2016年07月04日

いつまで経済決定論・経済疎外還元論にしがみつくのか;バングラ・ダッカでのテロ事件の「原因」論

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160703-00000078-mai-asia
>> <バングラテロ>過激思想、社会に広がる 政権の抑圧に反発

毎日新聞 7月3日(日)21時46分配信

 バングラデシュの人質テロ事件は、穏健なイスラム国家とみられてきたバングラ社会に過激思想が広まっていることを印象づけた。背景には、与党政権がイスラム主義勢力への抑圧を強化していることや、失業率が高止まりし、若者が経済成長の恩恵を実感できないでいることが指摘される。政権への反対勢力が、こうした社会不満を利用してテロに及んだ可能性もありそうだ。【隅俊之】


(中略)


 聖心女子大の大橋正明教授(国際開発学)は「過激なイスラム教徒が強く反発し、不満の受け皿となった勢力が、現在の政権の信用失墜を狙ってテロを実行した可能性が高い」と指摘。「テロで海外からの投資や非政府組織(NGO)などの援助活動も萎縮する。それが実行犯の狙いだろう」と話す。


(中略)

 バングラのイスラム社会に詳しい広島修道大の高田峰夫教授(地域研究)は「バングラでISとJMBを直接的に結びつける証拠は今のところ見つかっていない」と指摘。その上で「経済発展で比較的豊かになり、一定以上の教育を受けながらも思うような職に就けず、不満を募らせる若者もいる。こうした若者らがインターネット上でイスラム過激思想に感化されて起こしたテロ行為を、ISが利用している可能性がある」と指摘する。

 バングラでは東南アジアに出た若い出稼ぎ労働者が、テロ資金を蓄えて自国に戻ろうとする動きも出ている。

 シンガポール当局は今年4月、バングラに帰国してテロを敢行しようとしたとして、26〜34歳のバングラ人の男8人を国内治安維持法違反の疑いで逮捕した。31歳の男をリーダーに結成されたグループは「バングラデシュのイスラム国」を自称。外国人戦士としてISに加わりたかったが、容易でなかったため自国でテロを実行しようとしたと供述した。

 男たちは「ジハード(聖戦)」を誓った文書を所持しており、バングラ政府や軍の施設のほか政府要人などをテロの対象にしていた。また、爆弾の製造方法などを記した書類やISの宣伝物のほか、武器を買うための資金も押収された。グループとISとのつながりは確認されていないが、リーダーの男は「指示があればどこでもテロを起こす」と供述したという。
<<
■やっぱり出てきた経済決定論・経済疎外還元論
こうしたテロ事件が発生すると、決まって、犯人にアンケートをとったわけでもないのに、経済的不満、特に就職問題に対する不満を「原因」として挙げる経済決定論・経済疎外還元論的な「解説」が出てきます。通俗的なマルクス主義の悪しき影響が未だに残っているということなのでしょう。

上掲記事も、おそらくそうした「伝統」に則った編集方針で書かれたもののつもりなんでしょうが、既にこんなに短い記事でありながらも矛盾をきたしています。広島修道大の高田峰夫教授が典型的な経済決定論に則ったコメントを寄せながらも、他方で、聖心女子大の大橋正明教授が「テロで海外からの投資や非政府組織(NGO)などの援助活動も萎縮する。それが実行犯の狙いだろう」というコメントを寄せています。もし、犯人グループの犯行動機が「経済的不満」であったのなら、なぜ、仕事を持ってきてくれる外国投資・NGO活動に対してテロ活動をするのでしょうか? 自分はその蚊帳の外だから? そんな理由を、あたかも法則的に語ることはできるのでしょうか? 単なる突発的な無差別殺人事件と変わりなく、個人的な生い立ちを探り、児童相談所(バングラにはあるんでしょうか?)で支援用事例データベースに蓄積する意味はあっても、社会問題として背景を探るようなものではないでしょう。

■早くも矛盾を露呈する経済決定論・経済疎外還元論に対抗して
既に自己矛盾を起こしている「経済的に不遇な若者がイスラム過激派に走る」理論。それに対して、私は、下記記事の分析に注目したいと思います。
http://www.yomiuri.co.jp/feature/yokoku/20150203-OYT8T50221.html?page_no=2
>> 若者はなぜイスラム国を目指すのか…池内恵氏インタビュー

2015年02月04日 09時23分


(中略)

ジハード戦士たちの心理構造

 イスラム国の戦闘要員は、米CIAが昨年9月に発表した推計では2万人から3万1500人となっている。その後、米国によるイラク、シリア空爆で減少している可能性もあり、現時点ではおそらく3万人程度と見込まれているが、そのうち半分ほどを占めているのが近隣のアラブ諸国からの参加者だ。

 そうした人々の心理は、イスラム教の論理からすれば、それなりに納得できるものがある。そもそもイスラム世界では、アッラーの教えに反する不義の支配者をジハードで倒すのは「ムスリムの義務」と考えられている。もちろん誰もが武力によるジハードを肯定するわけではないが、シリアのアサド政権が圧政で国民を弾圧しているという認識は広く共有されているから、「今のシリアの状態はおかしい。自分が手を下してでも何とか政権を倒さなければならない」と考える人がアラブ諸国に現れるのは容易に予測できる。しかも、イスラム国の主張は、いちおうイスラムの教えにのっとったかたちを取っている。イスラム国の指導者のバクダーディーは、預言者ムハンマドの後継者を意味する「カリフ」を自称しているが、彼のカリフとしての正統性に疑問はあるとしても、途絶えてしまっているカリフ制を復活させること自体は、ほとんどのムスリムが良いことだと考えている。

 また、イスラム国は捕虜を斬首するなど残虐な処刑を繰り返し、さらには少数派であるヤズィーディ教徒を奴隷にするなどして国際世論から非難を浴びているが、コーランやハディースには、確かにそうした行為を認めているように読める箇所がある。例えばコーランの47章4節には、「信仰なき者といざ合戦という時は、彼らの首を切り落とせ」といった章句があるし、中世の権威あるイスラム法学書であるマーワルディーの『統治の諸規則』でも、ジハードで支配下に置いた多神教徒に対しては、改宗、殺害、奴隷化といった選択肢があることを示している。

 実は、コーランやハディースの解釈は、過去の膨大な文献に通じていないとできないため、かつては各国の政権中枢に近いイスラム法学者が独占していた。しかも、そうした法学者は、比較的穏健な解釈をするのが常だった。ところが最近では主要文献がインターネット上にアップされるようになってきたために、検索すれば誰でも直接文献に当たることができる。イスラム法学者としての専門的なトレーニングを積まなくてもイスラム国のように過激な解釈を正統な根拠を引いて主張することも容易になった。

 同時に、イスラム諸国では中央政府の統治が揺らぎ始めているから、「御用学者」としてのイスラム法学者の権威は失墜している。こうなると、もう誰も過激な解釈をとめられない。これが最近10年ほどの間に出てきた動きだ。イスラム諸国からの義勇兵が後を絶たない背景には、そんな事情もある。

自由から逃走する若者たち

 一方、西欧・米国からのイスラム国への参加者は約2000人とみられているが、このような人々の意識は、アラブ諸国から参加している人々とはかなり違う。

 まず、ヨーロッパからの参加者の大部分はイスラム教の国々からの移民・難民の子孫だ。イギリス、フランスなど西欧諸国では、ムスリム系の移民とその子孫は人口の十数%程度にまで達しており、そのような移民の子弟は、どうしても自らのアイデンティティーの問題に悩みがちだ。イスラム教の国に自らのルーツがある場合、自らのアイデンティティーは生まれ育った西欧にあるのか、それともイスラムにあるのか。そうやって迷っているところでイスラム国の人々の主張に触れ、その主張の中に自らのアイデンティティーを見出そうとする、ということがしばしば起こる。そういった人々が自らの信仰を確認したくて、いわば、自らのアイデンティティーを確立するためにイスラム国に旅立っていく訳だ。

 さらにいえば、これは移民に限らないことだが、近代自由主義の中で生きる人間に固有の問題が現れているのだと思う。どういうことかというと、西欧社会では「自分が何をなすべきか」は自由意思に任されている。逆に言えば絶対に正しい答えというものはなく、自ら判断しなければならない。そのような自由は時として重荷になってしまう。ところが、何か権威あるものに従うことにすれば、自分で決めなくても良い。自ら判断する自由を捨ててナチスドイツの台頭を許した人々の心理を分析した社会心理学者、エーリヒ・フロムの言葉でいえば、彼らは「自由からの逃走」を図ろうとする。ましてやイスラム教の「神の啓示」は、なすべきことを全部教えてくれる。先進諸国からイスラム国を目指す若者が出ているのは、このような理由があるからではないだろうか。

 日本でも昨年秋、北大を休学中の若者がイスラム国への参加を企てるという事件があったが、ここでも同様な心理が働いていたような気がする。かつてオウム真理教に集まった人たちもそうだったと思うが、先進自由諸国では、このようにして「自由からの逃走」に走ってしまう人がある程度出るのはどうしても避けがたい。そこは冷静に受けとめるべきではないか、という気がしている。


(以下略) <<
「御用学者」としてのイスラム法学者の権威は失墜している。こうなると、もう誰も過激な解釈をとめられない。これが最近10年ほどの間に出てきた動きだ。イスラム諸国からの義勇兵が後を絶たない背景には、そんな事情もある。」という指摘、そして「イスラム教の国に自らのルーツがある場合、自らのアイデンティティーは生まれ育った西欧にあるのか、それともイスラムにあるのか。そうやって迷っているところでイスラム国の人々の主張に触れ、その主張の中に自らのアイデンティティーを見出そうとする、ということがしばしば起こる。そういった人々が自らの信仰を確認したくて、いわば、自らのアイデンティティーを確立するためにイスラム国に旅立っていく」や「このようにして「自由からの逃走」に走ってしまう人がある程度出るのはどうしても避けがたい。そこは冷静に受けとめるべきではないか」という指摘(太字化は当方によります)。イスラム圏出身のイスラム国参加者と、欧米出身のイスラム国参加者でバックグラウンドを分けていますが、私は、「自分探し」や「自由からの逃走」は欧米出身に限らず、ある程度の高い教育を受けた人々であれば、イスラム圏出身でもあり得ると考えています。それゆえ、今回の犯人グループのバックグラウンドとして指摘されている「バングラの恵まれた高学歴者」は、前者のような要素も後者のような要素も具有していると見ています。

■アイデンティティ探しからの過激化
後者の要素、特に「自らの信仰を確認したくて、いわば、自らのアイデンティティーを確立するためにイスラム国に旅立っていく」という分析は注目に値します(もちろんこれだって、イスラム国の連中にアンケートをとった結果ではなく、池内氏の推測的分析の域を脱しないと思いますヨ。ましてや、これを今回の事件の分析に用いているのは、まったくを以って私の判断です)。これは、明らかに経済決定論・経済疎外還元論とは異なる原因論です。

政治的運動は、その人の出自ではなく、その人の思想によって行うものです。歴史上の多くの革命運動・世直し運動は、事実として、本当の「底辺」ではなく、ある程度の教育を受けた人々の義憤によって起こされてきました。下記の記事に対する岡豊氏(公益財団法人中東調査会 上席研究員)のコメントに同感です。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160703-00000043-jij-asia&pos=4
>> 岡豊 | 2016/07/04 11:55 公益財団法人中東調査会 上席研究員

テロリズムとそれに基づくテロ行為は、政治的な表現行動の一形態です。従って、「テロリスト」は政治・社会問題について考え、それを他者に向けて語ったり行動に移したりすることができるだけの教養と経済的余裕のある人しかなることができません。一方、テロ組織がある程度大きくなると、組織の目的や政治的なメッセージをほとんど理解できず、給与をもらうなどして直接行動に参加する構成員が増えてきます。こちらの種類の構成員は「テロリスト」ではなく単なる「戦闘員」とみなしていいでしょう。


(以下略) <<
チェ・ゲバラは、南米放浪の旅のなかで、ある種の「自分探しの旅」の中で、現実社会に対する問題意識を芽生えさせ、その生涯を革命運動に捧げるに至りました。革命家の伝記を読むに、そうしたケースは相当に多く、これは傾向的に正しいと言っても良いでしょう(もちろん、人間には個性=脳のシナプス結合の個人的差異、があるのですから、すべての人々が必ずそういう思考になる=「法則的」と言えるわけではないとは思います)。

■「運動の主体」の心理にスポットを当てるべき
上掲の毎日新聞記事のような経済決定論・経済疎外還元論に基づく「分析」は、明らかに行き詰っています。いまこそ、俗流マルクス主義にもとづく分析ではなく、より「運動の主体」の心理にスポットを当てた動機分析、主体的分析が必要とされているといえるでしょう。

■イスラム原理主義のテロリストは「イスラム的な家」の建設を目標としている
そうした視点で今回の事件を分析すると、俗流マルクス主義的な経済決定論・経済疎外還元論に基づく「処方箋」は、必ずしも有用ではないと思われます。経済決定論的処方箋に従えば、「貧困国であるバングラに対しては、治水設備や工業基盤を作ってやれば、過激思想は落ち着くはず」ということになりましょう。しかし、自らのアイデンティティーを確立するために過激思想に染まり、そして、過激思想に基づく「誇り高いイスラム国家」の樹立を目標としている連中にとっては、「治水設備ができたくらい」では満足しないでしょう。彼らは、「治水設備を基盤に、イスラム的な社会を作り上げること」を目標としている、ワンステップ上の段階を目標としているはずです。彼らはおそらく、「土台」の整備では満足できないのではないでしょうか? チェ・ゲバラが「単なる繁栄」ではなく、「共産主義的繁栄」を志向したように、イスラム原理主義の連中は、「イスラム的な家」を建てるために必要な「土台の整備」について、関心をもっているのではないでしょうか? 

イギリスのEU脱退問題の記事で私は、「人間活動の目的は生活」と指摘した上で、「誇りの追求こそが生活の目的」である人々にとっては、あくまで手段・道具にすぎない経済は、生活に従属するものという位置付け以上にはなり得ない」としました。「誇り高いイスラム国家」の樹立を目標としている連中にとっては、先進国の対途上国経済援助などは、それ自体は「目的」ではありません。むしろ、「十字軍諸国の『援助』など汚らわしい!!」と言ってのけるくらいまで凝り固まった原理主義者連中にとっては、外国からの援助自体が許しがたいものと映ることでしょう。そうした救いようのない狂信的な宗教的観念が、今回のダッカテロ事件につながった可能性は、じゅうぶんにあるでしょう

■結論
こうした分析は、俗流マルクス主義的な経済決定論・経済疎外還元論からは絶対に出てこない視点です。経済的要素がまったく無意味・無関係というわけではありません。それだけで全てを説明しようとする決定論・還元論に反対しているのです。主体的分析もあわせて用いるべきです。

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