2017年09月19日

実作業に関する知識に乏しく、相場を知らない発注元企業が外注業者に「無理な発注」を控えることはできるのか?

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170919-00000089-asahi-soci
>> 無理な発注・時間外の会議「控えます」 経団連など宣言
9/19(火) 19:59配信
朝日新聞デジタル

 経団連は全国の経済団体と連名で19日、下請けいじめや深夜の労働につながる旧弊や商慣行の是正に取り組むことを内容とした「共同宣言」を発表した。今後は加盟企業に残業につながる無理な発注や勤務時間外の会議を控えるよう促していくという。

 共同宣言は、長時間労働につながる納期が短い発注や急な仕様変更を「非効率な商慣行」として問題視。労働基準法が決めたルールを守り、取引先にも違反させない配慮を経営者に求めた。短い納期や追加発注が必要になった際はサービスに見合う価格で契約することなども求めている。


(以下略) <<
業界にも依るとは思いますが、経済全体を俯瞰してみたとき、それほど成果は上がらないと思われます。

そもそも「外注」というものは、発注元企業に実作業に関する効率的ノウハウの蓄積が乏しいからこそ、あえてカネを払ってまで他の企業に仕事を代わりにやってもらう行為です。そのため、発注元企業が実作業内容、とりわけスケジュール感や費用に関する知識が乏しいということが往々にしてあるものです。

※業界の大手企業が利益効率の悪い案件を協力企業に下請けさせるケースについては、発注元大手企業は実作業内容に通暁しているでしょう。その点、すべての外注行為の発注元が実作業内容に関する知識に乏しいとは言いません。

「自主権の問題としての労働問題」というテーマで労働問題を論考している当ブログでは、以前より、長時間労働・メンタルヘルス問題の代名詞的業界として「IT業界」に的を絞って記事を執筆してきました。また、私自身、本業の人事異動のなかでIT部門と業務部門との橋渡し(板挟み?)的な役割を担った経験があります。

理論と実体験の両面から申せば、IT業界がデスマーチになりがちなのは、「誰もプロジェクトの正確な規模感が分からないから」に尽きると私は考えています。

まず、発注側の業務部門について述べましょう。業務用コンピュータ・システムの開発というものは、受託開発は言うまでもなくパッケージ製品のカスタマイズ導入程度であっても、スケジュール感やコスト計算の面において、そこそこ深いIT知識が必要になります。それゆえ、業務部門一筋の「IT素人さん」には、マトモな量感が計りかねるものです。コンピュータ・システムというものは、基本的に中身がブラックボックスであり、それゆえに素人にはボリューム感が計りかねるものです。

たとえば、Googleの検索テキストボックスにキーワードを入力し「検索」ボタンを押し、1秒にも満たない時間内に数百万件の該当ページのリストが返ってくるのは、ユーザー視点では至極当然のことですが、このとき一体どのようなシステム的処理がバックグラウンドで走っているのか説明できる人は、ほんのわずかでしょう。まして、そのプログラムを構築するのにどれほどの時間と労力(人月)がかかるのか、マトモなスキルを持ったプログラマーの時給が幾らなのかについて知っているひとは、ほとんどいないでしょう。しかし、システム構築にあたっては、こうした情報に通暁している必要があります。不可欠です。

業務部門メンバーが、こうした知識に通暁しているケースは、ほとんどありません。それゆえ、業務部門がIT部門や外注ベンダーに提出してくる要求というのは、スケジュール的にもコスト計算的にも、ムチャクチャの極みであり、素人丸出しと言わざるを得ないものになりがちです(稼働直前になってから「雑誌で読んだんだけど、この機能いいね。チョチョッと機能追加しといてよ!」と言ってくるド素人がいるものです)

他方、IT部門・外注ベンダー側について申せば、一定規模以上のステップ数を誇る業務用のコンピュータ・システムというものは、いくら緻密に設計しようともすべてのケースを頭の中で組み立てることは到底不可能です。よくあるパターンとして、テストフェーズになって初めて設計不足・考慮不足が露呈するものです。

※ちなみに、多くのプロジェクトでテストフェーズに割く時間が短すぎると思います。このことについて私は、「マジメな日本人」の国民性が悪い意味で発揮されてしまっていると考えているのですが、設計段階に過大な期待を掛けすぎです。「ちゃんと設計していれば、テストフェーズなど『確認作業』に過ぎない」というのは、開発の現場を知らなさすぎる「マジメな優等生的発想」です。コンピュータ・システムというものは、生身の人間の頭脳で隅々まで緻密に設計できるものではありません。実態は「トライ・アンド・エラー」であり、テストとバグの修正にこそ時間を割くべきです(無能なPMほどテストフェーズから削ろうとするものですが・・・)。

つまり、長時間労働・メンタルヘルス問題の代名詞的業界としての「IT業界」においては、業務部門側の「素人っぷり」とIT部門・外注ベンダー側の「理性の限界」によって、「誰もプロジェクトの正確な規模感が分からない」事態に陥ってしまうのであり、それゆえに、「無理な発注」すなわちデスマーチになってしまうのです。

このことは、換言すれば、「IT業界の商材が業界全体を通して常識化・相場化・標準化されていない」ということができるでしょう。製造業や建築業のように、細かいバリエーションは多々あっても、基本的な構造では共通的であり、それゆえに一定程度の「相場」が確立している業界との大きな差です。たとえば「一軒家の建築」は、いろいろカスタマイズはあったとしても、少なくとも1週間で建つはずがないというのは、どんな素人でも「相場」として「常識」として分かるものです。しかし、IT業界はそうではないのです。

IT業界というのは、前述のとおり、そこそこ深いIT知識がなければ語り得ない業界という点で極端な例ですが、これまた前述のとおり、そもそも「外注」というものは、発注元企業に実作業に関する効率的ノウハウの蓄積が乏しいからこそ、あえてカネを払ってまで他の企業に仕事を代わりにやってもらう行為です。そのため、発注元企業が実作業内容、とりわけスケジュール感や費用に関する知識が乏しいということが往々にしてあるものです。その意味で、業界を問わず、外注を巡る事情というものは、程度の差こそあれ、IT業界を巡る事情と通底する部分があると言えます

果たして、実作業に無知であり、だからこそ外注に頼っている発注元企業は、受注企業に対して「無理な発注」を控えることができるのでしょうか? なかなか難しいでしょうね・・・
posted by s19171107 at 23:24| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2017年09月17日

表市場での「即日融資取りやめ」は闇市場への「商機の提供」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170915-00000596-san-bus_all
>> 「即日融資」を停止、銀行カードローン縮小へ
9/15(金) 19:40配信
産経新聞

 国内銀行が来年1月からカードローンなどの個人向けの新規貸し出しに関し、即日の融資を取りやめる見通しとなったことが15日、分かった。家族からの申し出で、新規貸し出しができないようにする「貸付自粛制度」の導入も検討する。これにより、拡大の続いたカードローン利用が縮小に向かう可能性もある。

 即日融資の取りやめは、借り手の情報を警察庁に照会する仕組みを導入して、暴力団員ら反社会的勢力との取引排除を徹底するのが狙い。運用が始まれば、融資審査には数日かかるようになるという。

 カードローンに関しては、過剰融資に対する批判も多い。全国銀行協会(全銀協)は会員行に対してカードローンに関する2回目のアンケートを10月までに実施し、対策の進(しん)捗(ちょく)状況を確認する。会員行の毎月末の融資残高も、10月からウェブサイトで公表する。


(以下略) <<
キムイルソン同志は、チュチェ58(1969)年3月1日発表の労作『社会主義経済のいくつかの理論的問題について 科学・教育部門の活動家の質問にたいする回答』において、当時、計画経済の推進にあたって問題になっていた「農民市場」を巡って、次のように述べていらっしゃいます。
>> 副業生産や農民市場が共同経営に悪影響を与え、利己主義を助長するからと、法令をもって農民市場を廃止するならば、どういう結果になるでしょうか。もちろん、市場はなくなるけれども、闇取引は依然として残るようになるでしょう。農民たちは、副業で生産した鶏や卵をもってよその家の勝手口を訪ね、裏通りを売り歩くことでしょう。そうしているうちに取り締まりを受けて罰金を払わされるか、法の追及をうけることになるでしょう。だから、農民市場を強制的になくして、解決されることはなに一つなく、かえって人民の生活に不便を与え、不必要に多くの人を罪人にしてしまうおそれがあります。

(中略)

人民の需要をみたせない商品は、たとえ国家が唯一的に価格を制定したとしても、闇取引されたり、農民市場で又売りされるということを忘れてはなりません。

(中略)

卵をいくつか又売りした人を罪人扱いにして教化所に送るわけにもいかず、ほかの方法で統制するとしても、販売量を調節するといったようないくつかの実務的対策を立てること以外に方法はありません。もちろん、こうした対策もとらなければなりませんが、そんな対策では商品が一部の人たちに集中する現象をある程度調整できるだけで、それが農民市場で又売りされたり、闇取引される現象を根本的になくすことは決してできません。 <<
即日融資が問題山積であるのは事実であり、何らかの対策が求められています。しかし、キムイルソン同志が指摘されるように、表市場において人民の需要をみたせないケースにおいては、闇市場においてその需要を満たすべく裏取引がなされるという現象が必然的に発生してしまうのです。必要だから需要が発生するのです。表の市場で満たされないからといって諦める人ばかりではなく、一部は闇市場に流れるものです。需要があれば商機があり、商機があれば供給があるものです。

いくら社会的に好ましくないとはいえ、それを単純に禁止しているだけでは、闇市・闇業者に商機を与えるだけキムイルソン同志が1960年代に既に認識されていた事実から学ぶべきです。

このままだと、多重債務者問題とも暴力団とも関係ない、本当に急にお金が必要になっただけの人物のニーズまでもが闇市場の縄張りになってしまいます。表の市場は監視監督し易いもの。必要以上に需要を地下化・闇市場化させるべきではありません。
posted by s19171107 at 14:56| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2017年09月16日

ベネズエラ式”社会主義”の失敗

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170916-00000031-jij-int
>> 大統領「動物たんぱくはウサギで」=食料難で計画―ベネズエラ
9/16(土) 10:24配信

 【サンパウロ時事】深刻な経済危機で食料や医薬品が不足している南米ベネズエラで、すっかり手に入りにくくなった牛や豚、鶏肉に代えて、ウサギを増産して食肉利用する計画が持ち上がっている。

 マドゥロ大統領は12日夜、国営テレビで「動物たんぱく質(欠乏)は非常に重要な問題。ウサギは繁殖力が強いので、『ウサギ計画』にゴーサインを出した」と表明。しかし「首都カラカスの複数の集落に試験的にウサギを託したが、しばらくするとリボンや名前が付けられていて驚いた」と話し、愛玩感情がネックになるとの考えを示した。

 大統領の意を受けた政府担当者は「ウサギはペットではなく、高タンパク低コレステロールの2.5キロの肉」と国民に認識させるための一大キャンペーンを展開する方針を明らかにした。


(以下略) <<
■悪化の一途
チュチェ102(2013)年3月20日づけ「「21世紀の社会主義」?」において私は、ベネズエラ・チャベス前政権の方法と方向性を「典型的な後進社会主義国」と述べました。これは、(1)せっかくの「天の恵み」(天然資源)を単に費消するだけで後に残るような使い方――つまり産業振興――をしていない点、(2)ビジネスに対する厳しい規制が、イデオロギー的なレベルにまで染み付いている点においてです。

そして、「天の創造力(天然資源)に依存するのではなく、自らの創造力(科学技術力)に依拠した主体的な経済的建設が必要」であるとし、「いまでこそ石油資源をネタに、先進工業国に対して一定の発言力を持っているベネズエラですが、エネルギー情勢が変われば一気に従属国に逆戻りするでしょう」と述べました。

この記事の末尾で私は「果たして次期大統領はどういう路線を歩むのか。チャベス路線の「継続」を表明しているとは言いますが、どの程度なのか。」と述べました。まだ、マドゥロ氏が大統領に就任する前だったからです。あれから4年半。ある意味でチャベス前政権を「継続」しており、とりわけ「民衆を扇動し操ろうとする」という点で「進化」していると言っても良いでしょう。「失敗の王道」をさらにスピードを上げて驀進しているという他ありません。

■民衆扇動で「思想改造」できるのか?
既に愛玩感情が確立しているもの、既に人々の中で位置づけが決まっているものをキャンペーンを張る程度で「思想改造」できるのでしょうか? たとえばこれが、かつてアメリカ資本がじっくりと時間をかけて日本人に「牛肉の味」を売り込んだときのように、食べる習慣がないだけの食材をキャンペーン的に売り込むのは可能でしょう。また、2〜3世代くらいかければ愛玩感情に変化が見られるかもしれません。しかし、食糧危機の解決策としてキャンペーンを張っているほどの時間的猶予はないでしょう。ベネズエラの食糧危機は待ったなしです。

ベネズエラ式”社会主義”は「民衆の扇動」によって誕生し、維持されてきたのですから、マドゥロ大統領がキャンペーン程度で、国民のウサギに対する愛玩感情を「思想改造」できると思いあがるのも無理はないのかもしれません。しかし、チャベス前政権以来の「典型的な後進社会主義国の方法論」に加え、拡大の一途をたどる闇市・闇為替レートに対して経済政策的に正攻法の対処をしようとせず、扇動を展開して国民を操れば、不都合な事実を取り繕うことができると思いあがっている点が、マドゥロ政権の失敗の大きな要点です。

まあ、もうダメでしょうね。

■ベネズエラ式”社会主義”の失敗と対照的な朝鮮式社会主義の経済改革
ところで、素人丸出しのベネズエラ式”社会主義”の失敗と比較すると、朝鮮式社会主義における経済再建の方法論が対照的に際立ちます。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170830-00186095-toyo-bus_all&p=4
>>  ところが、1998年になって北朝鮮は突然、「強盛大国」論を主張し始めた。東部と西部を結ぶ連結網が3年ぶりに復旧できたためだ。時を同じくして、韓国や米国、日本は、北朝鮮に対する支援を開始。そんな支援を、北朝鮮は単純に無償支援だと受け入れたのではなく、支援を利用して内部システムの整備を始めた。農地整理事業と物流網の整備、鉱山の生産活動の正常化、道路・通信網の再整備などを絶えず推進していった。

 ただ、日米韓の支援があったとはいえ、財源が絶対的に不足していたため、時間が長くかかり、目に見えるほどの復旧作業を行えなかった。10年余りという、長い時間をかけて進められた復旧作業の過程において、北朝鮮住民は自ら市場化を進めることになった。ここでいう市場化とは、中央集中式の計画経済システムから、地方分権的な市場経済システムへと転換したことを意味する。

 もちろん、北朝鮮当局はこのような市場化を最大限抑制しようとしたが、事実上、黙認することで一貫していた。金正恩政権が始まってからは、北朝鮮住民によって形成された、地方分権型市場システムが全面的に受け入れた。中央で管理する経済特区とは別途に、地方政府が活用できる二十数カ所の経済開発区を指定したのもこのためだ。労働者や各機関のインセンティブを刺激する、圃田担当制(農業)と社会主義企業責任管理制を導入し、市場を事実上許容する措置さえとった。
<<
「天の恵み」ならぬ「外国からの恵み」を食いつぶすのではなく社会システムの再構築に回し、また、マーケットにおけるビジネスにも柔軟な対応をとる――利用が容易な天然資源が豊富で、アメリカ帝国主義の封鎖政策もそこまで厳しくない「恵まれたベネズエラ」が大失敗の坂を今もなお転げ落ち続けているのに対して、それと比べて遥かに条件が厳しい朝鮮が徐々に力をつけてきている事実は、一方において、ベネズエラ式”社会主義”が「典型的な後進社会主義国の方法論」であることを、ますます議論の余地がないほどに示しており、他方において、朝鮮が「典型的な後進社会主義国の方法論」から脱しつつある状況を示すものであると言えるでしょう。

経済改革真っ最中の朝鮮式社会主義を「21世紀の社会主義」とまで昇格するのはまだ拙速に過ぎるものですが、少なくともベネズエラ式ではないことは間違いなくなりました。

■ベネズエラ式”社会主義”の失敗と日本共産党
余談ですが、日本共産党が最近になってベネズエラを「社会主義を目指す国」と言わなくなり、かつて一挙手一投足を好意的に評価していたのに、それがまるで無かったことであるかのような具合に沈黙しています。おなじみの頬かむりですが、こんなキャンペーンで国民を扇動できると思い上がっている素人政権を見限るのは正しい選択でしょう。

とは言っても、これでまたしても「目指す方向性」が曖昧になってしまった日本共産党。彼らは「マルクス主義は青写真主義ではない」と強弁します。学問的に長期展望を分析する上では、こういう心構えも大切でしょうが、実際に目下の政治的問題、我々の世代の問題を取り扱うにあたって「ビジョン」や「モデル」、あるいは「参考となる歴史的実例」を提示できないのは致命的です。

「青写真」にならないのは勿論、「参考となる実例」としてすらベネズエラは位置づけられないほどに落ちぶれています。日本共産党の未来社会論は、しばらく理論的に停滞することでしょうね・・・
posted by s19171107 at 23:59| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2017年09月13日

石炭液化は自立的民族経済の要諦

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170913-00000071-san-kr
>> 北制裁決議 石油禁輸、効果に疑問 自前の石炭液化し代用
9/13(水) 7:55配信

■シンクタンク研究員指摘
 【ワシントン=黒瀬悦成】国連安全保障理事会が11日採択した北朝鮮に対する追加制裁決議は、北朝鮮を核放棄に向かわせる効果があるのか。有力政策研究機関「国際戦略研究所」(IISS)のピエール・ノエル上級研究員は、仮に中国が北朝鮮に対して石油の全面禁輸を断行したとしても、北朝鮮は自国で大量に産出される石炭を液化させてエネルギー源とすることができるので「効果はない」と指摘する。


(中略)

 しかしノエル氏は「北朝鮮が年間に約600万トンの石炭を液化させて石油製品の代用とすれば、毎年輸入している原油・石油製品をまかなえる」と主張する。北朝鮮は15年に約2500万トンの石炭を中国に輸出したとされるが、国連制裁で北朝鮮の石炭輸出が厳しく制限されたことから、逆に液化に回す石炭には事欠かない状態となっている。

 北朝鮮が石炭を液化させて燃料として活用する体制にただちに転換できる用意を整えているかは明確でないが、ノエル氏は北朝鮮が基礎的な液化技術を会得し、工業規模での運用を開始しているとみる。

 北朝鮮は06年以降、平安南道安州の化学工場「南興青年化学連合企業所」にある石炭ガス化プラントの拡充を進めてきた。石炭のガス化は液化の前段階で、同じ技術を使用する。

 ノエル氏は北朝鮮が核・ミサイル開発で国際社会と対決姿勢を強める中、石油禁輸対策として石炭液化技術を実用化済みの公算は極めて大きいと強調した。

最終更新:9/13(水) 8:45
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偉大な領導者;キムジョンイル同志は、不朽の古典的労作『チュチェ思想について』(チュチェ71年3月31日)で次のように指摘されています。
>>  経済は社会生活の物質的基礎です。経済的に自立してこそ、国の独立を強固にして自主的に生活し、思想における主体、政治における自主、国防における自衛をゆるぎなく保障し、人民に豊かな物質・文化生活を享受させることができます。
 経済における自立の原則を貫くためには、自立的民族経済を建設しなければなりません。
 自立的民族経済を建設するというのは、他国に従属せず独り立ちできる経済、自国人民に奉仕し、自国の資源と人民の力によって発展する経済を建設することを意味します。このような経済を建設すれば、国の天然資源を合理的かつ総合的に利用して生産力を急速に発展させ、人民生活のたえまない向上をはかり、社会主義の物質的・技術的基盤を強固にきずき、国の政治的・経済的・軍事的威力を強化することができます。また国際関係において政治的、経済的に完全な自主権と平等権を行使し、世界の反帝・自主勢力と社会主義勢力の強化に寄与することができます。
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完全競争的な自由交換経済の原理原則に立てば、自由交換は、売り手と買い手の双方の厚生をパレート最適化しつつも、同時に、完全競争的であるからこそ相互牽制的な関係性となり、どちから一方が支配的な地位を占めることはありません。理論空間においては、自由交換・完全競争の世界は、相互牽制的かつ厚生のパレート最適化という意味で、自主的な社会を構築するものと言えます。

しかし、現実世界の実相を振り返れば、我々が住んでいるこの世界は、スタートラインの時点で既に平等ではなく、それゆえに、支配と服従の関係が形成されがちです。完全競争のモデルは、スタートラインが同一であることを暗黙の前提としているので、これをそのまま現実に適応するのは妥当ではありません

とりわけ、共和国のような小国がアメリカ帝国と渡り合おうしても、経済的に張り合って相互牽制的関係性を取り結ぼうしても、困難極まるというほかありません。

その点において、理論的な意味としてではなく、現実問題として自主を如何にして達成すべきかという意味では、キムジョンイル同志が指摘する「自立的民族経済」の確立が最重要であるということが、この記事ひとつ取っても分かるのではないかと思います。

もちろん、経済的自立が重要だからといって、なんでもかんでも自給自足を志向し、甚だしくは鎖国すればよいというものではありません。他国に首根っこをつかまれないように、対象を絞ってピンポイントで自立を志向すべきなのです。

しかしながら、これは極めて難しい。一国の社会経済のどこが「首根っこ」なのかを的確に見極めようとすれば、一歩間違えれば、Collectivism,Constructivismに容易に転落するものです。とはいっても、少なくともエネルギー政策が「首根っこ」でないということはあり得ないでしょう。

実際のエネルギー生産は、官僚の中央統制ではなくビジネスマンの才覚に期待をかけるとしても、どこかで国策的に関与するのは、依然として必要だと思われます。

ちなみに、「支配と服従の関係」と言う意味では、資本家・経営者と労働者も同様の関係性にありますが、私が「自主権の問題としての労働問題」というテーマで幾度となく「労働者自主管理社会」の重要性を説いている理由の一つは、キムジョンイル同志の自立的民族経済論の応用という側面があります。

キムジョンイル同志が『チュチェ思想について』を発表されてから35年未だに色褪せません
posted by s19171107 at 21:17| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2017年09月11日

人民の利益を侵害する者に寛容などありえない

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170910-00000060-dal-ent
>> ハイヒール・リンゴ、不倫に社会的制裁いりますか?「一線を越える」は愚問愚答
9/10(日) 14:00配信

 芸能人から政治家まで、毎週のように不倫の話題が世間を騒がせている。多くの論調が「けしからん」という中で、ハイヒール・リンゴは、不倫はダメなのはもちろんだが、それでも昨今の不倫たたきは度を過ぎていると警鐘。世間からの色々な声が挙がるのを承知の上で、あえて「不倫の社会的制裁が必要なのか」と問うた。


(以下略) <<
チュチェ106(2017)年3月17日づけ「軽薄な人間観に基づく経済還元論、彼我断絶的な人間関係論による無理筋の不倫批判への「批判」」でも述べたように、ヨソの家庭の不倫問題は、決して「対岸の火事」ではありません。

我々の社会が人間同士の信頼関係を基本的紐帯としている以上は、パートナーとの関係という最も基本的な関係における信頼すらも平気で破るような人間は、社会的関係においても到底信頼に値しません(家族愛が深いからといって社会的に信用できるわけではない――身内主義者の可能性――が、家族さえも裏切る輩が社会的に信頼できるはずがない)。いかなる理屈を並べようとも、社会的存在である人間の本質に照らしたとき、信頼に対する裏切り行為を正当化することは不可能であり、そうした家族さえも裏切るような超自己中心的・反社会的性格の人物が私たちの共同社会で生活していることは、脅威以外の何者でもないのです。

また、社会学における「犯罪行動の分化的接触理論(Theory of differential association)」に基づけば、自分自身とは直ちに関係のない出来事であったとしても、「対岸の火事」として傍観してはならず、「犯罪文化(分化ではなく文化)」に旗幟鮮明に反対し、その侵入を防がなければならないと言えます。

その点、ヨソの家庭の不倫問題を「対岸の火事」だの「自分とは無関係」だのと嘯く輩について私は前掲過去ログで次のように述べました。
>> その意味で、人間同士の信頼関係を基本的紐帯としている我々の市民社会のうちにおいて、不倫という裏切り行為の最たるものが敢行された事実は、決して「ヨソの家庭内問題」「対岸の火事」では済まされません。この重大な事態を「本来ならば当事者以外には何の関係もないようなこと」などとするのは、結局、人間を「社会的集団の一員」ではなく「社会との関連性が曖昧な『個人』」として見る軽薄な人間観の発露、すなわち、他人同士のトラブルが永遠に他人同士のトラブルであり続ける、自分は他人と関連していない関係してない、要するに彼我の断絶という思い込みの発露と言わざるを得ないのです。 <<
芸能界という特殊世界は、人間同士の信頼関係で成り立っているような世界なのだから、ハイヒール・リンゴさんくらいの芸歴があれば分かりそうなものですが、それでもこういう発言が飛び出してしまうというのは、現代社会において「信頼こそが社会の基本的紐帯」という事実が形骸化していることを如実に表すものでしょう。

他のどっちでもよいような不正と違って、信頼というのは社会的人間の本質であり、我々の社会の基本的紐帯なのです。ここは妥協してはならないのです。引用はしませんでしたが、信号無視だの歩きスマホだのと同列に扱うとは、バカという他ありません。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170911-00000179-sph-ent
>> マツコ、不倫について世間は「叩きすぎ。人生を終わらせてしまうくらいやってる」
9/11(月) 18:21配信

 11日放送のTOKYO MX「5時に夢中!」(月〜金曜・後5時)で、コラムニストのマツコ・デラックス(44)が、昨今の不倫騒動に対する風潮に苦言を呈した。

 「基本的に人間は悪口が楽しい。ちょっと叩きすぎだよと思う」とマツコ。「悪口を陰で言い合って楽しませてもらってるから『ありがとう』で終わりにしておけばいいのに、その人の人生を終わらせてしまうくらい根こそぎやっちゃうじゃない? だから悪口を楽しんでいるんじゃなくて人殺しを楽しんでいるようになっちゃってる」と私見を語った。


(以下略) <<
偉大な領導者、キムジョンイル同志は次のように仰っています。
「人民の利益を侵害する者に寛容などありえない」

人間――とりわけ家族――同士の愛と信頼を基礎・基盤をみなすチュチェ思想型の社会主義革命を通して、名曲《동지애의 노래》や《세상에 부럼없어라》で歌われる世界を築かんとする共和国では、不倫には刑事罰が科される(刑法270条)のですが、このことも関係しているのかもしれません。

家族愛が社会主義祖国の基盤であることについて、キムジョンイル同志は、チュチェ84(1995)年1月1日発表の談話『党のまわりにかたく団結し、新たな勝利をめざして力強くたたかおう  朝鮮労働党中央委員会の責任幹部への談話』において、次のように指摘されています。
http://kcyosaku.web.fc2.com/kj1995010100.html
>> わたしは、『同志愛の歌』が好きです。この歌には、党の意志がよく反映されています。わたしは1970年代に文学・芸術部門の指導にあたった際、活動家たちに志をともにしようと言いましたが、その思想を盛り込んで『同志愛の歌』がつくられました。かつて、金日成同志は、同志愛によって切り開かれた朝鮮革命を同志愛によって勝利に導くべきであると述べましたが、この教えは実に名言です。

 戦時歌謡『塹壕で歌う』の「愛する父母妻子を両のかいなに抱きしめたい」という一句はすばらしい歌詞です。この歌詞は、表現が非常に生き生きとしています。人は家庭への愛着がなければなりません。家庭への愛着があってこそ、社会主義祖国を愛する愛国主義も生まれるのです。我々は、人民に社会主義的愛国主義の精神と朝鮮民族第一主義の精神を植えつけるごとに深い関心を払わなければなりません。我々の社会主義祖国、わが民族は、金日成朝鮮、金日成民族です。
<<

それはさておき、ゲス不倫騒動の発端となったバンドマンのKは丸で平気な顔をしているし、タレントのBは騒動を逆手に取るかの如くLineのCMに出てきています。そのほかにも、元国民的アイドルで情事の真っ最中を押さえられて猛バッシングを受けたYは死んでいない(ときどきテレビで見かけるようになってきた)し、夫を自殺に追い込んだかもしれない歌手のUは、どうやら嵐が過ぎるのを待つ構えの模様ですが、「人殺しを楽しんでいるようになっちゃってる」とは、いつも訳の分からないことを深夜枠で駄弁っているマツコ・デラックスさん(翌朝には忘れているレベルのエンターテイメントとしては面白いけどね)ですが、いつにも増して論理が飛躍していますね(こんなこと言うと例によって大声あげて早口でまくし立てるのかな?)。

表舞台からはしばらく身を引いて禊を済ませるべし。
以上。
posted by s19171107 at 22:42| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2017年09月09日

共和国における経済改革の進展――建国69年目のチャレンジの行方

共和国建国69周年です。世間の関心はもっぱら「核開発」と「ミサイル実験」ですが、共和国を考える上で今一番重要な論点は、なんといっても経済改革の進展です。

■積極的な政策としての市場経済導入改革
現在、キムジョンウン同志が積極的に推進している経済改革は「分権化」をキーワードとして説明することができますその内容は、各企業所(ミクロ)については、すなわち裁量権限の拡大と独立採算制の導入、経済全体(マクロ)については市場メカニズムの導入と整理できるでしょう。当ブログでも以下の通り、継続的に取り上げてきました。
○チュチェ102(2013)年4月11日づけ「経済改革
○チュチェ102(2013)年10月1日づけ「ウリ式市場経済
○チュチェ102(2013)年10月7日づけ「チュチェの市場経済・ウリ式市場経済――共和国の経済改革措置に関する報道簡易まとめ
○チュチェ105(2016)年6月6日づけ「朝鮮労働党第7回党大会は経済改革・競争改革を漸進的に継続すると暗に宣言した画期的大会
○チュチェ105(2016)年7月2日づけ「分権改革・経済改革の旗印を更に鮮明にした画期的な最高人民会議
○チュチェ106(2017)年1月2日づけ「キムジョンウン委員長の「新年の辞」で集団主義的・社会主義的競争が総括された!
○チュチェ106(2017)年7月27日づけ「政策としての朝鮮民主主義人民共和国における市場経済化は着実に前進している――韓銀推計という第三者的立場の分析からも明らか

この経済改革の方向性は、チュチェ105(2016)年6月6日づけ「朝鮮労働党第7回党大会は経済改革・競争改革を漸進的に継続すると暗に宣言した画期的大会」でも強調したように、伝統的に難題だった「企業間・個人間の競争」を定式化し、「社会主義的・集団主義的競争」という名でイデオロギー的な位置づけがなされている点、政策として積極的に取り組んでいるものと言うことができます。

また、チュチェ106(2017)年1月2日づけ「キムジョンウン委員長の「新年の辞」で集団主義的・社会主義的競争が総括された!」でも触れたように、キムジョンウン委員長自ら、このイデオロギー的定式化を「新しい時代精神」と指摘している点からも分かるように、相当に高次の位置づけがなされているので、そう簡単に後退するとは考えにくいものです。

つまり、現在共和国で進展している市場化の波は、決して「闇市の制御不能な拡大」ではなく、「闇市をしぶしぶ認めている」わけでもなく、政策として積極的に推進されているものであり、今後も推進されつづけるのであると考えられるのです。

「分権化」という観点から共和国の経済システムの変化を論じたものとして、以下の東洋経済ONLINEの記事が参考になるので、重要部分を抜粋します。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170830-00186095-toyo-bus_all
>> ミサイル発射の北朝鮮に圧力だけではダメだ
8/30(水) 6:00配信
東洋経済ONLINE


(中略)

 そんな国際社会の圧力に北朝鮮が持ちこたえられるのか。それを判断するには、北朝鮮の経済状況を見る必要がある。1990年代に社会主義圏諸国の崩壊と相次いだ自然災害で、北朝鮮経済は事実上瓦解した。北朝鮮はこの時期(1994〜1997年)を「苦難の行軍」時期と自称する。

■中央集中から地方分散型の経済へ
 当時の北朝鮮経済は、中央に集中させる計画経済システムだった。北朝鮮全域で生産された物資を、中央に集中させた後、地方に分散させる構造だ。しかし、突然の自然災害によって、東部地域(江原道、咸鏡道)と西部地域(平安道、黄海道)を結ぶ連結網が大きく毀損した。食糧自給がなされていなかった東部地域は孤立した。一方、工業製品を東部地域に依存していた西部地域は、工業製品不足に苦しめられた。このような状況が3年以上続き、平壌の経済状況に多大な悪影響を与えたのである。

 ところが、1998年になって北朝鮮は突然、「強盛大国」論を主張し始めた。東部と西部を結ぶ連結網が3年ぶりに復旧できたためだ。時を同じくして、韓国や米国、日本は、北朝鮮に対する支援を開始。そんな支援を、北朝鮮は単純に無償支援だと受け入れたのではなく、支援を利用して内部システムの整備を始めた。農地整理事業と物流網の整備、鉱山の生産活動の正常化、道路・通信網の再整備などを絶えず推進していった。

 ただ、日米韓の支援があったとはいえ、財源が絶対的に不足していたため、時間が長くかかり、目に見えるほどの復旧作業を行えなかった。10年余りという、長い時間をかけて進められた復旧作業の過程において、北朝鮮住民は自ら市場化を進めることになった。ここでいう市場化とは、中央集中式の計画経済システムから、地方分権的な市場経済システムへと転換したことを意味する。

 もちろん、北朝鮮当局はこのような市場化を最大限抑制しようとしたが、事実上、黙認することで一貫していた。金正恩政権が始まってからは、北朝鮮住民によって形成された、地方分権型市場システムが全面的に受け入れた。中央で管理する経済特区とは別途に、地方政府が活用できる二十数カ所の経済開発区を指定したのもこのためだ。労働者や各機関のインセンティブを刺激する、圃田担当制(農業)と社会主義企業責任管理制を導入し、市場を事実上許容する措置さえとった。


(中略)

 実際に食糧を自主的に解決でき、生活必需品を供給できる程度の軽工業の工場稼働も可能になった。電力でも中央が供給するシステムから地方分権式に変わっている。家庭には太陽光発電や小型発電機などを利用し、最小限の電力供給ができるようになった。さらには、石炭など鉱山の運営が正常化し火力発電所の稼働率が高まっただけでなく、水力を利用した中小型発電所も地域単位で稼働している。総合してみると、最低水準から、自主生存が可能になったということだ。

(以下略) <<
中央集中式の計画経済システムから、地方分権的な市場経済システムへと転換」――的確な指摘です。キムジョンウン経済改革の方向性を端的に言い表しています。

※蛇足ですが、「そんな支援を、北朝鮮は単純に無償支援だと受け入れたのではなく、支援を利用して内部システムの整備を始めた」というくだりには、改めて感心させられました。無償の支援を食いつぶしてしまうような手合い、せっかくの支援にブラ下がる手合いは、国家レベルでも個人レベルでも珍しくないものですが、主体が確立されており、自力更生の精神が骨の髄まで染みている共和国にあっては、無償支援を正しく利活用したわけです。


キムイルソン時代から柔軟に考えられてきた「社会主義における市場の活用」
ところで、キムジョンウン同志の経済改革は、いままで市場を廃絶しようと努力してきた共和国が、ある日突然に諦めて方向転換した結果なのでしょうか?

私は、決してそんなことはなく、「社会主義における市場の活用」は共和国の歴史的な思想的・政策的課題であり、それに対して最近ようやく一定の解答が出てきたのだと考えています。その点において、前掲;東洋経済ONLINE記事の「北朝鮮当局はこのような市場化を最大限抑制しようとしたが、事実上、黙認することで一貫していた」という一文だけは、正しくないと指摘しておかなければなりません。

初代指導者のキムイルソン同志は、チュチェ58(1969)年3月1日発表の労作『社会主義経済のいくつかの理論的問題について 科学・教育部門の活動家の質問にたいする回答』において、農民市場について論じていらっしゃいます。

この労作においてキムイルソン同志は、農民市場を「立ち後れた商業形態」と仰います。農民市場が合理的な一元的国家計画に組み込まれ得ないためです。チュチェ58年の段階では、まだ自由経済と計画経済のどちらが優れているのかという論点に決着がついておらず、また、計画経済を採用する共和国の方が南朝鮮よりも経済的に豊かだった時代なので、キムイルソン同志が、農民市場を「立ち後れた商業形態」と批判されたのは、時代の制約上、仕方なかったと思います。しかし、さすがはキムイルソン同志。「頭で立っている」どこぞの極左連中とは違います。一方で農民市場を「立ち後れた商業形態」としつつも、他方で積極的に自然発生的な農民市場を評価されているのです。重要部分を抜粋しましょう。
>>  農民市場とは、協同農場の共同経営と協同農民の個人副業で生産される農産物や畜産物の一部を、農民が一定の場所をつうじて、直接住民に売る商業の一形態であります。農民市場は、社会主義社会における商業の一形態ではありますが、これには資本主義の残りかすが多分にあります。それでは、農民市場の資本主義的な残りかすとはなんでしょうか!

 それは、農民市場では、価格が需要と供給によって自然成長的に定められ、したがって、価値法則がある程度、盲目的に作用することです。国家は、農民市場の需要と供給および価格を計画化しません。もちろん国営商業が発展し、農民市場にたいする国家の調節的作用が強まるにつれて、農民市場の自然成長性はある程度制限されるが、社会主義の段階では農民市場を完全になくすことはできません。


(中略)

 しかし、社会主義のもとで協同経営が存在し、個人副業生産がおこなわれている以上、農民市場の存在は避けられないことであり、また、それが残っているのは決して悪いことではありません。一部の人は、副業生産物まで国家が買い付けて、計画的に供給すべきだと考えているようですが、それは間違いであり、また実際にそうすることもできません。個人副業生産物はそれを生産した人自身が消費し、残ったものは市場にだして自由に売ったり、ほかの品物と交換できるようにすべきです。協同農場の共同経営で生産した畜産物や工芸作物も、その大部分は国家が買い付けるべきですが、一部は農民に分け与えるべきです。農民は、これを自家消費することもできれば、買付け係に売ることも、農民市場にだして売ることもできるでしょう。必ず買付け係に売れと言うべきではなく、農民が誰にでも自由に売れるようにすべきです。こうすれば、人民の生活上の便宜もはかることができます。

(中略)

 社会主義社会に副業生産や農民市場が残っているのは悪いことではなく、むしろよいことです。我々が、まだ人民生活に必要なすべての品物、特にほうきとかパガジ(ふくべ)のようなこまごました日用品や、食肉、卵、ゴマ、エゴマのような副食物などをすべて国家で十分に供給できない条件のもとで、そういったものを個人が副業で生産し、市場にだして売るのがどうして悪いのでしょうか。それが立ち後れた方法ではあっても、すべてを先進的な方法でできないときには、後れた方法も利用しなければなりません。

(中略)

 それにもかかわらず、副業生産や農民市場が共同経営に悪影響を与え、利己主義を助長するからと、法令をもって農民市場を廃止するならば、どういう結果になるでしょうか。もちろん、市場はなくなるけれども、闇取引は依然として残るようになるでしょう。農民たちは、副業で生産した鶏や卵をもってよその家の勝手口を訪ね、裏通りを売り歩くことでしょう。そうしているうちに取り締まりを受けて罰金を払わされるか、法の追及をうけることになるでしょう。だから、農民市場を強制的になくして、解決されることはなに一つなく、かえって人民の生活に不便を与え、不必要に多くの人を罪人にしてしまうおそれがあります。

 したがって、国家的に人民生活に必要なすべてのものを十分に生産、供給できない条件のもとでは、性急に農民市場を廃止しようとする極左的偏向を厳しく警戒しなければなりません。

 それでは、いつになったら個人副業生産と農民市場がなくなるでしょうか。

 第1に、国の工業化が実現し、技術が高度に発展して、人民の要求するあらゆる消費物資が豊富になったとき、はじめてそれがなくなるのです。どんな品物でも国営商店で買えるようになれば、誰も、しいてそれを農民市場へ行って買おうとはしないはずであり、また、そのような品物が農民市場で売買されることもないでしょう。例えば、工場で安くて品質のよい化学繊維が多く生産されるならば、人々はわざわざ市場に行って高い綿花を買おうとはしないだろうし、また、一部の農民がそれを高く売ろうとしても、売ることができないでしょう。現在の条件のもとでも、人民の需要をみたしている商品は、農民市場では売買されないし、咸興市のような大都市でも、白頭山のふもとにある胞胎(ポテ)里のような山間の僻地でも、我が国のすべての地域で、同じ価格で実現されます。このように品物が豊富で、同じ価格で実現されるとき、それは供給制と変わりありません。

 しかし、人民の需要をみたせない商品は、たとえ国家が唯一的に価格を制定したとしても、闇取引されたり、農民市場で又売りされるということを忘れてはなりません。商店の品物を買いだめしておいて、他人が急に必要になって求めるときに高値で売りつけるような現象があらわれるようになるのです。卵の販売の問題を例にとってみましょう。現在、平壌をはじめ、各地に養鶏工場を建設して卵を生産していますが、まだ人民に十分供給できるほどではありません。そういうわけで、卵も国定価格と農民市場価格とのあいだに差が生ずることになるのですが、これを悪用して又売りする現象があらわれています。

 もちろん、だからといって、卵をいくつか又売りした人を罪人扱いにして教化所に送るわけにもいかず、ほかの方法で統制するとしても、販売量を調節するといったようないくつかの実務的対策を立てること以外に方法はありません。もちろん、こうした対策もとらなければなりませんが、そんな対策では商品が一部の人たちに集中する現象をある程度調整できるだけで、それが農民市場で又売りされたり、闇取引される現象を根本的になくすことは決してできません。

 この問題を解決するためには、品物を多く生産しなければなりません。産卵養鶏工場をより多く建設し、人民の需要をみたすほど大量に生産するならば、卵の闇取引はなくなるであろうし、農民市場で売買されることもおのずとなくなるようになるでしょう。こうした方法で国家的に人民の需要をみたし、農民市場で売買される商品を一つ一つなくしていくならば、最後には農民市場が不必要になるでしょう。


(以下略) <<
意識的・合理的計画化という未来社会論に照らして農民市場を「立ち後れた商業形態」としつつも、現実主義的な観点から「それが残っているのは決して悪いことではありません」と述べ、その理由として、「人民の生活上の便宜もはかることができるから」と指摘されています。

今日のキムジョンウン同志の経済改革の第一目標は、人民生活の向上です。建国の父が「人民の生活上の便宜」という観点から市場の活用について評価していた点を踏まえれば、キムジョンウン同志が人民生活の向上のために市場を活用するのには、何の障害もありませんキムジョンウン同志の方法は、キムイルソン同志の方法であるといえます

また、「国家的に人民生活に必要なすべてのものを十分に生産、供給できない条件のもとでは、性急に農民市場を廃止しようとする極左的偏向を厳しく警戒しなければなりません」という指摘は今日においてこそ大いに活きる重要なお言葉です。

キムイルソン同志が前掲労作を発表された約50年前ではまだハッキリはしていなかったものの、集権的・計画的供給の困難性は、副業生産物に留まらないことが今や事実として明白になっています。50年前ではまだ仮説の域を脱していなかったF.A.ハイエクの計画経済批判が、いまや定説になっています。

週刊東洋経済2013年10月12日号の特集「金正恩の経済学」においてインタビュー(p86-p87)にこたえた朝鮮社会科学院教授のリギソン同志は、キムジョンウン経済改革の目玉である企業所の裁量権拡大と独立採算制導入の背景について「国家がすべての企業所や工場を管理し、彼らに対する報酬などの保障が難しくなったことがある」と述べています。

このことは、キムイルソン同志の前掲労作の枠組みの応用であると位置づけることが可能でしょう。「国家的に人民生活に必要なすべてのものを十分に生産、供給できない」という条件を満たすのであれば、社会主義においても市場的方法の活用は已む無しなのです。

このように、今日、キムジョンウン同志が取り組んでいる「計画部分と市場部分とを混在させる試み」は、キムイルソン同志のチュチェ58年の労作に、その原型が既に見られると私は考えています。

キムジョンイル時代だって「反市場」ではなかった
チュチェ98(2009)年秋のデノミネーションが最も顕著だったように、市場経済化を好ましく思っていなかったと思われがちな前指導者のキムジョンイル同志についても、そう断定するのは早計です。

キムジョンイル同志は、2000年代前半においては経済管理の市場的方法論の導入を模索していたからです。チュチェ91(2002)年の「7.1経済管理改善措置」は漸進的な経済開放政策でした。また、イデオロギー面においては、チュチェ105(2016)年6月6日づけ「朝鮮労働党第7回党大会は経済改革・競争改革を漸進的に継続すると暗に宣言した画期的大会」でも指摘したように、キムジョンイル時代に発表された音楽作品や文学作品においては、「個人の営利追求行為」や「個人間の競争」が肯定的に描写されていたのです。

また、地方分散的な経済構造へ大きく転換を遂げたキムジョンイル時代、「カンゲ(江界)精神」というものが大きくクローズアップされました。カンゲ精神については、『朝鮮新報』チュチェ97(2008)年2月15日づけが分かりやすく解説しているので、引用します。
http://korea-np.co.jp/j-2008/04/0804j0215-00001.htm
>> 慈江道に対する総書記の現地指導は何度も行われたが、その意義がとくにクローズアップされているのは1998年1月の現地指導だ。

 総書記は当時、「苦難の行軍」と呼ばれた経済的困難の時期に雪の吹きすさぶ慈江道を訪れ、道庁所在地である江界市を中心に経済部門に対する指導を行った。これを機に慈江道は中小規模水力発電所の建設を積極的に推し進め電力問題を解決するなど、難局打開へ向けた経済再建事業をリードした。慈江道の取り組みは「江界精神」と呼ばれ賞賛された。その後、「江界精神」が経済再建のモデルケースとして全国に広まり、「苦難の行軍」を克服する原動力となったことは周知の事実だ。

 国内メディアは総書記の慈江道現地指導10周年に大きな意義を付与し、「江界精神」を再び強調している。

 今回、10周年という節目の年に、総書記が江界市をはじめとする慈江道各地を訪れたことは、単なる経済視察を超えた重要な意味合いを持つものとして受け止められた。

 今年の3紙共同社説は、経済と人民生活を高い水準に押し上げることで、金日成主席生誕100周年を迎える2012年に「強盛大国の大門を開く」という構想を打ち出した。

 「2012年構想」との関連でいえば、今回の慈江道現地指導は「強盛大国」の建設に向けて世界のすう勢を見すえながら、自力更生の原則を堅持するという経済復興の方法論を示したものとして理解することができるだろう。同時に、これらの目標達成のために人びとを奮い立たせるうえでも、重要な意義を持つものだ。
<<
前掲;東洋経済ONLINE記事でも触れられている地方分権式の電力供給システムが「カンゲ精神のモデルケース」と位置付けられ、なおかつ、それは「自力更生の原則」に接続されています。

前掲;東洋経済ONLINE記事では、共和国経済の地方分権的構造への変化が統制不能な形で展開されているかのように読めますが、もっとも統制が厳しかったキムジョンイル時代においてさえ、決してそんなことはなく、「自力更生」という概念を媒介として、依然としてイデオロギー的に管理されていたのです。

※ちなみに、共和国が、そこらへんの凡庸な「社会主義国」と異なるのは、社会主義イデオロギーに付きまといがちな「中央集権」に一辺倒ではなく「自力更生」という概念が存在することだと私は考えています。

「中央集権」しかイデオロギー的なバックボーンがない「頭で立っている」極左的「社会主義」者たちではどうしても対応しきれない事態、小回りが要求される事態についても、「自力更生」の看板を掲げれば柔軟に許容できる点が、共和国政権が命脈を保ち続けることができた一つの要因であると考えています。

これに対して、共和国と同様にイデオロギーが国家存立の唯一のアイデンティティだった東ドイツ政権には「自力更生」という概念がなかったので、計画経済が瓦解に向かいつつあることが明らかでも結局、有効な手を打つことはできませんでした。


残念ながら、チュチェ92(2003)年に勃発したイラク戦争以降「先軍政治」に拍車がかかって以降は、何よりも国防が最優先となり、内部引き締めが強化され、市場化に歯止めが掛けられるようになったのは事実です。

しかし、これは外敵の脅威に対抗するための非常措置なので、このことを「本筋」として位置付けることは適当ではありません。また、「個人間の競争」は、昨年の第7回党大会を目前に控えて70日戦闘が展開されていたチュチェ105(2016)年3月19日づけ『労働新聞』社説「集団主義的競争の熱風を激しく巻き起こし、より高く、より早く飛躍しよう」においてイデオロギー的に完全に定式化されたように、先軍の時代にあっても生き永らえましたキムジョンイル同志の時代は、内外の情勢が厳しい非常事態だったので統制が優先されたものの、あくまで非常措置であり、経済改革の芽が完全に摘まれてしまっていたわけではなかったのです。

このように、今日の経済改革;「社会主義における市場の活用」は、決して急に湧いてきた話ではなく、共和国では長年にわたって取り組まれてきた重要課題であり、それにようやく一定の解答が出てきたものなのです。

■これからどうなる?
これからの展望について少しだけ触れておきたいと思います。イデオロギーこそが分断国家としての唯一のアイデンティティである以上は、「社会主義的・集団主義的競争」を新しい時代精神とまで位置づけた(今年の「新年の辞」参照)点を鑑みれば、前述のとおり、現在の改革路線は今後も継続するものと考えられます。

たとえ外部状況が大きく変化しようとも、たとえばアメリカ帝国主義がまたしても何処かの小国を侵略し、その危機に対抗するために共和国が内部を引き締める必要が発生したとしても、キムジョンイル同志の時代のような経済統制にはならないと考えられます。なぜなら、アメリカ帝国主義と渡り合うための核開発・ミサイル開発は、市場の活用によって活性化された経済活動からの税収が原資だからです。カネのなる木;市場を上手く囲い込んで利用しようとすることでしょう

これらの改革に伴う変化が社会主義の原則とどのような関連性を保ち続けるのかという点については、私も労作を紐解きながら考察している最中ですが、「社会主義」というイデオロギー自体が未だ変化と発展の途上にある以上は、「社会主義」の方が現実に対応して変化してゆく可能性もあると考えています。以前から述べているように、朝鮮式社会主義は、試行錯誤の結果から帰納的に形成されているものであり、常に進化し続けています。既に「完成」している「立派な」理屈を演繹的に実践する御国柄ではありません。

とりわけ、チュチェ思想における社会主義の本質が「大衆路線」と「集団主義」だと位置づけられている点は、分析の切り口になると考えています。「大衆路線・集団主義」は、わりと包括的な原則であり、政策的裁量幅が大きいものですが、この枠の範囲内で様々な試行錯誤が今後も展開されてゆくものと思われます。

かつてキムイルソン同志は、チュチェ54(1965)年9月23日に行った演説『人民経済計画の一元化、細部化の偉大な生命力を余すところなく発揮するために』のなかで次のように述べていらっしゃいます。キムイルソン同志もまた、かなり柔軟な試行錯誤を試みていらしたのです。
>>  計画部門の活動家は、労働力、設備、資材など、生産の諸要素について具体的に把握していなければなりません。

(中略)

 これらのことをすべて把握してこそ、現実に合った科学的な計画を立てることができます。ところが、これらすべての要素を具体的に検討し、客観性のある正しい計画を立てるためには、計画委員会委員長や相、企業所支配人など、一人の力では不可能です。いくら聡明な人でも、一人で労働力、設備能力、資材、資金など、生産のすべての要素をことごとく知りつくすことはできないものです。設備が何台だから労働者は何人必要で、機械が何台で従業員は何人いるからどれほど生産できる、といったように机上で立てた計画は、事実上、計画だとはいえません。机上で、一人で生産の予備を探しだすということは不可能なことです。一企業所の生産能力や一地域の商品需要だけでも極めて多様であるのに、まして、国全体の経済生活と関連のある膨大で複雑な生産の諸要素を、幾人かの活動家がどうして正確に反映できるでしょうか。

 計画化で官僚主義、主観主義の誤りをおかさないためには、大衆路線を貫徹しなければなりません。大安(テアン)電機工場にたいする指導で最も重要な問題としてかかげたのは、まさに計画化で官僚主義、主観主義をなくし、大衆路線を貫く問題でした。

 計画部門の活動家が、計画化で大衆路線を貫くためには、生産現場に出向かなければなりません。現在、各計画局の管下にある企業所は多くないので、企業所の実態を把握するのはさほど難しいことではないはずです。1年のうち、およそ20日か1か月ぐらい現場に行って、労働者とともに働きながら実態を調べてみれば、すべて把握することができます。このように、一度よく調べてカードをつくっておき、変更事項をそのつど書き込んでいけば、いつでも自分の受け持った工場、企業所の状態をはっきりと知ることができるでしょう。

(中略)

 しかし、計画を大衆的に討議して作成するというのは、国家計画機関が計画化を積極的に指導せずに、生産者が立案して提出した計画をそのまままとめてもよいということを意味するのではありません。生産者が立てた計画だからといって、すべてが正しく客観性をもつものだとはいえません。(中略)したがって、消極的なものではなく、全国家的な立場に立った動員力のある計画を立てるためには、計画化にたいする国家計画部門の活動家の指導と統制を強化することが必要です。

 結論的に言って、人民経済計画化を正しくおこなうためには、計画化で大衆路線を貫き、国家計画機関の主観主義と官僚主義をなくすばかりでなく、計画事業にたいする国家の指導と統制を強化して、生産者の機関本位主義、地方本位主義をも徹底的になくさなければなりません。

 この問題を解決する唯一の道は、計画の一元化を実現することであります。


(中略)

 このシステムは、計画化において事大主義と教条主義に反対し、我が国の具体的な実情に即してマルクス・レーニン主義の原理を創造的に発展させた独創的なシステムであります。

 私は以前、我が国の計画化システムにあった不合理な点をなくすために、すでに数年前からいろいろと考えてきました。

 マルクス、エンゲルス、レーニンの著作も読んでみたし、社会主義経済建設を直接指導した経験のあるスターリンの著作も読んでみました。また、外国の計画化システムについてもいろいろと研究してみました。しかし、我が国の実情にかなった合理的な計画化システムは、どのマルクス・レーニン主義の古典にも書かれていなかったし、外国人の書いた本にもありませんでした。我々にはただ、計画化にかんするマルクス・レーニン主義の一般的理論を我が国の現実に即して発展させ、自分の頭で自国の計画化システムを完成していくほか他の道はありませんでした。それで我々は、工場にも出かけて研究し、農村にも出向いていろいろと研究してみました。このような過程で我々は、党の意図と国の全般的な経済状態をよく知っている国家計画部門の活動家が直接現地に出向いて、具体的な生産の潜在力を誰よりもよく知っている広範な生産者大衆と協議して計画を立てるシステムをつくるのが最も合理的であると認め、計画の一元化システムを設けるという結論に達しました。

 このシステムは、計画化に偉大なチョンサンリ(青山里)精神とテアン(大安)の事業体系を具現したものであり、中央集権的指導と地方の創意性、プロレタリアート独裁と大衆路線を正しく組み合わせた、最も威力あるシステムであります。計画部門の活動家がこのシステムを立派に運営するならば、工業計画、農業計画、基本建設計画、運輸計画、商業計画、買付け計画をはじめ、人民経済のすべての部門の計画を、党の意図と国家の要求に即して、また地方と企業所の具体的な実情を正しく反映して立てることができるはずです。


(以下略) <<
中央集権的指導と地方の創意性、プロレタリアート独裁と大衆路線を正しく組み合わせた、最も威力あるシステム」――チュチェ54(1965)年といえば、ソ連や東欧諸国では、新古典派一般均衡理論や線形計画法といった数理的技法を用いてまで、経済の計画化に躍起になっていた時代です。「科学的な客観法則」とやらに則った「科学的に正しい道筋」を上段から人民大衆に押し付けることが「社会主義経済」だと考えられていた時代です。

そんな時代にあって、キムイルソン同志は、「大衆路線」という朝鮮式社会主義においては譲ることのできない一線に依拠しながらも、柔軟な発想で生産現場との協議に基づく経済システムを提唱されていたのでした。

キムイルソン同志の「大衆路線」に則った協議型の経済の計画化は、当時にあっては、きわめて「異端」な方法論です。しかし、こうした「異端」な方法論を敢えて執行すること、そして、物事の原点に立ち返って考察を深めることによって一見して「異端」なものを正統に位置づけなおしてしまうのが、共和国の伝統なのです。

きっと、キムジョンウン同志も「それって社会主義?」というような大胆な新しい方法論を執行しつつ、それを「大衆路線」や「集団主義」の大枠に収めるイデオロギー的定式化を成功させることでしょう。

ちなみに、前掲のキムイルソン同志の「これらすべての要素を具体的に検討し、客観性のある正しい計画を立てるためには、計画委員会委員長や相、企業所支配人など、一人の力では不可能です」は、ハイエクの計画経済批判とも通底する部分があります。ハイエクは、このことを根拠に「自由市場の唯一性」を論じました。他方、キムイルソン同志は、このことを根拠に「大衆路線」を提唱されました。二人の方法論は全く異なるベクトルですが、二人の方法論を相互補完的に定式化することはできないものでしょうか?

もしかすると、先にも触れた、週刊東洋経済2013年10月12日号の特集「金正恩の経済学」におけるリギソン同志(朝鮮社会科学院教授)のコメントは――意識的にそうなったわけではなく、結論的に偶然そうなっただけだと思いますが――事実上、ハイエクとキムイルソン同志の主張の折衷になっているのかもしれません。

ますます興味深い共和国における経済改革の進展。今後とも注目してゆく所存です。
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2017年09月07日

전진하는 우리식 사회주의

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170902-00010000-asiap-kr
>> <北朝鮮内部>「最強の経済制裁」の影響は? 最新物価報告(写真2枚)
9/2(土) 5:10配信


(中略)

北朝鮮の最大の貿易相手国である中国は、8月15日からの制裁実施を公表したが、二週間が経った先月29日、アジアプレスでは、北朝鮮内部の取材パートナーに依頼して、北部両江道の二か所の公設市場で物価調査を行ったが、市場には経済制裁の影響は現れていないことが分かった。

6月の物価調査と比べて、食糧価格はほぼ同水準。軽油価格は一割安くなっていた。


(以下略) <<
■羊頭狗肉
最新物価報告(写真2枚)」などとブチ挙げておきながら、なんと肝心の写真が「2013年9月・10月撮影」羊頭狗肉状態。記事として崩壊している。このことにアジアプレス・石丸次郎氏は気がついていないのでしょうか? 共和国国内における撮影を伴う取材の困難性を差し引いても、「最新物価報告」に4年前の写真を持ち出すのはナシでしょう。

アジアプレス・石丸次郎氏の「北朝鮮最新報告」シリーズは、最近は少しばかりマシになってきたとは思いますが、つい最近まで、平気で10年以上も前の写真を持ち出して「最新報告」などとタイトルづけしていたものです。いったいどこが「最新報告」なのでしょうか? そもそも、この「最新報告」は、どのように追試的に裏を取ればよいのでしょうか?

8月21日づけで公開されている「<北朝鮮最新報告>今年も兵士は痩せていた ミサイル発射の一方で栄養失調に苦しむ若い軍人たち(写真4枚)」も、ほぼ同じ構成でした。この記事は、最初の一枚は本年7月撮影という点において「最新」と言うことは可能(もっとも、鮮明さに欠けるので説得力は乏しい)で、2枚目も同様(とはいっても、読者によって見解が異なるであろうキャプションで、これも説得力に乏しい)でしたが、3枚目・4枚目はまたしても数年前の写真。

「2011年7月撮影」の3枚目は、まだ「先軍政治」を掲げていた先代の統治時代の写真。そして「2012年8月撮影」の4枚目について言えば、まだキムジョンウン経済改革が始動する前のタイミングで撮影された写真。共和国の歴史と社会構造を踏まえれば、2011年〜2012年と2017年はその様相が大きく異なっています。社会構造的に差異が大きい過去の一場面と今日現在の一幕とを、何の解説もなく、それも「最新」などというタイトルの記事に掲載する石丸氏のジャーナリストにあるまじき不誠実な姿が浮き彫りになります。

ちなみに、4枚目の写真について「まるで子供のように小さな兵士たちと金正恩氏の記念写真」と書き立てる石丸氏ですが、集合写真に写っている私服姿の女性たちがごく普通の発育状況であるところを見るに、この「兵士」たちは、軍事教練を受けている子供たちなんじゃないかと思うところです。2012年8月は、『労働新聞』がやたら青年について取り上げていた時期でもありましたからね・・・

私は、いわゆる「内部情報」が真偽の追試的確認が困難だからと言って、ただちにインチキ・デタラメと決めつけ、門前払いするつもりはありません。しかし、追試的確認が困難である以上は、その主張を信用することは困難です。まして、羊頭狗肉な記事を量産している人物の発信では信頼には値しません。

■昨今の経済改革の成果は、石丸氏でさえ否定できない成果を挙げているということ?
もはや崩壊状態にある記事を平然と投稿し続けている石丸氏は、印象操作の確信犯か、あるいは、メシのタネを稼ぐために書き立てているかの何れかだと思われます。

しかしながら、この記事は、見方を変えると、「キムジョンウン経済改革の成果は、石丸氏でさえ否定できない成果を挙げている」と言い得る指標なのかもしれません。何の裏付けもなく、追試的確認もほぼ不可能な「最新物価データ」など、デタラメを書いたところでバレるはずもないのに、「市場には経済制裁の影響は現れていないことが分かった」と書いているからです。

当ブログでも以前から記録しているように、共和国の市場経済化は、起源こそ非合法の闇市でしたが、いまや単なる「闇市の統制不能な拡大」ではなく、政策的育成の段階に入っており、そして朝鮮労働党はすでにこの傾向のイデオロギー的整理に正しく成功しています。朝鮮労働党は、社会主義の枠内における市場機能の位置づけと、伝統的に超難題であった「個人間の競争」を社会主義・集団主義の枠内に正しく定義することに成功しています(全面的に支持!)。
チュチェ102(2013)年4月11日づけ「経済改革
チュチェ102(2013)年10月1日づけ「ウリ式市場経済
チュチェ102(2013)年10月7日づけ「チュチェの市場経済・ウリ式市場経済――共和国の経済改革措置に関する報道簡易まとめ
チュチェ105(2016)年6月6日づけ「朝鮮労働党第7回党大会は経済改革・競争改革を漸進的に継続すると暗に宣言した画期的大会
チュチェ106(2017)年1月2日づけ「キムジョンウン委員長の「新年の辞」で集団主義的・社会主義的競争が総括された!

ジャーナリストとして最低限の良心があれば、解釈の裁量内のデータ曲解による印象操作はできても、まるっきりの捏造・でっち上げは躊躇することでしょう。飛び込んできたデータをどうにか曲解しようとしたが、事実として物価は安定しているのだから、「経済制裁の効果てきめん」とは書けなかったのでしょう。

■「内部情報筋」からのレポートの頻度が落ちている怪
ここからは私の「直観」的な感想ですが、キムジョンイル総書記時代以来、「北朝鮮の事実上の市場経済化」は、石丸氏のような「内部情報筋」を持つジャーナリストが盛んに報じてきました。しかし、キムジョンウン経済改革が名実ともに軌道に乗りつつある昨今、いまこそ近況を積極的に発信してほしい昨今、「北朝鮮の事実上の市場経済化」を巡る「内部情報筋」からのレポートの頻度が落ちているように思います。

もし、キムジョンイル総書記の統治時代における「北朝鮮の事実上の市場経済化」なるレポートが、「北朝鮮崩壊」のストーリーを演出する一環だったとすれば、この不可解な「頻度の低下」は理解しやすいでしょう。いまや市場経済化は、労働党体制に組み込まれつつあり、「北朝鮮崩壊」のストーリーには、むしろ不都合な事実となりつつあるからです。

このことは、近年論調のゴシップ化が顕著で資料的価値がほとんどなくなっているDailyNK Japanの報道において更に明白です。昨年ごろまでは、DailyNK Japanでは「トンジュ」なる新興富裕階層について精力的に報じていました。追試的情報源の欠如から丸々信じることはできないものの、興味深い報道が頻繁に発信されていたものです。

しかし、朝鮮労働党第7回党大会以降、市場経済化が政策的にもイデオロギー的にも正式に位置づけられるようになってから、目に見えて頻度が減っています。DailyNK Japanは、平生からその立場と論調を自ら明確にしている点、その「トンジュ」特集は、明らかに「北朝鮮崩壊」のストーリーの一環として報じられていたものと言えるでしょう。

ちなみに、以前から指摘しているように、共和国における市場原理・競争原理の方向性は、遡れば西暦2000年代前半には既に試み始められていました。チュチェ91(2002)年の「7.1経済管理改善措置」は漸進的な経済開放政策であったし、イデオロギー面においては、チュチェ105(2016)年6月6日づけ「朝鮮労働党第7回党大会は経済改革・競争改革を漸進的に継続すると暗に宣言した画期的大会」でも指摘したように、音楽や文学の表現空間において肯定的に描写されていたものです。

おそらく、アメリカのイラク侵攻(イラク戦争)を原因とする「先軍」への舵切りによって、キムジョンイル総書記時代においては開放化がそれ以上は進展しなかったのが、いまようやく開花しているというのが本当のところだと思われます。

(DailyNK Japanの論調は、いわゆる「クレムリノロジー」的な分析方法に関する知識や、社会主義の政治に関する知識があれば、絶対にそんな結論には至らないような素人染みた「分析」が氾濫しています。「プロパガンダの行間を読む」ことをしていないんでしょうね・・・)

かつてレーニンは「誰が君をほめるか言ってみたまえ、君の欠点がどこにあるか教えてあげよう」と言いました。私はレーニンほどのラジカルな二元論者にはなれませんが、レーニンの視点で「『北朝鮮の事実上の市場経済化』を巡る『内部情報筋』からのレポートの頻度」を考察することは、ひとつ面白い事実が見えてくることでしょう。
posted by s19171107 at 23:53| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2017年09月06日

小手先の科学用語言い換え運動

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170906-00000087-asahi-soci
> 遺伝の「優性」「劣性」使うのやめます 学会が用語改訂
9/6(水) 19:11配信

 遺伝の法則の「優性」「劣性」は使いません――。誤解や偏見につながりかねなかったり、分かりにくかったりする用語を、日本遺伝学会が改訂した。用語集としてまとめ、今月中旬、一般向けに発売する。

 メンデルの遺伝学の訳語として使われてきた「優性」「劣性」は、遺伝子の特徴の現れやすさを示すにすぎないが、優れている、劣っているという語感があり、誤解されやすい。「劣性遺伝病」と診断された人はマイナスイメージを抱き、不安になりがちだ。日本人類遺伝学会とも協議して見直しを進め、「優性」は「顕性」、「劣性」は「潜性」と言い換える。

 他にも、「バリエーション」の訳語の一つだった「変異」は「多様性」に。遺伝情報の多様性が一人一人違う特徴となるという基本的な考え方が伝わるようにする。色の見え方は人によって多様だという認識から「色覚異常」や「色盲」は「色覚多様性」とした。


(以下略) <<
■バカの知的水準への安易な妥協
言葉というものは「受け手次第」のもの。話し手の動機にかかわらず、その意図が伝わらなければ、それは話し手の「話し方・語句選択」の問題です。その点において、誤解や偏見につながりかねない代表例としての「優性遺伝子・劣性遺伝子」という単語を言い換えるのは理解できないこともありません。

しかし、そもそも「優性遺伝子・劣性遺伝子」というものは、記事にもあるとおり、遺伝子の特徴の現れやすさを示すにすぎない意味合いです。その点、いくら「言葉は受け手次第」といっても、受け手の側も一定程度の知的水準を持っていているべきであり、バカの知的水準に合わせ続けるのは如何なものかという別の論点が浮上してきます。

そもそも「優れている遺伝子」というのは、バカ丸出しの意味不明な言い草ではないでしょうか? 何において「優れている」というのでしょうか? 繁殖力? 個体としての身体能力? 知的能力? 人格人望? 人間には様々な側面があるのだから、漠然と「優れている遺伝子」といったところで「何において?」となるのがマトモな知的水準を持つ人物の反応でしょう。

「顕性遺伝子」という言い換えは、語句定義の「揺れ」が狭まり、より概念が明瞭化するとはいえ、「バカの知的水準に安易に妥協している」懸念が拭えません。

■「異常」だから何?
他方、「色覚多様性」は、「猫も杓子も多様性」「とりあえず『多様性』と言っておけば正しく見える」時代にあって珍しく、正しい文脈で「多様性」を使っているなと思った次第です。

色の見え方は人によって多様」というのは、19世紀に流行った素朴な唯物論(マルクス・レーニン主義哲学がその最たる例)を卒業した現代科学の立場としては正しい見解だからです。

しかしながら同時に、「色覚異常」すなわち「異常」という言葉に対する不必要な反発が、この言い換え運動の背後には見え隠れします。「異常」というのは、決して「悪い」意味ではありません。「大数の法則」的意味における標準を「正常・通常」とすれば、それから外れたケースは「『常』と異なる」という意味で「異常」とするほかありません。この意味における「異常」とは、「善悪の評価」などは基準ではなく、ただ「多数派に属しているか否か」でしかありません。

多数派に属していることがそんなに大切なことなのでしょうか? 多数派に属しておらず、それゆえに「『常』と異なる」という意味で「異常」とされることが、そんなに耐え難いことなのでしょうか? 妙ちくりんな言い換え運動で「ガラスのハート」のキズをナメてやるよりも、他人の評価にいちいち一喜一憂する主体の無さを変革し、主体を確立する方が、より建設的であると私は考えます。

他者からの評価ではなく、自らの心の底から湧き出す自己肯定感に依って立つ心境。他者に何と言われようとも、自分はあくまで自分であり、自分の人生はあくまで自分自身のものであるという確信。それこそが主体を確立した人間の生き方です。

もちろん、他者からの評価に一喜一憂する人たちが一朝一夕で「思想改造」されるとは私も現実的には考えていません。まさにカウンセリング的アプローチ、青山里方法的アプローチで長い目で取り組むべき事業です。しかし、あくまで「志遠」の精神で。小手先の言い換え運動などに精を出してお茶を濁すのではなく、より核心に迫るべきです。

科学とは別次元での「正しさ」による今回の言い換え運動。それも、諸手を挙げて賛成はできない特殊な前提に根差す「正しさ」と言わざるを得ないものです(「正しい」って何?)。中途半端で小手先の科学用語言い換え運動だなー
posted by s19171107 at 22:49| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2017年09月05日

事大で国が亡びるのは、次で何度目?

http://www.kcna.co.jp/calendar/2017/09/09-04/2017-0904-013.html
>> 조선중앙통신사 론평 남조선당국의 리성 잃은 지랄발광
朝鮮中央通信社論評 南朝鮮当局の理性を失った発狂

(中略)

그러나 리성적인 사고가 완전히 결여되고 초보적인 판별력조차 상실한 남조선괴뢰패당은 전례없는 대결소동을 피우며 정신병자처럼 놀아대고있다.
しかし、理性的な思考が完全に欠如し、初歩的な判別力さえ喪失した南朝鮮傀儡一味は、前例のない対決騒動を起こし、精神病者のように振舞っている。

(中略)

이미 천명한바와 같이 이번에 진행된 조선인민군 전략군의 중장거리전략탄도로케트발사훈련은 우리의 중대한 경고에 호전적인 침략전쟁연습으로 도전해나선 침략자, 도발자들에 대한 단호한 대응조치의 서막이다.
すでに明らかなように、今回実施された朝鮮人民軍戦略軍の中長距離戦略弾道ロケット発射訓練は、我々の重大な警告に好戦的な侵略戦争演習で挑発してきた侵略者、挑発者に対する断固たる対応措置の序幕である。

더우기 이번 훈련은 태평양상에서 침략의 전초기지인 괌도를 견제하기 위한 의미심장한 전주곡으로서 나라의 존엄과 조선반도평화를 수호하기 위한 정정당당한 자주적권리행사로 된다.
また、今回の訓練は太平洋上の侵略の前哨基地であるグアム島を牽制するための意味深長な前奏曲として、国の尊厳と朝鮮半島の平和を守護するための正々堂々とした自主的権利の行使になる。

민족자체의 힘으로 민족의 안녕을 지키는것이 《엄중한 도발》이고 《평화에 대한 위협》이라는것이야말로 괴뢰패당의 고질적인 대결병페의 발로이다.
民族自らの力で民族の安寧を守ることが「厳重な挑発」であり「平和に対する脅威」であるなどと言うのは、傀儡一味の慢性的な「対決病」の症状のあらわれである。

우리의 강세앞에 상전인 미국마저도 방책이 없어 《북미지역에 위협이 되지 않는다.》고 조심스러운 반응을 보이는 때에 한갖 괴뢰들이 《평화에 대한 위협》이니 뭐니 하며 란동을 부리는것은 정말로 꼴불견이다.
我々の強気の前に、ご主人様である米国ですら方策がなく、「北米地域の脅威にはならない」と控えめな反応を見せている時に、単なる傀儡共が「平和に対する脅威」を云々しながら大騒ぎしているのは、本当にみっともないことだ。

(中略)

괴뢰들은 이번 기회에 우리의 중장거리전략탄도로케트발사훈련이 무엇을 의미하는지 여러모로 심중히 되새겨보는것도 나쁘지 않을것이다.
傀儡共は、この機会に我々の中長距離戦略弾道ロケット発射訓練が何を意味するのか多角的に思慮深く反芻するのも悪くないだろう。

미국에 기대여 얻을것이란 자멸뿐이다.(끝)
米国に依存して獲得できるのは自滅だけだ。(終わり) <<
米国の軍事力が世界最強であることをいいことに、まさに「虎の威を借る狐」状態で、自分たち自身が何かする意志も能力もサラサラないのに、「レッドライン」がどうのこうのと饒舌に語っていた韓「国」(自称)ですが、当の米国――その軍事力は、韓「国」(自称)にとって国家存立の大黒柱――はそれほど乗り気ではありません。そして、どこまで現実的な話かは不明確ですが、「アメリカが北朝鮮を核保有国として承認する」や、果ては「在韓米軍撤退」という話まで出てくる始末です。

「承認説」「撤退説」は眉唾的に別格としても、韓「国」(自称)と米国の「温度差」は否定しがたい事実です。미국에 기대여 얻을것이란 자멸뿐이다――事大で国が亡びるのは、次で何度目になるんでしょうか?
posted by s19171107 at 23:38| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2017年09月03日

조선은 결심하면 한다.한다면 한다.

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170903-00000028-yonh-kr
>> 北朝鮮のM5.6地震 「過去の核実験地域」=韓国気象庁
9/3(日) 13:35配信

【ソウル聯合ニュース】韓国気象庁の国家地震火山総合状況室は3日、同日午後0時36分に北朝鮮北東部の咸鏡北道・吉州郡付近でマグニチュード(M)5.6の地震が発生したと発表した。震源地は吉州郡から北北西44キロで、震源の深さは0キロ。

 気象庁関係者は「人工地震は波形がS波よりP波がはるかに大きいが、今回の地震はそのような特徴を見せている」として、「過去に核実験を実施した地域とも一致する」と説明した。


(以下略)<<
조선은 결심하면 한다.한다면 한다.

朝鮮側の現状認識と理屈に則れば、「アメリカ帝国主義の急迫不正の侵略策動に対して、正当防衛的に再三の警告をし、その上で様子見したにもかかわらず、結局、米韓合同軍事演習が強行された。このことは、弾道ミサイル程度の抑止力では不十分であるということであり、よって更なる確実な抑止力の構築のために核実験を敢行する」といったところになると思われます。正式なところは朝鮮中央通信発表を待つべきですが。
posted by s19171107 at 14:41| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする