という主張についても、共和国は以前から一貫して、アメリカの急迫不正なる侵略策動に対する正当防衛であると述べてきました。「丸腰平和主義の面目躍如」というべきでしょうか? 帝国主義との対決下にある朝鮮民主主義人民共和国ならびに朝鮮労働党は、後述するように、ここまでバカにはなれません。

■都合の良いところだけツマミ食いし、客観的事実を党利党略的に再編集する日本共産党
井上参議院議員の言説は、志位委員長の言説以上に党利党略的意図に満ちています。都合の良いところだけツマミ食いし、客観的事実を党利党略的に再編集しています。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-08-31/2017083101_01_1.html
>> 2017年8月31日(木)
北朝鮮問題
軍事衝突避け 対話で解決を
圧力一辺倒でいいのか 閉会中審査で 井上・赤嶺議員


(中略)

 井上氏は参院外防委で、国際社会が対話による解決を模索するなか、北朝鮮の行為は極めて重大だと指摘。国際社会と関係国は経済制裁とともに「困難はあっても対話による問題解決の道を粘り強く追求することが必要だ」と強調しました。

 井上氏は、マティス米国防長官とティラーソン同国務長官の米紙への共同寄稿で、北朝鮮がこれ以上の挑発行為を停止することを条件に「米国は北朝鮮と交渉する意思がある」と表明し、韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領も同様の発言を行っていたと指摘。「非核化の意思と行動を北朝鮮が出すまでは圧力の時」と繰り返す河野太郎外相の姿勢は「国際的な流れからしても特異な姿勢だ」と批判しました。

 「対話のための対話は意味がない」との姿勢を崩さない佐藤正久外務副大臣に対し、井上氏は「意味ある対話を引き出すための対話、緊張緩和のための対話もある」と指摘。圧力についても「北朝鮮を対話に引き出すための圧力であるべきだ」と強調しました。


(中略) <<
井上議員はマティス国防長官とティラーソン国務長官の「対話志向」の言説を取り上げていますが、彼らの上司であるアメリカ合衆国大統領・アメリカ軍最高司令官のドナルド・トランプ氏のキチガイ染みた好戦的言動は意図的に無視しています。最高指導者の言説を無視し、彼の指揮下にある部下に過ぎない人たちの言説を取り上げて「米国は北朝鮮と交渉する意思がある」などと言ってのけるのは、都合の良い断片的事実に飛びつく、およそ科学的とは言えない姿勢と言う他ありません。トランプ大統領は「狂人戦略」の使い手であるとは言え、大統領(最高指導者)なのだから、まずは彼の言説に注目すべきでしょう。上司の発言をスルーして部下に過ぎない人たちの言説を敢えて取り上げて「公式の意向」などと見なすことこそ「特異な姿勢」です。

■このタイミングでの「緊張緩和のための対話」は「軍事力を背景にしてこそ対話は成立する」ことの実例になる
緊張緩和のための対話」という主張は理解可能です。共和国も事実として、そうした意味における対話を目指してきたところです。しかし、この意味における対話は、あくまで「軍事力を背景にした対話」。アメリカの歴代政権は共和国の対話要求を頑として拒否してきたものですが、共和国が核武力を現実的なものとした今日において、アメリカ側が急転回的に対話に応じるのであれば、それは「軍事力を背景にしてこそ対話は成立する」と言うことになるでしょう

これも対話であることには違いはありませんが、果たして日本共産党が金条玉科とする「日本国憲法第9条」が目指す意味での対話なのでしょうか? 「対話」という表層的な部分に飛びついて、その深層にまでは考慮が至っていないのではないかと疑問に思わざるを得ません。

大切なことなので繰り返しますが、事実として今まで、共和国は一貫して戦争状態の終結や朝米国交正常化を求めて対話を模索してきたにも関わらず、アメリカは共和国をまったく相手にしてきませんでした。しかし、共和国が核の実力をつけて来、いよいよグアム島を攻撃射程に収め、アメリカ本土への打撃力を持つのも時間の問題だと言われるような段階で両国が話し合いのテーブルをセットするというならば、それは「軍事力を背景にした話し合い」ということになります。

武力行使によって相手国を叩き潰すような形での「平和」ではないとはいえ、依然としてこの対話は、軍事力を背景にしているわけです。このことは、決して9条が目指すところではないでしょう。これは一見して「話し合いでの解決」という9条信奉者にとっては理想的なコースに見えますが、これまでの経緯を振り返れば、9条信奉者にとっての理想とは真逆の展開であると言わざるを得ないでしょう。

■党利党略になるのも仕方ないのかもしれないが・・・
まあ、昨年の参議院選挙の期間中に、防衛予算についてうっかりと「人を殺す予算」などと口走った結果、上り調子だった党勢に水を差してしまった経緯がある以上は、日本共産党においては、世論の反発を受けかねないような主張は厳に慎まなければならないという党利党略的な狙いがあるのでしょう。その点、何を言ったところで誰にも相手にもされず、ある意味「開き直っている」社民党のように筋を通すことは出来ないという事情も、分からないでもありません。

しかし、「科学」を自称している日本共産党が事実を捻じ曲げてまで露骨に世論に阿るのは、いかがなものなのでしょうか? 歴史的経緯も直近の客観的事実も無視し、党利党略的に事実を捻じ曲げる日本共産党の姿勢、まして帝国主義者と足並みを揃えるほどに堕落した日本共産党の姿勢は、日本の左翼運動の歴史において特筆に値すべきでしょう。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-08-31/2017083101_07_1.html
>> 2017年8月31日(木)
共産党 北ミサイルに抗議

 北朝鮮による弾道ミサイル発射の暴挙に対し、日本共産党は30日、各地で県委員長や衆院候補、議員を先頭に、緊急の抗議宣伝を行いました。

 宣伝では、志位和夫委員長の抗議談話を掲載した「しんぶん赤旗」(同日付)を広げたり、同談話を印刷したビラを配布して、北朝鮮の弾道ミサイル発射を「対話による解決に逆行する行為」「国際社会が挑発行為をやめるように求める中でこのような暴挙は許されません」と批判。「戦争に向かう道は絶対に阻止しなければなりません。日本共産党は米朝に無条件で直接対話に踏み出すように呼びかけています」と訴えました。
<<
不気味なまでにいち早い街宣。「国際社会が挑発行為をやめるように求める中」の「国際社会」って誰のことなんでしょうか? 「共産党フィルター」で現実を見ると、こうなるのでしょうか? とんでもないフィルターですね。

■まさに「平和ボケ」
冷徹なるリアリストであり、そうであるがために今も尚、社会主義政権を維持できている朝鮮民主主義人民共和国・朝鮮労働党は、ここまでバカにはなれないでしょう。

共和国でしばしば歌唱・演奏される"우리의 총창우에 평화가 있다"(我らの銃の上に平和がある)では、次のようなくだりがあります。

평화를 진정 사랑하기에
平和を真に愛するから
우린 목숨도 바쳐가리라
我らは命も捧げて行かん
원수님 따라 천만이 뭉쳐
元帥様につづき 千万が団結し
정의의 총창 들었다
正義の銃をとった
평화가 아무리 귀중해도
平和がどんなに大切でも
절대로 구걸은 하지않으리
絶対に乞いはしない
우리의 총창우에 우리의 총창우에
我らの銃の上に 我らの銃の上に
평화가 평화가 있다
平和が 平和がある

これが帝国主義と対決するということなのです。
posted by s19171107 at 17:06| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2017年10月18日

キムジョンウン経済改革の歴史的に重要な一区切りとしての「配給所廃止」ニュース

https://news.yahoo.co.jp/byline/kohyoungki/20171016-00076952/
>> 金正恩氏のメンツも丸つぶれ…北朝鮮「計画経済」が名実ともに破たん
高英起 デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト
10/16(月) 6:33

かつては北朝鮮全国のどこにでもあった配給所。食料品から生活必需品に至るまで、選択肢は多くなかったものの様々な物資を配給していた。しかし、1990年代に配給システムが崩壊して以降は、有名無実の存在となっていた。北朝鮮当局はこのような配給所の廃止を始めた。

両江道(リャンガンド)のデイリーNK内部情報筋によると、恵山(ヘサン)市人民委員会(市役所)は今年9月、市内の配給所を廃止するとの通達を出した。今後、特別な休日に配給する物資があれば、洞事務所(末端の行政機関)で受け取る体制に転換することにした。

配給所とは、文字通り配給を受け取る場所だ。北朝鮮は、他の旧共産圏でも類を見ない完全な配給制度を実施していた。つまり、日々の食べ物から生活必需品に至るまで、贅沢品を除いたあらゆるものを配給制にしていた。

人びとは、工場、企業所で働いた日数、労働強度、家族の数に応じて受け取った配給票と引き換えに、物資を受け取っていた。


(中略)

配給所は、曲がりなりにも社会主義計画経済が機能していた時代の遺物となった。北朝鮮の計画経済は、名実ともに破たんしたのだ。

今回、地方政府が配給所の廃止に踏み切った背景には、もはや何の機能も果たしていないことを認め、現実に合った政策に転換することで市民の支持を得ると同時に、住民の結束を図り、統制を強化しようという意図があるものと思われる。

情報筋は、今後行われる特別配給で忠誠分子と不満分子が受け取る量に差を付け、「言うことを聞けばより多くの配給がもらえる」ことを見せつけて、体制への忠誠心を引き出そうとする目論見があると分析した。


(中略)

全国の小学生に特別配給として配られたお菓子セットは不味いと大不評で、市場で二束三文でたたき売りされた。これでは金正恩党委員長の面目丸つぶれだ。情報もモノもなかった1980年代以前とは異なり、草の根市場経済の進展で様々な商品が出回るようになった今の北朝鮮の人びとを配給で満足させるのは至難の業だろう。 <<
■経済改革が歴史的に重要な一区切りを迎えた
デイリーNKジャパンの、それも「情報筋」発の記事なので、申し訳ないが「話10分の1」くらいに聞かざるを得ないものですが(デイリーNKジャパンの「スクープ」を引用したり後追いしている記事はあまり見たことがないのですが、このニュースを信頼に足るものと見なすには、もう少し時間がかかりそうです)、事実だとすれば、これまでの一連の過程に位置付ければ、キムジョンウン経済改革が歴史的に重要な一区切りを迎えたと言い得る事象です。

キムジョンウン体制の一連の過程を振り返り「配給所廃止」を位置づける
キムジョンウン委員長の経済改革のこれまでの一連の過程を振り返った上で、今回の「配給所廃止」のニュースを位置づけたいと思います。

キムジョンイル総書記が急逝されたチュチェ100(2011)年12月17日を以って最高指導者となられたキムジョンウン委員長は、就任半年の2012年6月28日に早速「6.28方針」を提示され、市場的方法の導入を含む経済改革に着手しました。

このことは当初は「内部情報筋」発の真偽不明の話でしたが、チュチェ102(2013)年4月に朝鮮総連機関紙『朝鮮新報』が共和国系メディアとしては初めて報じたことから、確定的事実として受け止められようになりました。当ブログでも、同年4月11日づけ「経済改革」で取り上げています。

また、この経済改革の背景・動機に「すべての工場・企業所の国家管理ができなくなってきた」という事実があることを、朝鮮社会科学院のリギソン教授は、2013年10月7日発売の『週刊東洋経済』掲載インタビュー記事にて告白しました。(チュチェ102(2013)年10月7日づけ「チュチェの市場経済・ウリ式市場経済――共和国の経済改革措置に関する報道簡易まとめ」)。驚くべきほどに正直な告白で、俄かには信じがたいものでしたが、それだけに今までとは違う「何か」を感じさせるものでした。

その後しばらく、経済改革の進展については報道が乏しくなりましたが、それでも「経済改革が中止した/後退がみられる」といった類の報道も現象は見られず、むしろ、デイリーNKジャパンが「トンジュ」なる新興企業家層が育っている様子を報じていたものでした。

事態が大きく動いたのはチュチェ105(2016)年に入ってからでした。5月の朝鮮労働党第7回党大会を目前に控えた「70日戦闘」に際して、イデオロギー面で伝統的に超難題であった「個人間の競争」という課題について3月19日づけ『労働新聞』社説が「集団主義的競争」という名で解答を与えたのです。そして5月の党大会では「並進路線」の名の下に経済改革が正式に路線として位置付けられ、続く最高人民会議でも経済建設中心の内閣が組閣されたのです。当ブログでは以下の2つの記事でその模様と意義を総括しています。
チュチェ105(2016)年6月6日づけ「朝鮮労働党第7回党大会は経済改革・競争改革を漸進的に継続すると暗に宣言した画期的大会
チュチェ105(2016)年7月2日づけ「分権改革・経済改革の旗印を更に鮮明にした画期的な最高人民会議
※なお、「集団主義的競争」を位置づけた3月19日づけ『労働新聞』社説の全文和訳(拙訳で恐縮です)を上掲6月6日づけ記事にて掲載しております。

そして今年の「新年の辞」。1月2日づけ「キムジョンウン委員長の「新年の辞」で集団主義的・社会主義的競争が総括された!」でも触れたとおり、党大会によって規定された新路線と「集団主義的競争」が肯定的に回顧され、これで市場化経済改革が名実ともに路線化されたことが明白になったのです。

また、7月発表の韓国銀行の第三者的な推計によると、7月27日づけ「政策としての朝鮮民主主義人民共和国における市場経済化は着実に前進している――韓銀推計という第三者的立場の分析からも明らか」でも取り上げたとおり、キムジョンウン委員長の市場化経済改革が経済成長に寄与していることが韓国銀行の第三者的な分析からも明らかになっています。キムジョンウン委員長の経済改革は着実に前進しているのです。

そして、今回のデイリーNKジャパンの「配給所廃止」のニュース。着実に前進している市場改革によって、もはや配給所など前時代の遺物でしかなくなったことが政治的にも認められた象徴的事象です。キムジョンウン委員長は就任以来、一貫して市場経済を集団主義体制に導入し、計画経済と決別しようと努力してこられました。配給所廃止は計画経済との決別を象徴する出来事です。これを「キムジョンウン経済改革の一区切り」と言わずして何と言うべきでしょうか?

■悪く書き立てようとするあまり支離滅裂気味なコ編集長
私のように、現在の経済改革路線を支持している立場からすれば、このニュースは共和国の歴史、朝鮮革命の歴史において大きな肯定的出来事だと認識するのですが、とにかく共和国のことを悪く書き立てたいのか、それとも単に無知なのかは分からない(どっちもなんでしょうねー)のですが、コ編集長の見出しの書き方は支離滅裂気味になっています。

金正恩氏のメンツも丸つぶれ…北朝鮮「計画経済」が名実ともに破たん」というのは妙な表現です。計画経済の再建を目指していたものの再建を途中で放棄したとか、再建努力の失敗を認めたというのであれば分かりますが、キムジョンウン委員長は、就任当初から市場化を目指してきたのですから、この表現は妥当ではないでしょう。

金正恩氏のメンツも丸つぶれ」というのも、それに対応する本文中の記述が「全国の小学生に特別配給として配られたお菓子セットは不味いと大不評で、市場で二束三文でたたき売りされた。これでは金正恩党委員長の面目丸つぶれだ」であるのならば、意図的にミスリードを誘っていると考えざるを得ない書き立てっぷりです。「計画経済を復活させようとして失敗しメンツ丸つぶれ」と読めます。イデオローグであるならまだしも、ジャーナリストであるというのならば、不誠実極まりないものです。

■3世代にわたっての懸案だった「社会主義における市場の活用」への解答としての「配給所廃止」までの道のり――キムイルソン体制・キムジョンイル体制の回顧
なお、本文中の「北朝鮮は、他の旧共産圏でも類を見ない完全な配給制度を実施していた」というくだりを見るに、おそらくコ編集長はご存じないものと思われるのですが、共和国ほど配給制度を柔軟にとらえていた社会主義国は珍しいと言えると私は考えています。以前から述べており、下記でも改めて述べるように、キムジョンウン委員長の経済改革は3世代にわたっての懸案だった「社会主義における市場の活用」という思想的・政策的課題に対してようやく一定の解答が出てきたのだと考えています。

9月9日づけ「共和国における経済改革の進展――建国69年目のチャレンジの行方」でも引用しましたが、チュチェ58(1969)年3月1日発表『社会主義経済のいくつかの理論的問題について 科学・教育部門の活動家の質問にたいする回答』においてキムイルソン主席は、「我々が、まだ人民生活に必要なすべての品物、特にほうきとかパガジ(ふくべ)のようなこまごました日用品や、食肉、卵、ゴマ、エゴマのような副食物などをすべて国家で十分に供給できない条件のもとで、そういったものを個人が副業で生産し、市場にだして売るのがどうして悪いのでしょうか。それが立ち後れた方法ではあっても、すべてを先進的な方法でできないときには、後れた方法も利用しなければなりません。」と指摘されています。

また、闇市の取り締まりについても、「そんな対策では商品が一部の人たちに集中する現象をある程度調整できるだけで、それが農民市場で又売りされたり、闇取引される現象を根本的になくすことは決してできません」と鋭く指摘されています。

さらに、これはもはや「伝統的理論」に則っていると言ってよいのか分からないくらい革新的な見解ですが、「国の工業化が実現し、技術が高度に発展して、人民の要求するあらゆる消費物資が豊富にな」り、「どんな品物でも国営商店で買えるようになれば、誰も、しいてそれを農民市場へ行って買おうとはしないはずであり、また、そのような品物が農民市場で売買されることもな」くなるはずであり、そのような状況下では各商品は国内の「すべての地域で、同じ価格で実現され」るとした上で、「このように品物が豊富で、同じ価格で実現されるとき、それは供給制と変わりありません」とまで述べていらっしゃるのです。

このように、キムイルソン主席は、自生的な市場経済活動に対してかなり柔軟な見解を持っておられたのです。このことについて私は、前掲記事で次のように述べました。
>> ところで、キムジョンウン同志の経済改革は、いままで市場を廃絶しようと努力してきた共和国が、ある日突然に諦めて方向転換した結果なのでしょうか?

私は、決してそんなことはなく、「社会主義における市場の活用」は共和国の歴史的な思想的・政策的課題であり、それに対して最近ようやく一定の解答が出てきたのだと考えています。

(中略)
今日のキムジョンウン同志の経済改革の第一目標は、人民生活の向上です。建国の父が「人民の生活上の便宜」という観点から市場の活用について評価していた点を踏まえれば、キムジョンウン同志が人民生活の向上のために市場を活用するのには、何の障害もありませんキムジョンウン同志の方法は、キムイルソン同志の方法であるといえます
(中略)
このように、今日、キムジョンウン同志が取り組んでいる「計画部分と市場部分とを混在させる試み」は、キムイルソン同志のチュチェ58年の労作に、その原型が既に見られると私は考えています。 <<

コ編集長がいう「類を見ない完全な配給制度」とは、いったい何のことでしょうか? 偉大な首領様が直々に「農民市場があることは悪いことではなく、闇市なんて根絶できるわけがない」と事実を正面から受け止め、イデオロギー的原則性に対して柔軟に対処していたことを「完全な配給制度」と言いたいのでしょうか? コ編集長と私は、意思疎通もままならないほどに語句選択のセンスが大きく異なるようです。

キムジョンイル総書記時代についても、これもまた完全には「反市場」ではなかったと言えます。前掲9月9日づけ記事でも述べたように、チュチェ91(2002)年の「7.1経済管理改善措置」は漸進的な経済開放政策でした。また、イデオロギー面においても、キムジョンイル時代に発表された音楽作品や文学作品においては、「個人の営利追求行為」や「個人間の競争」が肯定的に描写されていたものです。

残念ながら、キムジョンイル総書記の時代は、イラク戦争勃発以降、何よりも国防が最優先となり内部引き締めが強化されることで、市場化に歯止めが掛けられてしまいました。キムジョンイル総書記は先軍政治の終結を宣言する前にこの世を去ったので、結局のところ、「反市場」的な実績ばかりが目立ってしまいます。しかし、前述のとおり、情勢がそれを許さなかったものの、ゆくゆくは慎重に慎重を重ねつつも、徐々に市場経済を取り入れる方向に向かったものと思われます

■斯くして、ついに計画経済から完全に決別し、市場経済の活用に不可逆的に舵を切った
このように、キムイルソン主席とキムジョンイル総書記は、ともに、必ずしも「反市場・統制的計画的経済」を志向していたわけではなく、むしろ、「イデオロギーだけが国家存立の基盤」という意味では似たような境遇にあった東ドイツと比べれば、はるかに柔軟な姿勢で市場メカニズムとの付き合い方を考えてこられたのです。そして、キムジョンウン委員長の時代を迎えて、ついに計画経済から完全に決別し、市場経済の活用に不可逆的に舵を切ったのです。大英断です。
posted by s19171107 at 23:44| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2017年10月15日

日本共産党の9条の完全実施・自衛隊解消プランは、実はごく当たり前のことを言っているだけ

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171008-00000504-san-pol
>> 安倍首相「侵略受けたらどうなる」 志位委員長「政権奪取後しばらく合憲」 共産党の自衛隊違憲論めぐり
10/8(日) 9:30配信
産経新聞

 与野党8党首が7日臨んだインターネット中継動画サイト「ニコニコ動画」の党首討論会では、自衛隊は憲法違反との立場を取る共産党の志位和夫委員長への批判が集中した。


(中略)

 志位氏が党綱領に基づき「国民の多数の合意が成熟して初めて解消に向けた措置を取ることができる」と説明すると、安倍晋三首相(自民党総裁)は「志位氏が首相になり、『自衛隊は違憲』といった瞬間に自衛隊法は違憲立法となる。この間に侵略を受けたらどうなるのか。災害出動もできない」と畳みかけた。

 さらに公明党の山口那津男代表が「立憲民主党も拒否するのに、どうやって政府を作るのか」とただすと、志位氏は党綱領に基づき「(共産党を含む)政権はすぐに自衛隊を解消する措置はとれない。(しばらく)合憲という立場を引き継ぐ」と説明した。


(中略)

 激しいやりとりを聞いていた希望の党の小池百合子代表(東京都知事)も参戦した。「『しばらくの間は合憲』といったが、平成5年の自社さ政権では、社会党が一夜にして自衛隊をめぐる立場を変えた。志位氏も同じことになるのでは」と加勢した。

 志位氏は「党として違憲という立場を変えない。憲法判断を変えるのは情勢が熟したとき」と再度言及したが、小池氏は「しばらくの間とか当面の間などは世界情勢の中で許されない。無責任だ」と批判を重ねた。これには安倍首相も「その点については小池氏とまったく同じ意見だ。しばらく合憲と認めるが、自衛隊は命をかけるというのはあまりに無責任だ」と歩調を合わせた。

 志位氏は「私たちが参加した政権が、すべての国々と平和的な友好関係を作る。日本を取り巻く平和的な環境が熟する。それをみて国民の圧倒的多数が『もう自衛隊がなくても安心だ』となったら、初めて9条の完全実施(自衛隊の解消)ということだ」と訴えたが、首相らは首をひねったままだった。


(以下略) <<
相変わらず苦しい理屈です。もっとも、「表向きはxxだけど、実際には如何ともしがたい事情により...」というのは現実世界では往々にしてあるもの。その意味では、志位氏の言い分は「まったく理解不能」というわけではありません。理屈の縛りで身動きができなくなりがちな共産主義者の割には、柔軟で現実主義的と言ってもよいでしょう。

しかし、憲法や法律というものは、理想の未来社会のビジョンを宣言するものというよりも目の前の現実的問題を解決するにあたっての実務的なものなのだから、いったん改憲して、それこそ「もう自衛隊がなくても安心だ」となった段階で初めて9条を「復活」させればいいのではないかとも思うのであります。

まあ、共産主義者は、「宣言」に基づいて目的意識的に理想を目指そうと心掛ける人たちであり、七転八起の精神で理想の旗を掲げ続けようとする人たちですから、一度掲げた理想の旗を降ろすことはできないのでしょう・・・私は日本共産党は支持していませんがチュチェ思想信奉者なので、そういう考え方はとてもよく理解できますw

それはさておき、志位氏の「(共産党を含む)政権はすぐに自衛隊を解消する措置はとれない。(しばらく)合憲という立場を引き継ぐ」という発言と「私たちが参加した政権が、すべての国々と平和的な友好関係を作る。日本を取り巻く平和的な環境が熟する。それをみて国民の圧倒的多数が『もう自衛隊がなくても安心だ』となったら、初めて9条の完全実施(自衛隊の解消)ということだ」という発言を踏まえて分析すると、日本共産党の9条の完全実施プランというのは、結局のところ、「国民が自衛隊を必要だと思う間は存続させ、必要ないと判断すれば解消する」ということに尽きるのではないでしょうか。

こんなの当たり前のことです。国民が自衛隊を必要だと思っているのに共産党政権が勝手に自衛隊を解消させれば独裁以外の何物でもないし、国民がもはや必要としていない行政組織が廃止されずに残っているとすれば、これは自衛隊に限らず行政改革の対象でしょう。

このように考えると、日本共産党の9条の完全実施プランなどというものは、特異なことを言っているように見えて、実はごく当たり前のことを言っているだけ政策として特筆すべきことは何も言っていないのです(「情勢が熟したとき」っていつ?)。

だからみんな、あんまりイジメないであげてね。結局、憲法を「理想の旗印」と考える進歩的考え方と、憲法を「現実のソリューション」と考える一般的な考え方とのギャップですから。進歩的考え方も大切だと私は思いますよ(それだけじゃ観念論に転落するけど)。いいじゃん、いつになるのかは、たぶん本人たちもまったく見当がついていないんでしょうけど、当面は自衛隊を存置させるって言っているんだから。

ただ・・・平和の問題は日本共産党にとっては「政策の柱」なのだから、政策として特筆すべきことは何も言っていない、ごく当たり前の話に終始するのは、いかがなものなのかとも思うところです。
ラベル:政治 日本共産党
posted by s19171107 at 23:32| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2017年10月12日

この調子では、今後も若者たちは安倍自民党の「支持基盤」であり続けるだろう

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171011-00010002-binsider-bus_all
>> 「売り手市場が続いてほしい」:20代が希望の党より自民党を支持する理由
10/11(水) 12:10配信
BUSINESS INSIDER JAPAN

民進党が事実上解党し、小池百合子代表が率いる希望の党が過半数獲得を目指すなど、自民党の大幅議席減の可能性も出てきたが、若者の自民党支持は高止まりしている。


(中略)

アベノミクスの“恩恵”と感じる就活状況

なぜ若者は自民党を支持するのか。

実際に若者の声を聞くと、まず聞こえてくるのは経済政策への評価だ。

都内の私立大2年の男子学生(21)はこう語る。

「自分と高校も大学も同じ2歳上の兄がいい会社に就職できているし、サークルの先輩も就活に成功している人が多い。アベノミクス以降、株高、企業の業績向上、ベースアップが実現している。このまま今の売り手市場が続いてほしい」

地元の広島県では、叔父が人材派遣会社を経営しているが、安倍政権になって以降、会社の調子がいいとよく聞く。近所の自動車部品工場でもトラックの行き来が明らかに増えている。

「民主党政権時代は大変だったと聞いています」

地方の国立大3年の女子大生(21)も、今回自民党に投票するという。「政権交代以降、売り手市場になっていて、先輩たちの就活も安定している。失敗している人はあまり聞いたことがない」と語るなど、アベノミクスへの評価は高い。

実際、9月29日に発表された平成29年版厚生労働省「労働経済の分析」によると、全ての年代で失業率は低下傾向にあるが、中でも15〜24歳の若年層の失業率は第2次安倍政権誕生以降、大きく低下している。

要因としては企業が人手不足から採用活動を活発化していることが大きいが、学生からすると「アベノミクスの恩恵」と映るのだろう。

特に、学生に大きな影響を与える内定率はかつてないほどに改善している。

大学等卒業予定者の就職内定率は2011年3月卒の91.0%を底として、2012年以降改善を続けており、2017年3月卒の就職内定率は前年同期比0.3ポイント上昇して97.6%と1997年の調査開始以降で最高の水準となっている。同様に、2013年以降平均給与は上昇を続け、初任給も上昇している。安倍政権を変えたい、という願望には結びつかないのだろう。

2016年参院選では18、19歳の6割弱が安倍政権の経済政策をポジティブに評価し、30歳以上の世代よりも10ポイント以上高くなっている。

民主党政権の強い負のイメージ

一方で、今の20代にとって政権交代の負のイメージは強い。

前出の女子学生は1996年生まれ。「中学生という社会に関心を持ち始めた頃にちょうど民主党への政権交代がおき、何か変わると期待したけど、途中で人が抜けたりグダグダになったイメージが強い」と話す。

同じく前出の男子学生も1996年生まれ。「民主党政権時代は他国に足元を見られて竹島や尖閣諸島に上陸されたり、対応が弱々しかった。安倍首相は周辺国からの挑発にも毅然と対応していて頼もしく感じる」と外交面での違いについて語る。

新しい動きである希望の党については、「確かに新党だけど、民進党の議員も多くて、あまり信用できない」。

若い世代には盤石な支持を誇る安倍政権だが、一党多弱による強硬な国会運営などで、森友・加計問題の報道がピークになった7月には10代・20代の内閣支持率が半減するなど、支持離れも素早い。

しかし、それを差し引いても政権交代には期待できないという声は多いのだ。


(中略)

「本当は若者や弱者を重視したリベラルな政党に投票したい。けれど日本の野党は現実的な対案を示さず、無意味な揚げ足取りも多い。二大政党制ができるべきだと思うけど、現状では自民党内で“政権交代“した方が日本にとってはいい」(27歳男性会社員)

情報源が多様化し、実績も容易に数値化されるようになった現代を生きる若者は、思想的に政党を支持してきた高齢世代に比べ、より現実的に「国民の生活を向上させ、守ってくれる」というイメージを大切にしている。

それを批判するのはたやすいが、「上の世代は一度政権交代して失敗したら戻せばいいと言うけど、私たち20代前半にとってはその数年が大きい」(21歳女子学生)の言葉は重い。
<<
■あったり前のこと
なぜか「新鮮さ」すら感じる記事。至極当然のことなのに、いままで報道ではほとんど取り上げられてこなかった点に、いかに日本言論界が若者の視点・立場に立っておらず、「評論家」たちが狭い視野の範囲内だけで物事を考察・論評していたのかが明々白々にあらわれていると言えます。

若者にとっての最大の関心事が「就職」。いつの時代であっても当たり前のことです。仕方のないことです。若者の視点・立場に依拠すれば、「自分の食い扶持は、いま、自分自身で確保しなければならない」わけです。就活浪人はまだまだ一般的ではありません。それゆえ、最近の大学生は、3回生(3年生)がインターンシップをするのは当然、2回生向けのインターンシップも充実しつつあり、就活を意識している1回生だって決して特異ではありません(リクナビやマイナビとか見てみましょ)。

若者にとって「大学時代最大、かつ人生の方向性を決定づける重大イベント」に関して、少しでも有利な状況を作ってくれる人物・集団(安倍自民党)に支持が集まるのは当然でしょう。まして、その人物・集団と対決している別集団(旧民主党)に致命的なまでの悪評が立っているわけです。何の不思議あもりません。むしろ、こんな当たり前のことが分からない方が理解できないと言わざるを得ません。護憲運動には前衛がいても、就活戦線に前衛はおらず自力更生しかありません。NNTになろうものなら、お先真っ暗! 若者は就活で必死であり、それは仕方のないこと、当然のことです。

■安倍自民党の就活戦線への「強力な支援砲撃」を渋々認める
その点、下記の毎日新聞記事は興味深い内容に仕上がっています。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171009-00000010-mai-soci
>> <衆院選>若者層は保守的? 内閣・自民支持多く…世論調査
10/9(月) 8:30配信
毎日新聞

 衆院選公示を10日に控え、国政選挙では、昨年夏の参院選から選挙権を得た、18歳以上の10代の若者が今回初めて衆院選に臨む。総務省によると、前回参院選で10代は40歳前後の世代と同程度の46.78%が投票し、投票意欲は決して低くはない。各党とも新たな票田として注目しているが、各種の統計や専門家の分析によると、10代から30代までの比較的若い世代で政治意識が保守化していると言われる。全国各地の10代有権者10人にその背景を聞いてみた。【大隈慎吾、水戸健一、野原寛史】


(中略)

 こうした傾向について、10代有権者の多くは「何も知らないままなら、有名な候補に」などと政治的な知識不足を背景にあげた。福岡市の男子大学生(19)は「知らないし、わからないと現状維持で問題ないと考えるからではないか」と話す。

 「関心のない人がとりあえず名前を知っているから入れている」「自分の主張がないから、支持者の多い方に流される」などと同世代に厳しい指摘もあるが、「民主党政権はマニフェストも達成できず、インターネットの発達で失敗も隠せない」「安倍(晋三)首相はリオ五輪閉会式のスーパーマリオの演出など見せ方もうまい」といった声も聞かれた。

 世代間の違いを指摘する声も出た。北海道の男子大学生(19)は「自分たちは子供のころから雇用難。安倍政権で景気や雇用が改善し、わざわざ交代させる必要もないと考えているのでは」と話す。

 大阪市の予備校生(18)は「私の祖父母は野党側の考えに近いが、若い世代は安保闘争のような大きな政治運動の経験がない。野党の政策はどこか理想主義的で、現実的な対応をしてくれそうな自民がよく見える」と解説した。

 有権者の政治意識や投票行動を研究する松本正生・埼玉大社会調査研究センター長によると、他の各種世論調査でも10代を含む若い世代で内閣や自民党の支持率が高い傾向にあり、男性が女性よりも高いという。松本さんは「安倍首相のきっぱりとした物言いや態度に若者が好感を抱き、ある程度の固定ファンがいるのではないか。大企業や正社員を中心とする雇用の売り手市場や株高の現状が続いてほしいという願望が、若い世代で強いのだろう」と話す。

最終更新:10/9(月) 8:30
毎日新聞
<<
「若者は無知だから安倍自民党を支持している」と言いつつ、安倍自民党の就活戦線への「強力な支援砲撃」を認めています。毎日新聞記者は、ジャーナリストとしての最低限のモラルはあったのでしょう。

■景気「回復」段階で額面賃金が上がらないのは当然
狭い視野の範囲内だけで物事を論評しているのは言論界だけではありません。上掲毎日新聞は、安倍自民党の経済的実績について渋々ながら認めていますが、一般庶民の中には「アベノミクスで景気回復だぁ? なに言ってんだ、オレの給料はあがってねえぞ!」などと言う認識に留まっている人物が決して珍しくないものです。

率直に言って、事実として就活市場は「売り手市場」になっており、このことは景気の回復基調を示す動かしがたい事実です。そりゃそうでしょう。不況時においてコストカットの必要性に迫られた経営者・資本家にとって、ノウハウを持っている既存の従業員をクビにしたり、賃金カットでトラブルの火種を作るよりも、新卒採用を絞る方が何かとカドが立たないので、やりやすいものです。「コスト低減は新卒採用を絞ることから」というのは常識です。採用を絞って既存労働力のやり繰りで商売を回す、既存労働力の労働強度調整で相対的剰余価値の搾取を狙う。資本家の定石です。

そんな「真っ先に切られる」立場の就活生たちが、今や逆に、「売り手市場」の恩恵に浴していることは、景気回復が着実であることを示しているものと言ってよいでしょう。自分の給料にしか興味ない人物には分からないかもしれませんが、経済をマクロ的視点で見ればそう言えるものです。

■非自発的失業の概念に基づくマクロ経済学的分析
「景気回復とは賃金上昇のことだろう! なにを言っているんだ!」という強弁に敢えて答えるならば、景気の「回復」段階において既に職を得ている労働者の賃金が上がらないことは、経済学的に考察すれば、不思議でも何でもないことです。

我々がこれまで直面してきた不景気は、経済学的には「非自発的失業が発生している状態」といいます。詳しい定義はWikipediaで確認していただきたいのですが、平たく言えば、かのJ.M.ケインズが提唱した「現行の賃金水準で働きたくても働き口がない」状態のことです。

こうした状態における労働市場の需要・供給関係をグラフによって概念的に把握するならば、このようになります(このグラフの縦軸(W軸)は額面賃金、横軸(N軸)は雇用数です)。労働需要(企業)側は普通の右下がりの労働需要曲線を描くものの、労働供給(労働者)側は、横軸に対して水平な部分を含む右上がりの曲線を描きます。一般的な供給曲線が、水平部分を含まない右上がりの曲線であることとは対照的です。

非自発的失業が発生している状態において景気回復が起こったと仮定しましょう。商品市場が活性化し、それに伴って労働需要が増加します。労働需要曲線は、グラフ中のD1からD2にシフトし、均衡需要需要量がE1からEfに増加したとします。このとき、図から明らかなように、非自発的失業状態では労働供給曲線が水平であるために、景気回復に伴う労働需要の増加によって就業者数はどんどん増えてゆくものの、需要曲線と供給曲線の交点に定まる均衡額面賃金は、なかなか増えて行きません

額面賃金が増える始めるのは、グラフで言うところのEf以降、経済学的に言えば「完全雇用状態」(現行の賃金水準を受容する全ての労働者が就労しており、この状態においてもなお無職である人物は、「こんな安月給では働くだけ損だ」と考えている人たちだけであるという状態)においてのことです。

景気「回復」段階というものは、非自発的失業が発生している状態から、ゴールとしての完全雇用状態に移行するプロセスと換言することができます。上述の経済学的分析に基づけば、日本経済の現況は依然として景気「回復」段階であり労働供給曲線が水平なエリアにあります。それゆえ、アベノミクスの効果によって就業者数の増加は認められるものの、額面賃金の増加にまでは至らない状態にとどまっているのです。

■賃金上昇がみられるのは「景気回復期」の先にある「経済成長期」
額面賃金の増加は、ゴールとしての完全雇用状態を達成し、景気「回復」段階を脱して経済「成長」段階に至って初めて実現されるものです。まだ、日本経済はそこまでのフェーズには至っていません。景気が回復基調にあると言われるものの額面賃金が伸び悩んでいることは、経済学的に分析すれば当然のことです。景気「回復」が額面賃金の増加にまでは至らないカラクリはここにあるのです。

とりわけ、この景気回復によって就業者数は増加しているものの、正規雇用はそれほど伸びていないと言われています。このことはつまり、正規雇用労働市場は、まだまだ非自発的失業状態が深刻ということ。正規雇用労働者の額面賃金が増えないのは、ますます当然のことです。

現代日本人は自分から半径5メートルより圏外には関心がない視野の狭い人々の集まりなので、自分の賃金が増えないなどという狭い世界にしか興味がなく、その程度の卑近な事情だけで天下国家を語ろうとするのは、無理もないことなのかもしれません。しかし、あまりにも視野が狭すぎると言わざるを得ないのが正直なところです。

■この調子では、今後も若者たちは安倍自民党の「支持基盤」であり続けるだろう
就活が自分自身の問題である若者たちはシビアに現実を見ています。「若者は無知だ」と言っている言論界や、自分の賃金だけで世の中を語ろうとする視野の狭い人々を冷静に観察しています。

若者たちにとって極めて重要な論点である「就職戦線」は安倍自民党は独壇場です。この事実を直視し、安倍自民党以上に就活戦線を活性化させ得るプランを提示できない限り、若者たちは安倍自民党の「支持基盤」であり続けることでしょう
posted by s19171107 at 02:30| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2017年10月09日

多様性を軽視し、異文化を理解せず、不寛容な悪意的記事を書き立てる毎日新聞

どうもなかなかニュースを新鮮なままに取り上げられず、悔しいところです。遅れ馳せながら、中国国慶節について。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171001-00000031-mai-cn
>> <中国>「国慶節」で自賛報道 党大会控え権威強調
10/1(日) 17:38配信
毎日新聞

 【上海・林哲平】中国の建国記念日「国慶節」の1日、中国メディアはインターネットを活用した経済発展や国際的な影響力拡大を特集した記事を一斉に報道し、街頭にも自賛の動きが広がった。共産党大会を18日に控え、メディアを動員した国威発揚で党の権威を強調する狙いだ。


(中略)

 報道では「共産党なくして新中国なし」として党の役割を強調。「発展は大きな自信だ」(上海市の李栄さん)との歓迎が多い。一方で「大国は自らを誇らない。自賛のテレビ番組や本が多いと聞く日本同様に自信を持ちきれていない表れ」(同市の女子大学生)との冷静な声もあった。

最終更新:10/1(日) 21:58
<<
そりゃまあ、中国人は「正統」を重視する文化的・伝統的な考え方を持っている上に、共産主義的進歩思想は「共産党の周りに全人民が団結し、その正しい指導に従って未来社会を自ら切り開いてゆく」というビジョンを持っているのだから、なんら驚くような話ではありません。中国の御国柄を踏まえれば、ごく普通の出来事です。

日本人的感覚に照らした場合、現代日本では一国レベルで何らかの目標に結束して取り組むことはほとんどないので「共産党の周りに全人民が団結」というのはちょっと違和感を感じるかもしれませんが、同じ目的に向かって結束して取り組んでいる集団が達成した成果を振り返り、互いの努力を称えあい、「リーダーが上手く采配を振ってくれたお陰だねー」と語り合うくらいのことに読み替えれば、それほど奇怪・異常とは言えないでしょう。文化大革命時代のように、ほとんど同じような服装をしているウン十万人の群衆たちが広場に整列し、合図とともに「万岁!!」と叫び始めているのであれば分かるけど、今回はそんな展開ではありません。

中国の御国柄を踏まえれば、ごく普通の出来事であり、日本人的感覚に照らしても、それほど奇怪・異常とは言えないレベルの出来事を自賛報道」などと書き立てる毎日新聞。現代日本においては、一般的に「自賛」という語句はいい意味では使われません。とりわけ、他人の言動について「自賛」と指摘するケースは、「くだらないことを実態以上に誇大して吹聴しまわっている」といったような意味合いになります。悪意さえ感じる語句選択です。

まして、このことを「同市の女子大学生」へのインタビューという形にしているとはいえ、「自賛のテレビ番組や本が多いと聞く日本同様に自信を持ちきれていない表れ」などと、日本のバカウヨと並べるが如く書き立てるのは、輪をかけて悪意的であるとさえ言えます。

前述のとおり、中国が自国の発展の成果を誇ることは、「共産党の周りに全人民が団結し、その正しい指導に従って未来社会を自ら切り開いてゆく」というビジョンに基づくものであり、「苦労したけど頑張ったね、これからも頑張ろう」という点において、それほど奇怪・異常とは言えない言行です(少なくとも建前ではネ)。

他方、日本のバカウヨたちの言行は、自分とはまったく何の関係のない先人たちの努力の成果を何故か自分が達成したことであるかように誇る意味不明な自慢話です。共通点なんて唯一「お互いに日本人であること」だけ。自分たちのチームが挙げた努力の成果を誇っている中国に対して、バカウヨは、努力した先人たちのチームに勝手に入り込んで、自分自身は何もしていないのに他人の努力の成果を自慢し回っているに過ぎないのです。「その話は確かにすごいとは思うけど、なんでお前が鼻を高くしているの?」と言わざるを得ないのがバカウヨの言行です(こっちは建前でさえ自分の成果ではない。バカウヨはまったくをもって自分自身とは無関係のことを自慢している)。

この両者を混同する「同市の女子大学生」の不見識は甚だしいものですが、単に無知なだけかもしれません。それに対して、バカウヨ的言説のバカさ加減についてはよくご存じであろう毎日新聞記者が、一緒になって混同しているのは、文脈的に見ても悪意的な狙いを感じざるを得ないところです。

昨今の「多様性重視・異文化理解・寛容な社会」の風潮をリードしている毎日新聞が書いたとは思えないような、まるで産経新聞のような難癖。毎日新聞の普段の論調は一体どこへ行ってしまったのでしょう? 是非とも、多様性重視・異文化理解・寛容な社会の基本路線に従って、中国の御国柄を報じてほしかったものです。

中国の御国柄に沿った中国メディアの国慶節記念報道を「自賛報道」などと書き立てる毎日新聞が、永住外国人への地方参政権付与に反対する小池新党について「「寛容な党」矛盾しないか」などとするのは筋が通らない話です。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171003-00000111-mai-pol
>> <希望>踏み絵「外国人参政権」 「寛容な党」矛盾しないか
10/3(火) 22:09配信
毎日新聞

 ◇民進党からの入党希望者に、「政策協定書」署名を義務づけ

 希望の党の小池百合子代表は「寛容な保守」「ダイバーシティー(多様性)社会」を掲げている。その一方、民進党からの入党希望者には、外国人への地方参政権の付与に反対する「政策協定書」への署名を義務づけた。「寛容」「多様性」という看板と矛盾しないのだろうか。【福永方人、中村かさね】


(以下略) <<
毎日新聞が熱心に伝道を試みる「多様性重視・異文化理解・寛容な社会」とは、いったい何なのでしょうか? 「国」という単位で人々がまとまることが気にくわないのでしょうか? よくわからなくなってしまう一幕です。

【編集後記】義理もなければ意欲もないのに、なんだか中国共産党政権を弁護する形になってしまったのは、ちょっと不本意w
ラベル:メディア 中国
posted by s19171107 at 23:08| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2017年10月08日

共和国の自衛論理が報じられるようになった

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171006-00000088-mai-kr
>> <ノーベル平和賞>北朝鮮は「自衛論理」維持か
10/6(金) 21:17配信
毎日新聞

 北朝鮮は自らの核開発は米国の核兵器による脅威に対する抑止力で、自衛目的であるとの論理を今後も維持するとみられる。「米国などが核兵器を廃棄しないなら、自分たちにも核保有の権利がある」という立場だ。

 北朝鮮は今年7月に採択された核兵器禁止条約は、「核兵器の全面撤廃という人類の念願を反映したものだ」と評価。昨年10月、国連総会第1委員会で条約制定交渉開始の決議案に賛成した。

 しかし、今年3月には一転して外務省報道官声明で「米国をはじめとする核保有国が参加を拒否する中では、そうした念願を反映した結果がでるか疑問だ」と主張し、条約への不参加を表明した。また「世界の非核化が実現する時まで、核保有国の責任を果たしていく」とも強調した。

 保有国に核廃絶を迫る核兵器禁止条約を、自らの核開発を正当化する論理に援用している形だ。
(以下略) <<
共和国側の立場や認識・主張について、割と正確に伝えている記事です。意外に思うかも知れませんが、共和国は「核兵器の全面撤廃」というビジョンについては、「人類の念願」として肯定的に位置づけています。しかし、毎日新聞も報じている通り、アメリカと直接的に対峙せざるを得ない状況下では自衛目的の抑止力は不可欠であるために、已む無く核爆弾やICBMといった核武力の整備に邁進しているのです。

共和国とアメリカの圧倒的な国力の差・軍事力の差、アメリカの侵略的な歴史を鑑みれば、さらに最近について言えば、思い付き的に独立国家(シリア)に巡航ミサイルを撃ち込む(一回撃ち込んだっきりですが)ような大統領が執権している事実を鑑みれば、共和国の認識と行動は、主観的な思い込みなどではなく客観的に当然の成り行きと言えるでしょう。

こうした共和国の立場については、当ブログでは以下の2つの記事を筆頭に、理解を示しているところです。
7月29日づけ「ICBM発射実験は安保理決議違反だが正当防衛
9月27日づけ「弱小国が強大国と対峙する唯一の道は「刃物をもったキチガイのフリをすること」――「挑発」は合理的かつ正当防衛的自衛行動の一環

要約すれば、ミサイル発射や核実験といった一連の軍事的行動は、いずれも、アメリカの急迫不正なる直接的脅威に対する正当な自衛行動であること、そして、一見して不必要なまでに大袈裟な行動の数々も、弱小国である共和国が世界最強の軍事力を誇るアメリカと直接対峙する上では「刃物をもったキチガイのフリをする」という心理的抑止戦略のみが、戦争回避・体制維持の唯一の道であり、決して挑発しているわけではないということです。

共和国が主張する自衛論理が、割と正確に報じられるようになったことは特筆すべきことです。「曲解や揶揄抜きで報道される程度」には浸透し始めているようです。

というのも、これがもし、世間一般では全く受け入れられる余地がない内容だったら、その主張を正確に報じてはもらえなかったでしょう。旧ブログ時代以来、私は、光市事件裁判を筆頭とする重大刑事事件・裁判を巡る世論動向・報道動向を継続的にウォッチしてきましたが、日本の世論は、「悪者」認定された者の主張を伝えようものなら、その伝達者までをも激しく叩く傾向があります。「悪者」の言い分には一切耳を傾けてはならず、耳を傾けることは「悪者」の肩を持つことなのだそうです(「悪者」の主張に批判的論評や悪意的曲解を添えて報じることだけは、唯一の例外として許容される傾向があります)。

産経のような「特殊」な読者層を相手とする新聞が、しばしば捻くれ切った屁理屈を並べて事実を曲解・揶揄しているのは極端なケースですが、程度の差こそあれ、商業メディアというものは読者の反応を見越して記事を書く(敢えて書かないこともある)ものです。その点、共和国側の主張を割と淡々と伝えている上掲の毎日新聞記事は、特異的だなと思うところです。
posted by s19171107 at 22:55| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2017年10月04日

人の道を外れた前原民進党

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-09-29/2017092901_02_1.html
>> 「希望の党」は自民の補完勢力 前原提案は「重大な背信行為」
党議員団総会 志位委員長が批判

 28日の日本共産党国会議員団総会であいさつした志位和夫委員長は、民進党の前原誠司代表が「希望の党」への合流を提案した動きを受け、市民と野党の共闘について発言。そもそも「希望の党」は結党会見で、安保法制=戦争法を容認し、9条を含めた憲法改定も公言していることなどをあげ、「自民党の補完勢力であることは明らかだ。共闘・連携の対象にならないことも明らかだ」と述べました。その上で、民進党の候補者が「希望の党」の公認候補となった場合、日本共産党は原則として公認候補を擁立してたたかうと訴えました。

 志位氏は「前原代表の提案は2年間の共闘の積み重ねを否定するものだ」と批判。公党間の合意を一方的にほごにし、市民連合との合意を一方的に裏切るものだとして、「重大な背信行為だ」と糾弾しました。


(以下略) <<
久々の「自民党の補完勢力」論はさておき、重大な背信行為」という糾弾は正しい!

「民進党が本心では共産党との共闘なんてやりたくなかった証し」だとか「ビジョンがまったく異なる民共合作の野党共闘なんて、どだい無理な話だった」、「野党共闘が成功して安倍自民党を倒した後の展開が、思いがけず先に実現しただけ」といった問題ではないのです。不本意だとしても、やらざるを得なかったとしても、どうせこうなるのは目に見えていたとしても、人間同士の信頼関係を一夜にして崩すようなことはするな!

偉大な領導者、キムジョンイル同志は次のように指摘されています。
われわれは、都合のよいときには兄弟となり、都合の悪いときには他人となり、得になるときには親友となり、損になるときには敵となる、といったような人間関係には憎悪を覚える。

朝鮮式社会主義の根本にあるチュチェ思想は、人間同士の愛と信頼を最も神聖かつ貴重なものと見なす思想です(それゆえ、9月11日づけ記事でも言及したとおり、家族間での愛と信頼に対する裏切り行為である不倫に対しても刑法270条に基づき刑事罰が下されます)が、「人間同士の愛と信頼を重視する」という観点は、程度の差こそあれ、人間の類的な本質に照らせば万国共通のものだと思います(私も常々、「我々の社会の基本的紐帯は人間同士の信頼関係である」と述べているところです)。

その点において、今回の民進党の”保守”系議員たちの所業は、人間同士の信頼関係を棄損する、想定できる範囲における最低最悪級の行為であり、「重大な背信行為」という志位氏の糾弾は一点の疑いもなく正しい。私は基本的に日本共産党の政策や言説は支持しておらず、むしろ批判的な主張を量産しているくらいであり、それゆえ、日本共産党を弁護しなければならない理由などまったくありませんが、このことに限っては日本共産党の言い分を100パーセント支持しなければならないと思います。民進党・前原氏の所業は人の道から外れていると言ってもよいでしょう。
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2017年10月02日

カデット(立憲民主党)がボリシェヴィキ(共産党)と手を組み、早くも民進党に逆戻りしそう

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171002-00000014-jct-soci
>> 枝野新党、小池氏と違って排除はナシ 「一緒にやりたいのであれば、どなたであれ」
10/2(月) 20:56配信
J-CASTニュース

 枝野幸男氏が2017年10月2日、東京都内で会見を開き、新党「立憲民主党」の設立を発表した。民進党の理念・政策を引き継ぎ、衆院選に臨む。

 民進党は小池百合子氏が代表の「希望の党」と合流する予定だが、小池氏はいわゆるリベラル派を「排除する」との考え。一方で枝野氏は、一度は希望の党に合流しようとした民進党前議員であっても、「一緒にやりたいという声があれば、排除することなく加わってもらいたい」としている。


(以下略) <<
「一緒にやりたい」というだけで誰でもウェルカムというのであれば、「それは違う」と言わざるを得ません。そういうのは、「リベラル」とも「多様性重視」とも無関係です。大枠の政策的共通性で厳選しましょうよ。しなきゃダメですって。

いわゆる「一枚岩主義」が冗長性の欠如によって逆に脆弱である点、強い組織というものはある程度は懐広く多様性に寛容であることが必須条件ですが、単に「政策の一致」を求めているに過ぎない小池新党への対抗上とは言え、こういうことを言っている枝野新党は、結局、民進党的な「なんでもあり」に落ち着きそうな勢いです。まあ、本心では枝野氏とは目指すことろが異なる候補者のうちで、彼の新党への参加を志すのが居ればの話ですが。日本共産党は手を差し伸べてくれるでしょうけどね。

対内的には、結局は民進党的な「なんでもあり」。対外的には、日本共産党との共闘路線。要は民進党じゃないですか。

立憲民主党だなんて命名したのは不吉ですね。ゲンを担ぐわけではありませんが、ロシア革命100周年の節目の年に「カデット(立憲民主党)がボリシェヴィキ(共産党)と手を組む」だなんてw

リベラル政党と左翼政党が候補者を調整し、選挙区を棲み分け合う程度ならばわかるのですが、衆議院の政権選択選挙で「統一候補」ってのはちょっと理解できないんですよね。やはり政策の違いが大きすぎるように思います。「立憲主義の回復」は重大なテーマとはいえ、自民党政権が駆逐され立憲主義の回復されれば直ちに、次の政権ビジョンが求められるわけです。その点、リベラル政党と左翼政党ではビジョンに差異があるので、これらが「統一候補」を出すというのは、ちょっとどうなのかなと思わざるを得ないところです。あっと言う間に瓦解して元の木阿弥でしょう。

政権与党時代の旧民主党内以上に「振れ幅」が大きいカデット(立憲民主党)とボリシェヴィキ(共産党)が手を組むのは、果たして政権選択選挙としてどうなのか・・・「中間選挙」的で、気楽に政権批判票を投じられる参議院選挙のときから言われていたことですが、いよいよ政権交代も可能な衆議院の「本選挙」でも「野党統一候補方式による共闘」はいかがなものか・・・?

単独で政権を握れない限りは、旧社会党のように、「1と2分の1政党制」的な力学で「与党に好き勝手させないが、自分たちも主体的に何かできるわけではない」とするほかないでしょう。「野党共闘」など、結局は、かつて旧社会党が自力で達成していた状況を、複数の弱小野党が寄り集まってやっとの思いで作り上げるようなもの。いまの状況下では唯一の合理的戦略であり、悪く言うつもりはありませんが、「安倍政権打倒」だなんて無理なことは言わない方がいいですし、与党側の「野合」批判に効果的に抗するためにも、正直にこのことを告白したほうがよいでしょう。「あくまで野党としてのチェック機能を十分に果たすための連帯・共闘であり、こんなので政権を取るつもりなどありません」と言った方が、正直で心象がよいし、「自民一強」の弊害が顕著な昨今では有利と言えるかもしれません。
ラベル:政治
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2017年10月01日

民進党内のリベラル派人士、ギリギリのところで踏み止まる

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171001-00000030-asahi-pol
>> 阿部知子氏、リベラル約10人で「火、水曜までに新党」
10/1(日) 18:57配信
朝日新聞デジタル

 神奈川12区(神奈川県藤沢市、寒川町)からの立候補を予定している民進前職の阿部知子氏は1日、民進党のリベラル系議員ら約10人で、「火、水曜(10月3、4日)までに新党を立ち上げる」と述べた。藤沢市内での街頭演説後、報道陣に語った。


(以下略) <<
社民党から旧民主党への移籍まではよいとしても、民進党から希望の党への移籍計画はさすがに変節級の鞍替え。ギリギリのところで踏み止まったようでよかった。

安倍首相の「国難突破解散」という幸福の科学みたいなネーミングセンスによる命名にはじまり、取ってつけたような与党公約、お笑いレベルの民進党の瓦解劇、予想の斜め上を行っていた小池新党の動向と、保守政治家たちの迷走ぶりが目立つ日々でしたが、民進党内のリベラル派人士たちも迷走し始めたこと、特に阿部知子氏が「原発ゼロ」という程度の一致点しかないのに、小池氏と「ぜひ一緒にやりたいと思う」と言ったのには本当にガッカリしていました。「その程度の一致点しかないのに、保守を公言している小池新党に擦り寄るとは・・・」と思っていました。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170929-00000036-asahi-pol
>> 民進・阿部氏「小池氏と原発ゼロ、ぜひ一緒にやりたい」
9/29(金) 10:56配信
朝日新聞デジタル

 民進前職の阿部知子氏(69)は29日午前7時すぎから、神奈川県藤沢市の湘南台駅前でマイクを握った。民進党の希望の党への事実上の「合流」の動きについて、「安倍政権の横暴を何としてもやめさせてほしいとの国民の期待を、二大政党、政権交代につなげるために何をすべきかの(動きの)結果」と位置づけた。

 小児科医でもあり、「子ども、女性、脱原発」を自らのテーマと位置づけて取り組んできた自負がある。希望の党の代表の小池百合子・東京都知事が「原発ゼロ」を掲げたことは歓迎し、「ぜひ一緒にやりたいと思う」。


(以下略) <<
旧民主党時代から民進党はごった煮的で、それが党の弱点でした。「いろいろな人がいる」という意味では昔の自民党もそうでしたが、旧民主党・民進党はそれ以上に「振れ幅」が大きく、なおかつ、「いろいろな人」たちを統御できるほどの実力者もいない党でした。そんな党はさっさと解散させ、リベラルが集結するのはよいことでしょう。

国会には緊張感がなければなりません。私の立場はリベラルではない(かといって保守と言うわけでもありません)のですが、リベラル勢力が弱すぎるというのが正直な感想です。共産党も含めて非保守勢力には、もう少し存在感ある程度に伸びてほしいと思っているところです(共産党は左翼であり、いわゆるリベラルではないけれど)。

ちなみに、「菅直人氏「リベラル勢力、結集するチャンス」 小池新党の「選別」うけ「うごめき」」という記事がありますが、菅直人さん、あなたは「リベラル」だとは思いますが、有権者にしてみればお呼びではありませんヨ。菅直人氏が名前を連ねるか否かが新党の命運を握っているようなものでしょう。
ラベル:政治
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2017年09月30日

棲み分けと共存

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170930-00000009-ibaraki-l08
>> ムクドリ大群 追い払いは逆効果 ふんや騒音、自治体悲鳴
9/30(土) 15:43配信
茨城新聞クロスアイ


(中略)

■適地に誘導を
根本的な解決策が見つからないムクドリ対策に、千葉県では被害が大きい市川市を中心に、周辺自治体で広域的な対策会議を計画しているという。同市自然環境課も「追い払いは拡散するだけで解決にならない。適地へムクドリを誘導したい」と打開策を探す。

越川さんは「自分の自治体から出て行けば解決したと思うが、別の場所へ行ってより事態を悪化させていることを頭に入れないといけない。ねぐらを全て排除せずどこかは残して、ムクドリとの共存の可能性を探るべき」と強調する。

茨城新聞社

最終更新:9/30(土) 16:04
<<
■「棲み分け」と「共存」は峻別すべき
言わんとすることには強く共感するのですが、このプランは「共存」ではなく「棲み分け」と言うべきものですね。共存というと、同じテリトリーの内部に受容し、ともに協調して生活を営むといった具合の意味合いになりますが、このプランは決して住宅地でムクドリと「お隣さん」どうしの関係で生活するというわけではなく、ムクドリの生活環境を整備し、そこで勝手にやってもらうという考え方です。共存ではありません。

棲み分けと共存は峻別すべきです。一般的に、共存と言われると「お隣さん」どうしの関係で生活するというイメージを思い浮かべるものですが、都市部の住宅地における人間生活とムクドリの生活を「お隣さん」どうしの関係に持ち込むことは困難です。ここはビジョンを明確化するためにも、「棲み分け」と正しく述べるべきです。

※ちなみに、自然界における生物種どうしの関係性を「棲み分け」の概念から説明したのは、今西錦司を中心とする「今西進化論」であり、ダーウィンの適者生存・自然淘汰による進化論とは双璧をなすものです。ダーウィニズムではどうにも説明しきれていないように思える生物多様性は、今西進化論では容易に説明可能です。地球の生態系、生物の進化は、棲み分けの視点からこそ分析すべきものだと私は考えています。

■人間の社会生活における多様性にかかる問題においても、棲み分けと共存を峻別すべき
ところで、多様性の問題や、そこから発展しての共存の問題は、自然界における生態系の問題においても重要な考え方ですが、人間社会の維持においても重要な考え方であることは論を待ちません。しかしながら、最近は「猫も杓子も多様性」「とりあえず『多様性』と言っておけば正しく見える」時代。多様性という言葉があまりにも氾濫していて、その言葉が前提としている方法論や目指すビジョンが曖昧になりがちです。

棲み分けと共存を峻別すべきは、生態系の多様性にかかる問題だけではなく、人間の社会生活における多様性にかかる問題においても当てはまるものです。当ブログでも、自由な人間関係の基礎に棲み分けの原理があるという前提から主張を展開してきました。

たとえば、チュチェ105(2016)年7月31日づけ「棲み分け原理と価値観の多様性――自由主義的な人間関係の基礎」では、「異なる価値観に干渉しないこと」と「異なる価値観を受け入れること」とは別問題であり、棲み分けの自由主義は前者は保障するが、後者までもは保障しないものであり、無理に後者を保障しようとすれば、それは「強制的同一化」にも陥りかねないものであるとしました。

また、チュチェ105(2016)年12月5日づけ「小うるさい「職人」と棲み分けできる市場経済で本当に良かった!」では、棲み分けの原理が多様性の確保につながり、そして、自由市場こそが棲み分けの原理を実現するメカニズムであると述べました。

さらに、チュチェ105(2016)年12月12日づけ「自主的に選択的に開放することこそが真の意味での共生の道――共生するためにこそ、時に棲み分けることが逆説的に必要」においては(一つの記事に色々な論点を詰め込み過ぎた故に議論が整理されていないのは自分でも分かっているのですが)、タイトルどおり、共生するためにこそ、時に棲み分けることが逆説的に必要と述べました。

棲み分けは、自然界を分析する上でも人間社会を分析する上でもキーワードとなるものです。正しい語句の位置づけが必要です。とりわけ、共存との意味の違いを確定させるべきです。
ラベル:社会
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2017年09月28日

10月10日に「挑発行為」は、あるだろうか?

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170928-00000046-reut-kr
>> 北朝鮮、10月中旬にさらなる挑発行為の可能性=韓国
9/28(木) 13:20配信
ロイター

[ソウル 28日 ロイター] - 韓国は、北朝鮮が来月10日の朝鮮労働党の創立記念日や来月18日開幕の中国の共産党大会に合わせ、さらなる挑発行為に踏み切る可能性があるとの見方を示した。

韓国の国家安保室長、鄭義溶氏は28日、文在寅大統領との会合で、北朝鮮が10月10日と18日頃に行動を起こすことが見込まれると述べた。詳細は示さなかった。


(以下略) <<
10月18日の中国共産党大会開幕はまだしも、10月10日の朝鮮労働党創建記念日に行動を起こすのは、可能性として少し考えにくいと思われます。まあ、10月10日「頃」予防線を張っているし、10月10日と10月18日は日程的に近接しているので、どちらかが当たれば「予想的中」と言い得るでしょうけどね。

先日の共和国建国記念日を巡って西側諸国は「9月9日当日に何かがあるのではないか」と大騒ぎしたものの結局当日は何もありませんでしたが、それもそのはず。そもそも共和国にとっての「記念日」は、その日までの自分たちの革命的足跡を振り返り、その成果を祝い、酔う日であります。その日に合わせて学校や職場では繰り返し繰り返し政治教育・思想宣伝が展開され、万全の「備え」で当日を祝うのです。たとえば、いつも恒例行事のように展開されている「xx日戦闘」は、国家的記念日をターゲットに期間を設定した上で、その数日前〜前日までにはキャンペーン期間を終え、国家的記念日当日は「xx日戦闘を勝利のうちに完遂させた。...の生産指標は前年同月比〜倍となり・・・」と言った具合に成果を誇っているものです。

国家記念日の朝鮮中央テレビを見たことがある人がどれほどいるかは分かりません(最近はインターネット配信されているので、誰でも見ようと思えば見られます)が、朝から「歴史を振り返って」系の番組が延々と放映されているものです(なお、「労働者の国」である共和国では平日昼間は、朝鮮中央テレビは停波しています)。その点、当日は勿論、2〜3日前に何か行動を起こしたとしても、それでは政治教育・思想宣伝を展開する時間的余裕がなさすぎるのです。

この点は、西側諸国と行動原理が大きく異なります。西側諸国の感覚では、まさに「誕生日祝い」の如く、記念日の当日に大きなアクションを起こすものだと考えがちです。しかし、すべてのアクションを政治的な教育の材料と位置づけ、フル活用しようとしている共和国においては、記念日の当日に大きなアクションを起こしているようでは遅すぎるのです。短くとも1週間程度は欲しいですよね。

中国共産党大会の開幕に合わせての挙のケースについては、中国共産党の思考原理・行動原理に照らせば、共和国国内のケースとは真逆に当日を狙っての挙の方がインパクト大と言えるでしょう。メンツ重視の中国共産党ですから、当日に自分の顔に泥を塗られるようなことは一番嫌がるはずです。このことは、共和国指導部もよく心得ていることでしょう。その点、10月18日について警戒するのは理解できます。

しかし、繰り返しになりますが、国内向けの政治教育・思想宣伝の効果を最大化するという観点から言えば、10月10日当日にアクションを起こす可能性は、低いのではないかと私は見ています。10月10日を祝うための挙であるなら、遅くとも10月4日〜6日くらいまでには「やっておきたい」ものです。

相手側の行動原理ではなく、自分たちの行動原理の延長線上での相手側の出方を推測する、自称;韓「国」の、「政府」を名乗る集団の「分析」の実態が透けて見えます。
ラベル:メディア 共和国
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2017年09月27日

弱小国が強大国と対峙する唯一の道は「刃物をもったキチガイのフリをすること」――「挑発」は合理的かつ正当防衛的自衛行動の一環

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170927-00143621-diamond-int
>> 北朝鮮の瀬戸際外交が心理学で見れば合理的な理由
9/27(水) 6:00配信
ダイヤモンド・オンライン


(中略)

● 北朝鮮の第2の戦略は 「狂犬戦略」
 筆者には、北朝鮮も、かつてのソ連のようになろうとしているように見える。力関係の差を何とか埋めようとしているのではないだろうか。頻繁に行われるミサイル発射や水爆実験や、やたらと米国を挑発するような行動は、本気で戦えば米国にダメージを与えることができるというメッセージだ。

 そうすることで「冷戦」に持ち込めれば、みな容易には手を出せなくなる。北朝鮮の狙いはそこにあるのではないだろうか。

 だが、今の北朝鮮の経済規模では、かつてのソ連がやったように、兵器開発に膨大な予算をかけることは無理だ。そこで、彼らがやろうとしているのは、「狂犬戦略」である。

 まず彼らは水爆などの、「リーサルウエポン」を開発する。それをうまく使えば、核の飛び交う第3次世界大戦を引き起こすことができる。そうなると世界は滅亡だ。滅亡に至らなくとも、現在の大国は相当なダメージを受ける。

 当然ながら、どの国もそれは望んでいない。したがって、「北朝鮮に手を出すと、あいつら世界滅亡の引き金を引きかねない」という状況をつくることが北朝鮮にとって合理的選択になる。

 そのためにはわざと「何するかわからない」「いつ暴発するかもしれない」という印象を作る必要がある。「あいつらは狂犬だ」という印象を与えることが、実は狙いだ。

● 「何をするかわからない奴」と 思わせることで身を守る
 この考えは、ニスベットとコーエンという2人の心理学者が唱えた「名誉の文化」の考え方と同じである。名誉を重んじる人は名誉を汚されると、徹底的な報復を行う。自分にとって損になってでも行うのである。それによって、「何をするかわからない、狂犬みたいな奴」という印象を皆に与え、自分の名誉を汚されないようにプロテクトするのだ。

 ニスベットとコーエンは、アメリカ南部出身の人々が、他の地域出身の人々よりも名誉を重んじる行動をとることを、綿密な統計分析と、実験によって暴いた。北朝鮮は狂犬になることで、「名誉を重んじる人」と同じ行動をとろうとしている。

 したがって、北朝鮮が時には中国やロシアにまで挑発的なメッセージを送るのは、自分たちの国は亡びるなら、世界も一緒に亡びる、という状況を作るための、実は冷静に考えた末の戦略なのではないかと思っている。

 以上の分析が正しいかどうかは、筆者も自信があるわけではない。的外れである可能性もあるだろう。だが、たとえこの分析が間違っていたとしても、「北朝鮮は金正恩が感情に任せて支配しているだけ」という見方をするのは危険だろう。

 北朝鮮の生き残りを、世界で一番真剣に考えているのは北朝鮮自身だからだ。一見、非合理的に見える彼らの行動の背景を合理的に分析する「姿勢」はいつでも大切にすべきと筆者は考えている。

渡部 幹

最終更新:9/27(水) 6:00
ダイヤモンド・オンライン
<<
■ついにネタバレされてしまった
おい! ネタバレすんなよ! その通りなんだから!!

7月29日づけ「ICBM発射実験は安保理決議違反だが正当防衛」でも述べたように、私は、朝鮮民主主義人民共和国(共和国)の昨今におけるすべての軍事的行動は、いずれも、「アメリカの急迫不正なる直接的な軍事的脅威に対する正当防衛である」と考えています。

たしかに、ICBM発射や核実験は、国連安全保障理事会決議に反する行動です。また私も、「国際的取り決め」は極力遵守すべきだと考えています。しかし、原則には例外がつきもの。安保理決議があっても、アメリカの急迫不正なる直接的な軍事的脅威という状況下における共和国のICBM発射・核実験は、正当防衛的に違法性が阻却されるので、不法行為ではないのです。

「いや、確かにお前の言い分には一理あるとは思う。自衛の範囲での軍備を整えるのは正当な行為だという意見も理解できる。アメリカと本気で対抗するのであれば、核武装も選択肢の一つだろう。しかし、北朝鮮の場合についていえば、わざわざアメリカの独立記念日に『贈り物』などとしてミサイルを発射するなど不必要なまでに一連の軍事的行動を敢行している点において『やり過ぎ』であり、これは挑発的な域に達しているのではないか?」という言説もあるかも知れません。共和国による核実験・ミサイル試射を「挑発行為」とする言説は、いまや日本社会において常識のレベルに達しているものです。

しかし、上掲『ダイヤモンド・オンライン』配信記事は、心理学の視座から、こうした「挑発行為」が、あくまでも敵との間に歴然たる戦力差を抱えている弱小国が取り得る自衛のための心理戦の戦略であることを明快に解説しています。極めて重要な指摘です。

何が起こるか分からない状況においてこそ人間は慎重になるものですが、その心理を逆手に取ったのが「狂犬戦略」。一見して破天荒で向こう見ずな「印象」を与えることで相手を困惑させ、次の一手を読ませないことで実態以上に自分を大きく見せることが、弱者が強者に立ち向かい得る数少ない戦略なのです。

■弱小国が強大国と対峙するための唯一の道は「刃物をもったキチガイのフリをすること」
米爆撃機に大慌てだった?北朝鮮 「撃墜」発言はこけおどしなのか」という記事が出ています。米軍の戦略爆撃機に対して共和国側が迎撃する素振りも見せなかったことが書き立てられていますが、まったくを以って驚くに値しないことです。そもそも、通常兵器による国防体制ではアメリカに到底対抗し得ないから一発逆転の核開発・弾道ミサイル開発に望みを掛けているのが共和国。防空レーダー網がマトモに作動していなかったとしても何ら不思議はありません。

その核兵器や弾道ミサイルだって、まだまだ開発途上
。実際に戦争状態になれば100パーセント滅亡する共和国としては、なんとしてでも戦争を回避するのが至上命題です。

核兵器・弾道ミサイルが対米抑止力として盤石なものになるまでの間における戦争回避手段は、「アメリカをその気にさせないようにする・侵略意図を挫くないしは反らす」ことのみですが、アメリカに対して恭順を示したところで、アメリカは自国の帝国主義的利益が第一であり、その障害物に対しては決して容赦しません。となれば、残された道は唯一、「刃物をもったキチガイのフリをすること」しかないのです。それこそが、ここでいう「狂犬戦略」なのです。

第四次中東戦争開戦前夜においてイスラエルがアラブ側の欺瞞作戦にまんまと引っ掛かり、緒戦でアラブ側が大勝利を収めた歴史的事実の立役者として、朝鮮人民軍の軍事顧問団が大いに活躍したのは知る人ぞ知ることですが、心理戦における朝鮮人民軍のノウハウは相当のものです。なんたってイスラエルを騙したんですから。そして、いまこの瞬間もアメリカとギリギリの瀬戸際で駆け引きを展開している事実から見ても、そのノウハウは確実に継承されています。

第四次中東戦争開戦前夜においては、共和国の軍事的序助言をうけたアラブ諸国は、実力よりもに自分たちを弱く見せることでイスラエルを油断させ、戦争を始めやすい環境を創出しました。「相手の誤解・誤認識を誘い、自分のペースに持ち込む」のは共和国の得意技。いま共和国は、核開発・弾道ミサイル開発が完成するまでの間は何としてでも戦争を回避しなければならないので、第四次中東戦争開戦前夜とは真逆の戦略をとっているものと考えられます。その点、共和国は決してホンモノの狂犬ではなく、冷徹に考え抜かれた末の演技としての「狂犬戦略」なのです。

■「挑発」は合理的かつ正当防衛的自衛行動の一環
わざわざアメリカ独立記念日に「贈り物」と称して弾道ミサイル発射実験を敢行するという「やり過ぎの挑発」に見える一連の行為も、強大国の現実的脅威に直面している弱小国が自己防衛するにあたっては、極めて切迫した状況下での必死の戦略です。前述のとおり、私は共和国のICBM発射・核実験は、アメリカの急迫不正なる直接的な軍事的脅威に対する正当防衛であると見ていますが、一連の「挑発的行為」もまた、正当防衛的対応の一環であると考えています。決して「向こう見ずな挑発」などではなく、弱小国なりの戦略なのです。

まだ「ネタバレ」には早く、もうすこし「国際社会」とやらは共和国による「計算ずくの演技としての『狂犬戦略』」に引っかかっていて欲しかったものですが、まあしょうがないですね。既に十分に利益を享受できていますから、そろそろいいでしょう。

■まんまと引っ掛かってくれた皆さんのお陰でした
ちなみに、共和国の「狂犬戦略」を日本国内で浸透させるにあたって、とりわけ大きな成果を挙げた功労者として、僭越ながら当ブログはDailyNK Japanの高英起編集長を表彰したいと思います。高編集長はまったくそんなつもり・自覚はなかったと思いますが、彼が日々量産しているゴシップ記事や「動物的なまでに衝動的な金正恩氏」といった類の一連のスキャンダラスな記事は、日本国民に「キムジョンウン=キチガイ」の印象を深く植え付けました。おかげで核武力整備・弾道ミサイル整備のための時間稼ぎに成功しました。「狂犬戦略」の浸透に多大な貢献を果たした高"동지"(同志)、고맙습니다(ありがとうございます)! もっと裏を読もうネ。
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2017年09月22日

河野外相、米コロンビア大で素人全開、馬鹿丸出しの挙に出る

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170922-00000059-asahi-pol
>> 河野外相、北朝鮮との断交訴え 講演で制裁の抜け穴非難
9/22(金) 14:43配信
朝日新聞デジタル

 「ここニューヨークにも到達可能なミサイルの技術開発を推進しているとみられます」――。国連総会のため訪米中の河野太郎外相は21日夕(日本時間22日午前)、米コロンビア大で講演し、核・ミサイル開発を強行する北朝鮮の脅威を強調。北朝鮮と国交のある160以上の国々は断交すべきだと訴えた。国際法の順守や多様性の尊重といった「3原則」も提言した。

 米国留学時に比較政治学を専攻した河野氏らしく、「迫り来る危機における外交」と題して英語で講演。北朝鮮がニューヨークにも到達可能な大陸間弾道ミサイル(ICBM)の開発を推進していることを紹介し、「米国や国際社会全体に対する差し迫った脅威に直面している」と語った。


(以下略) <<
■馬鹿丸出し
「東アジア地域全体に対する差し迫った脅威」と言うのであれば、まだしも、「米国や国際社会全体に対する差し迫った脅威に直面している」とは・・・「ジャパニーズにとっての『国際社会』は東アジアだけなのか?」と思われるような偏狭な発言は控えていただきたいものです。

日本人の国際情勢に対する鈍感さは良く知られているものですが、自分たちの喉元にナイフが突きつけられたからといって一転して急に「国際社会全体に対する差し迫った脅威」と騒ぎ出すとは、本当に恥ずかしいことです。情勢を分析する能力のなさを二重に証明しているようなものです。イランやパキスタンの方がよっぽど危なっかしいものです。

まあ、現代日本人は個人レベルでも国家レベルでも、表面的に自分とは関係ないように見えようものなら「他人事」と切り捨てる、半径数メートルよりも遠くのことに興味のない、視野の狭い国民性を持っている上に、あくまで自分の考えや感性に過ぎないものなのに、世間一般も同様に感じ・考えていると思い込む国民性(日本人の常識;世界の非常識。要するに、田舎者マインド。)があるので、ある程度は仕方ないのかもしれません。とはいっても、コロンビア大学で田舎者丸出し+情勢分析能力の欠如を披露しなくても・・・恥ずかしい・・・

■日本人的「備えあれば憂いなし」こそが平和ボケの極み
「NPTの統制下にない北朝鮮が核開発に邁進することによって、核拡散のリスクが・・・」などという、「ありがちな言説」について予め申し述べておきたいと思います。そのリスクが現実化する蓋然性はどの程度のものであるのでしょうか? まさか、科学的な計算もせずに、漠然と「リスク」などと口にしているのではないでしょうね?

日本人は「備えあれば憂いなし」という言葉をよく口にします。しかし、リスクが現実化する蓋然性の計算もせずに、ただ漠然と「危ないかもしれない」程度の認識で、際限なく対策を打とうとするのは、まったくをもって素人丸出しの行為です。ほとんどの場合、守るべき資産と防御予算に対して脅威と脆弱性は過大であり、それゆえ、リスクの蓋然性を計算した上で物事の優先順位をつけるのが通常のことだからです。アメリカや西ヨーロッパ、ロシア(旧ソ連)の振る舞いをよく見てごらんなさい。

こんな素人的発想に過ぎない戯言を「現実主義」などと自称している、ミリオタ気取りの中学生みたいな馬鹿が幅を利かせているのが現代日本。平和ボケの極みと言うほかありません。

リスク計算もせずに、ただ漠然と「備えあれば憂いなし」というのであれば、「宇宙人の地球侵略」や「ゴジラの東京上陸」にこそ、いますぐ対策を打つべきでしょう。朝鮮は、自国の利益になるのであれば交渉に応じる理性がありますが、宇宙人に交渉余地があるかは不明ですし、元は爬虫類(という設定)のゴジラに交渉が通じるとは思えません。いざ現実の事象になったとすれば、こっちのほうがよっぽど「危ない」ですよ!笑

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170922-00000034-jij-pol
>> 河野外相、北朝鮮との断交要求=160以上の国々に
9/22(金) 9:07配信
時事通信

 【ニューヨーク時事】河野太郎外相は21日、米コロンビア大学で講演し、北朝鮮の核・ミサイル開発を「これまでにない重大かつ差し迫った脅威」と位置付けた上で、北朝鮮と国交のある160以上の国々に対し「外交関係・経済関係を断つよう強く要求する」と呼び掛けた。
 
 外相は「160カ国以上の国が今一番の世界の脅威である北朝鮮と国交を結んでいるという事実を信じられるだろうか」と疑問を提起。
(以下略) <<
■お前のオツムの方が信じられない
打算の法理が支配する国際関係について、一応学者出身の一国の外務大臣がこんなことを発言する事実のほうが「信じられるだろうか」という他ありません。いやほんとうに信じがたいことです。おまえ何勉強してきたんだよ。なんで外務大臣やってんだよ。

前述のとおり、半径数メートルよりも遠くのことに興味のない連中の集合体である日本国内であれば、こうした物言いも通用するでしょう(実際、馬鹿の認識によると、朝鮮と国交を結んでいる国は世界に十数か国程度らしいですヨ)が、コロンビア大学の学生相手にコレはないでしょう・・・日本の格が下がるので、河野氏のような馬鹿には外務省検閲済みのスクリプト以外は読まないようにさせるべきです(まさか外務省も同じ認識? 記事からはチェックが入っているか否か分からないからな〜)。むしろ外相辞めろ。

国の恥になるので、本当にやめてほしいものです。
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2017年09月19日

実作業に関する知識に乏しく、相場を知らない発注元企業が外注業者に「無理な発注」を控えることはできるのか?

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170919-00000089-asahi-soci
>> 無理な発注・時間外の会議「控えます」 経団連など宣言
9/19(火) 19:59配信
朝日新聞デジタル

 経団連は全国の経済団体と連名で19日、下請けいじめや深夜の労働につながる旧弊や商慣行の是正に取り組むことを内容とした「共同宣言」を発表した。今後は加盟企業に残業につながる無理な発注や勤務時間外の会議を控えるよう促していくという。

 共同宣言は、長時間労働につながる納期が短い発注や急な仕様変更を「非効率な商慣行」として問題視。労働基準法が決めたルールを守り、取引先にも違反させない配慮を経営者に求めた。短い納期や追加発注が必要になった際はサービスに見合う価格で契約することなども求めている。


(以下略) <<
業界にも依るとは思いますが、経済全体を俯瞰してみたとき、それほど成果は上がらないと思われます。

そもそも「外注」というものは、発注元企業に実作業に関する効率的ノウハウの蓄積が乏しいからこそ、あえてカネを払ってまで他の企業に仕事を代わりにやってもらう行為です。そのため、発注元企業が実作業内容、とりわけスケジュール感や費用に関する知識が乏しいということが往々にしてあるものです。

※業界の大手企業が利益効率の悪い案件を協力企業に下請けさせるケースについては、発注元大手企業は実作業内容に通暁しているでしょう。その点、すべての外注行為の発注元が実作業内容に関する知識に乏しいとは言いません。

「自主権の問題としての労働問題」というテーマで労働問題を論考している当ブログでは、以前より、長時間労働・メンタルヘルス問題の代名詞的業界として「IT業界」に的を絞って記事を執筆してきました。また、私自身、本業の人事異動のなかでIT部門と業務部門との橋渡し(板挟み?)的な役割を担った経験があります。

理論と実体験の両面から申せば、IT業界がデスマーチになりがちなのは、「誰もプロジェクトの正確な規模感が分からないから」に尽きると私は考えています。

まず、発注側の業務部門について述べましょう。業務用コンピュータ・システムの開発というものは、受託開発は言うまでもなくパッケージ製品のカスタマイズ導入程度であっても、スケジュール感やコスト計算の面において、そこそこ深いIT知識が必要になります。それゆえ、業務部門一筋の「IT素人さん」には、マトモな量感が計りかねるものです。コンピュータ・システムというものは、基本的に中身がブラックボックスであり、それゆえに素人にはボリューム感が計りかねるものです。

たとえば、Googleの検索テキストボックスにキーワードを入力し「検索」ボタンを押し、1秒にも満たない時間内に数百万件の該当ページのリストが返ってくるのは、ユーザー視点では至極当然のことですが、このとき一体どのようなシステム的処理がバックグラウンドで走っているのか説明できる人は、ほんのわずかでしょう。まして、そのプログラムを構築するのにどれほどの時間と労力(人月)がかかるのか、マトモなスキルを持ったプログラマーの時給が幾らなのかについて知っているひとは、ほとんどいないでしょう。しかし、システム構築にあたっては、こうした情報に通暁している必要があります。不可欠です。

業務部門メンバーが、こうした知識に通暁しているケースは、ほとんどありません。それゆえ、業務部門がIT部門や外注ベンダーに提出してくる要求というのは、スケジュール的にもコスト計算的にも、ムチャクチャの極みであり、素人丸出しと言わざるを得ないものになりがちです(稼働直前になってから「雑誌で読んだんだけど、この機能いいね。チョチョッと機能追加しといてよ!」と言ってくるド素人がいるものです)

他方、IT部門・外注ベンダー側について申せば、一定規模以上のステップ数を誇る業務用のコンピュータ・システムというものは、いくら緻密に設計しようともすべてのケースを頭の中で組み立てることは到底不可能です。よくあるパターンとして、テストフェーズになって初めて設計不足・考慮不足が露呈するものです。

※ちなみに、多くのプロジェクトでテストフェーズに割く時間が短すぎると思います。このことについて私は、「マジメな日本人」の国民性が悪い意味で発揮されてしまっていると考えているのですが、設計段階に過大な期待を掛けすぎです。「ちゃんと設計していれば、テストフェーズなど『確認作業』に過ぎない」というのは、開発の現場を知らなさすぎる「マジメな優等生的発想」です。コンピュータ・システムというものは、生身の人間の頭脳で隅々まで緻密に設計できるものではありません。実態は「トライ・アンド・エラー」であり、テストとバグの修正にこそ時間を割くべきです(無能なPMほどテストフェーズから削ろうとするものですが・・・)。

つまり、長時間労働・メンタルヘルス問題の代名詞的業界としての「IT業界」においては、業務部門側の「素人っぷり」とIT部門・外注ベンダー側の「理性の限界」によって、「誰もプロジェクトの正確な規模感が分からない」事態に陥ってしまうのであり、それゆえに、「無理な発注」すなわちデスマーチになってしまうのです。

このことは、換言すれば、「IT業界の商材が業界全体を通して常識化・相場化・標準化されていない」ということができるでしょう。製造業や建築業のように、細かいバリエーションは多々あっても、基本的な構造では共通的であり、それゆえに一定程度の「相場」が確立している業界との大きな差です。たとえば「一軒家の建築」は、いろいろカスタマイズはあったとしても、少なくとも1週間で建つはずがないというのは、どんな素人でも「相場」として「常識」として分かるものです。しかし、IT業界はそうではないのです。

IT業界というのは、前述のとおり、そこそこ深いIT知識がなければ語り得ない業界という点で極端な例ですが、これまた前述のとおり、そもそも「外注」というものは、発注元企業に実作業に関する効率的ノウハウの蓄積が乏しいからこそ、あえてカネを払ってまで他の企業に仕事を代わりにやってもらう行為です。そのため、発注元企業が実作業内容、とりわけスケジュール感や費用に関する知識が乏しいということが往々にしてあるものです。その意味で、業界を問わず、外注を巡る事情というものは、程度の差こそあれ、IT業界を巡る事情と通底する部分があると言えます

果たして、実作業に無知であり、だからこそ外注に頼っている発注元企業は、受注企業に対して「無理な発注」を控えることができるのでしょうか? なかなか難しいでしょうね・・・
posted by s19171107 at 23:24| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2017年09月17日

表市場での「即日融資取りやめ」は闇市場への「商機の提供」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170915-00000596-san-bus_all
>> 「即日融資」を停止、銀行カードローン縮小へ
9/15(金) 19:40配信
産経新聞

 国内銀行が来年1月からカードローンなどの個人向けの新規貸し出しに関し、即日の融資を取りやめる見通しとなったことが15日、分かった。家族からの申し出で、新規貸し出しができないようにする「貸付自粛制度」の導入も検討する。これにより、拡大の続いたカードローン利用が縮小に向かう可能性もある。

 即日融資の取りやめは、借り手の情報を警察庁に照会する仕組みを導入して、暴力団員ら反社会的勢力との取引排除を徹底するのが狙い。運用が始まれば、融資審査には数日かかるようになるという。

 カードローンに関しては、過剰融資に対する批判も多い。全国銀行協会(全銀協)は会員行に対してカードローンに関する2回目のアンケートを10月までに実施し、対策の進(しん)捗(ちょく)状況を確認する。会員行の毎月末の融資残高も、10月からウェブサイトで公表する。


(以下略) <<
キムイルソン同志は、チュチェ58(1969)年3月1日発表の労作『社会主義経済のいくつかの理論的問題について 科学・教育部門の活動家の質問にたいする回答』において、当時、計画経済の推進にあたって問題になっていた「農民市場」を巡って、次のように述べていらっしゃいます。
>> 副業生産や農民市場が共同経営に悪影響を与え、利己主義を助長するからと、法令をもって農民市場を廃止するならば、どういう結果になるでしょうか。もちろん、市場はなくなるけれども、闇取引は依然として残るようになるでしょう。農民たちは、副業で生産した鶏や卵をもってよその家の勝手口を訪ね、裏通りを売り歩くことでしょう。そうしているうちに取り締まりを受けて罰金を払わされるか、法の追及をうけることになるでしょう。だから、農民市場を強制的になくして、解決されることはなに一つなく、かえって人民の生活に不便を与え、不必要に多くの人を罪人にしてしまうおそれがあります。

(中略)

人民の需要をみたせない商品は、たとえ国家が唯一的に価格を制定したとしても、闇取引されたり、農民市場で又売りされるということを忘れてはなりません。

(中略)

卵をいくつか又売りした人を罪人扱いにして教化所に送るわけにもいかず、ほかの方法で統制するとしても、販売量を調節するといったようないくつかの実務的対策を立てること以外に方法はありません。もちろん、こうした対策もとらなければなりませんが、そんな対策では商品が一部の人たちに集中する現象をある程度調整できるだけで、それが農民市場で又売りされたり、闇取引される現象を根本的になくすことは決してできません。 <<
即日融資が問題山積であるのは事実であり、何らかの対策が求められています。しかし、キムイルソン同志が指摘されるように、表市場において人民の需要をみたせないケースにおいては、闇市場においてその需要を満たすべく裏取引がなされるという現象が必然的に発生してしまうのです。必要だから需要が発生するのです。表の市場で満たされないからといって諦める人ばかりではなく、一部は闇市場に流れるものです。需要があれば商機があり、商機があれば供給があるものです。

いくら社会的に好ましくないとはいえ、それを単純に禁止しているだけでは、闇市・闇業者に商機を与えるだけキムイルソン同志が1960年代に既に認識されていた事実から学ぶべきです。

このままだと、多重債務者問題とも暴力団とも関係ない、本当に急にお金が必要になっただけの人物のニーズまでもが闇市場の縄張りになってしまいます。表の市場は監視監督し易いもの。必要以上に需要を地下化・闇市場化させるべきではありません。
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2017年09月16日

ベネズエラ式”社会主義”の失敗

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170916-00000031-jij-int
>> 大統領「動物たんぱくはウサギで」=食料難で計画―ベネズエラ
9/16(土) 10:24配信

 【サンパウロ時事】深刻な経済危機で食料や医薬品が不足している南米ベネズエラで、すっかり手に入りにくくなった牛や豚、鶏肉に代えて、ウサギを増産して食肉利用する計画が持ち上がっている。

 マドゥロ大統領は12日夜、国営テレビで「動物たんぱく質(欠乏)は非常に重要な問題。ウサギは繁殖力が強いので、『ウサギ計画』にゴーサインを出した」と表明。しかし「首都カラカスの複数の集落に試験的にウサギを託したが、しばらくするとリボンや名前が付けられていて驚いた」と話し、愛玩感情がネックになるとの考えを示した。

 大統領の意を受けた政府担当者は「ウサギはペットではなく、高タンパク低コレステロールの2.5キロの肉」と国民に認識させるための一大キャンペーンを展開する方針を明らかにした。


(以下略) <<
■悪化の一途
チュチェ102(2013)年3月20日づけ「「21世紀の社会主義」?」において私は、ベネズエラ・チャベス前政権の方法と方向性を「典型的な後進社会主義国」と述べました。これは、(1)せっかくの「天の恵み」(天然資源)を単に費消するだけで後に残るような使い方――つまり産業振興――をしていない点、(2)ビジネスに対する厳しい規制が、イデオロギー的なレベルにまで染み付いている点においてです。

そして、「天の創造力(天然資源)に依存するのではなく、自らの創造力(科学技術力)に依拠した主体的な経済的建設が必要」であるとし、「いまでこそ石油資源をネタに、先進工業国に対して一定の発言力を持っているベネズエラですが、エネルギー情勢が変われば一気に従属国に逆戻りするでしょう」と述べました。

この記事の末尾で私は「果たして次期大統領はどういう路線を歩むのか。チャベス路線の「継続」を表明しているとは言いますが、どの程度なのか。」と述べました。まだ、マドゥロ氏が大統領に就任する前だったからです。あれから4年半。ある意味でチャベス前政権を「継続」しており、とりわけ「民衆を扇動し操ろうとする」という点で「進化」していると言っても良いでしょう。「失敗の王道」をさらにスピードを上げて驀進しているという他ありません。

■民衆扇動で「思想改造」できるのか?
既に愛玩感情が確立しているもの、既に人々の中で位置づけが決まっているものをキャンペーンを張る程度で「思想改造」できるのでしょうか? たとえばこれが、かつてアメリカ資本がじっくりと時間をかけて日本人に「牛肉の味」を売り込んだときのように、食べる習慣がないだけの食材をキャンペーン的に売り込むのは可能でしょう。また、2〜3世代くらいかければ愛玩感情に変化が見られるかもしれません。しかし、食糧危機の解決策としてキャンペーンを張っているほどの時間的猶予はないでしょう。ベネズエラの食糧危機は待ったなしです。

ベネズエラ式”社会主義”は「民衆の扇動」によって誕生し、維持されてきたのですから、マドゥロ大統領がキャンペーン程度で、国民のウサギに対する愛玩感情を「思想改造」できると思いあがるのも無理はないのかもしれません。しかし、チャベス前政権以来の「典型的な後進社会主義国の方法論」に加え、拡大の一途をたどる闇市・闇為替レートに対して経済政策的に正攻法の対処をしようとせず、扇動を展開して国民を操れば、不都合な事実を取り繕うことができると思いあがっている点が、マドゥロ政権の失敗の大きな要点です。

まあ、もうダメでしょうね。

■ベネズエラ式”社会主義”の失敗と対照的な朝鮮式社会主義の経済改革
ところで、素人丸出しのベネズエラ式”社会主義”の失敗と比較すると、朝鮮式社会主義における経済再建の方法論が対照的に際立ちます。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170830-00186095-toyo-bus_all&p=4
>>  ところが、1998年になって北朝鮮は突然、「強盛大国」論を主張し始めた。東部と西部を結ぶ連結網が3年ぶりに復旧できたためだ。時を同じくして、韓国や米国、日本は、北朝鮮に対する支援を開始。そんな支援を、北朝鮮は単純に無償支援だと受け入れたのではなく、支援を利用して内部システムの整備を始めた。農地整理事業と物流網の整備、鉱山の生産活動の正常化、道路・通信網の再整備などを絶えず推進していった。

 ただ、日米韓の支援があったとはいえ、財源が絶対的に不足していたため、時間が長くかかり、目に見えるほどの復旧作業を行えなかった。10年余りという、長い時間をかけて進められた復旧作業の過程において、北朝鮮住民は自ら市場化を進めることになった。ここでいう市場化とは、中央集中式の計画経済システムから、地方分権的な市場経済システムへと転換したことを意味する。

 もちろん、北朝鮮当局はこのような市場化を最大限抑制しようとしたが、事実上、黙認することで一貫していた。金正恩政権が始まってからは、北朝鮮住民によって形成された、地方分権型市場システムが全面的に受け入れた。中央で管理する経済特区とは別途に、地方政府が活用できる二十数カ所の経済開発区を指定したのもこのためだ。労働者や各機関のインセンティブを刺激する、圃田担当制(農業)と社会主義企業責任管理制を導入し、市場を事実上許容する措置さえとった。
<<
「天の恵み」ならぬ「外国からの恵み」を食いつぶすのではなく社会システムの再構築に回し、また、マーケットにおけるビジネスにも柔軟な対応をとる――利用が容易な天然資源が豊富で、アメリカ帝国主義の封鎖政策もそこまで厳しくない「恵まれたベネズエラ」が大失敗の坂を今もなお転げ落ち続けているのに対して、それと比べて遥かに条件が厳しい朝鮮が徐々に力をつけてきている事実は、一方において、ベネズエラ式”社会主義”が「典型的な後進社会主義国の方法論」であることを、ますます議論の余地がないほどに示しており、他方において、朝鮮が「典型的な後進社会主義国の方法論」から脱しつつある状況を示すものであると言えるでしょう。

経済改革真っ最中の朝鮮式社会主義を「21世紀の社会主義」とまで昇格するのはまだ拙速に過ぎるものですが、少なくともベネズエラ式ではないことは間違いなくなりました。

■ベネズエラ式”社会主義”の失敗と日本共産党
余談ですが、日本共産党が最近になってベネズエラを「社会主義を目指す国」と言わなくなり、かつて一挙手一投足を好意的に評価していたのに、それがまるで無かったことであるかのような具合に沈黙しています。おなじみの頬かむりですが、こんなキャンペーンで国民を扇動できると思い上がっている素人政権を見限るのは正しい選択でしょう。

とは言っても、これでまたしても「目指す方向性」が曖昧になってしまった日本共産党。彼らは「マルクス主義は青写真主義ではない」と強弁します。学問的に長期展望を分析する上では、こういう心構えも大切でしょうが、実際に目下の政治的問題、我々の世代の問題を取り扱うにあたって「ビジョン」や「モデル」、あるいは「参考となる歴史的実例」を提示できないのは致命的です。

「青写真」にならないのは勿論、「参考となる実例」としてすらベネズエラは位置づけられないほどに落ちぶれています。日本共産党の未来社会論は、しばらく理論的に停滞することでしょうね・・・
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2017年09月13日

石炭液化は自立的民族経済の要諦

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170913-00000071-san-kr
>> 北制裁決議 石油禁輸、効果に疑問 自前の石炭液化し代用
9/13(水) 7:55配信

■シンクタンク研究員指摘
 【ワシントン=黒瀬悦成】国連安全保障理事会が11日採択した北朝鮮に対する追加制裁決議は、北朝鮮を核放棄に向かわせる効果があるのか。有力政策研究機関「国際戦略研究所」(IISS)のピエール・ノエル上級研究員は、仮に中国が北朝鮮に対して石油の全面禁輸を断行したとしても、北朝鮮は自国で大量に産出される石炭を液化させてエネルギー源とすることができるので「効果はない」と指摘する。


(中略)

 しかしノエル氏は「北朝鮮が年間に約600万トンの石炭を液化させて石油製品の代用とすれば、毎年輸入している原油・石油製品をまかなえる」と主張する。北朝鮮は15年に約2500万トンの石炭を中国に輸出したとされるが、国連制裁で北朝鮮の石炭輸出が厳しく制限されたことから、逆に液化に回す石炭には事欠かない状態となっている。

 北朝鮮が石炭を液化させて燃料として活用する体制にただちに転換できる用意を整えているかは明確でないが、ノエル氏は北朝鮮が基礎的な液化技術を会得し、工業規模での運用を開始しているとみる。

 北朝鮮は06年以降、平安南道安州の化学工場「南興青年化学連合企業所」にある石炭ガス化プラントの拡充を進めてきた。石炭のガス化は液化の前段階で、同じ技術を使用する。

 ノエル氏は北朝鮮が核・ミサイル開発で国際社会と対決姿勢を強める中、石油禁輸対策として石炭液化技術を実用化済みの公算は極めて大きいと強調した。

最終更新:9/13(水) 8:45
<
偉大な領導者;キムジョンイル同志は、不朽の古典的労作『チュチェ思想について』(チュチェ71年3月31日)で次のように指摘されています。
>>  経済は社会生活の物質的基礎です。経済的に自立してこそ、国の独立を強固にして自主的に生活し、思想における主体、政治における自主、国防における自衛をゆるぎなく保障し、人民に豊かな物質・文化生活を享受させることができます。
 経済における自立の原則を貫くためには、自立的民族経済を建設しなければなりません。
 自立的民族経済を建設するというのは、他国に従属せず独り立ちできる経済、自国人民に奉仕し、自国の資源と人民の力によって発展する経済を建設することを意味します。このような経済を建設すれば、国の天然資源を合理的かつ総合的に利用して生産力を急速に発展させ、人民生活のたえまない向上をはかり、社会主義の物質的・技術的基盤を強固にきずき、国の政治的・経済的・軍事的威力を強化することができます。また国際関係において政治的、経済的に完全な自主権と平等権を行使し、世界の反帝・自主勢力と社会主義勢力の強化に寄与することができます。
<<
完全競争的な自由交換経済の原理原則に立てば、自由交換は、売り手と買い手の双方の厚生をパレート最適化しつつも、同時に、完全競争的であるからこそ相互牽制的な関係性となり、どちから一方が支配的な地位を占めることはありません。理論空間においては、自由交換・完全競争の世界は、相互牽制的かつ厚生のパレート最適化という意味で、自主的な社会を構築するものと言えます。

しかし、現実世界の実相を振り返れば、我々が住んでいるこの世界は、スタートラインの時点で既に平等ではなく、それゆえに、支配と服従の関係が形成されがちです。完全競争のモデルは、スタートラインが同一であることを暗黙の前提としているので、これをそのまま現実に適応するのは妥当ではありません

とりわけ、共和国のような小国がアメリカ帝国と渡り合おうしても、経済的に張り合って相互牽制的関係性を取り結ぼうしても、困難極まるというほかありません。

その点において、理論的な意味としてではなく、現実問題として自主を如何にして達成すべきかという意味では、キムジョンイル同志が指摘する「自立的民族経済」の確立が最重要であるということが、この記事ひとつ取っても分かるのではないかと思います。

もちろん、経済的自立が重要だからといって、なんでもかんでも自給自足を志向し、甚だしくは鎖国すればよいというものではありません。他国に首根っこをつかまれないように、対象を絞ってピンポイントで自立を志向すべきなのです。

しかしながら、これは極めて難しい。一国の社会経済のどこが「首根っこ」なのかを的確に見極めようとすれば、一歩間違えれば、Collectivism,Constructivismに容易に転落するものです。とはいっても、少なくともエネルギー政策が「首根っこ」でないということはあり得ないでしょう。

実際のエネルギー生産は、官僚の中央統制ではなくビジネスマンの才覚に期待をかけるとしても、どこかで国策的に関与するのは、依然として必要だと思われます。

ちなみに、「支配と服従の関係」と言う意味では、資本家・経営者と労働者も同様の関係性にありますが、私が「自主権の問題としての労働問題」というテーマで幾度となく「労働者自主管理社会」の重要性を説いている理由の一つは、キムジョンイル同志の自立的民族経済論の応用という側面があります。

キムジョンイル同志が『チュチェ思想について』を発表されてから35年未だに色褪せません
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2017年09月11日

人民の利益を侵害する者に寛容などありえない

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170910-00000060-dal-ent
>> ハイヒール・リンゴ、不倫に社会的制裁いりますか?「一線を越える」は愚問愚答
9/10(日) 14:00配信

 芸能人から政治家まで、毎週のように不倫の話題が世間を騒がせている。多くの論調が「けしからん」という中で、ハイヒール・リンゴは、不倫はダメなのはもちろんだが、それでも昨今の不倫たたきは度を過ぎていると警鐘。世間からの色々な声が挙がるのを承知の上で、あえて「不倫の社会的制裁が必要なのか」と問うた。


(以下略) <<
チュチェ106(2017)年3月17日づけ「軽薄な人間観に基づく経済還元論、彼我断絶的な人間関係論による無理筋の不倫批判への「批判」」でも述べたように、ヨソの家庭の不倫問題は、決して「対岸の火事」ではありません。

我々の社会が人間同士の信頼関係を基本的紐帯としている以上は、パートナーとの関係という最も基本的な関係における信頼すらも平気で破るような人間は、社会的関係においても到底信頼に値しません(家族愛が深いからといって社会的に信用できるわけではない――身内主義者の可能性――が、家族さえも裏切る輩が社会的に信頼できるはずがない)。いかなる理屈を並べようとも、社会的存在である人間の本質に照らしたとき、信頼に対する裏切り行為を正当化することは不可能であり、そうした家族さえも裏切るような超自己中心的・反社会的性格の人物が私たちの共同社会で生活していることは、脅威以外の何者でもないのです。

また、社会学における「犯罪行動の分化的接触理論(Theory of differential association)」に基づけば、自分自身とは直ちに関係のない出来事であったとしても、「対岸の火事」として傍観してはならず、「犯罪文化(分化ではなく文化)」に旗幟鮮明に反対し、その侵入を防がなければならないと言えます。

その点、ヨソの家庭の不倫問題を「対岸の火事」だの「自分とは無関係」だのと嘯く輩について私は前掲過去ログで次のように述べました。
>> その意味で、人間同士の信頼関係を基本的紐帯としている我々の市民社会のうちにおいて、不倫という裏切り行為の最たるものが敢行された事実は、決して「ヨソの家庭内問題」「対岸の火事」では済まされません。この重大な事態を「本来ならば当事者以外には何の関係もないようなこと」などとするのは、結局、人間を「社会的集団の一員」ではなく「社会との関連性が曖昧な『個人』」として見る軽薄な人間観の発露、すなわち、他人同士のトラブルが永遠に他人同士のトラブルであり続ける、自分は他人と関連していない関係してない、要するに彼我の断絶という思い込みの発露と言わざるを得ないのです。 <<
芸能界という特殊世界は、人間同士の信頼関係で成り立っているような世界なのだから、ハイヒール・リンゴさんくらいの芸歴があれば分かりそうなものですが、それでもこういう発言が飛び出してしまうというのは、現代社会において「信頼こそが社会の基本的紐帯」という事実が形骸化していることを如実に表すものでしょう。

他のどっちでもよいような不正と違って、信頼というのは社会的人間の本質であり、我々の社会の基本的紐帯なのです。ここは妥協してはならないのです。引用はしませんでしたが、信号無視だの歩きスマホだのと同列に扱うとは、バカという他ありません。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170911-00000179-sph-ent
>> マツコ、不倫について世間は「叩きすぎ。人生を終わらせてしまうくらいやってる」
9/11(月) 18:21配信

 11日放送のTOKYO MX「5時に夢中!」(月〜金曜・後5時)で、コラムニストのマツコ・デラックス(44)が、昨今の不倫騒動に対する風潮に苦言を呈した。

 「基本的に人間は悪口が楽しい。ちょっと叩きすぎだよと思う」とマツコ。「悪口を陰で言い合って楽しませてもらってるから『ありがとう』で終わりにしておけばいいのに、その人の人生を終わらせてしまうくらい根こそぎやっちゃうじゃない? だから悪口を楽しんでいるんじゃなくて人殺しを楽しんでいるようになっちゃってる」と私見を語った。


(以下略) <<
偉大な領導者、キムジョンイル同志は次のように仰っています。
「人民の利益を侵害する者に寛容などありえない」

人間――とりわけ家族――同士の愛と信頼を基礎・基盤をみなすチュチェ思想型の社会主義革命を通して、名曲《동지애의 노래》や《세상에 부럼없어라》で歌われる世界を築かんとする共和国では、不倫には刑事罰が科される(刑法270条)のですが、このことも関係しているのかもしれません。

家族愛が社会主義祖国の基盤であることについて、キムジョンイル同志は、チュチェ84(1995)年1月1日発表の談話『党のまわりにかたく団結し、新たな勝利をめざして力強くたたかおう  朝鮮労働党中央委員会の責任幹部への談話』において、次のように指摘されています。
http://kcyosaku.web.fc2.com/kj1995010100.html
>> わたしは、『同志愛の歌』が好きです。この歌には、党の意志がよく反映されています。わたしは1970年代に文学・芸術部門の指導にあたった際、活動家たちに志をともにしようと言いましたが、その思想を盛り込んで『同志愛の歌』がつくられました。かつて、金日成同志は、同志愛によって切り開かれた朝鮮革命を同志愛によって勝利に導くべきであると述べましたが、この教えは実に名言です。

 戦時歌謡『塹壕で歌う』の「愛する父母妻子を両のかいなに抱きしめたい」という一句はすばらしい歌詞です。この歌詞は、表現が非常に生き生きとしています。人は家庭への愛着がなければなりません。家庭への愛着があってこそ、社会主義祖国を愛する愛国主義も生まれるのです。我々は、人民に社会主義的愛国主義の精神と朝鮮民族第一主義の精神を植えつけるごとに深い関心を払わなければなりません。我々の社会主義祖国、わが民族は、金日成朝鮮、金日成民族です。
<<

それはさておき、ゲス不倫騒動の発端となったバンドマンのKは丸で平気な顔をしているし、タレントのBは騒動を逆手に取るかの如くLineのCMに出てきています。そのほかにも、元国民的アイドルで情事の真っ最中を押さえられて猛バッシングを受けたYは死んでいない(ときどきテレビで見かけるようになってきた)し、夫を自殺に追い込んだかもしれない歌手のUは、どうやら嵐が過ぎるのを待つ構えの模様ですが、「人殺しを楽しんでいるようになっちゃってる」とは、いつも訳の分からないことを深夜枠で駄弁っているマツコ・デラックスさん(翌朝には忘れているレベルのエンターテイメントとしては面白いけどね)ですが、いつにも増して論理が飛躍していますね(こんなこと言うと例によって大声あげて早口でまくし立てるのかな?)。

表舞台からはしばらく身を引いて禊を済ませるべし。
以上。
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2017年09月09日

共和国における経済改革の進展――建国69年目のチャレンジの行方

共和国建国69周年です。世間の関心はもっぱら「核開発」と「ミサイル実験」ですが、共和国を考える上で今一番重要な論点は、なんといっても経済改革の進展です。

■積極的な政策としての市場経済導入改革
現在、キムジョンウン同志が積極的に推進している経済改革は「分権化」をキーワードとして説明することができますその内容は、各企業所(ミクロ)については、すなわち裁量権限の拡大と独立採算制の導入、経済全体(マクロ)については市場メカニズムの導入と整理できるでしょう。当ブログでも以下の通り、継続的に取り上げてきました。
○チュチェ102(2013)年4月11日づけ「経済改革
○チュチェ102(2013)年10月1日づけ「ウリ式市場経済
○チュチェ102(2013)年10月7日づけ「チュチェの市場経済・ウリ式市場経済――共和国の経済改革措置に関する報道簡易まとめ
○チュチェ105(2016)年6月6日づけ「朝鮮労働党第7回党大会は経済改革・競争改革を漸進的に継続すると暗に宣言した画期的大会
○チュチェ105(2016)年7月2日づけ「分権改革・経済改革の旗印を更に鮮明にした画期的な最高人民会議
○チュチェ106(2017)年1月2日づけ「キムジョンウン委員長の「新年の辞」で集団主義的・社会主義的競争が総括された!
○チュチェ106(2017)年7月27日づけ「政策としての朝鮮民主主義人民共和国における市場経済化は着実に前進している――韓銀推計という第三者的立場の分析からも明らか

この経済改革の方向性は、チュチェ105(2016)年6月6日づけ「朝鮮労働党第7回党大会は経済改革・競争改革を漸進的に継続すると暗に宣言した画期的大会」でも強調したように、伝統的に難題だった「企業間・個人間の競争」を定式化し、「社会主義的・集団主義的競争」という名でイデオロギー的な位置づけがなされている点、政策として積極的に取り組んでいるものと言うことができます。

また、チュチェ106(2017)年1月2日づけ「キムジョンウン委員長の「新年の辞」で集団主義的・社会主義的競争が総括された!」でも触れたように、キムジョンウン委員長自ら、このイデオロギー的定式化を「新しい時代精神」と指摘している点からも分かるように、相当に高次の位置づけがなされているので、そう簡単に後退するとは考えにくいものです。

つまり、現在共和国で進展している市場化の波は、決して「闇市の制御不能な拡大」ではなく、「闇市をしぶしぶ認めている」わけでもなく、政策として積極的に推進されているものであり、今後も推進されつづけるのであると考えられるのです。

「分権化」という観点から共和国の経済システムの変化を論じたものとして、以下の東洋経済ONLINEの記事が参考になるので、重要部分を抜粋します。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170830-00186095-toyo-bus_all
>> ミサイル発射の北朝鮮に圧力だけではダメだ
8/30(水) 6:00配信
東洋経済ONLINE


(中略)

 そんな国際社会の圧力に北朝鮮が持ちこたえられるのか。それを判断するには、北朝鮮の経済状況を見る必要がある。1990年代に社会主義圏諸国の崩壊と相次いだ自然災害で、北朝鮮経済は事実上瓦解した。北朝鮮はこの時期(1994〜1997年)を「苦難の行軍」時期と自称する。

■中央集中から地方分散型の経済へ
 当時の北朝鮮経済は、中央に集中させる計画経済システムだった。北朝鮮全域で生産された物資を、中央に集中させた後、地方に分散させる構造だ。しかし、突然の自然災害によって、東部地域(江原道、咸鏡道)と西部地域(平安道、黄海道)を結ぶ連結網が大きく毀損した。食糧自給がなされていなかった東部地域は孤立した。一方、工業製品を東部地域に依存していた西部地域は、工業製品不足に苦しめられた。このような状況が3年以上続き、平壌の経済状況に多大な悪影響を与えたのである。

 ところが、1998年になって北朝鮮は突然、「強盛大国」論を主張し始めた。東部と西部を結ぶ連結網が3年ぶりに復旧できたためだ。時を同じくして、韓国や米国、日本は、北朝鮮に対する支援を開始。そんな支援を、北朝鮮は単純に無償支援だと受け入れたのではなく、支援を利用して内部システムの整備を始めた。農地整理事業と物流網の整備、鉱山の生産活動の正常化、道路・通信網の再整備などを絶えず推進していった。

 ただ、日米韓の支援があったとはいえ、財源が絶対的に不足していたため、時間が長くかかり、目に見えるほどの復旧作業を行えなかった。10年余りという、長い時間をかけて進められた復旧作業の過程において、北朝鮮住民は自ら市場化を進めることになった。ここでいう市場化とは、中央集中式の計画経済システムから、地方分権的な市場経済システムへと転換したことを意味する。

 もちろん、北朝鮮当局はこのような市場化を最大限抑制しようとしたが、事実上、黙認することで一貫していた。金正恩政権が始まってからは、北朝鮮住民によって形成された、地方分権型市場システムが全面的に受け入れた。中央で管理する経済特区とは別途に、地方政府が活用できる二十数カ所の経済開発区を指定したのもこのためだ。労働者や各機関のインセンティブを刺激する、圃田担当制(農業)と社会主義企業責任管理制を導入し、市場を事実上許容する措置さえとった。


(中略)

 実際に食糧を自主的に解決でき、生活必需品を供給できる程度の軽工業の工場稼働も可能になった。電力でも中央が供給するシステムから地方分権式に変わっている。家庭には太陽光発電や小型発電機などを利用し、最小限の電力供給ができるようになった。さらには、石炭など鉱山の運営が正常化し火力発電所の稼働率が高まっただけでなく、水力を利用した中小型発電所も地域単位で稼働している。総合してみると、最低水準から、自主生存が可能になったということだ。

(以下略) <<
中央集中式の計画経済システムから、地方分権的な市場経済システムへと転換」――的確な指摘です。キムジョンウン経済改革の方向性を端的に言い表しています。

※蛇足ですが、「そんな支援を、北朝鮮は単純に無償支援だと受け入れたのではなく、支援を利用して内部システムの整備を始めた」というくだりには、改めて感心させられました。無償の支援を食いつぶしてしまうような手合い、せっかくの支援にブラ下がる手合いは、国家レベルでも個人レベルでも珍しくないものですが、主体が確立されており、自力更生の精神が骨の髄まで染みている共和国にあっては、無償支援を正しく利活用したわけです。


キムイルソン時代から柔軟に考えられてきた「社会主義における市場の活用」
ところで、キムジョンウン同志の経済改革は、いままで市場を廃絶しようと努力してきた共和国が、ある日突然に諦めて方向転換した結果なのでしょうか?

私は、決してそんなことはなく、「社会主義における市場の活用」は共和国の歴史的な思想的・政策的課題であり、それに対して最近ようやく一定の解答が出てきたのだと考えています。その点において、前掲;東洋経済ONLINE記事の「北朝鮮当局はこのような市場化を最大限抑制しようとしたが、事実上、黙認することで一貫していた」という一文だけは、正しくないと指摘しておかなければなりません。

初代指導者のキムイルソン同志は、チュチェ58(1969)年3月1日発表の労作『社会主義経済のいくつかの理論的問題について 科学・教育部門の活動家の質問にたいする回答』において、農民市場について論じていらっしゃいます。

この労作においてキムイルソン同志は、農民市場を「立ち後れた商業形態」と仰います。農民市場が合理的な一元的国家計画に組み込まれ得ないためです。チュチェ58年の段階では、まだ自由経済と計画経済のどちらが優れているのかという論点に決着がついておらず、また、計画経済を採用する共和国の方が南朝鮮よりも経済的に豊かだった時代なので、キムイルソン同志が、農民市場を「立ち後れた商業形態」と批判されたのは、時代の制約上、仕方なかったと思います。しかし、さすがはキムイルソン同志。「頭で立っている」どこぞの極左連中とは違います。一方で農民市場を「立ち後れた商業形態」としつつも、他方で積極的に自然発生的な農民市場を評価されているのです。重要部分を抜粋しましょう。
>>  農民市場とは、協同農場の共同経営と協同農民の個人副業で生産される農産物や畜産物の一部を、農民が一定の場所をつうじて、直接住民に売る商業の一形態であります。農民市場は、社会主義社会における商業の一形態ではありますが、これには資本主義の残りかすが多分にあります。それでは、農民市場の資本主義的な残りかすとはなんでしょうか!

 それは、農民市場では、価格が需要と供給によって自然成長的に定められ、したがって、価値法則がある程度、盲目的に作用することです。国家は、農民市場の需要と供給および価格を計画化しません。もちろん国営商業が発展し、農民市場にたいする国家の調節的作用が強まるにつれて、農民市場の自然成長性はある程度制限されるが、社会主義の段階では農民市場を完全になくすことはできません。


(中略)

 しかし、社会主義のもとで協同経営が存在し、個人副業生産がおこなわれている以上、農民市場の存在は避けられないことであり、また、それが残っているのは決して悪いことではありません。一部の人は、副業生産物まで国家が買い付けて、計画的に供給すべきだと考えているようですが、それは間違いであり、また実際にそうすることもできません。個人副業生産物はそれを生産した人自身が消費し、残ったものは市場にだして自由に売ったり、ほかの品物と交換できるようにすべきです。協同農場の共同経営で生産した畜産物や工芸作物も、その大部分は国家が買い付けるべきですが、一部は農民に分け与えるべきです。農民は、これを自家消費することもできれば、買付け係に売ることも、農民市場にだして売ることもできるでしょう。必ず買付け係に売れと言うべきではなく、農民が誰にでも自由に売れるようにすべきです。こうすれば、人民の生活上の便宜もはかることができます。

(中略)

 社会主義社会に副業生産や農民市場が残っているのは悪いことではなく、むしろよいことです。我々が、まだ人民生活に必要なすべての品物、特にほうきとかパガジ(ふくべ)のようなこまごました日用品や、食肉、卵、ゴマ、エゴマのような副食物などをすべて国家で十分に供給できない条件のもとで、そういったものを個人が副業で生産し、市場にだして売るのがどうして悪いのでしょうか。それが立ち後れた方法ではあっても、すべてを先進的な方法でできないときには、後れた方法も利用しなければなりません。

(中略)

 それにもかかわらず、副業生産や農民市場が共同経営に悪影響を与え、利己主義を助長するからと、法令をもって農民市場を廃止するならば、どういう結果になるでしょうか。もちろん、市場はなくなるけれども、闇取引は依然として残るようになるでしょう。農民たちは、副業で生産した鶏や卵をもってよその家の勝手口を訪ね、裏通りを売り歩くことでしょう。そうしているうちに取り締まりを受けて罰金を払わされるか、法の追及をうけることになるでしょう。だから、農民市場を強制的になくして、解決されることはなに一つなく、かえって人民の生活に不便を与え、不必要に多くの人を罪人にしてしまうおそれがあります。

 したがって、国家的に人民生活に必要なすべてのものを十分に生産、供給できない条件のもとでは、性急に農民市場を廃止しようとする極左的偏向を厳しく警戒しなければなりません。

 それでは、いつになったら個人副業生産と農民市場がなくなるでしょうか。

 第1に、国の工業化が実現し、技術が高度に発展して、人民の要求するあらゆる消費物資が豊富になったとき、はじめてそれがなくなるのです。どんな品物でも国営商店で買えるようになれば、誰も、しいてそれを農民市場へ行って買おうとはしないはずであり、また、そのような品物が農民市場で売買されることもないでしょう。例えば、工場で安くて品質のよい化学繊維が多く生産されるならば、人々はわざわざ市場に行って高い綿花を買おうとはしないだろうし、また、一部の農民がそれを高く売ろうとしても、売ることができないでしょう。現在の条件のもとでも、人民の需要をみたしている商品は、農民市場では売買されないし、咸興市のような大都市でも、白頭山のふもとにある胞胎(ポテ)里のような山間の僻地でも、我が国のすべての地域で、同じ価格で実現されます。このように品物が豊富で、同じ価格で実現されるとき、それは供給制と変わりありません。

 しかし、人民の需要をみたせない商品は、たとえ国家が唯一的に価格を制定したとしても、闇取引されたり、農民市場で又売りされるということを忘れてはなりません。商店の品物を買いだめしておいて、他人が急に必要になって求めるときに高値で売りつけるような現象があらわれるようになるのです。卵の販売の問題を例にとってみましょう。現在、平壌をはじめ、各地に養鶏工場を建設して卵を生産していますが、まだ人民に十分供給できるほどではありません。そういうわけで、卵も国定価格と農民市場価格とのあいだに差が生ずることになるのですが、これを悪用して又売りする現象があらわれています。

 もちろん、だからといって、卵をいくつか又売りした人を罪人扱いにして教化所に送るわけにもいかず、ほかの方法で統制するとしても、販売量を調節するといったようないくつかの実務的対策を立てること以外に方法はありません。もちろん、こうした対策もとらなければなりませんが、そんな対策では商品が一部の人たちに集中する現象をある程度調整できるだけで、それが農民市場で又売りされたり、闇取引される現象を根本的になくすことは決してできません。

 この問題を解決するためには、品物を多く生産しなければなりません。産卵養鶏工場をより多く建設し、人民の需要をみたすほど大量に生産するならば、卵の闇取引はなくなるであろうし、農民市場で売買されることもおのずとなくなるようになるでしょう。こうした方法で国家的に人民の需要をみたし、農民市場で売買される商品を一つ一つなくしていくならば、最後には農民市場が不必要になるでしょう。


(以下略) <<
意識的・合理的計画化という未来社会論に照らして農民市場を「立ち後れた商業形態」としつつも、現実主義的な観点から「それが残っているのは決して悪いことではありません」と述べ、その理由として、「人民の生活上の便宜もはかることができるから」と指摘されています。

今日のキムジョンウン同志の経済改革の第一目標は、人民生活の向上です。建国の父が「人民の生活上の便宜」という観点から市場の活用について評価していた点を踏まえれば、キムジョンウン同志が人民生活の向上のために市場を活用するのには、何の障害もありませんキムジョンウン同志の方法は、キムイルソン同志の方法であるといえます

また、「国家的に人民生活に必要なすべてのものを十分に生産、供給できない条件のもとでは、性急に農民市場を廃止しようとする極左的偏向を厳しく警戒しなければなりません」という指摘は今日においてこそ大いに活きる重要なお言葉です。

キムイルソン同志が前掲労作を発表された約50年前ではまだハッキリはしていなかったものの、集権的・計画的供給の困難性は、副業生産物に留まらないことが今や事実として明白になっています。50年前ではまだ仮説の域を脱していなかったF.A.ハイエクの計画経済批判が、いまや定説になっています。

週刊東洋経済2013年10月12日号の特集「金正恩の経済学」においてインタビュー(p86-p87)にこたえた朝鮮社会科学院教授のリギソン同志は、キムジョンウン経済改革の目玉である企業所の裁量権拡大と独立採算制導入の背景について「国家がすべての企業所や工場を管理し、彼らに対する報酬などの保障が難しくなったことがある」と述べています。

このことは、キムイルソン同志の前掲労作の枠組みの応用であると位置づけることが可能でしょう。「国家的に人民生活に必要なすべてのものを十分に生産、供給できない」という条件を満たすのであれば、社会主義においても市場的方法の活用は已む無しなのです。

このように、今日、キムジョンウン同志が取り組んでいる「計画部分と市場部分とを混在させる試み」は、キムイルソン同志のチュチェ58年の労作に、その原型が既に見られると私は考えています。

キムジョンイル時代だって「反市場」ではなかった
チュチェ98(2009)年秋のデノミネーションが最も顕著だったように、市場経済化を好ましく思っていなかったと思われがちな前指導者のキムジョンイル同志についても、そう断定するのは早計です。

キムジョンイル同志は、2000年代前半においては経済管理の市場的方法論の導入を模索していたからです。チュチェ91(2002)年の「7.1経済管理改善措置」は漸進的な経済開放政策でした。また、イデオロギー面においては、チュチェ105(2016)年6月6日づけ「朝鮮労働党第7回党大会は経済改革・競争改革を漸進的に継続すると暗に宣言した画期的大会」でも指摘したように、キムジョンイル時代に発表された音楽作品や文学作品においては、「個人の営利追求行為」や「個人間の競争」が肯定的に描写されていたのです。

また、地方分散的な経済構造へ大きく転換を遂げたキムジョンイル時代、「カンゲ(江界)精神」というものが大きくクローズアップされました。カンゲ精神については、『朝鮮新報』チュチェ97(2008)年2月15日づけが分かりやすく解説しているので、引用します。
http://korea-np.co.jp/j-2008/04/0804j0215-00001.htm
>> 慈江道に対する総書記の現地指導は何度も行われたが、その意義がとくにクローズアップされているのは1998年1月の現地指導だ。

 総書記は当時、「苦難の行軍」と呼ばれた経済的困難の時期に雪の吹きすさぶ慈江道を訪れ、道庁所在地である江界市を中心に経済部門に対する指導を行った。これを機に慈江道は中小規模水力発電所の建設を積極的に推し進め電力問題を解決するなど、難局打開へ向けた経済再建事業をリードした。慈江道の取り組みは「江界精神」と呼ばれ賞賛された。その後、「江界精神」が経済再建のモデルケースとして全国に広まり、「苦難の行軍」を克服する原動力となったことは周知の事実だ。

 国内メディアは総書記の慈江道現地指導10周年に大きな意義を付与し、「江界精神」を再び強調している。

 今回、10周年という節目の年に、総書記が江界市をはじめとする慈江道各地を訪れたことは、単なる経済視察を超えた重要な意味合いを持つものとして受け止められた。

 今年の3紙共同社説は、経済と人民生活を高い水準に押し上げることで、金日成主席生誕100周年を迎える2012年に「強盛大国の大門を開く」という構想を打ち出した。

 「2012年構想」との関連でいえば、今回の慈江道現地指導は「強盛大国」の建設に向けて世界のすう勢を見すえながら、自力更生の原則を堅持するという経済復興の方法論を示したものとして理解することができるだろう。同時に、これらの目標達成のために人びとを奮い立たせるうえでも、重要な意義を持つものだ。
<<
前掲;東洋経済ONLINE記事でも触れられている地方分権式の電力供給システムが「カンゲ精神のモデルケース」と位置付けられ、なおかつ、それは「自力更生の原則」に接続されています。

前掲;東洋経済ONLINE記事では、共和国経済の地方分権的構造への変化が統制不能な形で展開されているかのように読めますが、もっとも統制が厳しかったキムジョンイル時代においてさえ、決してそんなことはなく、「自力更生」という概念を媒介として、依然としてイデオロギー的に管理されていたのです。

※ちなみに、共和国が、そこらへんの凡庸な「社会主義国」と異なるのは、社会主義イデオロギーに付きまといがちな「中央集権」に一辺倒ではなく「自力更生」という概念が存在することだと私は考えています。

「中央集権」しかイデオロギー的なバックボーンがない「頭で立っている」極左的「社会主義」者たちではどうしても対応しきれない事態、小回りが要求される事態についても、「自力更生」の看板を掲げれば柔軟に許容できる点が、共和国政権が命脈を保ち続けることができた一つの要因であると考えています。

これに対して、共和国と同様にイデオロギーが国家存立の唯一のアイデンティティだった東ドイツ政権には「自力更生」という概念がなかったので、計画経済が瓦解に向かいつつあることが明らかでも結局、有効な手を打つことはできませんでした。


残念ながら、チュチェ92(2003)年に勃発したイラク戦争以降「先軍政治」に拍車がかかって以降は、何よりも国防が最優先となり、内部引き締めが強化され、市場化に歯止めが掛けられるようになったのは事実です。

しかし、これは外敵の脅威に対抗するための非常措置なので、このことを「本筋」として位置付けることは適当ではありません。また、「個人間の競争」は、昨年の第7回党大会を目前に控えて70日戦闘が展開されていたチュチェ105(2016)年3月19日づけ『労働新聞』社説「集団主義的競争の熱風を激しく巻き起こし、より高く、より早く飛躍しよう」においてイデオロギー的に完全に定式化されたように、先軍の時代にあっても生き永らえましたキムジョンイル同志の時代は、内外の情勢が厳しい非常事態だったので統制が優先されたものの、あくまで非常措置であり、経済改革の芽が完全に摘まれてしまっていたわけではなかったのです。

このように、今日の経済改革;「社会主義における市場の活用」は、決して急に湧いてきた話ではなく、共和国では長年にわたって取り組まれてきた重要課題であり、それにようやく一定の解答が出てきたものなのです。

■これからどうなる?
これからの展望について少しだけ触れておきたいと思います。イデオロギーこそが分断国家としての唯一のアイデンティティである以上は、「社会主義的・集団主義的競争」を新しい時代精神とまで位置づけた(今年の「新年の辞」参照)点を鑑みれば、前述のとおり、現在の改革路線は今後も継続するものと考えられます。

たとえ外部状況が大きく変化しようとも、たとえばアメリカ帝国主義がまたしても何処かの小国を侵略し、その危機に対抗するために共和国が内部を引き締める必要が発生したとしても、キムジョンイル同志の時代のような経済統制にはならないと考えられます。なぜなら、アメリカ帝国主義と渡り合うための核開発・ミサイル開発は、市場の活用によって活性化された経済活動からの税収が原資だからです。カネのなる木;市場を上手く囲い込んで利用しようとすることでしょう

これらの改革に伴う変化が社会主義の原則とどのような関連性を保ち続けるのかという点については、私も労作を紐解きながら考察している最中ですが、「社会主義」というイデオロギー自体が未だ変化と発展の途上にある以上は、「社会主義」の方が現実に対応して変化してゆく可能性もあると考えています。以前から述べているように、朝鮮式社会主義は、試行錯誤の結果から帰納的に形成されているものであり、常に進化し続けています。既に「完成」している「立派な」理屈を演繹的に実践する御国柄ではありません。

とりわけ、チュチェ思想における社会主義の本質が「大衆路線」と「集団主義」だと位置づけられている点は、分析の切り口になると考えています。「大衆路線・集団主義」は、わりと包括的な原則であり、政策的裁量幅が大きいものですが、この枠の範囲内で様々な試行錯誤が今後も展開されてゆくものと思われます。

かつてキムイルソン同志は、チュチェ54(1965)年9月23日に行った演説『人民経済計画の一元化、細部化の偉大な生命力を余すところなく発揮するために』のなかで次のように述べていらっしゃいます。キムイルソン同志もまた、かなり柔軟な試行錯誤を試みていらしたのです。
>>  計画部門の活動家は、労働力、設備、資材など、生産の諸要素について具体的に把握していなければなりません。

(中略)

 これらのことをすべて把握してこそ、現実に合った科学的な計画を立てることができます。ところが、これらすべての要素を具体的に検討し、客観性のある正しい計画を立てるためには、計画委員会委員長や相、企業所支配人など、一人の力では不可能です。いくら聡明な人でも、一人で労働力、設備能力、資材、資金など、生産のすべての要素をことごとく知りつくすことはできないものです。設備が何台だから労働者は何人必要で、機械が何台で従業員は何人いるからどれほど生産できる、といったように机上で立てた計画は、事実上、計画だとはいえません。机上で、一人で生産の予備を探しだすということは不可能なことです。一企業所の生産能力や一地域の商品需要だけでも極めて多様であるのに、まして、国全体の経済生活と関連のある膨大で複雑な生産の諸要素を、幾人かの活動家がどうして正確に反映できるでしょうか。

 計画化で官僚主義、主観主義の誤りをおかさないためには、大衆路線を貫徹しなければなりません。大安(テアン)電機工場にたいする指導で最も重要な問題としてかかげたのは、まさに計画化で官僚主義、主観主義をなくし、大衆路線を貫く問題でした。

 計画部門の活動家が、計画化で大衆路線を貫くためには、生産現場に出向かなければなりません。現在、各計画局の管下にある企業所は多くないので、企業所の実態を把握するのはさほど難しいことではないはずです。1年のうち、およそ20日か1か月ぐらい現場に行って、労働者とともに働きながら実態を調べてみれば、すべて把握することができます。このように、一度よく調べてカードをつくっておき、変更事項をそのつど書き込んでいけば、いつでも自分の受け持った工場、企業所の状態をはっきりと知ることができるでしょう。

(中略)

 しかし、計画を大衆的に討議して作成するというのは、国家計画機関が計画化を積極的に指導せずに、生産者が立案して提出した計画をそのまままとめてもよいということを意味するのではありません。生産者が立てた計画だからといって、すべてが正しく客観性をもつものだとはいえません。(中略)したがって、消極的なものではなく、全国家的な立場に立った動員力のある計画を立てるためには、計画化にたいする国家計画部門の活動家の指導と統制を強化することが必要です。

 結論的に言って、人民経済計画化を正しくおこなうためには、計画化で大衆路線を貫き、国家計画機関の主観主義と官僚主義をなくすばかりでなく、計画事業にたいする国家の指導と統制を強化して、生産者の機関本位主義、地方本位主義をも徹底的になくさなければなりません。

 この問題を解決する唯一の道は、計画の一元化を実現することであります。


(中略)

 このシステムは、計画化において事大主義と教条主義に反対し、我が国の具体的な実情に即してマルクス・レーニン主義の原理を創造的に発展させた独創的なシステムであります。

 私は以前、我が国の計画化システムにあった不合理な点をなくすために、すでに数年前からいろいろと考えてきました。

 マルクス、エンゲルス、レーニンの著作も読んでみたし、社会主義経済建設を直接指導した経験のあるスターリンの著作も読んでみました。また、外国の計画化システムについてもいろいろと研究してみました。しかし、我が国の実情にかなった合理的な計画化システムは、どのマルクス・レーニン主義の古典にも書かれていなかったし、外国人の書いた本にもありませんでした。我々にはただ、計画化にかんするマルクス・レーニン主義の一般的理論を我が国の現実に即して発展させ、自分の頭で自国の計画化システムを完成していくほか他の道はありませんでした。それで我々は、工場にも出かけて研究し、農村にも出向いていろいろと研究してみました。このような過程で我々は、党の意図と国の全般的な経済状態をよく知っている国家計画部門の活動家が直接現地に出向いて、具体的な生産の潜在力を誰よりもよく知っている広範な生産者大衆と協議して計画を立てるシステムをつくるのが最も合理的であると認め、計画の一元化システムを設けるという結論に達しました。

 このシステムは、計画化に偉大なチョンサンリ(青山里)精神とテアン(大安)の事業体系を具現したものであり、中央集権的指導と地方の創意性、プロレタリアート独裁と大衆路線を正しく組み合わせた、最も威力あるシステムであります。計画部門の活動家がこのシステムを立派に運営するならば、工業計画、農業計画、基本建設計画、運輸計画、商業計画、買付け計画をはじめ、人民経済のすべての部門の計画を、党の意図と国家の要求に即して、また地方と企業所の具体的な実情を正しく反映して立てることができるはずです。


(以下略) <<
中央集権的指導と地方の創意性、プロレタリアート独裁と大衆路線を正しく組み合わせた、最も威力あるシステム」――チュチェ54(1965)年といえば、ソ連や東欧諸国では、新古典派一般均衡理論や線形計画法といった数理的技法を用いてまで、経済の計画化に躍起になっていた時代です。「科学的な客観法則」とやらに則った「科学的に正しい道筋」を上段から人民大衆に押し付けることが「社会主義経済」だと考えられていた時代です。

そんな時代にあって、キムイルソン同志は、「大衆路線」という朝鮮式社会主義においては譲ることのできない一線に依拠しながらも、柔軟な発想で生産現場との協議に基づく経済システムを提唱されていたのでした。

キムイルソン同志の「大衆路線」に則った協議型の経済の計画化は、当時にあっては、きわめて「異端」な方法論です。しかし、こうした「異端」な方法論を敢えて執行すること、そして、物事の原点に立ち返って考察を深めることによって一見して「異端」なものを正統に位置づけなおしてしまうのが、共和国の伝統なのです。

きっと、キムジョンウン同志も「それって社会主義?」というような大胆な新しい方法論を執行しつつ、それを「大衆路線」や「集団主義」の大枠に収めるイデオロギー的定式化を成功させることでしょう。

ちなみに、前掲のキムイルソン同志の「これらすべての要素を具体的に検討し、客観性のある正しい計画を立てるためには、計画委員会委員長や相、企業所支配人など、一人の力では不可能です」は、ハイエクの計画経済批判とも通底する部分があります。ハイエクは、このことを根拠に「自由市場の唯一性」を論じました。他方、キムイルソン同志は、このことを根拠に「大衆路線」を提唱されました。二人の方法論は全く異なるベクトルですが、二人の方法論を相互補完的に定式化することはできないものでしょうか?

もしかすると、先にも触れた、週刊東洋経済2013年10月12日号の特集「金正恩の経済学」におけるリギソン同志(朝鮮社会科学院教授)のコメントは――意識的にそうなったわけではなく、結論的に偶然そうなっただけだと思いますが――事実上、ハイエクとキムイルソン同志の主張の折衷になっているのかもしれません。

ますます興味深い共和国における経済改革の進展。今後とも注目してゆく所存です。
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2017年09月07日

전진하는 우리식 사회주의

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170902-00010000-asiap-kr
>> <北朝鮮内部>「最強の経済制裁」の影響は? 最新物価報告(写真2枚)
9/2(土) 5:10配信


(中略)

北朝鮮の最大の貿易相手国である中国は、8月15日からの制裁実施を公表したが、二週間が経った先月29日、アジアプレスでは、北朝鮮内部の取材パートナーに依頼して、北部両江道の二か所の公設市場で物価調査を行ったが、市場には経済制裁の影響は現れていないことが分かった。

6月の物価調査と比べて、食糧価格はほぼ同水準。軽油価格は一割安くなっていた。


(以下略) <<
■羊頭狗肉
最新物価報告(写真2枚)」などとブチ挙げておきながら、なんと肝心の写真が「2013年9月・10月撮影」羊頭狗肉状態。記事として崩壊している。このことにアジアプレス・石丸次郎氏は気がついていないのでしょうか? 共和国国内における撮影を伴う取材の困難性を差し引いても、「最新物価報告」に4年前の写真を持ち出すのはナシでしょう。

アジアプレス・石丸次郎氏の「北朝鮮最新報告」シリーズは、最近は少しばかりマシになってきたとは思いますが、つい最近まで、平気で10年以上も前の写真を持ち出して「最新報告」などとタイトルづけしていたものです。いったいどこが「最新報告」なのでしょうか? そもそも、この「最新報告」は、どのように追試的に裏を取ればよいのでしょうか?

8月21日づけで公開されている「<北朝鮮最新報告>今年も兵士は痩せていた ミサイル発射の一方で栄養失調に苦しむ若い軍人たち(写真4枚)」も、ほぼ同じ構成でした。この記事は、最初の一枚は本年7月撮影という点において「最新」と言うことは可能(もっとも、鮮明さに欠けるので説得力は乏しい)で、2枚目も同様(とはいっても、読者によって見解が異なるであろうキャプションで、これも説得力に乏しい)でしたが、3枚目・4枚目はまたしても数年前の写真。

「2011年7月撮影」の3枚目は、まだ「先軍政治」を掲げていた先代の統治時代の写真。そして「2012年8月撮影」の4枚目について言えば、まだキムジョンウン経済改革が始動する前のタイミングで撮影された写真。共和国の歴史と社会構造を踏まえれば、2011年〜2012年と2017年はその様相が大きく異なっています。社会構造的に差異が大きい過去の一場面と今日現在の一幕とを、何の解説もなく、それも「最新」などというタイトルの記事に掲載する石丸氏のジャーナリストにあるまじき不誠実な姿が浮き彫りになります。

ちなみに、4枚目の写真について「まるで子供のように小さな兵士たちと金正恩氏の記念写真」と書き立てる石丸氏ですが、集合写真に写っている私服姿の女性たちがごく普通の発育状況であるところを見るに、この「兵士」たちは、軍事教練を受けている子供たちなんじゃないかと思うところです。2012年8月は、『労働新聞』がやたら青年について取り上げていた時期でもありましたからね・・・

私は、いわゆる「内部情報」が真偽の追試的確認が困難だからと言って、ただちにインチキ・デタラメと決めつけ、門前払いするつもりはありません。しかし、追試的確認が困難である以上は、その主張を信用することは困難です。まして、羊頭狗肉な記事を量産している人物の発信では信頼には値しません。

■昨今の経済改革の成果は、石丸氏でさえ否定できない成果を挙げているということ?
もはや崩壊状態にある記事を平然と投稿し続けている石丸氏は、印象操作の確信犯か、あるいは、メシのタネを稼ぐために書き立てているかの何れかだと思われます。

しかしながら、この記事は、見方を変えると、「キムジョンウン経済改革の成果は、石丸氏でさえ否定できない成果を挙げている」と言い得る指標なのかもしれません。何の裏付けもなく、追試的確認もほぼ不可能な「最新物価データ」など、デタラメを書いたところでバレるはずもないのに、「市場には経済制裁の影響は現れていないことが分かった」と書いているからです。

当ブログでも以前から記録しているように、共和国の市場経済化は、起源こそ非合法の闇市でしたが、いまや単なる「闇市の統制不能な拡大」ではなく、政策的育成の段階に入っており、そして朝鮮労働党はすでにこの傾向のイデオロギー的整理に正しく成功しています。朝鮮労働党は、社会主義の枠内における市場機能の位置づけと、伝統的に超難題であった「個人間の競争」を社会主義・集団主義の枠内に正しく定義することに成功しています(全面的に支持!)。
チュチェ102(2013)年4月11日づけ「経済改革
チュチェ102(2013)年10月1日づけ「ウリ式市場経済
チュチェ102(2013)年10月7日づけ「チュチェの市場経済・ウリ式市場経済――共和国の経済改革措置に関する報道簡易まとめ
チュチェ105(2016)年6月6日づけ「朝鮮労働党第7回党大会は経済改革・競争改革を漸進的に継続すると暗に宣言した画期的大会
チュチェ106(2017)年1月2日づけ「キムジョンウン委員長の「新年の辞」で集団主義的・社会主義的競争が総括された!

ジャーナリストとして最低限の良心があれば、解釈の裁量内のデータ曲解による印象操作はできても、まるっきりの捏造・でっち上げは躊躇することでしょう。飛び込んできたデータをどうにか曲解しようとしたが、事実として物価は安定しているのだから、「経済制裁の効果てきめん」とは書けなかったのでしょう。

■「内部情報筋」からのレポートの頻度が落ちている怪
ここからは私の「直観」的な感想ですが、キムジョンイル総書記時代以来、「北朝鮮の事実上の市場経済化」は、石丸氏のような「内部情報筋」を持つジャーナリストが盛んに報じてきました。しかし、キムジョンウン経済改革が名実ともに軌道に乗りつつある昨今、いまこそ近況を積極的に発信してほしい昨今、「北朝鮮の事実上の市場経済化」を巡る「内部情報筋」からのレポートの頻度が落ちているように思います。

もし、キムジョンイル総書記の統治時代における「北朝鮮の事実上の市場経済化」なるレポートが、「北朝鮮崩壊」のストーリーを演出する一環だったとすれば、この不可解な「頻度の低下」は理解しやすいでしょう。いまや市場経済化は、労働党体制に組み込まれつつあり、「北朝鮮崩壊」のストーリーには、むしろ不都合な事実となりつつあるからです。

このことは、近年論調のゴシップ化が顕著で資料的価値がほとんどなくなっているDailyNK Japanの報道において更に明白です。昨年ごろまでは、DailyNK Japanでは「トンジュ」なる新興富裕階層について精力的に報じていました。追試的情報源の欠如から丸々信じることはできないものの、興味深い報道が頻繁に発信されていたものです。

しかし、朝鮮労働党第7回党大会以降、市場経済化が政策的にもイデオロギー的にも正式に位置づけられるようになってから、目に見えて頻度が減っています。DailyNK Japanは、平生からその立場と論調を自ら明確にしている点、その「トンジュ」特集は、明らかに「北朝鮮崩壊」のストーリーの一環として報じられていたものと言えるでしょう。

ちなみに、以前から指摘しているように、共和国における市場原理・競争原理の方向性は、遡れば西暦2000年代前半には既に試み始められていました。チュチェ91(2002)年の「7.1経済管理改善措置」は漸進的な経済開放政策であったし、イデオロギー面においては、チュチェ105(2016)年6月6日づけ「朝鮮労働党第7回党大会は経済改革・競争改革を漸進的に継続すると暗に宣言した画期的大会」でも指摘したように、音楽や文学の表現空間において肯定的に描写されていたものです。

おそらく、アメリカのイラク侵攻(イラク戦争)を原因とする「先軍」への舵切りによって、キムジョンイル総書記時代においては開放化がそれ以上は進展しなかったのが、いまようやく開花しているというのが本当のところだと思われます。

(DailyNK Japanの論調は、いわゆる「クレムノロジー」的な分析方法に関する知識や、社会主義の政治に関する知識があれば、絶対にそんな結論には至らないような素人染みた「分析」が氾濫しています。「プロパガンダの行間を読む」ことをしていないんでしょうね・・・)

かつてレーニンは「誰が君をほめるか言ってみたまえ、君の欠点がどこにあるか教えてあげよう」と言いました。私はレーニンほどのラジカルな二元論者にはなれませんが、レーニンの視点で「『北朝鮮の事実上の市場経済化』を巡る『内部情報筋』からのレポートの頻度」を考察することは、ひとつ面白い事実が見えてくることでしょう。
posted by s19171107 at 23:53| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする