2017年05月06日

「不合理なルールを変えて多様性を実現する」を単なる「何でもあり」にしないために

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170430-00000058-asahi-soci
>> 「地毛証明書」、都立高の6割で 幼児期の写真を要求も

朝日新聞デジタル 4/30(日) 21:39配信


(中略)

 東京の都立高校の約6割が、生徒が髪の毛を染めたりパーマをかけたりしていないか、生まれつきの髪かを見分けるため、一部の生徒から入学時に「地毛証明書」を提出させていることがわかった。勘違いによる指導を防ぐ狙いがあるが、裏付けのために幼児期の写真を出させる例もあり、専門家から疑問視する声もある。

(中略)

 「地毛証明書」「頭髪についての申請書」など呼び方や書式は各校で違うが、多くは保護者が「髪の色が栗毛色」「縮れ毛である」などと記入、押印する形。保護者も参加する入学前の説明会で染色やパーマが疑われる生徒に声をかけ、用紙を渡す例もある。1校当たり年間数人から数十人が提出している。今年度から導入する学校もある。

 多くの都立高は校則で髪の染色やパーマを禁止する。世田谷区の都立高の担当教諭は「染めているのに地毛だと言い張る生徒もいる。保護者の責任で証明してもらう」と話す。背景には、生徒とのトラブルを防ぐほか、私立高との競争が激しく、生活指導をきちんとしていることを保護者や生徒にアピールするねらいもある。

 東京都教育委員会の堀川勝史主任指導主事(生活指導担当)は証明書について「間違って指導し、生徒に嫌な思いをさせないための方法としてはあり得る」とする一方、写真については「学校長の判断だが、写真は個人情報であり人権上の配慮がより必要だ」と語る。


最終更新:5/1(月) 13:24 <<
■ルールと多様性を両立しようとする歴史の進歩
昔であれば「明るい色の髪の毛」は、問答無用で指導の対象だったものですが、きちんとした手続きを踏んで「地毛証明書」を発行してもらえれば、指導の対象から外れる時代になったようです。昔は、生まれつき茶髪の子は、誰の責任でもないのに頭ごなしに否定されて可哀想なものでしたが、頭ごなしの統制の時代から本人の事情を汲む時代へ。進歩です。

この一件、私なんかは「ルールと多様性を両立しようとする歴史の進歩の一例」と好意的にみたのですが、弁護士センセーは事件にしたいようです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170506-00006057-bengocom-soci
>> 都立高の6割で「地毛証明書」提出させる…弁護士「不合理な差別を助長している」

弁護士ドットコム 5/6(土) 9:09配信

東京の都立高校の約6割が、髪を染めたり、パーマをかけていないかを調べるため、一部の生徒から入学時に「地毛証明書」を提出させていることが朝日新聞で報じられ、ネット大きな話題になった。


(中略)

このニュースに対して、ネットでは、「人権侵害ではないか」などの声が噴出している。これまでも、地毛が茶色い学生や、天然パーマの学生が、学校の指導で不快な思いをしたという体験談は数多く聞かれる

地毛証明書を提出させることに、どんな問題があると考えられるのか。高島惇弁護士に聞いた。

●茶髪や縮毛を問題視する風潮自体に合理的な理由がない


(中略)

なぜ地毛証明書の提出を求めるようになったのか。

「服装や毛髪の乱れは問題行動に繋がる傾向があるとして、入学時から規制していきたいという生徒指導側の強い要望があります。

また、判例上も、生徒の服装や毛髪を規律する校則については、教育を目的として定められたものであって、社会通念上の合理性を有している場合には適法と判断される傾向があるため、毛髪等に関する規制はほぼ無条件に許容されるという誤った考えが、現場で浸透していった側面も否定できません。

しかし、生まれつき栗毛や縮毛の生徒はどの地域にも一定数存在するものであって、そのような生徒に対して黒髪を強要することは、不合理な差別であると言わざるを得ません」

そうであれば、地毛証明書の提出を一律に促すことは、違法といえるのか。

「学校が、『黒髪直毛以外の生徒は学校の秩序を乱すおそれがある』という偏見に基づいている疑いを否定できず、不合理な差別を助長するとして、違法と評価される可能性は十分あります。

毛髪の問題は、日本人の髪がほぼ黒一色という事情から出てくるのかもしれません。

しかし、本来生徒の服装や髪型は、個人のライフスタイルに関わるものであって、茶髪や縮毛を問題視する風潮自体、そこまで合理的な理由がないでしょう。

一昔前に問題視されていた丸刈りについても、今では丸刈り校則を維持する学校がほとんどなくなったように、いずれは茶髪や縮毛に関する規律も緩やかになっていくのではないでしょうか」

最終更新:5/6(土) 10:16
<<
■自由市場擁護論に現れている多様性を極めて尊重する私の立場
この問題は、「多様性」という最近話題の論点に発展しやすいと思われるので、まず最初に私の立場を鮮明にしておきたいと思います。

私は「多様性」を極めて尊重する立場です。たとえば私は以前から「ライフスタイルの自主性・多様性」という観点から、自由な市場経済の本旨を「個人の選択肢の多様性」であると定義し、それを積極的に擁護してきました。

すこし詳しく理屈を述べておきましょう。人間は、財貨の消費活動によって多様な人格を開花させ、自己実現を図ります(絵の具を使って絵を描いたり、楽器を使って音楽活動を展開したり、新鮮な食材をつかって食生活を豊かにしたり・・・)。個性に豊んだ方法で自己実現を果たすためには、消費手段としての財貨の種類は豊富であるべきだし、多様な消費手段を消費者が自由に買い付け、利用できる状態にする必要があります。市場は人々が消費手段としての財貨を入手する主要な経路です。そうである以上は、多様な人格を開花させ、自己実現を図るにあたっては「消費活動の自由」、すなわち「買い付けの自由」が必要です。それは換言すれば「品揃えの豊かさ」であり、つまるところ「供給の自由」が必要になります。

そうした立場から私は、代表的には以下の記事を公開してきました。
チュチェ102(2013)年12月22日づけ「市場競争の効用は「効率性」よりも「多様性」
チュチェ104(2015)年10月5日づけ「図書館指定管理者制度の本旨は「多様性」
チュチェ105(2016)年12月5日づけ「小うるさい「職人」と棲み分けできる市場経済で本当に良かった!

■多様性は「何でもあり」ではない
他方で、多様性は「何でもあり」とも異なります。その視点から規制のあり方についても述べています。私は可能な限り多様性の余地を確保したいので、以下の通り、「棲み分け」という方法論を展開していますが、これは取りも直さず、一つの空間であまりにも価値観が混在しすぎている「何でもあり」状態では、本当の意味での多様性は実現されないということです。多様性は一定の枠組み、ルールがあってこそ成り立つものなのです。枠組みなき「多様性」は無政府状態です。
チュチェ105(2016)年7月31日づけ「棲み分け原理と価値観の多様性――自由主義的な人間関係の基礎
チュチェ105(2016)年1月15日づけ「「生産過程における厳格な規制」と「流通過程における最小限の規制」――自由交換経済の真の優越性を踏まえた規制

■事件にしたい弁護士センセーの誤読?
さて、私の基本的立場――多様性は最大限認めるべきだが、一定の枠組みが大前提――を述べた上で、『弁護士ドットコム』の記事に目を移しましょう。朝日新聞報道と照らすに、『弁護士ドットコム』の記事は全体的に事実認識が誤っており、それを前提として論じているような気がしてなりません。

高島弁護士は、「生まれつき栗毛や縮毛の生徒はどの地域にも一定数存在するものであって、そのような生徒に対して黒髪を強要することは、不合理な差別であると言わざるを得ません」といいますが、朝日記事では、世田谷区内に立地する都立高校教諭のインタビューの背景として「生徒とのトラブルを防ぐ」と指摘しています。また、都教委の堀川氏の「間違って指導し、生徒に嫌な思いをさせないための方法としてはあり得る」というコメントを掲載しています。つまり、多くの都立高校で行われている「地毛証明書」は、「生まれつき栗毛や縮毛の生徒はどの地域にも一定数存在する」からこそ、校則違反の染髪と区別し、生まれつき明るい髪色をしている生徒を守るために行っているのです。高島センセーは、いったい何を勘違いしているのでしょうか?

■「禁則を敢えて破ってくるその人格」こそが問題視されている
また、「学校が、『黒髪直毛以外の生徒は学校の秩序を乱すおそれがある』という偏見に基づいている疑い」といいますが、これはまた表層的な分析です。染髪に関する校則の問題は、単に髪の毛の色が黒色か茶色かという表面的な問題ではなく、その核心は「禁則を敢えて破ってくるその人格」なのです。

※追記
ちなみに、「黒髪の生徒には『地毛証明書』の提出を求めず、明るい髪色の生徒だけを『狙い撃ち』的に『染髪容疑』を掛けるのは先入観であり差別だ!」「生まれつきでは茶髪なのに、ファッションとして黒髪に染めている生徒もいるだろう!」という意見もあるでしょう(びっくりするほど美しい黒髪の人っていますよねー 真似したくなりますよねー)。理想を言えば、全生徒に提出を要求したほうがよいでしょう。その意味では「地毛証明書提出制度は、徹底されていない」といえます(もっとやれーー)。しかし、これ以上、教育現場の負担を増やせないという現実的事情・事務省力化の切迫した必要性を踏まえれば、明るい髪色の生徒を「狙い撃ち」にして証明書提出を求めるのは、残念ながら現状では致し方ないとも思います。

■非合理なルールだからといって、一般には直ちに破ってよいわけではない
もちろん、「本来生徒の服装や髪型は、個人のライフスタイルに関わるものであって、茶髪や縮毛を問題視する風潮自体、そこまで合理的な理由がないでしょう。」という指摘は、たしかにその通りです。もっと踏み込んでいえば、高校生がタトゥー(刺青)を入れていようと「合理的」な反対理由はありません。タトゥーをしているからと言って必ずしも不良とは限らないでしょう。しかし、「こんなのには合理性はない」と思えたからといって、皆がそれを行動計画の前提的枠組みとして活用しているルールを勝手に破ってはいけません。それは「多様性」という言葉では正当化されないのです。

多様性は一定の枠組みがあって初めて成り立つものであり、枠組みのない多様性は無政府状態自己判断で勝手にルールを破ってはならないのです。その観点で以下の記事について考えてみたいと思います。
http://www.excite.co.jp/News/smadan/20170502/E1493691272331.html?_p=2
>> 『地毛証明書』が教育的に間違っている3つの理由【勝部元気のウェブ時評】

(中略)

■ 頭髪指導は教育ではなく大人による管理
そもそも、日本社会で発生する犯罪の中で、染毛している犯罪者はどれほどいるでしょうか? オレオレ詐欺をするグループも、痴漢の加害者も、会社のお金を横領する人も、政治資金規正法に違反する政治家も、児童買春する人も、皆染毛している人が多数派でしょうか? そんなことはありません。その多くが黒髪です。

本当に必要なことは、子供たちのために彼等が犯罪や社会悪に走るのを防ごうという視点であり、それを防止するための実践的な教育や倫理観の育成のはずです。ですが、生徒指導というのは、本質的なところには切り込まず、単に見た目ジャッジをして善か悪かを峻別しているだけ。

それは、結局のところ、「子供たちのことを考えていない」ということの表れのように思うのです。つまり、あくまで大人が描くあるべき高校生像を強要しているだけ。もはや「教育」ではなく、「管理」という表現が的確でしょう。


(中略)

■ ウワベの頭髪指導はブラック企業にも通じる
一方で、生徒指導を受けてルールを守った子供たちは何を学ぶのでしょうか? 彼等は決して、「非行に走らないこと」を学ぶわけではありません。あくまで「取り繕うことの重要性」「とりあえずパフォーマンスをしておけば良いというウワベを重視する社会に迎合すること」を学ぶのです。

これでは、空気は読むことや長い物には巻かれることに長けるだけで、適切な倫理観が習得できていないため、善悪の判断がつかないままです。「社会に出れば染毛は良くないことだから、高校生のうちから学ぶ必要があると思う」という反論を言う人もいると思いますが、それこそ「とにかくルールだから守らなければならない」という思考停止状態です。

このような思考停止に皆が陥ると、たとえトップが悪かろうが、「これがルールだから」という論理がまかり通ってしまうので、組織全体が毒されるということに繋がります。電通の過労死事件に見られるようなブラック企業の体質が日本でこれほど蔓延るのも、そのような「人権的に間違っているか否かよりもコミュニティ内のルールに従っているか否かが大事」という日本的秩序観が生んだ悲劇ではないでしょうか?


(以下略) <<
あくまで大人が描くあるべき高校生像を強要しているだけ。もはや「教育」ではなく、「管理」という表現が的確でしょう」というのはまったく正しい本質を突いた指摘です。しかし、「ウワベの頭髪指導はブラック企業にも通じる」などと、話の流れをブラック企業問題に接続させることは誤りです。「管理の受容・容認」は「思考停止状態」ではないし、ましてその対極は、「自己判断にもとづくプロセスを踏まないルール破り」ではありません「このルールはおかしい」という合理的思考は尊重すべきですが、「だから破っても良い」には必ずしも直結しません

■急迫なる生命の危険を巡る「正当防衛的ルール破り」と、髪色を巡る「校則破り」が同列であるわけがない
ブラック企業問題を筆頭とする労働問題を「自主権の問題」と位置づけ、その解決を目指して労働者階級の立場から論考してきた私からすると極めて不満が残る論理構成です。過労死問題と髪色指導問題を同列に語るとは、物事の「程度の差」というものが分かっていないと言わざるを得ません。

ブラック企業問題を筆頭とする労働問題は、資本家階級と労働者階級の力関係の問題であり、そして、資本家階級が一方的に押し付けてきた「規則」を巡る問題であるという点では、「大人による管理」と構造は類似していることは認めます。しかし、生命に関する急迫なる危険を避けるための「正当防衛的なルール破り」と、髪色を巡る「校則破り」ごときが同列であるわけがありません。また、そこまで酷くはないケースについても、明らかな違法状態であれば、「法律>就業規則」なのだから従う必要はありません(それこそ「法律という名のルールだから」で済む話です)が、企業の裁量に委ねられている部分については、いくら「資本家階級が一方的に押し付けてきた」といっても、はじめから破るのではなく、労使交渉・団体交渉といったプロセスを踏むべきです。

■およそあらゆるルールを「自己判断」で破ってもよいことになる理屈
正当防衛的なルール破りを基準に、それ以外の一般的規制を議論を展開するようでは、およそあらゆるルールは「自己判断」を理由に破ってもよいことになり、あっという間に無政府状態に陥ることでしょう。こんな理屈がまかり通るようになれば、それこそブラック企業問題においても「わが社の経営上、こんな『岩盤規制』は非合理だ」といったような理屈で何でもありになってしまうでしょう。

繰り返しになりますが、多様性は一定のルールがあってこそのものであり、ルールなき「多様性」は無政府状態に過ぎません。そして、「このルールはおかしい」という合理的思考は尊重すべきですが、「だから破っても良い」には必ずしも直結しないのです。


■髪色を巡っては、いまはまだ社会的コンセンサスが取れていない
『弁護士ドットコム』の記事に戻れば、「一昔前に問題視されていた丸刈りについても、今では丸刈り校則を維持する学校がほとんどなくなったように、いずれは茶髪や縮毛に関する規律も緩やかになっていくのではないでしょうか」といいますが、それはまさに社会的議論がまとまり、コンセンサスが取れてこその話。いまはまだ取れていません。社会的議論の場は作ってゆくべきで、人々の自主性を侵害するような「おかしな規制」は緩和してゆくべきですが、自己判断で勝手に破るべきではないのです。

■「不合理なルールを変えて多様性を実現する」を単なる「何でもあり」にしないために
最近、「多様性」という言葉を以って、さまざまなルール・常識を問い直そうとする動きが活発になってきました(朝日新聞や毎日新聞、東京新聞あたりはかなり積極的ですよね)。このこと自体は私は、社会の自主化を志向したものであり、好ましいものであると見ていますが、他方で、「多様性」ではなく「何でもあり」でしかない言説も増えつつあるように思います。そしてそうした言説は、往々にして「自分には規制の合理的理由付けが思いつかないから」レベルの短絡的な言い分に過ぎなかったりします。少し危険な臭いもします。

「自分には思いつかないから/理解できないから」と述べる人は「自分が馬鹿だから思いつかない/理解できない」という可能性には思いが至らないのでしょうか? 4月21日づけ「「一代限りの生前退位特例法」から見える漸進主義としての保守主義」で述べた「漸進主義としての保守主義」の観点は、ルールの改変に当たって持つべき心構えです。社会的議論は漸進主義的なプロセスの踏み方です。

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posted by s19171107 at 17:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月04日

インチキ・ヨタ話には引っかからないような自立的判断力をつけさせることこそ重要

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170502-00000002-mai-soci
>> <「妊娠菌」付き米>ネットで高額売買 医学的根拠なし
毎日新聞 5/2(火) 7:30配信

 「女性が妊娠しやすくなる『妊娠菌』がついている」と称した白米がインターネットで売買されていることが分かった。「妊娠米」と名付けられて1合当たり最高1500円で出回るが、毎日新聞の取材で、出品者に妊娠経験がなかったり、購入者にサプリメントのカタログが送られたりする事例が確認された。「妊娠菌感染」に医学的根拠はなく、専門家は「不妊に悩む女性を冒とくする詐欺行為だ」と憤っている。【鳴海崇】


(中略)

◇悪質な商売、許せない

 吉村泰典・慶応大名誉教授(元日本産科婦人科学会理事長)の話 妊娠菌に科学的、医学的な効果があるはずもないし、少額でも詐欺と言っていいほど悪質な商売だ。不妊症や不育症に悩む女性は、わらをもつかむ思いで「妊娠や出産に良いことなら何でもやりたい」と考えがちだが、そうした人の弱みにつけ込む行為で絶対に許せない。崇高な妊娠について「菌が感染する」という表現をすること自体が非常に不謹慎。妊娠米は不衛生に扱われた恐れがあり、絶対口にすべきではない。

最終更新:5/2(火) 14:12
<<
本件、『週刊新潮』が既に2月に報じている内容ですが、ようやく全国紙でも取り上げられました。しかし、どうも詰めが甘い・・・

■それをいうなら「子宝神社」のほうが重大詐欺案件
藁をも掴む思いの人が、常人であればまず引っかからないようなトンデモを真に受けるというのは、決して珍しい話ではありません。それをビジネスチャンスとして、効用のないものを売りつけるのは、たしかに悪質です。「絶対に許せない」という怒りの声も理解できます。

しかしそれをいうなら、多くの人心を有史以来、ながく翻弄してきた「子宝神社」のほうが被害者数の点において遥かに悪質です。「子宝に恵まれるお守り」などという単なる紙切れ・板切れと「妊娠菌」なるものが着いているとされるコメとの間には、いったいどんな違いがあるというのでしょうか。「妊娠菌に科学的、医学的な効果があるはずもないし、少額でも詐欺と言っていいほど悪質な商売だ」という吉村名誉教授の指摘にピッタリ当てはまる「常習詐欺師」こそが、ほかでもない「子宝神社」なのであります。

「宗教法人格を持っている神社等が説く現世利益論」を相手にするのは骨が折れて面倒くさいから、とりあえず「新興ビジネス」を手っ取り早く標的にしたといったところでしょうか? まあ、"Мы раздуваем пожар мировой, Церкви и тюрьмы сравняем с землёй."と息巻いていたボリシェビキもついにそれを達成させることはできなかったのだから、大変なことであるのは間違いのないことです。しかし、そこに切り込まずして「不妊に悩む女性を冒とくする詐欺行為だ」というのは、詰めが甘いという他ありません

■インチキ・ヨタ話には引っかからないような自立的判断力をつけさせることこそ重要
「詐欺」とまで言った吉村名誉教授、そしてそれを記事の中核に据えた毎日新聞編集部。この文脈でいけば、「規制」という方向に話が進むのは必然的でしょう。薬事法に抵触する恐れがあるため、フリマサイトから削除され始めたそうです。

インチキ商品を規制するのは当然だとは思いますが、「消費者保護のための規制」だけで終わらせてはなりません。藁をも掴む思いの人であれば、「妊娠菌」でなくとも似たようなヨタ話に引っかかるからです。もしかすると、今回「妊娠菌つきコメ」を買い込んだ人物の中には、既に怪しい御札やら壺やらを買い込んだことのある人も居るかもしれません。「妊娠菌」を排除したところで、こういうものに引っかかる人は、すぐに似たような別のものに引っかかることでしょう。そのたびに「保護のための規制」をするというのであれば、その人の一挙手一投足を常に見守る必要が生じ、現実的ではありません

「藁をも掴む思い」の境遇だからと言って、インチキ・ヨタ話には引っかからないような判断力をつけさせる方向での支援、換言すれば、自立的に判断できる力を養う支援こそが、「インチキな出品を規制することによる消費者保護」以上に重要です。

詐欺的商売への対策では、「インチキな出品を規制することによる消費者保護」ばかりに目がいき、どうしてインチキ・ヨタ話に飛びつく消費者自身を変えようとしないのでしょうか? 「保護」を声高に主張する人たちは、もしかすると対象者を子ども扱いしているのかもしれません。「聡明な我々が科学的根拠に基づき、悪徳業者の魔の手から一般市民を守ってやる」といった「保護者意識」(いわゆる「前衛意識」と親和的です)が、何処かにあるのかもしれません。

私も実体験がありますが、「保護者意識」の高い人の中には、「自立とは『切り捨て』を体よく言い換えたに過ぎず、当人が被害にあっても『我関せず』といわんばかりの冷たい人間」と短絡的にレッテルを貼る人がいます。しかし、どんなケースでも漏らすことなく迅速・確実に「悪徳の芽」を摘むことなどできるはずもなく、実際の「保護者」は腰が重く、しばしば専門家でさえ判断を誤ることがあるのが実態この手の「保護者意識」は、ほかでもない「保護者」自身の無能さのせいで、当人の願望に反して実際には保護対象者を危険に晒しているのです。

悪徳の芽を摘んで一般市民を保護してやることも大切ですが、一般市民自身が真実を見極める目を持つことのほうが一層重要なことです。

「自立」は論点の多いテーマです。「他人からあれこれ指図・干渉されたくない」「自分の判断で決めたい」「いつまでも子ども扱いされたくない」といった自主的要求に基づく人間の自然な感情・欲求にも関わるし、「対象者の一挙手一投足を常に見守るなんて到底できこっない」という現実的な事情にも関わります。今後も考えを深めてゆく所存です。
ラベル:社会
posted by s19171107 at 17:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月02日

産経の馬鹿っぽい中途半端な「保守論調」

http://www.sankei.com/column/news/170429/clm1704290002-n2.html
>> 2017.4.29 05:03更新
【主張】昭和の日 元号あればこその歴史だ


(中略)

 そのような新聞でさえ、事あるごとに「明治の…」「昭和の…」などと書いて時代の諸相に触れたりするのは、元号が利便性や合理性を超えて国民の日常に密着しているからにほかならない。

 日本の元号は西暦645年の「大化」に始まる。701年に「大宝」と改元されて後は、中断もなく現在まで継承されてきた。もともと中国由来の元号制度ではあるが、特筆すべきは、中国の威に屈する形で中国の元号を遵奉(じゅんぽう)し、自らの元号をほとんど建てられなかった周辺の多くの国とは異なり、わが国では独自の元号を使い続けてきた事実である。

 中国では既に失われ、今や日本にのみ存続している元号は、いわば国家独立の象徴でもあり、今後も大切に守っていきたい。

 天皇陛下の譲位を可能にする特例法の制定に向けて、議論もいよいよ大詰めの段階に入る。次の元号へ国民の関心もおのずと高まってこようか。元号とともに刻まれたこれまでの歴史を振り返り、併せて、まだ見ぬ元号と時代に思いをはせてみるのも意義あることに違いない。
<<
産経らしい、馬鹿っぽい論調です。

元号が利便性や合理性を超えて国民の日常に密着しているからにほかなら」ず、「今や日本にのみ存続している元号は、いわば国家独立の象徴でもあり、今後も大切に守っていきたい」というなら、いっそ皇紀表記にしてほしいものです。昭和と平成が入り混じり、もう間もなく次の元号が出てくるとなると、時系列の整理がしにくくて仕方ないわけです。

また、「国民の日常に密着している」とはいうものの、この手のモノは「皆が使っているから自分も使う」といった類のものですから、「せーのっ」で切り替えれば、わりとスムーズに替わるかもしれません。なんといっても、現代のデファクト・スタンダードたる「西暦」だって、つい150年前までは、ほとんど知られていなかったわけですから。

元号は、いわば国家独立の象徴」というのは、言われてみればそうかもしれません。もっとも、こんな使いにくい暦が長いことデファクト・スタンダードとして生き残ってきたのは「他の暦を知らなかった」だけであり、つまり「国家独立」というよりも「国家孤立」に過ぎないと思いますが。それゆえ、こんな「擁護」論は馬鹿丸出し。褒め殺しなんじゃないかと疑うレベルです。
posted by s19171107 at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月30日

アメリカのミニットマン3発射実験こそが挑発行為

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170427-00000532-san-n_ame
>> トランプ政権 ICBM発射実験 太平洋へ約6800キロ飛行

産経新聞 4/27(木) 18:22配信

 【ワシントン支局】米国内の大陸間弾道ミサイル(ICBM)や戦略爆撃機などを一元管理・運用している米空軍グローバル攻撃司令部は26日未明、カリフォルニア州のバンデンバーグ空軍基地でICBM「ミニットマン3」の発射実験を実施した。司令部はホームページで「ミニットマン3の正確性と信頼性を確認した」としている。


(中略)

 核・ミサイル開発を続け、挑発行為を繰り返す北朝鮮に対し、弾道ミサイルの攻撃能力を示すことにより圧力を加える狙いがあるとみられる。

最終更新:4/27(木) 18:22
<<
弾道ミサイルの攻撃能力を示すことにより圧力を加える狙い」――ちょっとオカシイと思いませんか? 「アメリカが、そこまでしなければならない相手」なのでしょうか?

朝鮮は、空爆やミサイル攻撃に対しては50年以上にわたって備えを万全にしてきました。4大軍事路線における「全国要塞化」のプランにもとづき、空からの核攻撃を想定して主要な軍事施設を地下化し、それらを坑道で繋ぎました。地下要塞で万全の備えを固めている国に対して、弾道ミサイルをチラつかせるのは「圧力」になるのでしょうか?

朝鮮政府が恐れているのは、海軍力と協同した空軍力であり、そして地上軍の投入です。だからこそ、空母「カール・ビンソン」の接近に反応し、ソウルや在韓米軍基地を標的としていると思われる大規模火力演習を展開したのです。空母群をもう一群派遣するのであれば、それは「圧力」であるといえますが、弾道ミサイル発射実験ではそうは言えません

ではいったい、弾道ミサイル発射にはどういう意味があるのでしょうか?

第一に考えられるのは、「そもそも朝鮮半島情勢とは関係がない」ということです。すべてが単一のストーリーに従って展開されているわけではありません。別件でのミサイル発射が偶然重なったということも十分にあり得ます。

第二に考えられるのは、「アメリカこそが挑発している」ということです。「オレは弾道ミサイルでも核実験でも何でもOKだけど、オマエは、朝鮮人だからダメ」ということを見せ付けるために、わざとこのタイミングで、対朝鮮牽制としては必要性に乏しい弾道ミサイルをこれ見よがしに発射したという見立てです。「のび太のくせに生意気な!」の域を脱しない、極めて侮辱的・極めて挑発的な所業です。

もしそうであれば、「核実験あるいはICBM発射実験をしたらシリアのときみたいに攻撃するからな!」「攻撃してきたらソウルを火の海にするからな!」の「口先の合戦」で何となく膠着状態にあった朝鮮半島情勢に「燃料」を追加投入しているのが誰なのかが見えてくるでしょう。

こうしたアメリカの挑発に朝鮮は乗りませんでした。昨日発射したミサイルは、まだ分析途上(さすがに日米軍事当局者は解析を完了させているとは思いますが、少なくともまだ確定的には公表・報道されてはいないようです)のようですが、対艦ミサイルあるいは中距離弾道ミサイルだったようです。少なくともICBMではないようです。それも、朝鮮領内で落下しました。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170429-00000061-asahi-int
>> 新型の対艦ミサイルか 北朝鮮、米空母を牽制した可能性
朝日新聞デジタル 4/29(土) 21:08配信

 北朝鮮が29日午前5時半ごろ、西部の平安南道北倉(ピョンアンナムドプクチャン)付近から北東方向に弾道ミサイル1発を発射したものの、失敗したとみられると韓国軍合同参謀本部が発表した。ミサイルは数分間飛行して北朝鮮内に落下。最大高度は71キロで、空中で爆発したとの見方もある。

 ミサイルの種類や性能などははっきり確認されておらず、米韓などが分析している。米CNNなどは、空母など艦艇を狙う新型の対艦弾道ミサイル「KN17」と推定されると伝えた。15日の北朝鮮の軍事パレードの際もKN17とみられる機体が披露された。朝鮮半島近海に入った米原子力空母カールビンソン率いる空母打撃群を牽制(けんせい)し、米国の圧力に屈しないという意志を示した可能性もある。発射は、国連安全保障理事会が北朝鮮情勢について閣僚級会合を開いた直後だった。


(中略)

 弾道ミサイルに関し、米太平洋軍は「北朝鮮領域を出ていない」と分析。北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)も「北朝鮮から発射されたミサイルは北米の脅威にはならない」との声明を出した。

最終更新:4/30(日) 0:24
<<
侮辱的なアメリカの挑発行為に直面しながらも、あくまで「自国防衛」「体制維持」、もっといえば「自分自身の生存」という至上目的に少しのブレのない朝鮮政府の原則論が貫かれたようです。キムジョンウン委員長の状況を読む眼はなかなかのものです。対するトランプ米大統領は・・・そういえばシリアに約60発の巡航ミサイルを撃ってから何かありましたっけ? まさか軍事行動も思いつき・・・?

だれが朝鮮半島の情勢緊迫化をあおっているのか・・・内政が思うようにいっていないトランプ政権の「困ったときの外患頼み」という見方が少しずつ広まりつつありますが、いい線行っているのかもしれません。
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2017年04月28日

ポプラ事件(板門店事件)が「北朝鮮の完敗」に見える産経新聞の表層的分析――戦略的目標を達成したのは誰だったのか

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170426-00000072-san-kr
>> 正恩氏、米のレッドライン読みあぐねる 本格挑発に踏み切らず

産経新聞 4/26(水) 7:55配信


(中略)

 北朝鮮は米国からの攻撃の危機にさらされたことがある。南北軍事境界線の板門店(パンムンジョム)で1976年8月、ポプラの木を勝手に伐採しようとした米将校2人を北朝鮮兵がおので殺害した「ポプラ事件」をめぐってだ。米軍は、戦略爆撃機や朝鮮半島沖に空母ミッドウェイを展開する臨戦態勢を取って伐採をやり遂げる。金日成(イルソン)主席は米側に「遺憾の意」を伝達。北朝鮮の“完敗”だった。「米国民の生命が脅かされれば、米国は軍事行動を辞さない」。これが北朝鮮が肝に銘じた教訓だったといわれる。

(以下略) <<
「左の『しんぶん赤旗』、右の『産経新聞』」。産経新聞のイイカゲンさは全方面的規模ですが、ことに国際情勢に関しては輪を掛けるものがあります。まあ、要するに「願望が強すぎ、現実を都合のよく歪めて解釈している」のが原因なんですけどね。

さて、引用部分。ポプラ事件(板門店事件)を取り上げています。曰く「北朝鮮の“完敗”だった」としています。ところがどっこい、つい先日の朝鮮中央通信は、まさに板門店事件を振り返り、これを勝利と位置づけています。
http://www.uriminzokkiri.com/index.php?ptype=igisa1&no=1132549
>>  우리 공화국은 보총과 원자탄의 대결이던 지난 1950년대 조선전쟁에서는 물론 1960년대 《푸에블로》호사건, 《EC-121》대형간첩비행기사건, 1970년대 판문점사건 그리고 조미핵대결전을 비롯하여 세기와 년대를 이어오며 자기의 힘으로 사회주의조국을 지키고 미국에 참패만을 안긴 영웅조선이다.

 최근년간에도 미국이 사상최악의 초강도위협과 야만적인 제재봉쇄책동에 매달렸지만 실패를 거듭하고 지친것은 제국주의자들이였으며 온갖 도전을 박차고 승리한것은 사회주의 우리 국가였다.

(拙訳;わが共和国は小銃と原子爆弾の対決であった、去る1950年代の朝鮮戦争ではもちろん、1960年代の「プエブロ」号事件、「EC−121」大型スパイ飛行機事件、1970年代の板門店事件、そして朝米核対決戦をはじめとして、世紀と年代を経て、自力で社会主義祖国を守り、米国に惨敗をもたらした英雄的な朝鮮である。近年においても、アメリカは史上最悪の超強度威嚇と野蛮な制裁・封鎖策動に執着したが、失敗を重ねて疲れたのは帝国主義者どもであり、あらゆる挑戦を退けて勝利したのは社会主義のわが国であった) <<
中学生レベルのメンタルであれば、板門店事件は「完敗」と映るのかもしれません。しかし、そもそも朝鮮側が何故、たかだか幾ばくかの本数の木々程度にこだわり、そしてそれを今も尚、勝利とみなしてたのでしょうか?

ウィキペディア程度の初歩的な情報量であっても、このことは見えてきます。あの事件の発端となったポプラの木は、もともと朝鮮側が植えたものでした。事件に関する朝鮮側の言い分としては「他人が植えたものを勝手に切るなよ!」であり、さらに突き詰めれば、真意レベルにおいては「そもそも非武装地帯で交戦国兵士どうしが入り混じっていることは異常だし、そこで通告なしに活動しないでくれ!」といったところでした。

そして、ウィキペディアにもあるとおり、「両陣営間で行われた会議によって、北朝鮮側の提案で、共同警備区域内にも軍事境界線を引いて両者の人員を隔離する事を決定した」・・・、いま振り返れば、ポプラの木自体は切り倒されてしまったものの、それはあくまでも、どうでもいい表層的な部分に過ぎず、朝鮮側の真意であった「念願の対米交渉のテーブルにアメリカ側を引きずり出す」という戦略的目標を達成したのに留まらず、真意レベルでの事件の動機を満たすことに成功したわけです。

たしかにキムイルソン主席は米軍の示威行動に対して「遺憾の意」を示しました。全力で肩入れした南ベトナムが北ベトナムに併合された上に、カンボジアやラオスまでもが共産化し、恐れていた「ドミノ理論」が現実のものになったばかりの「1976年8月18日」というタイミングで、人が死んだとはいえ軍事戦略的には「この程度の小競り合い」で、アメリカがこれほどまでの反応を示すのは少し過剰であり異常です。キムイルソン主席としては、「いくら東南アジアで負け続きとはいえ、こんなに過敏に反応するだなんてアメリカは頭がおかしくなったんじゃないか・・・」と思ったのではないでしょうか。そうであれば、そもそも体制維持こそが至上目的である朝鮮としては、「インパール作戦の国・日本」とは違って、戦略的に「遺憾の意」くらいは出すでしょう(ちなみに、「遺憾の意」に謝罪は含まれて居ません)。13日の記事でも書いたとおり、たしかにキムイルソン主席は情勢を見極めて「遺憾の意」を提示し戦争への発展を回避しましたが、錯乱状態といっても過言ではないアメリカの過剰・異常な振る舞いを見てのことだったのではないでしょうか。

中学生程度のメンタルだと「常勝・完勝」でなければ気がすまないものですが、大人の世界ではそんなことは二の次、泥臭かろうと目的を達成することこそが重要なのですよ。
ラベル:メディア 共和国
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2017年04月26日

「キムジョンウン委員長が導入した市場経済」という、さりげないが画期的な一文

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170423-00000005-asahi-int
>> 緊迫、軍事パレードの夜に…大宴会 北朝鮮労働党幹部ら

朝日新聞デジタル 4/23(日) 1:37配信

 北朝鮮が故金日成(キムイルソン)国家主席の生誕105周年を祝った15日、朝鮮労働党が平壌で大宴会を催していた。幹部が豪華料理に舌鼓を打ち、米朝間の高まる緊張を感じさせない雰囲気だったという。金正恩(キムジョンウン)委員長が導入した市場経済により、格差が広がっている実態の一面もうかがわせた。


(以下略) <<
さりげない一文ながらも、「金正恩(キムジョンウン)委員長が導入した市場経済」というくだりは画期的です。なかなか一般紙では触れられてこなかった事実です。

■着実に前進する市場メカニズムの導入
朝鮮における市場メカニズムの導入は、着実に前進していることですが、以前から、韓「国」紙や経済雑誌などでは指摘されていたことです。たとえば当ブログでは、下記の記事で紹介しました。
・チュチェ102(2013)年10月1日づけ「ウリ式市場経済
・チュチェ102(2013)年10月7日づけ「チュチェの市場経済・ウリ式市場経済――共和国の経済改革措置に関する報道簡易まとめ

たとえば最近も下記の記事がそのことを報じています。
http://toyokeizai.net/articles/-/162495
>> 北朝鮮、路上生活の子を減らした金正恩の力
父のやり方を変え、農業改革で食糧事情改善
董 龍昇 :韓国オリエンタルリンク代表 2017年03月30日


(中略)

配給制に依存していた北朝鮮は、1990年代を前後して配給がほぼ途切れ、国民らの食糧調達が難しくなった。食糧を求めるために一家離散となるなど家庭が崩壊し、それゆえコッチェビが急激に増加した。このような観点から、北朝鮮の食糧需給状況に何が起きているのかを見てみたい。特に金正恩政権になって5年間、北朝鮮で何が生じたのかに注目すべきだ。

(中略)

が、北朝鮮の食糧問題は、生産部門から始まった。1970年代に後継者として浮上してきた故・金正日総書記が、継母である金聖愛(キム・ソンエ)と激しく繰り広げた権力闘争を終え、1980年に第6回党大会で後継者として公式にデビューする直前に無理な政策を断行。1979年、金正日は「社会主義は完成段階に入った」と主張し、協同農場の国営農場化を推進したのであった。

それまでの北朝鮮の農民は、協同農場において協同的所有を維持してきた。協同的所有だからこそ、生産された分から分配を受け、ひと月ごとに受け取る「生活費」というものは存在しなかった。ところが金正日は、協同農場員にも安定的な生活費を支給する代わり、すべての生産物は国家から受け取る方式を取り始めた。協同農場員は工業従事者のように生活費を毎月受け取る農業勤労者となった。

飢餓を解決できず、党書記は公開処刑
こうなると、最初のほうは生活費を受け取るのでいいが、仕事をしなくても月給を受け取ることが出きることが徐々にわかり、となると、農場には出ず住居近くの畑ばかりを耕すようになった。こうして協同農場の生産性が明らかに落ち始めた。生産性が落ち、北朝鮮当局はインセンティブの提供など多様な方法を動員したものの、協同農場の生産性は日に日に下落していった。


(中略)

一方、この期間中に、北朝鮮ではチャンマダン(ヤミ市)が広がり、食糧需給の流通網が配給制から市場取引へと、完全に転換した。2000年代は市場における食糧価格の変動幅がとても大きかった。これは、市場レートの変動幅が大きかったことが1つの要因だが、何よりも市場に食糧供給が安定的に行われていなかったためだ。

こうして10年という時間が流れるうち、市場の食糧需給網は安定化し、2010年以降はチャンマダンにおける食糧価格が安定。全国的に価格変動幅の縮小する現象が見られるようになった。これには食糧卸の役割がとても重要だった。彼らは北朝鮮全域のチャンマダンに食糧を供給する大元へと成長していった。


(中略)

ところが、金正恩政権が始まった2012年から、市場が変わり始めた。金正恩が北朝鮮の一般住民に向け初めて公の場で演説した際、「二度と住民がベルトを締め上げることがないように(やせ細らないように)する」と発言。そして、前の金正日政権の十数年間の蓄積を土台に、食糧需給と関連した主な政策をいくつか推進したのである。

まず金正恩は、軍部隊に割り当てられていた農地を拡大する一方、住民を当てにするなと厳命した。軍部隊には約20万ヘクタールの農地を割り当て、軍が自主的に農業を行って食糧供給の問題を解決せよと指示したためだ。これで農民は「先軍政治」の名目の下、生産された穀物を軍部隊から強制的に持ち出されることがなくなり、農民たちは歓迎した。「愛国米」の調達負担も減った。

こんな現象も見られた。2013年に北朝鮮の市場で多く売られていた商品の1つは豚肉だった。これは愛国米として、コメの代わりに年間ブタ1頭分を半強制的に上納していたことがなくなり、豚肉が市場へ流入する現象が発生したせいだった。

次に協同農場の生産性を向上させるよう、画期的な措置をとった。農場員に月給を支給せず、生産分の7割を取り置くことにした。1979年に金正日が協同農場の国営化を行う前の状態に回帰させたことになる。このために「圃田担当制」を実施。この制度は、従来は公平性を保つとの理由から農場員が担当する土地を1年ごとに替えていたが、今後は1ヘクタール程度の圃田を一世帯に任せ、そこを継続して耕作するようにしたものだ。事実上、農家に対し、農地を分け与えたことになる。

さらに国家からは土地を貸し、種や農機具などを貸し与える代価として、生産物の3割を徴収。もちろん土地ごとに生産性が違うため、一括して、国家3対農場員7の原則を適用するのではない。全域の農業地域を対象に土地生産性を再調査し、これに基づいて分配率を決定していった。生産性が相対的に低い地域は、国家2、農場員8とするケースもあるという。

「トウモロコシごはんを食べる人はいません」
北朝鮮全域で完全に定着した状態ではないゆえ、地域ごとにその評価には差がある。たとえば、平安北道は圃田担当制が定着したことで、生産性が最も高まったという。この地域は、中国と国境を接している新義州を通じて各種農業機械を導入する一方、よい種子を熱心に求めている。

一方、相対的に食糧が豊富な黄海南道は、北朝鮮最大の穀倉地帯であるにもかかわらず、農民が生産性向上にそれほど関心を見せておらず、まだ生産性が向上していないという。肥料生産も一部で正常化され、石炭化学工業で出てくる化学肥料の生産が一部で正常化し、外部から調達する肥料の量も減ってきている。

北朝鮮全域で生産される穀物量は、年間約600万〜700万トン程度だ。早い時期に1000万トン生産という目標達成に注力している。金正恩政権が始まってから、チャンマダンで取引されるコメの価格は、1キログラム当たり0.62ドル程度と安定。国際社会の対北制裁で、北朝鮮に流入する食糧が2000年代より大きく減っているにもかかわらず、市場価格が安定化しているのは、内部からの安定供給が続いているために外部から取り寄せる量が減っていることと、比較的安定した供給ルートがあることを意味する。

生活費を調達するには、生産した食糧を市場で売らないといけなくなったため、協同農場を市場と連携させるほかなくなった。金正恩政権が市場を事実上、許容せざるをえなくなったのだ。実際に政権が始まって以降、市場拡大を抑えるための取り締まりがはっきり減っているという。

北朝鮮住民はこのように言う。「今トウモロコシご飯を食べる人がどこにいますか」と。市場に行けば穀物の種類を選んで食べることができる。「国が外部からのリスクをなくすことに注力すれば、北朝鮮住民は自主的に生活できる」とまで言うようになったのだ。
<<
■前向きに取り組まれている市場化――イデオロギーを存在基盤とする国だからこその本気度
ここで重要なのは、当初は「闇市の拡大」に過ぎなかったものの、いまやその自生的秩序を政権が許容していることです。上掲記事では「金正恩政権が市場を事実上、許容せざるをえなくなった」としていますが、私は、朝鮮中央通信の報道を見るに、慎重ながらも前向きに取り組んでいると見ています

たとえば、チュチェ105(2016)年6月6日づけ「朝鮮労働党第7回党大会は経済改革・競争改革を漸進的に継続すると暗に宣言した画期的大会」でも触れたとおり、第7回党大会を控えた昨春から突如として登場した「集団主義的競争」という単語は、悪平等主義的な従来型社会主義との政治的決別を象徴しています。

また、本年の新年辞。1月2日づけ「キムジョンウン委員長の「新年の辞」で集団主義的・社会主義的競争が総括された!」でも触れたとおり、「互いに助け導き合いながら飛躍を遂げる集団主義の威力」を「新しい時代精神」と定義づけた点は、伝統的に難題だった「集団主義と競争原理の両立」について、「互いに成功を学びあい、助け合い、切磋琢磨してゆく」タイプの競争を社会主義的競争と位置づけ、「弱肉強食の生存競争」としての資本主義的競争との違いを定義したという意味において、イデオロギー的に重要でした。

東ドイツと同様に国の存在基盤がイデオロギーであり、イデオロギーが倒れれば国がなくなる朝鮮において、その根幹部分での転換は、かなり「勇気」がいる決断です。資本主義であろうと社会主義であろうと日本は日本でありつづける我々が思っている以上のことです。それだけ本気なのです。

政治行政の人事上の布陣からもそのことは推察できます。チュチェ105(2016)年7月2日づけ「分権改革・経済改革の旗印を更に鮮明にした画期的な最高人民会議」で触れた通りです。

■重要な第一歩
しかし、なかなか一般紙では触れられてきませんでした。光市事件を筆頭とする刑事事件報道と同様、勧善懲悪物語の「悪」側として一旦位置づけてしまった以上は、いまさら「軌道修正」しにくいのかもしれません。そんななかでの朝日新聞記事。これ一発で大きく変わるとは思えませんが、重要な第一歩です。
posted by s19171107 at 22:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大規模砲撃演習を「極めて挑発的な威嚇」と認識できない単細胞な「世論」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170425-00000051-reut-kr
>> 北朝鮮が軍記念日に大規模砲撃演習、米原潜は釜山入港
ロイター 4/25(火) 13:37配信


(中略)

[ソウル 25日 ロイター] - ミサイル・核開発プログラムを巡り国際的な孤立を強める北朝鮮は25日、朝鮮人民軍の創建85年の記念日を迎えるのにあわせ、大規模な砲撃演習を行った。

韓国の聯合ニュースが韓国政府筋の話として伝えたところでは、北朝鮮の軍が同国東岸の元山市近郊で大規模な実弾演習を行ったもよう。韓国国防省はこの報道を確認していない。

北朝鮮の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」は1面の社説で、朝鮮人民軍は「米国の策略と核の脅しの歴史に終止符を打つ」用意があると表明。「人民軍には、様々な精密・小型核兵器、潜水艦発射弾道ミサイルなど、独自の最新鋭軍装備があり、攻撃力に限界はない」と指摘した。


(中略)

4月は北朝鮮で記念日が続くうえ、米韓軍が大規模な合同演習を実施していることから、金正恩政権が挑発行動に出ることが懸念されている。とりわけ朝鮮人民軍創建85年に当たる25日は、6回目の核実験を踏み切る可能性が指摘されており、トランプ米大統領は、空母カール・ビンソンも合同訓練のため朝鮮半島近海に向かわせており、日韓との連帯を示すことで北朝鮮を強くけん制している。

(以下略) <<
コメ欄。
>> ビビッて火力訓練・・だと。。(笑) <<
>> やっぱり、北朝鮮は核実験やミサイル発射はできませんでした笑 <<
>> あれ?核実験やミサイル実験は?
ビビってできないなら始めからデカい口たたくなよw
<<
■いったいいつ「4月25日に核実験を実施する」と宣言したのか?
以前、昨今の「世論」について私は「戦前の朝日新聞のような単細胞」と述べましたが、もっとピッタリの表現がありました。「ミリオタ気取りの中学生」。そういえばこんな手合い、クラスにいましたよ(中学生みたいな思考回路で国際情勢語るなよ・・・)。

いったいいつ、朝鮮政府は「4月25日に核実験を実施する」と宣言したのでしょうか? そんな宣言は一言も発しておらず、日米韓各国の関係者が推測していただけに過ぎません。記念日という点では、「5.1節」(メーデー)が近づいていますし、朝鮮は年中、なんらかの記念日があるものです。

■この大規模砲撃演習こそ「極めて挑発的な威嚇」だと思わないのか?――とんでもないお気楽な脳内補完
ビビッて火力訓練」だったのでしょうか? まあ、中学生くらいのメンタルだとそう見えるのでしょう(いたなぁ・・・懐かしい)が、いまの戦略的状況を大人の視点で確認すれば、この大規模砲撃演習こそ、「極めて挑発的な威嚇」なるものであると言える可能性もあります。すなわち、「我々は核実験を必ず実施する。仮にその時、米軍がシリアに行ったような、軍事施設に的を絞った『限定的』な攻撃をしようものなら、ソウルの街と在韓米軍基地はこうなるぞ!」と。周知のとおりソウル市や在韓米軍基地は、ミサイルではなく長距離砲で攻撃が可能です。

「4月25日核実験実施」という推測がいつの間にか既定スケジュールに脳内変換され、それが現実のものにならないと見るや、さらに脳内補完を強め、相手側の真意をまったく読み違える。自分たちの「推測」に過ぎないものが、いつの間にか「現実」のスケジュールに摩り替わっている・・・日本軍の戦略的敗北の過程――なぜかは分からないが連合国・連合軍の戦術・戦略を決めてかかり、それと異なる兆候を無視する――と瓜二つです。

■「インパール作戦の国」と「ゲリラがこしらえた国」との決定的差
仮に情勢が悪いとみて砲撃演習に切り替えたとすれば、これはキムジョンウン委員長には戦略を見極める眼があることの証左です。勝てる戦いしかしないが軍人であり戦略家。何が一番大切で何を達成しなければならないのかという優先順位が固まっていれば、情勢が悪いならば涙を呑んででも撤収するのは当然の選択です。

この点こそが、「インパール作戦の国」と「ゲリラがこしらえた国」との決定的差です。ますますハッキリしました。ゲリラは勝てる見込みのない状況では戦いません。勝てる見込みのない戦いについて「あれは戦うしかなかったのだ・・・」などと少し陶酔気味に語ったり、あるいは「絶望的な戦いで見事に散華した」などと言い換えるようなのは、朝鮮にとってはまったく関心のないことなのです。

■戦略的認識を誤り大失敗を犯しそうな「ミリオタ気取りの中学生」
「戦前の朝日新聞」どころか「ミリオタ気取りの中学生」のような調子では、戦略的認識を誤り大失敗を犯しそうです。しょうもない私情を優先させてインパール作戦を再現しかねない勢いです。しかし、きっとそうした悪手を「犠牲はつきものだ」や、甚だしくは「見事に散華した」などと言い換えるのでしょう。

■費用対効果の戦略思考
「犠牲はつきものだ」というコメントも今回の中学生みたいなコメント群のなかで何度か見かけました(自分自身が実際に犠牲者になり得るという現実はもちろん捨象しているのでしょう・・・自分の問題としてではなく評論家的に述べているに過ぎないと思われます)。このことについても少し考えておきたいと思います。

「犠牲はつきものだ」という見解自体は、評論家的立場から述べれば、その通りです。しかし、「インパール作戦の国」で易々とこういうセリフが出てくるのは戦略思考としてまずい。たとえばアメリカも「犠牲はつきものだ」と考えている国ですが、あらゆる手を尽くして犠牲を最小化しようと目指しています。「あらゆる手を尽くしてもなお、発生してしまう犠牲はやむなし」という立場であり、費用対効果を常に計算し尽くした上で戦略を考えています

しかし、最初から「そういうもんだ」と考えており、なおかつ、「散華」なる言葉で自己陶酔・自己満足に至ってしまう「インパール作戦の国」では、あらゆる手を尽くして犠牲を最小化しようとしないでしょう。しかし、目標というものは達成すればよいのではなく、最小の費用で達成させるものです。

■コトは体制の問題であり「キムジョンウンの首さえ狩れば問題は解決する」はずがない
国際関係の専門家・軍事評論家がこぞって可能性の低さを指摘している「斬首」についても述べておきたいと思います。「キムジョンウンの首さえ狩れば問題は解決する」といったコメントが割りと実しやかに語られています。

コトは個人の行動によるものではなく体制的に生まれたものであり、システムとして回っているというのが根本的に分かっていないようです。仮に「独裁者」と言われるほどの権力者であっても本当にすべてを一人でまわしているわけではないし、すべての利益を一人で独占しているわけでもありません。こんなのだから小手先の改革を標榜する政治家などに一喜一憂し、社会システム総体の変革に目が向かないんでしょうね。たとえば、仮に桜井誠氏が最高権力者になったところで、この国は何も変わりませんよ。

「幕末の志士」に焦点を当てた大河ドラマの悪影響でしょうか? あの手の作り話では、登場人物たちの「熱い思い」がそのまま直接的に時代を動かしたかのごとく書かれています。しかし、そんなものは「お手本のような観念論」というほかありません。

「熱い思い」が時代を切り開く上で作用することは私も否定しませんが、闇雲な熱意のゴリ押しで時代をコジ開けるように切り開いたわけではなく、その時代の社会体制・システムの「ツボ」を突いたからに他なりません。「熱い思い」と「冷静な状況判断」によって、社会システムの「ツボ」が突かれ、時代が変化したのです。主体としての人間の熱意と客体としての社会システムが相互作用的に反応し合って、結果的に社会が進化するのです。卑近な例でいえば、闇雲な思いだけでは大学には合格できず、過去問研究・出題方式研究を重ねて「○○大学合格の傾向と対策」を極めないとダメなのと同じ、闇雲な熱意だけでは第一志望には就職できず、企業研究を重ね、模擬面接を重ね、採用担当者の「ツボ」を突かないとダメなのと同じです。

観念論的世界観は心に響くものがあるので、あの手の作り話は「熱い思いが通じて歴史が動いた」といったような単純なストーリーを意図的に編成しているのでしょうが、その悪弊がこんなところにも出ているのかも知れません。

■危険千万な平和ボケっぷりが白日の下に
この1ヶ月弱の一連のニュースに対する「世論」は、あつめて分析する価値がありそうです。危険千万な平和ボケっぷり、観念論っぷりが白日の下に晒されました
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2017年04月24日

障害者就労施設が「ソ連の遺産」?笑――資本主義スウェーデンとの比較で完全に敗北

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170423-00000064-mai-eurp
>> <ロシア>視覚障害者の雇用守る 生き残ったソ連の遺産
毎日新聞 4/23(日) 20:41配信

 【モスクワ杉尾直哉】ロシアには、視覚障害者らに雇用の場を与えるために特別に設置された製造工場がある。「諸民族の平等」をうたった旧ソ連政府が、障害者を保護する政策を取っていたころの“遺産”だ。ソ連崩壊後の現在は、市場原理の厳しい競争にさらされているが、「障害者の自立」を維持するため、格闘しながら操業を続けている。

 モスクワ西部のクンツェボ地区。古びたレンガ造りの4階建てのビルは、電源コンセントやスイッチを生産する「エレクトロ」社の工場だ。主に視覚障害者の自立を目指して1959年に設置された。従業員260人のうち120人が障害者だ。


(中略)


 勤続3年の女性従業員レーナさん(36)は、かつては幼稚園の先生だったが、徐々に視力を失ったため解雇された。「ここでは安定した仕事ができてとてもうれしい」と言う。月給は日本円で約3万円程度だが、「視覚障害者にとって一番大切なのは、話をする仲間たちがいて、助け合える場があること」という。

 全ロシア盲人協会のウラジーミル・シプキン副総裁によると、ロシア全土では約7600人の視覚障害者がこうした企業で働いている。シプキン氏は「障害者向けの企業はソ連時代のたまものであり、世界でもユニークだ」と話す。

 91年のソ連崩壊後の経済混乱期には、ほかの企業と同様、困難を経験した。企業乗っ取りが横行した時代だったが、全露盲人協会が施設や敷地を維持し、生き残った。

 ロシア全土では視覚障害者は約21万人おり、うち10万人以上が仕事をしたくても雇用の場がないという。シプキン氏は「市場の競争も激しく、全員を雇うわけにはいかない」と話す。だが、政府やモスクワ市当局から支援を受け、工場設備の更新や雇用拡大に取り組んでいるという。

最終更新:4/24(月) 10:51
<<
障害者向けの企業はソ連時代のたまものであり、世界でもユニークだ」――ソ連時代に懐かしさを感じるロシア人が言っている分にはよいとは思いますが、毎日新聞がそれをそのままタレ流すのは如何なものでしょうか。ロシア革命から今年で100年。「ソ連は崩壊したが、ソビエトの理念はこうして生きているんです! 社会主義の再評価を!」というつもりで書いているなら、まずは「資本主義スウェーデン」における障害者就労を踏まえるべきです。ソ連は完敗、再評価の余地などまるでありませんよ。

以前にもご紹介した記憶がありますが、資本主義スウェーデンにおいては「サムハル」という国営企業が、障害者に対して就労機会を提供しています。形態としては「国営企業」ですが、国営企業にありがちな放漫経営とは無縁の厳しい数値目標が課された経営が要求されています。その一端は、「厳しい数値目標が国営企業を鍛えた “障害者集団”、スウェーデン・サムハルの驚愕(2)」に詳しいので、ぜひともご一読いただければと思います。

また、サムハル社は、単なる「障害者の権利の実現」ではありません。下記が端的なので引用しましょう。
http://www.prop.or.jp/global/samhall/20090119_01.html
>> 弱者を変えた冷徹な合理性
“障害者集団”、スウェーデン・サムハルの驚愕(3)


(中略)

ヒューマニズムだけが理由ではない

 なぜサムハルを作ろうと考えたのか――。漆黒の闇に包まれた夕刻。ゲハルトに尋ねると、彼は口を開いた。

 「1つは人間的な理由だ。障害者が他の人と同じように働く。そういう社会を実現することは、人間として大切なことだと思った」

 その当時、スウェーデンでは障害者を施設に隔離し、障害年金を支給していた。障害者は社会の外側にいるアウトサイダーだった。だが、障害者を社会の外に隔離する社会が健全であるはずがない。そう考えたゲハルトは、彼らを社会の一員とする仕組みを作ろうとした。

 社会に組み込むにはどうすればいいか。そのためには何より、健常者と同様に就労の機会を提供し、自立した生活を送ってもらう必要がある。では、仕事はどうやって作り出せばいいか。障害者の仕事を生み出す組織を作ればいい――。こうした一連の思考を経て、国が雇用の場を作り出すというサムハルの原型が生まれた。

 ただ、背景にある思想は、単純なヒューマニズムだけではなかった。早熟の天才はもう1つ別の視点を持っていた。それは、福祉コストの削減である。

 「障害年金モデルに疑問を感じていた」

 当時は障害者に現金を給付する障害年金が障害者福祉の中心だった。だが、障害年金をただ支給するよりも、障害者が働き、納税する方が全体のコストは下がるのではないか。彼らが働けば、その生産の分だけコストは減るのではないか――。ゲハルトはそう考えていた。

 人口900万人のスウェーデンは常に、労働力の確保に苦労してきた。19世紀後半には、貧しさのために国民の4分の1が移民するという辛い出来事も経験している。そういった過去があるため、スウェーデンには「働ける者は可能な限り働く」という意識が国民の間に強く浸透している。

 さらに、70年代に入ると、30年代から続く高福祉路線は曲がり角に差し掛かりつつあった。高い経済成長を背景に手厚い福祉を実践したが、オイルショック後の世界的な不況によって経済成長は鈍化。公的部門の肥大化が国家財政を圧迫していた。

 サムハルを作ろうとした背景にあるのは徹底した合理性。「労働人口を少しでも増やし、少しでも多く税金を徴収する」という冷徹な計算もあった。


(以下略) <<
「厳しい数値目標」と並んで、ヒューマニズムだけが理由ではない」という制度設計者の告白は、ソ連に郷愁を感じるような化石的左翼にとっては、火病を起こして卒倒するような「邪」な動機でありましょう。

社会主義ソビエトは「階級闘争」の名の下、優秀な人材を追放・抹殺し、促成栽培的に育成した素人連中に重要な経済的権限を与えた結果、とんでもない放漫経営を横行させ、ついに破滅を迎えました。うまくいく根拠などどこにもないのにも関わらず、国民の「ヒューマニズム」を前提とした甘っちょろい制度設計のあげく、「福祉ぶら下がり」を大規模に横行させました。いまどきソ連をお手本にしようという国などありません。

他方、資本主義スウェーデンは、「国民の家」構想の下、緻密な制度設計で階級間利害関係を調整しつつ、さまざまな立場・利益関係・境遇の人々を糾合し、効率的な福祉国家を経営してきました。90年代初頭の経済危機に際しては、「経済的には規制緩和を推進しつつも、福祉の給付水準は維持する」という大胆な改革を推進しました。「思想的純潔性」にこだわることもなく、障碍者に対する雇用機会の提供の動機について「ヒューマニズムだけが理由ではない」と素直に述べて憚りません。そして、なによりも、いまもなお生き延びています。「規制緩和と社会政策の両立」という意味で新しい試みを展開している点において、いまもなお、福祉国家のひとつのモデルになっています。

とっくの昔に大破滅を迎えた社会主義ソビエト、いまもなお手本として名高い資本主義スウェーデン・・・ロシア革命から100年、ソ連崩壊から26年。そろそろ諦めて成仏しましょうよ。
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2017年04月23日

「悪口には耐性がある共産党」??

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170423-00010000-senkyocom-pol
>> 「悪口には耐性があるんです」ネットの先駆者・共産党の考える動画メディアとは?

選挙ドットコム 4/23(日) 8:00配信


(中略)

共産党は正直、昔から「反共口撃」にさらされてきたので、悪口には、慣れているんです(笑)。ですから、今更ネットで何を言われても別に構わない。そういう人も含めて接近していこう、働きかけようという思いでやっています。

(以下略) <<
たしかに「今更ネットで何を言われても別に構わない」という態度はその通りかもしれません。というのも、彼らの自己定義は「科学の体現者」であり、自分たち以外は「科学的啓蒙の対象」。所謂「上から目線」という意味で、この言葉は共産党員の態度そのものです。

しかし、当ブログでも繰り返し指摘している通り、二周以上遅れている「素朴な科学主義」の世界観からまったく進歩していないために、共産党員の主張や共産党の政策を少し掘り下げるだけで直ちにボロがでてくるものです。

たとえば福祉。福祉といえば共産党の専売特許といわんばかりの勢いですが、福祉国家として世界的に著名なスウェーデンを筆頭とする北欧諸国は、共産党の主張の正反対を成功裏に前進しています。そしてこのような、共産党の政策の核心部分を真っ向から否定するような事実を突きつけられると、彼らはかなり高い確率で「支配層の情報操作に洗脳されている」などと根拠もなく中傷(参考図書の出版社にケチつけてくることもありましたね・・・商業出版社なんて売れる本なら筆者の立場なんて如何でもいいのに)したり、あるいは自分たちから吹っかけた論争なのに一方的に議論を打ち切ったりしてきます。

このことは、かつて私自身が共産党員たちと親しく付き合った経験からも、そしてその後共産党員たちと直接対峙するようになってからも経験(もともと私はチュチェ思想派なので、マルクス主義共産党とは軌を一にしているわけではなかったものの、敵というわけでもないので、「一点共闘」の立場で是々非々の協調をしていたのですが、主流派の共産党員たちが異論派をムラ社会的な陰湿さを以ってイジメ倒す様子を見て、私は義憤を感じ、「この一点を以って絶対に協調できない!」と決意し、反日本共産党の立場を取るようになりました。その後、社会・政治・経済・歴史を学び考察してゆくなかで、そうした個人的経験とは別経路で日本共産党の主張にはますます賛同できなくなって行き、今日に至ります)からも言えるし、最近でも共産党員が管理しているあちこちのツイッターやフェイスブックでのやり取りを見てもいえることです。

そういう人も含めて接近していこう、働きかけようという思い」とは一体どの口が言っているんでしょうか。あくまで「上から目線」でそう言っているに過ぎないんでしょう。
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2017年04月21日

「一代限りの生前退位特例法」から見える漸進主義としての保守主義

http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS21H6S_R20C17A4000000/
>>天皇退位、有識者会議が最終報告 呼称「上皇」に
2017/4/21 18:49

 天皇陛下の退位に関する政府の有識者会議(座長・今井敬経団連名誉会長)は21日、退位後の天皇の呼称を「上皇」とするなど退位の制度設計を柱とする最終報告をまとめた。天皇陛下の退位を一代限りで認める特例法案の制定を国会が提言したのが前提にある。現憲法に規定のない天皇退位が実現する。

 安倍晋三首相は会議で「国家の基本の問題であると共に、長い歴史とこれからの未来にとって重い課題だ。退位を実現するための法案を速やかに国会に提出したい」と述べた。


(以下略)<<
■天皇退位問題を巡る諸立場
天皇退位問題について当ブログではまったく論じてきませんでしたが、「保守主義とは何であるか」という切り口から注視していました。

天皇退位問題を巡っては、「恒久法制定」を主張する言説が「世論一般」といってもよいくらいの勢力をもっていました。それに対して、巷では「保守」と呼ばれる人々が「退位を巡る歴史的経緯」や「皇室制度の安定性」を理由に、恒久法化に反対したり、あるいは、そもそも退位を認めること自体に反対するといった言説を展開していました。非保守派の意見が概ね一致していた一方で、保守派界隈の意見が必ずしも一致していなかったのが特徴的な事態でした。

■3種類の保守
「保守派」と呼ばれる人たちには、私は3種類あると考えています。ひとつ目が、「伝統的な思考・行動様式そのものに価値を感じる人たち」であり、「守旧派」といってもよいかもしれません。森友学園の籠池氏などはまさにこんなタイプでしょう。この手の守旧派からは、ふるい価値観に心酔し現代的価値観を唾棄するあまり、「伝統を回復するための革命」という語義的には矛盾したプランを展開するような連中も現れることもあります(なお、こうした守旧派の問題は、突き詰めれば「好き嫌い」の問題なので、本稿では基本的に取り上げないことにします)。

2つ目が「伝統的な思考・行動様式は、幾世代にもわたって『検証』を受けてきたものであるから、浅知恵・思いつきで変更すれば予想外の事態をもたらしかねないと考える人たち」です。近代の科学主義・理性至上主義にたいする懐疑主義的立場の人たちです。

3つ目が、懐疑主義者とは似て非なる漸進主義者です。私はこの立場なので、後に詳述します。

■保守派が抱いている懸念
「世論一般」の感性に言わせれば、保守派の言説は、「たしかに昔は退位をめぐって政治が混乱し、皇室制度が揺らいだこともあっただろうが、象徴天皇の時代でそんなことは考えられないから、恒久的な制度化を行っても大丈夫だろう」といったところなのでしょう。しかし、そうした「大丈夫だろう」という「予測」こそが、保守派に言わせれば「甘い」ということになるのです。「いったいどれほど正確・精密な「予測」を以って恒久的制度化を口にしているのか」「『大丈夫』といって大見得を切っておいて、なにかあったら如何するつもりなんだ」というのが、保守派の懸念の根底にあるのです。

人類の歴史を振り返ると、「大丈夫」といって大見得を切っておいて、全然大丈夫ではなかった実例は幾らでもあります。「近代革命」以降の「科学技術」に立脚した大規模な自然改造、社会革命が、偉大な成果を挙げつつも、他方で予想外の破滅的損害を生み、この地球上には既に居住はおろか近づくことさえ危険なエリアが幾つもできてしまっています。大自然の複雑で繊細なシステムの前では、人間の「科学」や「理性」など、どんなに頑張っても浅知恵・思いつきの域を超えないのではないかという懸念が、様々な証拠・実例から突きつけられている昨今においては、理性に対する懐疑主義的な意味での保守主義の説得力は年々増していると思います。

■決め手に欠ける懐疑主義的保守主義
他方で、「理性に対する懐疑主義は、要は『心配のしすぎ』に過ぎない」という再反論にも説得力があります。そもそも、理性に対する懐疑主義者といえども、論理的推論や科学技術をまったく信用していないわけではありません。要するに「程度の問題」ですが、具体的な「線引き」を考えようとすると、理性に対する懐疑主義者の立場は、なかなか説得力のある主張を展開できないものです。結局、懐疑主義は「想定外に備えろ」なのだから、スマートな主張になりにくいのは宿命的。「慎重を超えて臆病」という謗りを免れえなくなるものです。今回の天皇退位問題についても、「退位を巡る歴史的混乱の繰り返しを防ぐ」という懐疑主義的保守主義の立場は、具体的な危険性をズバリと言い当てるものではないので、決め手に欠けるといわざるをえませんでした。

■懐疑主義的保守主義を乗り越える漸進主義的保守主義の核心
漸進主義的保守主義は、懐疑主義的保守主義が持つ問題点を乗り越えます。「少しずつ前進し、問題があったら直ちにロールバックする」という方法論は、論理的推論や科学技術に対する過度な慎重姿勢を排して新しい挑戦に取り組みつつも、万が一に予想外の事態が発生したとしても、直ちにロールバックが可能な範囲内での実施に敢えて留めることによって取り返しのつかない事態にも至らないようにもすることができる「よいとこ取り」なのであります。

直ちにロールバックが可能な範囲内での実施を積み重ねてゆく方法論は、理性主義にもとづく方法論――いわゆる「急進主義」もその一種です――に比べて所要時間は少しばかり長くはなりますが、「急がば回れ」というように、安全性・確実性はより高まるものと思われます。「こまめなPDCAサイクルの実施を主軸とする方法論」などと平たく言い換えてもよいかも知れません。

■漸進主義的に仕上がった特例法
私自身は皇室制度自体にはあまり強い思い入れや関心はないのですが、物事の思考法・制度変革の方法論として、漸進主義の立場に立っている関係上、「天皇陛下の退位を一代限りで認める特例法案の制定」という結論は、よかったのではないかと思っています。「天皇陛下の退位を認める」という意味では画期的な結論ですが、他方で、「一代限りで認める特例法」という手続きの面では、一定の慎重さをも持っています。そして、次世代以降の天皇が退位を希望したときには今回の決定を前例として参考として踏まえつつ改めて検討しなおすという方向性は、一世代の思慮・思考だけで恒久的な制度を固めてしまうのではなく、数世代に渡って実験・実践を続けてそれを積み重ねてゆくという方向性です。これこそまさに漸進主義としての保守主義の思想が表れた制度設計であると言えるでしょう。

拙速なる恒久的制度化、臆病の域にさえ達している懐疑主義的保守主義の反対論、論ずる価値も無い守旧派・・・これらアクのつよい言説を退け、妥当な線にまとめあげることができたと思います。
ラベル:保守 社会
posted by s19171107 at 21:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする