2017年07月11日

「新しい」ものの魔力

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170701-00010001-abema-soci
>> もう“不倫”は時代遅れ?! 複数人と性愛関係を築く「ポリアモリー」とは
7/1(土) 9:40配信

 あなたは同時に複数の人を愛したことがあるだろうか。浮気でも不倫でもなく、複数人と性愛関係を築く新たな恋愛スタイル「ポリアモリー」。SHELLYがMCを務める『Wの悲喜劇〜日本一過激なオンナのニュース〜』では「たくさん愛しちゃダメですか?〜ポリアモリー・不倫・結婚てナニ?〜」をテーマに、実際に複数人と関係を持つ当事者たちが赤裸々に語った。


(中略)

 既婚者で2児の母である若狭美香さんは、昨年夫婦で婚外恋愛をOKにしようという話し合いを持ったという。現在は、夫とは別に彼氏がおり、その彼は若狭さんの家族の住む自宅へも遊びに来る仲だという話が出ると、SHELLYをはじめ出演者たちから驚きの声があがった。

 子どもへの説明はどうするのかと問われると、若狭さんは「普通に“好きな人”と。子どもって、まだ5歳くらいだと好きな人が3人いるとか普通なんですよ。それを堂々と言っている」と話す。


(以下略) <<
■一世代の範囲での実証も中途半端な実践を「新しいスタイル」などと取り上げる危険性
猫も杓子も「新しいxx(新しいスタイル)」の時代。最近は「多様性」という便利ワードを使ってくるケースも増えつつあり、その背後には、「社会は変わる・変えられる」といった前提が基盤として控えていることが多々あります。

最初に私の立場を述べておけば、私は、革新性・多様性を何よりも重視する立場であるし、また、社会的常識・観念・思考・言説が時代によって変化してゆくことを積極的に認める立場です。そしてそれは、誰かが「設計」するものではなく、生活の現場から発生・進化してゆく「自生的秩序」(Spontaneous order)であると考えています。これは当ブログの基本論調です。

私は、「新しいxx」といった革新的な考え方で社会をよりよく改造してゆくこと、当ブログがタイトルに掲げている「革命精神」に、大変な魅力を感じています(Spontaneous orderと言いながら、백두의 혁명정신とも言うのは何だか矛盾しているような気もするかも知れませんが、別稿にて語りたいと思っています)。他方、時代が変化していくからこそ、その変化の荒波のなかにあっても「変わってこなかった常識・観念・思考・言説」は、何世代にもわたる「長期的な実践的社会実験」に耐えてきたという点において、超時代的な強固な基盤があるともいえます(時代の区切り方という問題もあるでしょうがそれは別稿)。

一世代の範囲での実証も中途半端な「短期的な社会実験」は、単なる「素人の思いつき」の枠を超えていないのではないでしょうか。素人の勝手な自己判断で「予想していなかった分野・局面での不都合な事態」を招かないでしょうか。私はF.A.ハイエクの著作を継続的に読み研究していますが、人類の長年にわたる実践的積み重ねの結果として形成された伝統的慣習・制度、あるいは暗黙的ルールが果たす役割は極めて大きく、合理的思考の結果として人為的に制定された成文法は勿論のこと、「新しいxx」といった形で持て囃されがちな、一部の人々の限定合理的な頭脳が紡ぎだしたに過ぎない(平たく言えば「思い付き」に過ぎない)新興の言説・様式(スタイル)の危うさについては、慎重の上にも慎重を期さねばならないと考えています。その点において、「新しいxx」を押し過ぎるのも問題であるとも考えてます。

■1対1のパートナー関係がデフォルトでありつづけている意味
さて、本件記事のメインテーマである「ポリアモリー」。パートナー間での協議・合意の上での「新しい恋愛スタイル」とのことなので、昨今盛んな不倫批判――突き詰めれば「パートナー間での信頼に対する裏切り行為」――には当てはまらないことは間違いのないことです。実践している本人たちも、その点においては「うしろめたさ」はないので、堂々と映像に出ているのでしょう。彼・彼女らは「勝手な自己判断でパートナーを裏切ってはならないが、逆に言えば、一般的な1対1のパートナー関係は、お互いの合意さえあれば縛られる必要はないんだ」という考え方なのでしょう。

しかし、コメ欄で高い支持ポイントを獲得しているコメントでも指摘されているように、1対1のパートナー関係が何世代にもわたってデフォルトとして継続してき、今なお基本的なスタイルとして一般的に受容され守られている理由は、そんな単純なものではないのです。
>> 二児の母で、夫とは別の肉体関係のある恋人が普通に家に来る。

子どもたちに与える影響のこと真剣に考えた結果がコレならただのクズなんじゃないの?

ディスカッションして美談みたいにしてるんだろうけど、この人の子どもたちのことを思うと不憫でならん。
<<
>> ヤラセじゃなくこの人たちが本当のことを言ってるのなら、
既婚者は、双方の実家が昔からきちんと近所付き合いしてるお家なら
テレビ出演がバレると、身内が恥ずかしい思いをするし、
独身者は、この先本当に好きな人が出来て結婚を考えた時、
パートナーにこのテレビ出演がバレたり、
そんな生活を送っていたと告白したら、果たして快く受け入れてもらえるだろうか?
ワンナイトも含め自由恋愛なら、性病のリスクだって高まるし、
子供への説明も物事が分かってくればどうするんだろう?
あまり物事深く考えないんだろうな・・・・
<<
「子どもたちに与える影響」――きわめて重要な別視点です。「普通に“好きな人”と。子どもって、まだ5歳くらいだと好きな人が3人いるとか普通なんですよ。それを堂々と言っている」などという言い分が果たしていつまで通用するのでしょうか。二の矢・三の矢が用意されていることを祈るばかりです・・・

もちろん、こうした批判に対して、ポリアモリー実践者たちが有効な再反論を展開(二の矢・三の矢をキチンと用意していた)でき、そして論争に勝利できれば、「『1対1のパートナー関係』は、実は縛られる必要のない『思い込み』だった」と勝利宣言できることでしょう。これは今後の展開を注視しなければならない論題です。元来、「新しい考え方」の正しさを実証するという営みは、即断できない性質のものです。

しかし、この記事を見た範囲では、あまり多角的な検討の上での実践ではなく、狭い視野と想定の範囲での実践、素人の思い付きの範囲を脱していないのではないかと言わざるを得ません。「裏切り」という論点においては、パートナー同士の合意があるが故に批判は免れるものの、「子どもたちに与える影響」という点においては、まさしく前述した「予想していなかった分野・局面での不都合な事態」のリスクに直面しています。

5月6日づけ「「不合理なルールを変えて多様性を実現する」を単なる「何でもあり」にしないために」にて私は次のように述べました。
>> (前略)「多様性」ではなく「何でもあり」でしかない言説も増えつつあるように思います。そしてそうした言説は、往々にして「自分には規制の合理的理由付けが思いつかないから」レベルの短絡的な言い分に過ぎなかったりします。少し危険な臭いもします。

「自分には思いつかないから/理解できないから」と述べる人は「自分が馬鹿だから思いつかない/理解できない」という可能性には思いが至らないのでしょうか?
(以下略) <<
バカの底の浅い思い付きという可能性が、この記事から拭い去ることができません。

■「新しい」ものの魔力
もっとも、彼・彼女らがそのリスクを最後まで背負うというのであれば、第三者がとやかく言うことではないのかもしれません(どうなっても知らないよーん)。しかし、前述のとおり、こういった素人の浅知恵に基づく中途半端なシロモノを「新しいスタイル」として報じることは、また別の問題です。一般的に、内実や展開がはっきりしないものを肯定的に位置づけて他人に知らせるというのは、「無責任な煽り」と言われても文句は言えないものです。

内実がはっきりしないのに、「新しい」や、あるいは「多様性」といった語句をつけれてさえいれば何だか正しそうな「空気」を作ってはなりません。あまり短絡的に「新しいxx」を押すべきではありません。私自身は既述のとおり、革命精神に大変な魅力を感じていますが、だからこそ、この「魔力」には十分に注意しなければならないと考えています。

その点、私は以前から繰り返しているように、遠大な理想像を描きながら、実践においては1つ1つロールバックできる程度の小改善を繰り返す「漸進主義」を支持しています。バカの浅慮が急進主義的に実践されることによって不可逆的・破滅的結果になることを防ぎつつも、「石橋を叩き壊して橋を架けなおす」ような臆病に陥ることをも防ぎます。
ラベル:メディア 社会
posted by s19171107 at 22:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月09日

都民−自民連携の媒介が「憲法改正」?

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20170709-00000717-fnn-pol
>> 小池氏側近「都ファ」年内にも国政進出
フジテレビ系(FNN) 7/9(日) 12:59配信

東京都の小池知事に近い、若狭 勝衆議院議員は、9日朝のフジテレビ「新報道2001」に出演し、東京都議会議員選挙で小池知事が率いて大躍進した地域政党「都民ファースト」が、年内にも国政に進出するとの見方を示した。
若狭衆院議員は「少なくとも年内に、国政新党への動きが出てくるというのは、十分にあり得る」と述べた。
若狭氏は、「小池知事が先頭に立つことはない」としつつも、都民ファーストが、年内にも国政新党をつくるとの見方を示した。
そのうえで、「安倍総理と小池知事は、憲法改正が必要だという点で共通している」と述べ、新党が憲法改正で、安倍政権と連携する可能性に言及した。
<<
「反自民」をアイデンティティとしている都民ファーストの会ではあるものの根っこの部分は保守なので、今すぐとは行かないまでも、遠くないどこかのタイミングで自民党との関係修復を果たすであろうというのは、私も予測していますし、大方の予測でもあるでしょう。

7月4日づけ「都議選開票結果について」において私は、都民−自民の連携の口実・大義名分として「東京オリンピック」があると指摘しました。日本人は忘れっぽい民族なので、「もり・かけ」問題があと3年も続くとは到底思えません。次期総選挙のシーズン(来年秋ごろ?)まで持続しない可能性さえあります。いよいよオリンピックが近づいてきた時期には燃料切れ・追及疲れ。国民の関心も徐々に離れる。すっかり、ほとぼりがさめていることでしょう。

そして、オリンピックともなると、その1年半あたり前から挙国一致体制をとらなければならない雰囲気が漂うものです。「もり・かけ」に関する国民の関心も離れたタイミングにうまく重なれば、オリンピックを口実に敵対政党どうしが接近することは可能です。少なくとも「一時停戦」としておいて、そのままウヤムヤにしてしまうこともできるでしょう。むしろ、オリンピックを目前に控えているのに、あいかわらずの党派対立を展開して、進むものも進まないような状態で居続けるほうが非難を浴びかねません。日本人は、(主に悪い意味で)お祭り民族ですから。

そんななかで飛び込んできた若狭発言。「安倍総理と小池知事は、憲法改正が必要だという点で共通している」というのは、たしかにそうだとは思いますが、はっきりいって、果たしてどれだけの国民・有権者が「憲法改正」などに優先順位高く関心を持っているというのでしょうか。ちょっと風呂敷を広げすぎでしょう。

もっとも、風頼みの都民ファーストの会にあっては、今のうちに議席を取っておきたいという願望もあるのでしょう。結局のところ素人集団なのだから、化けの皮が剥がれないうちに取れるものは取っておきたい、築ける地位は築いておきたいという気持ちは推察できます。

だからといって、国政進出にしては早すぎるし、自民党との関係を修復して地位を築くにしても、その媒介が「憲法改正」では・・・このあたりの空気の読めなさを見るに、今回の都議選での「大躍進」は、まぐれ当たりだったのではないかとさえ思えてきます。
ラベル:政治
posted by s19171107 at 18:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月08日

やっぱりカルト、ますますカルト

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170707-00000008-pseven-soci
>> 与党病の公明党と現実味ない野党病の共産党で醜悪バトル
7/7(金) 7:00配信 NEWS ポストセブン

 都議選の告示目前の6月21日、公明党広報の公式ツイッターがこんな投稿で日本共産党に“宣戦布告”した。
〈3つのKでわかる 共産党ってどんな党?
汚い! 実績横取りのハイエナ政党
危険! オウムと同じ公安の調査対象
北朝鮮! 「危険ない」と的外れな発言〉

 これについて、共産党側は党の広報用ツイッターでの〈3Kでわかる共産党(公式版)〉と題した投稿で反撃に出た。共産党の真の3Kは、〈キレイ!〉〈キレキレ!〉〈クナンケイゲン!(国民の苦難軽減が党をつくった原点)〉とやり返した。


(中略)

 対立激化の理由を宗教学者の島田裕巳氏はこうみる。

「両党の仲が悪いのは、どちらも、いわゆる低所得層の労働者を取り込んで発展してきた競合関係だからです。とはいえ都議選での公明党の攻撃は激しかった。公明党の草創期に共産党と戦った“かつての若手”が、定年を迎えて創価学会壮年部に帰ってきたことが影響しているのではないか」


(以下略) <<
■やっぱりカルト、ますますカルト
公明党は近年、作家の佐藤優氏を使ってイメージ改善に打ってでています。曰く「日本の政界は、右の自民党と左の共産党の間がガラ空きであり、そうした中間的ポジションを求める有権者にとって公明党の存在は大きい」「ヨーロッパでは宗教団体を支持基盤とする政党はごく普通、ごく自然」とのこと(※1)。しかし、そうしたイメージ改善の努力も、こんなカルト丸出しの尋常ではない攻撃をしているようでは水の泡でしょう。

【※1】前者は分かります(公明党である必要はないが、そういう政党はあってよいと思います)。しかし、後者については、確かにヨーロッパでは、ヨーロッパ文化の根底を規定するキリスト教組織を基盤とする政党はごくごく普通に存在しているものの、公明党が支持基盤とする創価学会は、「カルト的新興宗教団体」。公明党をキリスト教民主同盟(ドイツ)などと同列には位置づけられないのではないかと思いますw

宗教学者の島田氏は「公明党の草創期に共産党と戦った“かつての若手”が、定年を迎えて創価学会壮年部に帰ってきたことが影響しているのではないか」といいますが、この罵倒っぷりは、創価学会と日蓮正宗の罵倒合戦のノリに通じるところがあるので、「かつての若手」云々は少し違うのではないかと思います。どちらも同じくらいカルトな創価学会と日蓮正宗との罵倒合戦は宗教的内ゲバの範疇ですが、公党どうしの関係であるにも関わらず、おなじノリでそれをやっちゃうあたり、創価学会・公明党のカルト化が一層進んでいるというのが真相なのではないでしょうか。学会員は3世・4世くらいまで再生産が進んでおり、「創価民族」になっているという指摘を展開したのは、ほかでもない島田氏です。

■「幹部でさえこうなんだから、近所のxxさんみたいな人材しかいないんだな」と思われても仕方ない
共産党の実績横取りを批判したいのであれば、山口代表の次の発言のほうがよっぽど正気を保った言い方であり、説得力のある内容です。
https://www.komei.or.jp/news/detail/20170627_24728
>> 公明新聞:2017年6月27日(火)付
“公明が撤回”と機関紙でデマ
都の私立高無償化「実績横取り」へウソ重ねる


(中略)

山口代表は、私立高無償化について、「提案・質問したという政党もいたでしょう。それはそれで『推進の一翼』を担ったことになるでしょう。しかし、大事なことは、知事と粘り強く何度も交渉に当たり、合意をつくり出したのは誰かということ」と述べ、公明党の実現力が無償化を誕生させたと強調しました。(以下略) <<
チュチェ105(2016)年9月15日づけ「「我が党の要求が取り入れられた!」では永遠に在野勢力」でも述べたとおり、政策が前進した場合の「加点」は、どうしても為政者・与党側に傾斜配分されるものです。野党がいくら要求活動を展開したとしても、実際に権力を発動してそれを実現させるのも為政者・与党の判断です。政策実現の寄与度という点においては、野党の寄与度と為政者・与党の寄与度には雲泥の差があると言わざるを得ません。その点において、山口代表の指摘は正しい指摘です。

【少し脱線】
だからこそ私は、「在野勢力は政権を目指さなければならない」と繰り返し述べており、そのためには、具体的数値を挙げて政権担当能力をアピールしつつ、現為政者の立場や支持基盤、階級的限界を突き「この課題を解決するためには、我々の立場のほかにない! 我々が政治を動かすほかにない!」という論法で主張を展開しなければならないと述べているのです。

その点、たかだか数議席程度の勝ち負けなどという小さい話で一喜一憂している昨今の野党勢力の体たらく――社民党に至っては、あまりの「勝ち目のなさ」にもはや立候補を行う気にもなれておらず、不戦敗の常連といってもよいでしょう――さには、政権獲得に対する本気度を疑わざるを得ません

今回の都議選で、民進党が2議席減で持ちこたえ、共産党が2議席増を勝ち取ったのは、@現実の情勢に軸足を置けば善戦・健闘ですが、政権という大目標に軸足を置けば小さすぎる勝利です。こんなので一喜一憂している場合ではなく、「まだまだだ」と尚一層、気を引き締めなければならない選挙結果です(向こう10年間野党のままで良いなら酒盛りでもやっていなさい)。

また、A仮に現実の情勢に軸足を置いたとしても、もっと戦い方に工夫を凝らし、上積みできなかったのでしょうか。終わってしまったことを後知恵で如何こう言っても仕方のないことですが、そうであるからこそ、振り返って次を見据えなければならないのです。潜在力を発揮しきれていない効率の悪い方法論で「善戦だった」「健闘した」と喜ぶのは愚かなことです。

その点、前回都議選で議席数を倍増させ全党挙げて大はしゃぎしていた共産党にあって、ほぼ唯一、数値を挙げて「現実は甘くはありません」と断言した佐々木憲昭氏の考え方を、私は全面的に支持するものです。しかし、勝利に酔った今の共産党にその風潮は乏しい。他人事ながら危機感を感じる(佐々木さん引退しちゃったしなー)のであります。どう見ても明々白々に負けたのに平気な顔をしている民進党に至っては、「もう、やる気ないんだろうな」とすら思ってしまいます。
【脱線終わり】

山口代表のようにスマートなモノ言いをすれば、これはこれで一つの説得力ある主張になり得たのに、ただの罵倒でしかないような言い方をしてしまう公明新聞、感情むき出しを我慢できない公明新聞・・・

日本国内において、ごく普通に地域生活・社会生活を送っていれば、どこかで一度くらいは創価学会・公明党関係者の非常識で異常な言行を実体験として見聞きしたことがあるかと思います。もちろん、一個人が体験できる範囲などタカが知れているので、仮に身近な学会員・党員が異常な言行を展開していたとしても、それを以って直ちに創価学会・公明党の全体的性質・体質を断ずることはできません。それは、「過少なサンプルでの不適切な母集団推計」というほかありません。組織の末端構成員の「質」はバラツキが大きいと考えられるので、仮に地元の学会員・党員が異常であったとしても、「わが町の学会員・党員だけが個人的性格を起因として突出して異常なだけで、ほかの地域ではそうでもない」ということもできるでしょう。

しかし、全国から選りすぐりの人材を意識的に引き抜いて集結させている組織幹部層・中央機関勤務員が、程度の低い下っ端連中と同じような調子でいれば、話は逆です。「地元の創価学会員・公明党員の異常な言行は、学会や党全体の性質・体質の現象形態だ」と言えるでしょう。「やっぱり創価学会・公明党ってのは、幹部でさえこうなんだから、全国的に、近所のxxさんみたいな人材しかいないんだな」と思われても仕方ないでしょう。組織幹部メンバーや中央機関勤務員は組織の代表として、その言行の範を体現しなければならないものです。

このことは創価学会・公明党に限ったことではありません。たとえば、自民党。地元の商工業界で力を持っており、それゆえに尊大な態度をとる人物が自民党籍を持っているというケースは決して珍しいものではないと思いますが、その人物ひとりを取り上げて自民党全体の性質・体質を推定・断言することはできません。しかし、川井重勇都議会議長(自民・落選)ほどの都議会自民党の重鎮が尊大な言行を取ればどうでしょうか。単に「しょうもないオッサンだなあ」とはならないでしょう。「こんな人物を幹部に登用するだなんて、自民党には、こういう人材しかいないんだな」「やっぱり自民党ってのは、うちの近所のxxさんと似たり寄ったりの人材しかいないんだな」と思われることでしょう。今回の都議選における自民党敗北の要因として、自民党都連・都議会自民党幹部の日ごろの言行が影響していたことからも、このことは言えるでしょう。

■機関紙掲載内容は党の公式見解ではない?――公明党の主体は一体何なのか
カルト丸出しの攻撃も大問題ですが、「公明新聞に掲載されたもので党の公式見解ではない」という逃げ口上は、輪をかけて問題です。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170704-00000068-mai-soci
>> <公明vs共産>仁義なきSNSの戦い 3Kで激しく応酬
7/4(火) 20:34配信 毎日新聞


(中略)

 公明党広報のツイートによると、共産党の3Kとは、汚い=公明党の実績を横取りする▽危険=オウムと同じ公安の調査対象▽北朝鮮=「危険ない」と的外れな発言−−だという。ツイートは話題を集め、都議選開票翌日の今月3日現在、8800回リツイート(拡散)された。公明党広報は毎日新聞の取材に「公明新聞に掲載されたもので党の公式見解ではないが、内容に裏付けがあり、全く問題ないと考える」とする。

(以下略) <<
党の宣伝任務として編集・発信しているのだから、「党の公式見解ではない」とは言えないでしょう。これが仮に公明新聞記者が個人のTwitterで発信している程度であれば、まだそういう言い訳も成り立ち得ますが、それでも「党機関紙の記者としてふさわしい人選なのか」という点において、依然として党組織にも火の粉が降りかかり得る話です。

■政治組織の主体とは――チュチェの組織論における組織主体観から
人民大衆が歴史の自主的主体となるためには政治的に組織化しなければならず、そうした政治組織の主体は首領・党・大衆の統一体であると正しく指摘されたのは、23年前の今日逝去なさったキムイルソン同志であり、継承者であられるキムジョンイル同志です。このことはチュチェ思想に対する立場によって左右されるような問題ではなく、組織として物事を進めるときの客観的な事実です。

その点、党の機関としての公明新聞が党の宣伝任務として共産党を罵倒するということは、「不可分な政治的統一体としての公明党」の行動であり、「公明新聞は公明党本体ではないので、その主張は党の主張ではありません」とは言えないでしょう。仮に公明党本部と公明新聞編集部が形式的に別組織であったとしても、実際の機能面において、システムとして、不可分な統一体として運動している以上は、「あれはウチとは違いますから」とは言えないのです。

機関紙上での主張内容はもちろん、他にも党幹部の発言、あるいは党国会議員の質問・演説・・・これら「党の看板を背負った状態での構成員たちの言行」は、「不可分な政治的統一体」という組織の本質的性質に照らせば、すべて党全体の問題にもなるのです。

■分かっていて言っている確信犯
このことは既述のとおり、チュチェ思想を信奉するか否かといった立場で左右される問題ではなく、組織の客観的本質ですが、そうは言っても、自民党のように個人事務所の連合体のような政党や、民進党のようにもともと貧弱で脆弱な構造だったうえに、いよいよ空中分解寸前の政党の場合においては、仮に正しくない組織観をもっていたとしても「致し方ない」部分はあるかと思います。

しかし、公明党のように普段から組織的に活動している政党(組織政党。公明党や共産党など。社民党はもはや判断不能なほどの規模に縮小)が、都合の悪い時だけ「あれはウチとは違いますから」というのは、「実は本当のところが分かっていて言い逃れしている」ことを強く疑わせる点において、確信犯的に悪質です。もしかすると、「党組織の主体」というものが分かっておらず、公明新聞編集部に責任を押し付けて公明党本体を弁護している気になっている可能性、子どもみたいな言い逃れを展開するあまり、党組織の主体に対する認識がブレてしまっている可能性もありますが、さすがに公明党もそこまでバカではないでしょう・・・。

内容に裏付けがあり、全く問題ない」というのであれば、党の公式見解にしてもいいはずなのに、そこは回避した公明党の真意はよく分かりませんが、仮に別組織だったとしても少なくとも、公明党にとって公明新聞が身内であることには違いはありません。身内がこんなカルト丸出しの罵倒を展開しているのだったら、諫めるくらいのことはすべきでした。そこを変だと思わないあたり、やっぱりカルトなんでしょうね。冒頭に少し触れた佐藤優氏も、無駄な努力はおやめになったほうがいいでしょう・・・そして、こんなのに絡まれた共産党については少し気の毒に思うと同時に、いつまでもカルト党と党勢において肩を並べている現状から脱するべきです。この点では応援していますw
posted by s19171107 at 21:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月04日

都議選開票結果について

NHK特設  http://www3.nhk.or.jp/shutoken2/senkyo/
朝日特設 http://www.asahi.com/articles/ASK727WH3K72UTIL02W.html
都選管  http://www.senkyo.metro.tokyo.jp/election/togikai-all/togikai-sokuhou2017/

「単なる地方選挙」とは言えない東京都議会議員選挙。
@まーた特定政党を「圧勝」させてしまった東京都民の懲りない投票動向
A実態が伴っているとは到底思えない小池知事率いる都民ファーストの会の「なんとなくの大勝利」から見える4年後の次期都議選の波乱の予想
B実質的勝者としての公明党、負けは負けでも「仕掛け」を残しているかもしれない自民党
C2議席前進したとは言え、超逆風下の自民党を下回る19議席に留まった事実と新しい議会構成から見える「共産党の限界」
が判明した開票結果でした。

■主要政党の獲得議席数(資料)
まず資料として、ここ最近の都議選の結果も交えて、主要政党の獲得議席数を便宜として以下に掲載します。
見方は、議席数(得票率|議席占有率)です。49(33.7|38.6)は、「49議席獲得、得票率33.7%、議席占有率38.6%」ということです。
データは都選管ホームページ拾いました。間違っていたらそれは打ち間違いです(調べればすぐバレるウソなんてつきませんよ)。
調整するのは手間がかかりすぎるので、『赤旗』がやっているような調整はしていません。

    05年        09年       13年        17年
都民                               49(33.7|38.6)

自民 48(30.7|37.8)  38(25.9|29.9)  59(36.0|46.5)  23(22.5|18.1)

公明 22(18.0|17.3)  23(13.2|18.1)  23(14.1|18.1)  23(13.1|18.1)

民進 35(24.5|27.6)  54(40.8|42.5)  15(15.2|11.8)   5( 6.9| 3.9)

共産 13(15.6|10.2)   8(12.6| 6.3)  17(13.6|13.4)  19(13.8|15.0)


@まーた特定政党を「圧勝」させてしまった東京都民の懲りない投票動向
今回の自民党の壊滅的敗北は、なんといっても「驕り」であることは、あまり異論はないのではないかと思います。ではなぜ、都議会自民党は、身の程を知らないほどにノボせ上がってしまったのでしょうか。それは突き詰めれば、前回都議選における全員当選の「成功体験」と、昨今の「自民一強」の情勢に起因するものです。議席を寡占的に占めているからこそ、牽制球を投げてくるライバルがあまりにも弱小すぎたからこそ、都議会自民党は、やりたい放題「できた」のです。気の緩み・驕りが生じたのです。

一強政治がどれほど緩み・驕りを生むのかをこれ以上ないまでに実例として明白に示した都議会において、その反省を生かし、「特定政党の議席寡占」を正す絶好の機会、勢力均衡に近い議席数にもとづく相互牽制で、緊張感漂う議会に造り替える絶好の機会が、今回の都議選だったのです。その点において、今回の都議選においては、「都民ファーストの会を圧勝させ、自民党の議席を激減させる」のではなく、「特定政党に突出した数の議席を与えてはならない」という方法論で臨むべきだったのです。

都議会自民党の「やりたい放題」に対して「お灸を据える」というのは、今回の都議選の一大テーマで、そのテーマは達成されました。自民党は特大級のお灸を据えられたと言えます。しかし、コトの本質を踏まえず、懲りもせずに今度は都民ファーストの会に圧倒的な数の議席を与えてしまったのが東京都民なのです。

都民ファーストの会を熱烈に支持した有権者の中には、「都議会自民党の魂胆が邪悪である一方、都民ファーストの会は善意の政党だから、都民ファーストの会に投票するのがベスト」という観念を持っている人もいるかもしれません。しかし、都議会自民党は決して、他党に比べて突出して邪なる魂胆を持っているとまでは言えないでしょう。そもそも、政治において、政治家・政治勢力の「邪な思いの有無」言い換えれば「善意」に期待する制度構築は自殺的です。ガリガリの利己主義者が罷り間違って権力を手にしてしまったとしても権力の暴走がないように多重の保安機構を備えるべきなのです。「絶対的権力は絶対に腐敗する」といいますが、仮に心の奥底では邪なる魂胆を持った輩が議場に「いた」としても、その邪な魂胆を実現「できない」ようにするのが政治制度づくりなのです。

【左翼運動の再生を目指す立場から、少し脱線して。。。】
左翼運動内部でよく言われる「ソビエト・ロシアの社会主義はレーニン時代はよかったが、スターリン一味によって大きくゆがめられてしまった・・・しかし、それはスターリン一味のせいであって、社会主義のせいではない。レーニンも『スターリンは粗暴すぎる』と言っている!」といった形の、妙ちくりんな「擁護」論は、換言すれば、「社会主義体制は最高指導者や幹部の資質によって天国にも地獄にもなりうる欠陥制度」と言っているに等しいものです。

邪悪な資質を持った個人・派閥の政治工作程度で180度転回してしまうような制度は欠陥制度というほかありません。スターリンの独裁政治は、主体的条件としてスターリン個人の性格も勿論影響しているでしょうが、客観的条件としてレーニンの思想・レーニンの党・レーニンの国といった「スターリン個人」に還元できない要素も影響しています。

レーニンの無法的暴力信仰の非や、ボリシェビキの党組織がすでにレーニン時代から脆弱性があったことを認めなければなりません。また、このことはCollectivism(集産主義)が内包している本質的危険性にも波及する話であり、Collectivismの一種であるCommunism(共産主義)にも付きまとうリスクであることを正しく理解すべきです。
【脱線終わり】

もっとも、今回の都議選では直前まで「都民と自民が激しく競り合う」とされており、だれも自民がここまで大負けするとは思っていませんでした。「ふたを開けてみたらビックリ」という部分はあるでしょう。しかし、もう少しバランスを取ろうとは思えなかったのでしょうか。創価学会・公明党が年明け早々逃げ出し、今年は自民党への逆風がずっと吹き続けていた半年、いつもの「風」が吹くパターン、後で後悔するパターン。そろそろ学習して、意識的にバランスを取ろうとしてもいい頃ではないでしょうか。

A次期都議選の波乱の予想
実態が伴っているとは到底思えない小池知事率いる都民ファーストの会の「大勝利」は、4年後の次回都議選を想定不可能なものにしています。しがらみに切り込もうとする小池知事の政治姿勢は痛快なものがあるとはいえ、就任から1年が経とうとする今日においても、独自の成果は果たせていません。豊洲市場問題に果敢に切り込んだことは評価すべきです。結果的に豊洲移転になったとはいえ、前任者の決定を再考せずに機械的に豊洲移転を承認することと、ゼロベースの再考の末に前任者の結論と同じになったことは雲泥の差がありますが、とはいっても、独自的な結果は残せていないのは事実です。

いまだに「反自民」が鮮明なる成果を挙げられていない・政権担当能力を十分には実証できていない事実を見るに、確かに利権まみれとはいえ自民党という政党の調整能力は、「相対評価」的な意味において、割と現実主義的なのかもしれません。絶対評価的な視点において断固に反自民の私としては、とても気に入らないけど、政治というものは結局は「よりマシ」を選ぶものです。「絶対評価」ではなく「相対評価」こそが政治である点において、このことは事実として受け入れざるを得ないとも思っています。

そうした自民党の政策に対して、「斬り込み隊長」としての素質は証明しているとはいえ、「建設者」としての素質は就任から1年が経とうしている昨今においてもハッキリしない小池知事と、その取り巻きたちの新党の大勝利は、一抹の不安をもたらすものです。

B実質的勝者としての公明党、負けは負けでも「仕掛け」を残しているかもしれない自民党
前項と関連する話ですが、この選挙の実質的勝者は、23議席から前進も後退もせず、得票率においてもここ最近、特に変動のない公明党でしょう。

政治とは力の問題ですが、ここでいう力は単純に議席数であるとは言い切れません。少数派であったとしても要点を抑えれば、大きな役割を果たすことができます。逆に、それなりに議席数を持っていても、議会構成上いいポジションを抑えていない党は、思うように目立てないものです。

都民ファーストの会は、ほとんどが素人で出来ている集団です。この自民大逆風をも生き抜いた「古狸」どもや、行政専門家としての都職員たちを相手にして、どれだけ与党としてやっていけるのかというと、惨憺たる予想ばかりが出てくるものです。その点において、公明党都議は「小池派にとっての老練した友軍」であり、「49議席・得票率33.7%」の素人集団とは質的に異なる「23議席・得票率13.1%」の集団です。都民ファーストの会は、公明党がいなければ回っていかないことでしょう。その意味で、「23議席・得票率13.1%」だけでは単純に測れない政治的力を持ったと言えます。

あるいは、「オリンピック成功」を錦の御旗として、遠くないうちに都議会自民党との関係修復もあるかもしれません。「反自民」を一つのアイデンティティとしてしまっている都民ファーストの会では自民党との関係作りは困難ですが、「オリンピック成功を至上命題とする都知事」という肩書であれば、逆に「大同団結して協力しなければならない」という大義名分を掲げることができます。

足早に都民ファーストの会代表を辞任し、「あくまで都知事」とした小池氏。都議会自民党とは対決しつつも、自民党本部とはそこまで対決を深めていない小池氏。そもそも、小池知事は決して「リベラル」などではなく保守政治家です。何か企んでいますよ、あの人。

C2議席前進したとは言え、超逆風下の自民党を下回る19議席に留まった事実と新しい議会構成から見える「共産党の限界」
さて、共産党。小見出しが既にマイナスですが、まずは良かったところを述べておきましょう。

今回の都議選における広報チラシで共産党はいつもどおり福祉拡充を主張していましたが、その財源として、割と現実的なプランと数値を持ち出してきました。共産党の財源論といえば、ハチャメチャなのは論外として、少しマトモであっても、かつての「内部留保収奪論」の「たった1パーセント」といったような曖昧な言説に終始し、結局のところ、あまり具体性を持てなかったものでした。

もうすぐ結党100年になるが今まで一貫して野党でありつづけた共産党に、すべての政策について通暁せよとまで言うのは、あまりにもハイレベルな要求ですが、そうはいっても、福祉や平和、人権といった「党の十八番」については、ある程度の政権担当能力を見せつけなければなりません。ただでさえ共産党は「非現実的な政策」と揶揄され、それが党勢拡大の一つの足かせになっているのだから、そうした評判を跳ね返すような政策を、的を絞ってもよいから打ち出すべきなのです。その点、今回は、政策立案的に進歩したと思いました。

小見出しに沿った内容に移りましょう。

2議席前進したとはいえ、これ以上ない逆風下の自民党の獲得議席数に及ばなかった共産党。思想的には相いれないものがあるとはいえ、共産党員の日々のひたむきな努力は私も実体験として知っており、それには率直な敬意を表する(方向性はどうしても賛同できないが、その純粋性は率直に尊敬に値する)ものでありますが、やはり、20議席前後が限界なのでしょう。勝利したとはいえ、限界点が見えつつあるのが共産党です。以前から述べているように、在野勢力は政権を目指さなければなりません【※1】。

【※1】このことは、7月8日づけ「やっぱりカルト、ますますカルト」でも改めて論じましたので、あわせてごらんください。

得票率はあまり変化していません。09年の8議席があまりにも衝撃的でしたが、このときは得票率に対して獲得議席数が異常に少なかっただけで、得票率ベースでみれば大して党勢は変化していないとみるべきです。民進党は今回も、すべての指標で激減していますが、その分が共産党に流れたとも言えなさそうです。

先に公明党の項において、政治力は単純に議席数であるとは言い切れないと言いました。このことは、まさに共産党についても言えます。

前回都議選で共産党は8議席から17議席に大躍進しましたが、この4年間、倍増したほどにはパッとしなかったというのが率直なところではなかったでしょうか。たとえば「豊洲市場の危険性」は、共産党が10年以上前から指摘していたことですが、13議席時代も8議席時代も17議席時代もほとんど何の動きもありませんでした。しかし、以前から共産党がずっと指摘してきたものと大差ない内容を小池知事がぶち上げた途端に豊洲問題は大きく動きました。それでも、その急な激動の中で共産党は独自の立ち位置を見いだせませんでした。我が物とできませんでした。コンクリートの上を流れた地下水がアルカリ性だから豊洲は危険だなどと騒ぎ立てて、土木・建築関係者からバカにされたくらいでした。

実は、8議席にすぎなかった09年〜13年のほうが、キャスティングボードの一翼を担っていたという点においては、都議会共産党は大きな政治力を持っていたと言えます。自民公明で61議席、民主単独で54議席だった当時の議会構成において、8議席の共産党の動向は、生活者ネットと無所属の計4議席と並んで極めて大きな意味があったからです。

それに対して前回17議席のときは、自民公明で80議席以上を寡占していました。そして今回の19議席においては、他方で小池派が70議席以上を寡占議会構成上の立ち位置は大して変わっていないのです。

8→17→19を喜ぶのはよくわかります。共産党の地域活動は、革命的ロマンと信仰に近い確信がなければ絶対無理です。しかし、冷徹に「科学の目」で見れば、そんなに喜んでいる場合でもないのです。

■最後に
予想以上の自民党の大敗・小池新党の大勝利があったとは言え、あまり革新の可能性を感じない都議選でした。

■管理上のお断り
この記事は「あまり革新の可能性を感じない都議選開票結果」として7月3日2時58分10秒に投稿したものですが、7月4日22時35分づけで大幅に内容を拡充したものに書き換えました。
本来であれば、拡充分は別記事とすべきところですが、かなり内容が重複すること、また、当ブログは検索エンジン経由での来訪者がほとんどであり主張内容を少数の記事に集約すべきであるとの判断から、既存記事を再利用して内容を統合することとしました。
これに伴い、記事のタイムスタンプも変更としました。
(私以外にとってどうでもいい断り書き情報?)
posted by s19171107 at 22:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月23日

中小企業のイノベーティブな挑戦の支援を中核に据える日本共産党の路線は正しい

【ご連絡;チュチェ106(2017)年6月23日に22時30分に一部追記し、追記箇所を明示しました】
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-06-21/2017062102_03_1.html
>> 2017年6月21日(水)
中小企業を政策の軸に
中同協と党国会議員団懇談

 日本共産党国会議員団は20日、国会内で中小企業家同友会全国協議会(中同協)と懇談し、「2018年度国の政策に対する中小企業家の重点要望・提言」について説明を聞き、懇談しました。

 中同協からは、石渡裕政策委員長、佐々木正勝、野水俊夫両政策副委員長、松井清充専務幹事らが出席。日本共産党からは、真島省三経済産業部会長をはじめ、梅村さえこ、清水忠史、畑野君枝、畠山和也、宮本岳志、宮本徹の各衆院議員、岩渕友、辰巳孝太郎両参院議員が出席しました。

 重点要望・提言では▽「中小企業憲章」を国会決議とし、その内容を実現する▽消費税10%への引き上げ凍結▽法人税負担率のゆがみを是正し、応能負担を原則とする▽トライアル発注商品認定マークなど仕事づくり支援―などを求めています。


(以下略) <<
当ブログで『しんぶん赤旗』を取り上げるのは、大抵は批判的文脈――そもそも当ブログは、日本共産党関係に限らず、批判を通して自身の主張の輪郭を明確にする、ある意味で「嫌な奴」の方法論をとっています――においてですが、今回は率直に、そして積極的にプラスの文脈で取り上げたいと思います。

かの偉大な経済学者;シュンペーターが正しく指摘・定式化したとおり、中小企業は、その「小回りの良さ」を生かして、イノベーションの中核となりうる存在です。また、豊かな中小企業陣営の「厚み」は、国の経済の基盤であり、また、市場経済の多様性の担保であり、切磋琢磨を通じた成長の主体であります。以前から繰り返しているように、市場経済体制の本質的優位性は、利潤動機に基づく「効率化」よりもむしろ、多様なプレイヤーが存在し、自由に経済活動を展開することによる「多様性」、そして「切磋琢磨」というべきです。その点において、中小企業陣営の豊かさは、まさしく経済的多様性のバロメーターであり、経済的活力の基盤です。

他方、中小企業は、その経営規模・経営基盤から言って、絶大なる可能性を秘めつつも、現実的にはなかなかチャレンジングな行動に出にくいものがあります。シュンペーター理論では、その矛盾を金融部門が媒介することによって克服されるとされていますが、現代の金融機関は、理論の期待に反して、「守りの姿勢」に徹しているきらいがあります。中小企業の多様なチャレンジを支援する中小企業支援政策は、健全かつ多様性のある、成長の「のびしろ」が豊かな経済を実現するうえで是非とも必要なものです。

しかしながら、いわゆる「中小企業支援」は、得てして「同業者ムラの形成・維持」に堕落しがちです。自民党はまさに、歴史的にもそして今現在もなお、そうした同業者ムラの「守護者」の最大勢力ですが、日本共産党についても、当ブログで取り上げてきたとおり、自民党とはまた違う切り口ながらも結果的に「同業者ムラ」至りかねない危うい主張をたびたび展開していました。最近では、タクシー業界やバス業界における参入規制の緩和に反対する議論において大変顕著でした。日本共産党内の特にユートピア志向な人士の中には、「これ以上の成長・発展を目指す必要などない。ボチボチ現状維持を目指せば、贅沢はできなくても十分に豊かな生活を送ることができるんだ」と主張している人も絶無ではありません。

「過度な競争による社会経済の歪みを是正する」というのは社会主義・共産主義の一大目標である以上は、「競争」に対して慎重な姿勢をとることは当然だし、チュチェの社会主義者として私は、そうしたコンセプトに対しては共感するところ大です。しかし、まさに「過ぎたるは及ばざるが如し」。多様性や切磋琢磨までも圧殺してはならないのです。

毛沢東主席が正しく指摘しているように、我々が暮らす物質世界は、古いものと新しいものとの入れ替わりは永遠に尽きることはありません。このことは、経済活動についていえば、イノベーションに「終着点」はないということになります。つねに人々は新しいものを求めているし、科学技術の成果は常に新しい産業の材料を提供しているし、さらに、世界のどこかで常に新しいビジネスアイディアが生まれているのです。強迫観念にとらわれるような働き方をする必要はありませんが、とはいっても、「同業者ムラ」の内部でヌクヌクと微温湯につかっているようでは、時代に取り残されてしまうことでしょう。気がついたころには、人々の要求に応えられないような時代錯誤的商品しか供給できなくなることでしょう。常に変化しつづける我々の物質世界においては、意識的な前進の努力を怠らない心構えでいてようやく「現状維持」ができるものであり、最初から「現状維持」をよしとしているようでは、実質的には後退しているのです。

【チュチェ106(2017)年6月23日22時30分追記・開始】
また、通俗的なマルクス主義は常に、多様性や切磋琢磨を圧殺する方向に堕落してしまう危険な立ち位置にいます。マルクス経済学者の松尾匡氏が『マルクス経済学 (図解雑学シリーズ)』 ナツメ社(2010年10月)において正しく指摘しているように、近代資本主義の矛盾に直面し、その不条理に憤る人士は、往々にして前近代的な「身内共同体」への回帰を志向しがちなものです。そこで偶然、ある程度の説得力と扇動力をもつ「マルクス主義」的な主張に接すると、人々は、マルクス主義の看板を掲げて身内共同体の復興に注力しがちなものです。

しかし、そもそも、本来的なカール・マルクス氏の主張とその思想の意義は、松尾氏が「マルクスこそ自由主義」と指摘しているように、前近代的な身内共同体原理を超克したところにこそあります。その点こそが、マルクス氏の主張・思想が、そこらへんの雑な反資本主義思想との決定的差異であり決定的優越性です。にもかかわらず、近代資本主義への憎しみあまり冷静さを失った手合いは、科学的な思考が不得意なる通俗的な自称「マルクス主義者」連中は、マルクスの名を掲げながらもマルクスの主張・思想の正反対を進んでしまいがちなのです。松尾氏は、そうした「身内共同体」への回帰は、文明の進歩への逆行であり、20世紀の「社会主義」が全体主義化した主因であったと指摘していますが、まったく正しい指摘です。
【チュチェ106(2017)年6月23日22時30分追記・終了】

その点、今回の中同協と日本共産党国会議員団との懇談では、「トライアル発注商品認定マークなど仕事づくり支援」という部分に顕著に表れているように、個別の中小企業が自由闊達に展開するイノベーティブなチャレンジを肯定的に位置づけています。多様性と切磋琢磨が生きる程度の自由競争が展望できる主張です。「過度な競争による社会経済の歪みを是正する」という、いままさに時代が求めている論点について、その分野においては「老舗」である日本共産党が「同業者ムラ」に堕落する余地の少ない方向性を提唱しているとことの意義は大きいといっても褒め過ぎではないと思います。「これ以上の成長・発展を目指す必要などない。ボチボチ現状維持を目指せば、贅沢はできなくても十分に豊かな生活を送ることができるんだ」などと馬鹿げたことを得意げに述べているユートピア信者は、党中央の科学的に正しい見解を学習せよ!

もっとも、意地悪な見方をすれば、こうした見解の核心には、当ブログでもたびたび批判してきた「瞰制高地論(管制高地論)」が位置しているに過ぎないという見方もできるかもしれません。瞰制高地論については当ブログでは以下のとおり批判しています。
チュチェ105(2016)年2月7日づけ「「なぜ共産党は嫌われているのか?ー設立から振り返る」に、ここ15年の新事情を付け加える
チュチェ105(2016)年7月14日づけ「日本共産党の本当の問題点は「大企業敵視」ではなく「経済は理性的に指導できる」という思い上がり

また、私がたびたび大変肯定的にご紹介している北欧諸国の経済政策論と比べると、産業内における淘汰促進・新陳代謝促進の観点が依然として弱いので、不満は残ります。たとえば、たびたび取り上げているように、スウェーデンの産業労働政策の基本は「人は守るが、雇用は守らない」、つまり「労働者の個人生活は福祉政策によって守りぬくが、勤め先を無理に延命させることはしない」(参考記事)であります。かつてはスウェーデンも産業保護に熱心で教科書的な社会民主主義だった時代もありましたが、90年代の経済危機を経て、経済活動においては自由競争・競争淘汰を認め、活発で強い経済を実現しつつも、そこから生み出される国富については、福祉国家の原則に従い分配するという新しい方法論を編み出しました。時代の要求に合致した現実的かつ科学的な方法論であり、基本的に私はこの立場に立っています。その観点から日本共産党の政策提言を見ると、どうしても不満が生まれざるを得ません(私が日本共産党の主張に批判的である一大要因は、突き詰めれば「北欧諸国の修正資本主義・福祉国家体制の成功例と比較するに中途半端、革命的立場に立ったとしても中途半端、つまり、どっちつかずの中途半端」というところに行きつきます)。

しかし、今回はそこまで言うのはやめておきたいと思います。この記事を読む範囲では、今回の懇談会で意見交換された内容は、とても良いものだったと言えると思います。基本的に日本共産党の主張は中途半端であると認識しており、それゆえどうしても批判的にならざるを得ない私ですが、今回のように、正しいことは正しいと積極的に認めたいと思います。
posted by s19171107 at 00:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月24日

「危険な油断」と「禁欲的闘争への妙な自信」に繋がりかねない「シュレッダー係事件」の電撃和解

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170524-00006131-bengocom-soci
>> アリさん「引越社」と「シュレッダー係」に配転された社員、東京地裁で和解成立
弁護士ドットコム 5/24(水) 14:10配信

アリさんマークで知られる引越社のグループ会社「引越社関東」で営業職だった男性社員(35)が、シュレッダー係に配置転換させられたのは不当だとして、地位確認などを求めていた訴訟は5月24日、東京地裁で和解が成立した。

主な和解内容は、会社は(1)6月1日付で、男性を営業職として復職させる、(2)営業車両の使用を認める、(3)配転前の労働条件に戻す、(4)解決金を支払う、(5)シュレッダー係に配置転換したこと・罪状ペーパーを貼り出したことについて謝罪する――など。なお、解決金の額は明らかにされていない。

この日の和解成立の知らせを受けて、男性は「実感はまだないが、一区切りつけた」「営業職に戻れるのはうれしい」とコメントした。男性が加入する労働組合プレカリアートユニオンの清水直子・執行委員長は「大勝利的な和解だ」と話している。


(中略)

●男性「未払い残業の問題など、まだまだ課題は山積みだ」

この日の和解成立後、男性の代理人と労働組合が、東京・霞が関の厚生労働省記者クラブで会見をおこなった。男性は勤務日だったことから、その場に姿を見せなかったが、昼休みに電話を通じて報道陣の質問に答えた。

男性は、和解成立について「まだ実感がありません。和解条項がどういうものかしっかり読めておらず、『ああ、そうなのか』という感じです。ただ、これで一区切り付けたのは間違いありません。未払い残業代の問題など、まだまだ課題は山積みです」と感想を述べた。

懲戒解雇されたことが、一番印象に残っているという。「人生で初めて。経験したことがなかったので。頭が真っ白になりました。二度と経験したくありません。あのときは、そういう状況に追い込まれて何もできない自分に情けなくて、涙を流しました」と振り返った。

男性は「会社で働いている人だけでなく、社会全体にこの戦いを知ってもらいたいという思いがありました。同じように困っている人がいたら、アドバイスできることがたくさんあるので、そういう人の役に立ちたいと思っています」と語っていた。

弁護士ドットコムニュース編集部
最終更新:5/24(水) 18:34
<<
■大はしゃぎしている場合ではない
営業職に戻れたということは、労働問題を「自主権の問題」として捉えている私としても、たいへんよかったと思います。他方、プレカリアートユニオンの清水委員長が「大勝利的な和解だ」と大はしゃぎしている点からは、2つの点において大きな懸念を持たざるを得ません。おそらく今後1週間程度の間に、労組活動家のノーテンキな言説が幾つか出てくると思いますが、先に述べておきたいと思います。

■ブラック企業は改心しない――営業職復帰は「罠」である可能性
第一の懸念。「引越社関東」が真に心を入れ替えて反省するはずがないということ。従業員を生身の人間としてではなく「日本語を喋る道具」程度にしか見ていない、他人を踏み台くらいにしか思っていないような人間が、ヤクザそのものという他ない恫喝を平気で繰り広げる人間が、裁判所からの和解勧告程度で心を入れ替えるはずがありません。そんな「人間的」な心を持っているのならば、そもそも最初からこんなことはしないでしょう。チュチェ104(2015)年9月23日づけ「「ブラックバイト」の域を超えているのに「団体交渉」を申し込むブラックバイトユニオンの愚」を筆頭に繰り返しているように、ブラック経営者・資本家の改心に期待しているのであれば、労組としては余りにも甘い労働者階級の立場・階級闘争の視点が抜け落ちているといわざるを得ません。

このことは、既にコメ欄でも指摘されています。引用しましょう。
>> ore***** | 2017/05/24 14:34

自ら望んだとはいえ、営業職に復職ってのは「見せしめ」に近い。
当然厳しいノルマが課されて、達成しなければリストラ対象の最上位。
<<
今回の「引越社関東」による原告男性への一連の恫喝行為は、世のブラック企業群のなかでも特異的なくらい「雑」な事例でした。「ふつう」のブラック企業であれば、もう少しスマートな方法でグレーゾーンを攻めてくるはずです。

これはあくまで想像ですが、「引越社関東」は、お抱えの弁護士か社労士に入れ知恵されて「戦略的撤退」を行ったに過ぎないのではないでしょうか。単に、「標準」的な手法を駆使するブラック企業になっただけではないでしょうか。その可能性は疑ってかかるべきです。少なくとも、あのようなヤクザ的恫喝を堂々と展開していたような連中が本気で改心する可能性よりも、戦略的撤退である可能性のほうが高いでしょう。

珍しくヤフコメが正しいことを言っているように、営業職への復帰は罠が仕掛けられていると見るべきです。人事評価などは結局のところ評価者次第というのが大きい。本件に関して以前から指摘しているように、企業側は一時的な譲歩を長期的視野で回収しようと虎視眈々と狙っていることでしょう。 「すき家」のゼンショーが急にホワイト化し始めた時にも述べましたが、おそらくこの「電撃和解」は、昨今の労働市場における著しい人手不足の影響を受けているものと思われます。これ以上、「ブラック」の悪評が立てば、人員募集に対する応募者が減ってしまうので、それを避けるために、象徴的な本件において「ソフト路線」を打ち出しているに過ぎないと考えられます。よって、今後の景気動向によって労働市場における人手不足感の緩和や、あるいは人員過剰化に伴い、原告男性は真っ先に危うい立場に立たされることでしょう。景気後退に伴う営業成績悪化は、その格好の口実になることでしょう。そこで運悪くクレームの一つでも入れば、行く末は確実的です。それらしい理由なんて幾らでも作れるものです。

大勝利的な和解だ」などと、はしゃいでいる場合ではありませんし、原告男性についても「ただ、これで一区切り付けたのは間違いありません。未払い残業代の問題など、まだまだ課題は山積みです」などと油断している場合ではありません。「一区切り」などにはまったくなっていないと警戒すべきです。相手が相手なのだから、課題は「山積み」ではなく、一つも片付いていないとみるべきです。

■真に目指すべき道――ブルジョア博愛主義を乗り越えよ!
3月14日づけ「労働市場を活用した労働者階級の偉大な勝利――ゼンショー社で「勤務間インターバル規制」が実験的導入」でも述べたとおり、労働者階級の自主化のためには、今回のような「労働運動・法廷闘争による直接的勝利」ではなく、「世論喚起を経由した労働市場を活用する間接的勝利」を第一に据えるべきです。そしてまた、SMAP解散問題のときにも述べました(下記リンク)が、最終的には労働者自主管理・協同経営を目指す他ないでしょう。ブルジョアの譲歩に期待をかけ、連中の「博愛」主義に幻想を持つ甘っちょろい労組運動を乗り越え、断固たる階級的立場で人民の国へ! 
チュチェ105(2016)年1月19日づけ「テンプレの域に達しつつある「労働組合結成の勧め」――中世的芸能界の近代革命のために必要な組織とは?
チュチェ105(2016)年1月20日づけ「「オーナーの私有財産としての芸能事務所」という事実に切り込まずして「ジャニーズの民主化」を語る認識の混乱

■労組活動家が妙な自信を持つ恐れ――振り返れば限りなく失敗に近かった方法論
第二の懸念。この和解を以って、労組活動家たちが今までの闘いの全過程が正しかったと誤解している恐れについてです。「結果よければ全てよし」などでは決してありません。なんとか要求が満たされた(ように今のところ見える)から遡及的に「思い出話」のようになっている様子ですが、この要求実現型の労働運動は、なによりもクライアント自身にとっては方法論としては最悪の部類。限りなく失敗に近い戦い方で過ごしてきた長期戦でした(ナチスに勝ちはしたが2000万人が戦死したソ連みたいなもの?)。

チュチェ105(2016)年12月16日づけ「自主的かつスマートなブラック企業訴訟の実績――辞めた上で法的責任を問う方法論」でまさに触れたとおり、原告男性はシュレッダー係時代、「自分にとって、仕事は達成感や社会貢献が含まれるが、今はお金を稼ぐだけの労働だ。ほとんど無の境地でシュレッダーをやってい(た)」そうです。このことについて私は次のように述べました。再掲します。
>> しかし、それはそれとしても、「ほとんど無の境地でシュレッダーをやっている」というのは、男性従業員氏の生涯全般を見渡したとき、本当によい選択と言えるのでしょうか? 戦うこと自体は正しい選択だとは思いますが、もっとスマートな方法論があったのではないかと疑問に思わざるを得ません

先に「周囲の助けを借り」ることの必要性に触れました。弁護士や労組などがそれに当たるでしょう。しかし、この男性従業員氏を「支援」している代理人の大久保弁護士やユニオンの清水委員長のコメントを見るに、一人の生身の労働者にとっての利益を第一に考えているのか疑問に思わざるを得ない主張を展開しています。

シュレッダー係に異動する人事や、従業員に弁償金を支払わせることはあってはならないこと」というのは、法的には正しい指摘です。しかし、代理人弁護士が「会社の違法な部分」を追及しつづける傍らで、クライアントの男性従業員氏は「無の境地」で、30代半ばという働き盛りかつ転職ギリギリの年代を過ごしています。40代や50代といった今後の人生を考えたとき、どう評価すべきなのでしょうか?

その部分も含めて改めさせて、引越業界全体に変化をもたらしたい」というユニオン委員長の構想は遠大です。私もこれが突破口になればいいと思います。しかし、あくまで生身の人間、男性従業員氏が救われることが最優先・先決であるはずです。それが達成できないのであれば、たとえ「引越業界全体に変化」をもたらせそうもない方向であったとしても、戦術を変えなければなりません。その意味で、もはや男性従業員氏を支援するという本旨ではなく、単なる「階級闘争のモデルケース」になってしまっていないでしょうか?
<<
元来、労組活動家というものは、遠大な理想を持ちがちで、そしてその理想像にこそ軸を据えます。「未来の理想」のためには「今日の苦境」を厭わない考え方を持っています。ここでは重大なギャップが生じています。理想はすぐには実現しないが、生活というものは今日も明日も連綿と続くものです。いくら「未来の理想」のためとはいえ、人生の大切な時期を「ほとんど無の境地でシュレッダーをやっている」と過ごしてよかったのか。人生80余年のうちの2年を、とりわけ酷い部類の過ごし方をしてよかったのか。ここまで大きな犠牲を払う必要があるほど、今回の「未来の理想」は大切だったのかは、疑問に思わざるを得ません

■「未来のための禁欲的闘争」は、一般生活者には魅力的には映らない
もちろん、何に価値を置くのかは人それぞれであり、それこそ私が大切にする「生き方の哲学」です。わたくしは、どっかの誰かさんみたいに、他人様に生き方の「指導」を行うつもりは決してありません。しかし、もっとスマートな闘い方がなければ、一般論として、「ちょっと闘ってみようかな」とは思えないでしょう。理想主義者にとっては、未来のための禁欲的闘争は美徳でしょうが、一般生活者にとってはそうではないというのは、歴史を振り返ってみても言えることです。

本件は見方を変えれば、「ブラック企業を相手にするということは、こんなにも苦労しなければならず、また、それでもまだ『巻き返される』リスクが完全には摘み取りきられていない」とも言えます。「泣き寝入り的であったとしても辞めたほうが早いんじゃないか? 人生楽しいんじゃないか?」と思ったとしても、それは無理ありません。

理想主義的労組活動家が、今回の電撃和解をうけて妙な方向に自信を持たないか懸念します。「大勝利的な和解だ」と、はしゃぐ清水委員長の言葉に強い懸念を持つものです。
posted by s19171107 at 19:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月22日

日本共産党議員の質問に見られるソ連・東欧型放漫経営の保険・損失補填理論

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-05-19/2017051904_01_1.html
>> 保険使わぬよう誘導
自動車事故時 大門氏が指摘

 日本共産党の大門実紀史議員は18日の参院財政金融委員会で、事故が発生しても自動車保険を使わないよう誘導する仕組みが作られているとして、「本当に顧客のニーズに沿っているのか」とただしました。

 大門氏が取り上げたのは、自動車保険の「事故あり等級制度」という仕組みです。事故を起こして保険金を受け取ると、その後の保険料が無事故の人に比べ割高になるため、損害額によっては保険を使わない方が有利に働くよう設計されています。

 大門氏は、十数万円の損害の場合、保険を使わずに自己負担で直した方が安くなるケースがあることを指摘。保険会社と契約者全体の関係でみれば、保険が使われなかった分だけ保険会社の利益になるとして、「『事故のない人』『事故を起こした人』を対立させながら結局、もうけたのは保険会社ではないか」と提起しました。


(以下略) <<
保険理論的なツッコミどころが満載の言説ですが、共産主義に関連する論点に絞るとすれば、「こんなこと言っているようでは、『日本共産党政権』の経済運営は、ソ連・東欧の二の舞になるぞ」と言えるでしょう。

自動車保険が保険である限りは、事故発生時に「使える」ものでなければならないのは当然です。しかし、いつも易々と損失を補填していては、いわゆるモラルハザードを引き起こします。保険というものは、個々人がそれに胡坐をかき、自主的な注意を怠ることがないように設計しなければなりません。みんながみんな「保険」にもたれ掛かり、注意力散漫になってしまっては、保険支払いは際限がなくなってしまうことでしょう。ソ連・東欧経済における放漫経営は、まさに「いつも易々と損失を補填してしまった」ことが一因であると指摘されています。

このことは、かつてであれば、「自己責任論だ!」と脊髄反射的な罵声が浴びせかけられたものですが、最近は左翼陣営にも少しずつ浸透しつつあるようです。たとえば、マルクス経済学者の松尾匡氏は、この厳然たる歴史的事実を認めた上で、新しい社会主義社会像・アソシエーション社会像においては、「リスク・決定・責任のバランスが重要」「リスクがかかる責任に応じた意思決定参加が必要」と指摘しています。

もっとも、内部留保論のときもそうでしたが、おそらく共産党側は、「保険のイロハ、経済の基本も分かっていない素人染みた言い分」という批判が高まれば、「保険料に『差をつけること自体』を批判しているのではなく、『差をつけすぎ』だといっているのだ」などと慌てて「程度の問題」に論点を修正することでしょう。

しかし、まさに内部留保論のときもそうだったように、「程度の問題」であるというのならば、具体的な数値を指摘する必要があります。内部留保論のときのような「たった1パーセント」といった言い分は、具体的な根拠のある数値ではないので通用しません。政策の専門家結社であるべき共産党は、「1パーセントなんて少ない! もっと巻き上げられるはずだ!」という革命的労働者階級の主張に対して、科学的根拠を与えるべきです。その点において、「たった1パーセント」などという根拠薄弱なる見積もりは、貧困に苦しむ人民大衆に対して無責任極まる「イイカゲンな仕事」であるという他ありません。

具体的な数値として指摘するにあたっては、保険数理的な分析に基づく政策提言が必要になります。まさしく「政権担当能力」。内部留保論を巡っては「たった1パーセント」といった曖昧な主張に逃げた共産党は、自動車保険料については、果たして具体的にどういった保険料設定を想定しているのでしょうか。ソ連・東欧型放漫経営に至るような「安易な損失補填」に過ぎないのではないかという疑いが拭いきれません

ちなみに、保険数理はあまりにも難解なので私には分かりません。現行の保険料設定について私は科学的根拠に基づく異議申し立てを行うことはできません。保険設計に係る「担当能力」は私にはありません。収入に対する保険料額については、自動車保険に限らず、年金保険や健康保険などについても少々思うところはありますが、保険料額はリスクに対して設定されているものだし、私にはオルタナティブを提案できない以上は、現行の保険料額を受け入れるほかないと思っています。一応動作しているシステムを素人考えでイジクるようなことはすべきではありません。
posted by s19171107 at 22:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月16日

実践の拠り所になる規則・型のない所に「何が適切なのかを考え、行動する力」は育たない

http://www.asahi.com/articles/ASK596T58K59UTIL04Z.html
>> 地毛証明書、必要か 生徒のため?プライバシー侵害?
土居新平、峯俊一平

2017年5月15日07時35分

 「地毛証明書」は生徒のためか、プライバシーの侵害か――。東京の都立高の約6割が導入しているこの制度について、都立高を所管する東京都教育委員会の堀川勝史・主任指導主事(生活指導担当)と、批判的な山梨学院大の荒牧重人教授(子ども法)に話を聞いた。(土居新平、峯俊一平)


(以下略) <<
■十分に練られた都教委主任指導主事のコメント
地毛証明書の件です。都教委の堀川主任指導主事のコメントの詳細は紙面・記事をご確認いただくとして、要旨としては、「調査はあくまで依頼のものであり、回答は任意」「『黒髪直毛』を指導の基準としているのではなく、『生まれながら頭髪』で高校生活を送れるようにするための措置」といったところです。さすが東京都の役人だけあって「十分に練られているな」という感想です。

■悪い意味で教育専門家的な、妥協点を知らない愚劣極まる「理想主義」
他方で山梨学院大の荒牧重人教授のコメント。聞き手(朝日新聞記者)の「学校側は誤った指導を防ぐための措置と説明している」「都教委は規範意識を前面に出した生活指導を実施している」といった質問に対する応答は、5月6日づけ「「不合理なルールを変えて多様性を実現する」を単なる「何でもあり」にしないために」での弁護士センセーのコメントと大差ないレベルで「目新しさ」に乏しいものでしたが、「染めているのに『地毛だ』と言い張る生徒・保護者もおり、『ウソをついたもの勝ちになる』という指摘がある」という質問(擁護志向の甘めな質問を想定していましたが意外と突っ込んでいますね)への回答が見所。悪い意味で「教育専門家だなあ」と言わざるを得ない言説でした。引用しましょう。
>> ―-染めているのに地毛と言い張る生徒や保護者もいて、証明書が無ければ「ウソをついたもの勝ちになる」という声もある
「現場の状況は重々承知している。ただ、現実が厳しいからといって、本来の教育を放棄していいのか。証明書を要求して子どもを管理するのではなく、生徒自身が何が適切なのかを考え、行動する力を身につけさせる指導が必要だ。
(以下略) <<
遥か昔、お左翼連中と繰り広げた教育論議を思い出します・・・自分が思い描く「理想像」を絶対視するものの、理想的教育論の非現実的性を突きつけられるや否や「本来の教育」なるものを持ち出して観念世界に逃げ込む・・・「教育専門家」に限らず、ある種の「理想」を掲げる人たちの悪い癖です。

「理想を掲げるな」などというつもりは毛頭ありません(私のチュチェ思想支持の立場なんて荒牧教授以上の夢想家ですよねw)。しかし、理想は明日明後日に実現するものではないが、日々の生活は連綿と続くものです。「生徒自身が何が適切なのかを考え、行動する力を身につけさせる指導」というのは崇高なる理想的な教育のあり方だと私も思いますが、一朝一夕に実現されるものではありません。「今日の現実」と「明日の理想」との妥協点を探り、双方の立場に配慮しながら、折り合いをつけながら社会は運営してゆくものです。その点、都教委の指導は、以前にも述べましたが、私は、地毛証明書は「時代の進歩」を示していると見ています。都教委はギリギリの妥協点を探り当てたと言えます。「本来の教育」などという判然としないものを持ち出すのではなく、ギリギリの妥協点を積み重ねることによって時代を前進させているのです。

現実との妥協点・折り合いをつけようとしない方法論は、工夫次第で実現できないこともない領域までも殺してしまう愚劣極まる方法論です。そしてそれが実現され得ないことが見えてくるや否や「本来の教育」なる観念論に逃げ込んでいるのです。

■都教委は妥協点を探り当てた
そもそも、都教委は決して「本来の教育を放棄」してなどいません。「ぼくの かんがえた りそうの がっこう」しか最早アタマにない荒牧教授には見えてこないのかもしれませんが、都教委が「黒髪直毛」信者あるいは、単なる事なかれ主義者であれば、「地毛証明書」を制度化するはずがありません。通知の起案、決裁、生活指導教官への指示文書、依頼状の生徒・保護者への送付、生徒・保護者からの回収(時に催促)、機密管理・・・ちょっと考えただけで面倒くさい仕事であることが分かります。

「生活指導ちゃんとやってます!」というアリバイ作りに過ぎないのであれば、黒髪直毛を押し付けた方が遥かに楽です。しかし、実際には、面倒くさいことこの上ない地毛証明書の任意提出を求めている
のです。なんて生徒思いなのでしょう!

■「考える」ための最低限の材料・枠組みもない人たちへの過度な期待
荒牧教授は「証明書を要求して子どもを管理するのではなく、生徒自身が何が適切なのかを考え、行動する力を身につけさせる指導が必要」などとしますが、2点において質問に答えていません。第一に「染めているのに地毛と言い張る」のは生徒だけではなく保護者にもいるというのが聞き手の質問です。「生徒自身が」などと巧妙に応答内容を摩り替えています。

第二に、「生徒自身が何が適切なのかを考え、行動する力」というときの判断基準・行動基準はいったい何なのでしょうか。しばしば、伝統的な価値観に反対する手合いは、代々受け継がれてきた価値観を棄却する代替案として「自分の頭で考える」ということを掲げます。しかし、人間は思考の枠組みが何もないところで思索をめぐらせることは出来ません。そもそも、「考える」という行為は、頭の中にストックしてある知識や知恵を操作する行為であり、「考える」以前に、既存の思考のための枠組みを「知っている」ことが必要です。それは、たとえば科学知識であり、特に社会生活においては、約束事・規則です。

規則のないところに「何が適切なのかを考え、行動する力」は育ちません。「適切」という概念は、「不適切」という領域があり、それと対比することによって浮かびあがってくるものです。まず所与のものとして、適切と不適切との区別がなければならないのです。

「考える」ための最低限の材料・枠組みもない人たちに「自ら考えることによって善悪を判断させる」ことを期待するのは、実際には、「なんでもあり」をもたらすだけでしょう。

■毛主席に学べ!
まずは「型」を習得し、そしてそれを日々の生活の中で実践するようにすべきです。実践の中で特段の矛盾がなければ、それは「型」が客観的な法則に則ったものであると言いえるので、「型」の科学的正しさが証明されたといえます。他方で、実践の中で矛盾に突き当たるのであれば、それは「型」がもはや時代の法則に合致しないことが証明されたといえます。そのとき初めて、次の時代に合致した「型」を探るときなのです。

最後に、毛主席語録から引用したいと思います。観念論的な自称「教育専門家」は学習せよ!
>> 人的正确思想是从那里来的?是从天上掉下来的吗?不是。是自己头脑里固有的吗?不是。人的正确思想,只能从社会实践中来,只能从社会的生产斗争、阶级斗争和科学实验这三项实践中来。
  《人的正确思想是从那里来的?》(一九六三年五月),人民出版社版第一页

人間の正しい思想はどこからくるのか。天からふってくるのか。そうではない。もともと自分の頭のなかにあるのか。そうではない。人間の正しい思想は、社会的実践のなかからのみくるのであり、社会の生産闘争、階級闘争、科学実験というこの3つの実践のなかからのみくるのである。
「人間の正しい思想はどこからくるのか」(1963年5月)
<<


関連記事
5月6日づけ「「不合理なルールを変えて多様性を実現する」を単なる「何でもあり」にしないために
posted by s19171107 at 00:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月14日

日本左翼のEU崇拝・EU幻想を崩したフランス大統領選挙での左翼票動向

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170510-00127274-diamond-int
>> マクロン勝利でフランスのポピュリズムは本当に失速するか
ダイヤモンド・オンライン 5/10(水) 6:00配信


(中略)

 ルペン候補の敗退は ポピュリズムの失速か?

 開票直後、速やかに敗北宣言したルペン候補は、最大野党の党首として活動することと、国民戦線の躍進を誓った。そのルペン候補に対し、欧州ポピュリズム政党の代表らは続々とエールを送っている。

 3月のオランダの議会選でポピュリズム政党である自由党が第一党の座を逃したことに続き、今回のフランス大統領選決選投票でもルペン候補が敗退したことを受け、ポピュリズム政党の失速と見る向きもある。しかし第1回投票では、グローバル化に反対するルペン候補、メランション候補だけでなく、反資本主義・共産主義のアルトー候補、ブトー候補、EU懐疑派であるデュポン・エニャン候補らの得票率を合わせると、ポピュリズム政党の得票率は全体の半数近くにまで達した。

 EUやドイツをはじめとする加盟国で今回の大統領選の結果が歓迎されていることには違いないが、有権者の約半分が反EU・反グローバル化を標榜する候補者に票を投じたことは、今後の懸念材料を改めて浮き彫りにした。

 このため、ポピュリズム政党に対する警戒感を弱めることは時期尚早と言っても過言ではない。特に英国のEU加盟継続の是非を巡る国民投票と比較すると、反EUを掲げるルペン候補に若年層(18歳〜24歳)からの支持が多かった点で明確な違いがあることは、重要な事実として認識すべきだろう。長期にわたる経済低迷や若年層の失業率が高止まりしていることによる鬱積した不満が、従来左派寄りの若年層を極右にシフトさせた原因と言われている。


(以下略) <<
日本の「お左翼」連中のEU崇拝は度が過ぎたものがあります。EUなど所詮は、資本の利益を代表するための枠組みに過ぎないにもかかわらず、あたかも今のEUを守ってゆくことが、「多様性の保障」や「共生の世界」といった理念を生み出す母体であるかのように見なしています。

そんな馬鹿馬鹿しい幻想から、すべてのEU懐疑論を一緒くたにして「極右の思想」「開かれた社会・多様性の敵」といったレッテル貼ってきた「お左翼」連中。たまたまトランプ氏のような「アレ」な人が当然したアメリカ大統領選挙や、イギリスのように社会全体が成熟化しており左右対決があまり鮮明ではない国での国民投票のような「例外的ケース」が続いていたからこそ、馬脚が現れることはなかなかありませんでしたが、今回のフランス大統領選挙ではついに化けの皮が剥がれてしまいました

フランス共和国は、フランス革命を通じて近代民主主義の「第一人者」となり、そしてパリ・コミューンを筆頭に、さまざまな社会主義運動の牙城です。今も尚、右翼・左翼がハッキリしています。そんな「先進的」な国で、メランション氏を筆頭としたガチ左翼の候補者たちが、資本の利益を代表しているに過ぎない現在のEUの正体を見破り、そのあり方へのノンを主張し、そうした主張に労働者階級等から一定の支持が寄せられたのが、この大統領選挙でした。

アメリカ大統領選挙の民主党候補者指名レースで、「サンダース旋風」なるものを実態以上にフレームアップしていた――たしかにアメリカで自称社会主義者が生き残るのは画期的ではあります――ときと異なり、今回のフランス大統領選挙での「EU懐疑論の立場から左翼が伸びている」という画期的な出来事は、サンダース旋風をあれだけ持ち上げたのだから報じてもいいものですが、いわゆる「リベラル」の論調ではあまり報じられていません。EU懐疑論=極右の思想=多様性の敵という従来のストーリーを突き崩すファクトだからでしょうか? ダイヤモンドのような論調(もっとも、ここの論調は元来、記事・記者によって千差万別で統一性に欠けていますが)が、「ポピュリズム」というレッテルを貼っているくらいのものです。

敗れたとはいえ、EUの正体を見破り、その認識を一定の範囲に広めることに成功したことを証明したフランスの左翼諸氏、馬鹿馬鹿しい幻想が崩された日本の「お左翼」連中。フランス大統領選挙から明らかになりました。
ラベル:お左翼 メディア
posted by s19171107 at 22:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月08日

朝中両国が「血の同盟」だったなどというのは、いまだかつて一度もない

デタラメの極みという他ありません。
https://news.yahoo.co.jp/feature/597
>> 緊迫の朝鮮半島 中国は何を考えているのか

5/8(月) 10:34 配信

北朝鮮情勢が緊迫度を増している。米国・トランプ政権は、米空母や原潜を半島近海に送り込みながら、北朝鮮に対する中国の「影響力」に期待をかける。だが、中国が本当に北朝鮮に「圧力」をかけるのかどうか、疑う見方もある。中国にとって北朝鮮はどのような存在で、両国の関係は本当のところ、どうなっているのか。中国出身の専門家の話から、中国が今後どう行動するのかを占った。
(ジャーナリスト・野嶋剛/Yahoo!ニュース 特集編集部)

中朝「血の同盟」という神話は終わった
沈志華・華東師範大学終身教授

いま中国で最も注目される北朝鮮専門家の沈志華氏に、親密にも見える中国と北朝鮮の関係が実は対立や敵意に満ちている実情を語ってもらった。

北朝鮮と中国との間に、朝鮮戦争で共に戦ったことで「血で結ばれた同盟(血盟)」という呼び方がありますが、この種の親密な中朝関係が現在まで続いている、というのは事実ではありません。

しかし、中国の指導部や中国社会では、人々の脳裏にそうしたイメージが存在し、いまも「血盟」があると思い込んでいるのです。私の著書『最後の〜』の執筆目的はこの「神話」の解体であり、「血盟」と形容されるような中朝関係は冷戦の終結でとっくに終わっていることを証明するためでした。

中国の毛沢東時代、北朝鮮の指導者・金日成(キム・イルソン)との関係は良好でしたが、中国の人々が想像しているほどではありません。毛沢東は、中国の中央王朝が朝鮮を管理する「天朝」的な考え方を持っていました。望むものは何でも与えよう、人が欲しいなら人を、土地が欲しいなら土地を与える。だが、お前は私の臣下だ、というものです。

金日成は内心、独立と自主を望んでいましたが、現実は中国の支援に依存するしかなく、北朝鮮は抑え込まれていました。1970年代に金日成が韓国に攻め込む計画を立てた時も、毛沢東は同意しませんでした。

しかし、中ソ対立の時代になり、北朝鮮には中ソと距離をとりながら付き合う外交手段が生まれ、中国の力を借りてソ連に対抗したり、ソ連の力を借りて中国に対抗したりしました。毛沢東の死後、中朝関係は一気に弱まりました。


(以下略) <<
■朝中両国が「血の同盟」だったなどというのは、いまだかつて一度もない
中朝「血の同盟」という神話は終わった」――もともとの中国共産党学者への取材メモの全容が分からないので正確・断定的なことは言えませんが、ヤフーニュース編集部の「取材メモ切り・貼り」のイイカゲンさの「賜物」かと思われます。朝鮮労働党の視点から朝中関係を振り返れば、朝中両国が「血の同盟」だったなどというのは「乾杯の挨拶」程度のリップサービス。そんなことは、いまだかつて一度もありませんでした。

記事中、「金日成は内心、独立と自主を望んでいましたが、現実は中国の支援に依存するしかなく、北朝鮮は抑え込まれていました。」というくだりがありますが、とんでもないデタラメです。たとえば八月宗派事件(1956年)朝鮮国内で要職に就いていた「毛沢東のお気に入り」(いわゆる「延安派」=中国共産党内での活動経験があり、第二次大戦後に朝鮮に帰国した朝鮮人共産主義者)のほとんどが逮捕・投獄され、主たる面々――毛沢東個人とも面識があったことでしょう――が処刑ないしは「消息不明」になった一幕がありました。

■毛沢東のお気に入りを逮捕・投獄・処刑し尽くした朝鮮政府
八月宗派事件は、ウィキペディアでも概略が記載されているほど基本的な歴史的事実です。1956年2月のフルシチョフの「スターリン批判」以降、朝鮮では、この機に乗じてキムイルソン首相(当時。1972年以降は主席)を追い落とそうとする動きが展開されました。中国共産党のバックアップをうけた延安派や、ソ連共産党のバックアップをうけたソ連派(ソ連共産党員として活動経験があり、第二次大戦後に朝鮮に帰国した朝鮮人共産主義者。一部は1950年代になっても朝ソの二重国籍だった者もいた)といった人々によるものです。1956年8月の党会議を舞台に展開された陰謀は、結果的に完全に失敗し、延安派・ソ連派が逆に失脚したのですが、このとき、ウィキペディア「8月宗派事件」の項の「延安派で駐ソ大使の李相朝がソ連共産党中央委員会に全体会議の顛末を報告し、金日成の個人崇拝を断罪するよう求めたため、ソ連・中国が共同して異例の内政干渉を行うこととなった。翌月、ソ連の第一副首相アナスタス・ミコヤンと中国の国防部長彭徳懐が朝鮮民主主義人民共和国を訪問し、再度全体会議を開催させ、8月の全体会議で党籍を剥奪されたソ連派・延安派の除名処分を撤回させた。」というくだりにもあるように、中ソ両国が政治的に介入してきたのです。

このウィキペディアの記述についてもう少し詳細に解説すれば、八月宗派事件に際する延安派粛清について毛沢東は殊のほか立腹し、キムイルソン首相を解任すべきだと声高に主張した(他国の最高指導者に対して何と言う物言い! 何様のつもりなのか?)そうです。それを受けて訪朝したミコヤン・彭一行(中ソ合同の内政干渉グループ)でしたが、ピョンヤンにつくなり、キムイルソン首相が朝鮮の党と政府を完全に掌握しており、代替となり得る実力者が不在であるという事実を突きつけられ、やむなく「除名した延安派・ソ連派の復帰」を要請するしかなかったのです。

この要請に対して、キムイルソン首相は、朝中ソの外交関係を慎重に勘案した結果、これを受け入れることにしました。しかし、その後の中ソ両国の政治環境の変化、具体的には「スターリン批判」がハンガリー(ハンガリー事件)やポーランド(ポズナン暴動)で反ソ反共運動に発展したことを受けての「軌道修正」(ハンガリー事件は1956年10月、ポズナン暴動の収拾の一環としてポーランドの党第一書記にゴムウカが復帰したのも1956年10月)に基づく両国の姿勢の変化を機敏に捉え、改めての粛清を敢行。朝鮮国内で要職に就いていた延安派・ソ連派のほとんどが逮捕・投獄され、主たる面々が「消息不明」になったのでした。

■チュチェ思想の「チュチェ」の意味は「反中国・反ソビエト」
そして、中ソ両国の直接的影響下にある反対派を粛清したキムイルソン首相は、1960年までに、いまもなお国是である「チュチェ思想」を提唱したのでした。チュチェ思想はもともと1930年以来、首相が暖め続けてきた思想体系ですが、この時期に行われたチュチェ思想を体系的思想として提唱する最初期の演説は、「ソ連式でも中国式でもない、我々式をつくる時期にきた」とまで述べていらっしゃいます。チュチェ思想の「チュチェ」は漢字で書くと「主体」ですが、まさしく「反中国・反ソビエト」という意味での「主体」なのです。

果たして、朝鮮戦争を経て「血の同盟」を結んだというのであれば、朝中両国が停戦からたった数年で、こんな緊張感あるやりとりをするでしょうか?

■最高尊厳を罵倒した紅衛兵――血盟同士ならこんなことはあり得ない
1960年代、中国では文化大革命の嵐が吹き荒れましたが、このときも朝中両国は緊張関係になりました。ことの発端は、紅衛兵の大字報(壁新聞)。キムイルソン首相の出自を持ち出して、ブルジョア修正主義者であると言わんばかりの罵詈雑言を浴びせかけました。果たして、朝鮮戦争を経て「血の同盟」を結んだというのであれば、「正統」を何よりも重視する「東アジア儒教文化圏に位置する、科学的に正しく間違っているはずがない社会主義の党」同士が、このような論調を展開するでしょうか

■日本世論が「思い込みの塊」であることが明々白々になった
以前から指摘していることですが、「イメージ」とは決定的に異なり、朝中関係は「血盟」だったことなどありませんあくまでドライな独立国同士の関係です。日本人は、日米関係、あるいはソ連−東欧諸国間における「親分・子分関係」が、朝中間においても横たわっていると「思い込んでいる」のではないでしょうか? 自分たちがアメリカに頭が上がらない属国だからと言って、また、東欧諸国がソ連に対してまったく頭が上がらない関係性にあったからといって、朝鮮−中国関係においても同じ構造だという保障は何処にもないのです。

※なお蛇足的ですが、中国共産党が国際共産主義運動で「親分」だったケースは、実はほとんどありません。カンボジアのポル・ポト政権と、アルバニアのエンヴェル・ホッジャ政権くらいしかシンパと言えるような国はなく、ほかには、センデロ・ルミノソのような共産主義標榜テロ集団や、西側の怪しげなヒッピー集団くらいにしか影響力はありませんでした。国際共産主義運動において中国共産党は「親分」としての度量はなかったのです。

おそらくヤフーニュース編集部は、「キムジョンウン政権の暴走に加えて、トランプ政権の強硬策を受けて、ついに中国指導部は北朝鮮を斬り捨てる動きを鮮明にさせた。北朝鮮の孤立化が進んでいる!!」という、日本人好みの「北朝鮮孤立」のストーリーの一環として、この記事を書きたてたのでしょう。しかし、朝中関係はいまだかつて一度も「血盟」(蜜月)だったことなどないのです。それでもなお、朝鮮労働党政権はまったくをもって磐石なのです。

トランプ政権の「圧力」を筆頭とする昨今の情勢など、1950年代の朝鮮政府の立ち位置に比べれば何てことありません。アメリカと戦火を交えたのはたった数年前、中・ソという「社会主義陣営の雄」を両方とも敵に回しても生き残ったのです。いまの朝鮮を巡る状況は、まもなく南に「親北派」政権が生まれる公算が大きく、ロシアも擁護の姿勢を示しています。そして何よりも、アメリカでさえ水面下で朝鮮政府と交渉を展開しつつあるのです。

「米朝協議といっても、アメリカ側はあくまで『元政府高官の民間人』に過ぎない!」と強弁するかもしれません。しかし、つい先週頃まで、まことしやかに「斬首作戦」が取り沙汰されていたのに比べれば、まったくをもっての「急展開」です。「斬首」が本当に展開されると思い込んでいた日本世論にとっては衝撃的な一報だったことでしょう(本件記事は、取材してしまった手前、急には引っ込められなかったのでしょうか?笑)。

もっとも、「アメリカは本気で政権転覆を目指していない」というのは以前から指摘されていましたし、米政府関係者も「体制転換など目指していない」と言明していました。それでもなお、まことしやかに「斬首作戦」を語っていた日本世論が、いかに軽薄、いかに妄想に満ちていたのかが白日の下に晒されています。

およそあらゆる分析が、ことごとく的を外しているのが、日本の「朝鮮半島情勢分析」なのです。
posted by s19171107 at 21:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする