2016年12月25日

労働者の関心事に答えず、ブラック企業の利益を無意識に実現させる労組活動家

(12/25 一部21:25追記)労組界隈も年末は書き入れ時なんでしょうか? 既定路線に当てはめようとしていつも通りの欠陥が見られます。以下で論じます。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/konnoharuki/20161225-00065868/
>> クリスマスケーキの自腹購入の強要、どう対処すればいいの?
今野晴貴 | NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。
12/25(日) 12:51

昨日から、私が代表を務めるNPO法人POSSEには、「クリスマスケーキ」の販売ノルマやペナルティに関する相談が多数寄せられている。

「クリスマスケーキの販売ノルマを達成できなければ自腹で購入するように言われている」

「ケーキのノルマを達成できない場合、罰としてタダ働きでトイレ掃除をさせられる」

これらは昨日寄せられた相談だ。ケーキ屋やコンビニなどに勤める学生アルバイターからの相談が特に多い。

売れ残ったケーキの自腹購入の強要の被害は、今日ピークを迎えるだろう。また、年末年始には、おせち料理や年賀はがきの自腹購入の強要の被害が例年多発する。

そこで、以下では、不当なノルマや自腹購入強制の被害を少しでも減らすために、法的論点と対処法を考えていきたい。


(中略)

どのような対処法があるのか?

ここまでは法律上の論点を整理してきた。だが、違法だとわかっていても、アルバイトが経営者を正すことは簡単ではない。そこで、違法行為への対処法を次に紹介しよう。対処法の基本は、専門機関への相談という形をとる。それぞれの相談機関の管轄や特徴を押さえることが大切だ。

労働基準監督署への申告

労働基準監督署は、労働基準法違反等の取り締まりや行政指導を行う機関だ。ペナルティの一部には労働基準法に違反するものもあるが、ノルマやペナルティの多くは、民事的な問題であり、労働基準監督署の管轄外となってしまう。残念ながら、労働基準監督署では自腹購入の強要には太刀打ちできないだろう。

労働審判の申し立て

近年労使紛争が増加していることをうけて、労働審判という労働事件専門の司法制度が作られている。通常の裁判に比べると、大幅に解決までの時間が短縮されている(制度の詳細は裁判所のHPを参照してほしい。)。

だが、それでも司法制度の利用のハードルは低いとは言えない。解決まで通常半年程度の時間を要し、弁護士を雇うコストも当然かかってくる。逆に、高額な商品を買わされた場合や継続的に自腹購入を強要される場合には、労働審判の申し立てを検討したらよいだろう。

ユニオン(労働組合)で会社と話し合い

ノルマや自腹購入の強要といった問題の改善を目指すならば、ユニオン(個人加盟の労働組合)に相談することが有効だ。ユニオンが会社に話し合い(団体交渉という)を申し込んだ場合、会社は応じなければならないとされている。だから、受けた被害が法律上グレーの場合でも、話し合いによって改善する道が開かれているのだ。

また、ユニオンに加入して会社と交渉する場合、職場や会社全体の改善を求めることができるというメリットもある。自分と同じ被害を受けている人が他にもいるならば、ユニオンでの交渉をお勧めしたい。

簡単にいえば、アルバイトの法律問題は、金額が少額であるためなかなか裁判や労働審判になじまない。また、今回問題になっているノルマに関しては、労基署も有効に動きにくい。

このことから、ユニオンでの団体交渉が最善の方法になるというわけだ。幸いにも、ここ数年で各地に学生アルバイトの団体が立ち上がっている。有名なところでは、大学生や大学院生が中心となって運営し、首都圏や仙台市などを拠点として活動している「ブラックバイトユニオン」がある(末尾の相談窓口情報を参照)。

(中略)

クリスマス、お正月をたのしく迎えるために

解決事例からも分かるように、ノルマ問題を解決するために大事なことは、「証拠を残すこと」と、「専門機関への相談」に尽きる。

クリスマスから年末年始は、アルバイターにとっては、厳しい時期だ。クリスマスケーキを乗り越えても、その先におせち料理や年賀はがきが待っている。

だが、この記事を読んでくれた方には、ぜひ不当なノルマやペナルティに屈するのではなく、それらを改善させることで、良い年を迎えてほしいと思う。

すでに紹介した「ブラックバイトユニオン」の労働相談窓口は、クリスマスや年末年始も労働相談に対応している。ぜひ活用してほしい。


(以下略) <<
今野氏は例によって「ぜひ不当なノルマやペナルティに屈するのではなく、それらを改善させることで、良い年を迎えてほしい」という「価値観」の下、「労基署への申告」「労働審判の活用」「労組の活用」の3つをメニューとして提示しています。

■ムラ社会で波風立てた人の居心地という重大関心事
今野氏の提案を受け入れて、例の3つの方法論を推進したとしましょう。相手はブラック企業、改心するはずがありません。法的には問題ないものの、「居心地悪い雰囲気」を作ってくることでしょう。日本の職場環境は、いわば「ムラ社会」です。法的闘争を勧めている労組関係者たちは、そうした「ムラ社会で波風立てた人の居心地」にも責任をもってくれるのでしょうか? 

「権利を主張して何が悪い!」「元はといえば店側が不当じゃないか!」といった調子ばかり。いまだかつて労組関係者から、標準的日本人の感性に沿った説明を受けたことがありません。しかし、それこそが従業員たちにとって最も気になるところです。商品の「お買い上げ」がおかしいと言うのは、わざわざ「ご指導」頂かなくても、みんな「あれっ?」「いやだなあ」と思っていますよ。でも、波風立てたくないから黙っているものです。

■アルバイターは戦うよりも辞めたほうが早い
チュチェ103(2014)年8月3日づけ「「ブラックバイトユニオン」は逆効果――やればやるほど資本家への依存を高める」やチュチェ104(2015)年9月23日づけ「「ブラックバイト」の域を超えているのに「団体交渉」を申し込むブラックバイトユニオンの愚」においても述べたように、そもそも、アルバイトという就業形態は、正規労働者ほどは勤め先に対して依存しておらず、辞めても次の勤め先が正規雇用よりは見つけ易いという長所があります。それゆえ、アルバイターは退職した場合でも生活への影響が限定的であり、それゆえに比較的辞め易いと言えます。辞めることが可能であれば、辞めてしまったほうがよいでしょう。該当部分を再掲します。
http://rsmp.seesaa.net/article/426582325.html
>> 本来、「アルバイト」という雇用形態は、正規労働者ほどは勤め先に対して依存していません。辞めても次の勤め先が正規雇用よりは見つけ易いために生活への影響が限定的であり、それゆえに比較的辞め易いと言えます。従って、さっさと辞めて次のアルバイト先を探し、そこに全力投球したほうが「生活費を稼ぐ」という意味では得策です。しかし、ユニオンに言われるがままに団体交渉を闘いブラック企業の「改心」に期待しようものなら、貴重な生活時間の少なくない部分は闘争に傾けることになります。その分、生活費を稼ぐ時間は削られます。(中略)時間の経過とともに、そのバイト代は自分自身の生活費の不可欠な一部に組み込まれてゆき、他方で、疲労の蓄積によって「次のアルバイト探し」が困難になってゆくことでしょう。愚かにもブラック企業の「改心」などに期待したアルバイターは、こうしてさらに辞めるに辞められなくなってしまうことでしょう。 <<

■「要求実現」の長期的逆効果
仮に労組運動の結果、要求が受け入れられたとしましょう。単純な労組関係者は「要求が実現されました!」「戦えば勝てるんです!」などと大はしゃぎすることでしょう。しかし、相手はブラック企業。本心から改心するはずがなく、「巻き返し」を虎視眈々と狙っています

労働者(アルバイターを含む)が企業側に要求を呑ませるということは、換言すれば、企業側と「利益・運命共同体」としての結びつきを強めることを意味します。虎視眈々と巻き返しを狙っているブラック企業側は、いったん獲得した「要求の成果」を労働者が自らの生活の不可欠な一部に組み込んだタイミングで、足許を見てくることでしょう。あるいは、著しい景気後退などにより労働者側のパワーが弱まったタイミングで「回収」を試みることでしょう。チュチェ104(2015)年10月8日づけ「「日本の労働組合活動の復権は始まっている」のか?――労組活動は労働者階級の立場を逆に弱め得る」を筆頭に以前から指摘しているように、労働者が真の意味で自主的になるためには、足許を見られないために特定の勤め先に対する依存度を下げることが必要です。にも関わらず、むしろ団体交渉を通して店側と強く結ばれてしまうのです。要求実現型の従来型労働運動は、労働者の自主化にとって逆効果になり得るのです(戦闘的組合の御用組合化はその典型例と言えるでしょうね)。

長いですが、重要なので再掲します。
http://rsmp.seesaa.net/article/427429066.html
>> 労働者が真の意味で自主的になるためには、企業側に足許を見られないために特定の勤め先に対する依存度を下げることが必要です。なぜ電力会社が一般電力消費者に対して殿様商売ができる(できていた)のかといえば、他に売り手がいないからです。なぜ、自動車メーカーが下請け工場の部品をふざけた値段にまで値切ることができるのかといえば、他に買い手がいないからです。他に売り手/買い手相手が居ないとき、買い手/売り手は、売り手/買い手に対して依存的立場・弱い立場に置かれます。(中略)独占市場の基本原理です。

(中略)労働者が「できればその企業で勤め続けたい」という願いを前提として団体交渉に臨んでいる限り、最終的には企業側の掌の上に居続けます。企業は需要独占者の立場に居続けます。ミクロ経済学における「価格弾力性」を思い浮かべてください。ミクロ経済学によれば、需要者に対して供給者の価格弾力性が硬直的であった場合、たとえそれがマーシャリアン・クロスが成り立つ非独占・非寡占の市場であっても、取引の主導権は需要者側にあるといいます。(中略)これはすなわち、こうした前提で臨む限り、団体交渉における労働者の立場は弱いということを示します。

■代替財の存在こそが依存度を下げる――辞職・転職カードが重要
価格弾力性の決定要因は代替財の存在の有無です。代替財があればその商品にこだわる必要は無いので、価格弾力性は弾力的になります。代替財がなければ何としてでも取引を成立させなければならないので、価格弾力性は硬直的になります。

ミクロ経済学的考察に基づけば、労働者の立場と為すべきことも見えてくるでしょう。真に交渉力を持つためには、「辞めるよ?」という脅しが必要なのです。「辞めるよ?」と言える立場は、代替財を確保している立場です。「辞めるよ?」と言えない立場で、団体交渉等によって企業側から「譲歩」を勝ち取りその利権を自らの生活に組み込むことは、特定の勤め先に対する依存度を上げることに繋がります。労働者階級が自主的であるためには、労働需要者としての企業を競争的な立場にしなければならないのに、「辞めるよ?」と言えない立場で、団体交渉等に臨むというのは、労働者階級自らが企業の「労働需要独占者」としての地位をさらに強化させていると言っても過言ではありません。自分から労働市場を独占化させてどうするんですか。
<<

■合理的アルバイターは、自発的に戦おうとしないだろう
もっとも、人手不足の昨今ですから、少なくない合理的なアルバイターは、面倒な「戦い」に身を投じるよりも、自発的にスパッ辞めてしまう人のほうが多いのではないかと思います。学生アルバイターの場合は特にそうでしょう。これは以前にも述べています。
http://rsmp.seesaa.net/article/403098330.html
>> つまり、学生は企業に対して依存度が低く、わざわざ労組で階級闘争に身を投じる人・投じざるを得ない人よりも、スパッと辞めてしまう人・辞めることができる人の方が多いので、運動としての広まりはブラック企業問題ほどは広まらないと考えられるのです。あらゆる場面においてもそうですが、「広まらない」というのは労働運動において特に大きな意味を持っています。 <<

■「社会的悪評」を立てず、コッソリと当事者間で収拾させる労使交渉は、ブラック企業にとって有難いことこの上なし
さらにいえば、今回今野氏が提案している3つの方法論はすべて「当事者間という狭い範囲でコッソリと紛争を収拾する」という方法論です。ブラック企業としては有難いことこの上ないでしょう。

競争的市場経済において商売人が最も恐れるのは、自社にたいする悪評です。自社に対する悪評の前には、どんなブラック企業でも対応を講じるようになるものです。チュチェ103(2014)年10月3日づけ「最後の決定的な部分は下から積み上げてゆくこと」でも述べたように、あの「すき家」のブラック労務が改善された決定打は、「アルバイト従業員たちの大量退職連鎖」であり、それが社会的に大きく報じられた結果としての「新規バイト応募者の激減」でした。今野氏が提案するような方法論では、店側の悪評が立ちません。これでは、何も知らない「産業予備軍」たちが次々と応募してしまい、結果として、決起したアルバイターに対しては「あっそ、代わりはいるから、じゃあ明日から来なくていいよ」という扱いになることでしょう。それに対して、店側の悪評が十分に立ち得る状態で辞めれば、その退職行為自体が悪評の根拠になり、じわじわと店側を締め上げることができるでしょう。「すき家」のケースだって、会社側は初めのうちは「どーぞ、明日から来なくて結構!」とタカを括っていたのでしょうが、悪評が社会全体に広がって行った結果、あるときから「やばっ」と危機感を持つに至り、ついに労務改革に取り組んだのでした。「ワタミ」もそうだと言えるでしょう。

「辞める」というインパクトある対応を一人ひとりが積み重ねることによって、労働市場に悪評を立てること――これが競争的市場経済における強力な方法論です。

■まとめ
今野氏は「ぜひ不当なノルマやペナルティに屈するのではなく、それらを改善させることで、良い年を迎えてほしい」などとしますが、上述をまとめると、
1.働き続けたいので、「ムラ社会」としての職場で人間関係に波風立てたくない人は、そもそも戦わない。
2.今の人間関係などもう如何でも良いと思っている人は辞めるので、そもそも戦わない。
3.所詮アルバイト、所詮ケーキ数個程度だから、面倒なことをするまでもない。
4.「要求実現」は、企業側との結びつきを強めるので、労働者の自主化という意味では逆効果。
5.退職者が大量に発生するということは企業にとって著しい悪評。新規採用に響きかねなので、一番効く。
ということなのです。

■労組は何をなすべきか
こうした、無理に闘争するのではなく辞めることを中心に据えた方法論における労組の立場・役割については、以下の過去ログで積極的に論じています。あわせてご参照いただければと思います。
チュチェ103(2014)年8月31日づけ「ユニオンが転職支援する大きな意味――「鉄の団結」は必要ない
チュチェ104(2015)年10月15日づけ「周囲の助けを借りつつ「嫌だから辞める」「無理だから辞める」べき
チュチェ105(2016)年12月16日づけ「自主的かつスマートなブラック企業訴訟の実績――辞めた上で法的責任を問う方法論
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2016年12月23日

エイベックス松浦社長が意図せずに提示している「強力な労働自主化運動への道」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161223-00000004-spnannex-ent
>> 労基署勧告にエイベックス社長が疑問「今の働き方を無視する様」
スポニチアネックス 12/23(金) 5:40配信

 エイベックスの松浦勝人社長が22日、自身のブログを更新し、社員に違法な長時間労働をさせていたとして、三田労働基準監督署(東京都港区)から今月9日付で是正勧告を受けたことについて、「今の働き方を無視する様な取り締まりを行っていると言わざるを得ない」と批判し、「法律が現状と全く合っていないのではないか」と疑問を投げかけた。

 勧告を受けたこと自体は「現時点の決まりだからもちろん真摯(しんし)に受け止め対応はしている」とコメント。その上で、「好きで仕事をやっている人に対しての労働時間だけの抑制は絶対に望まない」とし「僕らの業界はそういう人の“夢中”から世の中を感動させるものが生まれる」と理解を求めた。

最終更新:12/23(金) 9:25
<<
■意図せずに強力な労働自主化運動への道を提示する松浦社長
一見して、企業の社員酷使を正当化する言説以外の何者でもないように見えますが、この論点は、「自主権の問題としての労働問題」というテーマを掲げ、勤労大衆・労働者階級の立場から主張してきた私の主張とも通底する部分があります。一人ひとりの生身の人間の事情を、事前に法律が網羅的に規定することなどできず、それゆえ、法の規制よりも、一人ひとりの労働者が自分自身の労働環境を自主的に決定できるように労使交渉を推進し、労働自主化運動を展開してゆくこそが主軸とされるべき時代になりつつあるのです。もちろん、松浦社長は、そこまで深く考えてはおらず、単に利潤目当てに労働法制を緩和するベクトルでモノを言っているのでしょうが、意図せずに強力な労働自主化運動への道を提示していると言えます。以下で述べます。

■一律の法的解決・マクロ的対応には本質的限界とは何か
法的規制の限界を勤労大衆の立場から述べましょう。チュチェ104(2015)年6月15日づけ「「自主権の問題としての労働問題」と「法的解決」の相性」をはじめとして以前から指摘しているように、労働者個人個人が抱えている事情は千差万別ですから、ある種の「社会的基準」にもとづく、一律の法的解決・マクロ的対応には本質的に限界があります。一人ひとりの生身の人間の事情を、事前に法律が網羅的に想定・規定することは不可能です。

たとえば昨今は勤務間インターバル制度が取り沙汰されています。仮に法が12時間のインターバルを義務化したとしましょう。しかし、ある人物にとっては、体質的問題からそれでは不足であるというケースも十分にありえます。そうした場合、その人物を守るためには「12時間のインターバル」という法的規制は役に立ちません。個別の労使交渉が必要になります。しかし、おそらく企業側は「法の基準は十分に守っているし、普通12時間もあれば十分じゃないか」などと、まずは応じることでしょう。このように、「社会的基準」によっては保護され得ない厳しい個別事情を持った個人は、一律の法的規制に頼りきりの制度においては、依って立つ所はありません。これは、一律の法的解決の「力不足」という意味での限界として位置づけることができます。労使交渉の推進をサポートする仕組みこそが真に必要なものであると言えます。

他方、一人ひとりの生身の人間の事情を、事前に法律が網羅的に想定・規定することなどできないという基本原理に照らせば、松浦社長が言う「好きで仕事をやっている人」というケースは、一律の法的解決の「不必要な過保護」という意味での限界として理解することができるでしょう。やはり、労使交渉による決定が望ましいと言えるでしょう。

■労働市場を活用するタイプの労使交渉
一人ひとりの生身の人間の事情を、事前に法律が網羅的に想定・規定することなどできない――その点において、私は以前より、従来の左翼的な要求実現型労組運動ではなく、労働市場を活用するタイプの労使交渉――「勤務環境が改善されないなら辞めます」――を主軸に据えた労働運動の重要性を指摘してきました。

12月5日づけ「小うるさい「職人」と棲み分けできる市場経済で本当に良かった!」など、繰り返し述べてきたように、自由な市場経済の真の効用は、自由契約であるがゆえに、「棲み分け」ができる点にあります。「棲み分け」ゆえに似たような価値観をもつ人たち同士での経済活動に特化が可能です。同時に、「棲み分け」ゆえに、極端な「俺様正義」を押し通そうとすれば、自分自身が競争淘汰される恐れがあるので、ある程度の「社会的枠内」に留めるインセンティブが発生します。

事実、「ワタミ」や「すき家」などは、極端な「俺様正義」(とくに渡邉美樹氏の珍妙なる哲学・・・)のために労働市場から淘汰されそうになり、あわてて労務改革に取り組んだ実例であったことは、チュチェ104(2015)年10月8日づけ「「日本の労働組合活動の復権は始まっている」のか?――労組活動は労働者階級の立場を逆に弱め得る」で述べたとおりです(あれだけワタミ労組が頑張って要求運動を展開してきたのに、実際に会社側を動かしたのは、労働市場を活用する「勤務環境が改善されないなら辞めます」路線だったのです)。

また、本年10月10日づけ「秋山木工の徒弟制度――言いたいことは分かるが洗練されていない」においても述べたように、珍妙なる「働き方哲学」に洗脳を受けてしまい、それを当然だと思い込んでしまっている労働者のケースについても、いや、そうしたケースだからこそ、「辞める」ことを主軸に据えた作戦が必要です。

なお、従来の左翼的な要求実現型労組運動の立場を取らない理由については、チュチェ104(2015)年10月8日づけ「「日本の労働組合活動の復権は始まっている」のか?――労組活動は労働者階級の立場を逆に弱め得る」や本年12月16日づけ「自主的かつスマートなブラック企業訴訟の実績――辞めた上で法的責任を問う方法論」などで述べました。簡単に言うと、要求運動は、自主化にとって逆効果になるのです。

■社員たちの労働自主化運動の展開を容認する寛容さを求めたい
好きで仕事をやっている人に対しての労働時間だけの抑制は絶対に望まない」などと社員の声を「代弁」している松浦社長には、ご自身の主張の筋を通すという意味で、一人ひとりの社員が自分自身の労働環境を自主的に決定できるような環境整備、具体的には、社内の風通しをよくし、上下関係を威圧を排し、勤務環境に関する労使間の率直な意見交換を可能とする土壌を創り上げ、社員たちの労働自主化運動の展開を容認する寛容さを求めたいものです。

もし、松浦社長がそうした寛容政策を取ろうとしなかったり、あるいは、寛容政策をとった結果、社員から労務管理に対する反発の声が表明されるようになったとしたら、チュチェ102(2013)年6月3日づけ「ワタミは「ブラック」というより「急進左翼」」や本年10月11日づけ「長谷川秀夫教授はワタミと同じレベルの「急進左翼」――「時代」ではなく「その人自身」」で述べたのと同じ視点から、松浦社長がワタミの渡邉氏と同じレベルの「急進左翼」であり、エイベックスは「ブラック企業」ではなく「左翼結社」に他ならないということになるでしょう。所業は資本家でも思考回路が空想的左翼なのです。
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2016年12月19日

安易なブラック批判――勤労大衆の利益の立場だからこそ慎重になるべき

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20161218-00000037-nnn-soci
>> 熊本市役所で火事「り災証明」データは無事
日本テレビ系(NNN) 12/18(日) 21:05配信

 18日未明、熊本市役所で火事があった。けが人はいなかった。

 18日午前3時40分ごろ、熊本市中央区の熊本市役所で火事があり、書類やパソコンなど約300平方メートルが燃えた。当時、この階に女性職員がいたが、逃げ出して無事だった。

 火事があったのは10階の健康福祉政策課で、熊本地震のり災証明のデータは無事だという。


(以下略) <<
■安易なブラック批判と言わざるを得ない
コメ欄をみると、「日曜日の午前3時に職場にいるだなんてブラックだ!!!」というコメントが溢れています(今回は引用は省略します)。あまりにも短い、それも本筋は火災ニュースであるにもかかわらず、そこまで論じることが出来る「素材」なのでしょうか?

■宿直勤務の可能性
自主権の問題としての労働問題勤労大衆の立場から論じてきた私ですが、この世論の反応は、短絡的であると言わざるを得ません。世間一般では知られていないのかもしれませんが、公務員は事務職であっても宿直勤務があるので、このような短い記事で報じられている事実の範囲だけでは、一概に「ブラック」とはいえません

■その人自身にとって十分な代休・振休が付与されているか検討されていない
また、純粋に時間外労働だったとしても、「日曜日の午前3時に職場にいる」というだけではブラックとは言えないでしょう。その時間外勤務に対して、その人自身の生活において十分な代休・振休が付与されていれば電通パワハラ・過労自殺問題の記事でも述べたように、その人自身基準というのが大切です)、それは「ブラック」とは言えません。何を以って「ブラックか否か」というべきかは、実はこれだけブラック企業・労務問題が世間のクローズアップを受けているにも関わらず、意外と共通認識が定着していません。「自主権の問題としての労働問題」というテーマを掲げている私としては、世間一般の認識とは少し違うかもしれませんが、「当人の生活の全方位にわたるバランスが取れているか否か」という切り口から「ブラックか否か」を議論したいと考えています。

もちろん、秋山木工の件においても述べたように、あまりにも社会通念から逸脱しているケースにおいては、「当人」というファクターだけで論ずることは不適当です。しかし、今回の熊本市役所のケースでは、そこまで論ずることは情報不足のため不可能です。敢えて一般論、そして私自身の体験談いえば、「休日深夜勤務ないに越した事はない(だって疲れるじゃん)が、まあ人生の1ページかもね」といったところです。

■元はといえば公務員バッシングのせいではないのか
この記事だけではなんとも言えませんが、仮に、慎重に実態なる調査を行った結果、ブラックという他なかったとしましょう。となると、今度は「役所がブラック化した原因は何処にあるのか」という問題に関心が移ります。

結論を言えば、かつて一世を風靡した安直な公務員バッシングのせいではないかでしょうか。一握りのキャリア官僚の「厚遇」を以ってノンキャリアから地方公務員まで十把一絡げに「公務員」とグルーピングして論じた風潮、出先機関の定年間際職員を以って霞ヶ関、都道府県庁、政令市市役所等の不夜城部署を論じた風潮、そうした雑な言論がもたらした悪影響は計り知れないでしょう。同時期に叩かれていた「学校の先生」の件を見ても、「モンスター・ペアレント」を増長する一助になっていました。相関はありそうです。いま慌てて「教員の負担軽減・待遇改善」キャンペーンを張っていますが、いちど肥大化したモンスターはなかなか退治される気配はありません。公務員はまだキャンペーンさえ張られていません。まだまだ「役所のブラック化」は留まらないことでしょう。

自分たちの雑なコメントが、役所のブラック化をもたらしたのではないか――そうした自省のもとに投稿されたコメントだったのでしょうか。疑わしいと言わざるを得ません。

■安易なブラック批判の何が悪いのか
先にも述べたように、私は「自主権の問題としての労働問題」というテーマを掲げ、勤労大衆の大衆の立場からその自主化を論じてきました。その意味では、昨今のブラック企業に対する世論の盛り上がりは良い傾向だと考えています。むしろ、「まだまだ足りない」といっても良いでしょう。

しかし、過剰なブラック企業批判は戒めるべきです。正確でない認識は正しい処方箋を出す上で障害になります。いまはよくても後々、どうなるかは分かりません。また、過剰な認識・手当ては、敵対分子に漬け込まれ、宣伝を捻じ込まれる余地、「ゆり戻し」の余地が生じます。過ぎたるは及ばざるが如し。勤労大衆の利益の立場だからこそ慎重になるべきです。隙を見せてはなりません。
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2016年12月17日

池上彰氏、フジテレビ特番で「日本の格差の深刻さ」を珍妙なるグラフと理論で指摘

格差・貧困問題に警鐘を鳴らすのはまったく正しいことですが、「目的のためなら、すべてが正当化される」という姿勢は困るんですよ。それを許す政治過程は独裁に転落しかねないし、それ以前に、こういうことを続けると「あーまた格差、貧困ネタ? どこまで本当なんだか」という空気になりかねません。
http://netgeek.biz/archives/89232
>> 【炎上】池上彰が日本の貧困を深刻に見せるためにインチキグラフを使っている
腹BLACK 2016年12月17日

ジャーナリストの池上彰がなぜこんなことを…。よく見れば中学生でも見抜ける印象操作に池上彰が手を染めてしまった。

問題の放送はこちら。

▼平均所得の推移について日本とアメリカを比較するグラフをつくり、「日本は貧困層がますます貧しくなっているんです」
(画像引用略)
一見もっともらしい説明だが、注意深く観察するととんでもない不正が明らかになる。まず最もやってはいけないのは、比較グラフなのに縦軸の数値が違うということ。さらに以下の点もおかしい。

・日本のデータは民主党政権下あたりの2010年までしか使っていない

・アメリカは2011年のデータまで使っており、横軸もずれがある

・そもそもなぜ比較対象がアメリカなのか

・なぜ上位1%と下位90%なのか。上位10%と下位90%のほうが自然

グラフをつくったのが池上彰ではないとしてもこの放送はひどすぎる。日本の貧困層はひどくなっていると結論ありきで訴えるために捏造された見せ方だ。

(中略)
ジャーナリスト池上彰がこの数字のトリックに気づかなかったはずがない。テレビ局からギャラをもらう池上彰は政治が絡む番組でもテレビ局の犬になって偏向報道に手を染めているのか。

その後、番組は貧困層の悲惨さを訴えるために色々な主張がなされる。

(中略)
▼貧困層の具体例として貧困JKうららさんが事例に挙げられる。
(画像引用略)
▼皆さんご存知の通り、炎上騒ぎになった。
(画像引用略)
▼しかし、池上彰は貧困JKの肩を持つ。
(画像引用略)
▼うららさんは相対的貧困だったので世間の反応が間違っていたと結論付ける。
(画像引用略)
番組の流れはざっとこんなところ。日本は貧困層が苦しい思いをしているとデータを見せてから具体例を紹介し、大衆の理解がいかに間違っているかと説得する流れにもっていっていた。

しかし、そもそも冒頭のデータからして間違っているのだからもはや呆れて物が言えない。貧困JKについては極端な浪費癖があることが分かり、それを税金で助けてあげるのは違うという論調が強まった。相対的貧困という言葉が有名になってもなおその論調は弱まらない。


(以下略) <<

http://hosyusokuhou.jp/archives/48780288.html
>> 【悲報】池上彰が「日本の格差の深刻さ」で使用したグラフが酷すぎると話題にwwwwwwwwwwwww

「縦軸がね…」
「目盛り壊れちゃう〜」
「こんなことしだしたら終わりやね 」
「目盛りがガバガバじゃねぇかお前んグラフゥ! 」
「縦軸合わせたら日本もちょっと下がってるくらいやんけ」
「こんなことして恥ずかしくないのか池上」
「これ流石にやばない? 」
「これBPOやろ」
「ガイジグラフかな」
「ひどいな、こんなひどい内容でドヤってんのかこいつ」
「アメリカの格差に比べたら日本の格差なんてカワイイもんやな」
http://raptor.2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1481929747/
<<

私も昨日の記事を書きながら、テレビをつけていたので途中までは見ていました。「『資本論』の記述を引いた共産党の宣伝パンフレットみたいな構成だなー」と思いつつ、共産党員と関係していたころの記憶をたどって次の展開を読んだところ大当たりで、一種の「なつかしさ」を感じる番組内容でした(進歩がない?)。もっとも、共産党の宣伝パンフレットではあまり出てこない「企業も競争に直面している」という事実を指摘している(厳密には『資本論』の序文でマルクスは指摘しているはずなんですが、共産「党主義」者はちゃんと読んでいないんでしょうね)点は、党宣伝パンフレットよりはマシです。

格差の問題は分配の問題ですが、分配のためには原資が必要です。我がなつかしの共産党員たちは、当ブログでも何度か引き合いに出している、「規制緩和と産業淘汰がすすむ活力ある自由経済下での経済成長」と「手厚い個人単位での社会保障政策」とを両立させ、経済成長と社会保障の好循環を回している、スウェーデンを筆頭とする北欧福祉国家の実態を知るにつれて、党宣伝パンフレットに則ったアジテーションをしなくなっていったものでした(印象と異なり、90年代以降の現実の北欧諸国は、左翼が泡を吹いて卒倒するような自由化を進めつつ福祉給付の水準を維持しています)。「池上氏と番組スタッフたちがその視点から北欧諸国を取材したとき、この論調とどう整合性つけるのかな?」と思いつつ、番組を聞き流していました。

そうこうしているうちに記事が書き終わったので、私はアメリカにおける格差論の部分しか視聴(聞き流し)していなかったのですが、そのあとにこんな、あからさまな印象操作が行われていたとは・・・

比較している2つのデータのグラフが、よくよく見ると目盛りの単位がまったくことなっている・・・いわゆる「びっくりグラフ」です。『ウソを見破る統計学―退屈させない統計入門』という超初心者むけの読み物(←けっこう面白いですよ)でさえ、冒頭で早速斬って捨てていた印象操作の古典的な手法です。追及されたら「違法ではないが一部不適切」とでも言うのでしょうか(「日本死ね」よりも、よほどこっちのほうが流行語向き・・・)?

そして出ました「貧困女子高生うららちゃん」の件。また蒸し返したんですね。画面キャプチャによると「貧困に対する理解が足りないのではないか」というシーンだったようです。

この件については、当ブログでは、私自身が反貧困・貧困撲滅推進の立場(もっといえばチュチェの社会主義者)であるからこそ、うららちゃんを貧困の例として取り上げるNHKとその擁護論者たちを批判してきました。「貧困に対する理解が足りないのではないか」という番組中での指摘についても、当時、まったく同一の主張を展開していたNPO法人「ほっとプラス」代表理事の藤田孝典氏(そのコジツケ・脳内補完に満ちた主張を、当ブログではよく批判的に取り上げています)の署名記事を批判する形で、9月3日づけ「相対的に見るからこそ「貧困」とは言えず「普通」レベル――ムラ社会的な集団主義メンタリティーだからこそ生活水準の比較に敏感な日本人」を中心に取り上げました。すなわち、「うららゃんは、相対的に見ても貧困とはいえず、普通レベル。むしろ、相対的に見て普通の人より楽しんでいるかもしれない」ということ、そして、「もともと日本人はムラ社会的な集団主義メンタリティーで「生活水準の比較」には敏感であるから、「無理解」とはいえない」ということです。

9月4日づけ「「嫉妬」されないために、支出の優先順位をつけましょう」においては、格差・貧困問題の「大御所」である湯浅誠氏の擁護論を批判する形でも取り上げています。湯浅氏は、「彼女の消費実態は「進学できない」という番組の中心的要素に比べて枝葉の問題なので、とりあげなかったことも問題ない。だから「ねつ造」という批判は当たらない」といったアクロバットな擁護論を展開させ、人々を動揺させました。私はこれについて、「捏造は捏造、ウソつき」とした上で、「進学という目標があるのなら、消費の優先順位づけも重要」と指摘した上で、擁護論者たちのどうしようもない常識的感覚からのズレを指摘しました。

「さすがフジテレビ」と言ったところでしょうか?(これ、フジテレビの特番ですよー『保守速報』にその辺のツッコミがないのが不思議) 形勢不利と見るや否や沈黙するも、ほとぼりが冷めるとこうして同じことを繰り返す・・・懲りないですね。池上氏はどうするんでしょうか? このまま沈黙? 「スタッフがつくったグラフがマズいのは分かっていたが、作り直する時間がなかった」? うーん。

ちなみに、社会主義者の立場から申し上げれば、こんなことをやりながらもフジテレビは本当に中途半端と言わざるを得ません。結局、「政府による社会政策」といった古典的プランに誘導することしかできていません。しかし、番組が想定している「税金を徴収して、それを再分配にまわす」といった程度の古典的で素朴な福祉国家路線には、もう戻れません前掲した「90年代以降の北欧型路線」を踏襲するか、あるいは、正攻法で「人民政権樹立」や「労働者自主管理体制樹立」くらい踏み込むかのどちらかしか道はないのです。事態はそこまで進展しているのです。

キム・ジョンイル総書記の御命日に、2ちゃんのスレや「保守速報」を引いて記事を書くのもアレですが、あくまで「道具」ですし、社会主義者だからこそ、「中心的要素に比べて枝葉の問題については、捏造にはならない」(by湯浅誠)とするわけには行かないのです。
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2016年12月16日

自主的かつスマートなブラック企業訴訟の実績――辞めた上で法的責任を問う方法論

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161216-00000012-mai-soci
>> <ブラック企業訴訟>3年闘った女性 「勇気出し声上げて」

毎日新聞 12/16(金) 10:03配信

 違法な長時間労働を強制されたなどとして、20代の元従業員の男女6人が、仙台市青葉区のマッサージ師派遣会社「REジャパン」=昨年3月に破産=の会社役員らに約3600万円の損害賠償を求めた訴訟は先月9日、仙台地裁で和解が成立した。3年間に及ぶ裁判を闘った原告の女性(27)=仙台市若林区=が毎日新聞の取材に応じ、「一人で思い悩まずに勇気を出して声を上げてほしい」と訴えた。【本橋敦子】


(中略)

 女性は13年5月ごろ、「会社を辞めたい」と申し出たが、社長は取り合わなかった。「社長は『人は宝だ』と言っていたが、大事にされたと感じたことは一度もなかった」。他人との会話を苦痛に感じるようになり、全身の倦怠(けんたい)感に苦しんだ。13年7月に退職した。

 その後、労働問題に取り組むNPO法人POSSE(ポッセ)などの支援を受け、元同僚と一緒に同11月に提訴。会社側への怒りから始めた裁判だったが、次第に「同じ思いをしている仲間の励みになれたら」との思いが強くなっていった。そして提訴から約3年後の先月、会社側からの解決金と文書による謝罪を勝ち取った。


(以下略) <<
きちんと退職した上で、なおかつ、法的に戦ったのはとても良かったと思います。以下、3つのポイントから述べてまいります。

当ブログでは以前から、「自主権の問題としての労働問題」というテーマを掲げ、労働者階級の利益を実現する立場から、「嫌だから辞める・無理だから辞める」ことの大切さを軸に、論考してきました。辞めるということは、勤め先の支配から脱することです。心身の無理をせず「退職」するのは、取り急ぎ安全地帯に脱出するという意味で最善の方法です。これは、いじめ問題においても述べてきました。第一のポイントです。

第二に、労働者が真の意味で自主的になるためには、企業側に足許を見られないために特定の勤め先に対する依存度を下げることが必要です。これについては、チュチェ104(2015)年10月8日づけ「「日本の労働組合活動の復権は始まっている」のか?――労組活動は労働者階級の立場を逆に弱め得る」で述べていますので、少し長いですが再掲します。
>> ■労組運動の危険性――企業側への依存度を下げ、企業側の労働需要独占の立場を掘り崩さなければならない
(中略)

労働者が真の意味で自主的になるためには、企業側に足許を見られないために特定の勤め先に対する依存度を下げることが必要です。なぜ電力会社が一般電力消費者に対して殿様商売ができる(できていた)のかといえば、他に売り手がいないからです。なぜ、自動車メーカーが下請け工場の部品をふざけた値段にまで値切ることができるのかといえば、他に買い手がいないからです。他に売り手/買い手相手が居ないとき、買い手/売り手は、売り手/買い手に対して依存的立場・弱い立場に置かれます。前述の競争市場の基本原理に対して独占市場の基本原理です。

労働者は同時に一企業でしか働けないのに対して、企業は同時に複数の労働者を雇用し得ます。いくら労働者が束になったところで、労働者が「できればその企業で勤め続けたい」という願いを前提として団体交渉に臨んでいる限り、最終的には企業側の掌の上に居続けます。企業は需要独占者の立場に居続けます。ミクロ経済学における「価格弾力性」を思い浮かべてください。ミクロ経済学によれば、需要者に対して供給者の価格弾力性が硬直的であった場合、たとえそれがマーシャリアン・クロスが成り立つ非独占・非寡占の市場であっても、取引の主導権は需要者側にあるといいます。分かりやすくいえば、「生活必需品でない商品は買わなくても消費者は困らないが、それしか商材のない生産者は何とかして売り切らなければならないので、結果的に値切り交渉・在庫処分安売りセールが起こりやすい」と言えばよいでしょう。これと同様に、「できればその企業で勤め続けたい」という労働者(労働供給者)の願いは、ミクロ経済学的には「需要者に対して供給者の価格弾力性が硬直的」と解釈できます。これはすなわち、こうした前提で臨む限り、団体交渉における労働者の立場は弱いということを示します。

■代替財の存在こそが依存度を下げる――辞職・転職カードが重要
価格弾力性の決定要因は代替財の存在の有無です。代替財があればその商品にこだわる必要は無いので、価格弾力性は弾力的になります。代替財がなければ何としてでも取引を成立させなければならないので、価格弾力性は硬直的になります。

ミクロ経済学的考察に基づけば、労働者の立場と為すべきことも見えてくるでしょう。真に交渉力を持つためには、「辞めるよ?」という脅しが必要なのです。「辞めるよ?」と言える立場は、代替財を確保している立場です。「辞めるよ?」と言えない立場で、団体交渉等によって企業側から「譲歩」を勝ち取りその利権を自らの生活に組み込むことは、特定の勤め先に対する依存度を上げることに繋がります
(以下略) <<

第三のポイントについて述べましょう。これも以前から述べてきましたが、勤め続けることを前提とした労使交渉によって仮に何らかの譲歩を引き出したとしても、もともと他人を踏み台として使い潰そうとしていたブラックな使用者側が真に反省するはずもないので、いつかどこかで必ず「巻き返し」があると考えて間違いありません。景気が著しく後退したり年齢を重ね家族を持つようになるなど、転職が困難になった状況下で「逆襲」をうけることでしょう。変な幻想をもたず、縁を切ることができるならばキッパリと切ったほうがよいのです。もちろん、周囲の助けを借りつつ「嫌だから辞める」「無理だから辞める」べきです。

(1)取り急ぎ退職したことによって心身の健康を守った。(2)退職したことによって、ブラックな勤め先に対する依存度をゼロにし、自主的な地位を獲得した。(3)中途半端に未練を残さず退職したことによって、将来にわたって「巻き返し」をうけることを予防した。この3点において、彼女らが「まず退職したこと」は正しい選択でした

これに対して、やや旧聞ですが、「アリさんマークの引越社」で、ヤクザまがいの恫喝に耐え、シュレッダー係に左遷されつつも、労働組合(ユニオン)とともに勤めながら階級闘争を続けている男性は、対照的な状況にいるようです。取り上げましょう。
https://www.bengo4.com/c_5/n_4624/
>> 労働 2016年05月09日 15時56分
シュレッダー係1年「ほぼ無の境地」…アリさん「引越社」労働問題、男性従業員の心境


(中略)

シュレッダー係への異動を命じられてからもうすぐ1年を迎える男性は上映後、「客観的にもひどい」と感想を述べた。また、「自分にとって、仕事は達成感や社会貢献が含まれるが、今はお金を稼ぐだけの労働だ。ほとんど無の境地でシュレッダーをやっている」と打ち明けた。このゴールデン・ウィークもほとんど休みをとれなかったそうだ。

男性の代理人をつとめる大久保修一弁護士は「シュレッダー係に異動する人事や、従業員に弁償金を支払わせることはあってはならないこと。今後の裁判で、会社の違法な部分をあぶり出していく」と語った。

プレカリアートユニオンの清水直子委員長は「引越社は、働いている人からお金を取り上げるというやり方で安い価格設定をしてダンピング競争を加速させている。その部分も含めて改めさせて、引越業界全体に変化をもたらしたい」と強調していた。
<<
従前の常識であれば、一旦退職してしまうと司法関係者から「辞められたんだったら、もういいんじゃないの?」といった扱いを受けてしまうので、どうしてもシロクロつけたい男性従業員氏としては、スゴスゴと辞めることはできなかったのでしょう。それはそれで仕方ありませんでした。他方で、限られた人員で次々に紛争を処理してゆく必要のある司法関係者が「案件の優先順位」をつけてゆくこともまた、仕方のないことでした。

しかし、それはそれとしても、「ほとんど無の境地でシュレッダーをやっている」というのは、男性従業員氏の生涯全般を見渡したとき、本当によい選択と言えるのでしょうか? 戦うこと自体は正しい選択だとは思いますが、もっとスマートな方法論があったのではないかと疑問に思わざるを得ません

先に「周囲の助けを借り」ることの必要性に触れました。弁護士や労組などがそれに当たるでしょう。しかし、この男性従業員氏を「支援」している代理人の大久保弁護士やユニオンの清水委員長のコメントを見るに、一人の生身の労働者にとっての利益を第一に考えているのか疑問に思わざるを得ない主張を展開しています。

シュレッダー係に異動する人事や、従業員に弁償金を支払わせることはあってはならないこと」というのは、法的には正しい指摘です。しかし、代理人弁護士が「会社の違法な部分」を追及しつづける傍らで、クライアントの男性従業員氏は「無の境地」で、30代半ばという働き盛りかつ転職ギリギリの年代を過ごしています。40代や50代といった今後の人生を考えたとき、どう評価すべきなのでしょうか?

その部分も含めて改めさせて、引越業界全体に変化をもたらしたい」というユニオン委員長の構想は遠大です。私もこれが突破口になればいいと思います。しかし、あくまで生身の人間、男性従業員氏が救われることが最優先・先決であるはずです。それが達成できないのであれば、たとえ「引越業界全体に変化」をもたらせそうもない方向であったとしても、戦術を変えなければなりません。その意味で、もはや男性従業員氏を支援するという本旨ではなく、単なる「階級闘争のモデルケース」になってしまっていないでしょうか?

「REジャパン」の闘争モデルと「アリさんマークの引越社」の闘争モデル――対照的かつ示唆的です。
posted by s19171107 at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月15日

手抜き問題は、公営・民営は本質的な問題ではない

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161213-00000063-mbsnews-l27
>> 地下鉄民営化可決 安全対策の費用負担は?
毎日放送 12/13(火) 19:24配信

地下鉄民営化可決 安全対策の費用負担は?

 橋下前市長時代に2度否決された大阪市営地下鉄の民営化に向けた議案が、13日可決されました。

 13日の大阪市議会、市営地下鉄を市が出資する新会社に移行するための議案が維新、自民、公明などの賛成多数で可決しました。民営化されれば、ホテルや不動産業など鉄道以外の事業にも参入できるなどのメリットがあります。

 一方で、民営化によって安全対策などは軽視されないのでしょうか?例えば、関心が高まっている駅のホーム柵。現在は、利用者が少ないものの新しい路線の今里筋線や長堀鶴見緑地線は全駅で設置済みですが、古い路線の谷町線や阪急が乗り入れる堺筋線には全く設置されていません。


(以下略) <<
民間企業が財・サービスの圧倒的大部分を生産・流通させているこの時代に、「民営化によって安全対策などは軽視されないのでしょうか?」とは、随分荒っぽい切り口です。それをいったら、民営企業である毎日放送も、利益=スクープ優先で他を軽視しないんでしょうか?w

チュチェ102(2013)年2月9日づけ「発送電分離問題と「官か民か」の不毛な二分法」を筆頭に以前から述べてきていますが、安全対策をはじめとした保守・点検・運用管理は、業界を問わず、主体の公営・民営問わず、手抜きの危険性が存在します。1日に1回の点検(ほとんどの場合、緊急の問題は検出されない)を2日に1回に減らしたところで、特に不都合が生じないのが通常です。これは、生産活動とは決定的に異なります。毎日工場のラインを回して産出しているところを、手を抜いて2日に1回しか生産ラインをまわさなくなれば、どんなケース(在庫はなしという前提で)においても、それはそのまま売上に直撃してしまいます(当たり前)。

「1日に1回の点検を2日に1回に減らす動機」は、コストカットかもしれないし、単にサボりたいだけかもしれません。民間企業であれば利潤追求ゆえに前者の誘惑があるかもしれませんが、公営企業体についても、利潤を追求しなくてよいからこそ後者の誘惑があるかもしれません。動機は何であれ、行動の帰結が「手抜き」であれば同じことです。このように手抜き問題は、主体の公営・民営は本質的な問題ではないのです。

重要なのは監視の目です。1月15日づけ「「生産過程における厳格な規制」と「流通過程における最小限の規制」――自由交換経済の真の優越性を踏まえた規制」にて私は、「消費者の眼に晒されにくい生産過程を行政が審査すべきであり、その結果を積極的に情報公開し、消費者行動に資する情報提供するべき」と述べましたが、一般消費者の目が届きにくい分野である保守・点検・運用管理への監視を強化すべきでしょう。
posted by s19171107 at 21:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月14日

「愛しているからこそ『死ね』」?

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161213-00010000-bfj-soci&p=1
>> 「日本を愛しています」と語った俵万智さんに集まる「反日」批判 愛国とは何なのか

BuzzFeed Japan 12/13(火) 5:00配信


流行語大賞にノミネートされ、トップ10入りをした「保育園落ちた日本死ね」。「反日的だ」などとバッシングの矛先が向いた歌人がいる。【BuzzFeed Japan / 籏智広太】

「サラダ記念日」などで知られる俵万智さんだ。俵さんは流行語大賞の選考委員を務めており、Twitterなどに批判の声が集まった。
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産経新聞がこの騒動を「『日本死ね』トップテン入りで、審査委員の俵万智さんに「残念で仕方ない』と批判・炎上 」と報じるなど、波紋は広がった。

俵さんは12月10日、「ちょっと見ないうちに、何か書かないと次に進めない雰囲気になっていました。だから一回だけ、その件について、私の思いを書きますね。お騒がせ&ご心配おかけしました」とつぶやき、下記のように思いを綴った。

“「死ね」が、いい言葉だなんて私も思わない。でも、その毒が、ハチの一刺しのように効いて、待機児童問題の深刻さを投げかけた。世の中を動かした。そこには言葉の力がありました。お母さんが、こんな言葉を遣わなくていい社会になってほしいし、日本という国も日本語も、心から愛しています“


(中略)


「日本を愛しています」と書いた俵さんは、ネットで批判されるように「反日」なのだろうか。

同じように「反国家的」だと指摘され、「私たちは愛国者だ」と反論した人がいる。
英メディア「ガーディアン」のアラン・ラスブリッジャー編集長だ。

2013年、アメリカやイギリスの国家機密に迫る報道を続けていたガーディアンは、英国会で批判に晒された。そして、ラスブリッジャー編集長はこう質問を受けた。

「あなたは国を愛しているのか?」
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ラスブリッジャー編集長はこう答えた。

「そういう質問を受けることにちょっと驚いています」と前置きをしてから、編集長が語ったのは次のようなことだった。

「私たちは愛国者です。そして、私たちが愛国的であるためには、この国に民主主義の本質と言論の自由の本質が必要なのです。それを議論し、報じることができることも」

さらに、こうも繰り返した。

「私がこの国を愛するのは、書くこと、報じること、考えることに対して自由であるからなのです」

最終更新:12/14(水) 9:29
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日本の「愛国」界隈のことは良く知りません(興味もない)が、朝鮮における愛国者の例を引き出せば、俵万智氏と彼女への擁護論が相当苦しいことが分かります

朝鮮における愛国者といえば、何と言ってもキム・イルソン主席です(アン・ジュングンはただのアホ)。不滅の革命頌歌「キム・イルソン将軍の歌」で「絶世の愛国者」とうたわれています。生涯を祖国の解放と社会主義建設、敵との戦いに費やしたキム・イルソン主席は、まことに愛国的な生を送られました。

そんな絶世の愛国者キム・イルソン主席が「朝鮮死ね」と言ったことは、私は一度も聞いたことはありません。もちろん、軍人として革命指導者として、「反革命分子死ね」といった調子で流血の事態を指揮したことは事実です。しかし、それらはあくまで원쑤(憎き敵という意味の朝鮮語)に対するものでした。

そう、「死ね」という表現は원쑤に対する憎しみを込めた表現であり、愛する祖国に対して使うような単語では決してないのです。これは、日本でも基本的には同じでしょう。戦闘的革命精神がない分、日本のほうが対人関係は「ぬるい」でしょうし。

いまさら言い訳を重ねるのは無意味です。言葉というのものは対人コミュニケーションの道具です。「愛しているからこそ『死ね』」などという感性は一般的ではなく、多くの場合、相手の気分を害する表現です。伝わらなければ意味がなく、誤解されたのであれば、意図を弁解した上で表現を撤回し、別の単語で言い換えるのが常識人の対応です。

俵氏擁護のために、英「ガーディアン」のアラン・ラスブリッジャー編集長の言葉(これそのものは正しい)を引き出せるようなケースではありません。まったく違うケースなのです。「民主主義の本質と言論の自由の本質」のためには「死ね」は良いのでしょうか。「自由」「民主主義」という枕詞をつければ何でも許されるのでしょうか?

また、本件はそもそも「流行語大賞」であり「俵万智が今年気に入った単語リスト」ではありません。俵氏が日本を愛しているかどうかなど関係ありません。審査委員の好き嫌いに関わらず、客観的に見て流行した言葉を選出するのが本来的な意味での「流行語大賞」です。思わず自白してしまった?wそこも今回の反発――たいして流行っていない言葉を、政治利用のために選出する――の一因なのですよ。「日本死ね」という単語そのものではなく、その背後にある邪な思惑と、社会的影響力のある媒体を私物化していることにも非難が集まっています

私は親朝(朝鮮民主主義人民共和国)派の左翼であり、それゆえに世界各国の愛国・愛族主義精神にはシンパシーを感じています(たとえば、アメリカ愛国主義の立場に立つことはありませんが、アメリカ人が故郷を愛する、ごくごく普通の感情には共感します)が、それにしても愛国主義に対する変わり映えのないの「反論」ですね。アクロバットな言い訳と「言論の自由」。もう少しひねりはないのでしょうか?
posted by s19171107 at 20:42| Comment(1) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月12日

自主的に選択的に開放することこそが真の意味での共生の道――共生するためにこそ、時に棲み分けることが逆説的に必要

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161212-00000003-mai-bus_all
>> <トランプ現象>移民と多様性の米国どこへ?

毎日新聞 12/12(月) 9:30配信

 米大統領選で共和党のドナルド・トランプ氏が勝利した後、金融市場は株高・ドル高と好意的に反応しています。トランプ氏は政策面で環太平洋パートナーシップ協定(TPP)からの離脱を除けば、今のところ現実路線へと修正する兆しを見せています。ただ、反移民的な姿勢の大統領誕生で、封印されていた差別の感情が噴き出す恐れもあります。毎日新聞米州総局(ワシントン)の清水憲司特派員が、現地で身近で感じる、社会が負った深い傷について報告します。


(中略)

移民を喜んで受け入れられる「強い米国」をこそ取り戻してほしいと思う。 <<
取材報告記事かと思ったら、ただの感想作文で呆れました。。。これでカネが貰えるんですかぁ。。。

■TPPは「共生」?――日本「リベラル」の不思議
ツッコミどころが多い「記事」ですが、ここでは敢えて論点を一つに絞り、「トランプ氏は政策面で環太平洋パートナーシップ協定(TPP)からの離脱を除けば、今のところ現実路線へと修正する兆しを見せています」という部分に注目したいと思います。毎日新聞が「TPP推進=現実路線」という見解に立っているようです。似たような論調の朝日新聞も先日、リカードの比較生産費説を引っ張り出して(!!)「TPPの正しさ」を力説していました。

アメリカのリベラルを代表していたヒラリー・クリントン氏がTPP反対派であったのと対照的に、日本では、毎日新聞や朝日新聞といったリベラル系こそがTPP推進の論調を張っています。日本リベラルの理想的未来社会論がTPPのうちにあるのでしょうか?

朝日新聞11月15日づけ「(トランプショック どう考える:4)自由貿易、制限する前に」や、あるいはBrexitのときの「国同士が協力しあわなきゃいけない時代なのに!!!」といった悲鳴から、「国境を開けっ広げにすることこそが世界の人々と共生することだ」といった、たいへん短絡的な発想を持っていることを推察できます。

一切の交流を絶つ鎖国は論外であることは勿論ですが、「国境を開けっ広げにすること」と「世界の人々と共生すること」は直接的には関係ありません。私も、対外開放や自由経済を尊重する立場ですが、それは、あくまで選択の自主(「選択の自由」ではありません)という大前提の下でのものです。そもそも、対外開放・自由経済は、究極的には一人ひとりの生身の人間が、自らの意志の下で自主的に選択するための手段でしかありません。

■共生のためにこそ、自力が必要
「いや、国際的に『ちゃんと』ルールを作れば自主は確保される。TPPは『自由のためルール』だ。」という主張もあることでしょう(前掲の朝日新聞記事は、まさにそういう論調です)。しかし、仮に「共生の原則」を侵犯する輩がいたとして、自主的力量・自らの力なくして如何やって対抗するというのでしょうか? まさか、「輩」以外のTPP加盟国の集団安全保障的な制裁に期待を寄せるとでも言うのでしょうか? 

自主的な力があって初めて共生を語ることができます。自らがを持っているからこそ、他者と対等に交渉ができるのです。他者に約束の履行を要求することができるのです。共生とは、互いに尊重し合い助け合って共にコミュニティの中で生きてゆくことですが、その大前提は「地位の対等」と「約束を守ること」であり、それらを遵守させることです。自主的でなくして他者に約束を遵守させることなどできません

こんな調子だから、最近の自称「リベラル」は、たとえば移民が重大犯罪を犯し、それに対してレイシスト連中が「犯罪者を追放するのは当然だが、同時に移民は無条件にたたき出せ!」と沸騰しているのに対して正しく反応できていないように見受けられます。共生を掲げるのであれば、むしろ「リベラル」こそが「犯罪者を追放するのは当然」の先頭に立つべきです(もちろん、「同時に移民は無条件にたたき出せ!」には反対すべきでしょう)。にもかかわらず、歯切れの悪い反応に終始しています。これでは、傍から見る限りは「共生論者は、故郷の破壊を見てみぬふりをするんだな」とか「やっぱりアカは、移民を使って社会を文化大革命的な動乱状態にするつもりなんだな」などと認識されても当然でしょう。

■共生するためにこそ、時に棲み分けることが必要
新参者に自分たちが長く住んできた故郷を大きく変えられても「共生」と言い張るのは、ある意味立派ですが、普通の感性であれば、場合によってはお引取りいただくことも選択肢の一つです。ある人にとって何てことないようなことでも、他の人にとっては譲れないことだってあります。なぜ、訪問される側が譲歩しなければならないのでしょうか? 訪問側が譲歩しても良いはずです。理想を言えば、両方が譲歩すべきですが、それには時間が掛かります。逆説的ながら、共生するためにこそ、時に棲み分けることが必要なのです。何でもアリと開放とは異なります。

■誰にとっての「自由」なのか
また、私的資本によって公的政治が支配されているこの時代において、「自由のためルール」というのは、誰にとっての「自由」なのでしょうか? そうした考察が日本の「リベラル」には決定的に不足しています。「自由」という言葉の甘美な響きに惑わされています(私も自由の価値は極めて重要だと考えており、このブログでもたびたびその論調で主張を展開してきましたが、私の目は「リベラル」ほど節穴ではないと自負しています)。

一国の国内(国民国家は、経済的には一つの「自由貿易圏」です)での地域格差問題でさえ解決できず、一握りの都市部への自然発生的な集中でさえマトモに是正できていないのに、超国家的レベルでの集中は是正でき、幅広い層への富の分配が実現されるというストーリーを信じる方がどうかしています

前掲の朝日記事では、必要なのは反自由貿易ではなく社会政策などと述べていますが、ならばまずは、自由貿易思考という大前提を掲げて社会政策を充実させ、準備を万端に備えてから開放すべきでしょう。北欧の福祉国家と評される国々は、まさにそうした政策体系であり、生活者の利益と経済の活性化を両立させています。

■平等な競争社会であればこそ、ますます自力が重要
こうした不平等が蔓延る経済社会でなくとも、需要と供給がクロスする図(マーシャリアン・クロス)が成り立っているような経済学の初歩的な教科書にも必ず載っている理想的な競争的市場であったとしても、議論の大枠は変わりませんです。需要曲線・供給曲線の傾き(弾力性)の議論を思い起こしていただきたい。価格弾力性が乏しい市場参加者にとっては、その商品取引はより必須・不可欠なので、相手方から足許を見られやすいものです(ちょっとくらいコトでは相手は取引から逃げない)。よって、原材料費高騰といった誰かが負担しなければならない「ババ」は、価格弾力性が乏しい方に押し付けられてしまいます。

マルクスは、「不正」など何一つない純粋な資本主義的な自由交換経済においても、搾取と不平等・窮乏化が発生していることを指摘しました。そして、労働者の団体的な争議行為=労働市場における労働供給曲線の弾力性調整や、革命的な階級闘争を、窮乏化への反応として位置づけました。革命的な階級闘争はさておき、反共的労働組合でも選択肢として留保している各種の団体的争議行為は、本質において労働供給曲線の弾力性調整です。各種団体的争議行為の原点にある団結は、まさに自らの力そのものです。

■真の意味での共生の道
自らの立場・自らの力を守りつつ、自主的に選択的に開放することこそが真の意味での共生の道です。その意味で、TPPを有難がっている昨今の「リベラル」が言うところの「開けっ広げ」というのは、選択の自主を行使を放棄するに等しい暴挙です。

自主の道に関する朝鮮労働党の見解をご紹介します。
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/sinboj1998/sinboj98-9/sinboj980925/sinboj98092570.htm
>> (前略)

  自立の道は、国と民族の自主権を強固に守っていく道である。

 金正日総書記は次のように指摘した。

 「経済的に自立してこそ、国の独立を強固にして自主的に生きることができるし、思想におけるチュチェ、政治における自主、国防における自衛を確固として保障し、人民に豊かな物質文化生活をもたらすことができます」

 経済的自立は、政治的独立の物質的基礎である。自立経済というしっかりとした柱で支えられていない政治的自主権は、空論に過ぎない。

 民族的復興を志向しない国と民族は世界にない。しかし、民族の復興のために奴隷的な屈従を甘受しなければならないのなら、それは真の繁栄とはなりえない。民族の生命は自主性にある。国を愛する人ならば、民族的尊厳を売ってまでもよい暮らしをしようとする傾向を絶対に許すべきではない。いかなる場合においても、侵害されてはならないのが民族の自主権であり、そのために必要なのが経済的自立である。

 こんにち、わが国が政治分野で自主権を徹底的に堅持しているということは、世界が認める事実である。経済的に外国に縛られていないので、われわれは誰にでも言いたいことをはっきりと言えるのだ。


(以下略) <<
まったく正しい指摘です。もちろん、朝鮮は少し自主にこだわりすぎて鎖国的になっている部分は否めませんが、いままさに慎重に開放の道を模索していることは、当ブログでも数少ない情報ソースを頼りにご紹介してきたとおりです

対外開放・自由経済は重要な価値観です。しかし、それと「開けっ広げ」は決定的に異なります。選択の自主という防衛ラインを譲ってはなりません。「自主は共生の前提」であります。

やっぱり「リベラル」って観念論なんだよね・・・
posted by s19171107 at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月11日

内田樹氏のようなSEALDs支持者が「対米自立」を啓蒙するとは笑止千万

https://dot.asahi.com/aera/2016120800261.html
>> 内田樹「日本人がみんな知っていて、知らないふりをしていること」

(中略)

日本がアメリカの属国であることを日本人はみんな知っている。知っているが、知らないふりをしているだけである。その現実を現実として直視したら、ではその現実とどう立ち向かうか、どうやって属国の地位を脱して国家主権を奪還するかについて本気で考えなければならなくなるからだ。残念ながら、そんなスケールの問題について考えることのできる人間は今の日本の指導層の中にはいない。だから、そんな問題は存在しない、日本は主権国家だという「ファンタジー」の中で夢見ることを人々は選んだ。日本が属国であるのはたかだか彼我の物理的実力の差の結果に過ぎない。国民的努力を結集すればいつか主権は奪還可能だと私は思う。けれども、属国であるという現実を直視しない限り、主権国家になる日は永遠に来ない。(内田樹)

※AERA 2016年12月12日号
<<
私も左翼として対米自立による自主化を目指す立場ですので、内田樹氏の「脱属国」「対米自立」という考え方には異論はありません。「日本は主権国家だという「ファンタジー」」という表現にも異存はありません。ただ、内田氏のようなSEALDs支持者が「対米自立」を啓蒙するとは笑止千万。氏の言う「物理的実力」とはいったい何のことやら?

内田氏は「国民的努力を結集すればいつか主権は奪還可能」などとサラッと言ってのけます。しかし、アメリカ帝国は、気に入らない政権を武力を以って転覆させることを厭いません。現実を冷静に見極めたとき、随分と楽観的なストーリーを無邪気に提案している姿に驚愕します。

私の知り合いの日本共産党系の「お左翼」も、同じようなことをよく口にしていました。たしか、「非自民党政権を樹立し、日米安保条約を破棄して対米自立をしよう!」だったでしょうか。「アメリカは、チリのアジェンデ政権のように、民主的選挙で樹立された政権への軍事クーデターを堂々と支援するような国だけど、本当にその程度のプランで『対米自立』なんてできるの? ひっくり返されない?」と問うたところ、絶句していましたね・・・まあ、彼女は入党して日が浅い下っ端でしたからまだしも、内田氏がそんな下っ端「お左翼」と同じレベルなのはマズイんじゃ・・・

「対米自立」というのは、お左翼が考えているような甘いものではありません。ことによっては朝鮮やキューバのような厳しい条件下で対峙しなければならないこともあるのです。しかし、SEALDsのような軟弱者たちに「期待」しているような人物には、対峙などイメージすることすらできないでしょう。「対米自立」をナメるな!

「朝鮮やキューバは極端だ、ヨーロッパのような道があるはずだ」という「反論」もあるかもしれません(お左翼は、よく知りもしない癖にヨーロッパかぶれが多いですからね、前掲の共産党員もそうでした)。しかし、ヨーロッパ人はSEALDsの連中のような観念論者ではありません

たとえば、フランスは長きに渡って自主外交のためにNATO(北大西洋条約機構)には加盟していませんでした。自前の核兵器と強力な軍隊による自主防衛がフランスの自主外交を基礎付けていました。SEALDsのような観念的方法論とは決定的に異なるリアリズムです。

物理的実力」をつけるべく、SEALDs路線を「歴史資料館のもの」としなければなりません。朝鮮革命歌「수령이시여 명령만 내리시라」の精神に学び、「お左翼」路線と決別しなければなりません。

경제를 건설해 힘을 키우자
経済を建設して力を育てよ
국방을 건설해 힘을 키우자
国防を建設して力を育てよ
혁명기지 더욱더 굳게 다지며
革命の基地をさらに強固に固めて
목숨도 서슴없이 바쳐 싸우자
命もためらわず捧げて戦おう
우리의 손으로 통일을 이룩하고
我らの手で統一を達成し、
인민들은 행복하게 살아가리라
人民は幸福に暮らしてゆくだろう
수령이시여 우리들에게 명령만 내리시라
首領よ! 我らには命令だけを下されよ!
단숨에 달려가
一息に駆けつけ、
남녘땅의 형제들을 해방하리라
南の兄弟たちを解放せしめん!

「対米自立」をナメるな!
posted by s19171107 at 02:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「お左翼」たちの墓標としての「保育園落ちた日本死ね」に賛成

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161210-00110783-diamond-soci
>> 流行語大賞「保育園落ちた日本死ね」トップ10入りで大論争

ダイヤモンド・オンライン 12/10(土) 6:00配信

流行語大賞「保育園落ちた日本死ね」トップ10入りで大論争

 今月一日、もはや恒例となった「ユーキャン新語・流行語大賞」が発表された。

 年間大賞に輝いたのは、広島東洋カープ・緒方孝市監督が言われた“神ってる”だ。昨年の年間大賞“トリプルスリー”には首を傾げたが、いずれにしても二年連続でプロ野球界からその年の流行語が選ばれたことになる。“カープ女子”という言葉がトップ10入りしたのが二〇一四年だから、いまやトレンドは広島から生まれるのかもしれない。

 今年は、出版社の校閲部に配属された新入社員を石原さとみちゃんが演じた『地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子』というテレビドラマ(日本テレビ系)が注目を浴びたが、“校閲”という言葉の守り神のような仕事(原稿の誤字脱字、表記の統一、表現の適格性、構成や展開、視点に齟齬がないか、固有名詞や年代、数字に誤りがないか等々を一言一句チェックし、正しい日本語に修正するお仕事)にスポットが当たった一方で、“神がかっている”を簡略化した“神ってる”が流行語大賞に選ばれた。

 正しい日本語と新語・造語のコントラストが面白いが、今年ベストテンにランクインした「保育園落ちた日本死ね」をめぐっても、はたしてこの言葉が流行語にふさわしいのか否かで論争が起きている。白黒をつけるかのように、“日本死ね”で意見が真っ二つに分かれているのである。


(以下略) <<
「保育園落ちた日本死ね」のトップ10入り、いいじゃないですか。だってこれ、「お左翼」の墓標ですよ?w

「保育園落ちた日本死ね」とブログに書き込んだ人物の素性はさておき、この話題が最初に沸騰したとき、野党勢力は参議院選挙に向けての政府・与党(為政者)攻撃のためにフル活用しようと試みました。しかしながら、最初期こそ政府・与党側の動きは鈍かったものの、ほどなくして「保育園落ちた日本死ね」の波を取り込みました。その結果、野党の攻撃材料だったはずの「保育園落ちた日本死ね」が政府・与党側のポイントとなってしまったのです。野党が与党に得点源を提供したというのが、「保育園落ちた日本死ね」の結末だったのです。

野党支持者たちは「野党の追及で与党を動かした!」などと自画自賛するかもしれませんが、9月15日づけ「「我が党の要求が取り入れられた!」では永遠に在野勢力」において、まさに東京都の小池知事が「保育園落ちた日本死ね」を自らの政策の中核に取り込んでいる事実、そしてそれを基に都民が小池知事を支持し、野党勢力には目もくれていない事実を指摘しました。いくら在野勢力側が「我が党の要求が取り入れられた!」などと主張しても、取り組むことを決定したのは与党であり、加点(プラスのポイント)を獲得するのは為政者側です。

また、共産党の吉良よし子参議院議員(夫は東京都内の区議)が調子に乗ってシャシャリ出てきたために、「お前たちは夫婦で高所得者だろ!」とツッコミを受けたことも記憶に新しいことかと思います。庶民側を自負していた「お左翼」が、当の庶民から「お前は違う」と拒絶されるのは、歴史上、しばしば起こってきたことですが、それがまた繰り返されたのたのが、「保育園落ちた日本死ね」の一幕でした。

このように、「保育園落ちた日本死ね」は、「お左翼」たちが墓穴を掘りまくっていた爆笑コントだったのです。

そして昨今の「大論争」。傍から見れば「お左翼」の爆笑コント以外の何者でもない珍事であることを未だに認識できていない、自分たちを客観視できない途方のないアホたちが、いまだに左翼的な文脈に位置づけようとし、ますます面白コメントを量産してくれているのです。

「お左翼」たちの墓標としての「保育園落ちた日本死ね」に私は賛成です。そして、こうした「お左翼」たちを笑い飛ばし、そろそろマジメに人民権力掌握を目指す真の左翼運動・自主化運動の展開に備えるべきでしょう。
posted by s19171107 at 01:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする