http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150930-00000033-mbsnewsv-soci
>> 「能力不足」2人を分限免職 大阪市が職員条例初適用コメント欄が秀逸でした。「能力なくてクビって、民間でもできるようになるのか?」。「民間では・・・」を決め台詞のように繰り返す橋下市長と「類似品」たちですが、実際の「民間」においては、彼らが言うほどは広範で採用されているわけではありませんし、採用している企業においても、彼らが誇るほどは大々的には行ってはいません。類似した制度として一時期流行した「スタック・ランキング」がありますが、マイクロソフトが結局廃止したように、この手の制度は「民間」においては、かなり微妙なシロモノと位置づけられている例が多いようです。個人本位の評価は必要であるにしても、それを殊更に前面に出すのには弊害も大きいということに他ならないのです。
毎日放送 9月30日(水)11時45分配信
大阪市は、職員基本条例に基づき5段階評価で2年連続最低ランクとなった職員2人を免職処分としました。
能力不足を理由した免職処分は初めてです。
「1年以上かけて指導してきたが、公務員として通常要求される勤務実績や適格性が欠けていると判断し、免職処分とした」(人事室・大田幸子連絡調整担当課長)
30日付で免職処分されたのは、都市整備局の40代の男性職員と、港湾局の30代の男性職員の2人です。
2012年に成立した職員基本条例は、職員を5段階で評価し最低ランクが2年以上続き、研修でも改善が見られなければ免職処分にすると定められていて、今回が初めての適用です。
能力不足を理由した免職は異例です。 <<
私は基本的に市場主義者であり、官僚主義やムラ社会、ぬるま湯体質の組織には反対の論陣を張ってきました。滋賀県大津市のいじめ自殺事件に関連した全教(全日本教職員組合)所属の公務員教師たちの官僚主義・ムラ社会的振る舞い、ぬるま湯に首まで浸かっているとしか言い様のない発言には、多くの国民とともに怒りました。あのときに考えたことを振り返ってみると、結局この手の連中は「公平な観察眼」がないという点に尽きるでしょう。自分自身の利益、身内共同体の利益を最優先するために、それ以外の社会構成員の利益を軽視・無視するという点に諸悪の根源があるのです。連中は、「社会」というシステムにおいてその責任ある一員としての振る舞いをしていない「単なる利己主義者」なのです。
そうした利己主義者、身内共同体主義者の横暴から社会システムを防衛し、システムとしての正常な運営を実現させるためには、連中に対して集団主義的に対峙する必要があります。にもかかわらず、インセンティブをぶら下げたり、免職や降格といった脅しで対応しようとする橋下氏とその「類似品」。彼らの手法も結局は「単なる利己主義」の延長線上のものでしかありません。仮に上手くいったとしても、単に「バラバラに動いている諸要素が、偶然にバランスを取っている」に過ぎず、それ以上のパフォーマンスを実現することはできません(資本主義社会はそういう社会なので、その点を考慮すれば、ある程度は実用に耐え得るのは事実だとは思いますが、資本主義の無政府的弊害に枚挙に暇が無いのも事実です)。
もちろん、「滅私奉公は続かない」というのは、私も以前から繰り返しているとおりです。しかし、この文脈での「集団主義」は、「社会集団の一員・責任ある主人」を求める立場であり、自他共存の方法論です。自らの利益を追求することはなんら非難されるべきではありませんが、「自己利益追求にも限度がある、他人のことも考えなさい」「みんなお互い様」という至極常識的(現代資本主義社会ではどうも上手く回っていないのが残念です)な立場にすぎません。
前掲「スタック・ランキング」を初めとして一時期に流行った評価手法を廃止した企業の中には、「集団に対する貢献」を評価パラメーターとして導入し直した企業も少なくないようです。橋下氏とその「類似品」が錦の御旗のように掲げる「民間企業」は、いまや彼らが周回遅れで信奉している方法論、彼らが依拠する利己主義的方法論を捨てつつあるといってよい情勢になりつつあります。
集団主義化においては、いわゆる「フォローアップ研修」型の対策は望ましくありません。そうした方法には「強制力」が足りないからです。社会集団の一員として自他の利益を調整するよう仕向けるには、隔離して個別的に研修を受けさせても意味がなく、たとえば「白眼視」のような圧力が必要です。「ムラ社会」的方法論ではありますが、長い歴史を通して人々を強力に統制してきた手法は一部、見習うべきでしょう。
別記事によると、本件も市当局なりのフォローアップをしていたようですが、個別隔離的な指導に終始したようです。これでは、利己主義者を集団主義化にすることはできません。まずは強制力を以て「社会集団」というものを意識するように仕向けさせ、半ば強引にでも同化を推進するべきです。他方、その過程で徐々に教育的な要素も織り交ぜ、最終的には程度の差こそあれ、「お互い様」の行動を定着させるべきです。
なぜ「民間では・・・」を決め台詞のように繰り返すのに、そうした時代の変化への対応が遅れているのでしょうか? 結局、橋下氏とその「類似品」たちは、観念論者かブラッキーな確信犯のどちらかでしょう。たしかに、いわゆる「ブラック企業」では、そうしたアメとムチ的な利己主義に根ざした統治術が今も全盛期ですね。
