2017年04月28日

ポプラ事件(板門店事件)が「北朝鮮の完敗」に見える産経新聞の表層的分析――戦略的目標を達成したのは誰だったのか

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170426-00000072-san-kr
>> 正恩氏、米のレッドライン読みあぐねる 本格挑発に踏み切らず

産経新聞 4/26(水) 7:55配信


(中略)

 北朝鮮は米国からの攻撃の危機にさらされたことがある。南北軍事境界線の板門店(パンムンジョム)で1976年8月、ポプラの木を勝手に伐採しようとした米将校2人を北朝鮮兵がおので殺害した「ポプラ事件」をめぐってだ。米軍は、戦略爆撃機や朝鮮半島沖に空母ミッドウェイを展開する臨戦態勢を取って伐採をやり遂げる。金日成(イルソン)主席は米側に「遺憾の意」を伝達。北朝鮮の“完敗”だった。「米国民の生命が脅かされれば、米国は軍事行動を辞さない」。これが北朝鮮が肝に銘じた教訓だったといわれる。

(以下略) <<
「左の『しんぶん赤旗』、右の『産経新聞』」。産経新聞のイイカゲンさは全方面的規模ですが、ことに国際情勢に関しては輪を掛けるものがあります。まあ、要するに「願望が強すぎ、現実を都合のよく歪めて解釈している」のが原因なんですけどね。

さて、引用部分。ポプラ事件(板門店事件)を取り上げています。曰く「北朝鮮の“完敗”だった」としています。ところがどっこい、つい先日の朝鮮中央通信は、まさに板門店事件を振り返り、これを勝利と位置づけています。
http://www.uriminzokkiri.com/index.php?ptype=igisa1&no=1132549
>>  우리 공화국은 보총과 원자탄의 대결이던 지난 1950년대 조선전쟁에서는 물론 1960년대 《푸에블로》호사건, 《EC-121》대형간첩비행기사건, 1970년대 판문점사건 그리고 조미핵대결전을 비롯하여 세기와 년대를 이어오며 자기의 힘으로 사회주의조국을 지키고 미국에 참패만을 안긴 영웅조선이다.

 최근년간에도 미국이 사상최악의 초강도위협과 야만적인 제재봉쇄책동에 매달렸지만 실패를 거듭하고 지친것은 제국주의자들이였으며 온갖 도전을 박차고 승리한것은 사회주의 우리 국가였다.

(拙訳;わが共和国は小銃と原子爆弾の対決であった、去る1950年代の朝鮮戦争ではもちろん、1960年代の「プエブロ」号事件、「EC−121」大型スパイ飛行機事件、1970年代の板門店事件、そして朝米核対決戦をはじめとして、世紀と年代を経て、自力で社会主義祖国を守り、米国に惨敗をもたらした英雄的な朝鮮である。近年においても、アメリカは史上最悪の超強度威嚇と野蛮な制裁・封鎖策動に執着したが、失敗を重ねて疲れたのは帝国主義者どもであり、あらゆる挑戦を退けて勝利したのは社会主義のわが国であった) <<
中学生レベルのメンタルであれば、板門店事件は「完敗」と映るのかもしれません。しかし、そもそも朝鮮側が何故、たかだか幾ばくかの本数の木々程度にこだわり、そしてそれを今も尚、勝利とみなしてたのでしょうか?

ウィキペディア程度の初歩的な情報量であっても、このことは見えてきます。あの事件の発端となったポプラの木は、もともと朝鮮側が植えたものでした。事件に関する朝鮮側の言い分としては「他人が植えたものを勝手に切るなよ!」であり、さらに突き詰めれば、真意レベルにおいては「そもそも非武装地帯で交戦国兵士どうしが入り混じっていることは異常だし、そこで通告なしに活動しないでくれ!」といったところでした。

そして、ウィキペディアにもあるとおり、「両陣営間で行われた会議によって、北朝鮮側の提案で、共同警備区域内にも軍事境界線を引いて両者の人員を隔離する事を決定した」・・・、いま振り返れば、ポプラの木自体は切り倒されてしまったものの、それはあくまでも、どうでもいい表層的な部分に過ぎず、朝鮮側の真意であった「念願の対米交渉のテーブルにアメリカ側を引きずり出す」という戦略的目標を達成したのに留まらず、真意レベルでの事件の動機を満たすことに成功したわけです。

たしかにキムイルソン主席は米軍の示威行動に対して「遺憾の意」を示しました。全力で肩入れした南ベトナムが北ベトナムに併合された上に、カンボジアやラオスまでもが共産化し、恐れていた「ドミノ理論」が現実のものになったばかりの「1976年8月18日」というタイミングで、人が死んだとはいえ軍事戦略的には「この程度の小競り合い」で、アメリカがこれほどまでの反応を示すのは少し過剰であり異常です。キムイルソン主席としては、「いくら東南アジアで負け続きとはいえ、こんなに過敏に反応するだなんてアメリカは頭がおかしくなったんじゃないか・・・」と思ったのではないでしょうか。そうであれば、そもそも体制維持こそが至上目的である朝鮮としては、「インパール作戦の国・日本」とは違って、戦略的に「遺憾の意」くらいは出すでしょう(ちなみに、「遺憾の意」に謝罪は含まれて居ません)。13日の記事でも書いたとおり、たしかにキムイルソン主席は情勢を見極めて「遺憾の意」を提示し戦争への発展を回避しましたが、錯乱状態といっても過言ではないアメリカの過剰・異常な振る舞いを見てのことだったのではないでしょうか。

中学生程度のメンタルだと「常勝・完勝」でなければ気がすまないものですが、大人の世界ではそんなことは二の次、泥臭かろうと目的を達成することこそが重要なのですよ。
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2017年04月26日

「キムジョンウン委員長が導入した市場経済」という、さりげないが画期的な一文

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170423-00000005-asahi-int
>> 緊迫、軍事パレードの夜に…大宴会 北朝鮮労働党幹部ら

朝日新聞デジタル 4/23(日) 1:37配信

 北朝鮮が故金日成(キムイルソン)国家主席の生誕105周年を祝った15日、朝鮮労働党が平壌で大宴会を催していた。幹部が豪華料理に舌鼓を打ち、米朝間の高まる緊張を感じさせない雰囲気だったという。金正恩(キムジョンウン)委員長が導入した市場経済により、格差が広がっている実態の一面もうかがわせた。


(以下略) <<
さりげない一文ながらも、「金正恩(キムジョンウン)委員長が導入した市場経済」というくだりは画期的です。なかなか一般紙では触れられてこなかった事実です。

■着実に前進する市場メカニズムの導入
朝鮮における市場メカニズムの導入は、着実に前進していることですが、以前から、韓「国」紙や経済雑誌などでは指摘されていたことです。たとえば当ブログでは、下記の記事で紹介しました。
・チュチェ102(2013)年10月1日づけ「ウリ式市場経済
・チュチェ102(2013)年10月7日づけ「チュチェの市場経済・ウリ式市場経済――共和国の経済改革措置に関する報道簡易まとめ

たとえば最近も下記の記事がそのことを報じています。
http://toyokeizai.net/articles/-/162495
>> 北朝鮮、路上生活の子を減らした金正恩の力
父のやり方を変え、農業改革で食糧事情改善
董 龍昇 :韓国オリエンタルリンク代表 2017年03月30日


(中略)

配給制に依存していた北朝鮮は、1990年代を前後して配給がほぼ途切れ、国民らの食糧調達が難しくなった。食糧を求めるために一家離散となるなど家庭が崩壊し、それゆえコッチェビが急激に増加した。このような観点から、北朝鮮の食糧需給状況に何が起きているのかを見てみたい。特に金正恩政権になって5年間、北朝鮮で何が生じたのかに注目すべきだ。

(中略)

が、北朝鮮の食糧問題は、生産部門から始まった。1970年代に後継者として浮上してきた故・金正日総書記が、継母である金聖愛(キム・ソンエ)と激しく繰り広げた権力闘争を終え、1980年に第6回党大会で後継者として公式にデビューする直前に無理な政策を断行。1979年、金正日は「社会主義は完成段階に入った」と主張し、協同農場の国営農場化を推進したのであった。

それまでの北朝鮮の農民は、協同農場において協同的所有を維持してきた。協同的所有だからこそ、生産された分から分配を受け、ひと月ごとに受け取る「生活費」というものは存在しなかった。ところが金正日は、協同農場員にも安定的な生活費を支給する代わり、すべての生産物は国家から受け取る方式を取り始めた。協同農場員は工業従事者のように生活費を毎月受け取る農業勤労者となった。

飢餓を解決できず、党書記は公開処刑
こうなると、最初のほうは生活費を受け取るのでいいが、仕事をしなくても月給を受け取ることが出きることが徐々にわかり、となると、農場には出ず住居近くの畑ばかりを耕すようになった。こうして協同農場の生産性が明らかに落ち始めた。生産性が落ち、北朝鮮当局はインセンティブの提供など多様な方法を動員したものの、協同農場の生産性は日に日に下落していった。


(中略)

一方、この期間中に、北朝鮮ではチャンマダン(ヤミ市)が広がり、食糧需給の流通網が配給制から市場取引へと、完全に転換した。2000年代は市場における食糧価格の変動幅がとても大きかった。これは、市場レートの変動幅が大きかったことが1つの要因だが、何よりも市場に食糧供給が安定的に行われていなかったためだ。

こうして10年という時間が流れるうち、市場の食糧需給網は安定化し、2010年以降はチャンマダンにおける食糧価格が安定。全国的に価格変動幅の縮小する現象が見られるようになった。これには食糧卸の役割がとても重要だった。彼らは北朝鮮全域のチャンマダンに食糧を供給する大元へと成長していった。


(中略)

ところが、金正恩政権が始まった2012年から、市場が変わり始めた。金正恩が北朝鮮の一般住民に向け初めて公の場で演説した際、「二度と住民がベルトを締め上げることがないように(やせ細らないように)する」と発言。そして、前の金正日政権の十数年間の蓄積を土台に、食糧需給と関連した主な政策をいくつか推進したのである。

まず金正恩は、軍部隊に割り当てられていた農地を拡大する一方、住民を当てにするなと厳命した。軍部隊には約20万ヘクタールの農地を割り当て、軍が自主的に農業を行って食糧供給の問題を解決せよと指示したためだ。これで農民は「先軍政治」の名目の下、生産された穀物を軍部隊から強制的に持ち出されることがなくなり、農民たちは歓迎した。「愛国米」の調達負担も減った。

こんな現象も見られた。2013年に北朝鮮の市場で多く売られていた商品の1つは豚肉だった。これは愛国米として、コメの代わりに年間ブタ1頭分を半強制的に上納していたことがなくなり、豚肉が市場へ流入する現象が発生したせいだった。

次に協同農場の生産性を向上させるよう、画期的な措置をとった。農場員に月給を支給せず、生産分の7割を取り置くことにした。1979年に金正日が協同農場の国営化を行う前の状態に回帰させたことになる。このために「圃田担当制」を実施。この制度は、従来は公平性を保つとの理由から農場員が担当する土地を1年ごとに替えていたが、今後は1ヘクタール程度の圃田を一世帯に任せ、そこを継続して耕作するようにしたものだ。事実上、農家に対し、農地を分け与えたことになる。

さらに国家からは土地を貸し、種や農機具などを貸し与える代価として、生産物の3割を徴収。もちろん土地ごとに生産性が違うため、一括して、国家3対農場員7の原則を適用するのではない。全域の農業地域を対象に土地生産性を再調査し、これに基づいて分配率を決定していった。生産性が相対的に低い地域は、国家2、農場員8とするケースもあるという。

「トウモロコシごはんを食べる人はいません」
北朝鮮全域で完全に定着した状態ではないゆえ、地域ごとにその評価には差がある。たとえば、平安北道は圃田担当制が定着したことで、生産性が最も高まったという。この地域は、中国と国境を接している新義州を通じて各種農業機械を導入する一方、よい種子を熱心に求めている。

一方、相対的に食糧が豊富な黄海南道は、北朝鮮最大の穀倉地帯であるにもかかわらず、農民が生産性向上にそれほど関心を見せておらず、まだ生産性が向上していないという。肥料生産も一部で正常化され、石炭化学工業で出てくる化学肥料の生産が一部で正常化し、外部から調達する肥料の量も減ってきている。

北朝鮮全域で生産される穀物量は、年間約600万〜700万トン程度だ。早い時期に1000万トン生産という目標達成に注力している。金正恩政権が始まってから、チャンマダンで取引されるコメの価格は、1キログラム当たり0.62ドル程度と安定。国際社会の対北制裁で、北朝鮮に流入する食糧が2000年代より大きく減っているにもかかわらず、市場価格が安定化しているのは、内部からの安定供給が続いているために外部から取り寄せる量が減っていることと、比較的安定した供給ルートがあることを意味する。

生活費を調達するには、生産した食糧を市場で売らないといけなくなったため、協同農場を市場と連携させるほかなくなった。金正恩政権が市場を事実上、許容せざるをえなくなったのだ。実際に政権が始まって以降、市場拡大を抑えるための取り締まりがはっきり減っているという。

北朝鮮住民はこのように言う。「今トウモロコシご飯を食べる人がどこにいますか」と。市場に行けば穀物の種類を選んで食べることができる。「国が外部からのリスクをなくすことに注力すれば、北朝鮮住民は自主的に生活できる」とまで言うようになったのだ。
<<
■前向きに取り組まれている市場化――イデオロギーを存在基盤とする国だからこその本気度
ここで重要なのは、当初は「闇市の拡大」に過ぎなかったものの、いまやその自生的秩序を政権が許容していることです。上掲記事では「金正恩政権が市場を事実上、許容せざるをえなくなった」としていますが、私は、朝鮮中央通信の報道を見るに、慎重ながらも前向きに取り組んでいると見ています

たとえば、チュチェ105(2016)年6月6日づけ「朝鮮労働党第7回党大会は経済改革・競争改革を漸進的に継続すると暗に宣言した画期的大会」でも触れたとおり、第7回党大会を控えた昨春から突如として登場した「集団主義的競争」という単語は、悪平等主義的な従来型社会主義との政治的決別を象徴しています。

また、本年の新年辞。1月2日づけ「キムジョンウン委員長の「新年の辞」で集団主義的・社会主義的競争が総括された!」でも触れたとおり、「互いに助け導き合いながら飛躍を遂げる集団主義の威力」を「新しい時代精神」と定義づけた点は、伝統的に難題だった「集団主義と競争原理の両立」について、「互いに成功を学びあい、助け合い、切磋琢磨してゆく」タイプの競争を社会主義的競争と位置づけ、「弱肉強食の生存競争」としての資本主義的競争との違いを定義したという意味において、イデオロギー的に重要でした。

東ドイツと同様に国の存在基盤がイデオロギーであり、イデオロギーが倒れれば国がなくなる朝鮮において、その根幹部分での転換は、かなり「勇気」がいる決断です。資本主義であろうと社会主義であろうと日本は日本でありつづける我々が思っている以上のことです。それだけ本気なのです。

政治行政の人事上の布陣からもそのことは推察できます。チュチェ105(2016)年7月2日づけ「分権改革・経済改革の旗印を更に鮮明にした画期的な最高人民会議」で触れた通りです。

■重要な第一歩
しかし、なかなか一般紙では触れられてきませんでした。光市事件を筆頭とする刑事事件報道と同様、勧善懲悪物語の「悪」側として一旦位置づけてしまった以上は、いまさら「軌道修正」しにくいのかもしれません。そんななかでの朝日新聞記事。これ一発で大きく変わるとは思えませんが、重要な第一歩です。
posted by s19171107 at 22:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大規模砲撃演習を「極めて挑発的な威嚇」と認識できない単細胞な「世論」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170425-00000051-reut-kr
>> 北朝鮮が軍記念日に大規模砲撃演習、米原潜は釜山入港
ロイター 4/25(火) 13:37配信


(中略)

[ソウル 25日 ロイター] - ミサイル・核開発プログラムを巡り国際的な孤立を強める北朝鮮は25日、朝鮮人民軍の創建85年の記念日を迎えるのにあわせ、大規模な砲撃演習を行った。

韓国の聯合ニュースが韓国政府筋の話として伝えたところでは、北朝鮮の軍が同国東岸の元山市近郊で大規模な実弾演習を行ったもよう。韓国国防省はこの報道を確認していない。

北朝鮮の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」は1面の社説で、朝鮮人民軍は「米国の策略と核の脅しの歴史に終止符を打つ」用意があると表明。「人民軍には、様々な精密・小型核兵器、潜水艦発射弾道ミサイルなど、独自の最新鋭軍装備があり、攻撃力に限界はない」と指摘した。


(中略)

4月は北朝鮮で記念日が続くうえ、米韓軍が大規模な合同演習を実施していることから、金正恩政権が挑発行動に出ることが懸念されている。とりわけ朝鮮人民軍創建85年に当たる25日は、6回目の核実験を踏み切る可能性が指摘されており、トランプ米大統領は、空母カール・ビンソンも合同訓練のため朝鮮半島近海に向かわせており、日韓との連帯を示すことで北朝鮮を強くけん制している。

(以下略) <<
コメ欄。
>> ビビッて火力訓練・・だと。。(笑) <<
>> やっぱり、北朝鮮は核実験やミサイル発射はできませんでした笑 <<
>> あれ?核実験やミサイル実験は?
ビビってできないなら始めからデカい口たたくなよw
<<
■いったいいつ「4月25日に核実験を実施する」と宣言したのか?
以前、昨今の「世論」について私は「戦前の朝日新聞のような単細胞」と述べましたが、もっとピッタリの表現がありました。「ミリオタ気取りの中学生」。そういえばこんな手合い、クラスにいましたよ(中学生みたいな思考回路で国際情勢語るなよ・・・)。

いったいいつ、朝鮮政府は「4月25日に核実験を実施する」と宣言したのでしょうか? そんな宣言は一言も発しておらず、日米韓各国の関係者が推測していただけに過ぎません。記念日という点では、「5.1節」(メーデー)が近づいていますし、朝鮮は年中、なんらかの記念日があるものです。

■この大規模砲撃演習こそ「極めて挑発的な威嚇」だと思わないのか?――とんでもないお気楽な脳内補完
ビビッて火力訓練」だったのでしょうか? まあ、中学生くらいのメンタルだとそう見えるのでしょう(いたなぁ・・・懐かしい)が、いまの戦略的状況を大人の視点で確認すれば、この大規模砲撃演習こそ、「極めて挑発的な威嚇」なるものであると言える可能性もあります。すなわち、「我々は核実験を必ず実施する。仮にその時、米軍がシリアに行ったような、軍事施設に的を絞った『限定的』な攻撃をしようものなら、ソウルの街と在韓米軍基地はこうなるぞ!」と。周知のとおりソウル市や在韓米軍基地は、ミサイルではなく長距離砲で攻撃が可能です。

「4月25日核実験実施」という推測がいつの間にか既定スケジュールに脳内変換され、それが現実のものにならないと見るや、さらに脳内補完を強め、相手側の真意をまったく読み違える。自分たちの「推測」に過ぎないものが、いつの間にか「現実」のスケジュールに摩り替わっている・・・日本軍の戦略的敗北の過程――なぜかは分からないが連合国・連合軍の戦術・戦略を決めてかかり、それと異なる兆候を無視する――と瓜二つです。

■「インパール作戦の国」と「ゲリラがこしらえた国」との決定的差
仮に情勢が悪いとみて砲撃演習に切り替えたとすれば、これはキムジョンウン委員長には戦略を見極める眼があることの証左です。勝てる戦いしかしないが軍人であり戦略家。何が一番大切で何を達成しなければならないのかという優先順位が固まっていれば、情勢が悪いならば涙を呑んででも撤収するのは当然の選択です。

この点こそが、「インパール作戦の国」と「ゲリラがこしらえた国」との決定的差です。ますますハッキリしました。ゲリラは勝てる見込みのない状況では戦いません。勝てる見込みのない戦いについて「あれは戦うしかなかったのだ・・・」などと少し陶酔気味に語ったり、あるいは「絶望的な戦いで見事に散華した」などと言い換えるようなのは、朝鮮にとってはまったく関心のないことなのです。

■戦略的認識を誤り大失敗を犯しそうな「ミリオタ気取りの中学生」
「戦前の朝日新聞」どころか「ミリオタ気取りの中学生」のような調子では、戦略的認識を誤り大失敗を犯しそうです。しょうもない私情を優先させてインパール作戦を再現しかねない勢いです。しかし、きっとそうした悪手を「犠牲はつきものだ」や、甚だしくは「見事に散華した」などと言い換えるのでしょう。

■費用対効果の戦略思考
「犠牲はつきものだ」というコメントも今回の中学生みたいなコメント群のなかで何度か見かけました(自分自身が実際に犠牲者になり得るという現実はもちろん捨象しているのでしょう・・・自分の問題としてではなく評論家的に述べているに過ぎないと思われます)。このことについても少し考えておきたいと思います。

「犠牲はつきものだ」という見解自体は、評論家的立場から述べれば、その通りです。しかし、「インパール作戦の国」で易々とこういうセリフが出てくるのは戦略思考としてまずい。たとえばアメリカも「犠牲はつきものだ」と考えている国ですが、あらゆる手を尽くして犠牲を最小化しようと目指しています。「あらゆる手を尽くしてもなお、発生してしまう犠牲はやむなし」という立場であり、費用対効果を常に計算し尽くした上で戦略を考えています

しかし、最初から「そういうもんだ」と考えており、なおかつ、「散華」なる言葉で自己陶酔・自己満足に至ってしまう「インパール作戦の国」では、あらゆる手を尽くして犠牲を最小化しようとしないでしょう。しかし、目標というものは達成すればよいのではなく、最小の費用で達成させるものです。

■コトは体制の問題であり「キムジョンウンの首さえ狩れば問題は解決する」はずがない
国際関係の専門家・軍事評論家がこぞって可能性の低さを指摘している「斬首」についても述べておきたいと思います。「キムジョンウンの首さえ狩れば問題は解決する」といったコメントが割りと実しやかに語られています。

コトは個人の行動によるものではなく体制的に生まれたものであり、システムとして回っているというのが根本的に分かっていないようです。仮に「独裁者」と言われるほどの権力者であっても本当にすべてを一人でまわしているわけではないし、すべての利益を一人で独占しているわけでもありません。こんなのだから小手先の改革を標榜する政治家などに一喜一憂し、社会システム総体の変革に目が向かないんでしょうね。たとえば、仮に桜井誠氏が最高権力者になったところで、この国は何も変わりませんよ。

「幕末の志士」に焦点を当てた大河ドラマの悪影響でしょうか? あの手の作り話では、登場人物たちの「熱い思い」がそのまま直接的に時代を動かしたかのごとく書かれています。しかし、そんなものは「お手本のような観念論」というほかありません。

「熱い思い」が時代を切り開く上で作用することは私も否定しませんが、闇雲な熱意のゴリ押しで時代をコジ開けるように切り開いたわけではなく、その時代の社会体制・システムの「ツボ」を突いたからに他なりません。「熱い思い」と「冷静な状況判断」によって、社会システムの「ツボ」が突かれ、時代が変化したのです。主体としての人間の熱意と客体としての社会システムが相互作用的に反応し合って、結果的に社会が進化するのです。卑近な例でいえば、闇雲な思いだけでは大学には合格できず、過去問研究・出題方式研究を重ねて「○○大学合格の傾向と対策」を極めないとダメなのと同じ、闇雲な熱意だけでは第一志望には就職できず、企業研究を重ね、模擬面接を重ね、採用担当者の「ツボ」を突かないとダメなのと同じです。

観念論的世界観は心に響くものがあるので、あの手の作り話は「熱い思いが通じて歴史が動いた」といったような単純なストーリーを意図的に編成しているのでしょうが、その悪弊がこんなところにも出ているのかも知れません。

■危険千万な平和ボケっぷりが白日の下に
この1ヶ月弱の一連のニュースに対する「世論」は、あつめて分析する価値がありそうです。危険千万な平和ボケっぷり、観念論っぷりが白日の下に晒されました
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2017年04月24日

障害者就労施設が「ソ連の遺産」?笑――資本主義スウェーデンとの比較で完全に敗北

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170423-00000064-mai-eurp
>> <ロシア>視覚障害者の雇用守る 生き残ったソ連の遺産

毎日新聞 4/23(日) 20:41配信

 【モスクワ杉尾直哉】ロシアには、視覚障害者らに雇用の場を与えるために特別に設置された製造工場がある。「諸民族の平等」をうたった旧ソ連政府が、障害者を保護する政策を取っていたころの“遺産”だ。ソ連崩壊後の現在は、市場原理の厳しい競争にさらされているが、「障害者の自立」を維持するため、格闘しながら操業を続けている。

 モスクワ西部のクンツェボ地区。古びたレンガ造りの4階建てのビルは、電源コンセントやスイッチを生産する「エレクトロ」社の工場だ。主に視覚障害者の自立を目指して1959年に設置された。従業員260人のうち120人が障害者だ。


(中略)


 勤続3年の女性従業員レーナさん(36)は、かつては幼稚園の先生だったが、徐々に視力を失ったため解雇された。「ここでは安定した仕事ができてとてもうれしい」と言う。月給は日本円で約3万円程度だが、「視覚障害者にとって一番大切なのは、話をする仲間たちがいて、助け合える場があること」という。

 全ロシア盲人協会のウラジーミル・シプキン副総裁によると、ロシア全土では約7600人の視覚障害者がこうした企業で働いている。シプキン氏は「障害者向けの企業はソ連時代のたまものであり、世界でもユニークだ」と話す。

 91年のソ連崩壊後の経済混乱期には、ほかの企業と同様、困難を経験した。企業乗っ取りが横行した時代だったが、全露盲人協会が施設や敷地を維持し、生き残った。

 ロシア全土では視覚障害者は約21万人おり、うち10万人以上が仕事をしたくても雇用の場がないという。シプキン氏は「市場の競争も激しく、全員を雇うわけにはいかない」と話す。だが、政府やモスクワ市当局から支援を受け、工場設備の更新や雇用拡大に取り組んでいるという。

最終更新:4/24(月) 10:51
<<
障害者向けの企業はソ連時代のたまものであり、世界でもユニークだ」――ソ連時代に懐かしさを感じるロシア人が言っている分にはよいとは思いますが、毎日新聞がそれをそのままタレ流すのは如何なものでしょうか。ロシア革命から今年で100年。「ソ連は崩壊したが、ソビエトの理念はこうして生きているんです! 社会主義の再評価を!」というつもりで書いているなら、まずは「資本主義スウェーデン」における障害者就労を踏まえるべきです。ソ連は完敗、再評価の余地などまるでありませんよ。

以前にもご紹介した記憶がありますが、資本主義スウェーデンにおいては「サムハル」という国営企業が、障害者に対して就労機会を提供しています。形態としては「国営企業」ですが、国営企業にありがちな放漫経営とは無縁の厳しい数値目標が課された経営が要求されています。その一端は、「厳しい数値目標が国営企業を鍛えた “障害者集団”、スウェーデン・サムハルの驚愕(2)」に詳しいので、ぜひともご一読いただければと思います。

また、サムハル社は、単なる「障害者の権利の実現」ではありません。下記が端的なので引用しましょう。
http://www.prop.or.jp/global/samhall/20090119_01.html
>> 弱者を変えた冷徹な合理性
“障害者集団”、スウェーデン・サムハルの驚愕(3)


(中略)

ヒューマニズムだけが理由ではない

 なぜサムハルを作ろうと考えたのか――。漆黒の闇に包まれた夕刻。ゲハルトに尋ねると、彼は口を開いた。

 「1つは人間的な理由だ。障害者が他の人と同じように働く。そういう社会を実現することは、人間として大切なことだと思った」

 その当時、スウェーデンでは障害者を施設に隔離し、障害年金を支給していた。障害者は社会の外側にいるアウトサイダーだった。だが、障害者を社会の外に隔離する社会が健全であるはずがない。そう考えたゲハルトは、彼らを社会の一員とする仕組みを作ろうとした。

 社会に組み込むにはどうすればいいか。そのためには何より、健常者と同様に就労の機会を提供し、自立した生活を送ってもらう必要がある。では、仕事はどうやって作り出せばいいか。障害者の仕事を生み出す組織を作ればいい――。こうした一連の思考を経て、国が雇用の場を作り出すというサムハルの原型が生まれた。

 ただ、背景にある思想は、単純なヒューマニズムだけではなかった。早熟の天才はもう1つ別の視点を持っていた。それは、福祉コストの削減である。

 「障害年金モデルに疑問を感じていた」

 当時は障害者に現金を給付する障害年金が障害者福祉の中心だった。だが、障害年金をただ支給するよりも、障害者が働き、納税する方が全体のコストは下がるのではないか。彼らが働けば、その生産の分だけコストは減るのではないか――。ゲハルトはそう考えていた。

 人口900万人のスウェーデンは常に、労働力の確保に苦労してきた。19世紀後半には、貧しさのために国民の4分の1が移民するという辛い出来事も経験している。そういった過去があるため、スウェーデンには「働ける者は可能な限り働く」という意識が国民の間に強く浸透している。

 さらに、70年代に入ると、30年代から続く高福祉路線は曲がり角に差し掛かりつつあった。高い経済成長を背景に手厚い福祉を実践したが、オイルショック後の世界的な不況によって経済成長は鈍化。公的部門の肥大化が国家財政を圧迫していた。

 サムハルを作ろうとした背景にあるのは徹底した合理性。「労働人口を少しでも増やし、少しでも多く税金を徴収する」という冷徹な計算もあった。


(以下略) <<
「厳しい数値目標」と並んで、「ヒューマニズムだけが理由ではない」という制度設計者の告白は、ソ連に郷愁を感じるような化石的左翼崩れにとっては、火病を起こして卒倒するような「邪」な動機でありましょう。

社会主義ソビエトは「階級闘争」の名の下、優秀な人材を追放・抹殺し、促成栽培的に育成した素人連中に重要な経済的権限を与えた結果、とんでもない放漫経営を横行させ、ついに破滅を迎えました。うまくいく根拠などどこにもないのにも関わらず、国民の「ヒューマニズム」を前提とした甘っちょろい制度設計のあげく、「福祉ぶら下がり」を大規模に横行させました。いまどきソ連をお手本にしようという国などありません。

他方、資本主義スウェーデンは、「国民の家」構想の下、緻密な制度設計で階級間利害関係を調整しつつ、さまざまな立場・利益関係・境遇の人々を糾合し、効率的な福祉国家を経営してきました。90年代初頭の経済危機に際しては、「経済的には規制緩和を推進しつつも、福祉の給付水準は維持する」という大胆な改革を推進しました。「思想的純潔性」にこだわることもなく、障碍者に対する雇用機会の提供の動機について「ヒューマニズムだけが理由ではない」と素直に述べて憚りません。そして、いまもなお生き延びています。「規制緩和と社会政策の両立」という意味で新しい試みを展開している点において、いまもなお、福祉国家のひとつのモデルになっています。

とっくの昔に大破滅を迎えた社会主義ソビエト、いまもなお手本として名高い資本主義スウェーデン・・・ロシア革命から100年、ソ連崩壊から26年。そろそろ諦めて成仏しましょうよ。
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2017年04月23日

「悪口には耐性がある共産党」??

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170423-00010000-senkyocom-pol
>> 「悪口には耐性があるんです」ネットの先駆者・共産党の考える動画メディアとは?

選挙ドットコム 4/23(日) 8:00配信


(中略)

共産党は正直、昔から「反共口撃」にさらされてきたので、悪口には、慣れているんです(笑)。ですから、今更ネットで何を言われても別に構わない。そういう人も含めて接近していこう、働きかけようという思いでやっています。

(以下略) <<
たしかに「今更ネットで何を言われても別に構わない」という態度はその通りかもしれません。というのも、彼らの自己定義は「科学の体現者」であり、自分たち以外は「科学的啓蒙の対象」。所謂「上から目線」という意味で、この言葉は共産党員の態度そのものです。

しかし、当ブログでも繰り返し指摘している通り、二周以上遅れている「素朴な科学主義」の世界観からまったく進歩していないために、共産党員の主張や共産党の政策を少し掘り下げるだけで直ちにボロがでてくるものです。

たとえば福祉。福祉といえば共産党の専売特許といわんばかりの勢いですが、福祉国家として世界的に著名なスウェーデンを筆頭とする北欧諸国は、共産党の主張の正反対を成功裏に前進しています。そしてこのような、共産党の政策の核心部分を真っ向から否定するような事実を突きつけられると、彼らはかなり高い確率で「支配層の情報操作に洗脳されている」などと根拠もなく中傷(参考図書の出版社にケチつけてくることもありましたね・・・商業出版社なんて売れる本なら筆者の立場なんて如何でもいいのに)したり、あるいは自分たちから吹っかけた論争なのに一方的に議論を打ち切ったりしてきます。

このことは、かつて私自身が共産党員たちと親しく付き合った経験からも、そしてその後共産党員たちと直接対峙するようになってからも経験(もともと私はチュチェ思想派なので、マルクス主義共産党とは軌を一にしているわけではなかったものの、敵というわけでもないので、「一点共闘」の立場で是々非々の協調をしていたのですが、主流派の共産党員たちが異論派をムラ社会的な陰湿さを以ってイジメ倒す様子を見て、私は義憤を感じ、「この一点を以って絶対に協調できない!」と決意し、反日共党の立場を取るようになりました)からも言えるし、最近でも共産党員が管理しているツイッターやフェイスブックでのやり取りを見てもいえることです。

そういう人も含めて接近していこう、働きかけようという思い」とは一体どの口が言っているんでしょうか。あくまで「上から目線」でそう言っているに過ぎないんでしょう。
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2017年04月21日

「一代限りの生前退位特例法」から見える漸進主義としての保守主義

http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS21H6S_R20C17A4000000/
>>天皇退位、有識者会議が最終報告 呼称「上皇」に
2017/4/21 18:49

 天皇陛下の退位に関する政府の有識者会議(座長・今井敬経団連名誉会長)は21日、退位後の天皇の呼称を「上皇」とするなど退位の制度設計を柱とする最終報告をまとめた。天皇陛下の退位を一代限りで認める特例法案の制定を国会が提言したのが前提にある。現憲法に規定のない天皇退位が実現する。

 安倍晋三首相は会議で「国家の基本の問題であると共に、長い歴史とこれからの未来にとって重い課題だ。退位を実現するための法案を速やかに国会に提出したい」と述べた。


(以下略)<<
■天皇退位問題を巡る諸立場
天皇退位問題について当ブログではまったく論じてきませんでしたが、「保守主義とは何であるか」という切り口から注視していました。

天皇退位問題を巡っては、「恒久法制定」を主張する言説が「世論一般」といってもよいくらいの勢力をもっていました。それに対して、巷では「保守」と呼ばれる人々が「退位を巡る歴史的経緯」や「皇室制度の安定性」を理由に、恒久法化に反対したり、あるいは、そもそも退位を認めること自体に反対するといった言説を展開していました。非保守派の意見が概ね一致していた一方で、保守派界隈の意見が必ずしも一致していなかったのが特徴的な事態でした。

■3種類の保守
「保守派」と呼ばれる人たちには、私は3種類あると考えています。ひとつ目が、「伝統的な思考・行動様式そのものに価値を感じる人たち」であり、「守旧派」といってもよいかもしれません。森友学園の籠池氏などはまさにこんなタイプでしょう。この手の守旧派からは、ふるい価値観に心酔し現代的価値観を唾棄するあまり、「伝統を回復するための革命」という語義的には矛盾したプランを展開するような連中も現れることもあります(なお、こうした守旧派の問題は、突き詰めれば「好き嫌い」の問題なので、本稿では基本的に取り上げないことにします)。

2つ目が「伝統的な思考・行動様式は、幾世代にもわたって『検証』を受けてきたものであるから、浅知恵・思いつきで変更すれば予想外の事態をもたらしかねないと考える人たち」です。近代の科学主義・理性至上主義にたいする懐疑主義的立場の人たちです。

3つ目が、懐疑主義者とは似て非なる漸進主義者です。私はこの立場なので、後に詳述します。

■保守派が抱いている懸念
「世論一般」の感性に言わせれば、保守派の言説は、「たしかに昔は退位をめぐって政治が混乱し、皇室制度が揺らいだこともあっただろうが、象徴天皇の時代でそんなことは考えられないから、恒久的な制度化を行っても大丈夫だろう」といったところなのでしょう。しかし、そうした「大丈夫だろう」という「予測」こそが、保守派に言わせれば「甘い」ということになるのです。「いったいどれほど正確・精密な「予測」を以って恒久的制度化を口にしているのか」「『大丈夫』といって大見得を切っておいて、なにかあったら如何するつもりなんだ」というのが、保守派の懸念の根底にあるのです。

人類の歴史を振り返ると、「大丈夫」といって大見得を切っておいて、全然大丈夫ではなかった実例は幾らでもあります。「近代革命」以降の「科学技術」に立脚した大規模な自然改造、社会革命が、偉大な成果を挙げつつも、他方で予想外の破滅的損害を生み、この地球上には既に居住はおろか近づくことさえ危険なエリアが幾つもできてしまっています。大自然の複雑で繊細なシステムの前では、人間の「科学」や「理性」など、どんなに頑張っても浅知恵・思いつきの域を超えないのではないかという懸念が、様々な証拠・実例から突きつけられている昨今においては、理性に対する懐疑主義的な意味での保守主義の説得力は年々増していると思います。

■決め手に欠ける懐疑主義的保守主義
他方で、「理性に対する懐疑主義は、要は『心配のしすぎ』に過ぎない」という再反論にも説得力があります。そもそも、理性に対する懐疑主義者といえども、論理的推論や科学技術をまったく信用していないわけではありません。要するに「程度の問題」ですが、具体的な「線引き」を考えようとすると、理性に対する懐疑主義者の立場は、なかなか説得力のある主張を展開できないものです。結局、懐疑主義は「想定外に備えろ」なのだから、スマートな主張になりにくいのは宿命的。「慎重を超えて臆病」という謗りを免れえなくなるものです。今回の天皇退位問題についても、「退位を巡る歴史的混乱の繰り返しを防ぐ」という懐疑主義的保守主義の立場は、具体的な危険性をズバリと言い当てるものではないので、決め手に欠けるといわざるをえませんでした。

■懐疑主義的保守主義を乗り越える漸進主義的保守主義の核心
漸進主義的保守主義は、懐疑主義的保守主義が持つ問題点を乗り越えます。「少しずつ前進し、問題があったら直ちにロールバックする」という方法論は、論理的推論や科学技術に対する過度な慎重姿勢を排して新しい挑戦に取り組みつつも、万が一に予想外の事態が発生したとしても、直ちにロールバックが可能な範囲内での実施に敢えて留めることによって取り返しのつかない事態にも至らないようにもすることができる「よいとこ取り」なのであります。

直ちにロールバックが可能な範囲内での実施を積み重ねてゆく方法論は、理性主義にもとづく方法論――いわゆる「急進主義」もその一種です――に比べて所要時間は少しばかり長くはなりますが、「急がば回れ」というように、安全性・確実性はより高まるものと思われます。「こまめなPDCAサイクルの実施を主軸とする方法論」などと平たく言い換えてもよいかも知れません。

■漸進主義的に仕上がった特例法
私自身は皇室制度自体にはあまり強い思い入れや関心はないのですが、物事の思考法・制度変革の方法論として、漸進主義の立場に立っている関係上、「天皇陛下の退位を一代限りで認める特例法案の制定」という結論は、よかったのではないかと思っています。「天皇陛下の退位を認める」という意味では画期的な結論ですが、他方で、「一代限りで認める特例法」という手続きの面では、一定の慎重さをも持っています。そして、次世代以降の天皇が退位を希望したときには今回の決定を前例として参考として踏まえつつ改めて検討しなおすという方向性は、一世代の思慮・思考だけで恒久的な制度を固めてしまうのではなく、数世代に渡って実験・実践を続けてそれを積み重ねてゆくという方向性です。これこそまさに漸進主義としての保守主義の思想が表れた制度設計であると言えるでしょう。

拙速なる恒久的制度化、臆病の域にさえ達している懐疑主義的保守主義の反対論、論ずる価値も無い守旧派・・・これらアクのつよい言説を退け、妥当な線にまとめあげることができたと思います。
タグ:保守 社会
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2017年04月17日

虎の威を借る何とやら

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170330-00000061-yonh-kr
>> 北のミサイル発射に…トランプ大統領、韓国に向かうエアフォース2のペンス副大統領と電話

中央日報日本語版 4/17(月) 17:24配信

トランプ米大統領の強力な軍事的圧力に対し、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)労働党委員長が「ジャブ」を放った。米国は空母艦隊の韓半島(朝鮮半島)近海追加配備に続き、16日にペンス副大統領を韓国に派遣したが、金正恩大統領は屈することなくペンス副大統領の訪韓の9時間前に弾道ミサイルを発射した。多数の外交安保専門家らは前例からみて、朝米間の駆け引きによる現在の緊張局面はしばらく続くしかないと分析している。

外交部の趙俊赫(チョ・ジュンヒョク)報道官はこの日の論評で「北が15日(金日成主席生誕105周年)の閲兵式で各種攻撃用ミサイルを誇示し、きょう弾道ミサイル発射を敢行したのは、世界を相手にした武力示威」とし「核実験、大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射など高強度の戦略挑発につながれば、北の政権が耐えがたい強力な懲罰的措置が必ずあるだろう」と警告した。政府当局者は「米最高位級の訪韓を控えて北が意図的に挑発を敢行したようだ」とし「北の誤った行動には相応の懲罰をするべきだというトランプ政権の意志が強まるだけ」と述べた。


(以下略) <<
チョ・ジュンヒョクが言う「強力な懲罰的措置」の実施者は誰か――「北の誤った行動には相応の懲罰をするべきだというトランプ政権の意志が強まるだけ」という「政府当局者」なる人物の言葉を総合すれば、結局のところ、自分自身では何も出来ない韓「国」当局の情けない実情が浮き彫りになります虎の威を借る何とやらとは、まさに連中のことを指すための言葉のようなものですね。まあ、今に始まったことではありませんが。

集団安全保障というのは元来そういう性質が大いにあるものですが、とはいっても、自分自身が主導的に実施するわけでもないのに、「親分」の威を借りる姿は、主権国家とは言いがたいものがあります・・・あ、戦時統帥権は結局、アメリカに預けっぱなしでしたっけ? それも頼み込んでの。
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2017年04月13日

朝鮮半島情勢を巡る、戦前の朝日新聞のような短絡的論調の「世論」

■戦前の朝日新聞のような論調
朝米対立の激化による朝鮮半島情勢の「緊張」が高まるとされているここ数日、戦前の朝日新聞のような短絡的で好戦的な論調の世論が展開されています。いわゆる「斬首作戦」が、もう今にも始まるかのような認識がわりと本気で語られています。

軍事行動は、あらゆるケースを想定し、どう転んでも対応できるように備えてから開始するものであり、きわめて戦略的なものです。軍事行動計画が目指す目標がハイレベルであればあるほど考慮すべきケースは爆発的に増加するものです。「危ないかもしれないから今のうちに・・・」といったレベルでは「斬首作戦」に至るはずもありません。

先日、あのトランプ米政権はシリアにミサイル数十発による攻撃を実施しましたが、逆に言えばその程度の攻撃に留まりました。かつて、イスラエルがイラクの核開発を阻止するために奇襲的空爆作戦を展開しましたが、逆に言えば建設中の原子炉の破壊に留まりました。政権担当者の排除というのは、アメリカやイスラエルのような国であっても、そう易々と選択するものではないのです。

この程度の「緊張」で、もう今にも「斬首作戦」が始まるかのような調子は戦争を軽く見すぎており、戦前の朝日新聞のような単細胞と言わざるをえません。

■甚だしい平和ボケ
また、軍事行動の要諦は兵站です。強力な武器があっても補給路が貧弱では打撃力にはなりません。アメリカといえども補給の展開には一定の時間がかかります。たしかに今、朝鮮近海には空母が向かっているようですが、本気で朝鮮の政権転覆を目指すとすれば、この程度では不可能です。兵站の無視――70年たっても相変わらずという他ありません。

さらに、日本の目と鼻の先で軍事行動が展開されるかもしれないというのに、自分たちの日常生活にはまるで関係の無いことであるかのような甚だしい平和ボケっぷりにも驚かされます。朝鮮人民軍の反撃の可能性、難民問題、日本国内に潜伏している工作員の破壊活動など懸念すべきケースはあまたあるはずですが、それらを考慮に入れている言説は乏しい。甚だしい平和ボケっぷりです。

■軍事行動がもたらす経済的影響を考慮していない軽薄なる世論動向
そんな中、意外なことに『新潮』が、経済の側面から朝鮮半島有事の展開を指摘しています。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170413-00519749-shincho-kr&p=2
>> 金正恩「斬首作戦」 実行ならば日本経済も打ち首に

デイリー新潮 4/13(木) 8:00配信


(中略)

■難民と死者の数は…

 朝鮮半島有事と言えば、参照したいのは、70年近く前の朝鮮戦争である。この戦争で起きた特需が日本の復興の足掛かりとなった。

「有事のドル買い」という言葉もある。これまでもミサイル発射など、半島が不安定になると、必ず円安、株高に振れてきたものだが、

「このタイミングで朝鮮半島有事が起きれば、余程のことがない限り、円高が起こるでしょう」

 と言うのは、第一生命経済研究所首席エコノミストの永濱利廣氏。

「昨年のブレグジットの時がそうだったように、最近は世界的なリスクが起こると、その回避のために円が買われる傾向にあるのです。日本が大被害を受けた東日本大震災の時ですら円高になりました。今回の場合は、最悪100円を割ることも考えられます」

 シグマ・キャピタル株式会社のチーフエコノミスト・田代秀敏氏も同様で、

「円高になるのはほぼ確実で、そうなれば、株価も自動的に下がることになる。暴落と言ってよいレベルかもしれません。国債も外国人投資家から売り浴びせられ、金利が急騰し……」

 経済的に苦境に立たされるのだという。

 それ以上に、作戦が成功し、金王朝が崩壊しても、政情不安は否めず「少なく見積もって5万人、最大で20万人」(前出・志方氏)と言われる難民が日本海を渡って押し寄せ、その財政リスク、治安リスクは未曾有のものとなる。


(以下略) <<
外国為替レートの変動という経済面から日本への影響を分析するのは重要な試みです。軍事行動の展開を想定するということは、こういうケースも考えるということです。その点、こうした分析は世論から自生的には出てきていません。重要な論点を検討することもなく現段階で「斬首作戦」を取り上げ、はしゃいでいる手合いの認識の軽薄さが際立ちます戦前の朝日新聞のような短絡的で好戦的な自分たちの考え方と同じ原理原則で、現代軍事戦略が立てられているわけがありません

■「労働党体制の維持」が至上命題――意外と素直に「遺憾の意」を表明した過去も
今以上に緊迫の度合いが高まって「戦争秒読み」と言われる段階になったとしても、本当に「斬首」に至ることはないと思われます。アメリカ側が踏みとどまることもあるでしょうし、逆に朝鮮側が事態を回避することもあるでしょう。実は過去にもありました。たとえば、ポプラ事件では、情勢が意外な方向に展開し、分が悪くなったと見るや、キムイルソン主席は「遺憾の意」を表明しました。

「ポプラ事件はキムイルソンの老熟した戦略的対応であり、若くて予想不可能な行動をとるキムジョンウンにはできない」という指摘もあるかもしれませんが、キムイルソン主席もキムジョンウン委員長も「労働党体制の維持」もっといえば「自分の生存」を最重要事項として位置づけ、その目標を達成するためには何でもするという点においては、まったく同じです。キムジョンウン体制においても、国家記念日等のミサイル発射実験・核実験を行い国威を発揚するには絶好の節目であっても、対米関係を考慮して見送ったことがありました。キムジョンウン委員長は、「労働党体制の維持」を至上命題とする点においてブレはまったくなく、すでにそれを実践しています

この点は、よく言えば「名をこそ惜しむ」国、悪く言えば「インパール作戦」の国である日本とは根本的に異なります。キムジョンウン委員長も名誉・メンツは大切にしていますが、労働党体制の維持・自分の生存のほうが重要であるという点には少しもブレがありません。戦前の朝日新聞のような短絡的で好戦的な自分たちの考え方と同じ原理原則を、キムジョンウン委員長がとっているはずがありません。それほどまでに愚かであれば、来年で建国70年になる朝鮮民主主義人民共和国は、とっくの昔に滅亡しているはずだし、キムジョンウン体制が5年も続くはずがありません。

「あなたとは違うんです」。
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2017年04月10日

功利主義に対するレッテル貼り・エゴイズムへの堕落の危険を孕んだ主張――法学者の旧態依然な「教育指導」では人権教育にならない

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170409-00000024-asahi-soci
>> 自白強要は仕方ない? 高校生7割が肯定的 1千人調査

朝日新聞デジタル 4/9(日) 15:14配信

 憲法で権力を制限するという「立憲主義」への理解が8割の高校生に浸透する一方、差し迫った重大犯罪を防ぐためには自白を強要してもよいと考える高校生が7割近くに上ることが、高校生1千人を対象にした研究者の調査でわかった。

 法教育に取り組む研究者のグループ(代表・橋本康弘・福井大教育学部教授)が昨年9〜12月、関東と関西の8高校、1370人に法に関する知識や考え方を聞いた。橋本教授は「自分の頭で考え、判断する知識が身についているかを見るのが調査の目的」と話す。

 法教育に取り組む研究者のグループ(代表・橋本康弘・福井大教育学部教授)が昨年9〜12月、関東と関西の8高校、1370人に法に関する知識や考え方を聞いた。橋本教授は「自分の頭で考え、判断する知識が身についているかを見るのが調査の目的」と話す。

 「日本国憲法は、国民の権利や自由を守るために、権力を制限する仕組みを定めている」との説明が正しいか尋ねたところ、正解の「○」が81・1%に上った。

 その一方で「法の支配とは、法によって人間のわがままな行為を規律し、それに反すれば厳しい罰を与えるべきであるという考え方をいう」の正誤を尋ねると、正解の「×」と答えたのは35・0%。国家権力が法に縛られるという「法の支配」の考えが浸透していないことがわかった。質問を作った土井真一・京大院教授(憲法)は「法の支配の理解が浸透していないのは、法は人々の行為を規制し、違反すれば罰せられるという、古来中国の法治主義のイメージが日本社会に強く残っているためだろう」とみる。


(中略)

 土井教授は「自白強要が悪だと知りつつも、多くの人命を奪う、より大きな悪を避けるためには仕方ないとする最大多数の最大幸福の考えがうかがえる。悪いやつには厳しくという素朴な勧善懲悪の意見の表れでもある。問題は、悪いやつだとだれが、どのように決めるのか。自分が悪いやつだと決めつけられたらどうするか。その気づきをどう深めるかが授業のポイントになる」と話している。(編集委員・豊秀一)

朝日新聞社

最終更新:4/9(日) 17:16
<<
■惜しいなあ・・・
旧ブログ時代から司法、とりわけ刑事事件に関する「世論」「庶民感覚」といったものを継続的に分析してきた身からすると、直感的に感じていたことが実証された思いです。引用部分にある土井教授の「悪いやつには厳しくという素朴な勧善懲悪の意見の表れ」や「問題は、悪いやつだとだれが、どのように決めるのか」といった指摘は、私もまったく同感であります。

他方、極めて残念な総括も見られます。「多くの人命を奪う、より大きな悪を避けるためには仕方ないとする最大多数の最大幸福の考えがうかがえる」や「自分が悪いやつだと決めつけられたらどうするか」といった切り口です。

■功利主義に対するレッテル貼り的な誤った認識
最大多数の最大幸福」は、功利主義を代表するキーワードですが、憲法学者のわりに土井教授は、功利主義について正しい認識をもっていないようです。功利主義は、決して「全体主義的な多数派主義」ではありません。私もアカデミックな世界には少しばかりの実体験がありますが、(土井教授にレッテルを貼るつもりはありませんが)特に左翼学者を中心に、「最大多数の最大幸福」という功利主義の思想を、キーワードからのフィーリングで語るきらいがあります。我々の民主主義は功利主義を理論的基盤としているのに・・・

功利主義は決して多数派主義ではなく、全体主義に通ずるものではありません。それは、ウイキペディアでさえ言明されています。引用しましょう。
>> ベンサムの理論には、ミルの理論とは異なり、公正さの原理が欠落している、としばしば言われる。例えば、拷問される個人の不幸よりも、その拷問によって産出される他の人々の幸福の総計の方が大きいならば、道徳的ということになる、という批判がある。しかしながら、P. J. ケリーが著作『功利主義と配分的正義―ジェレミ・ベンサムと市民法』(Utilitarianism and Distributive Justice: Jeremy Bentham and the Civil Law)の中で論じているように、ベンサムはそのような望ましくない帰結を防ぐような正義論をもっていた。ケリーによれば、ベンサムにとって法とは、「個々人が幸福と考えるものを形成し追求できるような私的不可侵領域を定めることによって、社会的な相互作用の基本的枠組みを提供する」(op. cit.、p. 81)ものなのである。私的不可侵領域は安全を提供するが、この安全は期待を形成するための前提条件である。幸福計算によれば、「期待効用」(expectation utilities)は「自然効用」よりもはるかに高くなるので、ベンサムは多数者の利益のために少数者を犠牲にすることを支持しないのである。

功利主義が肯定的に語られる例として、当時のイギリスでは禁止されていた同性愛の擁護が挙げられる。ベンサムは、同性愛は誰に対しても実害を与えず、むしろ当事者の間には快楽さえもたらすとして、合法化を提唱した。この他、功利主義によれば被害者なき犯罪はいずれも犯罪とならない。
<<
大学教授といえば、一般的には博識の人物であり、法学者であれば古今東西のあらゆる法理論に通暁していると思い勝ちです。しかし、実態としては、意外とウィキペディアにも載っているようなレベルの知識であっても、直接的な専門でなければ素人ほどの知識もなかったりすることが多々あります。大学教授は、意外と「専門バカ」であることが少なくないのです。この、さりげない一言は、そのことを典型的に示しているのかもしれません。

■エゴイズムへの堕落の危険
自分が悪いやつだと決めつけられたらどうするか」という主張についても述べておきましょう。なんとなく正しい言説に見えますが、国家・社会を集団主義的に語るにあたっては、下手するとエゴイズムに堕落しかねない結論に至りうる言説であります。

自分が」という判断基準を突き詰めるならば、究極的には「税金を払いたくないでござる」に至ります。しかし、国家・社会を集団主義的に語ろうとすれば、皆がみんな税金を払わないわけにはいかないでしょう。個人の人権に配慮しつつも、どこかで「自分が」という判断基準とは一線を画する必要があります。

土井教授個人が直ちにそうだというわけではないのですが、「自分が」という判断基準を取り上げる人たちのなかには、結局単なるエゴイズムでしかない結論を平気で述べる人がいるものです。「その気づきをどう深めるかが授業のポイントになる」と教育指導的な指摘を展開するのであれば、同時に、単なるエゴイズムに終わらないようなコメントを展開すべきでした。

■ある意味で典型的
功利主義に対するレッテル貼り的な誤った認識にもとづく主張と、エゴイズムへの堕落の危険を孕んだ主張――典型的な法学者の言説です。「その気づきをどう深めるかが授業のポイントになる」などと教育指導的な指摘を展開する土井教授ですが、ある意味で「使い古されている上に間違った認識に基づく言い分」です。正しい認識に基づく新しい切り口を提示できない限り、若い世代を対象とした人権教育にはなり得ないでしょう。

推定無罪の大原則に立つならば、「問題は、悪いやつだとだれが、どのように決めるのか」で十分です。よく知りもしないのに功利主義批判を展開したり、「自分が」などという必要は、そもそもないのです。
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2017年03月29日

「雁字搦めの事前規制による不正防止」から「事後処罰をチラつかせた不正抑止」への「常識のシフト」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170308-00010006-norimono-bus_all
>> コインパーキングから「ロック板」消える? 不正防止よりも重要視することとは

乗りものニュース 3/8(水) 16:10配信

不正の言い逃れはできない「ロック板なし」

 近年、ロック板(フラップ)を廃したコインパーキングが少しずつ増えています。もちろん、出入口のゲートもありません。

 無防備すぎるように思えますが、不正に利用されるおそれはないのでしょうか。駐車場のシステムを手掛けるアイテック(東京都文京区)に、誕生の背景を聞きました。


(中略)


――ロック板をなくして、不正に利用されるおそれはないのでしょうか。

 確かに、料金を払わずに出庫することは容易です。しかし、駐車マスに埋設されたセンサーで車両を認識し、マスの奥に立つポールに取り付けられたカメラで車両のナンバーを記録することで、出入りを管理しています。また、場内全体を見渡す監視カメラで、全体の出入り状況も随時記録していますので、不正の証拠を把握して、あとから料金を請求します。言い逃れはできません。
.

導入の背景に「ロック板式」の問題点

――仮に不正するとどうなるのでしょうか。

 不正に出庫したクルマを、すぐ捕まえて料金を請求するわけではありません。ナンバーや不正の証拠は把握しているので、そのクルマが全国にある同方式の駐車場に再び入庫した際に、警備員が未払いぶんの支払いを促す紙をクルマに貼ります。紙を貼られた人は、その場の精算機で支払うこともできますが、請求書の発行を申し出て後日、支払い手続きを行うことも可能で、実際には後者のケースが多いです。

――なぜこうしたシステムを開発したのでしょうか。

 最大の目的は、ロック板による事故やトラブルを避けることです。ロック板は、精算から一定の時間内に出庫しないと再び跳ね上がりますが、たとえば、料金の精算後に車内で電話していて、それに気づかず発車し、クルマが破損してトラブルになるケースがあります。また、乗降の際にロック板でケガをしたという人も多く、当社が実施したロック板式駐車場に関するアンケート調査では、20パーセント以上の人がなんらかのトラブルを経験していました。


(中略)

最終更新:3/9(木) 11:00 <<
■「雁字搦めの事前規制による不正防止」から「事後処罰をチラつかせた不正抑止」へのシフト
いささか旧聞かつ大したことのないようなニュースに見えますが、「雁字搦めの事前規制による不正防止」から「事後処罰をチラつかせた不正抑止」へのシフトという点において、重要な取り組みです。

■「雁字搦めの事前規制による不正防止」は高コストかつ副作用的犠牲が大きい
日本人は、「清さ」に対する意識が強く、不正を撲滅しようとする国民性があります。このこと自体は私は貴重なものであり、末永く守ってゆかねばならない美徳であると考えています。しかし、そうした意識が強すぎるがゆえに、「雁字搦めの事前規制による不正防止」という方法論を取ってしまい、そのせいで効率性を著しく損ね、甚だしくは他の要素を犠牲にしてしまうこともあります。

コインパーキングの例に則れば、ほとんどの人が監視が無くとも正しく料金を払うが、ごくごく一部の不届き者の所業を防止するために、すべての駐車車両に板ロックしてきました。また、ごくごく一部の不届き者の所業を防止するための仕掛けが、善良なる市民のクルマを損傷させるケースが相次いでいました。「正直者が馬鹿を見るのはオカシイ」というのは私も強く頷けますが、かといって全員のクルマに板ロックを施す経費は如何ほどなのでしょうか? 善良なる市民のクルマを損傷させてまで防止しなければならなかったのでしょうか?

「雁字搦めの事前規制による不正防止」は、それが完全を期そうとすればするほどに手の込んだものになり、それゆえに莫大なコスト・多大な副作用的犠牲を伴うものです。そして、これは一見して「完全」に見えますが、不届き者は悪知恵が働きイタチゴッコになりがちだし、あまりにも強硬な抑止策は民主的市民社会の基本原理と対立しかねない領域に達するものです(「社会的に正しくない」所業を完全に封じ込めるには、NKVDやシュタージなみの秘密警察監視網が必要になるでしょう)。実際には完全なる抑止などはできない以上は、どうしても不十分です。

■「事後処罰をチラつかせた不正抑止」も強力な選択肢
完全を期するための手法は、「雁字搦めの事前規制による不正防止」だけではありません。結局不正が起こらなければよいのだから、雁字搦めの仕掛けを用意するだけが能ではなく、不届き者に不正行為を断念させる仕掛け、インセンティブの付与もまた選択肢です。その意味で、「事後処罰をチラつかせた不正抑止」はもう一つの強力なツールであり、多くの場合、雁字搦めの仕掛けを用意するよりも低コストかつ副作用的犠牲が抑えられるものです。

反社会的な不届き者は、単に「不正利得」を期待値的に追求しているのではなく、不正行為に手を染めるにあたっての「不利益の期待値」と比較し、その結果、不正利得がプラスであれば、不正行為を実行するものと考えられます。「雁字搦めの事前規制による不正防止」は、不正利得の期待値をゼロに近づける試みであると定式化できますが、他方、「事後処罰をチラつかせた不正抑止」は不利益の期待値を極大化させる試みであると定式化できます。結局不正が起こらなければよいのであれば、不利益の期待値を極大化させるアプローチもまた有力な選択肢です。

コインパーキングの例に則りましょう。既に述べたように、板ロックによる雁字搦めの事前規制のコスト・副作用的犠牲は多大です。他方、監視カメラを活用した事後処罰的な請求は、同程度の効果が期待でき、かつ、板ロックのようなコスト・副作用的犠牲の恐れは小さいものと考えられます。そうであるならば、より低コストかつ副作用的犠牲の小さい方法論を取るべきです。

■飲酒運転への厳罰化も「事後処罰をチラつかせた不正抑止」の一種
こうした「事後処罰をチラつかせた不正抑止」は、特殊な言説では決してなく、ある分野においてはむしろ一般的な言説でさえあります。たとえば、凶悪犯罪・重大犯罪、とりわけ飲酒運転に対する厳罰化を以ってしての抑止効果を求める世論は、まさしく「事後処罰をチラつかせた不正抑止」であります。

飲酒運転に対する厳罰化を以ってしての抑止効果を求める世論に対して、「『事後処罰』って・・・飲酒運転で人が死んでからじゃ遅いんだよ!」などと口走る人は、そうそう居ないでしょう。厳罰化論者のなかに「事故が起こっても仕方ない」と思っている人はまずいません。飲酒運転事故を絶対に起こさせないがために厳罰を要求しているのです。

飲酒運転を雁字搦めの事前規制で完全に封じ込めようとすれば、これはもう全てのクルマに監視員を同乗させるくらいしか方法はありません。「呼気アルコール濃度が一定以上であればエンジンが掛からない」といった仕組みだって、身代わりや細工などで結局は突破されてイタチゴッコになるでしょう。また、その泥沼に足を踏み入れれば、自動車一台あたりの製造コストは跳ね上がってしまうことでしょう。他方、厳罰を確実に科すことを事前に宣言しておくことは、雁字搦めの事前規制よりも低コストで目的を達成できることでしょう。

現実的には、事前規制と事後規制は併用すべきです。コインパーキングの場合は、そこまで躍起になることはないのかも知れませんが、飲酒運転については、こまめな検問による検挙(事故発生前の規制)と併せて、厳罰による抑止力の整備にも注力すべきです。

■「事後処罰をチラつかせた不正抑止」はあちこちで有用
昨今問題になっている保育園・こども園での不正保育も同様です。行政の抜き打ち検査(事前規制)に加えて、「不正発覚の暁には必ず認定を取り消し、責任者には刑事告発を行う」という事後処罰による抑止力の整備にも注力すべきです。

経済分野にも通ずる考え方です。そもそも経済学は「インセンティブの学問」とまでいわれるくらいなのだから、「ど真ん中の論題」であるとさえ言えます。粗悪な商品・サービスの流通は抑止しなければなりません(命にも関わる場合がありますからね)が、それは事前の行政的規制だけではありません。「評判」が極めて重要なファクターとして作用する自由な競争的市場経済においては、粗悪品を世に送り出せば、自社の評判がガタ落ちになり、市場メカニズムの作用によって自らが淘汰されるのは時間の問題です。

市場淘汰は作用としては事後処罰として位置づけることが出来ます。営利を追求する合理的な企業家であればあるほど、継続的に商売を続けるために、一定の品質を維持しようと自ら努力するものです(他方、競争のない独占市場や計画経済体制では、粗悪品や有害物質を用いた商品が延々と生産されていました)。経済分野においても事後処罰は強力な作用をし得ます。

■「国民の常識」が問い直され始めている兆候
凶悪犯罪・重大犯罪には「事後処罰による抑止力」を声高に主張しつつも、コインパキーングについては「雁字搦めの事前規制による不正防止」を主軸にすえる・・・チグハグな言説です。これは結局のところ、一貫した軸足が定まっていないことに起因するのでしょうが、決して悪いことではありません。過渡期とも捉えられるからです。

先に述べたように、日本人は国民性として事前規制に傾きがちです(凶悪犯罪・重大犯罪への厳罰要求は例外的といってよいでしょう)。そんな中で始まった「事後処罰の方法論に則り、コインパーキングからロック板方式が消えはじめた」という情勢は、少し大袈裟かもしれませんが、「雁字搦めの事前規制」が問い直され、「事後処罰による抑止力」という新しい考え方が実践に移され得るほどに広まりつつある、「国民の常識」が問い直され始めている兆候であるとも捉えることが出来るでしょう。

何世代にもわたって連綿と受け継がれてきた常識は、歴史的試練を乗り越えてきたという点で、かならずしも間違いではないと思います。その点、私はナイーブな合理主義的な左翼に組するつもりはなく、伝統主義・保守主義にも理解があります。しかし、常識は常に問い直し続けなければならないとも考えています。伝統に立脚しつつ、常識を常に問い直す。そして漸進主義の原則にたって、少しずつ段階的・実験的に新しい試みを実践してゆくべきです。コインパーキングのロック板方式を巡る実践は、事前規制と事後処罰の適切な配合の水準を検討する実験的試みと位置づけることも可能でしょう。いつの日か、個別具体的な実践経験を総合するときがくるはずです。
posted by s19171107 at 21:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする